泰西古典絵画紀行

オランダ絵画・古地図・天文学史の記事,旅行記等を紹介します.
無断で記事を転載される方がありますが,必ずご一報下さい.

神奈川県立近代美術館・葉山館

2010-10-31 15:53:34 | 行ってきました(美術展以外)

 最近不快なことが続き心身ともに疲れがたまっているのですが,気を取り直して,過ぎ去った季節を偲び月の初めに訪問した神奈川県立近代美術館・葉山館の写真でも.


同館はJR逗子駅・京急新逗子駅からバスで20分足らず,風光明媚な三浦半島の西側にあります.

海に面した館内レストラン「オランジュ・ブルー」は新鮮な海の幸が売り物 (食べ物で遊ぶと撥が当たりますよ)

シェフお勧めのブイヤベース           食事が終わると屋外のテラスでコーヒータイム

美術館のゆったりとした休憩室からは,中庭を通して,とんびの舞う小山が見えます

美術館から小道を抜けて浜辺に下ると....

犬を連れて散歩する人の向こうに,カモメに先導されてヨットが見えます.そういえば,マリーナの近くでしたね.

 のんびりした一日でした.美術館には美術図書室が併設されていて,久しぶりにバーリントンマガジンのバックナンバーなども読むことが出来ました.


旧古河庭園の薔薇

2010-10-12 22:01:41 | 行ってきました(美術展以外)
連休だと毎日毎日学芸員(wife)に連れ出されてしまいます.10月16日から「秋のバラフェスティバル」が開催されるというので,混む前にと思って昨日行ってみたのですが....


ご近所の方は自転車で集う       館からみた中庭(実際には中央付近に遠方のビルが見えるのですが消してみました)


まだこの程度しか咲いていませんでした.


ただ,中には三部咲きの品種も

 この調子だと盛りはまだまだかもしれません....



別件ですが,猛暑だったためか,うちのイチイに赤い実が沢山ついていました.雌雄異株なので,五本のうちの一本だけなのですが.

驚異の部屋 小石川植物園と東大博物館小石川分館

2010-10-11 21:50:37 | 行ってきました(美術展以外)

「レーゲンスブルクのディンプフェル家のWunderkammer」ヨーゼフ・アルノルト1668年
 ここには"芸術と骨董"として,絵画や彫刻に加えて,カップなどの金属工芸品,地球儀・天球儀,時計などの科学機器,自然界からはオウム貝やサンゴに頭蓋骨まで,さらに信仰の対象となる十字架,武具としてミニチュアの大砲,右下にはたぶん日本の鎧兜まで集められている.

 以前天球儀の紹介記事のコメントで,小林頼子先生の「フェルメール論」からの引用で,天球儀は『17世紀に紳士たる者がもたねばならぬとされていた「ウォンデルカーメル」(驚異の蒐集室)に収められるべきコレクターズ・アイテム』のひとつで『蒐集品を主題にした絵画には、必ずといっていいほど天球儀、地球儀が描かれているのである』(増補版209頁より)とご紹介しましたが,東京大学総合研究博物館小石川分館で,2006年3月から,ロングランの企画展(=常設展示でないとしたら,そろそろ?)「Wunderkammer驚異の部屋」が開催されていて,一度行ってみたいと思っていたところに,昨日,当館の学芸員(wife)から,「運動不足なのだから,お散歩!」とお尻をたたかれて,小一時間の行程を徒歩で,隣接する小石川植物園ともども訪問しました.

 じつはもうひとつ背中を押されたことがあります.地図と星図を調べていて,天文古玩という玉青さんのサイトに行き着き,ヴンダーカンマー関連の記事を拝読させていただいたこと.博物学者を思わせる氏の深い造詣があふれたサイトで,個人的には天文の懐古趣味も手伝って,虜になってしまいました.


植物園は入園するのにチケットを前のたばこやさんで買わなければなりません.右はヒマラヤスギの大木(若者よ,木に登ってはいけません)


ニュートンのりんごの木 生家に生えていた木から接ぎ木されて,1964年に英国物理学研究所から贈られたものだそうです

 途中,温室は日曜は閉室とのこと.案内が悪いと文句を言っているご老人がいらっしゃいましたが,東京大学大学院理学系研究科という研究機関の附属施設なので,しょうがありません.


菩提樹は幹の根元から若枝が親を取り囲むように生えていました. 池に下ると右手に博物館.いまは敷地は別になっています


博物館の建物は旧東京医学校本館です.ようやく青空が見え始めました.

 さてさて,博物館の紹介記事には「大航海時代の西欧諸国においては、『驚異の部屋』と呼ばれる珍品陳列室が王侯貴族や学者たちによって競ってつくられたことが知られています。」(初めて目にするものに対する新鮮な驚きの感覚は)「体系的な知の体得へ先立つものであるとともに、新たな知の獲得へと人々を駆り立てる潜在的な原動力ともなっているものです。(中略)東京大学草創期以来の各分野の先端的な知を支えてきた由緒ある学術標本をもとに、『驚異の部屋』が構築されることは、次世代の知を担うべき人々にとっても少なからぬ意義を持つことと思われます。」「国内有数の自然史標本コレクションへ加えて、お雇い外国人教師E.モースの直弟子らの動物標本コレクション、医科大学初代学長三宅秀の学術標本コレクション、工部省工学寮ゆかりの工学模型・機器のコレクション、そのほか本学の教育研究を担ってきた博士らの肖像のコレクション、本学の教育研究の現場を支えてきた標本・図画・模型・機器・什器のコレクションがあります。」とのことでした.


入り口 正面の奥に天体望遠鏡が見えます. 向こうはお池とお庭
 

右手が1階のメインルーム 中央の地球儀は以前二つあったらしいのですが,いまはひとつだけ.1937年ブリュッセル製でした.周囲に剥製と,ホルマリン漬け?の生物標本の並んだキャビネット


2階に上がって右手裏が動物の骨と亀や鰐の剥製のある部屋 奥の人体模型などの部屋は画像的に遠慮します


左手が貝類や鉱物標本の並ぶ部屋


その奥が理工学機器の展示 中には顕微鏡群の展示ケースも 階段室には人骨標本....

 博物館の入館料は無料です.ただし,月~水が休館(祝日は開館)なのでご注意ください.帰りは後楽園方面へでて,地下鉄で帰りました.途中,岡埜栄泉の和菓子屋さんがあったので,豆大福とうさぎまんじゅう(かぼちゃ餡入り)を買って....

 美味でしたが,胸焼けしてしまいました.  Wunderkammerは,確かに現ドレスデン城の美術工芸品展示室「緑の丸天井」に代表されるように,かつては王侯貴族のものでしたが,時代が下るにつれ,紳士のたしなみとなっていったはず.レンブラントも骨董美術品の蒐集に熱を入れ過ぎたといわれますが,レンブラントハイス美術館の確か二階にもその名残を見ることが出来ます.

 私も自然界の事物以外なら(結構石好きだったりもするので生物の遺物以外か)細々と蒐集してもいいかなと思ったりもしますが,先立つものと天命が足らないかもしれません.Kunstkammer「美術品展示室」とも呼ばれますが,そちらを目指しましょう.

フェルメール作品にも登場するvan Berckenrodeの「オランダ共和国」全図

2010-10-08 00:18:04 | 西洋の古地図


フェルメール「兵士と笑う女」1658年頃 N.Y. フリック・コレクション

 オランダ当代きっての測量と製図の第一人者として名を馳せたBalthasar Floriszoon van BERCKENRODE(1591-1645)が作図した「オランダ共和国」全図は,フェルメールの「兵士と笑う女」や,部分的ではあるが「青衣の女」にも,ウォール・マップとして登場している.これについては小林先生の名著に引用されているようにWeluが二題の論文①②を記している*.さらに2006年に出されたLivieratosらの論文③は出色で是非お読みになることをお勧めしたいが,これによればこの地図の製作年は1620年とされ(p.143),17枚の銅版から22セクションが印刷され,93x143cmに仕立てられている(p.145).次いでWillem Blaeuは1921年にこの第二版を出版しているようだ(p.146).ここで用いられた銅版は後にフィッセル家に渡り改変されて,1637年に改訂版として出版されてゆく.
 この地図では北が北北西に向いた配置で,これは17世紀オランダの地図の伝統となる.アムステルダムはほぼ中央に位置し,北部の島々は右上隅に別枠で挿入されている.フェルメール作品では地図に"NOVA ET ACCVRATA TOTIVS HOLLANDIAE WESTFRISIAEQ.(VE) TOPOGRAPHIA"(New and accurate description of the topography of the whole Holland and of West Friesland)とタイトルが入れられている.
 これらの「壁地図」は必然的に保存状態が悪く現存するものはごくわずかのようで,オリジナルは見たことが無く(布の上に張られた紙製でニスを塗られている筈),この「オランダ共和国」全図も上記論文③に引用されているのは2点だけで,一つは西フリースラントのHoorn市に所蔵されており,リネンの上にマウントされていて壁地図の体裁になっているがコンディションは悪く,手彩色されているが色あせていて,周囲には国や国民の歴史がテキストに綴られている.もう一つはライデン大学図書館にあり,下端の5枚が欠落しており,テキストも無いが,版のコンディションは良いらしい(③pp.146/7).
 ちなみに,②によれば「絵画芸術」に描かれている1652年以降に出版されたと思われるニコラウス・フィッセルのウォール・マップは,パリの国立図書館に唯一保管されているのみで,それも銅版画9枚からなる地図部分のみで,その周囲のタイトルや都市景観図は添付されていない.当時の慣例として,購入の際,地図のみか周囲の装飾を付け加えるかを選択できたらしいとのことである.また,J.A.Colomによる1639年版のウォール・マップは40枚の組合わせで162x299cmと17世紀オランダでは最大であり,アムステルダム大学に所蔵されている.
 新版の中では,1629年にアムステルダムのHenricus Hondius (1597-1651)が特権を得て,ベルケンローデ(ローイェ)の1620年の地図を基に改訂して,ウォール・マップ版と縮小版を製作した(③p.146).後者は40x51cm(15.5x20インチ),つまり持ち運びできる本としては最大の二折り判見開き用folioとなった"Comitatus Hollandiæ novissima descriptio"初版で,Salomon Rogiersが銅版で製作した.この地図**を使用した地図本は多数あるが,最も古いものは,JanssonとHondiusの"Atlas"の付図として刊行されており,今回当館で購入した一枚はHondiusが刊行したフランス語の1633年初版L'Appendice de l'Atlasからのもので,当時の手彩色が施されている.
**van der Krogt,p.160,New Koeman,I-pp.629.3400:1B; Blonk D.I.,43


 左下のライオンの台座部分の巻装飾Cartoucheにタイトルに続いて"Designatore Balthazaro Florentio a Berckenrode. Anno Domini 1629",このさらに下部の四角の下半には"Amstelodami, Sumptibus Henrici Hondii habitantis in Damo ad intersigne Atlantis.",右最下部には"Salomon Rogiers sculpsit"と記載されている.右上隅の島々の挿入枠は10x16cm.製図家にとっても出版者にとっても母国であることから,地図の上部中央にはオランダHollandの紋章として,王冠の下の黄色い盾に左後脚1本で立った獰猛な赤い獅子像Rampant Lionを配置した豪華な巻装飾が,リボンのついた装飾的な花輪に囲まれて描かれている.これは羅針盤の中心として,線がここから放射状に延びている.右下にはディバイダー(コンパス)を持った人物像とマイル尺.これらはウォール・マップと同様である.
 この地図にはオランダの生活と繁栄に直結した沿岸部の堤防,干拓地,砂丘,運河,河川や道路が極めて詳細に描かれている.Holland はNetherlandsとほぼ同義で用いられるが,オランダの政治や商業の歴史が起こったここで描かれているNetherlandの北西部分とするのがより適当であろう.

裏面にはフランス語の解説文 377-380頁の抜粋であったことがわかる.

アムステルダム大学図書館の古地図コレクションのサイトで1629年版の拡大画像を見ることが出来る.

 以下はウェブ上で探し出せた販売中の同地図の再版である.地図の版面はまったく同一で,裏面のテキストが何語で書かれているか(内容に改訂があればそれを含めて)を参考とする以外,抜粋された元本がわからなければ出版年を特定することは困難のようだ.

Comitatus Hollandiae novissima descriptio
Gerardi Mercatoris et I. Hondii Newer Atlas oder Grosses Weltbuch ... Amsterdam, J. Janssonius, 1636 (Van der Krogt 1, 323)の挿図で,裏面に印刷されているのはドイツ語である.


Comitatus Hollandiae novissima descriptio
Newer Atlas, Oder Weltbeschreibung, .... Amsterdam, J. Janssonius, 1638(Van der Krogt 1, :421.1A)の挿図で,裏面に印刷されているのはドイツ語である.

 この地図は1635年頃にWillem Blaeuにより"Hollandia Comitatus"***として左下部の体裁を変え(cartoucheは複製されたが奇妙なことに文は記入されていない),右端も地図がやや拡張され,その下段に"Apud Guiljelmum Blaeu"(羅 Gulielmus=蘭 Willem)と署名をいれて複製され,彼の多くの地図,中でも"Atlas Novus"に供されて彼の息子のJoan(=Jan・Johan) Blaeuによって出版された. 
***New Koeman; 3400:2B-2:611

上記古地図コレクションのサイトでCornelio Dankeroによる1636年版の拡大画像を見ることが出来るが,これにはコンパスを持つ人物は描かれていない.

 アトラスatlasとは地図map集のことで通常は書籍となっているものであり,1595年にMercatorが出版した世界地図集の表紙に地球を持つアトラス神が描かれていたことからそのように呼称されるようになった.17世紀前後の最も重要なアトラスは1560年にアントワープで出版されたAbraham Ortelius(1570–1612)の"Theatrum Orbis Terrarum"と,Jodocus Hondiusにより1605年以降に出版された上述のMercatorのアトラスの改訂版,そしてアムステルダムのWillem Janszoon Blaeu(1571–1638)が企画し彼の息子のJoan Blaeuが編纂し完成させた"Atlas Novus"("Theatrum Orbis Terrarum, sive, Atlas novus")で,1634/5年に出版が始まり当初は1~2巻本だったのが,新版の"Atlas Maior"(1662–1666)になると11巻セットで594の図版を含み,原文はラテン語であったが各国語の版が出版された.Jansson家も類似の"Nouvus Atlas"を1638年に刊行している.
 "Atlas Novus"の全巻は Regionaal Archief Leidenのページは蘭語だが,左下のBekijk de....をクリックすると閲覧でき,右横のタブのKaarterindexのEerste deel(第一巻 これはCIƆ[=M]IƆC[=DC]XL VIIII[=IX]すなわち1649年に製作されている)のp.254に以下の地図が閲覧できる.序でにp.196はネーデルラント十七州全図.
 ちなみにWikipedia英語版によると,ウィーンのAustrian National Libraryに保存されている原書からの複製がTaschenから発売されているが約800頁で7kg,200ドルとのこと.


Hollandia Comitatus. 1660年 町や羅針盤に金彩が施されている.


Hollandia Comitatus. 1662年 ラテン語版"Atlas Major"より.


Hollandia Comitatus. 1663年 39,5 x 52,5cm 裏面に印刷されているのはフランス語らしい.

 このように見てくると当時の手彩色はライオンの赤,あるいはオランダの紋章の赤と黄色以外は特に決まった規則は無く,限られた色数の中で職人のセンスで彩色されていったようである.ウォール・マップは邸宅で使用されたかもしれないが,それ以外の市民階級もアトラスから抜粋して,このサイズの地図を額に入れて部屋に飾っていたに違いない.


*①Art Bulletin 57:pp.529-547,1975
Imago Mundi 30,2d-4,pp.9-30,1978 
 googleでBERCKENRODE "wall map"で検索すると,驚くべきことに両文献とも最初の1ページ目が閲覧できるサイトがあることがわかった.
③Evangelos Livieratos, Alexandra Koussoulakou:"Vermeer’s maps: a new digital look in an old master’s mirror" e-Perimetron, Vol.1, No. 2, Spring 2006 [138-154]


自然の驚異を求めて 日原鍾乳洞

2010-10-03 18:38:43 | 行ってきました(美術展以外)
 先日の日曜,学芸員のかねてからの希望で東京は西の外れにある日原鍾乳洞に出かけてきました.都内からは青梅特快で青梅駅で奥多摩行きに乗り換えですが,奥多摩行きは日中1時間に2本ほどしか出ていません.さらに奥多摩駅からは西東京バスに乗るのですが,11時発に乗り遅れたので次は0時55分,駅の近くに自然観察センターがあったので,そこで昼食のお勧めを伺って二時間近くをのんびり待ちました.
 
奥多摩駅の前から鍾乳洞行きのバスが出ます. 途中は緑深い山道を進んで登山口を過ぎ,約20分....
 
長いトンネルを抜けると.... 休日は東日原バス停止まり. そこから,さらに30分近く歩きます(雨が降りそうだとさっさっと先を急ぐ学芸員が右端に米粒のように見える)
  
左手にとんがり山が見え,鍾乳洞特有の石灰岩の地形だとわかります.沢に架かる橋を越えて右手に曲がると,鍾乳洞に下る道が見えてきます
 
入り口はせせらぎの向こう,回りは全て石灰岩
 
いよいよ洞窟探検!  途中,蓮華岩,格天井,船底石,天井知れずを過ぎると水琴窟があります.
 
下ると三途の川があり,大広間を抜けて右手に十二薬師(昔12本の鍾乳石が垂れ下がっていたところ)
 
公開されている最奥部の大広間の奥側       大広間の奥から入り口側を望む
  
最奥部の縁結び観音             岐路左に入ると新洞,精進坂はひたすら急勾配の上りが続く
 
上りきると大天井に鍾乳石の石筍が(採られないように金網に囲われていますが)続いて白滝と竜王の間
 
後はひたすら下ると出口へ            汗だくになった後はアイスがおいしい!

 帰路はまた東日原のバス停へ向かいましたが,すでに待合客の長蛇の列が出来ていました.西東京バスの粋な計らいで,バスは二台が用意され,何とか座って帰ることができましたが,途中の川乗橋バス停から乗られた下山の方々は立ったままでした.奥多摩からはホリデー快速がでていたので,新宿まで乗り換え無しでした.行き帰りに日に数本でていて,バスとの接続も良いようなので,よく調べていかれることをお勧めします.

 じつは,平日は鍾乳洞バス停まで走っているのに休日はなぜ途中までなのか以前から疑問に思っていたのですが,山間の道は二車線がとれず対向車との離合がかなり困難で,休日の一般車増加に対する配慮であることがわかりました.

 数年前に山口の秋芳洞に行きましたがそこは広さと奇観に優れ,子供の頃に行った土佐の龍牙洞は鍾乳石のライトアップの美しさが記憶に残っていますが,両者は観光地化されているのに対し,日原はそこに残る鍾乳石こそ地味であるものの洞窟の素朴な探検気分はなかなか楽しめるところでした.これからは紅葉の季節,都内から日帰りで自然を満喫に行くには格好の場所だと思います.