私の本棚にはインテリア化している科学啓蒙書がたくさんあります。
ときどき斜め読みをはじめるのですが、すぐに飽きてしまうものが多く(特に日本語力のない文章には耐えられない性格なので)、期待をしないで下記の本を手に取って読み始めたところ、面白くて最後まで読み切りました。
<参考>
(吉田たかよし著)講談社現代新書、2013年
中でも最終章「鉄を巡る人体と生物の攻防」は、ふだんから抱いていた「感染症が長引くと貧血になるのはなぜだろう?」という素朴な疑問に対する回答であり、目からウロコが落ちました。
本文からの抜粋に、一部、私の感想・コメント交じりで記してみました。
<メモ>
・地球は「水の惑星」ではなく「鉄の惑星」である。地球に最も多い元素は鉄であり、地球の重量の1/3を占めている。
・豊富にある元素である鉄を人体に取り込むシステムをなぜ構築しなかったのか不思議であり、理由があるはずである。
・人体は必要最小限の鉄しか持たないことによって感染症の予防に役立ている(シンガポール国立大学:デリック・セク・トング・オング博士)。
人体に何か欠陥があって鉄が不足してしまうのではなく、病気を防ぐためにわざと鉄を不足させているというのが人体の実態である。
細菌にとって鉄は生きていくために不可欠な元素であり、鉄が人体に豊富にあると細菌が繁殖しやすくなり、感染症に罹りやすくなる。そのため、苦しくても鉄を不足させ、病原菌を兵糧攻めにしているのである。特に女性は子宮から病原菌に感染しやすいため、たとえ貧血になってでも鉄を多少は不足気味にしておく方が有利と考えられる(鉄・差し控え戦略)。
人体の中で、病原菌との鉄の奪い合い競争が常に繰り広げられている。
・鉄は元素の中で原子核が最も安定している。
鉄の原子番号は26であり、原子核には26個の陽子がある。この「陽子数26」より少なくても多くても原子核は不安定になる。
138億年前に宇宙が誕生した当初は、陽子が1個の水素と陽子が2個のヘリウムしかなかった。その後恒星内部で核融合が起こり、水素→ ヘリウム→ 炭素といった具合に徐々に重い元素が造られ、最も安定した鉄を目指して反応が進んできた。
鉄より重い元素は超新星爆発の時に、その巨大なエネルギーによって造らるようになったが、まだ存在する量は少ない。
・命を構成する元素は軽い元素中心
重い元素である鉄は地球内部に沈み込んでいったため、生命は地球表面に取り残された軽い元素(水素、酸素、炭素、窒素、イオウ、リンなど)を使って造られた。しかし複雑な形態・高度な機能を造るには重い元素も必要だった。原子核を回る電子軌道が複雑になると、複雑な性質を持つことができるためである。
・酸素の運搬役に必要な条件
生体が酸素を取り入れるだけなら、ただくっつける酸化をすればいいが、酸化すると酸素を引きはがすのが難しくなり、酸素の運搬には不向きである。肺で酸素を取り込み、全身の細胞に酸素を運んで渡すためには、「結合」と「切り離し」がスムーズにできる性質が必要である。
・鉄を有効利用したお手本のヘモグロビンとミオグロビン
ヘモグロビンは、ヘムという分子とグロビンというタンパク質が結合してできている。ヘムには鉄が1原子だけ存在しており、この鉄の持つ複雑な電子軌道を利用することにより、肺で穏やかに酸素をくっつけ、体内の深部で酸素を切り離して細胞に酸素を届けることが可能になった。
筋肉で同じような役割を担っているのがミオグロビンである。筋肉を動かすときは、大量に酸素が必要になり、赤血球のヘモグロビンから酸素を効率よく受け取らなければならず、ここでミオグロビンが働く。
ミオグロビンの中心部には鉄が備えられており、この電子軌道によってヘモグロビンから酸素を奪い取る(ヘモグロビンより酸素と強く結合するため)。エネルギーが必要なときは、筋肉細胞内でミオグロビンから酸素を引きはがして使う。
・酸素の運搬には鉄が鉄板?
生命全体で見ると、酸素の運搬に鉄が利用されるケースが圧倒的に多く、哺乳類は例外なく鉄を使用している。
イカやタコなどの頭足類、カニやエビなどの甲殻類はヘモグロビンではなくヘモシアニンという物質を使って酸素の運搬をしているが、これは鉄の代わりに銅が使われている。
・生体における鉄の基本的な役割は酸化還元反応を起こすための触媒
全身の細胞は無数の酸化還元反応により生命が維持されているが、その中には鉄を利用した酵素が少なくない。これらの酵素活性を担う最も大切な部分に鉄がはめ込まれている。やはり、鉄が持つ複雑な電子軌道を利用して酵素活性が生み出されている。
・病原菌が人体内で増殖するには、人体の中から鉄を奪い取ることが必要
現在、地球上で見つかっている生命の中で、鉄が無い状態でいきられる生命はほぼ皆無。
人間に寄生して生きる病原菌にも当てはまり、病原菌が体内で増殖するには、人体から鉄を奪い取ることが不可欠。一方人体は、病原菌に鉄を奪われたら病気になってしまうので、そうはさせじと鉄を奪われない仕組みを発達させた。その中心にあるのがトランスフェリンである。
・酸素を運ぶヘモグロビン、鉄を運ぶトランスフェリン
トランスフェリンは鉄を輸送する役割を担う。トランスフェリンは強力に鉄と結合することで、病原菌に鉄を奪われないようにしてくれる。そして鉄を必要としている人体の細胞には鉄を与えることができる優れた性質を有する。
酸素におけるヘモグロビンの役割を、そっくりそのまま鉄に置き換えたのがトランスフェリンといえる。トランスフェリンは鉄の供給を断つことで病原菌を兵糧攻めにして弱体化を図る戦法をとる。
・トランスフェリンとシデロフォアによる鉄の争奪戦
しかし病原菌も黙っていない。病原菌の一部はトランスフェリンに対抗する機能として、シデロフォアという物質を作り出した。シデロフォアはトランスフェリン同様、鉄と結合する物質で、病原菌が鉄を使えるように細胞内で鉄を輸送することができる。
こうして人体はトランスフェリン、病原菌はシデロフォアと、それぞれ異なる武器を持って激しい鉄の争奪戦を繰り広げている。
・貧血は感染対策の武器である。
病原菌との戦いを有利に進めるため、人体はトランスフェリンに加えて捨て身作戦も遂行する。それは「体内の鉄分をわざと減らす」ことであり、人体が死なない程度に鉄を減らす作戦である。
月経による貧血も、実はある意味、人体が意図的に作り上げているという側面がある。
・感染対策に活躍するヘプシジン
人体は必要以上に鉄を吸収しないように、吸収率を抑制するメカニズムをわざわざ発達させてきた。
ヘプシジンは抗菌作用を持っており、人体が最近に感染すると、肝臓で合成される量が増加し、細菌が体内で増殖するのを抑える。さらにヘプシジンは腸に作用し、鉄の吸収にブレーキをかける作用も有する。
細菌に感染したときは、貧血のダメージより感染症のダメージの方が大きいので、増加したヘプシジンにより鉄の吸収が大幅に抑えられ、これにより細菌を兵糧攻めにしている。