先日、閉館となった交通博物館、早めに行きたかったが、いろいろと忙しく、やむを得ず最終日行くことに。本当に久し振りでした。
目的は、図書室での資料閲覧、国会図書館にもないような資料がここの図書室にあるためですが、私が行った時には入館も図書室入室も長蛇の列。図書室は座席が非常に少ないため入室に2時間待ち、コピーサービスはありませんのでメモ取りに結構時間が取られ、結局図書室を利用できたのは1時間でへ閉室。結局、交通博物館の展示閲覧は無理かなと思っていたら、館内に多数の見学者が滞留?している状況で、閉館時間が延長に・・・・
おかげで、特別展示を一通り見ることができました。
閉館時間になっても、鉄道ファンが多数館内にいる状況に変化はなく、参加型の展示への列も途切れず、売店ではほとんどの品物が完売状態、博物館側の閉館の挨拶等アナウンスの度に、歓声と拍手とフラッシュの嵐嵐嵐・・・
博物館の外も、閉館時間1時間後でもすごい人人人の状況(写真はこの時の状況、ライトアップも)・・・いい意味で、恐るべし鉄道ファン!逓信博物館が仮に閉館ということになった場合、このような状況は有り得ないか・・・!日テレが取材に来ていたので、放送されたのかな?
ところで、調べたかったのは、画像の1円25銭もの不足料金を徴収された航空カバーのルート。イギリスの便は早々と確定できたのですが、途中からが良くわからない。博物館の資料によって逓送ルートが確定、裏の着印とも一致しました。それにしても、人件費を入れたら高いカバーになってしまいました。
目的は、図書室での資料閲覧、国会図書館にもないような資料がここの図書室にあるためですが、私が行った時には入館も図書室入室も長蛇の列。図書室は座席が非常に少ないため入室に2時間待ち、コピーサービスはありませんのでメモ取りに結構時間が取られ、結局図書室を利用できたのは1時間でへ閉室。結局、交通博物館の展示閲覧は無理かなと思っていたら、館内に多数の見学者が滞留?している状況で、閉館時間が延長に・・・・
おかげで、特別展示を一通り見ることができました。
閉館時間になっても、鉄道ファンが多数館内にいる状況に変化はなく、参加型の展示への列も途切れず、売店ではほとんどの品物が完売状態、博物館側の閉館の挨拶等アナウンスの度に、歓声と拍手とフラッシュの嵐嵐嵐・・・
博物館の外も、閉館時間1時間後でもすごい人人人の状況(写真はこの時の状況、ライトアップも)・・・いい意味で、恐るべし鉄道ファン!逓信博物館が仮に閉館ということになった場合、このような状況は有り得ないか・・・!日テレが取材に来ていたので、放送されたのかな?
ところで、調べたかったのは、画像の1円25銭もの不足料金を徴収された航空カバーのルート。イギリスの便は早々と確定できたのですが、途中からが良くわからない。博物館の資料によって逓送ルートが確定、裏の着印とも一致しました。それにしても、人件費を入れたら高いカバーになってしまいました。
ガリ版刷りでお題をいただいてしまったので、それに関連したことを少々・・・
ガリ版刷りといえば、戦中戦後にかけて発行された郵趣誌や葉書通信に尽きるのでしょう。当時の混乱した状況の中で、貴重な情報が発信されていたりするが、まとまって保存しているところもないと思うし(特に葉書通信)、紙の劣化とともにそれらの情報は失われていくだけかも知れない。
それにしても、当時まとめられた一覧を見ると、ほとんどが小部数発行ではあるが、全国各地で発行が続けられていることに驚く。今より、時代は困難でも収集に熱気があった時代なのかも知れない。そんなガリ版刷りの雑誌の一つ「大阪雑信」が手元にあり、最近時々読んでいるが、ガリ版刷りとは思えないその豊富な内容で、今でも役に立つ記事が掲載されている。例えば、満州関係の記事も何篇か掲載されているが、それを読む限りでは、1945年に入っても満州から郵便が届いており、7月頃は郵便事情が悪化しているが、それでも1月程度で郵便が到着していることが内容からわかる。このあたり、最近気になっていることではあるが。ところで、新着の全日本郵趣5月号には、「日本郵趣の先人たち」として大柴峯吉のことが書かれているが、「大阪雑信」には訃報と追悼記事が掲載されており、若干補足の意味で参考になる。
ところでガリ版刷りといえば、古い切手商の中には、販売目録をガリ版刷りのような形で出していたところもあったが、保存されるようなものではないので、それらも殆ど失われてしまっている。販売目録は、断片的なものしか見ていないが、当時の値段を調べるのには役に立ったりするし、こんな物を売っていたんだという驚きがあったりする。切手を集め始めてからは、自分のところに送られてきた販売目録では初期の「For Your Collection」等々若干残っているが、それらも最初はガリ版刷りのような体裁で、今読み直すと、時代の移り変わりの激しさを感じたりする・・・「For Your Collection」は1~5号位までは見たことがないので、どのような内容か知りたい気がするが。
ここまで書いてきて、「オークションを語ろう」を読んだら、マラカルの乃木2銭のことが不明氏によって触れられているが、確か全日展に展示されたものは、画像に示す1970年代にある誌上オークションで高値で売られたものと思うので、事実がちょっと異なるような気がするが・・・

ガリ版刷りといえば、戦中戦後にかけて発行された郵趣誌や葉書通信に尽きるのでしょう。当時の混乱した状況の中で、貴重な情報が発信されていたりするが、まとまって保存しているところもないと思うし(特に葉書通信)、紙の劣化とともにそれらの情報は失われていくだけかも知れない。
それにしても、当時まとめられた一覧を見ると、ほとんどが小部数発行ではあるが、全国各地で発行が続けられていることに驚く。今より、時代は困難でも収集に熱気があった時代なのかも知れない。そんなガリ版刷りの雑誌の一つ「大阪雑信」が手元にあり、最近時々読んでいるが、ガリ版刷りとは思えないその豊富な内容で、今でも役に立つ記事が掲載されている。例えば、満州関係の記事も何篇か掲載されているが、それを読む限りでは、1945年に入っても満州から郵便が届いており、7月頃は郵便事情が悪化しているが、それでも1月程度で郵便が到着していることが内容からわかる。このあたり、最近気になっていることではあるが。ところで、新着の全日本郵趣5月号には、「日本郵趣の先人たち」として大柴峯吉のことが書かれているが、「大阪雑信」には訃報と追悼記事が掲載されており、若干補足の意味で参考になる。
ところでガリ版刷りといえば、古い切手商の中には、販売目録をガリ版刷りのような形で出していたところもあったが、保存されるようなものではないので、それらも殆ど失われてしまっている。販売目録は、断片的なものしか見ていないが、当時の値段を調べるのには役に立ったりするし、こんな物を売っていたんだという驚きがあったりする。切手を集め始めてからは、自分のところに送られてきた販売目録では初期の「For Your Collection」等々若干残っているが、それらも最初はガリ版刷りのような体裁で、今読み直すと、時代の移り変わりの激しさを感じたりする・・・「For Your Collection」は1~5号位までは見たことがないので、どのような内容か知りたい気がするが。
ここまで書いてきて、「オークションを語ろう」を読んだら、マラカルの乃木2銭のことが不明氏によって触れられているが、確か全日展に展示されたものは、画像に示す1970年代にある誌上オークションで高値で売られたものと思うので、事実がちょっと異なるような気がするが・・・

3月24日~26日切手の博物館で開催された菊・田沢MINIPEX'06に、多数の方にご参観いただきありがとうございます。
個人的には、すばらしい作品ばかりで大変勉強になりました。
(画像は展示品ではありませんが、会場で某氏と話題にした品。)
個人的には、すばらしい作品ばかりで大変勉強になりました。
(画像は展示品ではありませんが、会場で某氏と話題にした品。)

小判1銭葉書に旧小判2銭紫を貼って奈良県宛。葉書に別配達と記入してあるが、明治14年1月から別配達料金が変更になっているので料金が合わないが、一連で出品された品物のうちの1枚なので印象は悪くない感じ。結果28,000円。
香港発クリッパー便等を調べていたら、AV2印という航空便に時々使用される印について疑問を呈された。
私があたった日本の資料では、重量検査済の印ということでこれまでずっとそう信じてきたが、AAMS(アメリカ航空郵便研究会)の資料では、OAT印はONWARD AIR TRANSMISSIONの略で最終宛先まで料金支払済の印、AV2もUPUの規定に基づいて同目的で使用とある。AVはAVIONの略ということが別の資料でわかったが、AV2があるのならAV1またはAV3は存在するのかどうか?
いくつかの例を調べていくと、ある国では、OAT印とAV2印を同時期に平行して使用しており、どうも使い分けをしている。画像は、今eBayに1941年のカバーとして出品されている品物であるが、香港のエアー・トランジット印が使用されている時期に多分香港で使用された例。やはり、1941年に日本から香港経由でクリッパー便に搭載された航空郵便にまったく同じ印(上)と思われるものが押された例を確認している。さて、どのような使用目的?逓博で調べないといけないのでしょうね。
私があたった日本の資料では、重量検査済の印ということでこれまでずっとそう信じてきたが、AAMS(アメリカ航空郵便研究会)の資料では、OAT印はONWARD AIR TRANSMISSIONの略で最終宛先まで料金支払済の印、AV2もUPUの規定に基づいて同目的で使用とある。AVはAVIONの略ということが別の資料でわかったが、AV2があるのならAV1またはAV3は存在するのかどうか?
いくつかの例を調べていくと、ある国では、OAT印とAV2印を同時期に平行して使用しており、どうも使い分けをしている。画像は、今eBayに1941年のカバーとして出品されている品物であるが、香港のエアー・トランジット印が使用されている時期に多分香港で使用された例。やはり、1941年に日本から香港経由でクリッパー便に搭載された航空郵便にまったく同じ印(上)と思われるものが押された例を確認している。さて、どのような使用目的?逓博で調べないといけないのでしょうね。
コンピュータ-の不調は少し前に直ったのですが、中国切手研究会の原稿や香港発クリッパー便等の調べものにかなり時間がかかり、ブログがそのままになっていました。
ミニ・ペックスへ出品するリーフもこれから作成ですが、A2版サイズのリーフも作成しなければならず、適当な用紙をどこかで探してこなければ・・・
会報のオークションの記録の記事は、私が担当してから今回で45回目、今回の記事には、昨年見た小判切手のカバーで私が一番興味を持ったものを取り上げています。レッド・バンド・カバーですので、図版は調整しましたが、うまく図版が印刷されるかどうかわかりませんので、ここにカラーでカバーの表を示しておきます。日本円で50万円を超えましたので、当然日本のコレクターは買えていないと思いますが。でも、このようなカバーが存在するとは思いませんでした。会報をお楽しみください。日本上海局の連載記事は、興味あるデータを発表しますが、都合により次号となります。

ミニ・ペックスへ出品するリーフもこれから作成ですが、A2版サイズのリーフも作成しなければならず、適当な用紙をどこかで探してこなければ・・・
会報のオークションの記録の記事は、私が担当してから今回で45回目、今回の記事には、昨年見た小判切手のカバーで私が一番興味を持ったものを取り上げています。レッド・バンド・カバーですので、図版は調整しましたが、うまく図版が印刷されるかどうかわかりませんので、ここにカラーでカバーの表を示しておきます。日本円で50万円を超えましたので、当然日本のコレクターは買えていないと思いますが。でも、このようなカバーが存在するとは思いませんでした。会報をお楽しみください。日本上海局の連載記事は、興味あるデータを発表しますが、都合により次号となります。

12月に入ってからパソコンの調子が悪く、毎日、システム安定のための作業をいろいろとやっているが、不安定さが増してる。多分、リカバリーしなければならないかも知れない。そういうわけで、あと1~2週間記事はお休みいたします。