泰西古典絵画紀行

オランダ絵画・古地図・天文学史の記事,旅行記等を紹介します.
無断で記事を転載される方がありますが,必ずご一報下さい.

春の東洋文庫ミュージアム

2012-03-25 21:16:57 | 地図・天文の展覧会/東洋文庫

 久しぶりに東洋文庫に行きました.現在「東インド会社とアジアの海賊」と題した企画展示が開催されています.聞くところによると3ヶ月毎に展示替え,毎月第二火曜に小展示替えがあるとのこと.


オリエントホールでは海賊の登場する書籍展示もありましたが,「山海経広注」という中国古代の歴史書の清朝1667年に注釈が付けられた書物には空想上の怪物が登場します.「形天-首は無く乳が目で臍が口,干戚を操り舞う」とのこと,これには思わず笑ってしまいました.腹踊りの見立てはいにしえからあったのですね.このほか,朝鮮の「大東輿地図」という1864年木版彩色の地図本から,ソウルの地図が展示されていました.


モリソン文庫では,シーボルトの著作の彩色絵図鑑が多数展示されています.日本動物誌の下の魚はチョウチョウウオですね.
最も目を引いた絵図はブログの最後に登場します.


ディスカバリールームにはオランダ東インド会社関連の書籍と地図.まずはブラウのアトラスから,大陸図のうち1635年の「アジア図」.文庫収蔵品は手彩色が極めて美しい.マージナル(小図の縁取り)には,上段にアジアの主要都市,両脇には人物風俗図が付くが,残念ながら日本の町と人は登場しません.


 モンタヌスの著作などが目白押しですが,有名なケンペルの「日本誌」は1728年のHistory of Japan 英語版の初版第二刷(第一刷は1727年.ちなみに仏訳・蘭訳は1729年,独訳は1779年).開かれたページはケンペル,将軍綱吉謁見の図.御簾の前に立って歌っているらしい.


 長崎出島の図や,蘭学書として「長崎見聞録」「西洋紀聞」「蘭学階梯」.白石の「西洋紀聞」はキリスト教に関する記述もあった事から刊行されず,展示されているのは没後の1804年の写本ですが,この後,日の目を見てゆくことになります.このほか北斎の「画本東都遊」から長崎の図等もあります.次回の小展示替えでは「紅毛雑話」が展示されるらしい.
 このほか,鄭成功関連の書籍(地球図・中国地図の収載で知られる「明清闘記」はありませんでした),長崎の異人と混血で生まれた「じゃがたらお春」(オランダ領のバタヴィア[現ジャカルタ]で日本こいしや....の「じゃがたら文」で有名です)やコルネリア・ファン・ネイエンローデの記事がパネル展示されていますが,「おてんば」という日本語がオランダ語のontembaar(手に負えない)がなまったものだとは初めて知りました.


モンタヌス「日本誌」収載の鹿児島図 右奥の山が櫻島らしいが対岸のはずで,想像上の産物.
反対の壁には「イギリス東インド会社とアジアの海賊」の展示が続きます.


岩崎文庫の国宝の間では「文選集注」が展示されていますが,これは日本で10世紀ごろに書写されたものだそうです.


 恒例の浮世絵の展示は,今年上半期は喜多川歌麿が中心とのこと.「御殿山の花見駕籠」 品川の海を見下ろす花見の名所にお姫様の一行が訪れたという設定で,歌麿逝去の前年の作だそうです.
 三枚の続き絵ですが,木版のオリジナルは向かって右の1点で,ほかは複製でした.良く出来ているのでルーペが無いと判じにくいのですが,以前述べたように線のエッジが甘く木版ほどのコントラストが無いことのほか,凸版だと桜の花がレリーフ状に浮き彫りになっているのですが(右の矢印拡大図),複製では平板です(左の矢印拡大図).
 たまたまここで3/24のガイドツアーに追いついたのですが,「極め付き」の語源について,刷り師がよく刷れた作品に極め印(右端)を付けたことによると説明され,得心しました.



 コーナー展示として1792年に制作された「英国大使マカートニーを謁見する乾隆帝」という版画がありますが,チラシにも使われているので紹介しておきます.三跪九叩頭の礼を拒み自国風の礼でもって国書を献じたものの貿易交渉は不調に終わった由.

 さて,モリソン文庫でその鮮やかさに目を奪われた作品はドノヴァン作「インド昆虫記」(1800年ロンドン刊).おそらく銅版に不透明水彩の彩色で描かれたものでしょうが,ウルトラマリンブルーと金彩でしょうか.

 帰りに立ち寄った六義園の枝垂桜はまだつぼみとのことでした.


「江戸時代の地図」展 東博

2012-03-18 13:03:44 | 地図・天文の展覧会/東洋文庫

 二月から雑事に忙殺され,体調もすぐれず長らく更新が滞ってしまいました.先週ようやく上野へ出かけたのですが,奇しくも1年前の3月11日のほぼ同時刻は国立西洋美術館に居ました.今年の3/11は穏やかな日で,昼はすいれんで食事をしてから,震災メモリアルとして常設展無料だったため,駆け足で回ってみました.

 
 かわり映えしない...とみるか,いつでも同じ作品に会えるとみるか,それはその人次第ですが,それでも蒐集品は少しずつ増加していて,昨年度の新収蔵品としてイタリア・盛期ルネサンスからは比較的小ぶりなカテーナの「聖母子と幼い洗礼者聖ヨハネ」(1512年頃)の静謐な板絵が立派な額縁と共に展示されていました.個人的にはタイトルは極力簡潔をもって尊びたいものですが.カテーナはベッリーニ様式から出発してジョルジョーネの影響を強く受けたといわれていますが,この作品のヴェネチア派らしい色遣いは確かにそうかも知れません.

 このほか風刺版画で有名なドーミエの油彩大作が加わっています.また,小企画展としてジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージの版画連作『牢獄』が展示されていました.
 主企画展のユベール・ロベール-時間の庭 展には寄りませんでしたが,絵画蒐集を始めた頃は風景画が中心でもあり「廃墟のロベール」の光と影にも強く惹かれました.フランスもの,建築との関連で西美には同館所蔵作品もあることから,企画されるべくしてなされたものなのでしょう.


 今回,上野に行くことにしたのは,たまたま東京国立博物館で「江戸時代の地図」と題する小展示があることをたまたま見知ったからで,すでに会期(2月14日~3月25日)は終盤でした.目録はこちら
 本館 特別1室には「日本図」と「道中図」が同館所蔵の重要文化財を中心に展示されています.


「中山道分間延絵図」(重文; 文化3(1806)年) 紙本・着色 寛政12年に江戸幕府が実態調査として「五街道其外分間延絵図並見取絵図」の制作を初め,7年後に完成したものの一つです.この部分には巣鴨村が描かれていますが,この先が板橋・・・大宮・・・と続きます.
 甲州道・日光道も合わせて巻頭部分が展示されていますが,なかでは「日光道中分間延絵図」(重文;文化3(1806)年)千住・・草加、越谷・・がお勧めとなっています.


「東海道分間之図」 遠近道印編・菱川師宣筆 元禄3(1690)年初版本 有名な地図製作者と浮世絵画家の合作による印刷物(刊本)で,このほか同じく合作による手彩色の「東海道置駅図」二帖も展示されています.

 周囲の壁には「日本地図」の大作が展示されています.ガラスとの距離があるので,細かいところが良く見えないのが残念ですね.


左:「日本航海図」(重文) 典型的な17世紀始めのポルトラーノ日本図ですが,書かれている地名は和文字の手書です.中に目盛りが描かれているだけのカルトゥーシュは「アジア航海図」にも似ており,和紙ではなくて輸入された角切りの羊皮紙に日本で描かれたものでしょう.
右:「新刻日本輿地路程全図」 いわゆる赤水図で,寛政三年(1791)版は長久保赤水が制作した日本図の完成版といわれています.これは実測ではないが,それまでの国図を組み合わせ制作されたもので,伊能図が幕末まで秘匿されたため,江戸後期を通して標準的な日本図として流布していました.展示されていたのは八丈島付近の図像から寛政三年版のうちでは後版でした.


伊能忠敬「日本沿海輿地図」 八枚のうち三河吉田藩主大河内家に伝来した東北と関東の中図(重文;19世紀初め) 鮮やかな色彩が印象的で,保存状態の良さがよく分かります. 右は関東図の江戸湾付近の拡大と,江戸付近の強拡大です.伊能図の作成においては原則として沿岸と街道筋の測量が中心でしたから,その部分の地名は大変詳細に書かれています.残念ながら遠眼鏡が無いとここまで見えません.


 特別2室のほうは,主に和製の「世界図」の展示です.


 「アジア航海図」(重文) 17世紀・羊皮紙に手彩色 この部屋では重文がこの地図だけとなっているのは,日本の文化財は日本固有のものに傾くとすれば,あるいは時代が古いほど価値があるとすれば,日本における江戸時代の世界図というその内容から考えれば仕方ないでしょう.


「西洋鍼路図」 17世紀初め・羊皮紙・手描手彩色 欧州製である


坤輿万国全図屏風」 マテオ・リッチの刊行原図をもとに18~19世紀に筆写され屏風に仕立てられた館蔵品で,手色彩が美しい.刊行図にはなかった地名などの記載があることから制作年代が下ることが分かる.中央左の中上に日本が白塗りで描かれているが,多くの日本の地名が描かれているのは注目すべき.坤輿万国全図の筆写図にはいくつかの系統があり,この図ではよくみると東日本の地名に誤記が多く,このことはこの屏風の製作者が関西在住であった可能性も考えさせよう.


左:「万国総図」17~18世紀 手彩色・軸装 坤輿万国全図をもとにしたもので,縦長の世界図として知られ,東が上になってる.正保二年版かと思うが,よく見えなかった.
:「南瞻部州万国掌菓之図」 宝永7(1710)年 よくみるとヒマラヤの「あのくだっち」という池では時計回りに牛・象・馬・獅子という四頭の動物の口から四筋の川が出ている.


左:「新訂坤輿略全図」新発田収蔵・嘉永5(1852)年 その詳細かつ最新の知識に基づき,和製卵型世界図の最後の輝きとされる.40x72.5cmの小品で,地名なども竹口貞斎によって非常に細かく木版で彫られているが,なかでも新発田の出身地である「佐渡」の「シュク子ギ」(宿根木)が存在を主張している.
右:「古今歴代中華地図」の一部 これはもともと「唐土歴代州郡沿革地図」として,長久保赤水が寛政元(1789)年[フランス革命と同年]に刊行したもので,古から清朝までの中国の時代地図を彩色を加えて地図帳仕立てにしたもので,このような試みは刊行本としては日本で始めてであった.同じく展示されている林子平の三国通覧の図に基づく「朝鮮琉球全図」同様,徳川宗敬氏の寄贈品である.じつはこれらは,赤水日本図や和蘭新訳地球全図のほか,越後図などを加えた六図一括で無刊記で刊行されていたもので,海野一隆氏も随所で述べられているように,寛政年間にいわゆる海賊版として制作されたものと考えられる.越後図があることから越後版とも呼ばれるらしい.

 たぶん世界図の方が好きなので,途中からつい文体がデアル調に変わってしまいました....


東洋文庫ミュージアム(3)

2012-01-05 00:43:49 | 地図・天文の展覧会/東洋文庫



 国宝ではありませんが,「国宝の間」の右の壁には東洋文庫が世界に誇る「東方見聞録」の世界最大のコレクション77種が展示されていますが,圧巻は台上右のモリソンの蒐集による1485年アントワープ刊のインキュナブラ(1500年までに活版印刷で製作された書籍のこと)で,ヴェラム(いわゆる羊皮紙)にラテン語で印刷されています.この書物はマルコ・ポーロが13世紀の終わりに獄中で口述したことは有名ですね.



 左手に置かれているのが国宝「史記」です.伝説の黄帝から前漢の武帝までの歴史を,漢代BC1世紀頃に書かれたものですが,この平安後期(1145)の写本が高山寺に伝わり,そこから東洋文庫には夏本紀・秦本紀が伝わっているそうです.現在の展示は秦本紀のほうで,全長14mのうち巻尾側10mが広げられていますが,BC221年に中国を統一した秦王「政」が称した諸王を統べる者,始「皇帝」という言葉が登場するのはその終わりだけですね.



 これが国宝に指定された所以の一つは,漢文訓読の読み下しにおけるヲコト点という符号の使用が読み仮名・送り仮名とともに中世12世紀の日本語の様態を知る手がかりとなることからだそうです.漢字の周囲にある赤い点々がヲコト点です.

 この右手には,私の好きな遠近道印(Ochikochi Douin)作「改撰江戸大絵図」の元禄十四(1701)年版が掛けられています.もともとは明暦の大火後の実測に基づき寛文10(1670)年から同13年に「新板江戸大絵図」「同外絵図」として五枚図として刊行され,一分五間,一間六尺五寸(京間)で1/3250の従来に比べ極めて正確な地図とされていますが,つなぎ合わせるとこの地図の倍のサイズでした.その後,この縮小版として地図の南東の隅に書かれているように一分十間積(づもり)約6500分の一の縮尺で,この「改撰江戸大絵図」が元禄2年以降何回も刊行されましたが,刊行回数については根拠となる資料を見つけられませんでした.


「改撰江戸大絵図」 西が上にくるように描かれているが便宜上北を上に展示 〇が中野犬屋敷 西を上に直して拡大

 将軍綱吉の時代,元禄8年中野に16万坪の「犬屋敷」が作られ,宝永6(1709)年死去の後,速やかに取り壊されました.元禄9年版から掲載されているのでこの地図にもそれが犬と共に描かれていますが,私の持っている正徳年間の版ではすでに跡形もありません.犬たちがどこに行ったのか心配です.


「諸国滝廻り」    「下野黒髪山きりふきの滝」とその拡大図 「木曽海道小野ノ瀑布」とその拡大図


 その右の壁には,浮世絵の小展示があり,現在は北斎の「諸国滝廻り」8枚が展示されています.といっても,オリジナルは2点で他は複製なのですが,照明も暗めなので違いがお分かりになりますか?

 心眼で見れば...木版の線の縁がオリジナルはシャープなのに対し複製印刷はややぼけているのが分かると思います.

 展示スペースはさほど広くはありませんが,一点一点その背景にまで思いを馳せながら回ると1時間以上かかるかもしれません.流れている音楽も不思議ですが,「回顧の路」に答えがあります.疲れたら,オリエントホールを右に出て「知恵の小路」からオリエント・カフェで休憩しましょう.小岩井牧場の経営とのことですが,この「岩」は岩崎の岩であることを今回初めて知りました.


東洋文庫ミュージアム(2)

2012-01-04 00:00:48 | 地図・天文の展覧会/東洋文庫

 この「モリソン文庫」の部屋を左に抜けた奥が「ディスカバリールーム」で,展示内容は年3回ほどの企画展になるとのこと.



 初回は①「激動の近代東アジア」として,左手の壁にはアヘン戦争関連として有名な「ネメシス号の中国船砲撃」の彩色銅版画42x60cm(色焼けしているようですが照明が暗いのはやむを得ない)が掛けられています.これは英国人ダンカンによるものですが,実際の光景ではなく印象的な想像図でしょう.この他,同戦争をテーマにした「海外新話」や,日本の開国にまつわる展示として「ぺリー久里浜上陸図」や「安政五箇国条約」などがケース展示されていました.


ネメシス号の中国船砲撃                ぺリー久里浜上陸図

 さらにその奥には辛亥革命百周年として孫文にまつわる特別展示とエンカウンタービジョンによる「解体新書」の解説と,デジタルブックによる「プチャーチン」「ビゴー風刺画」の展示がありましたがスキップしました.
 右手の壁には②「東アジアのキリスト教」として,まずアジア地図の展示があり,初めはオルテリウス版1570/4年刊でしたが,いまはモル版1760年刊になっています.細かいことですが,オルテリウスのアトラスに掲載されたアジア図には二つの版があって,その区別は日本の東の島La Farfanaが,1574-1641年まで刊行された第二版ではFが小文字のfarfanaに変わっていることだけで,そのため本図は第一版であることが分かりますが,刊行年は裏のテキストが何語版で書かれていて,その改行の形態がどうなっているかを見ないと特定は出来ません.それよりも,オルテリウス版と,その約100年後に製作されたモル版とで,日本の表現の違いを比較してみてください.前者では東・北日本が知られていなかったので,武蔵野国から西しか描かれていませんね.


オルテリウス版アジア図1570/4年刊 37x49cm  モル版アジア図1760年刊 58x97cm

 このほか,1655/9年のブラウ家による「中国新地図帖」が日本地図のところで開かれて展示されています.これは宣教師マルティーニの実地情報に基づき,西欧においては18世紀ダンヴィル図が作成されるまで中国地図の標準版となりました.余談になりますが,同館は地図コレクションも充実しており,オンラインで公開されています.


1655/9年のブラウ版「中国新地図帖」      壁に置かれたマリー・アントワネット旧蔵の「イエズス会士書簡集」 
 ガラス張りの書棚の中にはかのマリー・アントワネットが旧蔵していた1780年代パリ刊行の「イエズス会士書簡集」26巻本が,壁に配する形で展示されています.赤く染められた革装に金で3つの百合と王冠の紋章を配した豪華な装丁ですね.これらは17世紀末以来の世界各地に出向いたフランス人イエズス会宣教師による各国の事情報告を集大成したものですが,とくに中国については当時フランスが情報において先行していました.



 その下段には1686年独刊の「ルター訳聖書」,1600年スペイン語版の「ザヴィエルの生涯」,1583/4年にヴェネチアで刊行された「イエズス会士通信」はフロイスによる本能寺の変前後の日本と中国の情報を伝えるものでした.また,慶長10(1605)年の「サクラメンタ提要」は切支丹版と呼ばれ,長崎で活版印刷された珍品(切支丹版自体が30点ほどしか残っていないらしい)で,日本初の二色刷りでグレゴリオ聖歌が印刷されています.これは今回展示替えで,待望の「ドチリーナ・キリシタン」に変わりました.こちらも文禄元(1592)年天草で刊行された切支丹版で,現存1点の国の重文に指定されています.内容はキリスト教の教義Doctrinaですが,ローマ字読みです!



 この奥を抜けると「回顧の路」,不思議な雰囲気です.ここの左端にf770年に法隆寺などに寄進された百万塔とその「百万塔陀羅尼」があります.日本最古の印刷物ですね.木版で二種のお経が刷られていますが,版は一つではないようです.学芸員の方によると銅版という説もあるとのことですが....



 さらにすすむと河南省で出土した殷の時代の「甲骨卜辞片」はBC17-11世紀の動物の骨に彫られた象形文字,また建替え時に発掘された縄文土器と江戸の陶磁器のコラボ展示,その行き止まり右が「国宝の間」です.

・・・明日に続く


東洋文庫ミュージアム(1)

2012-01-03 00:00:46 | 地図・天文の展覧会/東洋文庫

 以前の建物はなかなか敷居が高い印象でご遠慮していましたが,昨秋に完全改築されモダン・テイストの建物になり,ミュージアムもオープンしたとのこと,早速師走に出かけてきました.同館のサイトや,東京人2011年12月号に特集記事が掲載されているので,関心のある方はそちらをご覧ください.とくに展示品の一部は比較的まめに展示換えされるようなので,サイトの「新しいおしらせ」で確認すると共に,ときに案内が遅れることもあるようですから,遠隔からお目当てがあってお越しになる場合には直接電話で問い合わされたほうが良いかもしれません.また,こちらの名品に習熟されている方は別ですが,一般の愛好家の方には「文庫員ガイドツアー」 が週1回ほど午後2時からありますので,ぜひ学芸員の方と一緒に回られることをお勧めします.理由は後述します.


東洋文庫外観                     オリエントホール

 同館は三菱創業家の三代目・岩崎久彌の現文京区本駒込に位置する別邸跡に建てられた,アジア関連を中心とした100万冊に及ぶ書籍(漢書・洋書・和書・他)と地図のコレクションを収蔵する図書館です.所蔵品は基本的にモリソン文庫(オーストラリア人の新聞記者で中国に駐在したG・E・モリソンの24000冊,故にカンガルーのブックプレートが見開きに張られている)と国宝5点・重要文化財7点を含む久彌の蒐集品・岩崎文庫が中心で,ミュージアムにはその中から選りすぐりの作品が展示されています.


2Fからみたオリエントホール                 ロビンソンクルーソー漂流記

 1Fエントランスを右に入ると,ロビーからミュージアムショップをぬけて大きなガラスのスライドドアがあり,その奥が展示室「オリエントホール」です.現在展示されている中では,「ロビンソンクルーソー漂流記」の初版と同年1719年ロンドンで刊行された本(なかなか表現が難しい)やアダム・スミスの「国富論」初版1776年刊本("an invisible hand"有名な「見えざる手」のくだりが展示されていて,確かに「神の」とは書かれていない)が目玉でしょう.


モリソン文庫

 この左手の直線の階段を上がって左が「モリソン文庫」です.三層から成る壮麗な書庫の空間に目を見張ります.その目線の高さに10個ほどのガラス張り展示ケースがあって,その中には古今東西の貴重書の名品が展示されています.じつは友の会に入会したので同館には先月三回訪問しているのですが,私は和本については初学者で,かつ初回訪問時には知識不足もあり,左奥正面向きのケースにある「徒然草」光悦本がこの中では最も貴重であることを知らず,写真にも収めませんでした.
 後でガイドツアーで学芸員の方に伺ったところによると,元和(1615-24)頃の製作で,雲母(キラ)摺りの見事な文様が鈍く輝く上に光悦自身の筆による草書を写した木版古活字で印刷されたという凝ったもので,印刷の不備があったところは,自筆で埋め立てあるそうです.その日は左頁が印刷,右頁は手書きでした.草書体にはつながった文字もあり,字の長さも異なるので,その古活字というのは大変イメージが沸きにくかったのですが,数文字を一つのブロックとしてあったりするらしく,それでは同じ言葉は同じスタイルにしたいというのがこの板のメリットだったのかと思って質問したのですが,同じ言葉を違うスタイルですってある部分もあるとのこと.結局,このようなつくり込みがどのようなメリットを意図してなされたのかは分からずじまいでした.どなたかご存知の方,ご教示いただければ幸甚です.現在は,同じ光悦本の「小倉百人一首」が展示されていますが,これも同じ装丁で色付きの料紙も使用されていて,伝承はこの一冊だけという逸品だそうです.

・・・明日に続く