ふらいすたーげ

人生、一生、日々まじめ

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回帰

2006-09-18 23:49:45 | オピニオン
五年ぶりに親戚と食事会をした。はじめは他人行儀なところもあった私ですが、最後は童心に帰ってきた。やはり、原点に帰るというか、身内に会うのは大事だ。(本音を告白すると面倒だが)われわれは遠くばかり見て足元につまずいているのかもしれない。「あなた、三つ子の魂を自覚して成長しなさい。」という原父の声が聞こえる気がした。人は変えるべき部分を(変わらないといって)変えず、変わらない部分を(変えるといって)おろそかにする傾向がある。ともあれ大昔に回帰するのは重要なイベントか。とても失礼な言い方だが、墓参りに似ている。相手が大事というより、会うことが自分にとって大事なんだ。見過ごしているものを思い出して。《墓参り、お盆のほか、文化人類的に父、母の再現、と、そしてつながってくるギリシャ正教での聖体、儀礼や聖書の「どうか私のことを思い出してください。」と他の文化でも「思い出す」とか「再会」のしかけは重要だ。》
子供のとき何度も会ってたんだから、そこに自分がいるのである。「無意識は他者のディスクール(言説・会議・談話)である。」とラカンは言った。自分の自我や意識なんて小さいもの。他者に見るのは自分なのだ。だから最近の「他人を見下す若者たち」は自分で自分を不幸にしている。最近の「本当の自分探し」の問題は、他者からの普段意識していない影響力を無視していることにも問題あろう。

最近の足跡
・昼間、休日出勤してみた。何か新鮮味がある。でもあまり働く気がおきないものだ。やるべきことだけやるとさっさと帰りたくなった。同僚に吉野家の牛丼をただでもらった。今日だけ一日復活したらしい。なつかしい味がした。
台風が接近している。晴れなのに異常な風の強さ、さらにフェーン現象で暑い暑い、真夏のよう。
・フリーター労組の方から電話があった。そのまえに派遣バイトの電話ばかりかかってきたので、「仕事中です」といって切ってしまった。勘違いしてすいません。その後話しましたが…
・阿部謹也さんがなくなられた。ヨーロッパ中世史の第一人者。網野喜彦とともに日本人の社会史研究を代表する一人。惜しい。何も悲しくないが、さびしい気がする。戦後日本の代表格の有名人が次々死んでいって、ひとつの終焉を感じる。『ハーメルンの笛吹き男』、『中世の宇宙』はよくよみ夢中になり興奮して読んだ。