泰西古典絵画紀行

オランダ絵画・古地図・天文学史の記事,旅行記等を紹介します.
無断で記事を転載される方がありますが,必ずご一報下さい.

ヤーコプ・バッケル回顧展 ②

2009-07-28 22:01:27 | 古典絵画関連の美術展メモ
No. 24.
 バッケルらしい作品. 草の冠は重い.No.6の右上の葉に近いがこれほど雑ではない.
No.28
 .バッケルらしい優れた肖像画.
No.29.
 No.17にやや近いが,1640年代の後期で人物の内面がやや主張し,より濃く描かれている.

No. 25.◎
 Breenberghの方は特にいい.衣は早描きで顔や手と対照的 カンバスで少しスレている
No. 26.◎ 
 板 トローニーでは最も魅力的 1644年が最も円熟しているかもしれない 髪もすばらしい 鼻孔や上唇の輪郭は明瞭に描かれ,胸の静脈も描かれている 眉や眼窩の描き方はまさに巨匠の風格がある.米国のホテルオーナーのコレクションとのこと.

No.30
 .これも後期で顔は類型的だが悪くはない.服の袖が際立っていて,黒の地が完全に乾く前に白とオーカーの粘稠度の高い絵の具を重ねている.
No.31
 .目元がやさしい雰囲気になってはいるものの上下の括弧〔〕のように定型化してきている 黒の部分の状態は非常に悪い. No.35と並んで展示されていて,顔の描き方は似ている.ポーズはNo.30に近い. 背景に鳥が飛んでいる 雑に描かれた葉や縦に走る木の枝にはやや違和感を感じる.

No.32
 .顔は硬くNo.3のように洗いすぎか.衣の影の部分にも下地の黒色が出ている 以前見たホーホシュテーデル画廊のジャーナルに載っていた.
No.33
 .硬い 背景のコンディションも良くない

36.○ 
 後半で唯一良く図録やポスターの表紙になっている作品. 古典的だが,サテンの白の輝きが美しい.
 これも背景が痛んでいてカッピングまである.顔はC.v.Ceulenにやや近いがやや釣り目なためか高慢な感じで,左の口元だけわずかに上がっている.
No.37
 .これが作品中最大で,肌は厚塗りのため大丈夫だが背景のコンディションは良くない.1650年ごろでやはり硬い.


 1649年以降の肖像画は,顔の造形が硬く,完全に様式的でつまらない.


 図録には当館の「ダヴィデとバテシバ」も紹介されている.当初の企画ではこの作品も展示される予定があったが,展示規模が縮小してしまったようだ.



「大家の中の大画家 ヤーコプ・アドリアエンツゾーン・バッケル 1608/9-1651」ピーテル・ファン・デン・ブリンク

 アムステルダムの古典主義派の旗手 歴史画家としてのバッケル 1636-51 
より pp.50右-52左 独文和訳

 (「ウェルトゥムヌスとポモナ」図46と)構図で類似しているのは(ただし色遣いの点ではもっと派手ではあるが),これまで出版されたことのない「ダビデとバテシバ」を描いた作品(図47)である.バッケルがダビデ王の生涯のエピソードを描いた三番目の絵画であることが重要で,先行するダビデとナタンを描いた「預言者ナタンに警告されるダビデ」や「ユリヤにヨアブ行きの手紙を渡すダビデ」を記憶にとどめておく必要がある.ここではカップルの親密な抱擁を王宮の前に設定し,左には果物,ワインと有名なアダム・ファン・フィアーネンが1614年にアムステルダムの金細工師組合のために製作した銀の水差しの乗った机を配置している.この作品には完全な署名と年記"JABacker 1640"が入っているが,筆跡は後からなぞられているようにも見える.この作品は本来はより大きなものであったと推定される.ブラウンシュバイクにある素描(図48)では明らかにより大きな構図である.この下絵がそのまま実際に仕上げられたのだとしたら,この作品は高さは2倍で,そのくらいの作品になると重要な注文制作だったに違いない.この素描は伝承的にドイツ人でケーニヒスベルク生まれの画家ミヒャエル・ヴィルマン(1630-1706)に帰属されているが,この名前は素描の裏に読み取ることが出来る.ヴィルマンは1640年代の終わりにはアムステルダムにおり,レンブラントやバッケルの作品を熱心に研究したことが確実である.この素描の高い質とさらさらと流麗な手法で描かれていることからして,決して絵画を写したものではなくてむしろ習作とであろうと思われる.
 完全な構図として,明らかにより小さな絵画「ウェルトゥムヌスとポモナ」と比べてみれば,遙に力強い大画面にもかかわらず調和を保っている.非常に親密な二人の様子は互いに絡み合った体として表現されている.しかしながら「ダビデとバテシバ」のこのような構図と美しく明るい色遣いはバッケルの芸術においては新境地である.このような大画面の歴史画によってバッケルは大きな感銘を与えたに違いない.当時のアムステルダムではほとんど比肩するものがなく,ヤン・メイセンスの述べた「偉大な非常に革新的で色遣いに秀でた"excellent"な画家」という印象が共有されていたに違いないことが,ここで初めて明らかになった.バッケルと同時代のアムステルダムの画家で1640年の時点でかように巨大でカラフルな歴史画を描いたものはいなかったのである.ただし,もう少し小ぶりで色遣いも地味ならば,類似した作品がハーレムのピーテル・デ・フレッベルやサロモン・デ・ブライの工房で製作されていた.

A71 Bayern 個人コレクション ~1920年代
  Munchenの画商 1995

 この作品は断片である可能性が高いと思われる.ブラウンシュバイクのHAU美術館にある素描に基づいて再構築した結果,画布は上下全体と左を少し切り詰められたように見え,もともの大きさは約190x130cmに達していたと思われる.この素描は伝承的にアムステルダムで活動していたドイツ人の画家ミヒャエル・ヴィルマンに帰属されていたが,これは彼の名前が素描の裏にあったことに基づいていた.これはもはや誤りで,ザンドラルトによれば彼がバッケルやレンブラントの習作をアムステルダムで購入しそれから学んでいたらしく,むしろ彼がこの素描を所有していたことを示しているのだと思われる.私見によればこの素描はバッケルに帰属されるべきであろう.
 この絵の署名と年記は上書きされているようだ.左の机の上にはアダム・ファン・フィアーネンの水差しが描かれているが(ロンドンのVAMに収蔵されている とあるが実際にはアムステルダム国立美術館にある),これはたびたび絵画に描かれている.

ヤーコプ・バッケル回顧展 ①

2009-07-26 15:07:57 | 古典絵画関連の美術展メモ
Jacob Backer(1608/9-1651),Rembrandts tegenpool 08.11/29-09.2/22
レンブラントハイス美術館・蘭アムステルダム

Der grosse Virtuose, Jacob Backer(1608/9-1651) 09.3/12-6/7
ズエルモント・ルードヴィヒ美術館(SLM)・独アーヘン

 かねて開催が企画され延期・中止の末ようやく日の目を見た初めてのバッケルの回顧展で,その図録を読むとSLMのキュレーターPeter van den Brinkの執念が伺われるようだ.初めて展覧される作品が多いことにも苦労の後が見られる.

3月アーヘンに出向いてきたが,絵画は対作品を1点として38点だがNo.8の集団肖像画は展示されていない.歴史画は8点,大作が多いのは喜ばしいことで,なかでは1633年ごろ製作された作品が多い.残りは肖像画ないしトローニーがほとんどで,個人的な印象では1640-45年が円熟期と思われ,後期の硬い古典的様式よりも遙に好感が持てる.
 素描は19点でこれに対比してフリンクによる素描(バッケルの作品とは鑑別が困難なほど類似しているものがある)が1点加えられ,No.41以外は灰青色の紙を使用しているのが特徴であるが,中ほどにこの展示スペースを内向きに作り,その通路を通して絵画のNo.24とNo.29が対面で見えるように展示されている.

 当時は大変成功した画家であるにもかかわらず,現代では一般にはあまり知られていないが,バッケルは歴史画・肖像画を得意とした画家で,その優れた構図と色遣いにおいて当時革新的であった可能性も出てきているらしい.これまではハウブラーケンからバオホまで,レンブラントの弟子として紹介されてきていたが,それは誤りであり,今回の展覧会のアムスでのサブタイトルは「レンブラントの対極」とあるように,レンブラント風の要素は限定的である.

 1608/9 Harlingen生まれ,1651Amsterdam死去.1626年頃ヤン・ピナスに師事したらしく,翌1627年(20才頃)レーワールデン(フリースラント)のランベルト・ヤコブスゾーンのもとへ行き,7才年下のホファールト・フリンクとともに修行した.ここではフランドル派の作風を身につけるがレンブラントの作品に接する機会もあったらしい.1633年(バッケル25才)アムステルダムに出て,同行したフリンクはアムスに居を定めて間もないレンブラントの弟子となったが,バッケルはすでに画家として独立していた.No.6のように1630年代のとくに歴史画の作品には構図や題材や色使いにおいてフランドル派の影響が見て取れ,No.12ではモデルの顔においてさえもルーベンスの影響を認めるが,BroosのいうようにNo.7の肖像ではレンブラントの強いキアロスクーロも認められよう.1630年代半ばごろからは優れたトローニーを多数描いており,ここにはユトレヒト・カラヴァジェスキの好んだアレゴリー風の題材に取り組んだり,フランス・ハルスに代表される自由な筆遣いを取り入れて,さらに「非常に流麗に」描いている.とくにNo.22・24・26の三点はすばらしく,Buvelotはこれらを見るだけでもこの展覧会に行く価値があると述べているが,まさに同感であった.このようにバッケルは多才で多様な筆遣いができる画家であったわけだ.
 晩年はむしろ古典的な様式を好み表現は硬直してゆき,とくに女性の肖像画は冷たい感じがする.ただし,No.36の1650年ごろのミューズに扮する女性像はサテンのドレスの質感も印象的で,Buvelotのようにバッケルの画業のピークをこの時期と見るなら,古典主義の画家として,確かにレンブラントとは対極にあろう.ただ個人的には前述したようにバッケルの画業は1640-45年ごろがベストと思うのだが.

参考文献:Grove's The Dictionary of Art: (Backer),Vol.3 p23, B.Broos,1996
Jacob Backer(1608/9-1651),P.van den Brink, 2008(図録)
Jacob Backer Amsterdam and Aachen:BM, 09,Feb.,pp.123-4,Q. Buvelot

 
 No.1 「聖アンデレ」
 全体を見てくると硬い感じ 日本で1986年に公開されている作品.髭の仕上げにはスクラッチを多用し,ライデンのレンブラントやリーフェンスの影響を受けている.手は当館の作品よりごわごわしているが,影付けには黒を使わずやや淡紫色を用いており,その意味ではルーベンス派の影響も見て取れよう.
 
No.2  礼拝式装束の老人の像
エルミタージュで見た作品
No.3. 聖職者装束の若い男(聖ステファノ?)
 一度フレッベルとして売られている作品.板に描かれているが,過剰なクリーニングによりディテールが失われていて残念.
 主題については,手に石を持っている可能性と視線を上に向けている点で聖ステファノが考えられるらしい.

  No.4 「ダビデとナタン」
 向かって左のナタンの衣などのコンディションはよくない.
  No.5「ユリアにヨアブ行きの手紙を手渡すダビデ」◎
 前半では最も大きい作品で,これは大変印象的
  No.6 「ヘロデ王とヘロデアを咎める洗礼者ヨハネ」○
 バッケルの代表作の一つ.これも1986年に日本で公開されている..ヨハネの肌,ヘロデアの首などがすれてしまっているのは当館の作品と同じで,黒い下地が見えている.子供の巻き毛はバッケル的で,2番目に良い作品と思われる.
  No.7 「灰色の衣をまとった少年の肖像」
 これも顔や衣のスレが目立つが,髪や顔はバッケル的

No.9a 鏡のかけらを持つ男(視覚の寓意)
 左眉と髭はスクラッチで描かれ,顔の仕上げもリーフェンス的だがまだボテボテしていて違和感がある.
No.9b 酔った男(味覚の寓意)
 まだ様式が確立していない.右頬や右袖の腕は塗りムラの筆遣いが残っている
 
 No.13. 赤い服を着た若い男
 若描きの印象が強く,本当にバッケルの作かと思えてしまう.胸元はスクラッチ
 

 No.12 「グラニーダとダイフィーロ」
 1605年P.C.ホーフト作の戯曲で,1637年築のファン・カンペンの設計によるアムステルダム劇場において長らく定期的に上演されていた.貝に水を汲んで差し出す場面は当時のオランダでは絵画の主題としてよく取り上げられている.王女グラニーダの胸元のレースはスクラッチで模様をかいている.牧飼いダイフィーロのモデルはNo.4と同じか
  No.14.「説教する洗礼者ヨハネを模した家族の肖像画」
 歴史画に題材を置く集団肖像画portrait historieで柔らかいタッチで描かれた顔の造形は最もバッケル的.少年の顔はNo.7に似ているか.横の切れたフラグメントと見たが,図録によると上・左右のすべてが約30cm切り詰められているという.

No.15
.思ったより顔は弱い 眉が薄く淡い色調で自在に描くところなどがバッケル的
No.16
.顔の造型はまだノールト的
 No. 17
.以前オークションに出た 面長 流麗でソフトな感じはバッケル的 
   No.18
 .老女の顔の作風は受け入れられるが,少女の顔については違和感もある.
  No.21
 署名があるらしいが,顔の作風などからはヤン・ファン・.ノールトのような気がする.
 No.22 .○
 バッケル的な佳作.右の署名は地の色と殆ど同色で肉眼では光の加減でようやく判読できる.

 No.19.○ 
 オランダの個人コレクションだそうだが,これは流れるような筆致が素晴らしい.わざとさささっと描いたように見える.絵の具が乾く前にレースの模様を描き変えている.向かって右のSLMのものは工房作とされているようだが,瞳の黒も大き過ぎ,光点もきつい.顔は硬くオリジナルの髪の炎のような自由な広がりがない.飾りの光の白点も置き方が弱くたどたどしい.オリジナルのほうでは丸に近く厚く置かれている.逆にネックレスの描き方はオリジナルの方が丸くは描かれていない.
 No. 20 1640年頃の製作で,.とくに左腕は当館の作品と非常に似ている 中央の部分や首~胸元などコンディションは思った程よくない.

「奇想の王国 だまし絵展」 VTCツアー

2009-07-19 10:24:02 | 古典絵画関連の美術展メモ
 レオナルドの権威,恵泉女子大の池上英洋先生によるガイドツアーに参加させていただきました.興味深いご解説ありがとうございました.
 先生の資料では,展示の流れに沿って騙し絵につながる①疑似彫刻(石像の安価な代用としてのグリザイユによる板人形など)や②疑似建築(画面の奥に仮想の空間が広がるように見せる)について触れられ,ついで③額縁に関して騙す(否定や逆利用)例として,ラファエロの「システィーナの聖母」について,プットが額縁の下枠にもたれていたり,カーテンの幕が開けられた設定についてもトロンプルイユ(騙し絵)の一種であることを解説されました.これについては展示作品でも多数取り上げられています.
 つづいて,④静物についての写実技法の誇示(カラヴァッジョの果物籠が有名),これにはガラス瓶に写りこんだ物体を描き込んだり,書棚に並ぶ本や収集品をあたかも実際に存在するように再現したり,またヴァニタスの象徴として髑髏などが描かれたりもし,この流れは17世紀フランドルのヘイスブレヒツの作品群のように,作品に壁板の表面までも描きその上に状差しに留められた品々が本物であるかのように描いて騙す遊戯的絵画が流行しました.
 つぎに⑤アナモルフォーズという強調遠近法(歪み絵)について詳細に解説いただきました.これは先生のとくに関心の高い分野だそうで過去に著作で表されたように,17世紀の対宗教改革において,幻視としてのヴィジョンの追求のなかで,錯視を利用したり,一種のモラルを風刺的に隠した作品(判じ絵)も登場します.ここで作図法について説明があり,「絵画とは画面の向こうに何かがあるように描くもの」で「すべての絵画は"騙し絵"である」と歪曲された教会の内廊を背景に浮かび上がるマザッチョの三位一体像を示しながら締めくくられています.
 最後に⑥遠近法的な仕掛けを用いない錯視を利用した多義図(寄せ絵)には,今回の展示の目玉であるアルチンボルトのウェルトゥムヌスがありますが,これには三重の主題が隠されているそうです.個々の果物(四季を超越した神格的存在),錬金術的手法による合成図像で怪異ではあるがウェルトゥムヌス神の像,すなわち皇帝の肖像.
 展示はこの後,和もののセクションに入り,画面から抜きでたように描かれている幽霊図,国芳の有名な寄せ絵「みかけはこはゐがとんだいゝ人だ」などが展示されています.池上先生によると,このような騙し絵については日本は西洋の100~150年あとを行っているそうで,文化の輸入の遅れを示唆されていました.
 先生の解説は時間の関係でここまででしたが,続くマグリット・ダリ・エッシャー(多義画や隠し絵など)などの作品は面白く,現代作品ではパトリック・ヒューズの「水の都」はreverspectiveと呼ぶそうですが,視点の移動で強く画面が揺れるのが驚きでした.ディズニーランドのホーンテッドハウスに,じっとこちらを見つめる(ようにみえる)彫像がありますが,あれも実はくぼんでいておそらく原理的に関連があるでしょう.また,ミニチュアのように見える本城直季氏の「small planet」シリーズも楽しめます.福田見蘭の「壁面5°の拡がり」を間近で見るのを忘れたのは残念でした.


付記:17世紀オランダ・フランドル絵画としての私見メモ 東京での展示順に

・入り口のNo.36のdummy board「慈悲の擬人像」はエラスムク・クエリヌスの作という.出所はヤン・デ・メーレ画廊だが,来歴は? この展示法は秀逸.ついでながらNo.18の17世紀のフランドルの画家の「聖家族」も作品の詳細は不明だが,たとえばクェリヌスなどの周辺画家かもしれない.
・No.38プラハ国立のファン・デル・ヘルストの「ある男の肖像」は額縁を描き込んでその下枠の外に手袋を持った手を出している図.背景の空の補彩はやはり目立つが,顔は良くかけている.ティツィアーノの自画像との関連が指摘されているLNGのレンブラントの自画像は右肘を下枠(額か窓か?)から出しているが,レンブラント派ではこのような作品は多い.
・No.16のA・オスターデの水彩画「水彩画の上に置かれた透明な紙」もよく出来ている.紙が長方形ではないことがミソ.
・ヘイスブレヒツの作品群は4年前にハーグのマウリッツハイス美術館で回顧展を見てきている.今回は1663年作のNo.14・15・28,65年のNo.29,これらは板壁や窓付き戸棚を模してこれにカンバスや状差しを描いているが,No.28の「食器棚」がとくに秀逸.やや遅れて71年のNo.23の「狩の獲物のあるトランプルイユ」ではカーテンに覆われているところが騙し絵であるが,さすがにgame paintingを描かせても野うさぎなどの精密描写は傑出.左端の飾りつきの小物は鷹の頭にかぶせる目隠しだろう.
・コリールの作品もNo.19・32の二点が出品されているが,コリール自身は17世紀後半に活躍していて,作風はやや硬くカッチリ描くタイプである.西美にヴァニタス画の佳品が所蔵されている.
・No.21のステーンウィンケルの1630年代の「画家とその妻の肖像」はヴァニタスを示す砂時計・書物・髑髏を置いた机に鏡に写る画家の自画像を描いているが,下から光が反射しているために左の眼窩上部の照り返しなど顔が異様な感じに見えている.机の引出しが空なのもヴァニタスなのだろう.
・No.35 「羊飼いの礼拝」 17世紀オランダ絵画 このような大理石レリーフに擬した作品は18世紀のヤーコプ・デ・ヴィットのものが秀逸,ただしスタイルは古典的
・ホーホストラーテンはNo.30ドルトレヒトの「状差し」が一点だけでやや残念である.私の中ではトランプルイユというとホーホストラーテンなので.この作品とヘイスブレヒツとの違いは背景を明るい板とせず,状差しに入れられたものが浮かび上がっていること.これはある意味で光と闇に重きを置いたレンブラント派の名残とも取れる.
 とくにホーホストラーテンには,疑似建築の面でも大作ながら本展覧会の趣向に沿った良品が残っているのでぜひ手配していただきたかったと思う.まさに通路の行き止まりにかけられた彼の作品によって,先に空間が広がって見えるのである.
 ちなみに,図録の解説で(ホーホストラーテンは)「フェルメールの師でもあった」云々とあるが,そのような事実を示すドキュメントはなかったはずで,フェルメールは同郷のC・ファブリチウスなどを通じて見知ったホーホストラーテン作品の空間表現にインスピレーションを得た,というところであろう.実際,フェルメールの遺産にはホーホストラーテンの作品が含まれていた.ホーホストラーテン自身が騙し絵に関心を持ったきっかけは,(カッセルにある1646年の「聖家族」に代表されるように)師事していたレンブラント工房にあるのかもしれない.

オランダ・フランドル以外ではあるが
・No.25のドイツの画家ヒンツの「珍品奇物の棚」は大航海時代の各地からの収集品を取り混ぜているがヴァニタスの流れも汲んでいる.現代日本の写実派古吉弘画伯の代表作を思い出してしまった.
・No.1アルチンボルトの「ウェルトゥムヌス」は色彩に富んでいる.ただし,作品のコンディションとしては中央のかぼちゃなど洗浄過剰がやや目立つ.No.2の工房?作「水の寓意」は確かにやや輪郭線など弱い.
・特別出品のヒューストンの「聖顔布」については,布の質感はスルバランでもよいとおもうが,キリストの転写された斜めの顔のこの眼差しはいかがなものか??ストックホルムの国立美術館の所蔵作品とは随分出来が違う.

・テーマに沿う中でなぜこの絵でなければならないかという意味で作品の選択の基準を教えていただきたいものが割りに多かった.どなたが決めたのだろう?
・また図録の作品解説に古典絵画でも来歴などの研究的情報がなく,騙し絵との関連においての解説が主であったことが,やや物足りなさを感じた.やむをえないのかもしれないが.
・でも,このような展覧会は斬新で楽しいものだ.

かたちは、うつる-国立西洋美術館所蔵版画展

2009-07-12 21:52:41 | 古典絵画関連の美術展メモ
2009年7月7日~8月16日

 開館当時フランスの古典24点から始まった同館の版画コレクションは3,747点に達し,デューラーから17世紀のカロやレンブラント,18世紀のピラネージやゴヤ,19世紀のドーミエやクリンガーなど,西洋版画史における重要な芸術家たちの優品を所蔵しており,今回,若干の素描作例(実際ターナーのシンプルな素描の小品もありました)と書籍を併せて約130点を初めてまとまった形で紹介する機会とのこと.西美の研究員である新藤 淳先生のギャラリートークを伺いました.講演会やスライドトークはよく見かけましたが,今回は本当に展示室内での解説で約30人ほどが参加されていたようです.作品群は企画展のB1Fフロアを使って展示されています.


企画展示室入り口

左手に「序 うつろ-憂鬱・思惟・夢」として8点の作品を工夫を凝らして展示
 解説によると「うつる」という言葉を「映る(投影)」「写る(転写)」「移る(伝播・憑依)」と読ませて,それによる意味の変化を目に見える「かたち(イメージ)」で展示し表現してゆくというコンセプトらしく,この語源は空・虚(うつ)からの派生であるということで,メランコリーをモチーフにした作品を導入に展示してあります.
 以下,作品の写真撮影は同館の所蔵品であるため許可されていますが(当然フラッシュ禁止),額装にアクリル板が入っていて周りが映り込み,照明は当然暗くてしかるべきなので撮影は困難を極めます.


まずデューラー版画の最高傑作のひとつ「メレンコリアⅠ」1514年

 この主題や個々の図像学的な解釈には諸説がありますが,このころから憂鬱質という体液に基づく気質はマイナス面だけではなく芸術的才能というプラスの面とも関連するという説が広まり,メランコリーという主題が芸術作品にも取り上げられるようになったとのこと.当時はまだ幾何学図形を正確に表現することは容易ではなくデューラーの腕の確かさが示されています.

・参考:四体液説[人体は四種の体液(血液・黄胆汁・粘液・黒胆汁)で構成される]はヒポクラテスによるが,彼の着想でガレノスによって発展した四大気質とは,各体液成分の優位によって,多血質[社交的で飽きっぽい]・胆汁質[決断力に富むが激しやすい]・粘液質[沈着で鈍重]・黒胆汁質(憂鬱質)[独創性があるが非社交的で憂鬱・怠惰]のいずれかの気質が決まるという概念で,エンペドクレスの四大元素(空気・火・水・土),四季(春・夏・秋・冬),成長(幼年・青年・壮年・老年)と対応すると考えられた.


その隣りはレンブラントの「蝋燭のあかりのもとで机に向かう書生」B148.1642年頃<解説無し>

 レンブラントの銅版画作品にはこのようにほとんど真っ黒な闇に支配された画面のなかにおぼろげに浮かび上がる作品が数点ありますが,極めつけは「書斎の聖ヒエロニムス」B105と本作でしょう.ともに手を頭において瞑想~苦悩しているかのようです.

続いて,ゴヤの「理性の眠りは怪物を生む」1799年
 解説では机にもたれるポーズは憂鬱質を示し,夢には怪物が出てくる,これが続くクリンガーの「夢」のモチーフに引き継がれます.このほか,ピカソの「貧しき食事」も展示されています.

 解説では触れられませんでしたが,西美にはレンブラントの銅版画は11点所蔵されているはずで,今回は計4点が展示されています.展示の流れからは外れますが,それらを先に提示すると

レンブラント「柔らかい帽子と刺繍付きの外套をまとった自画像」B7.1631年



レンブラント「東洋風を装った自画像」B23.1634年

 これはフジカワ画廊でレンブラント版画展が開催されたときの表紙の作品で非常にインプレッションもよく,何回か購入のお誘いをいただいたことがありましたが2003年に西美に収まった次第です.自画像とありますが,その説は大方の見解では否定されているものの,通称としてそのように呼ばれています.


レンブラント「三本の木」B212.1643年

 おそらくレンブラントの銅版画の最高傑作はと問われると多くの方がこの作品か「病人たちを癒すキリスト(百グルデン版画)」をあげられるでしょうが,西美は両方とも所蔵されていてうらやましい限りです.妻サスキアの死の1年後の作品.三本の木に象徴されるのは,あるいは墓標かもしれませんが,そのモニュメンタリティは圧倒的です.

非常に繊細に仕上げられていて,拡大すると土手の上を馬車が行き交い,随所に風車が描かれています.
 ところで拡大画面の左端の空の中全体に天使が手を上げて横向きに立っているように見えるのですが....

 画面右下の端の闇の中には愛し合うカップルが描かれているのですが,お分かりになりますか?じつはこの拡大像の左外にヤギも描かれていて,レンブラントはこの作品に性的意味合いも潜ませているのです.

 展示は二部構成で第一部は「現出するイメージ」と題し,第一室の左手に「うつしの誘惑 顔・投影・転写」として,泉に映る自分の顔に恋をしたナルキッソス,イエスの顔が写った聖ヴェロニカの聖骸布などをモチーフとした作品を挙げ,右手に「同 横顔・影・他者」として,カロの作品2点を含めた展示があり,絵画芸術の起源は人の影をなぞることであったというプリニウスの説を引用し,横顔こそがその輪郭による表現にふさわしく,それは他者のものであって自画像とはなりえないが,続いて「うつしだす顔 肖像と性格」において,レンブラントらの自画像などが展示されている次第です.
 第二室の右手では「うつる世界 原色の景色」として風景画が取り上げられフォロ・ロマーノを描いた作品について解説があり,続く「うつる世界 視線と光景」において光の効果に関心を示しつつ「三本の木」などが展示されています.


第二室の入り口にて 右の後姿が新藤先生


同じフォロ・ロマーノを描いた作例だが,正面壁の17世紀のクロード(ロラン)の作品では陰画として反転している建物が,手前の書物の18世紀のピラネージの作品になると,それを考慮して版のほうで反転させて彫ってあるとのこと.

 第二室の左手では「うつせみ 虚と実のあいだの身体」として古代の偉大な彫刻家によるベルベデーレのアポロン像が16世紀の多くの芸術家を魅了し,デューラーもこのようなアポロン像の理想的な身体表現~プロポーションをキリストやアダム像に取り入れて行きました.しかしながら,その後も人体像は理想と現実の間で揺れ動くことになります.続いて「同 身体の内と外」と題して,身体の内部への関心を描いた作品が展示されています.


左 ホルチィウスによる銅版画「ベルベデーレのアポロン」1592年頃
右 デューラーの木版(キリストの)「復活」1510年 ポーズが同じとはいえないが,人体のプロポーションは類似しています.
 ヘンドリック・ホルツィウスはオランダのマニエリズムの第一人者で版画家・画家.主にハールレムで活躍したが,1610年にイタリアへ旅行してからは古典主義に傾倒.

 ここで,アダムとエヴァの原罪の図像が4点ほど展示されていて,個人的な研究テーマであるので提示しておきます.蛇がどのように描かれているかを比較してみるのも面白いでしょう.また,禁断の果実を食べる前か後か...?

デューラー 銅版画「アダムとエヴァ」1504年


ホルバイン(子) 木版「原罪(『死の舞踏』より)」16世紀前半

アルデグレーファー 銅版画「堕罪(『死の力』より)」1541年

J・サーンレダム 銅版画「知識の木の前のアダムとエヴァ(A・ブルーマールトの原画に基づく)」

 第三室からの第二部は「回帰するイメージ」と題し,「落ちる肉体」「受苦の肢体」「暴力の身振り」「人間≒動物の情念」「踊る身体」「輪舞」で構成されています.
 「落ちる肉体」の図像は,神に対する罪や傲慢などを表すものでしたが,ゴヤの「戦争の惨禍」では,罪も無い民衆の死体が投げ落とされる図像で表現され,その他のセクションでも,ゴヤの作品が一つの鍵となっているようです.


ホルツィウスの銅版画「イクシオン(ファン・ハールレムの原画に基づく連作より)」 1588年

「暴力の身振り」で展示されている作品群は,今回のパンフレットの表を飾っています.

ホルツィウスのキアロスクーロ木版画「ヘラクレスとカクス」1545年
 キアロスクーロとは光と闇を形容するものだが,版画の白地に黒インクに重ねて,おもに黄褐色で影付けし,光と闇を強調する技法も指します.


ドーミエのリトグラフ「・・・このウソツキ男!・・・」1840年
 女房のポーズと上記ヘラクレスの暴力ポーズが酷似.これを最後に提示したのは面白かったからです.

 ギャラリートークは40分ほどの予定でしたが,後半はやや急ぎ足でした.

 この展覧会の全体の印象としてはなかなかでしたが,一つ言わせていただければタイトルや解説ボードのキャプションがやや言葉遊び的で,直感的には難解な印象をぬぐえず,細分されたセクション分けももう少しシンプルにして,わかりやすさを選んでいただければよかったかなという気がしました.
 ただし,これだけの数のモノクロームのメディアを明確なテーマを持って展示するご苦労は大変なものであっただろうと強く感じました.

 とくに知的好奇心の強い方にはお勧めです.