泰西古典絵画紀行

オランダ絵画・古地図・天文学史の記事,旅行記等を紹介します.
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サムソンの物語 補遺

2012-10-04 16:10:17 | バロック期迄の版画と素描

 じつはサムソン・シリーズは某オークションでフル・セット5枚で購入したつもりだったのですが,あとで"New Hollstein Dutch and Flemish etchings, engravings and woodcuts, 1450-1700"のシリーズのPhilips Galleの項を調べたところ,「マノアの燔祭」を含む6枚セットであることを知りました.どうりで評価額が低かったわけです(実際にはその数倍に上がってしまったのですが).
 この本には版のバージョンが複数あるとは記載されていなかったようですが,実際には少なくとも2つの版があることもあとで分かりました.

(A)


(B)

前者(A)は大英博物館所蔵,後者(B)はある版画商の所蔵品ですが,当館所蔵品は大英博物館のものと同じシリーズでした.
 (A)では,祭壇の銘板に何もかかれていないので,後で加筆を想定しているようです.(B)は銘板に記銘があり(残念ながらイメージが小さすぎて読み取れません),(A)では手前左のマノアの帽子や右の署名があった部分にも被さって,大きなカルトゥーシュが描かれラテン語でサムソンの物語・・・と記銘されているようです.これらのことから,(A)は(B)の先行版であることは確実です.
 現存するサムソン・シリーズがどのくらいであるかは不明ですが,良く見かけるものではありません.また,この時代の銅版画が一度にどのくらい刷られたかは定かではありませんが,有名なオルテリウスのアトラス(世界地図集)は,1570年から1641年までテキストは各国の言語で三十数回刊行されていますが,一度には平均100~500枚くらい刷られ,途中で彫り直しや板替えもあったようですが十数回は反復使用していたと思われます.以前,ブリューゲル版画展のときにご紹介したように,ここで使用されているエングレーヴィングという銅版画技法では芸術作品として一般的なレベルでは200枚程度まで,ただし潰れるまで摺れば2000~3000枚と言われているとのことで,ほぼ見合う数字のようです.ただ各100枚位が2回ほど刷られたとしても,6枚揃のセットはなかなか伝わるものではないでしょう.

 版画の製作は一般的に共同作業化しており,この作品群では
画家マールテン・ファン・ヘームスケルクが下絵素描を描き(invenit),彫り師フィリップス・ハレが版を彫り(fecit),版元ヒエロニムス・コックが印刷し発行している(execudit)ので,それぞれの役割が作品にかかわってくるわけです.

 ファン・ヘームスケルクMaarten van Heemskerck(Heemskerck 1498 - 1574 Haarlem)はローマで修行したロマニストと呼ばれる画家の第二世代として,北方の後期マニエリスムの旗手として銅版画の原画作者としても制作した作品は膨大で,解剖学的な正確さを示しながらモニュメンタルで劇的な様式で,ミケランジェロやジュリオ・ロマーノの作風をネーデルラントに広く紹介しました.このサムソン・シリーズにおいてもその筋肉質に描かれた人物群像にその特質を見出すことが出来るでしょう.

 ハレPhilips Galle (Haarlem 1537 – 1612 Antwerp)は,フィレンツェの外交官Lodovico Guicciardiniが遺した1567年の記述によれば「最も優れた銅版画彫刻師」とされ,16世紀後半のヨーロッパで最も成功した版画製作者の一人で,後に
出版者も兼ねるようになり,1563~1606年の間に2500点の版画を出版しています.作品の中では著名な学者の肖像のシリーズが最も有名ですが,宗教画や徳育的作品においても図像学的により独創的な作品を輩出し,その主題も驚くほど多様です.
 彼はP・ブリューゲル,F・フローリス,あるいはファン・ヘームスケルク[後者と共同制作したのは1560年ごろとされ,今回のサムソン・シリーズもその頃と考えられています]といった同時代のネーデルラントの画家の作品に基づいた版画を制作しましたが,それぞれの作風に合わせて彫刻技法を変える優れた才能を示していたとされ,以前書いたときには「ハレは密度を変えた網掛けの重なりで暗部を巧みに表現し,羊毛の質感などはメゾチントを髣髴させる点描風の仕上げが秀逸たが,人の顔は下手か?」と書きましたが,ここでは人物表現はじつに巧みですね.
 ハレは1563年からハールレムでコックやプランタンの出版物販売も手がけた後
,1570年にアントワープへ移動し,ハンス・ボルやマールテン・デ・フォスらと共同制作しましたが,ウィーリクス兄弟やコラールト父子など優秀な銅版彫刻家を雇い,実子のテオドールも有能で1600年ごろから家業を継いだようです.

 なお,旧約聖書の記述は「旧約聖書 新共同訳」,日本聖書教会,2001年刊を参考にしました.


サムソンの物語 The Story of Samson(5) 旧約聖書 士師記16章23~31節

2012-08-18 18:44:55 | バロック期迄の版画と素描



ペリシテ人の神殿を破壊するサムソン Samson destroying the temple of the Philistines
engraving on paper, round plate, app.26.7 mm (diameter); c.1560
Lettered below "Marti hemskerck inventor / Philippus galle fecit / H. Cock excudebat". Numbered below right "6".
invented by Maarten van Heemskerck; engraved by Philips Galle; published by Hieronymus Cock
from "The Story of Samson";group of 5 engravings,(New Hollstein 85-90)

 ペリシテ人の領主たちの祝宴で3000人が集まった中,サムソンが引き出され笑いものになろうとしたとき,髪が伸びてきていたサムソンは主に復讐を願い,力の蘇った両手を中央の支柱の二本にかけてこれらを押し倒した.階上の男女も含めてその場にいた者はことごとく命を落としたが,その数はサムソンがそれまでに殺した人数よりも多かったという.彼はそこで絶命したが,それまでの20年間,士師としてよくイスラエルを裁いた.


サムソンの物語 The Story of Samson(4) 旧約聖書 士師記16章1~22節

2012-08-17 22:13:37 | バロック期迄の版画と素描


サムソンとデリラ Samson and Delilah
engraving on paper, round plate, app.26.7 mm (diameter); c.1560
Lettered below left "Martinus hemskerck inventor / Philippus galle fecit / H. Cock excudebat". Numbered below "5".
invented by Maarten van Heemskerck; engraved by Philips Galle; published by Hieronymus Cock
from "The Story of Samson";group of 5 engravings,(New Hollstein 85-90)

 (時を経た後,サムソンはソレクの谷のデリラを愛するが,デリラはペリシテ人の領主たちにサムソンの怪力の秘密をさぐったら一人ずつが銀1100枚を与えるとそそのかされる.デリラは秘密を探ろうとするが,サムソンは三度偽る.最後に執拗なデリラの問いかけに負けて「母の胎内にいたときからナジル人として神にささげられた,力は髪の毛をそられると抜けよう」と打ち明けてしまう.)サムソンはデリラのひざの上で眠り,そこを見計らってもう一人がサムソンの髪にはさみを入れ七房を剃ってしまう.デリラは傍らに控えていた兵士達に切り取られたサムソンの髪を高々と示す.左上奥にはその後捉えられたサムソンが眼をえぐられる場面がやはり異時同図法で描かれている.連作の第五作.


サムソンの物語 The Story of Samson(3) 旧約聖書 士師記15章

2012-08-16 21:41:11 | バロック期迄の版画と素描


ロバの下顎骨でペリシテ人たちを打ち倒すサムソン
Samson smiting the Philistines with the jawbone of an ass
engraving on paper, round plate, app.26.7 mm (diameter); c.1560
Lettered on a shield below "Martin / heems / kerck / inven" and "Philippus gallus fecit H. Cock excu". Numbered below "4".
invented by Maarten van Heemskerck; engraved by Philips Galle; published by Hieronymus Cock
from "The Story of Samson";group of 5 engravings,(New Hollstein 85-90)

 (妻との間を引き裂かれたサムソンはペリシテ人に報復する).遠方のペリシテ人の小麦畑は,サムソンが300匹のジャッカルの対の尾に松明をつけ放ったため火の手が上がっており,そこに諸手を挙げたサムソンが描かれている.(これを見たペリシテ人はさらに妻だった女性を焼き殺してしまう.これを知ったサムソンは,同族によってペリシテ人の前に連行されたとき),彼ら1000人を手近にあったロバの顎骨で徹底的に打ち殺してしまう.下方には死体の山が広がる.顎骨の辺りから出た水を飲むサムソンが中景にやはり異時同図法で描かれているが,サムソンが顎骨を投げ捨てた高台「ラマト・レヒ」でのどの渇きを主に祈ると,主はその地を割いて「エン・ハコレ」(祈るものの泉)を与えられ,そこから水を飲んだというのが正しく,後世誤訳のため,顎骨から水を飲むサムソンがよく描かれている.連作の第四作.


サムソンの物語 The Story of Samson(2) 旧約聖書 士師記14章10~14節

2012-08-15 12:06:58 | バロック期迄の版画と素描



サムソンの結婚 The wedding of Samson and the Philistine woman
engraving on paper, round plate, app.26.7 mm (diameter); c.1560
Lettered below "Martinus hemskerck inve / Philippe galle fecit". Numbered below ".3.". With three lines at right "Desendit pater ... Iudic.14,10.".
invented by Maarten van Heemskerck; engraved by Philips Galle; published by Hieronymus Cock
from "The Story of Samson";group of 5 engravings,(New Hollstein 85-90)

 サムソンは件のペリシテ人の女性と結婚する.前方に結婚式の場面,二人の間に司祭,サムソンの両親が付き添う.異時同図法で,階上に披露宴の場面が描かれ,召使が食事の乗った皿を運び上げ,30人の客と同席したサムソンは中央のハイライトの人物か(謎をかけているようにも見える),向かって左奥に座っている大柄の人物か(隣がマノアら両親).ここでサムソンは謎かけをする:「食べる者から食べ物がでた.強いものから甘いものが出た」.連作の第三作.