============================================================
≪原子力管理は命綱≫
原発全廃派の人が、
「人命の方が大事だ」と言っているのを聞きましたが、
全廃し、
日本に原子力管理能力がなくなりますと、
”国は壊滅、日本人は消滅”。
あっという間に根こそぎ絶えさせられるでしょう。
『”いつ反撃に出てくるかも知れない可能性”を示唆する科学力』を、
日本自身が保持していることが命綱なのです。
(ですから、
「日本人
(と、日本で平和に暮らしたい外国人)の生命を守れ」と思う人は、
『原発維持』を唱えるのが正しいのです。)
___ コメンテーターの視線を観よ ___
ニュースがあなたを誘導する時、コメンテーターや司会者は
原稿をなぞるように喋ります。
ですから、
彼らは個人としてモノを言うのではなく、
「このように言ってください」と言われたことを
”そのように言って”いるのです。
原発をめぐるヤラセ発言問題と、
昨今のメディアの有り方の、何が違うのでしょうか。
なぜ、
片方のケースは弾劾されるほど悪い行為であると云われながら、
もう片方のケース(メディアの有様)では、
”仕組まれた発言”や”世論誘導”が、
問われることなく容認されているのでしょうか。
あなたは、これについてどう思いますか。
私たちはミスリードされないように、
原発をテーマにした場合のみならず彼らの視線や動作をよくよく観察し、
”政治と癒着しない国民”の目線から行われることのない日本の報道の有様を、
日々確認し、
言論の自由(が生み出す相対的な国民の広い視野)が、
強制的かつ急速に狭められてゆこうとする有様を
認識するようにしましょう。
(そして世界へ、次世代へ、語り継いでいかなければならないのです。)
≪公務員犯罪を問え≫
増税しないことにはやって行けないかのように
繰り返し国会中継などで国民にスリコミが行われておりますが、
増税の必要性は、全くないのです。
(よく、漠然とした
観念的なフレーズを青写真的に掲げられますけれども、
観念的なフレーズというのは主観的なフレーズでもあり、
後々国民が
「増税したくせに約束違反じゃないか」と言ったところで、
「約束違反だとは思っていない。」などと言われる始末です。
ですから、「数字」です。
国民にとって今、何が、どういう数字であるものが、
何年後にはどういう数字となり、
その数字が
国民への公的サービスや環境などなどについて
どのように何が改善されたのかを
どのように示しているのか、という
具体的な「数値」を約束してもらわなければならないのです。
勿論その為には、
現状を表す数値が正確でないことにはどうしようもない。
ですから
データの取り方に意図的な操作を加える官僚や
データの取り方や推移に無頓着な政府には
国民の生命を預けることはできません。)
増税に関する議論
(「結論ありき」で、とても議論とは言えないが。)は、
『公務員犯罪を不問にして、
被害者である国民を洗脳し、国民に尻拭いをさせよう』という、
本末転倒な政策です。
それでもあくまでも公務員犯罪には触れずに増税洗脳を行うということは、
「そろそろ納得しろよ」
「本当はもう半分その気になっているんだろう」
「いつものように大人しく諦めればいいじゃないか」
「どーせ国民には何も出来ないのさ」と
薄笑いを浮かべて国民を愚弄しているのと同じです。
(「国民には何も出来ない」のではなく、
本来、日本は主権在民の国家でありますから、
政界が
社会の隅々まで熟知していなければならないはずですが、
彼らは
票や金にならない国民を無視して、意見を聞き入れないのです。
国民は
政党の党員やサポーターにならなくても、
また市民団体など立ち上げたりして政治活動を行わなくても、
ひとりひとりの意見が中央に届くようなシステムを
政府与党が構築しているべきなのです。
それについては以前このブログの中で
自民党を例に出して書きましたが、
未だに行われていないようです・・・・・。)
これを放置するとどうなるかと言いますと、
全国の地方行政に携わる、
地方公務員が外国籍の人々に次第にとって変わり、
繰り返し税金を食いものにしてゆきます。
しかも、
外国籍の地方公務員などによる公金横領などの、
被害が大きければ大きいほど、
かつ期間が長ければ長いほど、
「もう判らない」「証拠がない」
「犯人捜しより不足分を充当しないことには間に合わない」
と、年金問題のようなことになり、
増税を受け入れれば、永遠に
『日本人が穴埋めし、外国人の地方公務員が好きなだけ使いまくる』
という悪循環に入ります。
日本の民間人は、
『納税奴隷』か『納税する経済力も奪われた人々』のいづれかになります。
しかも
公務員がデモやストライキの権利を求めるという
とんでもない方向に向かっていますので、
それが認められようものならば、
民間人が大人しく税金を払って暮らしたところで、
地方公務員の勝手な政治的な都合によって
いつでも
業務・行政はストップされてしまい、
地方社会の機能は、一方的に止められてしまうことになります。
(デモやストライキをしたい人は、民間人になるべきです。)
このような未来を防ぐ為には、
・公務員犯罪を明らかにする
・公務員犯罪の刑罰を、民間人より厳しくする
・公務員は、
親の代から日本国籍を有し、
日本で生まれ育った日本国民しかなれないようにする。
・公務員のデモ・ストライキは認めない
などがあります。
≪定年後の優先的な再雇用のリスク≫
新卒者が就職できない、
一度会社を辞めると再就職できない、
という日本人社会の中で、
(日本国内には日本人社会以外の社会も有りますが、
多分このように打ち捨てられているのは
日本人社会と日系人社会ぐらいのものでは。)
一度就職した人は、定職にあぶれることのない人生。
片や、
就職できない人々の問題は放置
(どころか日本企業を国外へ出している始末)、
さらに
その傾向を拡大するがごとく、
ごく一部の有名企業などに働く民間人と公務員、の家庭に
たまたま生まれた子供たち・・・以外は進学もままならない
格差社会を加速させる政策ばかり、提案されています。
この問題を放置するとどうなるかと言いますと、
女子は海外へ出稼ぎに、
(90%ロクな仕事でないことだけは確か。
しかし、
釣り餌となるサクセス・ストーリー用の良いコースも
メディアによってコレミヨガシにされるでしょう。
引っ掛からないことです。)
男子は自衛隊などに入るしか生活できない、
(アメリカの貧困層のように)
ということになり、
結果、
国内に若い女子がいなくなり、
男子は
戦争や紛争の前線部隊に配属されるようなことになって
やはり国外へ出て行ってしまい、
親の面倒を見たり、
文化・伝統を継承したりする人々がいなくなります。
日本文化は、
日本で裕福に暮らす外国人などが
いつの間にか本家本元であったかのように継承してしまい、
日本民族は事実上の滅亡へ。
(その計画に合わせて歴史も作り変えられ。)
さぁ、
あなたは、このことについて、どう思いますか。
≪後発医薬品/ジェネリックと罠≫
後発剤は安くて、一見、患者にとって有り難い物ですが、
成分が同じであるから同じ効き目である
(=同じ副作用である)ということは、言い切れません。
例えば外国の会社の後発剤だった場合、
どのような衛生環境の中で、
どのような手順によって、
ナニジンによって作られたものであるかということは
全く不明なわけです。
(それでも「薬剤の成分」は、確かに同じな訳です。)
ですから、
価格が安くても、
効果や副作用の程度が、
かつて知ったるものと同等であるということは言い切れません。
なるべく国内企業のものを使った方が
衛生的には安心ではないかと考える医者も多く、
また
国内の、または日本企業の商品を日本人が選ぶことで、
国内から医薬品会社がなくならないように
要請する意味もありますので、
薬剤を選定する際は、
どこのどういった会社のものであるか、ということに
ひとりひとりが関心を持つようにしたいものです。
そして国内の医薬品メーカーは、
衛生的で進歩的、かつユーザーの信頼を裏切らないように
努めていただければと願います。
≪TPP/各国が日本に何を求めているか≫
野田総理がやたらと
「各国が日本に求めているのは何なのか」と言いますけれども、
(それ以前に、
国民が求めていることが何なのかを
主権在民である日本で、
どうして真剣に聞こうとしないのか、不思議でなりません。
憲法違反は続くよ、どこまでも・・・。)
「日本はこうしたい。このように進む。こう在ろうとする。」
というものを何もなくして、
一切の青写真を国民に示さぬままに、
野田総理のように、ただ
「世界の皆さん、私に何を望みますか~?」
などと言ってるおめでたい国を
あなたは見たことがあるでしょうか?
日本は、いつ、番頭サンか便利屋サンになったのでしょうか。
先人から引き継いだはずの
国家の意志・配慮などを棄ててまで。
もしも諸外国に何かを強く要求されたら、
何でもハイハイ言うつもりでしょうか。
「そんな国は無かったということにしてくれ」と言われたら
「ハイハイ、日本なんて国は、最初からありませんでした」とでも
言うのでしょうか。
また、国民に説明なくして
共和国や社会主義国家の体制をさっさと作りあげてしまおうとする
その姿勢。
まったく、『日本を愛する国民に対する誠意』が1ミリもありません。
このような首相ばかり排出する民主党、
そして現在の野田内閣に、
『何が日本の国益であるか』を見極める力があるとは、到底思えません。
あなたは、どう思いますか。
≪イラン制裁を強要するアメリカ≫
日本がどの国と、どう付き合おうと、日本の自由です。
同時に、
『”世界を結ぶひとつのメディア”が報じる対立関係、とは何か』
ということについて、
日本は気付くべきです。
それに気づくことは、
『同盟関係とは何であったか』に気付くことと、同じ意味です。
≪情けは人の為ならず、明日は我が身≫
中国・朝鮮(韓国・北朝鮮)・日本。
「それぞれの関係は、悪化しなければならない。
そして互いに残酷に滅ぼし合わなければならない。
それが残酷であればあるほど、
憎み合えば憎み合うほど面白い。
黄色人種は劣等民族だから、きっと仕組んだ通りに動くに違いない。」
・・・というのが、
誰かが決めた台本なわけですね。
(世界的に、
近隣諸国とは憎み合うように憎み合うように
セッティングされています。
そして本当に双方が憎しみ合った時、
それを企画した勢力が、
そのうちの片方と手を組みます。)
それぞれが孤独で、疑心暗鬼で、それぞれに憎み合い、
まかり間違っても決して助け合ったり、一丸となることのないように、
何もかもお膳立てするように、ニュースは作られてゆきます。
ですから、
関係を悪化させるようなニュースが流される時は、
「誰かが両国が近づけないようにしようとしている」
という見方も必要でしょう。
または、
「特別な接触はしていない。特別な変更は行われない。」という、
当事者国以外の第三者的な諸外国に向けた
合図用ニュースかも知れません。
(度々触れてきましたように、
たかが合図の為に有色人種が殺されてゆきます。)
しかし、
中国の中の新しい世代、
私が勝手に言うところの『本物の中国』、
そして、
日本と友達のようでありたいと率直に考えた
韓国の中の『若い韓国』、
すべての罠から解き放たれれば、
憎み合う必要のないことを知っている、
『北朝鮮内外にある北朝鮮』、
こうした人々は、
政財界がどうであっても、
世界を結ぶひとつのメディアが何を言っても、
はたまた
自分の中の、何か、しっくり来ない感じを
自分の言葉で説明出来なかったとしても、
何かがおかしい・奇妙だ、と震えていた
自分の内にある基軸の感性の確かさに、
今は合点がいっているのではないでしょうか。
加害者のように、
被害者のように、
様々な有色人種の国々が役割を与えられ、
今も弄ばれておりますけれども、
本来の各々の姿へと、
どこかでリセットすることが必要だと思うのならば、
現在、
加害者的な役割で動かされている国々も、
被害国として破壊されゆく私たちも、
いつの時代も、
その希望と可能性を棄てる必要はない、と
私は考えます。
≪京都議定書≫
カナダに「過去の遺物だ」と言われたようですが。
過去に作ったものですから。
ナンボでも書き加え、
時代の変遷を残して成長させれば良いわけです。
一度作ったものに手を加えちゃいかん、
ということはないのですから。
(より良いものを求めて
手を加えることがダメなのだとしたら、
では、
なんでもかなんでも
「削除(訂正でなしに)」「抹消」するのは良いのか、
という新しい疑問が生じます。)
なぜ
(『京都議定書』は手を加えてはならず、
消滅させなければならず、)
今後は
『京都議定書』でもなく「COP17」でもない、
新しい枠組みを作らなければならないのか?
まったく意味不明です。
すでに同じ目的の『京都議定書』と「COP17」が
ダブッていること自体おかしいのですが、
「COP17」が適応できない流れであるならば、
日本の
「もったいない精神」=「大切にする精神」を発揮し、
日本の地名の入った『京都議定書』へと、
会議の舞台を差し戻して、
内容を追記・改定することで、
日本発のこの議定書を、大事に積み上げ成長させてゆけば良いのです。
しかし、
もしも、
”日本自体が世界の歴史から消えるのだから、
京都議定書に差し戻さないようにしよう”
という勢力が世界にあるとしたら、
『京都議定書』への差し戻しに、何が何でも反対するはずですね。
ですから日本政府が、
敢えて
差し戻しを提案することによって、
日本国民に、世界の有様を見せれば良いのです。
(しかし、そのようなことが出来ないように、
日本自身が『京都議定書』に反対するようにさせられているわけです。
ハタから見ると、日本は、
自分で自分の歴史を消そうとしているのも同然なのですから、
なんともおめでたい国だと嗤われても仕方がありません。
淡々と
ニッポンのリズムを永く刻んできた私たちの遺伝子時計に反するかのような
まことに非・日本的な、自壊的な外交です。)
≪大阪の物語≫
大阪に改革物語が出来上がっても、『物語』に過ぎないでしょう。
韓国が日本潰しの東アジアセンターにされてしまったように、
大阪は日本を共和国にする為のセンター。
その機能を果たす為には、
大阪が日本の首都になるのが一番、日本を潰したい勢力にとっては
使い勝手が良いのですから、
その方向へと持って行くでしょう。
今、もう、全国放送の解説者や研究者などは
関西系の学者のキャスティングが圧倒的になっていますから、
皆さんにも、その手法が確認できるでしょう。
≪戦闘機≫
開発中の、何かと性能の定かではない米国製ステルス機か、
EU開発のステルス戦闘機か、
ステルス機ではない古いアメリカの戦闘機か、
という選択肢から選ぶようですが、
大臣は何を選ぶのでしょうか。
何度も言いますが、
日本は、
独自開発の戦闘機に乗るべきです。
(一体この数年間、何をしていたのか。)
どの戦闘機を買いましても、性能はツツヌケです。
行動予定もツツヌケですから
ステルスか否かということも
イザという時には、あまり意味はないのです。
高い金を出すだけ無駄でしょう。
購入後、
日本独自の技術で改良するか、
購入しても実践では使わない。ぐらいの心づもりが必要です。
あくまでも独自開発の戦闘機に拘るべきです。
そして、それとは別に、
日本の使命、
「平」と「和」の活動を、世界に広げるべきです。
自衛隊が、さまざまな、
『作られた紛争』によって
誘き出されることのないように。
--------------------------------------------
ところで、
「世界を結ぶひとつのメディア」の手法が変わりましたね。
あなたは気づきましたか?
結局のところ、
誰が何といおうと、
日本を分裂させて共和国制にし、社会主義国にし、
ひとつひとつが他国の植民地として組み敷かれる為の、
『外圧による日本作り変え』に向けて
民主党政治が指揮を取ることは、止めない、
という姿勢で一貫しています。
反対意見についても紹介するようになったから、
前より何かが良くなっている、などとは思わないことです。
それは『ガス抜き』や『目くらまし』の類であって、
実際にやっていることは、
たとえミテクレやキコエが違っても、
『誰が何を言っても日本を終了させる』という、
ただ、その一点に集約されるようなことばかりが
国民を無視して強制的に、
計画されたり法案化されたり判決が出されたりしているわけです。
また、海外のニュースについても、
私たちは既に、大いなる作り物を観ています。
あなたは気が付きましたか?
ニュースといえば、
国際関係においても
国内問題においても、
あっちもこっちもモメてばかりいて、時にマヌケでさえあります。
これはなぜかと申しますと、
トントン拍子に物事が解決し、次々と進みましたら、
その後は冷静に
日本国民の意見に耳を傾けなければならなくなってしまうからですね。
「それどころじゃないよ」
「今こっちの件に追われてて」
というスタンスで、
『まとまった票も金もない日本国民は無視』を続けるわけです。
それでもニュースの時間の間が持たない時は、
日本の内政ニュースでは「国民の知る権利」を無視しつつ、
海外のニュースをやたらと詳しく取り上げて時間を埋めます。
ひとつのメディアの視点から・・・。
さて、
あなたは、これについて、どう思いますか。
---------------------------------------------
それでは
引き続き、
本日も、あなたと未来を訪ねてみましょう・・・・・。
≪原子力管理は命綱≫
原発全廃派の人が、
「人命の方が大事だ」と言っているのを聞きましたが、
全廃し、
日本に原子力管理能力がなくなりますと、
”国は壊滅、日本人は消滅”。
あっという間に根こそぎ絶えさせられるでしょう。
『”いつ反撃に出てくるかも知れない可能性”を示唆する科学力』を、
日本自身が保持していることが命綱なのです。
(ですから、
「日本人
(と、日本で平和に暮らしたい外国人)の生命を守れ」と思う人は、
『原発維持』を唱えるのが正しいのです。)
___ コメンテーターの視線を観よ ___
ニュースがあなたを誘導する時、コメンテーターや司会者は
原稿をなぞるように喋ります。
ですから、
彼らは個人としてモノを言うのではなく、
「このように言ってください」と言われたことを
”そのように言って”いるのです。
原発をめぐるヤラセ発言問題と、
昨今のメディアの有り方の、何が違うのでしょうか。
なぜ、
片方のケースは弾劾されるほど悪い行為であると云われながら、
もう片方のケース(メディアの有様)では、
”仕組まれた発言”や”世論誘導”が、
問われることなく容認されているのでしょうか。
あなたは、これについてどう思いますか。
私たちはミスリードされないように、
原発をテーマにした場合のみならず彼らの視線や動作をよくよく観察し、
”政治と癒着しない国民”の目線から行われることのない日本の報道の有様を、
日々確認し、
言論の自由(が生み出す相対的な国民の広い視野)が、
強制的かつ急速に狭められてゆこうとする有様を
認識するようにしましょう。
(そして世界へ、次世代へ、語り継いでいかなければならないのです。)
≪公務員犯罪を問え≫
増税しないことにはやって行けないかのように
繰り返し国会中継などで国民にスリコミが行われておりますが、
増税の必要性は、全くないのです。
(よく、漠然とした
観念的なフレーズを青写真的に掲げられますけれども、
観念的なフレーズというのは主観的なフレーズでもあり、
後々国民が
「増税したくせに約束違反じゃないか」と言ったところで、
「約束違反だとは思っていない。」などと言われる始末です。
ですから、「数字」です。
国民にとって今、何が、どういう数字であるものが、
何年後にはどういう数字となり、
その数字が
国民への公的サービスや環境などなどについて
どのように何が改善されたのかを
どのように示しているのか、という
具体的な「数値」を約束してもらわなければならないのです。
勿論その為には、
現状を表す数値が正確でないことにはどうしようもない。
ですから
データの取り方に意図的な操作を加える官僚や
データの取り方や推移に無頓着な政府には
国民の生命を預けることはできません。)
増税に関する議論
(「結論ありき」で、とても議論とは言えないが。)は、
『公務員犯罪を不問にして、
被害者である国民を洗脳し、国民に尻拭いをさせよう』という、
本末転倒な政策です。
それでもあくまでも公務員犯罪には触れずに増税洗脳を行うということは、
「そろそろ納得しろよ」
「本当はもう半分その気になっているんだろう」
「いつものように大人しく諦めればいいじゃないか」
「どーせ国民には何も出来ないのさ」と
薄笑いを浮かべて国民を愚弄しているのと同じです。
(「国民には何も出来ない」のではなく、
本来、日本は主権在民の国家でありますから、
政界が
社会の隅々まで熟知していなければならないはずですが、
彼らは
票や金にならない国民を無視して、意見を聞き入れないのです。
国民は
政党の党員やサポーターにならなくても、
また市民団体など立ち上げたりして政治活動を行わなくても、
ひとりひとりの意見が中央に届くようなシステムを
政府与党が構築しているべきなのです。
それについては以前このブログの中で
自民党を例に出して書きましたが、
未だに行われていないようです・・・・・。)
これを放置するとどうなるかと言いますと、
全国の地方行政に携わる、
地方公務員が外国籍の人々に次第にとって変わり、
繰り返し税金を食いものにしてゆきます。
しかも、
外国籍の地方公務員などによる公金横領などの、
被害が大きければ大きいほど、
かつ期間が長ければ長いほど、
「もう判らない」「証拠がない」
「犯人捜しより不足分を充当しないことには間に合わない」
と、年金問題のようなことになり、
増税を受け入れれば、永遠に
『日本人が穴埋めし、外国人の地方公務員が好きなだけ使いまくる』
という悪循環に入ります。
日本の民間人は、
『納税奴隷』か『納税する経済力も奪われた人々』のいづれかになります。
しかも
公務員がデモやストライキの権利を求めるという
とんでもない方向に向かっていますので、
それが認められようものならば、
民間人が大人しく税金を払って暮らしたところで、
地方公務員の勝手な政治的な都合によって
いつでも
業務・行政はストップされてしまい、
地方社会の機能は、一方的に止められてしまうことになります。
(デモやストライキをしたい人は、民間人になるべきです。)
このような未来を防ぐ為には、
・公務員犯罪を明らかにする
・公務員犯罪の刑罰を、民間人より厳しくする
・公務員は、
親の代から日本国籍を有し、
日本で生まれ育った日本国民しかなれないようにする。
・公務員のデモ・ストライキは認めない
などがあります。
≪定年後の優先的な再雇用のリスク≫
新卒者が就職できない、
一度会社を辞めると再就職できない、
という日本人社会の中で、
(日本国内には日本人社会以外の社会も有りますが、
多分このように打ち捨てられているのは
日本人社会と日系人社会ぐらいのものでは。)
一度就職した人は、定職にあぶれることのない人生。
片や、
就職できない人々の問題は放置
(どころか日本企業を国外へ出している始末)、
さらに
その傾向を拡大するがごとく、
ごく一部の有名企業などに働く民間人と公務員、の家庭に
たまたま生まれた子供たち・・・以外は進学もままならない
格差社会を加速させる政策ばかり、提案されています。
この問題を放置するとどうなるかと言いますと、
女子は海外へ出稼ぎに、
(90%ロクな仕事でないことだけは確か。
しかし、
釣り餌となるサクセス・ストーリー用の良いコースも
メディアによってコレミヨガシにされるでしょう。
引っ掛からないことです。)
男子は自衛隊などに入るしか生活できない、
(アメリカの貧困層のように)
ということになり、
結果、
国内に若い女子がいなくなり、
男子は
戦争や紛争の前線部隊に配属されるようなことになって
やはり国外へ出て行ってしまい、
親の面倒を見たり、
文化・伝統を継承したりする人々がいなくなります。
日本文化は、
日本で裕福に暮らす外国人などが
いつの間にか本家本元であったかのように継承してしまい、
日本民族は事実上の滅亡へ。
(その計画に合わせて歴史も作り変えられ。)
さぁ、
あなたは、このことについて、どう思いますか。
≪後発医薬品/ジェネリックと罠≫
後発剤は安くて、一見、患者にとって有り難い物ですが、
成分が同じであるから同じ効き目である
(=同じ副作用である)ということは、言い切れません。
例えば外国の会社の後発剤だった場合、
どのような衛生環境の中で、
どのような手順によって、
ナニジンによって作られたものであるかということは
全く不明なわけです。
(それでも「薬剤の成分」は、確かに同じな訳です。)
ですから、
価格が安くても、
効果や副作用の程度が、
かつて知ったるものと同等であるということは言い切れません。
なるべく国内企業のものを使った方が
衛生的には安心ではないかと考える医者も多く、
また
国内の、または日本企業の商品を日本人が選ぶことで、
国内から医薬品会社がなくならないように
要請する意味もありますので、
薬剤を選定する際は、
どこのどういった会社のものであるか、ということに
ひとりひとりが関心を持つようにしたいものです。
そして国内の医薬品メーカーは、
衛生的で進歩的、かつユーザーの信頼を裏切らないように
努めていただければと願います。
≪TPP/各国が日本に何を求めているか≫
野田総理がやたらと
「各国が日本に求めているのは何なのか」と言いますけれども、
(それ以前に、
国民が求めていることが何なのかを
主権在民である日本で、
どうして真剣に聞こうとしないのか、不思議でなりません。
憲法違反は続くよ、どこまでも・・・。)
「日本はこうしたい。このように進む。こう在ろうとする。」
というものを何もなくして、
一切の青写真を国民に示さぬままに、
野田総理のように、ただ
「世界の皆さん、私に何を望みますか~?」
などと言ってるおめでたい国を
あなたは見たことがあるでしょうか?
日本は、いつ、番頭サンか便利屋サンになったのでしょうか。
先人から引き継いだはずの
国家の意志・配慮などを棄ててまで。
もしも諸外国に何かを強く要求されたら、
何でもハイハイ言うつもりでしょうか。
「そんな国は無かったということにしてくれ」と言われたら
「ハイハイ、日本なんて国は、最初からありませんでした」とでも
言うのでしょうか。
また、国民に説明なくして
共和国や社会主義国家の体制をさっさと作りあげてしまおうとする
その姿勢。
まったく、『日本を愛する国民に対する誠意』が1ミリもありません。
このような首相ばかり排出する民主党、
そして現在の野田内閣に、
『何が日本の国益であるか』を見極める力があるとは、到底思えません。
あなたは、どう思いますか。
≪イラン制裁を強要するアメリカ≫
日本がどの国と、どう付き合おうと、日本の自由です。
同時に、
『”世界を結ぶひとつのメディア”が報じる対立関係、とは何か』
ということについて、
日本は気付くべきです。
それに気づくことは、
『同盟関係とは何であったか』に気付くことと、同じ意味です。
≪情けは人の為ならず、明日は我が身≫
中国・朝鮮(韓国・北朝鮮)・日本。
「それぞれの関係は、悪化しなければならない。
そして互いに残酷に滅ぼし合わなければならない。
それが残酷であればあるほど、
憎み合えば憎み合うほど面白い。
黄色人種は劣等民族だから、きっと仕組んだ通りに動くに違いない。」
・・・というのが、
誰かが決めた台本なわけですね。
(世界的に、
近隣諸国とは憎み合うように憎み合うように
セッティングされています。
そして本当に双方が憎しみ合った時、
それを企画した勢力が、
そのうちの片方と手を組みます。)
それぞれが孤独で、疑心暗鬼で、それぞれに憎み合い、
まかり間違っても決して助け合ったり、一丸となることのないように、
何もかもお膳立てするように、ニュースは作られてゆきます。
ですから、
関係を悪化させるようなニュースが流される時は、
「誰かが両国が近づけないようにしようとしている」
という見方も必要でしょう。
または、
「特別な接触はしていない。特別な変更は行われない。」という、
当事者国以外の第三者的な諸外国に向けた
合図用ニュースかも知れません。
(度々触れてきましたように、
たかが合図の為に有色人種が殺されてゆきます。)
しかし、
中国の中の新しい世代、
私が勝手に言うところの『本物の中国』、
そして、
日本と友達のようでありたいと率直に考えた
韓国の中の『若い韓国』、
すべての罠から解き放たれれば、
憎み合う必要のないことを知っている、
『北朝鮮内外にある北朝鮮』、
こうした人々は、
政財界がどうであっても、
世界を結ぶひとつのメディアが何を言っても、
はたまた
自分の中の、何か、しっくり来ない感じを
自分の言葉で説明出来なかったとしても、
何かがおかしい・奇妙だ、と震えていた
自分の内にある基軸の感性の確かさに、
今は合点がいっているのではないでしょうか。
加害者のように、
被害者のように、
様々な有色人種の国々が役割を与えられ、
今も弄ばれておりますけれども、
本来の各々の姿へと、
どこかでリセットすることが必要だと思うのならば、
現在、
加害者的な役割で動かされている国々も、
被害国として破壊されゆく私たちも、
いつの時代も、
その希望と可能性を棄てる必要はない、と
私は考えます。
≪京都議定書≫
カナダに「過去の遺物だ」と言われたようですが。
過去に作ったものですから。
ナンボでも書き加え、
時代の変遷を残して成長させれば良いわけです。
一度作ったものに手を加えちゃいかん、
ということはないのですから。
(より良いものを求めて
手を加えることがダメなのだとしたら、
では、
なんでもかなんでも
「削除(訂正でなしに)」「抹消」するのは良いのか、
という新しい疑問が生じます。)
なぜ
(『京都議定書』は手を加えてはならず、
消滅させなければならず、)
今後は
『京都議定書』でもなく「COP17」でもない、
新しい枠組みを作らなければならないのか?
まったく意味不明です。
すでに同じ目的の『京都議定書』と「COP17」が
ダブッていること自体おかしいのですが、
「COP17」が適応できない流れであるならば、
日本の
「もったいない精神」=「大切にする精神」を発揮し、
日本の地名の入った『京都議定書』へと、
会議の舞台を差し戻して、
内容を追記・改定することで、
日本発のこの議定書を、大事に積み上げ成長させてゆけば良いのです。
しかし、
もしも、
”日本自体が世界の歴史から消えるのだから、
京都議定書に差し戻さないようにしよう”
という勢力が世界にあるとしたら、
『京都議定書』への差し戻しに、何が何でも反対するはずですね。
ですから日本政府が、
敢えて
差し戻しを提案することによって、
日本国民に、世界の有様を見せれば良いのです。
(しかし、そのようなことが出来ないように、
日本自身が『京都議定書』に反対するようにさせられているわけです。
ハタから見ると、日本は、
自分で自分の歴史を消そうとしているのも同然なのですから、
なんともおめでたい国だと嗤われても仕方がありません。
淡々と
ニッポンのリズムを永く刻んできた私たちの遺伝子時計に反するかのような
まことに非・日本的な、自壊的な外交です。)
≪大阪の物語≫
大阪に改革物語が出来上がっても、『物語』に過ぎないでしょう。
韓国が日本潰しの東アジアセンターにされてしまったように、
大阪は日本を共和国にする為のセンター。
その機能を果たす為には、
大阪が日本の首都になるのが一番、日本を潰したい勢力にとっては
使い勝手が良いのですから、
その方向へと持って行くでしょう。
今、もう、全国放送の解説者や研究者などは
関西系の学者のキャスティングが圧倒的になっていますから、
皆さんにも、その手法が確認できるでしょう。
≪戦闘機≫
開発中の、何かと性能の定かではない米国製ステルス機か、
EU開発のステルス戦闘機か、
ステルス機ではない古いアメリカの戦闘機か、
という選択肢から選ぶようですが、
大臣は何を選ぶのでしょうか。
何度も言いますが、
日本は、
独自開発の戦闘機に乗るべきです。
(一体この数年間、何をしていたのか。)
どの戦闘機を買いましても、性能はツツヌケです。
行動予定もツツヌケですから
ステルスか否かということも
イザという時には、あまり意味はないのです。
高い金を出すだけ無駄でしょう。
購入後、
日本独自の技術で改良するか、
購入しても実践では使わない。ぐらいの心づもりが必要です。
あくまでも独自開発の戦闘機に拘るべきです。
そして、それとは別に、
日本の使命、
「平」と「和」の活動を、世界に広げるべきです。
自衛隊が、さまざまな、
『作られた紛争』によって
誘き出されることのないように。
--------------------------------------------
ところで、
「世界を結ぶひとつのメディア」の手法が変わりましたね。
あなたは気づきましたか?
結局のところ、
誰が何といおうと、
日本を分裂させて共和国制にし、社会主義国にし、
ひとつひとつが他国の植民地として組み敷かれる為の、
『外圧による日本作り変え』に向けて
民主党政治が指揮を取ることは、止めない、
という姿勢で一貫しています。
反対意見についても紹介するようになったから、
前より何かが良くなっている、などとは思わないことです。
それは『ガス抜き』や『目くらまし』の類であって、
実際にやっていることは、
たとえミテクレやキコエが違っても、
『誰が何を言っても日本を終了させる』という、
ただ、その一点に集約されるようなことばかりが
国民を無視して強制的に、
計画されたり法案化されたり判決が出されたりしているわけです。
また、海外のニュースについても、
私たちは既に、大いなる作り物を観ています。
あなたは気が付きましたか?
ニュースといえば、
国際関係においても
国内問題においても、
あっちもこっちもモメてばかりいて、時にマヌケでさえあります。
これはなぜかと申しますと、
トントン拍子に物事が解決し、次々と進みましたら、
その後は冷静に
日本国民の意見に耳を傾けなければならなくなってしまうからですね。
「それどころじゃないよ」
「今こっちの件に追われてて」
というスタンスで、
『まとまった票も金もない日本国民は無視』を続けるわけです。
それでもニュースの時間の間が持たない時は、
日本の内政ニュースでは「国民の知る権利」を無視しつつ、
海外のニュースをやたらと詳しく取り上げて時間を埋めます。
ひとつのメディアの視点から・・・。
さて、
あなたは、これについて、どう思いますか。
---------------------------------------------
それでは
引き続き、
本日も、あなたと未来を訪ねてみましょう・・・・・。