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徒然綴り・・・歌詞&ひとり言

選挙に行かないでください -その7-

2013年06月16日 15時15分49秒 | Weblog
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■『原子力規制委員会』関連ニュースから生じる謎

調査に入った原子力発電所のシステムが
新しい安全基準にそぐわない時、

その原発の稼働・再稼働が中止され、
廃炉になるのが当たり前であるかのように
なんとなく聞き流してしまいがちな原発問題ですが、

この話、
ちょっと冷静に考えてみると、不思議ですよね。

『新しい安全基準』があるのであれば、
日本国中、全基、

『新しい安全基準』に沿って必要な手立てを急ぎ、
再稼働ありきで計画すれば良いのです。

しかし、逆に
『廃炉ありき』でメディアが宣伝しますので、
「原発」イコール「悪」みたいになっています。

廃炉が決定されると、
使えない原発の為に、
完全に廃炉となるその日まで、
数十年もズルズルと、
税金を注ぎ込まなければならないのです。

(賠償問題も、
年限もなくいつまでも続くように決められたようですので、
結局は一般人の電気料や税金が値上げされて
賠償に回されるしかなくなります)

その上、
環境エネルギー、クリーン・エネルギー、
エコだ・グリーンだ・なんだのと、
不安定で高価な電力を買わされます。

其の為に広い土地も企業に持って行かれます。
(その企業が外国勢力だったりします)

より不便な生活を、
今までの何倍もの犠牲を払って、
なおかつ高価な金額を支払って、
買うようなものです。


繰り返しますが、そんなに確かな安全基準があるのならば、
そのように改修して稼働する、と。

そうしないで原発インフラを輸出する、というのでは
どうにも整合性がありません。

(既に原子力技術を持っていて、
核兵器も持っているインドなどに
インフラ輸出を急ぐ意味も分かりにくいと言えます。

→これは「必要性」でなく、「政治的な」インフラ輸出。)


今以上にライフラインが高価になって不安定になって、
税金はあれこれ上がり続け、
日本人の失業率は上がり続け、
国民の預貯金も人質に取られ、
貧困層は病院にも行けなくなり
(副作用や中毒性を覚悟して自分で薬品を購入するようになり)
国内で作った食品はみんな海外用の輸出品となり、
日本人が食べるものは安全性や原料について
よく判らない輸入品や加工品だけになり、
経済格差が学歴格差を固定するようになり、
「一部の大学+企業+行政サイド」の中に入れない人々は
一生、学業においても雇用においても平等の機会は与えられず、
結婚できない日本人男性。
憲法改定によって戦争に積極参加する国になり、
お金の為に自衛隊員になって前線に行かされる、
ということになり、
(或いは自衛隊とは別の国防軍が組織される案も有り。)
矛盾と悪循環の塊のような国の有様になってしまいます。


まだまだ多くの事が既に予告されています。

そのような未来を待ち望む国民がいますでしょうか?


■『法の支配』

以前にも書きましたが、
また「法の支配」というフレーズが多用されていますので
再び書きます。

『法』は、
人間の幸福、
平等な権利などの為に敷かれる『公平な筋道』・『秩序』であり、
「人々を支配する為の道具」ではありません。

「支配」するような『法』の根拠には、
「愛」も「良心」も「道徳」も「忠恕」も「自由」も有りません。

誰かにとって、「都合が良いのか・悪いのか」
誰かにとって、「損をするのか・得をするのか」
誰かにとって、「簡単なのか・面倒なのか」
というような判断基準があるだけでしょう。

とにかく311以降、
(2010年以降でも良いですが)、
この力技の
世界攪乱を起こしている勢力の源のところに、

なんだか判りませんが
非常に怠け体質っぽい、

「めんどくさいから殺してしまえ」というような、

ものすごく荒らくれた潮流があります。

多くの日本人には到底受け入れられない風潮と思います。

そういう一方的な暴力的な巨大竜巻のような勢力が
世界中を次々となぎ倒すような世界統一を
肯定するような『法の支配』ではなく、

人々・個々・民族・地域・国家などにとって
「対等」や「平等」や「公平」を感じさせるものでなければ、
意味がないでしょう。

支配する為の道具としてのみ法があるのならば、
その法によって不当に縛られる人々は、
拷問に遭っているのと同じ傷みを負うでしょう。

『法』を作り出す人々の、
「愛」と「良心」と「道徳」と「忠恕」と「自由」に関する
見識や、
個々の人間性が、
問われる時代に突入したのです。


■『自衛隊・国防軍・革命軍・武器』


先程も触れましたけれども、
日本人を貧困層に閉じ込めることによって、
戦争がしやすくなります。

(戦争という理由づけによって、
特定の民族を抹消することが可能になります。)

自衛隊以外の『戦地へ赴く組織』を作れば、
若者を戦地へ連れてゆく間口が広がりますので、
改憲によっても思うように日本人を
前線へ引きずり出せない時は、
盛んに別方向からの『日本人の国外への連れ出し』作業
(仕事・ボランティアなど様々な方面から)が
行われるでしょう。

その中のひとつに、「国防軍」なり「革命軍」なり、
「自衛隊ではない戦闘集団」を作るように
世論や人々の興味を持って行かせよう、という流れがあります。

煽られて、感情的に賛同するような
社会の風潮を作らないようにしなければなりません。
(日本人を誘き出す為の口実であるから。)

しかしそれだけではなく、
過剰に「常識」を信じて性善説の中で今まで通りに生活していると、
いつの間にか、
個人個人の生活圏にも、
危険が忍び寄ってくることになります。


■『事件---家族』


311の前後から、
非常に判りやすいひとつの、事件のパターンがあります。

それは、
「犯人も、被害者も、家族同士である
(犯人が、最後にメモなどを残して死んでしまう)」
という事件です。

類似の事件が急に増え出しました。

犯人が死亡して、他に目撃者もないままに、事件は終わります。


そして今年になって、改憲案の中に、
家族を大切にしましょう的な文言が入っていることも公にされました。

このことは、
これからも『家族殺し』という事件が後を絶ちませんよ、
という、
カレラからの警告だと思ってください。

(カレラとは、法案を作った政党の人々のことではありません)


あなたは、これについて、どう思いますか。


他にも、この数年で急に増えた事件の中に、
以前にも紹介しました通り、
新人警察官の、
勤務時間中の銃による自殺や、
逮捕された容疑者や犯人の不審な死や自殺、などもあります。

「殺されるかも知れない」と怯えて言っていた人が、
収監(拘置)された先で、
唐突に自殺してしまい、
事件に多くの謎を残したまま、すべてが終わってしまう…。

或いは、
死亡原因が判らないままに、
詳しく調べられることなく、幕引きにされてしまうケース…。

このような報道は、
私たちに何を伝えていると、あなたは思いますか。

これが正常な、国家の姿でしょうか。


■『軽罰化と恩赦/広場」


さらに、
311の前は、厳罰化を求める社会の声は大きかったです。

無理やり犯罪者のカタを持つかのような弁護の有様や、
甘過ぎる判決に、
社会から不満の声が多く上がっていました。


すると、それを理由に
『裁判員制度』が、急に国民の義務とされました。

今まで通り、その道のプロの人々が、
社会通念に沿った厳しい判決を下すようにしてくれれば済む話を、
いちいち国民が呼び出されることになったのです。


これだけの数の国民が居て、
殆どの人が一度も体験していないはずですが、
既に、三回も裁判員になっている人がいたり、

そもそもは
裁判員になって知り得たすべては墓の中まで持って行け、
という
厳しい『一切口外禁止』ルールによる始まりだったものが、
いつの間にか、

裁判員の人々は、申し合わせたかのような
お揃いの黒いスーツ姿で記者会見をするようになったり、

顔も名前も出して記者会見をするようになったり、

一度でも裁判員を経験した人たちは、
連絡を取り合って、
組織を作って、
犯罪や裁判について研究しましょう、という
政治活動団体になっていったのです。


そして今、
政治は、『軽罰化』を進めようとしています。


あなたは、これについて、どう思いますか。


また、
各国が、時々『恩赦』という名目で、
罪人を開放しておりますが、
このことは、
先程述べた、『法による支配』と
同時代に起こっていることでありながら、

法が定めた償いの期間を、
唐突に休止したり短縮したり終了したりすることとなり、

司法制度を軽んじる行為とも言えます。

ここに、矛盾があります。


また、これらの『恩赦』は、
『アラブの春』や『ジャスミン革命』などの一連の流れと
時期を同じくして、都度、様々な国で行われていました。

これらは一体、何を意味していると思いますか。


そして、多くの暴動は、
携帯できる便利なツールによって声をかけあった人々などが
『広場』に集まったことにより、行われるものでした。

広場は、
警察や軍隊なども加わって、
「デモや暴動を起こす人々」と、
「それを制圧しようとする公的な組織の人々」の
入れ乱れた危険な場所になっていました。

テレビカメラも、新聞の記事も、
デモの起こった広場や都市について報道しました。


しかし、
暴動が、
国から国へと波及する流れの中、

もう暴動は沈静化したと思われていた国からのニュースには、

広場ではなく、
離れた住宅街や、
デモに参加せずに静かに人々が暮らしていたはずの町で、

大量の死体が発見された、とありました。


いつ頃 殺されのか、
なぜ、誰に、殺されたのか、
全員が元々そこの町に暮らしていた人たちなのか、
それともそうでない人々も混じっているのか、

遺体の損壊や腐敗が激しくて、
詳しいことは判らない、と。

ほんの数行の短い記事にまとめられてしまう、
何百、何千、何万という人々の死。


このような大問題・大事件が起きているのに、
次々と暴動が場所を変えるので、
今度はこっち、次はあっち、と、
人々の関心を誘うように、報道は、
最新ニュース、目新しいことを、
大きく・長く、取り上げ続けます。


しかし、本当にこれで良いのでしょうか。

世界は、このようなことをただ許容して、

新しい経済構造の中に、
それぞれの居場所を見つけて座り直したら、
それで、
すべてヨシとするのでしょうか。


非常に大きな間違いが、
今も進行中である、という気がしてならないのは、
私だけでしょうか。



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※フリースペース、集会場となる
 『広場』『スクエア』を作らないようにしましょう。

※知らない人たちと無警戒に集まり合うようなことをしないよう、
 青少年に対して、
 指導・忠告・注意等、
 親御さんや先生は、心掛けていただきたいと思います。


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選挙に行かないでください -その6-

2013年06月16日 10時34分32秒 | Weblog
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誠実な、日本の皆さん、おはようございます。

この数日、テレビ番組を幾つか見ましたが、
もうテレビ文化は崩壊しているのではないでしょうか。

例えば、
中学生が無差別に暴力的な悪戯をする時、
動物を虐待したりする時などに
悪用してしまうかも知れないような情報を、
科学番組として放送していたり、
お笑い番組のネタが差別用語に溢れていたりしました。

まったく、
社会に対する責任や配慮というものが感じられませんでした。

しかし昔の日本では、
社会全体の大人が、
こういうことには当たり前に配慮して、
雑誌でも番組でも責任を果たすべく堅実に作っていたものです。

それをチェックする人々も制作側には必ず居て、
犯罪に使われる様な科学知識を軽はずみに流布するようなこと、
差別を助長するようなものは、
販売または放送など、行わないのが普通でした。

このような、メディアの劣化・悪質化を放置しますと、
社会に犯罪が増え兼ねませんし、
それについて社会が"慣れてしまう"ようなことになりますと、
「日本人とはそういう民族性」と言われてしまいます。

カレラは、『日本人は劣悪な民族だ』、
ということにしたいわけですから、
劣悪な民族だと思われないようにすることは、非常に大切です。

差別や暴力や凶悪事件をネタに笑うような悪趣味なことや、
道徳性、教養の度合いの著しく低いところに
共通性があると思われるようなことは一切止めて、
健全な都道府県であり続けることを
それぞれが心掛けることが重要です。
(以前までそうだったのですから、難しいことはありません)


なぜならば、
劣悪な民族だと思われるようなものしか
メディアの中にナイとしたら、
例えそれが、
"外国勢力が作ったメディアの中だけ" のものであり、
実際の日本社会がそのようなものではなかったとしても、

国内外から、
『日本のメディアの内容の質の変化から頃合いを測る人々』
にとっては、
「あぁ、もう、日本社会って、
ここまで鈍感になったり、変質したりしたんだー…」
ということになって、嘲笑われますし、

さらに、
日本人や日本列島に居住する黄色人種・黒人種などを
ターゲットにしようとする勢力に、
「だから、もう、日本社会は壊してもいい」
「日本人を殺してもいい」
という理由を与えてしまう、ということにもなるので、
メディアの中の
『無思慮』『無責任』『明らかな意図的な差別用語』などには
よくよく注意しなければならないのです。


他にも、まだまだ、
テレビの中を冷静に観ていると、
すべてのチャンネル、
殆どの番組に共通する、"311以降、顕著な変化" があります。

ひとつでも多く見つけ出して、
日本に何が起こっているのかを知り、
"慣らされないように" しなくてはいけませんね。


■『中間層を手当する経済政策の意味』

TPP参加や社会主義化ありきで進む政治の方向性。

この時、
農家の人々が騙されてくれるのが手っ取り早いです。

ですから、最初に、
エサをばら撒くかのように、生産者の皆さんに増収を約束します。

その後、
「もっともっと増収する為に面積を広げて作業を効率化しましょう」
という
『中間組織からのスカウト』が起こり、

土地の所有権・使用権・企画の実行権・収入の配分などなどを巡り、
多くの、
業界内・地域内の軋轢を作り出しながら、
「より少数の人々が、より広い土地を持っている状態」へ
次々と抱き込まれ、丸め込まれていきます。

(日本全国の市町村が次々と合併して、
歴史ある地名や、強固な家々のつながりを捨て、
目先の助成金などの為に、
ぺらーんと大きな、もろい『市』を作り出していった、
あの時のようなことが、
「土地」に関して起こってゆく、ということです。

そういうことを起こそうとする異国の勢力が、
日本の不動産業界を動かしているとも言えます。)

このような構図で、
来るべき『社会・共産主義、多民族共生型社会、共和制国家』
を作る時に協力してくれることが必要な、
業界・企業にも甘い汁(減税など)が施されます。

そして、『中間層』以下の、
普通の、コネもツテも職もない貧困層

(民間人の4倍の収入を持つ公務員が「中間層」の目安。
年収500万以下だと『切り捨てられる階層』になる危機。)

…は、
実らない名ばかり政策が出てきたとしても
本質的な救助策ではないので、
少しも希望を持てる状態にはなりません。

(キャッチフレーズが輝かしくとも
実益は底辺まで届かない、このような社会構造は継続される)

そうこうしている間に格差は拡大と固定化を繰り返し、
今自分は中間層だと思っている人々も次々と下層へ
雪崩落ちる仕組みや罠も起こりつつ、
『日本人の殆どが貧困層に居る』事になります。

つまり、日本人の殆どが何の手立ても得られないままに、
経済的に力尽きた順に、消えてゆくしかなくなるのです。

このような、"日本人(特に大和民族系)の消滅" が
当面の政治目標であるのでしょう、
政府は、中間層(公務員ランク)までしかテコ入れしません。

(公務員の位置も次第に外国人優先になります)

これらの政界の方向性のどこに、
国民の貴重な1票を投じる意味があるのでしょうか。


■『景気データ』

どうにでも出来るのが景気データ。

例えば、
大学が秋入学になる案件なども、

現在、
年末~春先の、毎年手堅く活性化していた消費活動を、
一部、秋口へ移動することによって、
あたかも
一年中消費活動が活発な国になったかのような、
常に好景気であるかのような、
経済状況が年中安定しているかのような、
データを国民に見せることが出来る、
というような程度のことです。

日本社会としては
年間通して、
消費は必要最低限なことしか動かすことが出来ないので、
『量』は同じ。
配置月が移動するだけ。

時々本当に経済が活性化したようなデータが出てきますけれども、

日本名の企業だからと言って日本企業とは限らない。ので、

企業として儲かったお金が日本人労働者に支払われているのか、
日本社会で使われているのか、…は別問題となります。

ですから日本名の企業が利益を上げた!というニュースだけで
日本の景気が上向きになるかも?と期待することは出来ない、
という面倒な、ねじれ現象が氾濫することになります。

『日本名だからと言って日本企業とは限らない』の法則によって、
円安や株安などのコントロールの意味と、
日本経済界の植民地化の進行度を、測ることが出来ます。


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