大工風の道

仮設住宅ってわけでもないけれど、
ま、しばらくここで様子みようっと。

リセット

2006年05月24日 | 屁理屈と愚痴
自宅に常設してあるパソコン「98SE」君の調子が今一で、ときどき画面大きさの設定が最小になってしまい、どうにも戻らない。
いろいろいじってみるのだが、結局前は、OSから入れなおした。

なにかふと昔よく来た場所に行ってみたくなって、低めに設定した今日の「ノルマ」のキリがついた3時過ぎに、現場を早退して寄り道してみた。
なんでもない、別に甘い思い出があるわけでもない、ただの場所。
しいて言えば、独立して仕事を始めたころ、ちょいとした合間に、息抜きに車をとめて、ボーっとしたことのある場所。

決して頭が良いほうではないかも知れないが、まあまあ社会を生きていける程度の知能はあるとは思っている。
が、やはり一度に考えられるのは、3つくらいまでで、それを超えたとたん、急激に脳の回転速度が落ちる。いわば、メモリーがいっぱいで、仮想メモリーをハードディスク内に作って処理しているようなものだ。64Mbもない私の頭のメモリーでは、最近の情報量はさばき切れない。
最近考えることが多すぎる。
どうでもいいこと、大事なこと、急ぎのこと、後でもいいこと。
他人のこと、自分のこと。
なにか、頭の中をすっきりさせたかった。
別にリセットできるわけないのだが、なにか、リセットできるような気がして…。

あの頃っていったい何を考えて、どんな気持ちで、生きていたのだろうな。

人気(ひとけ)のない山間の空き地は、不法投棄の防止策か、柵が作られ、立ち入り禁止になっていた。

過去に縛られてても仕方ないな。
人生、リセットしたらそれは「おしまい」なんだからね。
ま、ぼちぼち行きますか…。




人間崩壊中

2006年05月22日 | 屁理屈と愚痴
うおおおおおおおおおおおおおおお!
がああああああああああああああ!

ひゃあああああああああああああああああ!


昨日飲み過ぎたかな?
誰かさんみたいにカラスに頭突かれたい気分…。(ため息)


さみだれ工務店

2006年05月19日 | かまど、五月工務店
こんな五月雨のつづくなか、棟上しようってのが大胆だったかもしれないが、なんとか今日の午前中も作業をしたらしい。
「らしい」というもの、私はすでに今朝、B氏設計管理の自分の桑名の現場に戻ってきているからだ。

午後から棟上の作業中断をうけ、富山から一時「帰省」のM田氏と、M井氏が桑名にやってきてくれた。

すでに来ているS戸氏とK内氏に加え、なんと現場は大工4人と大工風の私、計5人で作業をすすめることに。
ものすごいスピードで片付いていく。みんなの作業の下段取りで、結構忙しいが、ハリがある分、いささか効率がいいような感じだ。
全員の手を止めないよう、先走りして、「見切り」や、「枠材」など、細かい材料を作る。

昨夜、何ミクロンかの鉋屑(かんなくず)の話をしていたというのに、この現場で「仕上げ」に使うのは、「ヤスリ」と「ホイールサンダー」。おまけに足元にはチェーンソー。
きれいに仕上がると施主さんが嫌がるので、わざと傷をつけたりして仕上げる。
だから仕上げ鉋などは使わない…。いや使ってはいけないのだ。

S村氏に昨夜笑われたが、本当は自分でもそう思っている。
これは本来「大工がする仕事じゃない」ってことを。
いまさらそんなこと言っても仕方がないので、「ほうっておいてください」という気持ちもある(笑)。だって私は「大工風」なんだからね!

さて昨日あえて記さなかったS村氏の名言の一つ。
「来るもの“拒めず”、去るもの“追えず”」。

うううん。深い言葉だ。

そういえばそのあとK保氏と、「来ないから拒めず」ってのもあるよねと笑っていた。



最高 IN

2006年05月18日 | 見聞録
昭和区は八○日赤近くのお寺、「S院」で、住職さんらが住まいとして使う、いわゆる「庫裏(くり)」の増築工事の棟上(むねあげ)が行われ、二日目、雨も小康状態の午後、桑名から高速を走って応援にやって来た。
Ku山棟梁、奈良の宮大工M村氏、Mo氏はじめ、JワークスでおなじみのK保氏、当ブログでも時々出てくるM井氏、町屋大工のK藤氏らと、構造材の残りを組み立てる。
前日はK作舎N村建築のN村氏が、T谷氏と来ていたそうだ。

今日はN○Kテレビさんが取材に来ていた。
「親方」のS村氏は取材に“仕方なく”応じているのだ…といいながら、なにか嬉しそうだ。なぜならレポーターが若い女性だからだ(納得)。

翌日も雨の予報。



ブルーシートをかけて本日の作業終了。

甚目寺の事務所へもどり、酒をあおる。
日本酒なんて、久々に飲んだなあ。
キンキンに冷えて、それがまたうまい酒だ。
普段、町屋の仕事しかしない私は、日常とは少し違う社寺建築の話に新鮮さを感じつつ、S村氏の人生論にまた目からウロコ。
確か、6つほど、「いい話」を聞いたが、2つしか覚えていない。

あまりに格の高い(?)内容なのでここに記すのは、あえてやめておこう。
夜もふけ、2階へ上がり、寝袋に包まった。



卯の花の におうかきねに

2006年05月13日 | 見聞録
佐佐木信綱記念館

(資料館、生家、土蔵、石薬師文庫の総称が「記念館」だそうです)

国道1号線、鈴鹿市、石薬師付近を走っていて、前から気になっていた案内標識がある。
帰り道、閉まっているだろうと思いながらも、寄り道してみた。
場所だけ確認しておいて、また来ようと思った次第だ。




「夏は来(き)ぬ」の作詞をした彼の記念館。
情報では、この季節、庭には卯の花が咲き、おそらく季節が変われば、またそれで別の趣もあるのだろう。
残念ながら夜8時前では、暗くてさっぱりわからない。
雨も降っていて、卯の花の匂いどころではない。

話はそれるが、絹ごし豆腐と、木綿豆腐の食べ比べを昨夜、現場でしてみた。


まずは、冷奴で…。
なんとなく感覚ではわかっているつもりだったが、食べ比べてはじめて、その差がはっきりわかった。
「木綿」を食べてから、「絹ごし」を食べると、まさに、プリンやゼリーのような、「ツルン」とした感触だ。
そして、こんどは、鍋焼きうどんのツユで温める。
ううん、なるほど…。うまいうまい。
これはいける。
(中略)

絹ごし豆腐と木綿豆腐の食べ比べは→

結果…
「満腹」になる。でした。


さて、インターネットで調べていたら、「夏は来ぬ」を「夏は来ない」と解釈する大学生が多い…との記事があった。
確かに佐佐木氏は、夏が来ないってことを綴ったわけではないだろうことは、歌詞を読めば一目瞭然。
しかし、この記事を書いていて気付いたが、私のパソコン(IME入力)では「natuhakinu」と打って変換しても「夏は来ぬ」とは表示されない。
で、夏は「konu(こぬ)」と入れると「来ぬ」となった。
やっぱり夏は来ないのだぁ!となんだかおかしくなってきた。

いつかの地図記号と一緒で、佐佐木氏の…って注釈なしに「夏は来ぬ」の意味は?なんて設問があったら、堂々と「夏は来ない」ってことを言い張ればいい。
パソコンだって変換しないんだよ…って。
じゃあ、平仮名で「夏はきぬ」は?とあったら…。


そりゃあ、「やっぱ熊さん、冷奴は絹ごしに限るねェ!」と…。