泰西古典絵画紀行

オランダ絵画・古地図・天文学史の記事,旅行記等を紹介します.
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「ダニエルの夢」の地図(2)

2012-10-14 20:51:55 | 西洋の古地図


map 8x12cm border 2cm 手彩色

 こちらは制作順ではGallnerの8番目,16世紀後半ごろに使用されたもので,マニエリズム風のボーダー(額縁)の部分はしばしば変更されて出版されています.この地図は切り出されているので,裏のテキストがドイツ語であること以外,原本を特定することは容易ではないのですが,Sigmund Feyerabend(フランクフルト1564-1583年)かQuentell and Calenius(ケルン1564-1607年)が出版した「ウィッテンベルク聖書」の一葉に挿図として刷られたものと考えられます.木版製作者は Jost Amman と Virgil Solis で,前者は"A"の飾り文字がアフリカ大陸の南端に,後者は"VS"の組み合わせ文字がインドシナ半島の南端にそれぞれモノグラムとして入れられています.
 ボーダー部分の立体的に見える縁取りの構図は16世紀後半の地図,例えばオルテリウスの地図帳のカルトゥーシュに良く用いられていますが,ここでは両側の上端にそれぞれ裸体の男女が隠れつつ壷を差し出しているのが目に留まります.

 ボーダー以外の初版との相違点としては,以下のようなことが挙げられます.
①周囲の風神(風の精)が上下左右の四方ではなく上方を取り囲む位置に描かれている.
②EUROPA[UはVと表記されます]・ASIA・AFFRICAの文字の記載がない.
③例えばバルカン半島・アナトリア半島(小アジア)・アラビア半島など,地形の省略が目立つ.
④四つの獣については,ライオンの羽の形状が変わり,原点どおり豹の背に四つの羽が描き加えられたが獣の顔は豹らしくなくなった.熊の顔は熊らしくなり,山羊は山羊らしい顔ではなくなったが歯(牙)は目立つようになっている.



 興味深いのは豹の下,山羊の向かって右に垂直に空白の直線が見えますが,これは山羊のあたりの部分に埋め木で修正を加えているのではないかと推測されますが,他の縁が見えないので実は単なる疵かも知れません.ただ,これは以下の別の刷りにも認められているので,同一の版木が繰り返し用いられている証となります.


ちなみに,こちらは1564年ケルン版の聖書の挿図です 12.2x15.8cm(page size 38.5x24.5cm)


「ダニエルの夢」の地図(1)

2012-10-12 00:32:54 | 西洋の古地図


 Map 13x17cm


 Daniel’s Dream Mapは,プトレマイオスが記述した旧世界図に,大航海時代の知見を加えて,さらにダニエル書にある預言的な四王国に関する夢の記述を重ね合わせたものです.この地図についてはウェブ上にErnst Gallner 氏の研究が公開されており,以下その記述を参考に解説を試みます.

 「ダニエルの夢」の地図は,ダニエルに関する1529年12月のユストゥス・ヨナスとフィリップ・メランヒトンの言及がウィッテンベルクのハンス・ルフトにより,"Das Siebend Capital Danielis von des -Türken Gottes lesterung und schrecklicher mordery mit un terricht"として出版された際にその中に初めて登場しました.続いて1530年1月にマルティン・ルターの解釈が"Der Prophet Daniel"として同じ出版者から出版された際にもこの地図が用いられ,その後も16~18世紀のルター派ないしドイツ語版の聖書やフラビウス・ヨゼフスの「ユダヤ年代記」などに掲載され続けました.そこから,"Wittenberg World Map"とも呼ばれており,確認されたところでは14の異なる図柄で20の版があるとのことです.

 ここでは「旧世界」すなわちヨーロッパ・アフリカ・アジアの三大陸が,ヴァルトゼーミュラーの1513年の地図の北方部分と,アピアヌス(メランヒトンは彼と親交があったといわれます)の1530年の地図の南方部分を組み合わせて描かれていると解釈されています.すでに発見されていた新大陸アメリカはここではまだ存在していませんし,アジアの東に日本の島も描かれていません.大陸を囲む海の外側に,東西南北から風神が口から風を吹き出しています.

 ヨーロッパにはピレネー山脈・アルプスも描かれるが,スカンジナビア半島や英国を欠いており,アフリカにはアトラス山脈と,ナイル川の二つの源が南のムーン山から発しています.アジアにはヒマラヤ山脈がありそこから西にインダス,東にガンジス川が起こるはずですが,2本の大河は東にずれているようで,その南のセイロン島は「ラーマ(アダム)の橋」によってインド半島と連結しており,さらにその東にはインドシナ半島が描かれているようです.


 さて,ダニエルの「四つの獣の幻」(夢)についてですが,新バビロニア王国のネブカドネザル2世がユダヤ人たちをバビロンへ連行(バビロン捕囚)した後,ダニエルはその中から出て,ベルシャザル王の治世,夢=幻視体験に富み,その解釈で王に信頼されました.旧約聖書のダニエル書7章には「バビロンにいた預言者ダニエルは夢を見る.天の四方の風が広大な海をかき立て,四つの異種の巨大な獣が海から上って来た」と書かれています.
 この四匹の獣達は,聖地を支配した帝国の興亡を示しているという一つの解釈がなされています.ベルシャザールの治世が紀元前6世紀半ばであることから,未来の予言として以下の様な推定がなされます.ただし,ダニエル書の成立はずっと後世であるという説もあります.

 「第一の獣は獅子のようで鷲の翼があり,その後,翼は引き抜かれ人間の心が与えられた」.
 獅子と鷲はエレミヤ書や哀歌にバビロンを例える動物として述べられ,バビロンがその勇猛さを失って人間の弱い心に支配される国家となって衰退したのでしょう.ただし,この王国はアッシリアという解釈もあるそうです.
 「第二の獣は熊のようで,口に三本の肋骨を銜えていた」
 この獣はペルシャ帝国を示し,肋骨はダリウスに続く三人の王を示しています.
 「第三の獣は豹のようで,その背には四つの翼と,四つの頭とがあった」
 ペルシアの次に興ったギリシア帝国を示し,アレクサンドロス大王の後は四将軍が割拠して四王国となったことを示しています.
 「第四の獣は凄く恐ろしくかつ強大で,大きな鉄の歯で噛砕き,その足で蹂躙し,十本の角があったが,もう一本の目と口のある角が生えると三本が抜けてしまった」
 この帝国は,その後に広大な領土の覇者となったローマ帝国を示しています.


 この地図でも①翼のあるライオン・②熊・③四つの頭を持つ豹・④6,7本の角と人頭の付いた角を持った山羊が,地誌的考慮はなされずに三大陸の上に配置されています.そのほかに,地図の中ほど上をよく見ると,ターバンを巻いて旗を持った人々も描かれていますが,じつはこれはトルコの軍隊を表しています.そして,ここにこそ,この地図の製作意図が秘められているのだそうです.
 1529年と言えばオスマン・トルコがウィーンに迫った年で,メランヒトンやルターらはダニエル書の預言にトルコの軍隊を書き加えることによって,キリスト教世界への侵略に対する危機感を暗示したわけです.


 この初版の地図は,後に"Biblia, Thet är all then helgha scrifft på swensko" ("Gustav Wasa bible")として,ウプサラで1540/41年に出版された際に使用されました.この刊行は16世紀のスウェーデンでは最大の出版プロジェクトで,1523年と1534年のルターによるドイツ語訳聖書に基づいており,担当したドイツ人の印刷業者ゲオルク・リコルフはウィッテンベルクから沢山の版木を持参したといいます.


Text(スウェーデン語) 一頁は27,5x18cm.

 この地図はやっと探し出したスウェーデンの版画商から購入したのですが,彼によるとこれは「スウェーデンで最初に印刷された地図」だそうです.


リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝

2012-10-06 22:20:54 | 古典絵画関連の美術展メモ

久しぶりにオールドマスターの展覧会に行った.こころがわくわくしたのも久しぶりである.

 リヒテンシュタイン家は17世紀以来,代々の美術品蒐集で著名であるが,本拠ファドーツへは一度行ってみたいと思っているし,2004年ウィーンに美術館として再公開された夏の離宮も近々で来訪する計画があったので今回の企画展は心待ちにしていた.
 さらに,個人的にはリヒテンシュタイン・コレクションから出品されたJ・フィクトゥルスの歴史画を近年C社から購入しているので,浅からぬご縁を手前勝手に感じている.

・・・・初週の金曜の夕べだとさすがにゆったりとしていて,ドイツの中堅都市の市立美術館にいるようだ.

 「バロック・サロン」は家具や室内装飾と一体となった展示で,「臨場感を再現するために」キャプションに番号しかないのは日本の展覧会では珍しい.A・ブルマールトやデル・カイロの歴史画,ファン・ハイスムらの花卉画,プラッツァーのアトリエ画など,その様式から一目で分かるものも多いが,親イタリア派の風景画では,スヘリンクスの弟のほうとなるとさすがに難しいし,ファン・ソンとデ・ヘームを見分けるほどには静物画も得意分野ではない.入り口の手前に全点写真入のパンフレットが置いてあるのを後で知ったが,これは必携.

 名画ギャラリーには,ラファエッロの肖像画からカナレットのヴェドゥーダまでのイタリア古典絵画や,北方ルネサンスに属するクラナーハ父の縦長の扉絵「聖エウスタキウス」の佳品もあるし,P・ブリューゲルの息子達の傑作*もバランスよく展示されているが,やはりオランダ・フランドル(ここでは逆か)のバロック絵画に最も力が入っていることが分かる.
 ルーベンスはルーベンスであり,その圧倒的な迫力は筆舌に尽くしがたい.その描写力の例として二三気が付いたこととして,「キリスト哀悼」ではイエスの右足が見るものの方に向けられているが,まるで画面から飛び出しているようにリアルである.逆に狩猟画のエスキースでは,造形を引き伸ばすことで動きを強調して表現している.そうかと思えば,愛娘クララ五歳の肖像は小品ながら,駅のポスターサイズに引き伸ばしても,鑑賞に堪えるほど生気に溢れている.というか,ポスターをみていると,このサイズとは思われないだろう.
 もうひとつの今回の展示作品の特徴として,美人画(美女)ないしかわいい子供の絵が多く,ヴァン・ダイクの女性像も然り.
 オランダ絵画も点数は六点と少ないが,珠玉作ぞろいで欲しくなる作品ばかりである.レンブラントの「キューピッドとシャボン玉」は,1968年に「レンブラントとオランダ絵画巨匠展」として,1986年には「ベンティンク・ティッセン(=ボルネミッサ)・コレクション展」として,かつて二度日本で公開されたことがあり,以前は帰属作としてバオホ・ヘルソン・テュンペルらは真筆性に異を唱えていたが,ファン・デ・ヴェーテリングが1997年にレンブラントの真筆と認め,コルプスでもカテゴリーAとなっている.

 「キューピッドとシャボン玉」 画布 75x93cm レンブラント 1634年
(ティッセン展の図録から引用したが,この間にはほとんど修復の手は入っていない印象)

 今回初めてオリジナルを見る機会を得て感じたこと:佳作.愛らしい表情は同じく1634年のエルミタージュ蔵「フローラに扮したサスキア」(下図左の参考画像は部分拡大)を連想させる.
 

顔の輪郭がややゆがんでいるところも,同じ画家の手になることを示しているかもしれない.口の切れ込みは甘い・手足の仕上げが粗雑.亀裂パターンからみて修復は少なからず入っていることから,洗浄もふくめてそのためかもしれない.フリンクの可能性を指摘されてきたことはうなづける.ふくよかな肉付けは当館所蔵品「眠るキューピッド」(上図右)も含め多くのフリンク作品に類似する(レンブラント1635年のガニメデと比較が必要). 1634年の年記とサインは他の作品のそれに精通していないが,ウェット・イン・ウェットで書かれてはいないように見える(上記ティッセン展の解説でもこの署名は後代のものとされている).この制作時期は作風と見合い,フリンクの工房入りの翌年に当たる.共同制作か?

 このコレクションの核はほかに,ビーダーマイヤー期ウィーンの画家の作品で,アイエツの「復讐の誓い」の美女の氷のような眼差しには釘付けになる.また,アメリンクという画家の作品群も素晴らしく,この画家の存在を遅ればせながらも知ったのは収穫であった.

 最後に,途中で回ることになる「クンストカンマー(美術蒐集室)」の工芸品群にも注目.金銀の工芸品の中ではフリースの「牝鹿に乗るディアナ」を模った酒器でぜんまい仕掛けで自走する.ビデオが流されているが,止まったところの前にいる人が鹿の首を外して酒を注げる権利があるのだとか.
 コレクションのホームページをみると,この酒器をリヒテンシュタイン候が入手されたのは2009年らしいので,私が支払ったフィクトゥルスの絵の代金がそのごくごく一部に充当されたのかと勘繰ってしまった.

 西洋古典絵画が好きな人には必見の価値ある展覧会である."フェルメール展"のような雑踏には,いまのところ,なっていない.

*とくに次男ヤンⅠ世の「若きトビアスのいる風景」は精緻且つ色彩の鮮やかな魅力に溢れており,画面右下に視線を向ければ,トビアスを導く羽の生えた天使が小さく目に入ってくるであろう.「死の勝利」の大作はピーテルの原案を孫(ヤンⅠ世の長男)のヤンⅡ世が細部を翻案して複製したものであり,やや描写は落ちるが,そのモティーフのシニカルな壮絶さからは,あらゆる階級に死は無条件に訪れることを思い知らされる.


サムソンの物語 補遺

2012-10-04 16:10:17 | バロック期迄の版画と素描

 じつはサムソン・シリーズは某オークションでフル・セット5枚で購入したつもりだったのですが,あとで"New Hollstein Dutch and Flemish etchings, engravings and woodcuts, 1450-1700"のシリーズのPhilips Galleの項を調べたところ,「マノアの燔祭」を含む6枚セットであることを知りました.どうりで評価額が低かったわけです(実際にはその数倍に上がってしまったのですが).
 この本には版のバージョンが複数あるとは記載されていなかったようですが,実際には少なくとも2つの版があることもあとで分かりました.

(A)


(B)

前者(A)は大英博物館所蔵,後者(B)はある版画商の所蔵品ですが,当館所蔵品は大英博物館のものと同じシリーズでした.
 (A)では,祭壇の銘板に何もかかれていないので,後で加筆を想定しているようです.(B)は銘板に記銘があり(残念ながらイメージが小さすぎて読み取れません),(A)では手前左のマノアの帽子や右の署名があった部分にも被さって,大きなカルトゥーシュが描かれラテン語でサムソンの物語・・・と記銘されているようです.これらのことから,(A)は(B)の先行版であることは確実です.
 現存するサムソン・シリーズがどのくらいであるかは不明ですが,良く見かけるものではありません.また,この時代の銅版画が一度にどのくらい刷られたかは定かではありませんが,有名なオルテリウスのアトラス(世界地図集)は,1570年から1641年までテキストは各国の言語で三十数回刊行されていますが,一度には平均100~500枚くらい刷られ,途中で彫り直しや板替えもあったようですが十数回は反復使用していたと思われます.以前,ブリューゲル版画展のときにご紹介したように,ここで使用されているエングレーヴィングという銅版画技法では芸術作品として一般的なレベルでは200枚程度まで,ただし潰れるまで摺れば2000~3000枚と言われているとのことで,ほぼ見合う数字のようです.ただ各100枚位が2回ほど刷られたとしても,6枚揃のセットはなかなか伝わるものではないでしょう.

 版画の製作は一般的に共同作業化しており,この作品群では
画家マールテン・ファン・ヘームスケルクが下絵素描を描き(invenit),彫り師フィリップス・ハレが版を彫り(fecit),版元ヒエロニムス・コックが印刷し発行している(execudit)ので,それぞれの役割が作品にかかわってくるわけです.

 ファン・ヘームスケルクMaarten van Heemskerck(Heemskerck 1498 - 1574 Haarlem)はローマで修行したロマニストと呼ばれる画家の第二世代として,北方の後期マニエリスムの旗手として銅版画の原画作者としても制作した作品は膨大で,解剖学的な正確さを示しながらモニュメンタルで劇的な様式で,ミケランジェロやジュリオ・ロマーノの作風をネーデルラントに広く紹介しました.このサムソン・シリーズにおいてもその筋肉質に描かれた人物群像にその特質を見出すことが出来るでしょう.

 ハレPhilips Galle (Haarlem 1537 – 1612 Antwerp)は,フィレンツェの外交官Lodovico Guicciardiniが遺した1567年の記述によれば「最も優れた銅版画彫刻師」とされ,16世紀後半のヨーロッパで最も成功した版画製作者の一人で,後に
出版者も兼ねるようになり,1563~1606年の間に2500点の版画を出版しています.作品の中では著名な学者の肖像のシリーズが最も有名ですが,宗教画や徳育的作品においても図像学的により独創的な作品を輩出し,その主題も驚くほど多様です.
 彼はP・ブリューゲル,F・フローリス,あるいはファン・ヘームスケルク[後者と共同制作したのは1560年ごろとされ,今回のサムソン・シリーズもその頃と考えられています]といった同時代のネーデルラントの画家の作品に基づいた版画を制作しましたが,それぞれの作風に合わせて彫刻技法を変える優れた才能を示していたとされ,以前書いたときには「ハレは密度を変えた網掛けの重なりで暗部を巧みに表現し,羊毛の質感などはメゾチントを髣髴させる点描風の仕上げが秀逸たが,人の顔は下手か?」と書きましたが,ここでは人物表現はじつに巧みですね.
 ハレは1563年からハールレムでコックやプランタンの出版物販売も手がけた後
,1570年にアントワープへ移動し,ハンス・ボルやマールテン・デ・フォスらと共同制作しましたが,ウィーリクス兄弟やコラールト父子など優秀な銅版彫刻家を雇い,実子のテオドールも有能で1600年ごろから家業を継いだようです.

 なお,旧約聖書の記述は「旧約聖書 新共同訳」,日本聖書教会,2001年刊を参考にしました.