茶道に多少ともかかわってきた私には、利休の「わび」「さび」という言葉の重さがどれほどのものか理解することが、とても大切なことと感じています。 例として「わび」が表現されている和歌として取り上げられているのが藤原家隆の歌が引用されております。
花をああのみ待つらん人に山里の雪間の草の春をみせばや
それにより千利休も「わび」を説明するために用いたと伝えらられております。 これは、「桜の花が咲くことだけを(春の兆しと思って)待っている都の人に(わびしい)山里の雪間から草が顔をのぞかせるそんな春の訪れを教えてあげたいものだ。 ということです。 つい桜の華やかさに心がうばわれてしまいがちですが、「わび」「さび」の美しさはもっと密やかに存在しています。 茶道は常に物事の繊細さに意識して感性を磨くトレーニングでもあるのです。 それにより秘めた繊細な美しさをそこに発見し、深く堪能できるようになるのだと思います。