大工風の道

仮設住宅ってわけでもないけれど、
ま、しばらくここで様子みようっと。

竿竹屋だって潰れることもある

2006年05月03日 | 記憶
謎のレゲエワラビ餅

昨秋だったか、松阪の路地裏で「ワラビ餅」の行商のトラックから、レゲエのような、ラップのような、不思議なメロディが聞こえてきて、仲間と顔を見合わせて爆笑したことがあった。

連休のたった一日の私の休日は、小潮の悪条件のなか、潮干狩りにかりだされる…というものだったが、海辺の駐車場に、「ソレ」は居た。

ン、チャチャ。 ン、チャチャ。
♪ワラビモチッダヨ、ワラビモチッ。ン、チャチャ…
ああ、レゲエだな。

家でインターネットで調べたら、確かに「レゲエワラビモチ」の目撃情報は多く、中京地区にそれはとくに多くあった。
どなたか、詳細をご存知なら、教えてほしい。
行商には、ちょいと思い入れがあるので…。

20代前半のころ、イベントの事業所を仲間と営んでいたのだが、なにしろ、忙しいときは、寝る暇もないほどイベント設営から、PA(音響)、照明…の毎日が続くのだけど、
時々、時間を持て余すときがあり、そんなときの副業で、竿竹などを売っていたことがある。
季節により、「スイカ」を売りにいったこともあった。
無謀だったかもしれなかったが、あの時はあれで一生懸命だったのだ。
そう、イベント屋の意地で、BGMは、当時の最新鋭だった、KORGの「Poly800」というシンセサイザーを使い、著作権などに考慮し、文部省唱歌の「海(うみはひろいな…)」を多重録音で(確かMTRもKORGの「244」だったような気がする)作った記憶がある。
そんなアナログから、デジタルへ移行始める時代だった。

竿竹は、たしかに、いい副業ではあった。
なにしろ時間の制約がないのだから…。

まあ、結局、いくらか在庫を抱えたまま、事業所も解散し、いわば、竿竹事業としては、潰れたも同然だった(苦笑)。

今でも街角で行商のトラックを見かけると、懐かしさと歯がゆさのような、不思議な気持ちにかられる。
平成の世に「モノウリ」の声は、いつまでも響き続けるのだろうか。

自転車にのって

さて、季節もよくなってきて、明日から現場に自転車を置いておこうと…。
あれ?自転車がない!

そうだ、確か冬に、仲間のT橋氏の作業場で材料を加工したとき降ろしてそれっきりだった…。


ってわけで、T橋建築工房までひとっ走り。
ホコリだらけの私の愛車があった。

初夏のような日差し…。
ただ今日は風(かぜ)がきつく、「暑い」というほどではなかった。

バカ貝とシオフキ(貝)はいったん茹でて剥き身にして砂をとり、醤油ダレで焼きなおして食べたら、これがまたうまかった…。
残念ながらアサリは無し。