濁泥水の岡目八目

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蕭何と曽参が不仲になったのは、劉邦の猜疑心から身を守るためだったと思う

2018-07-19 14:37:35 | 歴史談話


 蕭何と曽参は、沛時代から互いに協力して劉邦を支え合ってきた仲間であったが、丞相と将軍になると不仲になったという。地位の高くなった友人同士が敵になってしまう事はよくあるが、私は蕭何と曽参は嫌でも仲違いせざるを得なかったと思う。劉邦の猜疑心から身を守るためである。
 劉邦にとって蕭何はかけがえのない家臣であり、彼がいなかったら皇帝にはなれなかっただろう。東方で戦う劉邦に関中から兵員と食糧などの物資を送り続けたのは蕭何である。項羽に敗北した劉邦が立ち直れたのも蕭何がいたからこそである。そんな恩人のような蕭何を劉邦は常に疑っていたらしい。蕭何は彼が養っている食客たちから忠告されて、劉邦の疑いから身を守るのに心配りをせざるを得なかった。蕭何は有能な行政官だが政治や歴史の知識は無かったので、それらに詳しい知識人たちを高給で雇っていたのだろう。蕭何が死んだ時に丞相でありながら、大して財産は残さなかったと伝えられるのも食客たちを養うのに使ってしまったからだろう。
 劉邦が蕭何を疑ったのは、彼に行政能力が全く無かったからだろう。劉邦のやれるのは戦争と政治だけであり、文官たちを使って国を統治する事など人に任せざるを得ない。公文書も読めないし。もし劉邦が東方に遠征している間に蕭何が関中で独立したらどうなるか。関中の人々にとって自分たちが平和に暮らせるのは、蕭何による統治のおかげである。劉邦は戦争の為に関中から人員と物資を取り上げる事しかしていない。蕭何がもう戦争への負担はさせないと宣言したら喜んで従いかねない。それを考えたら劉邦は不安でしかたがなかったはずである。ただ蕭何は文官で軍隊の指揮は出来ない。ところが蕭何と同じ文官出身でありながら曽参は将軍となり、しかも軍功第一とされた。樊噲のような個人的戦闘能力は無くても、最前線で矢傷や槍傷を負いながらも軍隊を指揮し続けて勝利をもたらしたからだろう。軍事能力のある曽参と行政能力のある蕭何が団結すれば関中を支配できると思ったら、劉邦にとっては悪夢そのものである。二人はそれを知っていたから、仲違いの振りをせざるを得なかったのだと思う。特に蕭何の食客たちは、二人の仲が良いと劉邦に思われることの政治的危険性を力説したはずである。
 権力者にとって、最も有能な部下二人が親密なのは危険極まりない事なのである。ナポレオンには外交のタレーランと内政のフーシェがいたが、不仲のはずであった二人が親密そうに話し合ったという情報が戦場に届くと、ナポレオンはすぐにパリに掛け戻り二人に喚き散らした。俺に無断で何をこそこそ企んでやがる、と激怒したのだろう。結局タレーランとフーシェはナポレオンを見限った。ナポレオンの疑いはもっともだったのである。

 スターリンにはマレンコフとベリヤがいた。独ソ戦でスターリンは作戦に掛かり切りだったので、この二人が内政を取り仕切ったのである。戦争が終わると二人の力が強すぎると感じたスターリンはジダーノフを取り立てたが、ベリヤの陰謀によりジダーノフは失脚した。マレンコフとべリヤは自分たちがスターリンに疎まれてしまったと気付いて逆手に出た。スターリンは猜疑心が極めて強くて冷酷なので、一度疑われたら弁解しても無駄だと知っていたからわざと二人で仲良くしたのである。長年スターリンに仕えた彼等は彼の用心深さも知っていたのである。スターリンは絶対に安全でないと手はださない。マレンコフ一人なら粛清できる。ベリヤも一人ならやれるだろう。しかし、マレンコフとベリヤを同時に粛清するとなるとスターリンにも身の危険が及ぶかもしれない。マレンコフとベリヤはスターリンに自分たちが親密なのをわざと見せつけて、どちらかに手を出せば我々二人が敵に回りますよと宣告したのである。この二人がある会合で仲良く寄り添って歩いているのを見たスターリンの罵り声を人が聞いている。
 「つるんで歩くイカサマ野郎、
  二人連れのペテン師め!」
この言葉は自分を裏切ってルイ18世に謁見するタレーランとフーシェに対してナポレオンが言ってもおかしくないし、創政会を作った竹下登と金丸信への田中角栄の気持ちにもぴったりすると思う。劉邦、ナポレオン、スターリンに比べると竹下と金丸の親密さに警戒しなかった田中角栄はお人よしすぎたようだ。