泰西古典絵画紀行

オランダ絵画・古地図・天文学史の記事,旅行記等を紹介します.
無断で記事を転載される方がありますが,必ずご一報下さい.

ルーベンス展 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア

2013-03-26 16:57:23 | 古典絵画関連の美術展メモ

 久々に展覧会に行ったが,渋谷は相変わらずの雑踏.以下は自分の備忘のためのメモで,展覧会の紹介記事としてはあまり役立たないでしょう.

 この展覧会は副題の通り,ルーベンスのイタリア時代の足跡と,アントワープでの工房を中心とした作品に焦点が当てられているようだ.「これぞルーベンス!」という大作の作品は存外少ないが,オイルスケッチなどで補われている.会場で解説パネルをすべて呼んだわけではないし,まだカタログも殆ど読んでいないので,後日,書き直しをするかもしれない.
 中村俊春先生には昔一度だけお話させていただく機会があった.今回講演会が企画されていたので参加希望のハガキを出したが,抽選で外れてしまい残念なことであった.

<参考になったこと>
・会場にあったパネルで「ルーベンス工房」の構成についてまとめられていたが,工房は助手(ヴァン・ダイク,ファン・デン・ヘッケ,ブックホルストら)と協力者(ヨルダーンス)から成り,工房外から共同制作のスペシャリスト(風景のウィルデンス,動物・静物のスネイデルス,静物・人物のヤン・ブリューゲル父子ら)が参加する,という表現は,うまくまとめられていると思った.
 過去の記事で,「ヨルダーンスは工房に属したという記録はない」と某氏から切り替えされたことがあったが,正しくは「助手(徒弟と同義か?)であったという記録はない」というのが事実だったのだろう.しかし,「協力者」の意味するところを吟味する必要がある.「親方」画家が工房内で有償で手伝っていたことをいうのだろうが,それは当時よく行われていたことだったのだろうか.工房外の親方画家となら一般的には共同制作となるが,その場合は専門分野のところだけ仕上げた,というところか.

・工房での銅版画製作については,フォルステルマン,ハ(ッ)レ,ポンティウス,ボルスウェルト兄弟など,多くの銅版の彫り師(版画家)がこれに参画している.今回も複数の作品群を比較して見れば,版画家の技法の差がわかって面白い.例えば,フォルステルマンやその弟子ポンティウスはハイライト部のわずかな印影をメゾチントのような点描で描いていたり,ボルスウェルトは陰影の階調表現が深いなど.
 彼らの製作をルーベンスが監督したとあるが,彼らは協力者であったのかどうかは語られていないようだ.そんなことは美術史家ならば常識なのだろう.フォルステルマンはルーベンスに見出され,版画家として育て上げられたので初めは助手だったが,1620年に親方となっているのでその後は協力者となったのだろう.

 銅版画作品の原画は工房の画家が製作し,それにルーベンスがハイライトなど手を入れていたらしく,その例が最後のNos.82-84に展示されている.このことは過去の記事も参照. 

 ちなみにウィーリクスの作品なども展示されているが,これはルーベンスに先行する世代の作品として,提示されているようだ.

・画家の名前の日本語訳は,旧来の展覧会では表記の揺れが目立って困惑することが少なからずあったが,今回の展覧会では中村先生の監修だろうか,安心して拝見することが出来た.

<気になったこと>
・No.42のヴァン・ダイク作「改悛のマグダラのマリア」
 これはかつてロンドンの老舗アグニュー画廊でヴァン・ダイクとして売られ,日本の某企業が所蔵していた作品で,10年足らず前に日本の某オークションに出品された作品である.記憶に間違いなければ当時は伝ダイクとされていたようで,500万円程度の評価額だったと思う.事前にじっくり見せていただく機会もあり,大変印象的な作品であった.ルーベンス派で,勿論ダイクかもしれず,それならばその数十~百倍ほどの価値があり,もし例えばブックホルストとすれば傑作でも評価額以内である.当時(いまでもそうだが)もっとも新しく権威があると考えられたS.Barnesのレゾネに掲載は無く,今回の図録の文献では漏れているが小林頼子先生のブリヂストン美術館報に掲載されていた文献では必ずしも帰属は定かではなかったようだった.真筆ならアグニューが買い戻すだろうと思ったし,成り行きを見たところ,たしか電話の買い手が競り勝ったようで,評価額の倍くらいだった記憶がある.自分の眼に自身は持てず,当然そのリスクは取れなかった.
 国内で落札されていたようで,2012年に中村先生が論文を書かれていたことを今回の図録で知った.改めて見ても,うーん,ルーベンスの影響を色濃く残したヴァン・ダイク作か??よい作品である.アグニューが買い戻さなかったのが気になるところだが.今後の研究の成果に期待したい.

・オイルスケッチの帰属について
 巨匠の作品でも粗いものもあれば顔など細かく描かれたものもあり,プロポーションが破綻しているものもあれば意図的にデフォルメされているものもある.展覧会場で人の頭越しに見たくらいでは区別を付けられる道理は無く,工房の果たして誰に帰属するか,説得力を持って明言できるエキスパートは世界に果たしてどのくらいいるのかと考えてしまった.


リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝

2012-10-06 22:20:54 | 古典絵画関連の美術展メモ

久しぶりにオールドマスターの展覧会に行った.こころがわくわくしたのも久しぶりである.

 リヒテンシュタイン家は17世紀以来,代々の美術品蒐集で著名であるが,本拠ファドーツへは一度行ってみたいと思っているし,2004年ウィーンに美術館として再公開された夏の離宮も近々で来訪する計画があったので今回の企画展は心待ちにしていた.
 さらに,個人的にはリヒテンシュタイン・コレクションから出品されたJ・フィクトゥルスの歴史画を近年C社から購入しているので,浅からぬご縁を手前勝手に感じている.

・・・・初週の金曜の夕べだとさすがにゆったりとしていて,ドイツの中堅都市の市立美術館にいるようだ.

 「バロック・サロン」は家具や室内装飾と一体となった展示で,「臨場感を再現するために」キャプションに番号しかないのは日本の展覧会では珍しい.A・ブルマールトやデル・カイロの歴史画,ファン・ハイスムらの花卉画,プラッツァーのアトリエ画など,その様式から一目で分かるものも多いが,親イタリア派の風景画では,スヘリンクスの弟のほうとなるとさすがに難しいし,ファン・ソンとデ・ヘームを見分けるほどには静物画も得意分野ではない.入り口の手前に全点写真入のパンフレットが置いてあるのを後で知ったが,これは必携.

 名画ギャラリーには,ラファエッロの肖像画からカナレットのヴェドゥーダまでのイタリア古典絵画や,北方ルネサンスに属するクラナーハ父の縦長の扉絵「聖エウスタキウス」の佳品もあるし,P・ブリューゲルの息子達の傑作*もバランスよく展示されているが,やはりオランダ・フランドル(ここでは逆か)のバロック絵画に最も力が入っていることが分かる.
 ルーベンスはルーベンスであり,その圧倒的な迫力は筆舌に尽くしがたい.その描写力の例として二三気が付いたこととして,「キリスト哀悼」ではイエスの右足が見るものの方に向けられているが,まるで画面から飛び出しているようにリアルである.逆に狩猟画のエスキースでは,造形を引き伸ばすことで動きを強調して表現している.そうかと思えば,愛娘クララ五歳の肖像は小品ながら,駅のポスターサイズに引き伸ばしても,鑑賞に堪えるほど生気に溢れている.というか,ポスターをみていると,このサイズとは思われないだろう.
 もうひとつの今回の展示作品の特徴として,美人画(美女)ないしかわいい子供の絵が多く,ヴァン・ダイクの女性像も然り.
 オランダ絵画も点数は六点と少ないが,珠玉作ぞろいで欲しくなる作品ばかりである.レンブラントの「キューピッドとシャボン玉」は,1968年に「レンブラントとオランダ絵画巨匠展」として,1986年には「ベンティンク・ティッセン(=ボルネミッサ)・コレクション展」として,かつて二度日本で公開されたことがあり,以前は帰属作としてバオホ・ヘルソン・テュンペルらは真筆性に異を唱えていたが,ファン・デ・ヴェーテリングが1997年にレンブラントの真筆と認め,コルプスでもカテゴリーAとなっている.

 「キューピッドとシャボン玉」 画布 75x93cm レンブラント 1634年
(ティッセン展の図録から引用したが,この間にはほとんど修復の手は入っていない印象)

 今回初めてオリジナルを見る機会を得て感じたこと:佳作.愛らしい表情は同じく1634年のエルミタージュ蔵「フローラに扮したサスキア」(下図左の参考画像は部分拡大)を連想させる.
 

顔の輪郭がややゆがんでいるところも,同じ画家の手になることを示しているかもしれない.口の切れ込みは甘い・手足の仕上げが粗雑.亀裂パターンからみて修復は少なからず入っていることから,洗浄もふくめてそのためかもしれない.フリンクの可能性を指摘されてきたことはうなづける.ふくよかな肉付けは当館所蔵品「眠るキューピッド」(上図右)も含め多くのフリンク作品に類似する(レンブラント1635年のガニメデと比較が必要). 1634年の年記とサインは他の作品のそれに精通していないが,ウェット・イン・ウェットで書かれてはいないように見える(上記ティッセン展の解説でもこの署名は後代のものとされている).この制作時期は作風と見合い,フリンクの工房入りの翌年に当たる.共同制作か?

 このコレクションの核はほかに,ビーダーマイヤー期ウィーンの画家の作品で,アイエツの「復讐の誓い」の美女の氷のような眼差しには釘付けになる.また,アメリンクという画家の作品群も素晴らしく,この画家の存在を遅ればせながらも知ったのは収穫であった.

 最後に,途中で回ることになる「クンストカンマー(美術蒐集室)」の工芸品群にも注目.金銀の工芸品の中ではフリースの「牝鹿に乗るディアナ」を模った酒器でぜんまい仕掛けで自走する.ビデオが流されているが,止まったところの前にいる人が鹿の首を外して酒を注げる権利があるのだとか.
 コレクションのホームページをみると,この酒器をリヒテンシュタイン候が入手されたのは2009年らしいので,私が支払ったフィクトゥルスの絵の代金がそのごくごく一部に充当されたのかと勘繰ってしまった.

 西洋古典絵画が好きな人には必見の価値ある展覧会である."フェルメール展"のような雑踏には,いまのところ,なっていない.

*とくに次男ヤンⅠ世の「若きトビアスのいる風景」は精緻且つ色彩の鮮やかな魅力に溢れており,画面右下に視線を向ければ,トビアスを導く羽の生えた天使が小さく目に入ってくるであろう.「死の勝利」の大作はピーテルの原案を孫(ヤンⅠ世の長男)のヤンⅡ世が細部を翻案して複製したものであり,やや描写は落ちるが,そのモティーフのシニカルな壮絶さからは,あらゆる階級に死は無条件に訪れることを思い知らされる.


Communication:Visualizing the Human Connection in the Age of Vermeer at Bunkamura Museum of Art

2011-12-22 23:33:19 | 古典絵画関連の美術展メモ
    Last night, we were invited to a diner party at the Dutch Embassy in Tokyo in honor of the visit of Vermeer's "Woman in blue reading a letter" from the Rijksmuseum collection.

    It was so intimate that we sat and spoke with the ambassador, Mr. Pijbes(the general director of Rijks) and many Rijksmuseum stuffs for a long time. They were so kind and warm that we enjoyed with all our heart, with delicious foods and a quartet accompanied playing Mozart and Puccini. 
    It was a great pleasure for us indeed, and I dare say, I spent one of the most splendid and exciting time in my life.

    Also, today there held an opening ceremony of the exhibition. I skimmed the paintings at previous location in Kyoto, it was too crowded to look at. So, this time, I had enough time to enjoy the beauty of the genre paintings.
    The blue of the restored Vermeer's "Woman(Girl) Reading a Letter" is so vivid!  I was surprised to hear that the lower part of the canvas was rather heavily worn.
    Most of my favorite good genre paintings are calm, like as "A Lady writing".
    Besides three Vermeer in a room(!), and many masterpieces from Rijks, for example, de Bray's family portrait and de Hooch's "Coutyard", one of my best on this exhibition is Metsu's "A Woman with a Book at a Window". Her face in profile and red costume are striking, which shows a strong influence from Salomon de Bray.

    The ambassador told me that he greatly enjoyed Dou's "A Scholar Sharpening a Quill pen", meticulously painted, and the theme is so intimate.
    Both are from American private collection. I admire his so great collection with good Lievens, Bol(but restored), de Man, and so on.

シュテーデル美術館所蔵フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展 総括/鑑賞のために

2011-04-06 20:16:03 | 古典絵画関連の美術展メモ

 「フェルメール展とは呼ばないで」に始まり,シュテーデル美術館展として六回にわたって見どころに図版を交えながら,一つ一つの作品を解説してきました.

 19世紀初めに開館したシュテーデル美術研究所は今回の展覧会で和名を同美術館として紹介されるようになり,欧米全体では中堅~準大手,中央集権化が進んでいないドイツ国内としては五本の指に入る美術館で,王侯コレクションほどの歴史はありませんがオランダ・フランドル絵画に良品が多いこと,そしてそのうちから多くの珠玉作が出品されていることから,この展覧会が(少なくともシュテーデル側は)単に「地理学者」だけを意図した展覧会ではないことを説明してきました.
 よく17世紀のオランダ絵画はイタリア・フランス絵画と比べて,画面が暗くて色味が乏しくちまちましていると言われますが,美は細部に宿るとも言われ,実に巧みで繊細な表現がなされているかに見入ると驚異的ですし,キアロスクーロと呼ばれる明暗のコントラストは感動的でもあります.フランドル絵画のほうが色彩は明るく,家具に嵌め込まれた精緻な小画面のものから壁を彩る大画面にやや荒削りながらダイナミックに描かれたものまで様々です(今回は後者の好例となる作品は展示されていません.しいていえばルーベンス共同制作作品で,これがもっとワイドになったものを想像してください).
 オランダだけをみても当時,画家が4000人いたという推計がありますが,フェルメールのように誰でも知っている超一級の画家はごくわずかで,生没年も分からないような画家も多く,結局その中で歴史が評価したいわゆる有名画家はといえば,例えばクリストファー・ライトと言う美術史家は130人余りを挙げています.多くの作品を見慣れてくれば,このくらいの画家についてなら画風の違いは分かるようになるでしょう.

 絵の楽しみ方は一人一人異なると思いますが,例えば,惹かれた絵があれば,そこに込めるられた秘密について,図録の解説を読み進めるのも面白いでしょう.気に入った画家がいれば,どういうバックグラウンドの人か,活躍した土地がどこで恩師やライバルは誰であって,そこで画風がどのような影響を受けたのか,それが時代でどう変化していったのかを調べてゆくと,さらにいろいろな作品を見ていく楽しみが増します.

 絵の横にある解説の小パネルは大変重宝でしたがやや言葉足らず,図録は持ち歩くのには重いし,音声ガイドで語ってもらえる作品は多くの展覧会で二十数点ほどでしょうから,今回の解説が皆様のお役に立てることを祈ります.展示作品は95点の全てが傑作というわけには行かないので,下記のような基準を作って,参考程度に記号付けしました.
 傑作(これは独断です)または目玉作品 定評がある又はおすすめの作品 それ以外の標準的な作品 無印:それ以下の作品

 また,解説として書いた内容は,図録をそのまま写したのではなくて(要約したり一部引用した部分はありますが),基本的には私の受けた印象と,特定の画家についての定評のある画業研究書(モノグラフと呼びます)やGrove's Dictionary of Artの解説からの要約を出来るだけ簡潔に記したつもりです.もし記述に誤りがあればご教示いただけると幸甚です.18世紀後半に制作された風景画2点については解説を割愛しました.

 使用した図版は,輝度は見やすいように,コントラストは強め気味に画像処理してあるかも知れません.色味は必ずしも正確ではありませんが,二回の観覧で少し修正をしたものもあります.
 Bunkamuraのサイトに「スペシャル・ビジュアルツアー」と銘打って,動画が配信されているので,絵のサイズや色を知るのには良いかもしれません.

 最後に,この展覧会では10点の作品を除くと,一般の展覧会と比べてその絵の「〇〇」が随分違った感じになっています.何か分かりますか?
 これをオランダ「〇〇」というのですが.それにもまた様々な様式があります.


シュテーデル美術館展(6)

2011-04-04 23:00:01 | 古典絵画関連の美術展メモ
地誌と風景画(2)  展示順ではカテゴリーや時代順が不揃いなので,ここでは変更して提示する. 
  アラールト・ファン・エーフェルディンゲン「滝のある風景」1650/60年頃

 彼は初めルーラント・サーフェリーに学びその後ハーレムでデ・モレインに学んだ.40年代初めには単色調の海景画を描いたが,1644-45年にスカンディナヴィアを旅行し,そのスケッチを元にした山岳風景を絵画で低地地方に紹介し,初めは横長の画面に対角線構図でサーフェリーのチロル風景に影響を受けたフランドル風の色彩で描き始めたが,次第に山々,岩や滝,水車や針葉樹を組み合わせて,単色の灰褐色調に支配された薄い絵の具できめ細かく描くようになる.針葉樹が空にシルエットとして聳えるモチーフはハールレムのコルネリス・フロームにインスピレーションを得たのではないかと考えられている.48年頃から縦長の構図を好んで描き始め,とくに縦構図の滝のモティーフは1657年頃移住したアムステルダムにおいて,ヤーコプ・ファン・ライスダールの構図に大きな影響を与えた.その少し前からエーフェルディンゲンの画風はより装飾的になり色彩はやや明るく流れるような筆致を見せている.1660年以降のモティーフは殆ど滝となって過去のスケッチを反復し,多くは褐色調で幅の広い筆致となった.
 本作も特徴的な褐色調で線はやや粗め,印象としては1650年代の終わり頃に描かれた可能性が高そうである. 




ヤーコプ・ファン・ライスダール「滝のある森の風景」1655年頃

 ヤーコプは17世紀オランダにおける最高の風景画家とされ,Stechowは彼を最も偉大な「森の画家」と呼んでいる.鬱蒼とした森の風景は,ヤン・ブリューゲルI世やそれに続くヒリス・ファン・コーニンクスローらフランドル派の流れを汲む画家たちが得意としたが,それらは装飾的で大袈裟にも見える.ハールレムの画家コルネリス・フロームは森をテーマにした作品を制作したが,1630年頃からの作品における木々の構図的配置がヤーコプ・ファン・ライスダールの着想に影響を及ぼしたとされる.
 ヤーコプの森の風景は1640年代から制作されているが,深い森の中というよりは木々の群生を対角線様式で描く構図が主流で,1650年頃のドイツ国境付近ベントハイム城近郊への旅行後,その様式は壮大で劇的なモニュメンタリズムを呈するようになり,ことに50年代前半(ハーレム時代の後期)の森の風景では,画面の広い範囲を占める樫の巨木とそれに調和し従属するような木々を描いている.
 彼も1656年頃アムステルダムに移り,60年代にもこのテーマを再び取り上げているが,より静謐で崇高な自然を無理なく描き出している.70年代以降は小画面に開けた構図を用いて精緻な筆致で木々もこじんまりと描くようになった.
 この作品は森が主体ではなくて,より手前の,日本では滝といわない程度の落差の流れから,左に小屋を見ながらその奥の源流へと自然に視点を移動させられる.これらの配置から,この作品もこれらのパーツを意図的に組み合わせながらアトリエで作り上げられた虚構であることが分かる.自然の壮麗で堂々とした印象を強く感じさせるのはその構成力からで,40年代のやや荒削りな写実的画風から,完成度が高まった50年代の成果であろう.明るく描かれた小さな小屋を置くことだけで,右の暗い丘の木々と共生しつつ対峙する人間と自然との関わりを巧みに具現している点が心憎い.

・同「白鳥のいる湖と森の風景」1660/5年頃 静謐というかこじんまりした点で後期と読めるが,この作品は実はコンディションがあまり良くないらしい.図録によれば「穏やかな湖沼」に「木々がある平坦な風景」で,「木の頂きの繊細な描き方」「水面に映る反射」などから1660年代前半としている.

同「滝のあるスカンディナヴィア風景(ノルウェーの滝)」1670年頃(Sliveは1660年代前半と推定している)

 1965年の修復で上端10cmの追加された部分が取除かれ,本来の正方形の構図が明らかになったが,これはヤーコプにしては異例の形だし,画面の下1/3を占めるほどの渦巻きの図も珍しい.バランスからするとあるいは右端の一部が切断されているのかも知れない.背景の木々が精緻に描かれているので1670年代の推定はもっともらしいが,この渦巻きのダイナミズムは水飛沫の中の流木の配置で強調され,自然の営みが力強く表現されており,より早い年代推定も妥当性を持っているかもしれない.

ヤーコプ・ファン・ライスダール「街灯のあるハールレムの冬景色」1670/80年頃

 これは彼の冬景色の最高傑作の一つであろう.街灯の先を歩く後ろ向きの二人の人物に深い叙情性を感じる.黒雲の支配した闇で,白く浮かび上がる地面には日差しが射しているのだろうか.しかし,それは日の傾いた時間とすれば現実的ではなく虚構であろう.低いところにある明るい雲に橙白色を用いているのも目新しい.
 ガラスのランタンに入れられたオイルランプの街灯は1668年に画家兼発明家のヤン・ファン・デル・ヘイデンの発案で欧州で初めてアムステルダム市に設置されていった.地平線の左寄りにハールレムの聖バーフォ教会が見えるが,この街灯のある村は想像上のもので,街灯の発明者であるヘイデンへのオマージュであるとされる.

 この様な冬景色の小品をライスダールは1670年代に30点ほど描いている.これらは水平線がやや低く位置した構図で黒雲と前景の褐色が支配する色調が共通しているものが多い.隣にある「木立のある冬景色」(1678/80年頃 Sliveは60年代としている)もその一点で,灰黒色の重い雲の下,黒褐色の前景の奥に日の射した雪の道と枝にかかった雪の白が浮かび上がり,犬を連れた人の先に建物があることが,自然と人の関わりを示してくれているかのようだ.ここにもモティーフの(壮麗とはいえないまでも堂々とした)monumentalityが描かれている.

海景画(ホイエンは既出)  ・ユリウス・ポルセリス帰属作品は父ヤンや,フランドル派のヤン・ペーテルスを含めてイニシャルも同じで,荒れた海のモチーフも共通しているため,特定が難しい.

・デ・フリーヘルの作品は,一言で言うと単色調の「静寂な大気」が特徴で描画は繊細であるが,この作品では構成要素が少ないこともあって弱い感じを否めない.ヤン・ポルセリスに由来する遠・中・近景の船の配置に,船の角度や海面の反射などを用いて,奥行きを表現しようとしている.モティーフは曇天の凪いだ海や荒れた海が多いかと思う. 
ウィレム・ファン・デ・フェルデII世とその工房「穏やかな海」1660年頃

 彼はオランダ海景~帆船画の頂点に立った画家で,父I世やおそらくフリーヘルにも学び,アムステルダムに工房を構えて制作した一連の凪いだ海の風景が芸術的には最も優れているとされるらしい.本作もその一つであろうが工房共作とされる小品で,大航海時代末期のオランダ商船の接岸を描いている.黄変したニスが残るのが鑑賞の妨げになる.その後,英国宮廷でも活躍したが,その頃の荒れた海や海戦シーンは同一モチーフの工房作も非常に多い. 
都市景観画と親イタリア派風景画
 前者は後者の範疇に重なる
ヨハネス・リンゲルバッハ「ナヴォーナ広場の市場」1657/8年頃 標準的な大作

・フレデリック・デ(ド)・ムシュロン「フランシュヴィル城のある風景」1669年頃 親イタリア派風景画家として,ヤン・アッセレインに学び,滞在したフランス風景を良く描いた.コントラストが低いので好みではない.人物はアドリアーン・ファン・デ・フェルデによる.

ヘリット・ベルクヘイデ(ハイデ)「アムステルダムの二つのシナゴーグ」1680/5年頃 ベルクヘイデは地誌的に正確な都市景観画で名を馳せた.写真では単調で様式的に見えるかもしれないが,コントラストは高く,しっとりした色調で,かつ精緻に描かれている.
ヤン・ファン・デル・ヘイデン(ハイデン)「ルーネルスロート城」1665/70年頃
 次作とともに20x30cmほどのヘイデンとしても比較的小品.地誌的な絵画というのは,例えば16世紀末のホーヘンベルフのヨーロッパ都市地図(G. Braun and F. Hogersberg, Civitates orbis terrarum1572-1619)などに集大成された銅版画からの流れを汲むが,17世紀後半になるとこのような都市景観の油彩画が盛んに描かれていた.ヘイデンの特徴は,有名な建築物を想像上の設定で細部にこだわって緻密に描いていることだ.写真では分からないほど細かいレンガや葉の一枚一枚を描く技法について,従来は虫眼鏡を使用したと推定されていたが,図録によると押型を利用しているという.これは新説かと思ったら,自伝の中で述べられているとのことだった.
・同「田舎道の風景」1666/8年頃 親イタリア的な柔らかい色調だが,都市景観でないと家のレンガや木の葉以外あまりヘイデンらしさと感じなかった.右下の人物はリンゲルバッハの共作.
ヨプ・ベルクヘイデ(ハイデ)「アムステルダムの株式取引所」1675/80年

 これは都市景観というより建築画であるが,これだけ日常的な群集を大勢描いた作品も珍しいのではないか.画面全体にクローズアップされた日陰の暗い画面が却って中央のアムステルダム市の紋章の下奥の強い日の当たる場所を強調し極端なキアロスクーロをもたらしている.ヨプはヘリットの兄で教会内部画なども比較的よく描いていてハールレムで活動していたが,しっとりとした色調はアムステルダムのエマヌエル・デ・ウィッテの流れを汲んでいるようだ.この作品の上端の帯状の空の部分は本来もっと明るいはずで,写真でみる限りは修復が必要かもしれない.
ヘンドリック・ファン・フリート「デルフト旧教会の内部」1660/3年

 教会内部画は,広い意味では建築画である(室内画の一種としては,小屋の内部などは既出) .このような作品のポイントは視点の位置と遠近法の表現だろう.フリートはデルフトで活動しハウクヘーストに倣って1650年以降この分野の仕事のみをこなしているが,1660年代以後はマンネリの早描きで質が落ちたという.この作品もシャンデリアなどの荒い仕上げは水準以下のような気もするが.彼の作品の子供や犬の点景は共同制作を採らず自分で描いているのが特徴で,その流れはコルネリス・デ・マンらに受け継がれる.
 新教会の内部同様,新教国の旧教会は宗教絵画や彫刻をかけることは出来ず寄進者などの紋章に変わり,内陣の祭壇から,信者の集まる身廊に設けられた説教壇へと重心は移っていった.画面では内陣側から振り返って身廊を見ているので,正面に見ているのは入り口側でその上にあるのはパイプオルガン,説教壇は画面左に小高く造られている.