新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

表舞台から岸田文雄は消えるが五輪のIOCマフィアはなくならない

2024年08月15日 11時52分47秒 | 利権ビジネス

とりあえずは、こんな動画を紹介しておく。
 




 
ところで8月6日の広島での平和式典では、こんな裏事情があったという。
 
岸田政権から“何らかの圧力”があった?NHKが「広島平和記念式典」で“あの国”の駐日大使の顔を映し続けていたウラ事情
 
■米国の脅しに屈せぬ長崎市長と「なんちゃって核軍縮」でごまかす岸田首相
「八月や六日九日十五日」という俳句があります。8月の3つの日付を並べただけの句ですが、日本人であれば誰でもすぐにその意味が分かると思いますし、これらが決して忘れてはならない重要な日であることも知っているでしょう。
ちなみにこの句は「むいかここのか・じゅうごにち」というフレーズがちょうど五七五の七五になっているため、俳人であれば誰もが思いつくパターンであり、実際、複数の作者がいます。まだ、この句が世に知れ渡っていなかった頃に、前例があると知らずに複数の俳人が偶然、同じ句を詠んでしまったのです。
このような場合、通常であれば最初に発表した人の作品となりますが、この句に関しては「誰の作品か」ということよりも、複数の俳人が同じ思いでこの句を詠んだ、という事実を大切に考え、一般的には「詠み人しらず」の作品として人口に膾炙(かいしゃ)しています。
さて、今年も8月6日と9日が過ぎ、明日15日に「終戦記念日」を迎えるわけですが、今年は9日の「長崎平和祈念式典」に長崎市の鈴木史朗市長がイスラエルを招待しなかったことで、スッタモンダがありました。しかも、3日前の6日に行なわれた「広島平和記念式典」にはイスラエルが招待され、ギラッド・コーヘン駐日大使が出席したのです。
広島市の松井一実市長が「ロシアによるウクライナ侵攻の長期化やイスラエル・パレスチナ情勢の悪化により、罪もない多くの人々の命や日常生活が奪われています」と述べている間、NHKのカメラがずっとギラッド・コーヘン駐日大使の顔を映していたので、覚えている人も多いと思います。
同じような式典なのに、イスラエルを招待するかどうかで市長の判断が分かれたのは、広島が「平和記念式典」なのに対して長崎は「平和祈念式典」だったから?…などという揚げ足取り的な見方をした人もいましたが、そもそもの話、広島の式典の正式名称は「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」なのです。
明日8月15日も、正式名称は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」ですが、一般的には「記念」という表記を用いて「終戦記念日」と呼んでいます。広島が「平和記念式典」という略称を用いているのも同じことで、実際の内容は「祈念」なのです。
しかし今回は、並列する2つの式典で、広島市がイスラエルを招待した一方で、長崎市が招待しなかったことで、長崎市の鈴木史朗市長に批判が集中しました。鈴木史朗市長は「不測の事態が起きるリスクがあるとの判断でイスラエルを招待しないと決めた」と説明しましたが、イスラエルのコーヘン駐日大使は「私が長崎へ行っても公共秩序に何の支障もない。長崎市長は自分の政治的動機のために、でっち上げの理由で式典を乗っ取ろうとしている」とナナメ上から批判しました。
ま、イスラエルだけが文句を言うのなら理解できますが、あたしが驚いたのは、アメリカのエマニュエル駐日大使の激怒ぶりでした。エマニュエル駐日大使は「式典が政治化された!」と激怒し、自身の出席を見合わせると発表したのです。それどころか、すでに7月19日の時点で、アメリカの主導によって、日本を除くG7の6カ国と欧州連合(EU)の駐日大使らは、イスラエルを招待国から除外した場合、ハイレベル(高官)の式典への参加を見合わせる可能性があるという書簡を長崎市長に送っていたのです。
しかし、そんな脅しには屈せずに、鈴木史朗市長は7月31日、イスラエルは招待しないと発表しました。その結果、アメリカを筆頭に複数の国々が駐日大使の出席を見合わせ、代わりに、アメリカは在福岡首席領事のチュカ・アシーケ氏、イギリスは政治部公使参事官のヘレン・スミス氏など、複数の国々がランクを下げた出席者に変更したのです。
■アメリカの駐日大使が何よりも問題視したこと
ここまで反発されても、自分の判断を変えなかった鈴木史朗市長は、最後まで「決して政治的な理由でイスラエルを招待しないわけではなく、平穏かつ厳粛な雰囲気の下で式典を円滑に実施したいという理由だ。苦渋の決断であったが、そういう考えで決定した。判断に変更はない」というタテマエを述べていました。実はこれ、2年前に岸田文雄首相がロシアとベラルーシを招待国から除外した時の理由の丸パクリなんですけどね(笑)。

しかし今回、アメリカのエマニュエル駐日大使が何よりも問題視したのは、鈴木市長がイスラエルを招待しなかった一方で、パレスチナを招待した点でした。「反イスラエル、親パレスチナ」では、完全にアメリカの敵国になってしまうからです。ちなみに、駐日パレスチナ常駐総代表部は広島の式典に招待されなかったことについて「ダブルスタンダードだ」と広島市を批判しましたが、広島市は「日本に大使館のある国にのみ招待状を送っている」と回答しています。
でも、そうであれば、日本に大使館のあるロシアやベラルーシに広島市が招待状を送らなかったのは、何故なのでしょうか?ちなみに、長崎市も送っていません。これは、岸田首相による「ロシアとベラルーシは平和式典には招待しない」という2年前の判断によるものです。
2022年2月、ロシアがウクライナに軍事侵攻したことで、アメリカを始め西側諸国は一体となり、ロシアへの批判とウクライナへの支援を開始しました。そして、日本も右へ倣えでアメリカに従いました。2023年6月、バイデン大統領は演説の中で「日本がウクライナへ多くの支援金を搬出しているのは、私が日本のリーダーに強く働きかけたからだ」と自分の手柄をアピールしました。
そして、バイデン大統領による岸田首相への働きかけの中に、これも含まれていたのか、岸田首相は2022年、広島と長崎の平和式典にロシアとベラルーシを招待しないようにと、外務省を通じて両市の市長に指示をしたのです。岸田首相のように「検討」ばかりで決断力が皆無の人物が、果たして自分の判断だけでロシアとベラルーシを除外するようなマネができるでしょうか?すでに外務省が両市に指示をしたことは既報ですが、あたしはその前にバイデン大統領から岸田首相への指示があったと推測しています。
日本が広島と長崎の平和式典にロシアとベラルーシを招待せず、その一方でイスラエルを招待すれば、ロシアにダメージを与えるだけでなく、アメリカが支援しているイスラエルによるガザでの大虐殺を正当化することに繋がるからです。多くの国々から批判されているイスラエルの戦争犯罪に、広島と長崎の平和式典というオブラートを被せることで、イスラエルを支援し続けるアメリカへの批判を一定レベルで鎮静化することができるとでも考えたのでしょう。
広島の式典の中継で、NHKがイスラエルのコーヘン駐日大使の顔をずっと映していたのも、「平和の式典に出席しているイスラエル大使」という画(え)を流すようにと、政府からの要請があったのかもしれません。中立公正が基本のNHKが、その場の判断だけであのような特異な映像を流すとは思えません。あたしは岸田政権からNHKに何らかの圧力があったと見ています。
そして、広島市は「ロシアとベラルーシは招待せず、その一方でイスラエルは招待する」という岸田政権の望んだ通りの式典を行ない、「ロシアがウクライナに対してやっていることと、イスラエルがパレスチナに対してやっていることは、まったく違う」というアメリカの思い通りの演出に加担させられました。そして、広島市は複数の国々から「ダブルスタンダードだ」と批判されました。
■岸田首相は去年の原稿を使い回したような内容を棒読み
しかし、長崎市は違いました。ロシアとベラルーシを招待できない以上、ロシアと同じことをしているイスラエルも招待すべきでないと判断したのです。「ダブルスタンダードか否か」という観点だけで比較すれば、長崎市のほうが正しい判断です。しかし、これは長崎市の本意ではないのです。そして、広島市の本意でもありませんでした。
本当なら、広島市も長崎市も、ロシアにもベラルーシにもイスラエルにもパレスチナにも招待状を送り、戦争している当事国がすべて参加した状態で、真の平和を訴えたかったのです。広島や長崎の平和の式典は、戦争加害国を吊し上げる場でもなければ、核兵器を使用したアメリカを非難する場でもありません。核兵器の恐ろしさ、戦争の残虐さを再確認し、二度と広島や長崎のような不幸を繰り返さないために、各国が平和への意識を共有するための場なのです。
2年前の2022年、岸田首相が広島と長崎の平和式典からのロシアとベラルーシの排除を指示し、両市の市長が受け入れざるを得なかった時、ロシアのガルージン駐日大使は公式SNSで「とても恥ずべき措置である。平和式典の主催者は拒絶を選択した」と厳しく非難しました。そして、ガルージン駐日大使は、広島の式典の2日前の8月4日、広島市の平和記念公園を訪れ、原爆死没者慰霊碑に参拝、献花したのです。
ロシアと同じく式典への招待を見送られたベラルーシのイエシン駐日大使は、ひと足早く7月21日に広島市を訪れ、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に参拝、献花しました。そして、イエシン駐日大使は「ベラルーシへの招待中止は極めて残念だ」と述べました。
岸田首相は、おそらく今年で最後になるであろう広島と長崎の式典で、ほとんど自分の言葉は使わずに、まるで去年の原稿をそのまま使い回したような内容を棒読みしました。相変わらず「核兵器のない世界の実現に向けて努力を着実に積み重ねて行くことは、唯一の戦争被爆国である我が国の使命です。核軍縮に向けた国際社会の機運を高めるべく、国際社会を主導してまいります」などと繰り返しましたが、広島市の松井一実市長からの「核兵器のない世界の実現に向けた現実的な取組として、まずは来年3月に開催される核兵器禁止条約の第3回締約国会議にオブザーバー参加し、一刻も早く締約国となっていただきたい」という呼びかけに対しては、完全スルーでした。
自分で「唯一の戦争被爆国である我が国」と言っておきながら、核兵器禁止条約を批准せずにオブザーバー参加すらしない岸田首相。すでにオーストラリア、スウェーデン、フィンランドを始めとしたアメリカの同盟国や、ドイツ、オランダ、ノルウェー、ベルギーを始めとしたNATO加盟国の多くが、核の抑止力に頼りながらもオブザーバー参加しているのに、アメリカの顔色をうかがってオブザーバー参加から逃げ続けている岸田首相。ああ情けない。
こんな人物が、一体どのクチで「核軍縮に向けて国際社会を主導してまいります」などと言っているでしょうか?そもそも岸田首相は、あたしと同じく東京の渋谷区で生まれ育った生粋の東京っ子で、選挙の時に現金をバラ撒いて票集めする時しか広島へは行きません。もともと広島に対する思い入れなど1ミリも持ち合わせていないのです。
■唯一の戦争被爆国である日本にしかできないこと
それに、本気で核軍縮や核廃絶を目指すのであれば、ロシア抜きでは一歩も前に進まないことなど小学生でも分かります。それなのに、何から何までアメリカの言いなりになり、戦争の当事国同士が同じテーブルにつくことのできる数少ない広島と長崎の平和式典から、ロシアとベラルーシを排除してしまった岸田首相。
2014年、ロシアはウクライナ南部のクリミア半島を一方的に併合したことでG8から排除されましたが、岸田首相はこれと同じことを平和のためのテーブルでも強行したのです。もはやこの時点で、岸田首相が連呼する核軍縮は、広島での集票のための「なんちゃって核軍縮」だと透けて見えました。
その上、岸田首相は、今年の広島の式典で「ロシアによる核の威嚇等により核軍縮を巡る情勢は一層厳しさを増しています」などと、ロシアを名指しで批判しました。ここまでアメリカの飼犬に成り下がれるのか?…と思えるほどの腰抜けぶりです。確かにプーチン大統領はウクライナに対して戦略核の使用をチラつかせましたが、それを「威嚇」と言って批判するのであれば、どうして日本に対して核を実戦使用したことについて、謝罪もせずに「戦争の早期終結のため」などという詭弁で正当化し続けるアメリカを批判しないのでしょうか?
プーチン大統領が使用をチラつかせている戦略核は、広島型原爆の5~10倍の威力があり、仮に東京に撃ち込まれたら、首都圏は一瞬で壊滅します。これを「脅威」と捉えるのなら、日本はアメリカの飼犬となってロシアを排除するのではなく、広島と長崎の平和のテーブルにロシアやベラルーシも招待し、イスラエルやパレスチナとともに、核の脅威と恒久平和について意識を共有する方向へ進むべきだと思います。そして、これこそが唯一の戦争被爆国である日本にしかできないこと、日本のすべきことだと思います。


 
少なくとも確実なことは、来年の式典には岸田文雄はおらず、決してアメリカを批判しない「ポチ」がやってくるということだろう。
 
さてあの「醜悪なパリ五輪」は閉幕したのだが、米国在住作家の冷泉彰彦は、近代オリンピックの闇、「カネ」と「ルッキズム」の問題を徹底的に批判していた。
 
TVが報じなかったパリ五輪のダークサイド。カネとルッキズムの祭典に漂う「持続可能性」とは真逆のオワコン臭
 
■五輪は「ほぼ米国マネーの都合」だけで動いている
パリ五輪が無事に終了しました。直前に鉄道への放火テロが疑われる事態があり、非常に緊張感を経験したのは事実ですが、結果的に大きな混乱はなく終わったのは良いことだと思います。伝えられている範囲では、過剰警備に関する指摘はなく、仮にそうであれば高度な警備ノウハウが発揮されたのだと思います。
それにしても、日本の視点、あるいは世界の視点ということでも良いのですが、近代五輪のあり方にはかなり暗雲が漂ってきました。このまま五輪というものが持続可能なのかという問題がまずあり、その中心は経済なのですが、経済問題を別にしても多くの難問が重なっているのは否定できません。
そう考えると、今回の閉会式を見ていると、過去の五輪がそうであったような「やはり、オリンピックというのはいいものだ」そして「次回の五輪が楽しみだ」という手放しの楽観はできなくなっているのを感じます。
まず大きな全体的な問題としては、やはりカネの問題があります。今回のパリの場合は、とりあえずは経営的な問題は話題になっていません。例えば東京のような予算オーバーとか、ソチのような露骨な汚職という話は聞こえてきていないのです。
ですが、アメリカから五輪を見ていますと、やはりその異常性を感じます。それはアメリカの視聴率と購買力に強く依存しているということです。例えばですが、開会式と閉会式の演出は、次回開催都市であるLAの紹介部分は仕方ないにしても、それ以外の部分も露骨なまでにアメリカの視聴者への迎合が感じられました。
フランスの大会であるのに、どうしてレディー・ガガやセリーヌ・ディオンなのか、というのはやはり疑問が残ります。閉会式の主役だったバンドのフェニックスについてもそうです。確かにフランスのバンドだと言われればそうですが、楽曲の多くは英語だし、リーダーのトマス・マーズは妻がソフィア・コッポラで、現在の拠点はNYです。
競技におけるアナウンスが、まるでアメリカの格闘技のアナウンサーのように、絶叫調の英語というのも気になりました。勿論、フランスはEU統合の優等生と言いますか、中核国家であり、EUの公用語は英語であるのは間違いありません。そのフランスというのは、ビジネスやスポーツの世界では準英語圏になっていると言っても過言ではないと思います。
ですが、やはり競技の全体がアメリカという巨大市場のマネーで動いているというのは異常です。その金額については、具体的にはTVの独占放映権です。NBCが結んでいる契約ですが、現時点では「北京(冬季、2022)」から「ブリスベン(夏季、2032)」までの6回で77億5千万ドル(約1兆1230億円)に達します。夏冬ワンセットで約4000億ですから、途方もないカネです。ちなみに、日本の今回(北京+パリ)の放映権料はその10分の1の400億を払っています。
■今後も続く、五輪「8月開催」という米国の横暴
いずれにしても、この米国マネー依存というのは、前回の東京大会の場合にも問題になりましたが、具体的には開催時期を縛ってくるという問題があります。NBCとしては、最大の広告収入を上げて、この投資を回収したいわけです。その際に障害になるのは、他のメジャーなスポーツとの日程の重なりです。
アメリカの地上波(3大ネットワーク、現在はNBCが独占権)と、これに一部ケーブルやネットを加えたメディアとしては、五輪と次の重なりは避けたいのです。
・バスケのNBA(シーズンはファイナルまで入れると、10月末から6月末)
・野球のMLB(公式戦とのダブりはいいが、7月上旬のオールスターと、10月丸々一ヶ月のプレーオフとのダブりはイヤ)
・アメフトのNFL(公式戦が9月上旬にスタートして2月のスーパーボウルまで)
特にバスケ(NBA)は五輪競技にしていることもあり、逆算するとこの8月というのがほとんど「唯一の選択肢」になってきます。昔はもっと五輪の時期というのはフレキシブルに組めたのですが、バスケが五輪の競技になって、プロが出るようになったバルセロナ(1992年)以降は、ほとんどが8月開催になっているのはこのためです。
更に、アメリカのスポーツ市場で大きいのはアメフトのNFLで、これは9月に公式戦が始まると週末の1試合1試合が重要となり、巨額なマネーが動くのでダブりは避けたいわけです。同じ理由で、野球の関係で10月と7月上旬はイヤというわけです。
92年以降の例外は2000年のシドニーで、これは恐らく正式決定後に、どうしても寒い冬ではなく暖かくなってからという理由で10月に「ねじこんだ」のだと思います。2021年の東京も、10月開催にすれば有観客で押し切って経済効果もある程度実現できたのにと思います。まあ冷静に考えれば10月でも有観客は難しかったのかもしれませんが。
それはともかく、米国マネーによって五輪が支配されているというのは、どうしようもない現実です。開会式や閉会式の内容がアメリカンになるのは、開会式でも感じましたが、パリ大会の実行側に「オリンピックなんてそんなもの」という「こだわりのなさ」が出たのだと思います。閉会式の演出を見ると益々そうした感じがあります。そうした理解でとりあえずはいいのだと思います。ですが、開催時期がほぼ一択、7月下旬から8月下旬という一択に絞られているというのは、やはりいただけません。
■今後の五輪に必要なのは「アメリカのシェア低下」だ
この米国マネー依存ですが、次に詳しく述べますが、日本の場合はもう対抗できる余力がなくなっています。ですから、EUあるいは中国にもっとカネを出すようにさせるか、あるいは五輪運動にそんなに積極的でない中東やインドを引っ張り込むか、何らかの新しい五輪変革をやってアメリカのシェアを下げる必要があると思います。あるいは、徹底的に省マネーの大会にして、カネで歪められるのを避けるとか、とにかく抜本改革が必要です。
日本の事情ですが、例えば日本の民放+NHKの放送権全体が今回の夏冬セットで400億円というのは、アメリカの国力と比較すると高すぎます。

次回の「コルティナ・ダンペッツォ冬季」+「LA夏季」については、2019年の時点で475億円だそうです。当時のドル円が110円程度ですから、今の換算レート(147円)で計算し直すと、635億円です。NHKと民放の比率は、7対3になっているそうですが、どう考えても民放に夏冬で200億円出す余裕はあるのかは疑問です。
ここは、どうしても「値切り交渉」が必要だと思います。その意味でIOCという組織はカネを取る側であり、日本側は値切る必要があるのですから、利害の対立をしっかり受け止めて日本経済の利害で行動できる人物が交渉に臨むべきと思います。
更に言えば、もうNHKと民放でいい加減な分担をするのは止めて、共同制作にするのがいいと思います。最高の専門家が専門のスポーツの解説ができないなどという滑稽な「大人の事情」などというのは、止めるべきだからです。
それはともかく、カネまみれの五輪、また開催時期の縛りというのは、今後の「五輪ムーブメント(運動)」に暗雲を投げかけています。過去には、様々な文化圏からの招致の動きがありました。
少なくとも、イスタンブール、バクーなどは、まだ開催の能力があるし、開催意義は大きいと思います。ですが、こうした新しい都市が主催するのは難しくなっているというのは問題だと思います。
■パリ五輪で目立った「スポーツとルッキズム」の大問題
それはともかく、今回の五輪でもう一つ大きな問題だと思ったのは、セクシズムとルッキズムの問題です。ジェンダー差別の問題については、確かに一定の意識はされていました。例えば、マラソンの順番を従来と変えて、男子が先ということにして、最後の大イベントは女子マラソンにして、表彰式を閉会式に組み込んだのは良かったと思います。
ちなみに、21年の東京はこのぐらいやっても良かったのだと思います。そうした発想ができなかったというのは、既に3年経過していますが、今からでも反省すべきと思います。それはともかく、男女混合の種目が増えたことなども含めて、ジェンダーの問題に一定の前進があったことは認めましょう。
問題はとにかく、セクシズムとルッキズムです。これは巨大な「闇」だと言えます。具体的には、全体的に男性も女性も「外見の感じの良い」選手が目立つようになっているということです。以前からその傾向はありましたが、自信をもってプレーするアスリートは美しく見えるという現象で説明できる範囲については、それはそういう現象だということですし、悪いことではないとも言えます。
ですが、今回はどうにも目立つように思うのです。では、どうして「見た目の良い」選手が多くなるのは問題かというと、実は深刻な背景があるのを感じます。それは、「美しい選手は意図的に作られる」ということです。それは、「スポーツの才能が見出された男女は整形手術をする」ということでありません。そういった動きはあるかもしれませんが、限られた範囲と思います。
そうではなくて、もっと根深い、深刻な問題があると思うのです。それは、
「世界中の多くの親や指導者は、子供の才能と意欲、体格があるだけでは、子どもに対してスポーツエリートへ育てるという投資をしない」
「才能、意欲、体格に加えて、商品価値を生み出すような外見を備えている場合にのみ、子どもへの投資をする」
という問題です。

この問題は、以前から「欧米の白人社会における、テニスとゴルフのプロ選手」に関しては密かに語られてきた「嫌なストーリー」です。(後は、韓国の女子ゴルフにもそうした傾向はあると思います)極めて不快な考え方ではありますが、行動として確かに合理性はあります。そして超長期投資として実行されるので、あまり表には出ません。
ですが、今回の五輪を見ていて思うのは、個々のケースとしてはそうした判断というのはあるということです。そして、このような判断が拡大しているのを感じます。それは、「アメリカにおいては、白人だけでなくアフリカ系を含む非白人も」「米英が多かったのが、大陸欧州にも」
「中国を含めた東アジア圏にも」
■ルッキズム問題に関して、日本は胸を張っていい
まず、何が問題なのかというと、まず、才能と意欲、体格があっても「投資に不向き」だと判断されて、スポーツエリートへの道を絶たれる若者がいる可能性です。
これは大きな問題だと思います。ちなみに、日本の場合はこの問題は軽微であり、そのことは密かに胸を張っていいと思います。
ただ、一方で、日本では「子どもの勝敗の緊張感に親がメンタル的に耐えられない」のでスポーツエリートの道を断念させる「毒親」の問題があるようで、これはこれで大きな課題だと思います。
いずれにしても、本来ならエリート選手として活躍する可能性を秘めた人材が、その道を断たれるのは問題だと思います。ですが、一番の問題はそこではありません。そうではなくて、セクシズム、ルッキズムの一番の弊害は、
「スポーツに集中する人間の躍動の美しさ」
というものが、人間の活動としての高度な達成として伝わるのが妨害されるという点です。今回の五輪では、そのような危険な領域に入りかけているスポーツがいくつか出てきたのは問題だと思います。
改めて申し上げますが、日本は巨大選手団を送りながら、この文化に毒されていないのは、誇りにしてもいいと思います。
反対に、その日本からスポーツの躍動に関して、本物の見方、評価の仕方についての発信ができれば素晴らしいと思う次第です。今回の五輪報道を見ていますと、日本の場合は、長年続いた「自国が勝ったら感動」という安っぽい言語表現では満足しない視聴者が増えてきているようで、そのことも良い兆候のように思います。
■だが日本は、あまりにも「カネ」がない
一方で、日本の場合は資金不足という問題が大きく暗い影を落としているように思います。
例えば、多くのメダルを獲得して日本選手団全体としては成果があったにもかかわらず、JOCとして優勝パレードは行わないという決定の問題があります。一部には、東京招致と東京開催成功を目指した時期には「パレードを行う理由」があったが、今はないという声もあります。
ですが、それも含めて資金不足ということは明らかです。資金がないので、警備を含めたコストを支えきれないのです。例えばスポンサー企業に頼ろうにも、東京五輪が残した「五輪とカネ」のマイナスイメージがある中では、積極的になれない企業も多そうです。
また、これは関西の例ですが、タイガースの優勝パレード絡みのスキャンダルが十分に解明されていない中では、企業が資金提供する意欲は低いのだと思います。そんな中で、無料イベントとしてのパレードには人は殺到する、けれども地上波TVも含めて、人が殺到したとしてもマネタイズができない、そんな構造が背景にはありそうです。
少なくとも、日本の場合は東京の悪夢が残っている中では、五輪に関心はあるが、カネが絡む話には疑念を持ってしまうという傾向が、今後かなり長い間続くではと思います。これは非常に深刻な話です。
もう少し小さな話としては、女子マラソンの補欠繰り上げ問題があります。女子マラソンでは日本記録保持者として日本代表となっていた前田穂南選手が8月2日の補欠解除後に負傷欠場を発表しました。パリ五輪としては、レース前日まで補欠と変更可能というルールがあったのですが、日本陸連としてはレース9日前の2日で補欠解除にしていたのです。
この問題ですが、前田選手サイド(天満屋)に細田選手の繰り上げに対して消極的で、そのために発表を遅らせたという可能性はゼロだと思います。また、日本陸連が官僚主義で「補欠繰り上げの手続きが面倒」などの理由で「9日前のカット」をしていたのでもないと思います。
問題はカネです。まず、これは一般世論は全く知らずに驚いたのですが、直前のトラブルに備えて補欠選手を帯同するということは、やっていないのだそうです。このこと事態が驚愕ですが、委員を派遣するチケット代ホテル代を削減してでも補欠を帯同すべき、という価値観は陸連にはないという以前に、そもそも陸連にはそんなカネはないのだと思います。
結果的に、急遽チケットを手配して補欠を飛ばすとなると、格安チケットは無理なので往復50万円とかになるし、ホテル代などを入れると100万円では足りないわけです。そのカネを用意するのは、例えばですが、補欠1位でGMC3位であった細田選手(エディオン)サイドには出来なかったのかもしれません。
そんな場合は、協賛航空会社が「太っ腹」で何とかすればとも思いますが、現状では日本発の欧州往復のマーケットは限りなく細っており、航空会社としてもタダ券を出す投資に見合う効果は計算できないのだと思います。
■東京五輪の「2つの闇」は暴かれなければならない
そんなわけで、カネが細っているという問題は、日本の五輪活動に大きな制約を与えていると思います。東京の悪夢は、今後は札幌を含めて「二度と招致をしなければ」再現はしないので、それで「スッキリ」すると考えている人も多いようです。ですが、招致しなくても、参加はするし、参加する以上は多くの期待が寄せられるのは間違いありません。
その場合に、パレードなどは大きな問題ではないかもしれません。ですが、カネがないので選手を送れないとか、カネがないので中継に制約が出るというようでは、これは困った問題になります。そこで東京の悪夢が思い出され、スポンサー企業が躊躇したり、頑張ってカネを出した企業が怪しい目で見られるということがあっては大変です。
そこで問題になるのが「東京の闇」という悪夢です。この問題は、大きく捉えるのであれば、宏池会岸田派による清和会安倍派への政治的プレッシャーとして動いているのだと思います。もっと言えば、森喜朗という人の消しても消しても消えない影響力を完全にマイナスに持っていこうという、執念深い動きの一環とも言えます。
では、問題の追及はしないで忘れてしまっていいのかというと、そうではありません。ここまで染み付いてしまった「五輪とカネ」へのマイナスイメージというのは、とにかく参加費にまで影響を与えることで、延々と悪い影響を残すからです。
まず、悪いのは電通や角川ではないと思います。彼らは被害者という認識が正しいと思います。電通は、通常の広告ビジネスを展開しただけで、そこに収益を期待した部分を犯罪扱いされています。角川に至っては、今どき紙版のガイドブックを出して儲かるはずもなく、「付き合いで頼まれた」ので引き受けたし、「カネを出せ」と圧力を受けたから出しただけだと思います。
問題はそこではありません。2つの闇があると思います。1つは招致にかかったワイロであり、もう1つは本当の開催費です。どちらも現時点では藪の中であり、そこにメスを入れて全てをガラス貼りに解明しなければ、東京の闇は晴れません。
■わが国は、国民の「五輪への信頼」を取り戻せるのか?
岸田派による安倍派潰しなどというスケールの小さい話ではなく、森喜朗氏の問題だけでもなく、JOCに加えて歴代の都知事も絡んだ大きな問題です。彼らが私腹を肥やしていたということではありません。そうではなくて、
招致工作に関して、恥ずかしいような犯罪的な行為を行った」
「マネジメントに失敗して、信じられないような損失を出した」
という2点です。この2つについては、徹底的に解明して関係者を処罰すべきです。そこでガラス貼りの解明ができて、関係者を処罰できれば、国民の五輪への信頼は回復するでしょう。
そうなれば、今後の派遣選手団への資金提供がイメージアップとともに、できるようになるし、札幌招致も改めて可能になってくるのだと思います。
とにかく、東京が大失敗したこと、札幌でも招致ができなくなったこと、によって、日本だけでなく世界の「五輪ムーブメント」が大きく損なわれているのは事実です。改めて徹底的な解明を強く望みます。


 
そもそも五輪という興行は「スポーツマフィア」と呼ばれるIOCが存在する限りはこの世からは決してなくならない運命であろう、とオジサンは思う。  

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