Q.なぜ小猫を殺してはいけないんですか?
A.法律で決まってるから。
以上。
自分の記事を茶化してどうする?!
※関連記事へのリンクは文末にて。
…いや~,『きっこの日記』(読みにくいんで専ら読むのは『きっこのブログ』のほうですが)で知ったときは,ひどい人間がいるもんだなで片づけようと思いましたが,ネットが先行気味ながらリアル社会のほうでも火がつきかけているようですね。坂東眞砂子問題。
略して「ネコころ問題」
そんなかわいいもんじゃない。
えげつねぁー話です。
亀田問題とか秋田県本荘高校問題とか,
さらには本当の犯罪者(有罪判決が出るまでは「容疑者」)についてだって
「ひどい奴だ!」と決めつける前に,
ソースが確かか,報道にバイアスがかかってないかよく確かめて,
その上で,分かっている範囲でならここまで考えられる
あくまで勝手な想像するならこんな仮定の上でこうも思うといった検討が
必要なのですが,
今回の場合は,自分で書いたコラムそのものですからね。
これを読んだ人間から批判・非難・誹謗中傷・バッシングを受けるならすべて本人が受け止める責任があると思います。
(読まないで,一部の抜き書きや噂・評判だけでバッシングするのは×)
とりあえず,私は今後,この作家は呼び捨てです。
「お前を妊娠させて産んだ子を崖から投げ落としてやる」
(きっこの日記に書かれてた“誹謗”を書き換えた)というくらいの怒りを
ぶつけられてもしかたないでしょう(実際に言ったりやったりする輩が
いたらそいつも「何様だ」ということになりますが)。
■今回の問題のコラムについては,さんざん突っ込まれてますんで
私から特につけ加えることはないですが,
避妊と子殺しを同列にしていたり(挙げ句子殺しのほうを実行・継続),
前半で悪いことと認識しているように書いておきながら
筆が進むにつれてどんどん自分を正当化して開き直り
「社会に対する責任として選択した」とうそぶく支離滅裂さといい
常識・モラル的にも健全な1個人の範囲を逸脱してますし
文筆家としてこの論理構成はお粗末すぎますし,
だめだめすぎますね,この人…
作家先生とか文化人と言われる方って,
理屈バカとかけっこういますよね。
週刊誌で「選挙の投票には行ったことがない」などとしょうもない宣言をして
その理由を小理屈ひねくりながら自慢げに書いてた人とかいましたが,
どんなにもっともな理屈を並べたところでやってることはめんどくさくて
わからないから行かない連中と同じなわけで,
その行為が利権団体やカルト政党を利することにつながってることを考えると,
選挙に行かないのは勝手だが,
せいぜいトーカ堂の社長みたいに申し訳なさそ~~うに言えよ
と言いたい。
まあ,坂東の場合(←先ほど宣言したとおり呼び捨て),
これまでの作品が作品だけに,自分の心の中までホラーになっちゃって
生き物の命を奪うことに麻痺しちゃったってことでしょ。
それを「それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」
なんて訳のわからない宣言で正当化できたつもりになってるところが
逆にちょっと病ンジャッテル,厄さを感じてしまうんだなぁ…。
やばい!やばすぎる!
場所がタヒチだけに,ゆくゆく(いないかもしれないけど)親友を刺して
自分の耳を切断し,アルルへ旅立ってしまうなんてことのないように…。
■それにしても,これを通した日経の編集者もバカですが(日経の常識・品位が疑われる)
高村薫トラブルの件といい,
日経の文化部はいったいどんな人間が集まってるんだという気がします。
※まあ「富田メモ」の一件やら,「中国は進出するのにいいところ」的誤報を
日常的に流しているところからいっても全社的に結構いいかげんなのかも。
朝刊最終面などの豊富なコラムとか,どこから書き手を集めてくるのか
すごいなと思ってたんですけどねぇ…。
それにこの夕刊のコラムは面白かったのになぁ…。最近日経読んでないけど。
金曜日は詩人さんとか神経の繊細な作家さんが書くことが多い,ちょっとアレゲな危うい感覚を楽しむ枠という印象があって,たしか 穂村弘さんだったか「なんじゃこの人は?!」と軽い衝撃を覚えて面白かった記憶が。
なんだかんだいって,
「すべてフィクションでした」
で逃げたりしてね。
「編集部の話-命の大切さについて究極まで追求する新作の構想を練っており,主人公の心象的背景を形作る過去の出来事として生まれたばかりの子猫を殺す女性の話を考えておられました。皆さまから数々の抗議を頂戴しましたように刺激的な内容のこのエピソードを細かいディテールまでつきつめて構想しているうちに,先生は感受性の強さもあいまって,作品の中に表現する架空のエピソードと現実に自分の今の生活の中で行われていることとが渾然となってしまったとのことでした。架空の話を現実であると誤解させるような形で掲載しましたこと,多くの読者の皆さまに不快な思いをさせたことに心よりお詫び申し上げます」
チャンチャン。
どっちにしても,年取って殺人者かゴミおばさんになる前に
病院にいくべきでは…。
大したことないっちゃないかもしれないけど,
ウサギやネコといった弱い動物の殺しをくり返していくうちに
エスカレートしてしまった快楽殺人者の例って多いですからね…。
くわばらくわばら。
■関連記事
「なぜ人を殺してはいけないのか」(06/02/16)
なぜ人を殺してはいけないのか◆入門編[前]
なぜ人を殺してはいけないのか◆入門編[後]
トラブル2件 高村薫と島田紳助(2004/10/28)
高村薫『新リア王』と日経(2004/11/02)
バッシングに反論した本荘高校のときとか
人それぞれ意見の分かれる萩本問題なんかのときと違って
今回はバッシングに乗っかって人の悪口いってるだけだから
つまらない記事ですみません…。
タイトルにしておきながら
「なぜ小猫を殺してはいけないのか」について全然触れてませんけど
ご意見・ご要望のある方はコメント欄orTBにて一言いただけると有り難く存じます。
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はてなブックマーク > 痛いニュース(ノ∀`):作家の坂東眞砂子が18日の日経新聞で日常的に子猫を殺していると語る
犬を飼っている方はこちらを見逃さないで下さい!
A.法律で決まってるから。
以上。
自分の記事を茶化してどうする?!
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…いや~,『きっこの日記』(読みにくいんで専ら読むのは『きっこのブログ』のほうですが)で知ったときは,ひどい人間がいるもんだなで片づけようと思いましたが,ネットが先行気味ながらリアル社会のほうでも火がつきかけているようですね。坂東眞砂子問題。
略して「ネコころ問題」
そんなかわいいもんじゃない。
えげつねぁー話です。
女流作家「子猫殺し」 ネット上で騒然 JCASTニュース 2006/8/21 2006年8月18日付け日経新聞(夕刊)「プロムナード」に掲載された、直木賞作家・坂東眞砂子さんのエッセイが、ネット上を騒然とさせている。「私は子猫を殺している」というのである。坂東さんの掲示板では、06年8月19日にエッセイのコピーが書き込まれてからコメントが突如急増し始め、坂東さんへの批判が怒号のごとく続いている。 騒ぎになっているのは「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている」という文章ではじまる「子猫殺し」と題されたエッセイ。 タヒチに住んでいる坂東さんは、家の隣の崖の下の空き地に、子猫が生れ落ちるやいなや放り投げているという。 「社会に対する責任として子殺しを選択した」 「子猫殺し」が掲載された2006年8月18日付け日経新聞。ネット上は糾弾の声で溢れている 内容は以下のとおりだ。 猫に言葉が話せるなら、避妊手術など望むはずがないし、避妊手術を施すのが飼い主の責任だといっても、それも飼い主の都合。「子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずに済む」。そもそも、「愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。獣にとっての『生』とは、人間の干渉なく、自然のなかで生きることだ」。人間は、避妊手術をする権利もないし、子猫を殺す権利もないが、「飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない」。 最後は、 「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」 と締めくくられる。 坂東さんの「どんなに糾弾されるかわかっている」という予想通り、エッセイへの批判や怒りがネット上で噴出している。 「坂東先生の本はすべて焼き捨てます」 「坂東眞砂子・掲示板」では、06年8月19日のエッセイのコピーのカキコミがされてからというもの、批判や罵詈雑言で溢れ、その数は50近くになる。掲示板のなかで、坂東さんのファンだったという人も、 「もう、坂東先生の本は買いません。今まで大切にしてきた本も、すべて焼き捨てます。それが、先生に殺されてきた何の罪もない猫ちゃんたちへの、私ができるせめてものことだからです」 と書き込んでいる。 SNS大手のmixiでも、 「どう考えても産まれて来てから理不尽に殺されるより始めから産まれてこない方が不幸ではないと思うんですが…」 などという批判的な意見が多い。 人気ブログ「きっこの日記」でも、 「これじゃあ、人間が、避妊してセックスするのも、避妊しないでセックスして、できちゃった子供を人工中絶するのも『同じこと』って言ってるワケじゃん。それどころか、こいつのやってることは、生まれて来た赤ちゃんを殺してるワケだから、人工中絶よりもタチが悪い」 と手厳しい。 J-CASTニュースでは、エッセイを掲載した日経新聞の担当部署に電話で取材を申し込んだ。しかし、同社社長室・広報グループから書面で「エッセーは7月7日から毎週1回連載している。タヒチでの身辺雑記を中心に書いていただいている。該当のエッセーについてはメールで数十件の反響があった」という返答がきただけで、それ以外は答えてもらえなかった。 |
<子猫殺し>直木賞作家・坂東さんがエッセーで告白 直木賞作家の坂東眞砂子さん(48)が日本経済新聞に寄せたエッセーで、自身の飼い猫が産んだ子猫を野良猫対策として殺していることを告白し、波紋を広げている。坂東さんはフランス領のタヒチ島在住で、事実ならフランスの刑法に抵触する可能性もある。坂東さんは「避妊手術も、生まれてすぐの子猫を殺すことも同じことだ」との趣旨の主張をしているが、日本経済新聞社には抗議や非難が殺到、動物保護団体も真相究明を求めている。【鳴海崇】 坂東さんが日経新聞18日付夕刊15面の「プロムナード」に寄稿した「子猫殺し」。「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。(中略)承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している」と書き出し、飼っている雌の猫3匹には避妊手術をせず、子猫が生まれると自宅隣のがけ下に放り投げていることを明らかにした。 野良猫対策としての避妊手術は認めているが、「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない」との論を展開。「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」と結んだ。 日本動物愛護協会によると、フランス刑法は犯罪を三つに分類、子猫を殺す行為は、中間の「軽罪」(最高2年の拘禁刑)か最も軽い「違警罪」(罰金刑)にあたる可能性があるという。協会は「事実なら到底許されない」と非難、日経に事実関係の調査を求める方針だ。 坂東さんは日経を通じて「タヒチ島に住んで8年。人も動物も含めた意味で『生』、ひいては『死』を深く考えるようになった。『子猫殺し』はその線上にある。動物にとって生きるとはなにかという姿勢から、私の考えを表明した。人間の生、豊穣(ほうじょう)性にも通じ、生きる意味が不明になりつつある現代社会にとって、大きな問題だと考えているからだ」とのコメントを寄せた。 日経には23日までに、エッセーを巡って約300件のメールと約60件の電話が寄せられ、多くは批判や抗議だという。在日フランス大使館にも問い合わせが相次ぎ、業務に支障が出ている。 日経社長室は「原稿の内容は、筆者の自主性を尊重している。今回の原稿も事前に担当者が筆者に内容を確認した上で掲載した。さまざまなご意見は真摯(しんし)に受け止めたい」と説明している。 坂東さんは高知県出身で、ホラー小説の第一人者。97年に「山妣(やまはは)」で第116回直木賞を受賞した。映画「死国」「狗神」の原作者。7月から毎週金曜日のプロムナードを担当している。 (毎日新聞 - 8月24日) |
亀田問題とか秋田県本荘高校問題とか,
さらには本当の犯罪者(有罪判決が出るまでは「容疑者」)についてだって
「ひどい奴だ!」と決めつける前に,
ソースが確かか,報道にバイアスがかかってないかよく確かめて,
その上で,分かっている範囲でならここまで考えられる
あくまで勝手な想像するならこんな仮定の上でこうも思うといった検討が
必要なのですが,
今回の場合は,自分で書いたコラムそのものですからね。
これを読んだ人間から批判・非難・誹謗中傷・バッシングを受けるならすべて本人が受け止める責任があると思います。
(読まないで,一部の抜き書きや噂・評判だけでバッシングするのは×)
とりあえず,私は今後,この作家は呼び捨てです。
「お前を妊娠させて産んだ子を崖から投げ落としてやる」
(きっこの日記に書かれてた“誹謗”を書き換えた)というくらいの怒りを
ぶつけられてもしかたないでしょう(実際に言ったりやったりする輩が
いたらそいつも「何様だ」ということになりますが)。
■今回の問題のコラムについては,さんざん突っ込まれてますんで
私から特につけ加えることはないですが,
避妊と子殺しを同列にしていたり(挙げ句子殺しのほうを実行・継続),
前半で悪いことと認識しているように書いておきながら
筆が進むにつれてどんどん自分を正当化して開き直り
「社会に対する責任として選択した」とうそぶく支離滅裂さといい
常識・モラル的にも健全な1個人の範囲を逸脱してますし
文筆家としてこの論理構成はお粗末すぎますし,
だめだめすぎますね,この人…
作家先生とか文化人と言われる方って,
理屈バカとかけっこういますよね。
週刊誌で「選挙の投票には行ったことがない」などとしょうもない宣言をして
その理由を小理屈ひねくりながら自慢げに書いてた人とかいましたが,
どんなにもっともな理屈を並べたところでやってることはめんどくさくて
わからないから行かない連中と同じなわけで,
その行為が利権団体やカルト政党を利することにつながってることを考えると,
選挙に行かないのは勝手だが,
せいぜいトーカ堂の社長みたいに申し訳なさそ~~うに言えよ
と言いたい。
まあ,坂東の場合(←先ほど宣言したとおり呼び捨て),
これまでの作品が作品だけに,自分の心の中までホラーになっちゃって
生き物の命を奪うことに麻痺しちゃったってことでしょ。
それを「それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」
なんて訳のわからない宣言で正当化できたつもりになってるところが
逆にちょっと病ンジャッテル,厄さを感じてしまうんだなぁ…。
やばい!やばすぎる!
場所がタヒチだけに,ゆくゆく(いないかもしれないけど)親友を刺して
自分の耳を切断し,アルルへ旅立ってしまうなんてことのないように…。
■それにしても,これを通した日経の編集者もバカですが(日経の常識・品位が疑われる)
高村薫トラブルの件といい,
日経の文化部はいったいどんな人間が集まってるんだという気がします。
※まあ「富田メモ」の一件やら,「中国は進出するのにいいところ」的誤報を
日常的に流しているところからいっても全社的に結構いいかげんなのかも。
朝刊最終面などの豊富なコラムとか,どこから書き手を集めてくるのか
すごいなと思ってたんですけどねぇ…。
それにこの夕刊のコラムは面白かったのになぁ…。最近日経読んでないけど。
金曜日は詩人さんとか神経の繊細な作家さんが書くことが多い,ちょっとアレゲな危うい感覚を楽しむ枠という印象があって,たしか 穂村弘さんだったか「なんじゃこの人は?!」と軽い衝撃を覚えて面白かった記憶が。
なんだかんだいって,
「すべてフィクションでした」
で逃げたりしてね。
「編集部の話-命の大切さについて究極まで追求する新作の構想を練っており,主人公の心象的背景を形作る過去の出来事として生まれたばかりの子猫を殺す女性の話を考えておられました。皆さまから数々の抗議を頂戴しましたように刺激的な内容のこのエピソードを細かいディテールまでつきつめて構想しているうちに,先生は感受性の強さもあいまって,作品の中に表現する架空のエピソードと現実に自分の今の生活の中で行われていることとが渾然となってしまったとのことでした。架空の話を現実であると誤解させるような形で掲載しましたこと,多くの読者の皆さまに不快な思いをさせたことに心よりお詫び申し上げます」
チャンチャン。
どっちにしても,年取って殺人者かゴミおばさんになる前に
病院にいくべきでは…。
大したことないっちゃないかもしれないけど,
ウサギやネコといった弱い動物の殺しをくり返していくうちに
エスカレートしてしまった快楽殺人者の例って多いですからね…。
くわばらくわばら。
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「なぜ人を殺してはいけないのか」(06/02/16)
なぜ人を殺してはいけないのか◆入門編[前]
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トラブル2件 高村薫と島田紳助(2004/10/28)
高村薫『新リア王』と日経(2004/11/02)
バッシングに反論した本荘高校のときとか
人それぞれ意見の分かれる萩本問題なんかのときと違って
今回はバッシングに乗っかって人の悪口いってるだけだから
つまらない記事ですみません…。
タイトルにしておきながら
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タヒチ―謎の楽園の歴史と文化池田 節雄彩流社 | 哲学者かく笑えり土屋 賢二講談社※日本人たるもの,賢くなればなるほど腰の低い態度が尊敬の対象となるもんです。この人の自虐キャラは…酔いそうになるくらいもう爆笑! | 南洋の島語り―タヒチからの手紙坂東 眞砂子毎日新聞社※誰への手紙だ?!自分に酔いまくり浸りまくりのバンちゃんでした |
NIKKEINET(8/24)http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20060824NTE2INK0224082006.html
タヒチ島に住みはじめて8年経ちます。この間、人も動物も含めた意味で『生』ということ、ひいては『死』を深く考えるようになりました。7月から開始した日本経済新聞社紙面『プロムナード』上での週1回の連載でも、その観点からの主題が自然と出てきました。『子猫殺し』のエッセイは、その線上にあるものです。ことに、ここにおいては、動物にとって生きるとはなにか、という姿勢から、私の考えを表明しました。それは人間の生、豊穣(ほうじょう)性にも通じることであり、生きる意味が不明になりつつある現代社会にとって、大きな問題だと考えているからです。 (14:39)
…「生きる意味が不明になりつつある現代社会」自体は認めるにやぶさかでないが,自分の行為を正当化する説得力は1つも読み取れないなぁ。堂々と「糾弾されるのは覚悟の上」と書いていることと合わせて無理やり好意的に解釈しても「私は全然正しくないことを自慢げに書きますのでどんどんバッシングしてください。そのついでに命の大切さについて考えてくれたら」くらいか。
大江健三郎氏とか平野啓一郎氏とか
わざと難解な文章を書いて,それを読むのが読者にとっても面白いという作家さんはいらっしゃいますけど,坂東の文章は意味が繋がっていないからわけわからない。「『死』を深く考える」人間が日常的に(いくらでも避ける方法がある)動物殺しをするって,日本語のできる人で納得する人はいないでしょう。逆に生と死を軽く考えているからこそできる行為。というか,単に「(ホラー作家だけに)日常的に死を考えたいから殺してます」
単なる嫌悪感・バッシングから一味違った意見を述べられているブロガーの方に
てるてる日記さん
http://terutell.at.webry.info/200608/article_4.html
クルトンパパのいろいろ日記さん
http://crutonpapa.at.webry.info/200608/article_110.html
高知土佐の雑記帳さん
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-421.html
JBL4344とプラスα さん
http://minpo.exblog.jp/5543860
などがいらっしゃいますが…
こういう意見や事実(田舎では動物を殺してる)に触れられたという意味で一定の価値はあったものの,皆さんが穿って考えるほど坂東は深く考えてなんかいないと思う。
こんな人間許せませんよね。
嫌、人間じゃない。
こんな奴のエッセイを平気で掲載していた日経新聞の品位を疑います。
本当にねぇ…きっと,タヒチの生活って,よっぽど書くネタがないんですよ。
新聞でも週刊誌でも競馬雑誌でも,連載コラムで突然,偉そうに小理屈をこねて他人をけなしてみたり一般常識に逆らってみたりして自己アピールに走ってしまう例が多々ありますが,そういう文を読んだとき,たいてい「絶対ネタ切れで無理矢理ひねり出した文に違いない」と感じます。
今回の子猫殺しの文も,(その前に道路で動物の死体を見つけるのが楽しみという文を書いたし,その続きで)世間を挑発するネタを自分に酔いながら殴り書いたというところでしょう。
論旨のまとまりのない内容といい,〆切間際に書いて見直さずにすぐ送ったって感じるのですがいかがでしょうか?
今回、異論というか別の意見を聞いてほしいと思い書き込みました。
坂東さんについての反論、意見は当然のことです。公の場での発言ですから。しかし今回のようなことに限っては無意味だとも思います。なぜなら肯定否定を望んだのではなく、意見に対する議論を望んだのではないかと思っているからです。ゆえにきっこの日記のごとき下劣な人格否定は、今回意味を成さない、少なくとも悪口でしかないと。
猫殺しについてですが理解できる行為です。坂東さんは子猫を殺し我々は猫の尊厳と種を殺す。それだけのことです。人の好みで決めてよいと考えています。坂東さんの非は猫を苦しませず殺せていないかもしれないことです。猫に聞いてみなければ分からないことですが、仮に「子供ほしい」と思っていたとしてどちらも応えられません、避妊派も処理派も。この時点で人のエゴが注入されています。ここのエゴに対する問題提起こそが今回のエッセイの主題だと思います。猫にメスをいれること、猫を殺すこと、どちらも猫は望んではいないのではないか。にもかかわらず、猫に必要なことの一点張りでは困る、と。殺そうが殺すまいが、それは人の我侭に過ぎず、猫は猫で、我侭に生きていくものだと。我々は猫に対して思いやりをもっている、彼女は残酷だ、などと猫に伝われば失笑されるかもしれません。なんにせよ、猫可愛いね、だけですまないのは同じ考えのはずです。
私も偶然ながら高知県の山のほうの人間です。たまに車にひかれた狸や猫を山に放置して処理することがあります。こちらでは腐敗するまでもなく、骨だけになります。カラスがなにかの骨をつっついている、イノシシが骨だけで見つかった、よくあることです。この弱肉強食の世界で、猫が殺されたのなら、猫が弱かった、あるいは運がなかったということです。皆様への慰めとしては、崖から落とされても、その死はけして無駄ではないということです。むしろ他の生き物への人からの分配になっているのではないかと思っています。キャットフードは他の生き物を糧として作られました。それが帰っていった。そういう死生観を持っています。
猫の望むようには、恐らく人はやれていないでしょう。人は人の望むことしかできません。そこに指摘を入れたのが今回の目的だったのだとおもいます。論理展開に問題があるということには同意します。もっとうまく書けば良いのにと。まともな普通の文章を嫌う天邪鬼さんかもしれませんね。
今回気になったのは人格否定です。坂東さん以上の無茶苦茶な論理展開、ひどい言葉を投げつけることを目的としてしまった感情論。どちらもきっこの日記のことです。どうかあのレベルに落ちないで下さい。無用な心配かもしれませんが、ここの一人の読者としてのお願いです。
長文となってしまい申し訳ありません。これからもここを拝見させていただきたいと思います。これまで楽しく読ませていただいたことに対して感謝します。本当にありがとうございます。では、これにて失礼します。
参考
(3)治療希望したのに…
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20060822ik01.htm
(2)治療を決めた兄と絶縁
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20060821ik04.htm
丁寧なメッセージありがとうございました。
前コメントで挙げた“一味違う”ブログ記事の方にも貴方のように坂東と同郷の方がいらしたかと思いますが,かつての日本や今でも地方で自然と共に暮らしておられる方にとっては,今回のバッシングは,ある意味,自分も責められているような一面もあるかもしれません。
ご指摘のように,崖の下に投げ捨てられた小猫の体は自然に還り,それ自体無意味なことではないというのは事実でしょう。また,(前掲ブログより)自然の中で暮らしている人たちにとっては自分の手を汚して食べるために殺す・不要な(猫などの)子は間引くのは当然のことであり心を痛めてなんかいられない話であるということも改めて知りました。
けれど,やっぱり坂東コラムは,あまりにも稚拙すぎて「強い者が自分の都合で弱いものを殺す」傲慢さしか伝わらない,反発を生んで当然の内容といえるでしょうね。自分で深く考えたと言っていることが己の浅さを証明している感があります。何に重きを置き,何と何を同列に考えるかという前提からして世間とずれすぎてますから,世間を騒がせた後に(他の人から貴重な意見や情報が出る呼び水とはなり得ても,このコラム自体は彼女の“異常”さを世間に知らしめる以外)何も残さないんじゃないでしょうか。
「冷静に考えたら別におかしくない,最初に騒いだほうが恥をかく」こともある石原慎太郎氏の“暴言”と比べると同じ文筆家として(文学価値はともかく知的レベルでは)格段の差を感じます。
で,件の自称ヘアメーク女性の書いている人気ブログですが…私もしょっちゅう読んでいる(本人の趣味的な記事はパス)けど,こちらで紹介する際にリンクは張らない(←こんなことはあまりないのですが)…と,どういう距離をとればいいのか判断に苦しむブログです。
いろんなところから情報提供があるのでけっこうサプライズがある(永田メールでは提供者が実在しないと地雷を踏んだり牛肉輸入問題で事実誤認を平気で飛ばすなどかなり怪しいところはありますが),世間が「悪いヤツだ」と思うような対象を叩くので読む方も抵抗を感じず(自分は責める側にいられるので)カタルシスを得られる。くだけた文体や事実説明の記述が適度に読みやすい…と,読み物としては坂東コラムの対極にあるわけですね。
ただあの“毒”善さはねぇ…「(ハイチでは道路でよく動物が死んでいるという)動物の死体を日常的に目にするような環境なら逆に命を大切にするはず」ってのも勝手な言い分なんですよね…。かなりの数の“信者”がいるようですけどいかがなものかなという気はします。
> 今回気になったのは人格否定です。
> どうかあのレベルに落ちないで下さい。
ありがとうございます。
いつも心がけて書いているつもりではありますが
今回の記事にしても殊勝な前置きだけしておいて中身は安易な悪口になってやしないか,自分でもあやういライン上にあるものだと思っています。批判などがあれば謹んで受けたいと思います。
これからも監視・ご指導・ご忠告いただけたらと思います。
> のびぃ太さん
いつもありがとうございます。
ご紹介のヨミウリオンラインの記事,
地元京都新聞でも最近医療関係の一面連載がありましたが,「命は大切」が不動の心理だとしても,現実にどう行動するかについては,1人1人事情があって一律単純にはいかないですね。病院も「ガイドライン」は作る必要があるかもしれませんが「マニュアル」で(生命維持停止など)動かれたら恐ろしいことですね。
猫好きさんです。1匹飼ってます。
「猫の尊厳」――なんとも都合がいい言葉ですね。いかにも作家が耳当たりの良い言葉として用いそうな言葉です。
飼い猫は人間の管理下に置かれ、生活を強いられています。そんな状況では「動物の尊厳」なんてありません。せいぜい有るとしたら、飼い主の思い遣り程度です。
男に監禁されて「ご主人様」と呼ばされていた女性に「人の尊厳」が認められていたと思いますか?
支配者が被支配者に「尊厳を認める」なんていうのは、自分中心のご都合主義でしかありません。
ペットの飼い方は「動物の尊厳」なんて調子いい言葉を用いるのではなく、あくまでも飼い主側が、その動物にとってのベストを選択するしかありません。それが「飼う」ことの責任です。
まず、レスが遅くなったことをお詫びします。そしてあの長く読みにくい、d_d-さんの言われるように感情が先走ってしまったコメントを読んで頂いて有難うございました。
我が家でも1匹飼ってます、猫。普通の猫と同じくわがままな奴で、でも可愛いです。爪をたてたり、軽く噛んできたり。しかし万が一、この猫が私や家族を襲ったりした時には殺さなくてはなりません。ルールで決まっているからではなく、私がそう決めたからです。ここでこの猫には選択肢が存在します。大人しく死を待つ、抵抗して逃げるといったところです。ですが、鎖で繋がれていては選択肢は無きに等しい。餌をあたえないだけで私の目的は達せられます。猫がかよわきものだと私は思っていません。その気になりさえすれば、いつでも私の両目をえぐり、動脈を食いちぎることができるはずです。これが我が家の猫の尊厳です。権利ではなく、出来るということ、可能とする肉体と精神の事と私は定義づけています。そして私は、縁があれば有り得た猫の出産育児といった尊厳を殺しました。上記のような事態は有り得ないことではありません、猫が決めることです。現在の安定した食料だけで満足できるか否か私が決めることではないのです。
人の話と猫の話を同列視されている方があちらこちらで見受けられますが、恐らく意味が有りません。人間の「所有物」と「同じ人間」は肩を並べることができないはずなのです。神様は命に優劣などないと言うかもしれませんが、今現在の人の概念において全く違うものを並べても仕方ありません。そして件の女性の尊厳が認められていたかどうか、私には分かりません。対人恐怖症になったり、身体に治療できない傷を負っていたりするのかどうかです。女性の人権はもちろん侵されていますが。
>ペットの飼い方は「動物の尊厳」なんて調子いい言葉を用いるのではなく、あくまでも飼い主側が、その動物にとってのベストを選択するしかありません。それが「飼う」ことの責任です。
その通りです。そしてその「ベスト」は誰のお墨付きをもらったものでしょう。恐らくこうすることが良かろうと思われている事でしかないのです。坂東さんのベストとあなたのベストが違うようですが、誰が正しいといえば坂東さんのベストが正しくなるのでしょう。そしてその時、あなたは責任を果たせていなかった、ということになるのでしょうか。
以上で失礼させてもらいます。間を置いたレスと長文をお許し下さい。