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鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

学校体育施設の利用再開についての回答

2020年05月27日 20時47分17秒 | Weblog

市にメールで送信したことに返信がありましたので掲載します。

学校再開に伴う学校施設利用の考えについて確認したことへの回答です。

回答日、担当、内容

****************

質問日:5月22日 スポーツ課 

質問内容:■学校施設の利用再開について

昨日、学校施設の利用再開にあたって、スポーツ課から各学校、各施設開放委員会に再開にあたっての注意事項などのガイドラインの作成を求めているとお聞きしました。

その件についてですが、昨日、複数のジュニアバレー関係の方から、それぞれで活動を行っている学校でのガイドラインの情報が入りました。そこで今朝、愛宕小学校に確認をしたところ、5月18日にスポーツ課から素案が提示されたということ、その後夕方以降に、変更されたものが送信されてきたと聞きました。

このような動きについて、本来であれば、議長、副議長、所管委員長にも情報を伝えて頂くべきことだったと思います。また、各学校に任せるのではなく、市として統一の指針を作成し、施設状況の違いなどの部分だけを、各施設でアレンジして頂く形であれば、負担も少なかったのではと思います。

そこで以下のことについてお聞きします。

① 鈴鹿市が学校再開の日程を公開して以降、施設再開の素案の策定経過、各学校に連絡を入れるまでの経過の説明を求めます。

② 素案の原本の情報開示を求めます。

*****************

①への回答

・・・「5/15の鈴鹿市新型コロナウイルス感染症対策本部会議において,再開日及び施設に応じた感染予防対策を講じることが決定されたことから,ガイドラインの作成依頼を5/18午前に各学校(各学校体育施設開放運営委員会)へガイドラインの一例とともに通知いたしました。
 その後,ガイドラインの素案となる,より詳細なものの送付依頼を多数いただきましたので,同日夕刻,再度,ガイドライン参考例を送付させていただきました。
 御提出いただいたガイドラインを遵守し,本事業を再開していただくよう,近日中に依頼したいと考えております。」

 

②への回答

・・・「添付画像のとおりです。」

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緊急事態宣言解除に関して小骨のように刺さっていること

2020年05月27日 14時38分51秒 | Weblog

非常事態宣言が解除されて1日経ち、今後どうなっていくか、特に大都市圏を中心とした動きが気になるところです。「新しい生活様式」と言われるものが発表され、それに沿った行動をお願いしたいと、政府、専門家会議からの言葉がありますが、ずっと小骨が刺さるように考えていることがあります。

それは大都市圏と地方都市をひとくくりにしたまま話が進められているままではないのかということと、新型コロナウィルスのリスク状況がどのようなものなのかが、あまり語られないまま、行動変容ばかりを求められているのではないかということです。

考えると、鈴鹿市では陸上講習会での事例を除けば、1月以降これまで市民の間での感染事例は発生していません。三重県では4月24日以降、1か月、感染事例が報告されていません。しかも、感染事例のほとんどは、そのときの感染拡大地域との間の人の移動によるものがきっかけとなったもののはずです。

もしかすると、言われるようにS型とL型の2種、もしかすると3種存在すると言われているウィルスのうち、比較的症状の軽いと考えられる方が、実は少し前から流行っていたため、感染拡大が起こらなかったのかもしれません。

しかし、どうあれ2か月間すくなくとも1か月間、感染事例が発生していない状況下で、新型コロナウィルスのリスクがどう考えられるのか、潜在的に存在している可能性はどうなのか、ということがよくわからないまま、全国一律で求められる行動を行うことは、理性的な行動なのかと考えると、自分の中には疑問があります。もしウィルスが存在しないのに、過剰にウィルスに適応した生活を行うとすれば、そのひずみが別の時点で問題を起こすきっかけになるようにも考えます。

人が密集して生活する地域との間の行き来にリスクが存在するのであれば、それを極力抑えながら、自分たちの地域内で生活や社会活動を行うようにして、経済活動を動かせばいいのではないかと思います。それは、それぞれの地域力が試されることでしょう。そして、それぞれの地域での活動再開が感染拡大につながらないことがはっきりした時点で、地域間の移動を緩めていけばいいと思います。

「新しい生活様式」が不安を低減してくれるわけではないでしょう。不安を低減することが「新しい生活様式」と組み合わさることで、はじめてウィズコロナ、アフターコロナの中で、私たちの生活をつなげていくことができる、自分たちでも行動できることが大切ではないでしょうか。

漠然とした不安が継続したまま、第二波や第三波といわれる次の感染期を迎えるとしたら、社会の受けるダメージはより大きくなってしまうのではないかと危惧します。そのような時、政府・国はどのような考えを提示してくるのでしょう。不安は、目安の数字をもとに国が行動を緩和するから減るのではなく、私たち自身が自分の現状、体調をはじめとしたそれを受け入れて考えるときに、はじめて減っていくものだと思います。

その取り組みがどうなっているのか、考え方がどうなのかがよくわからないまま、「新しい生活様式」という言葉や考えが先走ることに、小骨が刺さるような違和感を感じています。

 

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女性レスラーの不幸から考えること

2020年05月27日 11時44分02秒 | Weblog

リアリティ番組への出演と番組内での行動をきっかけに、SNS上の誹謗中傷で人格否定のような書き込みを受け、悲しいことですが自分で自分の存在を否定することになり、命を絶たれた方のニュースがありました。ずいぶん以前から、ネット上の匿名性を利用した誹謗中傷などの暴力行為については問題になっていたと思います。また、韓国ではタレントが自殺に追い込まれている事例も多くありますし、国内だけでなく海外でもドラマの素材に取り上げられたりしています。そのこともあって、ネット上の匿名の誹謗中傷について、厳しい意見や考え、また法整備で対応するという動きが出てきています。

ネット上の誹謗中傷を直接経験した方も多いでしょうし、潜在的にその不安を持っている人も多いでしょうし、義憤のような思いを感じている人も多いと思います。それが今回の事例で大きな流れにつながったのでしょう。

しかし、少し視点を変えると違った側面が見えると思います。

ひとつは、インターネットとそれを利用するための機器について、そのどちらも便利であるし、ほぼ今の生活に欠かせなくなっていると思いますが、実際は「刃物」や「火」のように、便利ではあるけれど扱い方次第で非常に危険な側面がある、自分だけではなく他人も傷つけるものだという意識が希薄になっていないかということです。

だからデマが急速に拡散するのではないかと思います。仮に正しい情報だったとしても、その影響がどのようなものがあるかを考える前に、メールやメッセージを拡散してしまうのだろうと思います。自分は義憤に駆られて行動したかもしれないけれども、結果として、実は無関係の人に負の影響があったかもしれない、そのことで傷ついた人がいる可能性があることに思いをはせることが必要だと思います。

もうひとつは、自粛警察という言葉もありますが、今の社会の中に他人を糾弾してもよいという空気が充満しているのかもしれないということです。これにはいろいろな要素が絡み合っていて、どれか一つということにはならないと思います。ただ言えることは、他者に対する共感力のようなものが希薄になっているからではないでしょうか。さらに、許容する幅もかなり狭くなっていることが、ぎすぎすとした空気と、実際に摩擦を起こす原因にあると思います。

このような社会状況になってきた背景には、チャンネルをどこに変えてもテレビの情報番組などでは、重箱の隅をつつくように人のことを突き、場合によってはそのような権利を持つわけではないのに、あたかも社会が糾弾するかのように、人を責めるということが日常化してしまっていることが影響していないでしょうか。もちろん、薬物の濫用や反社会的行動などは別ですが、あくまで個人間の課題であることまで、社会として断罪しないといけないという空気を醸し出すことが多いように思います。

メディアリテラシーについても、私たちは自分の考えに近い情報が目につきやすいですし、ネット上ではそのように情報が整理されて提示されてきたりするなど、多様な視点を得にくい状況になっていると思います。それは、他の視点や意見に対して不寛容になりがちな傾向を作り、書いたように他人を糾弾してもよいという空気の一部になっていると思います。

このようなことが積み重ねられる中で、今回の事案で注目されたリアリティー番組という領域でもそうですが、いつの間にか、私たちは他人の対立を見たり、他人が傷ついたりすることを見ることに慣れてしまってはいないでしょうか。

といろいろ書きましたが、今回の事案は、いじめによる自殺問題と根は同じだと思います。

ですから、私たちは象徴的な部分にだけ目を向けるのではなく、社会全体を見ることだと思います。その視点から問題に取り組まなければ、同じようなことは形を変えて何度も繰り返されることに違いありません。

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