小児アレルギー科医の視線

医療・医学関連本の感想やネット情報を書き留めました(本棚2)。

100年前の日本で開発されていた「インフルエンザ菌ワクチン」と「肺炎球菌ワクチン」

2021年01月31日 16時22分06秒 | 予防接種
現在、インフルエンザ菌に対するワクチンは“ヒブ”として(アクトヒブ®)、
肺炎球菌ワクチン「プレベナー®」と共に子どもを対象(※)に定期接種されています。
※ 高齢者に対する肺炎球菌ワクチンも別に存在します。

しかし今から約100年前の1918年、スペイン風邪大流行の際に、
同じ病原体に対してワクチンが開発されていたことを下記番組を見て知り、驚きました。

英雄たちの選択「100年前のパンデミック〜“スペイン風邪”の教訓〜」
大正時代の日本を襲った感染症、スペイン風邪。ワクチン開発をあおった国や世論。町医者の格闘。感染した少女が日記に綴った恐怖。100年前の経験から何がくみとれるか? 大正時代、世界的に流行し、日本でも50万人近くの命を奪った感染症、スペイン風邪。予防法も治療薬もない未知の病を相手に、当時の日本人はどう闘ったのか。政治や世論に押され、医学界を二分したワクチン開発競争。栃木県の町医者が残した壮絶な治療の記録。12歳で感染した少女の日記からは、地域と家族の平和が壊されていく恐怖が克明に記されていた。国、医師、そして患者。100年前の経験から今、何がくみとれるか?

今でこそインフルエンザの原因はウイルスであることは常識ですが、スペイン風邪流行時はまだ原因病原体が不明でした。
理科の授業で使う光学顕微鏡では、細菌の100分の1の大きさのウイルスを見ることはできなかったのです。
電子顕微鏡が開発された1930年代になりようやく、ウイルス感染症であることが判明したのでした。

当時はインフルエンザ患者の痰から検出された細菌を、
「インフルエンザ菌」と名付けて原因と誤解しており、
この名前は現在でも残っていて混乱の一因となっています。

そして日本では、細菌学で成果を上げていた北里研究所が「インフルエンザ菌ワクチン」を開発しました。
北里研究所はノーベル賞学者、北里柴三郎が設立した民間の研究施設です。

これに対抗して、東京大学教授である長与又郎が所長を務める「国立伝染病研究所」もワクチンを作ることを求められました。
しかし長与博士は「インフルエンザは細菌感染ではなく原因病原体はまだわかっていない」と主張していた人物。
その彼も国民や政府のプレッシャーに押されて、インフルエンザ菌と肺炎球菌に対する混合ワクチンを開発せざるを得ない立場に追い詰められました。

原因不明と主張していたにもかかわらず、周囲のプレッシャーに負けて“細菌”ワクチンを作ってしまったのですね。

当時、ワクチン製造ブームが沸き起こり、
民間製薬会社も次々名乗りを上げて、約20種類のワクチンが販売されたそうです。

番組の映像では、「流行性感冒(=インフルエンザ)の予防注射」として、
「インフルエンザ菌ワクチン」や「感冒用混合ワクチン」の新聞広告が登場しています。
その「感冒用混合ワクチン」の中身は・・・
「インフルエンザ菌+肺炎球菌+カタール性球菌+ジフテリア菌+ブドウ状球菌+連鎖状球菌」
と、豪華な顔ぶれで何にでも効きそうです。

賢明な皆さんならおわかりでしょうが、
これらのワクチンはインフルエンザに全く効きません、無効です。

さらに言えば、連鎖状球菌とはいわゆる溶連菌で咽頭炎の原因菌ですが、
いまだに有効なワクチンは存在しませんから、
当時の「連鎖状球菌」ワクチンも怪しいものです。

パンデミックの最中、国民からの圧力、政府からの圧力に負けた形で、
科学が道をそれてしまった悲しく残念なエピソードですね。

しかし、これらの失敗がいつしか歴史の闇に消え、
現在に伝えられていないことは大きな問題だと思います。
実際に、ワクチンのことは一通り調べてきた小児科医の私でさえ知りませんでしたから。

日本人って、間違いを反省・検証してそれを伝承していくことがホント、苦手です。

これと似たようなことは他にも心当たりがあります。

2014年に一世を風靡した小保方晴子女史が発表したSTAP細胞。
あれは、大阪大学や京都大学の学者がノーベル賞を獲得したことに焦った理化学研究所の研究者が、苦し紛れに捏造した事件でした。
悪いのは小保方女史ではなく、責められるべきは彼女の裏にいる上司でしょう。

今回の新型コロナ・パンデミックにおいても、
それを切り抜ける切り札としてワクチンが期待されています。
ワクチンに対して日本人は用心深く、接種を希望する国民は50%を割っています。
歴史の過ちを繰り返さぬよう、しっかりと冷静な目を持ち続け、
有用なワクチンと判断され認可されれば積極的に受けたいと思います。

同番組では、当時の平民宰相、原敬の感染対策も紹介していました。
明治時代に強行した“強制隔離”ではなく、市民1人1人にポスターで
「マスク着用」「咳エチケット」を呼びかけました。


マスクをかけぬ命知らず!」ですって。
日本人にマスクが定着したのは、この頃からだそうです。



お母さんの口から出た飛沫が、子供の食事の上に降りかかる!
病人はなるべく別の部屋に!」という家庭内隔離のポスターもありました(⇩)。
なんだか、今やっていることと同じですねえ。


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