泰西古典絵画紀行

オランダ絵画・古地図・天文学史の記事,旅行記等を紹介します.
無断で記事を転載される方がありますが,必ずご一報下さい.

バベルの塔 The Tower of Babel 完

2012-04-01 21:12:19 | バロック期迄の絵画



ヤーコプ・ファン・デル・ウルフト Jacob van der Ulft (Gorinchem 1627 - Noordwijk 1689)
羊皮紙に不透明水彩 Gouche on vellum 35.2x47.8cm

来歴
Sale, Amsterdam, P. de Vries, 14 April 1908;
Pieter Langerhuizen (L.2095),
his sale, Amsterdam, F. Muller and Co., 19 April 1919, lot 779;
sale, Amsterdam, F. Muller and Co., 12 December 1935, lot 905;
sale, London, Sotheby's, 26 November 1970, lot 14, reproduced;
Martin Bodmer, Geneva;
Bernard H. Breslauer Collection, New York

展示歴
New York, The Pierpont Morgan Library, The Bernard H. Breslauer Collection of Manuscript Illuminations, 1992-3, cat.
no. 28, reproduced

文献
Rembrandt and his Century, exhib. cat., Paris, Institut Néerlandais, 1974, p. 161, note 14;
Helmut Minkowski, Vermutungen über den Turm zu Babel, 1991, p. 204, no. 318, reproduced

 ファン・デル・ウルフトは南ホラントのGorinchemに生まれ同市の要職についており,画業は恐らく自己流で副業か趣味であったのかもしれない.とくに地誌的景観の褐色素描で知られ,その多くはイタリアの景観であるが,現地に赴いたことは無く他の画家による版画などを参考にしたのであろう.
 ウルフトの水彩画作品は極めて稀で,Lugt Collection(Paris)やFitzwilliam Museum(Cambridge)に所蔵されているが,それと比較しても本作は傑出しており,とくに聖書主題を描いた点は異例と考えられる.
 後述するように,「バベルの塔」の物語は
16ー17世紀のネーデルラントで盛んに描かれるようになった.このウルフト作品は従来のプロトタイプをそのまま写してはいないが,Hendrick van Cleveとそのフランドルの追随者によって確立した方形の土台とそこから街路が放散する様式を利用してはいる.ブリューゲル様式のバベルの明暗のコントラストこそ,油彩では無いためここでは達成出来てはいないが,水彩特有のクリアな明るさの中に精緻かつ真摯に描かれた佳作である.

Jacob van der Ulft に関する文献
Houbraken, vol.II,p.196, p.231; vol.III,p.188[蘭]
Kramm 1857/64,pp.1658/9[蘭]
Wurzbach 1910,vol.III,p.727[独]
Thieme-Becker[独]

 
旧約聖書の「創世記」11章1-9節によれば,もともと人々は同じ1つの言葉を話していたが,シンアルの地に集まった人々は煉瓦とアスファルトで天まで届く塔をつくって名を上げ,地の果てに放たれるのを免れようとする.神はこの塔を見て彼らの傲慢を戒め,違う言葉を話させるようにしたため人々は混乱[Babel]し世界に離散した.「ユダヤ古代誌」などによれば,ノアの子孫ニムロデ(ニムロド)王が「神が再び地を浸水させることを望むなら水が達しないような高い塔を建てて、彼らの父祖たちが滅ぼされたことに対し復讐する」と神を威嚇したとされる.この話がノアの物語とアブラハムの物語の間に置かれていることは,大洪水後,人々が世界各地に離散するきっかけとなり,さらなる神の選民の源による点において重要である.
-----------------------------------------------------------------------------------------------
 「バベルの塔」といえばピーテル・ブリューゲルⅠ世の作品を思い出しますね.大バベルがウィーン美術史美術館に,小バベルがロッテルダムのボイマンス=ファン・ブーニンゲン美術館に所蔵されており,前者は迫力で優り,後者はその精緻さで秀でています.大バベルのほうは制作年が1563年と特定されており,こちらが威圧的なのは,より近い視点で描かれ,左右の稜線の傾斜が非対称で左に傾いて不安定さがあり,岩山を穿ちながら成型されつつあることが示されている(私は初めこれは塔が崩れかけているのだと錯覚していました)点にあるでしょう.小バベルは多くの研究者によって大バベルに遅れること5年以内の制作とされているらしく,こちらは建設が進んでより屹立し,レンガと土石の色彩の対比が鮮やかですが,大バベルにあった背景の大都市の町並みやローマ水道橋は存在せず,前景のニムロデ王一行も見当たりません(ただし後者については,板がトリミングされたとも考えられています).
 この作品は,言葉が通じなくなった人々の混乱に宗教改革の混乱を喩えているとも考えられています.また,滅亡の危機に瀕しているのかどうかは別として,描かれた多言語の語られる国際都市のモデルとしては,バビロンを想定するか,ローマを想定するか,あるいは大小の絵で共通して設定されている港湾都市として当時のアントウェルペン(アントワープ)を想定するか,興味は尽きません.


大バベル  114x155cm


小バベル 60x75cm

 じつはブリューゲルⅠ世のバベルの塔にはもう一点,写本装飾画家ジュリオ・クローヴィオの1577年の財産目録にあった象牙板に描かれた小品があったそうですが,これは失われたものだそうです.ちなみに,1550年頃のクローヴィオ自身が制作した「バベルの塔」細密画は全く異なった形状ですね.


ジュリオ・クローヴィオ 「ファルネーゼの時祷書」より 1550年頃? 
 同画家のP.モルガン・ライブラリー(N.Y.)所蔵品も同じ図柄です.ウルフトの作品と同様,不透明水彩なのでコントラストは低いですね.ところで,モルガン・ライブラリーはこのようなものの展示でつとに有名なところ,ウルフトのバベルがここで1990年代に展示されたことは大変名誉なことなのです.

 バベルの塔の図像はローマのレリーフやモザイク壁画から中世頃のヨーロッパの写本や木版画挿図まで,多くは細身の四角柱として描かれ,15世紀には外階段に囲まれた四角錘型が出現し,16世紀半ばになってローマのコロッセオから着想を得た「バベルの塔」が登場します.


左:バイエルン州立図書館蔵の世界年代記に描かれた1370年頃の塔の挿絵
右:
Bedford公の時祷書に描かれた「バベルの塔」の細密画 1433年頃

 16世紀ネーデルラントではへリ・メット・デ・ブレスらが,四角錘の下半部のような形状のバベルの塔をブリューゲルに先んじて描いていますが,日乾煉瓦を用いて数階層で建てられた古代メソポタミア・シュメールの聖塔ジッグラト(Ziggurat「高い峰」)がそのモデルになっているとも考えられています.ジッグラトはとくに前6世紀にバビロン(Bablim;神の門の意.ヘブライ語で混乱を意味するBabelとは無関係)にも建てられましたが,その形状自体が必ずしも明らかに残されてはおらず想像に頼る部分も多かったのでしょう.


ヘッリ・メット・デ・ブレス(Herri met de Bles 1480-1550)に帰属される小品 現所蔵先不明

 現在知られている螺旋円錐(巻貝)型で最も古い年期のある作品としては1547年のコルネリス・アントニスゾーンの銅版画
が上げられます(コロッセオは積層建築ですが,部分崩壊した建物からは巻貝が連想されたのでしょう).


コルネリス・アントニスゾーン 「バベルの塔の崩壊」 エングレーヴィング 1547年

 ただし,コロッセオをイメージした塔描写の先駆者はやはり北方からローマに遊学したヤン・ファン・スコーレル(1495-1562)だったといわれています.これはブリューゲル型に対し,螺旋円錐型でも階毎に先細りの目立つ巻きの粗い型です.17世紀初めにかけては,バベルの塔の基本的なモチーフはブリューゲル型が圧倒的に多く描かれますが,同時に様々なバリエーションも誕生します.そのなかでも「バベルの塔」をしばしば描いた画家でとくに著名なのは,ファルケンボルフ兄弟とヘンドリック・ファン・クレーフです.


ヤン・ファン・スコーレル 油彩・板 58x75cm Galleria Franchetti蔵(ヴェネチア)
スコーレルがローマから戻ったのは1523年なので1530年以降の作品か? ブリューゲル作品とは巻きの向きが異なる.


マールテン・ファン・ヘームスケルクの基絵によるフィリップス・ガレ(1537-1612)のエングレーヴィング 21x26cm
ヘームスケルクはスコーレルの弟子であるが,ここでは塔をジックラドに模したといわれている.

 ファルケンボルフ家のルーカス(1535-1597)とマルテン(1534-1612)兄弟は新教徒で,旧教にとどまるアントワープから新教に揺れるドイツに移り,視点をより高くとったパノラマ風景画として塔は遠のき,大バベルほどの圧倒感は無くなり,晩年の作品では1階の壁を放射状に擁護する扶壁を置いて安定感をもたせています.


ルーカス・ファン・ファルケンボルフ 油彩・板 21x29cm 1568年 バイエルン州立美術館


ルーカス・ファン・ファルケンボルフ  1568年 これはカタログに掲載が無いため詳細不明
これら比較的若い頃の作品は最も小バベルに近い


ルーカス・ファン・ファルケンボルフ 油彩・板 41x56cm 1594年 ルーブル美術館蔵


ルーカス・ファン・ファルケンボルフ 油彩・板 42x68cm 15(9?)5年 Mittelrhein Museum(コブレンツ)
やや大バベルに近い


マルテン・ファン・ファルケンボルフ 油彩・板 75x105cm 1595年 ドレスデン国立絵画館


マルテン・ファン・ファルケンボルフ?     これもカタログに掲載無く詳細不明


マルテン・ファン・ファルケンボルフ 96x125cm 現所蔵先不明
ジッグラトないしピラミッド型 マルテンは数回この様式で描いているようです.


フレデリク・ファン・ファルケンボルフ(1566-1623 マルテンの長男) 油彩・画布 53x74cm 現所蔵先不明

 ヘンドリック・ファン・クレーフ(Hendrick van Cleve III世 1525-1590/95)は,祖先が16世紀初めにはアントワープに移り,彼自身はそこの出身で,やはりイタリア都市の景観画を得意としましたが,晩年には「バベルの塔」を頻繁に手懸け,下層階を方形にして角を手前に配しそこに街路をX型に交叉させ奥行き感を強調しました.


ヘンドリック・ファン・クレーフ 油彩・銅版 41x48cm Kröller-MüllerMuseum
X型地面に螺旋円錐型 確実ではないが,1570年代以降か?


ヘンドリック・ファン・クレーフの追随者 油彩・板 50x71cm プラハ国立美術館
X型地面に螺旋円錐+角錐型?

 時代がやや下ってパウル・ブリル(1554-1626)らが描いたバベルの塔はピラミッドにも見えるかもしれませんが,やはりブリューゲル型がもっともインパクトがあったのでしょう,その後,四角錘型は稀となります.また,尖塔のような尖った円錐型のバベルの塔も登場します.このほか,アベル・フリンメル(c1570-1619)や,ルーベンスの師トビアス・フェアヘーフト(1561-1631)もブリューゲル型のバベルの塔を描いています.


パウル・ブリルに帰属 193x260cm 現所蔵先不明



ロドヴェイク・トゥプト(Lodewyk Toeput) 1587年 油彩・画布167x217cm 個人蔵


アベル・フリンメル(c1570-1619) 50x64cm 個人蔵


アベル・フリンメル 螺旋円錐型         これはカタログに掲載無く詳細不明
フリンメルは落ち着いた色使いが特徴.このモチーフで数点描いているが,本図とは鏡像となる72x92cmの所在不明作品には1591年の年記があり,33x44cmの小品には1604年の年記があった.


ルーラント・サーフェリ(Roelant Savery 1576/8-1639) 油彩・銅版 径23cm 1602年 ゲルマン民族博物館(ニュルンベルク)


トビアス・フェアヘーフト 油彩・板 172x225cm アントワープ王立美術館
大画面の色彩はルーベンスに通じるかも.


ヨース・デ・モンペルII世(1564-1635) 油彩・画布 175x249cm ブリュッセル王立美術館
屹立した円錐型 17世紀初頭? フランス・フランケンII世(1581-1642)は人物群像に優れ,風景画家としばしば共同制作をした.

以上は16-17世紀のフランドル派.以下は17世紀オランダ派となります.ウルフトも同様.


Jan Christiaensz.Micker(アムステルダム1599-1664) 板・油彩 88x122cm
 2011年12月サザービース・ロンドンに出品された作品.17世紀半ばの作品と考えられ,塔の形状はデフォルメされていて違和感が強いですが,それなりに相当高価でした.

 17世紀も初頭を過ぎると熱からさめるように「バベルの塔」の需要は減っていったようです.殆どのバベルの画家はアントワープと関係していたので,これはアントワープの凋落と関係があるのかも知れませんね.ただし調べてみると,1585年以降,人口は半減しましたが,旧教派の富裕層はこの地にとどまり,南ネーデルラントの輸出拠点として1700年頃には再びバロック文化が繁栄したことが分かりました.さすれば,バベルがあまり描かれなくなった理由はやはり流行り廃りということでしょうか.

 本編のウルフトの作品はブリューゲルI世から1世紀を経て,懐古趣味的かもしれませんが,ファン・クレーフの設定に,塔は台形の上に螺旋円錐とその周囲に小塔を配し,さらに上に四角柱ないし角錐をくみ上げ,立地にはローマ風の建物を随所に配置しています.ニムロデ王は描かれていますが,群集に紛れるかのようです.ファン・ウルフトはローマ風の建築のみならず,この地に集まった民の群像を描きたかったかもしれません.

 塔状の遺構としてはアレクサンドリア・ファロス島の灯台も有名であるが,8世紀末に地震で半壊したが高さ約134m,下層は四角柱,中層はやや細い八角柱,上層はさらに細い円柱形であったという.ミナレット(モスクにある礼拝告知のための塔)についても三層構造にその影響が想定されるが,全体の形状としては円柱型(トルコ以東),角柱型(シリア・北アフリカ)があり,尖塔のほか,イラクには9世紀半ばに建設されたマルウィヤ・ミナレットのように螺旋形のものが少数ある.

「バベルの塔」に関する文献
Helmut Minkowski, Vermutungen über den Turm zu Babel, 1991[独]
ボイマンス美術館展図録-別冊・バベルの塔をめぐって,セゾン美術館,1993年10月

16-17世紀のフランドルの画家に関する文献
Wied, Lucas und Marten van Valckenborch, 1990[独]
de Sauvigny, Jacob et Abel Grimmer, 1991 [仏]
Ertz, Josse de Momper, 1986[独]
Haerting, Frans FranckenII, 1989[独]
Hendrick van Cleve IIIについては,The Dictionary of Art, Vol.7,p.427,1996
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------


小塔のある塔の先端部分.細密描写である.この作品は水彩画なので油彩に比べてはるかに塗り直しが難しいことに注目すべきであろう.


奥に伸びた上り道の幅広い街路.この部分だけで人々の頭の数は90人近く,奥の2mmほどの線状の人を加えると120人を超える.さらに二階部分には40人足らずが蟻のように見えている.そうすると,この絵全体で何人の人が描かれているのだろうか?


レンガを焼く人々.炉の地面は斜面のようだ.奥には駱駝と象が見える.


こちらは石材を加工する人々.生き生きと描かれている.



左:設計図を見ながら工事の遅滞を詰るニムロデ王      右:風俗衣装が目を引く.青は鮮やかでウルトラマリンブルーか.


この作品は先に2012年の迎春ご挨拶として画像のみ提示しました.