今、古典の会で勉強中の「方丈記」の始まりが、「行く河の流れは絶えずして・・・」から始まり大自然の原理は不変であると説いていますが、人間の世界も第二章には、はかない人と住まいの命を記しています。「知らず、生まれ死ぬる人、何より来りて何方へか去るまた知らず、仮りの宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる・・・」=私には解らない、一体この世に生まれてきて死んでいく人は、どこからやってきて、どこへ去っていくのかが更にまた解らない・・・ほんの短い人生の間しか住まない仮の宿である家を、誰のため苦労して建て、何のために見た目を飾りたてて嬉しがるのか・・わからない。なんと申しましょうか長明さん、ずばり無常を感じさせる文章にはオドロキでした。
「無常」とは、それは「無常」という真理の限りない広さと、底しれぬ深さを、人生観の大前提に据えなければならないと考えている長明さんは「無常」無しの人生はありえないもので、「無常」だからこそ人生は生きる価値があり、生きる喜びも生まれてくるもの、要するに「無常」の極限には人間の生死そのものでがあると云うことか・・・
あ~、なんとはかなきは人の命なのだろうか…これ以上難しく考えず、健康で、楽しく生きてきた我が九十年の人生に悔いがなし、ということか と自分に言い聞かせる私でした。