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より多くの人々が
「今のままでは良くない」と感じるこの時を見送らず、
「では国のどこが不十分(未熟)であるか」
というポイントを明確にすべきだろう。
国民が
「仕事や金が無いからくれ。」
というところで終わってしまうのが一番いけない。
国が
蓄えがなくなるまで吐き出し続けるような愚策が
歓迎されることになってしまい、
国民が
「自分は仕事も得た。金も得た。だから、もういい。」
となってしまうとしたら、
それは一番避けなければならない事態である。
「原因を何と考え、その除去の為に何をするのか。」
「日本は、ゆくゆくどんな国になりたいのか。」
という基本的な部分をおざなりにしていると、
更なる混乱と悪政を招くだろう。
国の形を明確にして進む。
国の形を考えることを止めない、ということが
非常に重要である。
金勘定の経済論だけでは国は良くはならない。
経済力とは、本来
人間の生命力や、活力に根ざすものだ。
経済へ続く社会の津々浦々、小道の仕組みにも、
公平性や透明性が感じられなければ、
「適材適所」や、「努力が報われる社会」とは言えず、
国民の生命力や活力からは程遠い。
人間の(幸福に関する)心理を無視して、
絆創膏のように「金」で手当てをしたところで、
日本の民間力は正しく発揮されないだろう。