久々に展覧会に行ったが,渋谷は相変わらずの雑踏.以下は自分の備忘のためのメモで,展覧会の紹介記事としてはあまり役立たないでしょう.
この展覧会は副題の通り,ルーベンスのイタリア時代の足跡と,アントワープでの工房を中心とした作品に焦点が当てられているようだ.「これぞルーベンス!」という大作の作品は存外少ないが,オイルスケッチなどで補われている.会場で解説パネルをすべて呼んだわけではないし,まだカタログも殆ど読んでいないので,後日,書き直しをするかもしれない.
中村俊春先生には昔一度だけお話させていただく機会があった.今回講演会が企画されていたので参加希望のハガキを出したが,抽選で外れてしまい残念なことであった.
<参考になったこと>
・会場にあったパネルで「ルーベンス工房」の構成についてまとめられていたが,工房は助手(ヴァン・ダイク,ファン・デン・ヘッケ,ブックホルストら)と協力者(ヨルダーンス)から成り,工房外から共同制作のスペシャリスト(風景のウィルデンス,動物・静物のスネイデルス,静物・人物のヤン・ブリューゲル父子ら)が参加する,という表現は,うまくまとめられていると思った.
過去の記事で,「ヨルダーンスは工房に属したという記録はない」と某氏から切り替えされたことがあったが,正しくは「助手(徒弟と同義か?)であったという記録はない」というのが事実だったのだろう.しかし,「協力者」の意味するところを吟味する必要がある.「親方」画家が工房内で有償で手伝っていたことをいうのだろうが,それは当時よく行われていたことだったのだろうか.工房外の親方画家となら一般的には共同制作となるが,その場合は専門分野のところだけ仕上げた,というところか.
・工房での銅版画製作については,フォルステルマン,ハ(ッ)レ,ポンティウス,ボルスウェルト兄弟など,多くの銅版の彫り師(版画家)がこれに参画している.今回も複数の作品群を比較して見れば,版画家の技法の差がわかって面白い.例えば,フォルステルマンやその弟子ポンティウスはハイライト部のわずかな印影をメゾチントのような点描で描いていたり,ボルスウェルトは陰影の階調表現が深いなど.
彼らの製作をルーベンスが監督したとあるが,彼らは協力者であったのかどうかは語られていないようだ.そんなことは美術史家ならば常識なのだろう.フォルステルマンはルーベンスに見出され,版画家として育て上げられたので初めは助手だったが,1620年に親方となっているのでその後は協力者となったのだろう.
銅版画作品の原画は工房の画家が製作し,それにルーベンスがハイライトなど手を入れていたらしく,その例が最後のNos.82-84に展示されている.このことは過去の記事も参照.
ちなみにウィーリクスの作品なども展示されているが,これはルーベンスに先行する世代の作品として,提示されているようだ.
・画家の名前の日本語訳は,旧来の展覧会では表記の揺れが目立って困惑することが少なからずあったが,今回の展覧会では中村先生の監修だろうか,安心して拝見することが出来た.
<気になったこと>
・No.42のヴァン・ダイク作「改悛のマグダラのマリア」
これはかつてロンドンの老舗アグニュー画廊でヴァン・ダイクとして売られ,日本の某企業が所蔵していた作品で,10年足らず前に日本の某オークションに出品された作品である.記憶に間違いなければ当時は伝ダイクとされていたようで,500万円程度の評価額だったと思う.事前にじっくり見せていただく機会もあり,大変印象的な作品であった.ルーベンス派で,勿論ダイクかもしれず,それならばその数十~百倍ほどの価値があり,もし例えばブックホルストとすれば傑作でも評価額以内である.当時(いまでもそうだが)もっとも新しく権威があると考えられたS.Barnesのレゾネに掲載は無く,今回の図録の文献では漏れているが小林頼子先生のブリヂストン美術館報に掲載されていた文献では必ずしも帰属は定かではなかったようだった.真筆ならアグニューが買い戻すだろうと思ったし,成り行きを見たところ,たしか電話の買い手が競り勝ったようで,評価額の倍くらいだった記憶がある.自分の眼に自身は持てず,当然そのリスクは取れなかった.
国内で落札されていたようで,2012年に中村先生が論文を書かれていたことを今回の図録で知った.改めて見ても,うーん,ルーベンスの影響を色濃く残したヴァン・ダイク作か??よい作品である.アグニューが買い戻さなかったのが気になるところだが.今後の研究の成果に期待したい.
・オイルスケッチの帰属について
巨匠の作品でも粗いものもあれば顔など細かく描かれたものもあり,プロポーションが破綻しているものもあれば意図的にデフォルメされているものもある.展覧会場で人の頭越しに見たくらいでは区別を付けられる道理は無く,工房の果たして誰に帰属するか,説得力を持って明言できるエキスパートは世界に果たしてどのくらいいるのかと考えてしまった.