建交労長崎県本部

全日本建設交運一般労働組合(略称:建交労)長崎県本部のブログです。
労働相談は、095-801-8800まで。

明日は脱原発の思い込めて長崎市民会館に集合

2013年03月14日 09時34分14秒 | 行事案内
3月10日の「さよなら原発ナガサキ集会」は、600人の参加で成功しました。
「福島の100人の母」の上映や、福島県双葉町から避難された方のお話などを聞いて
脱原発、東日本大震災被災地復興支援の思いを強くしました。

毎週金曜日に取り組んでいる、ByeByeNukesながさき「あじさい行動」は、今週もあります。
多くのみなさんのご参加をお待ちしています。

  日時:3月15日(金)18:00~
      18:00 長崎市民会館前広場で集会
      18:30 パレード(賑橋~観光通~旧大丸前~鉄橋)

西日本石炭じん肺長崎請求団第28回総会開催

2013年03月12日 18時59分41秒 | 西日本石炭じん肺訴訟
 西日本石炭じん肺長崎請求団(山口等団長)が第28回総会を3月12日午後、長崎県勤労福祉会館で開催しました。総会は、まず前回総会以降亡くなった4人の団員の冥福を祈り黙とうをおこないました。山口団長が2月26日、日鉄鉱業とのたたかいで最高裁勝利決定が出た第3次訴訟について報告しました。引き続き伊黒忠昭弁護士と柏真人弁護士がこの間の第4次、第5次裁判の報告を行ないました。
 中里研哉事務局長が前回総会以降の経過と今後の方針を提案しました。今後は、日鉄株主総会行動、第3次訴訟解決祝賀会、なくせじん肺全国キャラバン行動、新規対象者への説明会などをおこないます。


あいさつする伊黒忠昭弁護士

野田建工は不当ないいがかりをやめ、未払い残業代を労働者に支払え

2013年03月11日 14時38分39秒 | 活動報告
住宅リフォームで有名な株式会社野田建工で働いていた労働者が、在職中の未払い残業代の請求で建交労に加入したのが、4年前。
その後、野田建工は、労基署の勧告も無視、労働審判で全面的に組合が勝利しても、支払いを拒否。そして2010年3月から本裁判へと移行していました。

もうすぐ判決という段階になって、野田建工が、組合提出の元同僚陳述書が文書偽造であるとして、原告と組合に対し損害賠償の訴えをしてきました。1月18日に第1回弁論、3月4日に進行協議を開きました。
3月4日の進行協議には、建交労、県労連、自治労連から24人が傍聴支援に駆けつけました。




「つながろう ふくしま!さようなら 原発!ナガサキ広場」開催

2013年03月10日 18時21分49秒 | 活動報告
 東日本大震災から2年を迎えますが、「さようなら原発1000万人アクション・ナガサキ」の主催で、「つながろう ふくしま!さようなら 原発!ナガサキ広場」が10日、長崎平和会館で行われました。会場には、県下各地から600人の人たちが参加し、会場は原発なくせの声に包まれました。
 長崎のうたごえ協議会の歌でオープニングし、スライドショー「100人の母たち」の上映、ランキンタクシーのライブ、福島県の双葉町から愛知に避難している大沼勇治さんの「写真による福島からのメッセージ」、元慶応大学で教鞭をとっていた物理学者の藤田佑幸氏の講演など盛りだくさんでした。
 参加した建交労長崎県本部の飯田彰吾書記長は「自分の子どもたちのことと重なり、100人の母たちのスライドを見ていたら号泣してしまいました」と語っていました。広場では、アクション・ナガサキアピール文が拍手で採択されました。アピール文は、長崎で生まれ、群馬で結婚し、双子の母となりましたが原発事故後、放射線から子どもを守るために長崎に戻って子育てをしている宮崎由紀さんが起案し読み上げました。
 広場参加者は、最後に平和会館から長崎駅前まで、パレードを行いました。


ランキンタクシーのライブ

アピールを読み上げる宮崎由紀さん

パレードに出発する参加者

石綿じん肺労災不支給取消川名訴訟が結審!注目の判決は5月24日

2013年03月08日 17時02分27秒 | 活動報告
<石綿肺労災不支給取り消し川名訴訟が結審>
 石綿じん肺労災不支給取消川名訴訟の第12回弁論が3月7日、宮崎地裁で開廷されました。この日の裁判は、原告側被告側双方の最終陳述が行われ結審しました。
<原告側は石綿暴露や死因を陳述し、国側の失当を指摘>
 原告側は、故川名國男さんが旭化成延岡工場などで就労していた当時の綿密な調査に基づいて、高濃度の石綿暴露があったことや國男さんが重症の石綿肺にり患していた医学的根拠を示し、国は速やかに「管理4相当の重症の石綿じん肺」であったと認めるべきだと陳述しました。さらに、國男さんの死因は「MPO-ANCAが高値で、顕微鏡的血管炎に伴う間質性肺炎であった」と国側は述べているが、「血管炎であったとしてもその原因は、結晶質シリカやアスベストが体内に長期間滞留して起こす自己免疫疾患であることが、じん肺治療の第一人者である海老原勇医師らの研究でも明らかになっており、何ら矛盾しない」と陳述しました。
<原告勝代さんが意見陳述>
 法廷では、原告の川名勝代さんが、酒も煙草も吸わず仕事一筋に働き、石綿じん肺になった夫の無念さと延岡労基署が石綿肺と認めなかった悔しさを意見陳述しました。勝代さんは「裁判官には、夫の死亡が石綿によるばく露が原因であるとして労災と認められるように希望します」と結びました。
<判決は5月24日に言い渡されます>
 原告側は、国が危険なアスベスト使用を放置した上に、石綿肺になった人たちを間質性肺炎などという病名で切り捨てていることを厳しく批判しました。
判決は5月24日午前10時に言い渡されます。裁判には、宮崎農林支部や九州支部宮崎分会の組合員、勝代さんを支え続けてきた友人など、15人が傍聴しました。
<報告集会で、勝代さんがお礼と判決に期待表明)
 裁判終了後に宮崎中央央法律事務所会議室で行われた報告集会で、成見暁子弁護団事務局長は「國男さんは、石綿暴露後50年経ってから石綿肺が出てきた、当時の調査をするのは困難を極めた」「国は、石綿暴露の事実からは逃れられないので一旦認めたうえで、不支給にするために高濃度の暴露がないと言っている」と国の責任逃れを厳しく戒めました。勝代さんは「長い間ご支援いただいた皆さんに心からお礼を申し上げます」「裁判所にはぜひいい判決を出してもらいたい」と述べました。