新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

またもや蘇る火事場泥棒的改憲の動き

2021年05月03日 11時39分28秒 | 憲法改悪

昨日、「『ウィルスに打ち勝てなかった証』が五輪開催という悪夢」というつぶやきの冒頭で、沖縄タイムスの阿部岳記者が沖縄県内の異様な聖火リレー初日をリポートしていたツイッターを紹介した。


そして、今度はその「白い幕」の中身が明らかになった。

さらには、その会場の周辺にはこんな聖火リレーには似つかわしくない光景が広がっていた。

聖火リレーに関する他紙では見ることができない記事がでていた。
 
垣間見える商業五輪の醜さ スポンサーで成り立つ聖火リレー」 
47都道府県で人口が最も少なく、県内総生産も最小の鳥取県。平井伸治知事(59)が、首都東京の五輪の聖火リレーを「アメリカナイズされた大騒ぎ」と評している。
  

 聖火ランナーを先導するスポンサー企業の車列=三重県伊賀市で
  
 「私も米国暮らしの経験があるが、皆で踊って大騒ぎする文化だと思う。日本でも、大都会には派手なパレードはあると思う。でも、鳥取にはないです」
◆派手な車列に大音量の音楽 東京基準は非合理的
 聖火リレーは、約30台の車列が約800メートル続く。ランナーを先導するのは、大会スポンサーとなった企業の大型宣伝車。大音量で曲を流し、車上のDJ(ディスクジョッキー)が興奮を盛り上げる。
 新型コロナウイルスの感染拡大のさなか、有名人ランナー目当てに集まる人々に企業がグッズを配り、群集の「密」も生じた。
 4月、本紙のインタビューに応じた平井知事の口調は穏やかだが辛口だった。東京・秋葉原で生まれ育ち「東京の感覚は分かる」とした上で、「全国のリレーを東京基準で作るというのは合理的ではないのではないか」「地域になじむやり方がある」「商業主義と五輪の理想の調和を保つべきだ」と説いた。
  
*
                 鳥取県の平井伸治知事
  
◆3500万円削減 「地味で良い」
 財政が裕福でない鳥取県にとって、沿道警備や式典などリレーの費用9000万円の負担は重い。予算を少しでもコロナ対策に回し、沿道の密集を避けようと、見直しへ向けて組織委との交渉に入った。
 リレーは5月21、22日。当初計画では県内の走行距離は31キロだったが、半分の16キロに短縮する。市町村ごとの走行区間を極端に短くすることで、長い車列が通過する余地がなくなり、大型宣伝車の登場場面が激減する。予算も、約3500万円削ることができた。
 有名人ランナーは辞退した。「地味で良い」と平井知事は言う。
 そもそもリレーの目的は平和や友愛など五輪の理想を体現し、大会への関心を高めるためだ。
 「地方で皆が見たいのは同じ村のあの人、苦労してきたあの子が、聖火を持って堂々と走る姿ではないか。その体験を共有し、記憶に刻み込むことが、リレーの意義だと思う」
◆100億円の協賛金 リレー中止できない理由
 企業に広告を認める代わりに、莫大な協賛金を負担してもらう―。そんな「商業五輪」の源流は、1984年のロサンゼルス大会にさかのぼる。背景には、その8年前のモントリオール大会が巨額赤字を残したことへの反省があった。
 東京大会の聖火リレーがスポンサー優遇に見えるのはなぜなのか? 答えは単純である。リレーの財源が、約100億円のスポンサーの協賛金だからだ。
 国からの支出はない。都も他の道府県と同様に、都内の沿道警備や式典の費用を負担するだけだ。
 「世論の批判を浴びたからといって、リレーを途中で中止したら、スポンサーから『逸失利益を支払え』と言われかねない」。組織委の幹部は自嘲気味に続けた。「商業五輪の醜い姿を示してしまった

 
ついに「醜悪な五輪」となってしまった感が強い。 
 
さて、コロナ禍であろうとも、今日は「憲法記念日」であるが、昨年に引き続き今年も屋外での大集会は中止になっている。
 
昨年の今頃、オジサンは「火事場泥棒的改憲許すな」という記事をある機関誌に投稿した  
 
ついに出口の見えぬ「緊急事態宣言」の延長が始まった。
 緊急事態宣言の根拠となっているのが改正新型インフルエンザ等対策特別措置法(コロナ特措法)であるが、そもそも民主党政権時代の2012年5月11日に「新型インフルエンザ等対策特別措置法」が成立し公布されていた。
 同法でも十分に新型コロナウィルスによる感染症対策は可能であったが、安倍晋三首相の一存で改正されたという経緯がある。
 コロナ特措法に基づきで4月7日に初めて緊急事態宣言が発令され7都道府県が対象区域に指定された。
 そして9日後の16日には、指定された区域以外でも感染者数が増えたが、感染者数が確認されていない岩手県も含めて対象地域が全国に広げられた。
 ところが、7都道府県を含む13都道府県を特措法に定めのない「特定警戒都道府県」に新たに指定するという脱法的な運用を行った。
 このあたりから、安倍政権のコロナ禍を奇禍とする思惑が見え始めた。
 まさに、「衣の下から鎧が見える」であった。
 もちろん見えてきたのが、「緊急事態条項」を憲法に明記するという「改憲策動」である。
 このような動きは年明けからすでに表れていた。
 時系列で与党側のキーマンらの発言を列挙してみる。
◆自民党
・1月30日:伊吹文明
「緊急事態の一つの例。憲法改正の大きな実験台と考えたほうがいいかもしれない」
・2月1日:下村博文
「人権も大事だが、公共の福祉も大事だ。議論のきっかけにすべきではないか」
・4月7日:安倍晋三
「緊急時に国家や国民がどのような役割を果たし、国難を乗り越えるか。憲法にどう位置付けるかが大切な課題だ」
・4月10日:細田博之
「非常事態の問題を現行法や憲法でどう解決するかは我々の責務だ」
◆日本維新の会
・1月28日:馬場信幸
緊急事態条項の必要性を述べ「新型コロナウィルスの感染拡大は非常に良いお手本になる」
公明党は緊急事態条項に関しては否定的であり、もちろん各野党は頭から否定的であり、共産党は「究極の火事場泥棒だ」と切り捨てていた。
やはり極めつけは5月3日の憲法記念日における日本会議向けの安倍晋三首相のビデオメッセージであった。
「そもそも現行憲法においては、緊急時に対応する規定は、『参議院の緊急集会』しか存在していないのが実情です」
「今回のような未曽有の危機を経験した今、緊急事態において、国民の命や 安全を何としても守るため、国家や国民がどのような役割を果たし、国難を乗り越えていくべきか。そして、そのことを憲法にどのように位置付けるかについては、極めて重く、大切な課題であると、私自身、改めて認識した次第です。自民党がたたき台として既にお示ししている改憲4項目の中にも『緊急事態対応』は含まれておりますが、まずは、国会の憲法審査会の場で、じっくりと議論を進めていくべきであると考えます」
昨年の同時期のメッセージと大きな変化はないが、安倍晋三首相を支える保守層向けのメッセージであることは確かである。
感染者数が日本より多い国々では強制的な「緊急事態宣言」とか「非常事態宣言」などにより、国民の動きを封じ込めてきており、それなりの成果を上げている国も存在する。
いっぽう日本では国民性からか「自粛要請」という言葉に素直に従う国民が多いにも拘わらず「補償なき休業要請」に対しては生活のためにしかたなく開店している店舗も全国的に見られた。 
このような事態を見て、政府の中にはあらたな罰則規定の必要性も検討されているが、それは単なる法律レベルの話である。
決して、「憲法にどう位置付けるかが大切な課題だ」という課題では全くない。
「緊急事態宣言」を緊急事態条項使用の予行練習などということは国民を惑わす危険な企みと言えよう。
「平時の統治機構をもっては対処できない非常事態において、国家の存立を維持するために、国家権力が、立憲的な憲法秩序を一時停止して非常措置をとる権限」と憲法学者の芦部信喜氏が著書「憲法」で説明している。
もし憲法に「緊急事態条項」が明記されひとたび時の首相が「緊急事態」だと宣言しさえすれば、内閣だけで「政令」という法律と同等の効果を持つ罰則付きの命令を思うままに出せてしまう。
これにより、国会という唯一の立法機関が形骸化され、三権分立がゆがめられ、国家権力を縛るという「立憲主義」が無視されてしまう。
自民党案には、この条項の時期・使用範囲・理由などの一切の歯止めがなく、あらゆる事項について人権制限が可能となってしまう。
今年のメーデーや憲法集会はコロナ禍により中止に追い込まれたが、こんな危険な緊急事態条項が憲法に明記されれば、「憲法21条」の「集会・結社・表現の自由」等は有名無実となり、集会やデモができない、政権批判も許されない手足をもぎ取られた労働組合となれば働く者にとっても死活問題となり、こんな憲法の改悪は決して許してはならない。

それから1年たち、国民の意識に変化が生じていたらしい。
 
コロナ対応へ改憲『必要』57% 共同通信世論調査

改憲派が最も欲しがる改憲項目は決して「自衛隊の明記」などではないことは、すでに解釈改憲により「戦争法(平和安全法制)によって自衛隊は米軍の傘下に完全に入っているからである。
 
したがって、「緊急事態条項」が憲法に明記されれば、3回も発せられ、最近は効力のなくなった「緊急事態宣言」をより強力に個人の私権を制限させることができると目論んでいる。
 
そんなたくらみのお先棒を担ぐ大阪の「イソジン小僧」はこんなことを言っていた。
 
「社会危機が生じた時に、個人の自由を大きく制限する場合があると国会の場で決めていくことが重要だ」
 
「私権制限については、いま議論すべきだ。諸外国では一定程度(私権を制限する)法令が実施されているところは多いが、日本はタブー視されている」と反論。個人の自由の尊重が原則とした上で「病床確保はしていくが、社会の安全を守るために感染急拡大期においては(個人に)我慢を義務としてお願いする。これも必要だという考え方だ」
 
自らのCOVID-19の感染拡大防止対策の失敗を糊塗するためとはいえ、相変わらず維新らしい姑息感が満載である。   
  
すでに、「国民投票法改正案 “連休明け採決を” 公明 北側憲法調査会長」 ということまで言い出している輩がいるが、国民投票法改正案が成立してしまうと、その後は自民党案の審議そして強硬採決という道を進んでいく恐れがある。
 
とりあえずは、「国民投票法改正案」が与党案どうりに可決されてしまったらどうなるのか、あの懐かしい動画をもう一度思い出してもらいたいものである、とオジサンは思う。
 
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ウィルスに打ち勝てなかっ... | トップ | もう、うんざりだ「盗人猛々... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

憲法改悪」カテゴリの最新記事