黒い瞳のジプシー生活

生来のさすらい者と思われた私もまさかの定住。。。

「前だけを見る」とは

2010-12-05 23:57:22 | 思索系
「龍馬伝」という大河ドラマは先週で終わり、
今週からは同じ時間に「坂の上の雲」の
ドラマが何度か放送される。
このたびはそのドラマのレビューを少し書きたい。
――とはいえ、熱しやすく冷めやすい私は
なかなか「坂の上の雲」まで勉強するエネルギーを
出すことができておらず、また大河ドラマよりは
放送内容をよく記憶しているわけではないので
ごく簡単に記していきたい。


「坂の上の雲」の時代の日本人は、
常に前だけを見つめて走り続けていた――
冒頭のナレーションに、おおよそこんなくだりが
あっただろうとは記憶している。
「前だけを見る」とは言いえて妙で
一見聞こえのいい言葉だが、
この言葉を意地悪く解釈すると
「横に関心を払う余裕がない」ということでは
ないかと思う。というのも、当時の日本人は幕末以来
欧米の餌食になるかもしれない恐怖のあまり
自国が欧米並みに強く豊かになることにばかり
関心を持つようになり、同じ東洋の清国人が既に
欧米の餌食と化してしまっているにもかかわらず
彼らに救いや協力の手を差しのべる余裕もなく、
それどころか逆に餌食にしてしまっているように
思えるからである。
ドラマでは清国で秋山好古が清国人の子供を
欧米人からかばうようなシーンがあったが、
あの秋山の姿が当時の日本人の実像だったとは
考えにくいのである。

なお、「前だけを見る」ということは
思うに「後ろも振り返らない」ということでもある。
明治時代はそれまで日本人が伝統的に培ってきた
日本の文化が過小評価された時代でもあり、
例えば日本の美術品は大量に海外流出した。
また例えば「廃仏毀釈」が行われ、
木でできた仏像は庶民の薪と化した。
いろいろあって閉塞感にさいなまれていると
「前だけを見る」という言葉は良い響きのようだが、
「前だけを見ていた」という明治人のこうした側面も
見逃せない。


どんなしがない一般庶民でも、なにかの理由で
自分が外国人の注目の的になれば自動的に
その人は自国の旗を背負った代表者にされ、
外国人はその人の言動を見てその人の国を評価する。
そうして評価する側としては、
もし一国の外国人たちに嫌な思いをさせられる
経験が多いとその国に対するイメージは悪くなるし、
もし一国の外国人たちの良さにふれる機会が多ければ
その国に対するイメージは良くなる。
――国民の対外感情の原理とは、
案外こんなふうにシンプルなものではないだろうか。


←ランキングにも参加しています

最新の画像もっと見る

コメントを投稿