今日は赤坂宿(美濃赤坂駅)から東へ進みます。前にも紹介しました美濃赤坂の駅舎と出札口跡です。現在もこの駅から生石灰の貨車輸送が行われておりますが、赤坂は大理石の加工業が盛んなところで、国会議事堂の大理石もここから多く運ばれて行きました。
ここは美濃赤坂駅のすぐ南にある“安楽寺”というお寺ですが関ヶ原の合戦の前日、徳川家康の本陣になったそうです。
この辺りは本々“岡山”という名前の山でしたが、合戦に勝利した為、徳川家康が“勝山”と名付けたと言われています。 右側写真の奥が美濃赤坂駅です。
赤坂宿本陣跡です。 解説板によれば中山道の57番目の宿場町として栄えたとあります。
赤坂本町駅跡でプラトホームが残っています。 ここのあたりに港があり、鉄道ができるまでは海運が栄えていた様です。このバス停は以前“赤坂東町”だった様な気がします。松尾芭蕉の影絵も付いています。
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