新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

この30年間一貫して間違った選択肢だけを選んできた日本の行方は

2023年08月15日 11時53分21秒 | 憲法改悪

数年前に「終戦記念日」か「敗戦記念日」かというささやかな議論があった。
 
「敗戦」という表現は、「次回は必ず勝利する」という意味合いがあり好ましくないという意見があり、「二度と戦争はしない」という意味から「終戦記念日」となり8月15日は「終戦記念日」に定着している。
 
そして年中行事として、「終戦の日 各党の談話」が前日に発表された。
 
与党やゆ党、そして「第二自民党」などは、「日本を取り巻く安全保障環境はますます厳しさを増して」「積極防衛力を抜本的に強化、整備する」「現実的な安全保障政策を進めていく」」というトーンで、平和憲法を守るという姿勢は共産党くらいなもの。
 
さて、これから何が起こるのか、過去から何が学べるのか。説明抜きでタモリが言った言葉は、時代の空気を掬っていたからこそ話題となった。終戦から78年のこの夏、私たちの地点を見つめ直す試みとしてノンフィクション作家保坂正康と政治学、社会思想研究者の白井聡の特別紙上対談をお贈りする。
 
『2023年はどんな年?』という問いに『新しい戦前』と答えたタモリの的確...いま日本は「大軍拡のために血税を搾り取られる“戦争準備"の段階」に入っている
 

■「大軍拡」の日本で
白井 昨年末、テレビ番組で「2023年はどんな年か」と問われたタモリが「新しい戦前」と表現しました。岸田大軍拡によって、いよいよ「新しい戦前」の具体化が始まったと私は見ています。
昨年末の防衛三文書改定で、日本が反撃能力(敵基地攻撃能力)を保有し、防衛費を大幅に上げる方針が決まりました。
日本は戦争準備モードの段階にはっきり入ったと考えます。「国家安全保障戦略」改定にあたり、自民党は昨年提言を発表しています。その文書には〈反撃能力の対象範囲は、相手国のミサイル基地に限定されるものではなく、相手国の指揮統制機能等も含む〉と明確に書いてあるのです。
保阪 閣議決定された「国家安全保障戦略」を読むと、自民党提言よりトーンダウンしてはいる。
〈反撃能力は、憲法及び国際法の範囲内で、専守防衛の考え方を変更するものではなく、武力の行使の三要件を満たして初めて行使され、武力攻撃が発生していない段階で自ら先に攻撃する先制攻撃は許されないことはいうまでもない〉
もちろんこれは目くらましに過ぎないわけです。
白井 反撃能力とやらをもつ根拠として、日本は〈他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能である〉という1956年の政府見解を援用しています。
では〈他に手段がない〉と誰が判断するのか。「相手がまさに撃とうとしているときに、先手を打って撃ちこむのは専守防衛のうちだ」と日本が主張するためには、アメリカの軍事機密情報に頼らざるをえません。
アメリカは本当の情報を教えることもあれば、わざと本当でない情報を教えることもできます。先制攻撃を受けた相手は「何しやがるんだ」と怒る。「あんたのほうが先に撃とうとしたでしょうが。証拠があるんですよ」と言ったら、怒った相手は「証拠を出せ」と言うでしょう。アメリカは証拠を出すこともできれば、出さないこともできます。
■77年ごとに「大きな区切り」をつけてきた日本
保阪 昭和40~50年代までは、戦争体験者が大勢生き残っていました。「オレはあんな戦争のせいで死んでしまった。戦争はもう絶対に嫌だよ」という死者の声がまだ生々しく聞こえた時代、生者は「オレだってあのとき死んでいたかもしれない。オレはお前の分身でもある。お前の分までがんばるよ」と答え、死者と生者が抱擁しながら対話していた。かつての日本の「8月ジャーナリズム」には、リアルな戦場体験が反響していたのです。
孫やひ孫の世代になった今、死者と生者の対話は効力を失い、希薄になっている。戦争への警戒感が薄れる今、日本では大軍拡が進んでいます。
白井 アメリカはハシゴをかけて日本を先に昇らせて「オレたちもあとから行くからな」と言いながら、パッとハシゴを外して戦いから降りてしまうこともありうる。日本はアメリカのために血の犠牲を要求される。すでに大軍拡のために血税を搾り取られる段階が始まりました。これが2023年の日本が置かれた悲劇的な現状です。
保阪 いま日本は、大きな変革の時を迎えている。日本の近現代史は、図らずも77年というタイムスパンで大きな区切りを刻んでいます。江戸幕府が倒れて明治元年(1868年)に日本の近代史が始まり、昭和20年(1945年)に近代史がいったん終わりました。1945年から日本の現代史が始まり、2022年でちょうど77年です。
白井 保阪さんは日本の現代史が昨年ひとつの区切りをつけたと見ているのですか。
保阪 ええ。昨年2月にロシアが仕掛けたウクライナ戦争は、戦争の位相をまったく変えた。1931年に日本は満州事変を仕掛けて、中国に満州国を作った。1939年にナチスドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦の火付け役となった。地図上から中国やポーランドを消し去る帝国主義的な戦争は、1945年の終戦で終わったはずでした。
白井 ところが、プーチンはまさにその帝国主義的な戦争を2022年2月に仕掛けた。
保阪 西洋列強とNATOが描く戦略は、ロシアよりもはるかに長けています。ロシアは見事なまでにその戦略のカラクリに絡め取られ、西洋列強の世界支配から抜け出る方法を知りません。プーチンのロシアが、帝国主義的な思想と発想と歴史にとらわれてきたからです。ウクライナ戦争が始まった2022年以降、世界は新しい形の戦争論を必要としているのではないでしょうか。
■「新しい時代の戦争論」が必要とされている
白井 クラウゼヴィッツは、ナポレオン戦争を撃破したプロイセンの参謀として知られてます。そのクラウゼヴィッツが書いた『戦争論』が、世界の軍事戦略の教科書とされてきました。
保阪 僕はクラウゼヴィッツの『戦争論』に振り回されてきた時代が、2022年に終わったと断言していいと思っているのです。
保阪 ウクライナ戦争を見ればわかるとおり、もはや「政治の延長に戦争がある」なんて悠長なことは言っていられなくなりました。「政治の延長で戦争を選んだ時点で、それ自体が敗北だ。戦争を選択すること自体が敗北なのだ」という新しい時代の戦争論が必要なのです。
戦後の国際秩序は、核抑止力を前提に第三次世界大戦を防ごうとしてきた。そんな平和論が偽善であることが明らかになり、今や世界は現実に第三次世界大戦の脅威にさらされています。
偽善的平和論の延長が、人類の文化や道徳を崩壊させようとしているわけです。ウクライナ戦争によって現代史に区切りがつき、2023年は「ポスト現代史」の1年目を数えました。ここで戦争論の再構築をやっておかなければ、21世紀はとめどなく悲惨な戦争の世紀へと堕してしまう。
■右も左も、理屈がおかしい
白井 戦争論の再構築を日本が進めるにあたり、さしあたりまず何が必要だと考えますか。
保阪 防衛省と防衛大学校の軍事論に終始している限り、日本は旧軍の弊害から抜け出ることができません。いま、民間から真っ当な軍事論を打ち出す必要がある。
軍の要諦である命令示達や軍人教育といった戦略は、むしろ非軍事的な領域に根拠があります。急がば回れ。迂遠な方法であるように思えるけれど、非軍事的な国民の側からこそ新しい軍事論を編み出さなければいけない。戦後日本は右派も左派も軍事をまともに研究してきませんでした。
白井 ご指摘に同感です。「自衛隊は軍隊とは異なるのだ」というのが日本国憲法の建て前ですから、そもそも日本には軍事が存在しないことになっています。安全保障関連の法律を見回しても、そもそも「軍事」というカテゴリーが欠如している。
にもかかわらず、日本はNATOに「パートナー国」として参加し、NATOはアジアで初めて東京に連絡事務所を置こうとしているなんて報道もある。NATOという組織は、まさに集団的自衛権による軍事同盟にほかなりません。日本には軍事が存在しないのにもかかわらず、NATOと軍事同盟を結ぶのかよ、という話です。
もし近未来に日本がNATOの枠組みに正式に加入するなんてことになれば、政府の側としてもゴマカシがきかなくなる。正面切って憲法を改正して「日本には軍隊が存在するのだ。軍事が存在するのだ」とはっきりさせる必要が高まるわけです。
逆に言えば、今は「日米安全保障条約にも日米同盟にも軍事的性格はない」という建て前でやっている。
保阪 その理屈を右派も左派も共有していたから、国民の側からの、非戦のための軍事論が生まれようがなかった。
白井 こんなワケのわからない理屈に、アメリカは今までつきあってきた。岸田大軍拡が進む中、この理屈は通用しなくなる。日本の「変わらざるジレンマ」を見直して、もう一度、日本の軍事的な再編成を再考しようとする勢力が出てくる。政界で言えば清和会的なる勢力です。極めて幼児的な右翼的心情が跋扈していて、もちろん彼らは歴史修正主義者でもある。
それに対して日本の左派ないしリベラル勢力は、「憲法9条を守れ」と連呼するばかりです。保阪さんが言う「現代史の節目」を迎えた今、本来であれば保守もリベラルも真面目に安全保障論議をしなければならないときでしょう。
ところが保守勢力は旧統一教会とズブズブでレベルが低く、リベラル側は相変わらず右派の跳梁跋扈を許している。真面目な安全保障論議ができないまま、日本は今日を迎えてしまいました。
■アメリカの軍人たちは太平洋戦争開戦に反対していた
保阪 太平洋戦争で日本が真珠湾を先制攻撃したとき、フランクリン・ルーズベルト大統領は怒り狂って議会で演説し、記者会見を開いて国民に真珠湾攻撃の不当性を訴えました。
「ドイツは第一次世界大戦で負けたとは思っていない。だからナチスのようなものが出てきてしまった。第一次世界大戦の決定的な誤りは、曖昧な戦争決着をしたことだ。中途半端に日本と講和したら、また同じ過ちを犯すことになる。二度と我々に逆らえないように、日本を徹底的に壊滅、殲滅させるべきだ」
アメリカが「ダーティ・ジャップ」と非難して日本を叩き始めると、軍人たちの一部は「そんな戦争を始めたら、際限なく戦争が続いて大変なことになる」と反対しました。『ウェデマイヤー回想録』を読むと、軍人はルーズベルト演説に抵抗したと書いてあります。
白井 ウェデマイヤーは、中国戦線やビルマ戦線で日本との戦いを指揮した軍人ですね。
保阪 軍人たちはこう言って戦争に抵抗したそうです。「我々はさしあたりナチスを叩き、ドイツに『まいった』と言わせればそれでいい。日本の軍国主義者まで叩いて『まいった』と言わせようとすれば、アメリカの青年が大勢犠牲になる。我々軍人としては、ルーズベルトが言う絶滅戦争には賛成できない」。
白井 第二次世界大戦で戦争の性格が根本的に変わったのです。対等な敵と戦う「無差別戦争」から邪悪な敵を倒す「正戦論」へと回帰した。そんなことをやれば大変な惨状がもたらされると指摘した軍人がいたわけですね。
保阪 昭和の日本の軍人の中にも政治家の中にも、彼らのように筋の通った戦争観をもって自分の意見を主張する人はいませんでした。それどころか戦争を国家の「営業品目」に仕立て上げてしまった。軍人は、戦争で稼ぐための営業マンのようなものです。これは理想を失った、途轍もなく退廃的なありようでした。
大日本帝国憲法は軍事憲法であり、今の日本国憲法は非軍事憲法ですよね。ウクライナ戦争が勃発し、台湾海峡危機が叫ばれる中、どうすれば非軍事憲法である日本国憲法を真に理想的な平和憲法に近づけ、日本の安全保障を担保していけるのか。リアリズムに基づいて安全保障の議論をすることなく、ただ単に「平和憲法を守れ」「憲法9条には一文字たりとも手をつけるな」と叫んで思考停止している護憲派は、問題の本質から逃げて保守化しているように私には見えます。
白井 ウクライナ戦争の勃発後、「憲法改正を支持するか反対か」という世論調査の数字はしょっちゅう揺れています。あの種のアンケートはバカげている。漠然と「憲法改正に賛成ですか、反対ですか」と言われたところで、答えようがない。どの条項をどう変えるべきだ、と具体的に示されたときに初めて「賛成だ」とか「反対だ」とか言えるわけです。訳のわからない設問を問うことで、マスメディアはどういう時代に誘導したいのか。
■台湾有事をどう見るか
保阪 台湾海峡危機の行方について、白井さんはどう見ていますか。
白井 十中八九、そう遠からず日中戦争が勃発すると私は見ています。なぜかと言うに、日本は数多の選択肢がある中で、この30年間一貫して間違った選択肢だけを選んできました。「この選択肢だけは絶対選んではいけません」という極致が岸田大軍拡です。今後日本は、アメリカにそそのかされて中国と戦争をおっ始めることになるでしょう。
そうなれば日本は相当悲惨なことになる。経済的には即死状態ですし、食糧供給が厳しくなって餓死者も出るでしょう。若い自衛隊員はかなりの数が戦場で死にます。
残念ながら、日本はいったんそこまで行くしかないのかもしれません。そこからどう再起するのか。今度こそ「戦争とは何だったのか」ということにきちんと落とし前をつけて再出発する。来るべき台湾有事に備えて、今から「戦後」を見据えた準備にかかるべきです。
保阪 白井さんの危機感はよく分かりますが、今は台湾有事を回避できるかどうかが重大な課題だと私は思います。
ジョン・F・ケネディ政権とジョンソン政権で国防長官を務めたロバート・マクナマラが『マクナマラ回顧録』という本を書いている。この本を読むと、ベトナム戦争で下した自分たちの判断を総括し、徹底的に自己批判しています。「我々は大きな間違いを犯した」「ああいう承認をしたことについて、一生恥ずかしい思いがする」と、自分が犯した失敗について具体的に記しているのです。
クリントン政権で国務長官を務めたマデレーン・オルブライトは、晩年『ファシズム』という本を書いています。「私はいろいろな政治家に会ってきたが、プーチンは本質的にウソつきだ。平気でウソをつける人間だ」と書いてある。ウクライナ侵攻が始まる前ですよ。プーチンを知る政治家が「この人物には気をつけろ」と伝承している。
日本の政治家は、引退後にこういう仕事をやりません。誰とは名指ししませんが、回顧録を書く政治家のほとんどは、自分がやった仕事の自慢話ばかりです。日本の政治家は総じて、記憶の継承の方法を持たないこと、また自制心の欠如という深刻な問題を抱えています。
■「真っ二つ」になっているアメリカの「限界」
白井 アメリカ中心の世界のヘゲモニーは形がいびつに崩れ、今や崩壊の淵にあります。都市と地方の対立、国内の階級格差はあらゆる面でのっぴきならないほど広がり、民主党的アメリカと共和党的アメリカは見事なまでに真っ二つです。帝国主義を続けるために、無理やり「一つのアメリカ」を擬態しているのが現実でしょう。トランプ派の市民が連邦議会議事堂を占拠するなんて、もはや対立どころかアメリカの内破であり、民主主義の崩壊です。
ウクライナ戦争によって、世界におけるアメリカのプレゼンスが皮肉にもあらわに見えてきました。「ロシアはけしからん。結束して締め上げてやっつけよう」とアメリカが呼びかけたところで、対露経済制裁に参加している国はいくつあるか。国連加盟全193ヵ国のうち、わずか38ヵ国です。アメリカがいくら睨みを利かせても、NATO諸国や日本、韓国、台湾、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランドあたりが経済制裁しているだけで、グローバル・サウスは「アメリカはこれまで中南米でさんざん好き放題やってきただろうが。どの口がロシアを批難できるのだ」とソッポを向いています。
保阪 社会主義というイデオロギーが、民族や宗教の違いによる人間のプリミティブな対立に網をかけ、対立関係を塞いできた。これが20世紀の歴史です。しかしその抑圧性が限界に達しソ連・東欧は崩壊します。それから30年が経った今、民族や宗教や国家をめぐる対立をどういう思想や哲学で抑制していけばいいか。
案外、白井さんや斎藤幸平さんが研究しているマルクスの思想は、その新たな処方箋になるかもしれません。旧ソ連や東欧や中国のように、権力奪取を経て独裁制に行き着く革命論としてではなく、マルクスが資本主義社会を見極める批判的な目には、いまだに汲み取るべきものがあるような気がしています。
白井 同感です。資本主義社会が続いている以上、最も強力な資本主義批判の理論であるマルクスの思想もまた現役です。資本主義システムをどう解毒するのか、その処方箋をマルクスに求めることは、相変わらず適切なのだと思います。ただし、ソ連崩壊以降、どのような権力を構築するべきなのか、そのイメージがなかなか出てこない。そこが難所となっていますが、状況がますます過酷になるなかで、資本主義を統制する権力の形態をどうにか見つけ出さざるを得なくなると思います。

 
「近未来に日本がNATOの枠組みに正式に加入するなんてことになれば、政府の側としてもゴマカシがきかなくなる。正面切って憲法を改正して「日本には軍隊が存在するのだ。軍事が存在するのだ」とはっきりさせる必要が高まるわけです。」ということになればまだしも、安倍晋三政権で時代から、政府は姑息な「解釈改憲」を行ってきた。
したがって、今までは「自衛隊の存在」を明記するとか小手先の策動をしてきた。
 
そのうち、シラッと「NATOに正式加盟」したのだからもはや正式な軍事を憲法に明記しなくても、済し崩し的なことをするのではないだろうか、とオジサンは思う。 

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