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United Minds (Strikes Back)

2013年に解散した電子音楽ユニット、SpiSunのWeblog“United Minds”跡地

愛してる俺たちの大銀杏 〔by ラウド〕

2010-03-12 00:23:38 | History
日曜日、黄色犬チームは熊本の地で去年何度も見せたような試合で引き分け。
何も学んでいないのかと正直かなりがっかりした。
そんなモヤモヤした気分を引きずったまま、今週もせわしなく過ごしていたら、信じがたいニュースが。

鶴岡八幡宮:衝撃、大銀杏倒壊 吉田宮司、涙ながらに「つらい…」 /神奈川(毎日jp)
古都の象徴倒れ「残念」 鶴岡八幡宮(YOMIURI ONLINE)
ご神木無残 市民ら落胆・鶴岡八幡宮(asahi.com)

本当にショックだ。それ以外言葉がない。
僕が鎌倉の地や、この八幡宮を愛している事は、現地レポートの形で今までこのブログで何度も書いてきた。
そして、この大銀杏の重要さと貴重さに関しても、その度に触れてきたから、改めてここで何かを書こうとは思わない。
歴史の証人、いや歴史そのものだった大銀杏がこうして倒壊してしまったという事実に、とても悲しさを感じる。
僕でさえこんな調子なのだから、宮司さんが涙を流すのも至極当然だと思う。


今後の大銀杏の行く末は、神奈川県としては輪切りなどの形で神社側に保存を要請しているらしい。
倒壊鎌倉大銀杏「回復は不可能」 県が輪切りなどでの保存を要請(MSN産経)

しかし神社側はあくまで出来るだけ今の形で残したいとの事。気持ちは非常にわかる。
鶴岡八幡宮、大銀杏の形残したい 県と協議へ(共同通信/47NEWS)

今年の1月に行ったばかりなのになぁ…最後の姿をしっかり見られただけ、まだ良かったのかもしれないけど。


デジカメのデータを漁ったら、以前ここに載せたもの以外では、他に一枚しか残っていなかった(同日撮影したもの)。

間違って消したりしないように、細心の注意を払わないといけない。

『龍馬伝』第五回~第九回感想 〔by ラウド〕

2010-03-03 01:05:53 | History
あんまりためこみすぎると、先月の初めの放送の内容などはかなり記憶がおぼつかない。
最低でも2~3回単位で書いていかないとまずいようだ。



第五回「黒船と剣」

いよいよ大きく時代が動き始める、黒船来航。
得体の知れない何者かが近づいている緊張感。今までの自分の中にある価値観を引っ繰り返される衝撃。
太平の眠りを覚ます蒸気船…とはよく言ったものだ。日本の国の中でしか通用しない常識が、汽笛と蒸気エンジンの轟音と共に崩れ去っていく。
あそこに自分がいたら、果たして…と、妙に感情移入して観ていた。

そういう意味で、龍馬と桂をギリギリまで黒船に接近させ、黒船の大きさと対比させたのは非常に説得力があって、いい演出だったと思う。
そりゃあんなもの間近で見てしまったら、夢でもうなされようというもの。

圧倒的な技術と文化の差。龍馬は剣を続けるべきか悩み始める。
しかし桂を含め、この時点でここまで彼が開明的な考え方をしたかどうかに関してはちょっと疑問が残るなぁ。
龍馬が天才だというのは認めるけど、まだまだ攘夷という考えは根強くあったんじゃないかと思う。
いや、そうじゃないと勝海舟と邂逅した時の豹変振りが楽しめないというか…。


第六回「松蔭はどこだ?」

とにかく生瀬勝久氏の吉田松陰。それに尽きる回。
何と熱く、何と聡明な松蔭。素晴らしい。本当に最高の演技、脚本だ。
吉田松陰という人は、今までの個人的なイメージでいうと、どうにも暴走気味の人というイメージがあった。あまりに性急で、過度に実践主義すぎるというか…。

しかし今回の松蔭はただただ熱い。自分が今何をなすべきか、ただそれに向かい邁進する衝動に満ち溢れている。
史実と違う?そんなものどうでもいいのだ。この松蔭ならば、松下村塾の門下生にあそこまで慕われるのもさもありなん、そう思わせるに十分な、とても魅力的な人間だった。

「黒船に乗り込んでアメリカに行くんは僕のやるべきことであって、君じゃない!君は 何者じゃ。何のためにこの天の下におる!」
「考えるな、己の心を見ろ!そこにはもう答えがあるはずじゃ!!」

ヨーダの「やってみる、ではない。やるのだ。試しなどいらん」や、ブルース・リーの「考えるな、感じろ」にも並ぶ名台詞ではないか。
こんな台詞で一々熱くなるのがバカなら、僕はそれで結構。僕はこういう男に惚れるのだから。
正直、生瀬松蔭のインパクトがあまりに強すぎて、このシーンの事以外は何も覚えていないのだった…。


第七回「遥かなるヌーヨーカ」

リリー・フランキーの河田小竜が登場。力の抜けきった演技がなかなかいい。
目が血走った武市や、ギラギラした弥太郎を鼻で笑う感じが見ていておかしいのだ。
特に武市の考えなど、米国の事情に明るい彼にとっては一笑に付さずにはいられないものだっただろう。

書き忘れたが、既に武市は攘夷に向け、後には退けない道を既に走り始めている。
復権しようとしている後の土佐藩参政、吉田東洋とのやり取りは見ごたえがあった。
東洋も武市の才は認めているものの、だからこそ彼を試すような質問をし、それにより攘夷に凝り固まった武市の考えに呆れ、失望し、侮蔑の言葉を吐く…というのは、武市と吉田のコントラストがはっきりしていて面白い。
この時の武市の恨みが、土佐勤皇党の修羅の道に繋がっていくのだ。

リリー・フランキーの飄々とした味から、最後は坂本家の絆を強調する桂浜でのシーンへの流れ。
いつまで経っても坂本家の坊ちゃんである龍馬の、遥かなる世界への思いに意外なほどの成長を実感し、父・八平の呟く感極まった言葉。
一人で録画したものを観ていたのだが、児玉清の演技に思わず目頭を押さえてしまった。周りに誰かがいなくて良かった…。

この回で実感した。“坂本龍馬”や“幕末”、という格別の素材は抜きにしても、このドラマは面白い、と。
同じ幕末が舞台でも、『新撰組!』でこんな事を感じた事は一度も無かった。


第八回「弥太郎の涙」

タイトルどおり、弥太郎が主役の回。
ようやく念願の江戸行きを果たした弥太郎だったが、父の怪我の報を伝え聞き、急ぎに急いで土佐へ帰ることに。
ほぼ全編弥太郎のやりきれない思いが炸裂する回。
それに逐一付き合う龍馬のお人よしも、ここまで来ると凄い。
錆び付いて抜くことすらままならない弥太郎の剣が、何だか象徴的であった。もはや、奉行所への落書き用の彫刻刀と化すくらいしかなかったのも納得である。
しかしなかなか見事な落書きだったなぁ。よく夜中にあんなでかい音を立てて気付かれなかったものだ。奉行所って宿直とかいないのか?

吉田東洋に弥太郎の父が受けた暴行、それに対する奉行所の裁定の不服を直訴した二人への、東洋の台詞が強烈。
「わしは天才だからじゃ」
「わしがいかに有能か、お殿さまはわかっておられるきにのう。そんな人間は何をしてもええがじゃ!」
傲岸、不遜。これくらいの男でないと成り上がれないのだろう。世の中は常に勧善懲悪というわけにはいかないものだ。

岡田以蔵、平井収二郎と連れ立って江戸に赴く武市。三人とも最初の頃と違って笑わないし、目が据わって険がある。いよいよ思想が表情に表れ始めた。
そんな孫の行く末を知ってか知らずか、武市の寝たきりの祖母が呟く「半平太…」という台詞がしみじみと悲しい。
宮迫の演技というのは、今までは「いつも同じような感じじゃん」などと決め付けていたのだが、こういう役も出来るのかと感心した。確かに彼は演技が上手いと思う。


第九回「命の値段」

ずっと大津波・津波警報の日本列島図が右側に表示されたままの放送。大きな被害が無くて本当に良かったです。

山本琢磨という土佐藩郷士の江戸での時計横流し事件が主な内容。
この人の名前は聞いた事がなかったので、Wikipediaで調べながらテレビを観ていたのだが、何とその後越後に流れ、更に函館を目指し(前島密の勧めによるものらしい)、そこでロシア正教会の司教・ニコライへ師事、日本初の司祭となったらしい。
更に僕にとっても非常に身近な、御茶ノ水のニコライ堂の建立にも関与したということも知る(実はこの回の放送日、近くを訪れたばかり)。これで一気に親近感が湧いた。

不勉強で全く知らなかったが、この人だけでもドラマが撮れそうなほど激動の人生を送っているのであった。単なる龍馬の“いい男エピソード”を演出する為の要員ではない事に驚きを隠せない。
そう考えると、龍馬の逃亡の手助けは非常に意義があるものだったのだろう。Wikipediaによると、武市も彼を逃がすのに手を貸したらしいが…今後調べてみる価値はありそうだ。

そしてそんな話を馬論としながら観ていると、最後の「龍馬伝紀行」で取り上げられたのがタイミング良くニコライ堂。大いに我々のテンションも上がったのであった。

『龍馬伝』第二回~第四回感想 〔by ラウド〕

2010-01-26 00:03:31 | History
第二回「大器晩成?」

若き龍馬の土佐での苦闘の日々を描く。
まぁ前史としてこういうのも必要だよね、という回。
おそらく作品中で最も広末涼子の出番が多い回ではないだろうか。
地元の農民との龍馬の逸話というのは殆ど描かれないから、貴重ではある。

こういう話だと、どうしても龍馬より慎太郎の方がエピソードは豊富だ。
 慎太郎の家で行儀見習い奉公をした祖母から慎太郎の話を聞かされて成長した古老は次のように話している。
 「中岡先生は、ひとときも無駄という時間のない人であった」と。
 その意味を聞くと、「例えば秋の刈り入れの時、夕方先生は所用から烏ヶ森を越えて帰ってくると、百姓達が稲の取り入れに追われている。先生はそれを見ながら家に帰りつくと、稲ざす(天びん棒)を持って、すっと手伝いに行くといった人であった」
 この性格は慎太郎の三十年の生涯、つねに変わることがなかった。

『歴史群像シリーズ23 坂本龍馬 【歴史の波濤に挑んだ青春】』(学研)

というエピソードは、慎太郎の人となりを一言で言い表しており、彼のきびきびとした行動と笑顔が目の前にいるかのようにイメージ出来て、とても好きな話だ。


第三回「偽手形の旅」

妹の引越しを手伝い、クタクタになった後に彼女の新居で観た。
関係ないが引越し業者の担当者が大幅に遅刻してくるわ言葉遣いは酷いわ態度は悪いわでえらい目に遭った。久々にステロタイプな“最近の若いもん”を見させてもらった気がする。ちょっとは龍馬のバイタリティを見習いなさい。

しかし改めて思うが、テーマミュージックは名曲である。『秀吉』『風林火山』『功名が辻』クラスの素晴らしいオープニングだ。
多分誰もわからないと思うが、アメリカワールドカップアジア最終予選・イラク戦の中継放送(テレビ東京)の冒頭で流れた曲にちょっと似ている。

主に岩崎弥太郎が主役の回。
江戸に向かう龍馬に何とか便乗しようとするものの、叶わず泣く泣く引き返す事に。
龍馬よりも遥かに現状から抜け出さなければならないリアルな動機が彼にはあっただけに、その必死さが胸を打つ。
彼を演じる香川照之、そして弥太郎の父・弥次郎を演じる蟹江敬三、更に母・美和役の倍賞美津子という俳優達の演技の掛け合いが何とも重厚。

そういえばピエール瀧もここからしばらく出番が多そうですね。
この縁で電気グルーヴが紅白出演とかになったらえらいことですよ。まずないだろうけど。


第四回「江戸の鬼小町」

竜馬、江戸に到着。いよいよ竜馬の立志伝中のメインキャストたちが揃い始める。

剣術に没頭する竜馬というのも、ありそうで実は最近ドラマなどではあまり見られなかったように感じる。
千葉重太郎役の渡辺いっけい始め、千葉道場のキャストは結構はまっていると思う。

千葉佐那子(劇中では千葉佐那)役の貫地谷しほりは、大河は『風林火山』のミツ役以来。あの時は最初の方にしか登場しなかったから、もう既に懐かしく感じた。
佐那子は美貌の面だけ取り上げられることが多い。
事実、僕も馬論も『竜馬におまかせ!』における緒川たまきのイメージが強すぎるのも事実。彼女は本当に美しかった。
だが、“千葉の鬼小町”を体現するには、やはり周囲を寄せ付けぬくらいの気の強さと怖さも必要なのだな、と今回貫地谷さんの演技を観て思った。

佐那は多くの物語の中では序盤でしか語られない人物だが、龍馬との仲は深いものであったらしい。
龍馬が贈った彼の紋付の片袖を婚約の品として大事に持ち続け、ほかの誰とも籍を入れず、彼の妻であると生涯主張していたという。
独身を通した、という記述はおそらく彼女にとっては正しいものではない。龍馬と契りを交わしているのだから、独り身でもなんでもない、と恐らく一喝されるであろう。
剣の道しか知らなかった気の強い女性が、お龍という存在がいるのを知りながらも、生涯一人の男を想い続ける。その一途さにぐっと来るものがあるなあ。

竜馬が土佐の坂本家に送った手紙、更にお龍が語る佐那への悪評があまりに酷い事からも(嫉妬以外なにものでもない。ボロボロに言ってます)、龍馬と佐那が後世の我々が思う以上に親密であったのは確実である。

奔放で闊達な女性として好意的に描かれる事が多いお龍だが、僕はどうも好きになれない。どうも人物として問題が少なからずあるような気がするし、何よりへなちょこ男のしょうもない感情ではあるが、やっぱり佐那みたいな女性に幸せになってほしいと思ってしまうからだ。
司馬遼太郎先生も「お龍の輝きは龍馬の中だけにしかない」みたいな事を言っていた気がする。

しかしそんな維新の重要人物と非常に親しく過ごした二人も、晩年、そして死後しばらくしても不遇の時代を送る。
国というものが産声を上げ、急激に成長していく中で、何故彼女達がおざなりにされてしまったのか。
“龍馬が早死にしたから”だからだけではなかろう。そこをいずれ調べていきたいと思う。

話が進みすぎた。
『龍馬伝』では、彼女達二人のある種ライバル関係のようなものがどう描かれるかも楽しみだ。龍馬のモテっぷりを語ろうとするのならば、これは避けては通れないテーマのはず。

次回はいよいよエイリアン襲来、黒船来航である。
ここまでの四回は龍馬の個人史がメインだったが、いよいよ歴史の大きなうねりが彼自身の行動とリンクしていく事になる。
ここからが本編といっても過言ではないだろう。





さて、『龍馬伝』効果なのか、慎太郎も僅かながらその恩恵に与ることが出来た模様。

『中岡慎太郎(上)』堀和久〔人物文庫〕
『中岡慎太郎(下)』堀和久〔人物文庫〕
『陸援隊始末記―中岡慎太郎』平尾道雄〔中公文庫〕

当然、新刊ではなく再版だが、いずれもここ数ヶ月の間に出版されたものだ。
どの本も、2002年くらいからずっと「いいなぁこの本欲しいなぁ再版してくんないかなぁ」と呟いていた作品なので、感慨もひとしお。

上川さんが『龍馬伝』に登場する前には、何かしらの新刊も出ていて欲しいものだ。
龍馬暗殺の真犯人は中岡だった!とかそういうトンデモ本の類はノーサンキューだが。










いよいよ劇中にも初登場した。桂小五郎の若い頃の姿をおまけとして。
龍馬との初対面ではずいぶんくだけた感じのキャラだったけど、まだ若いからかな?

経歴見て驚いたけど、あの学校に行ってたのね。へぇ。



ついでにこの人の記事もあった。

この雑誌をリアルタイムで読んでいる時には気づかなかった。
そして、この記事で言っている事が本当かどうか、僕にはわからない。





最後に個人的メモ。

貴重な写真約130点を展示!坂本龍馬と幕末を知る写真展とは?(Walkerplus)

『龍馬伝』第一回「上士と下士」感想 〔by ラウド〕

2010-01-05 00:50:28 | History
年末年始のNHKは『龍馬伝』を大プッシュ。
うんざりするほどであったが、これだけはコケる事が出来ないという意気込みは感じた。


正直、期待していない大河は初回の印象で見切ることが多い。
今回は「脚本が駄目でも、上川さんの慎太郎が見られるだけでいいかな…」という気楽さがあったゆえに、予想外に楽しめるなという印象だった。


まず映像が美しく重厚感がある。少々暗めながらフィルターがかかったようなヴィジュアル(プログレッシブカメラで撮ってるのかな?)は、近年のきらびやかな大河とは明らかに舞台の違いを示していて良い。

郷士(下士、という呼び方よりやっぱりこっちのほうが馴染みがある)や地下浪人といった下級武士、または農民(百姓って書いちゃいけないんですかね)達の、黒く汚れた顔のメイクもリアルだ。
以前、攘夷行動と称して外国人を斬った男が捕らえられた時の写真を見たことがあるが、顔が薄汚れていて目がぎょろぎょろしていて、まさにこんな顔だったことを思い出す。


僕は他の人の感想を見ていないので、このドラマの程度というものがわからない。
ただし個人的な意見を述べさせてもらえば、十分に楽しませてもらったし、今後に期待の出来る話であったと思う。
厳密に言えば、某巨大掲示板のスレッドを少し覗いたが、とにかく頭ごなしに批判攻撃するような書き込みばかりだったので、あれが参考になったとは全く思っていない。

福山龍馬は、結構さまになっていた。
確かに小奇麗だし繊細そうだから向いていないのはわかるが、覚悟や真摯な想いというものは十分感じることが出来た。
演技も悪くない。この先一年かけて龍馬らしく成熟していくのではないか、と期待している。

しかしやはり引き込まれるのは香川照之の岩崎弥太郎だ。
演技力もそうだが、あの泥臭さと脂っこさ、実にいい雰囲気。『坂の上の雲』(ドラマは期待通り素晴らしい)から出ずっぱりなのも納得である。

龍馬にせよ弥太郎にせよ、低い身分からの成り上がり。
そういった成功物語の礎となる葛藤の日々、そしてその後を知っているからこその胎動を感じる、良い回だったのではないだろうか。
ああ、OPテーマも現代的ながら実に良かった。あれだけ主役が登場するオープニングも異例であろう。


宮迫博之演じる平井収二郎は、郷士ではなく上士ではなかったか?と個人的な疑問があり、先ほどネットを徘徊していた。
その答えには行き着けなかったのだが、地元の方の記事で意外な事実を知ることが出来た。

彼の墓標に刻まれた辞世の句は、当時の藩吏によって削り取られたという。そこまで土佐藩…というより、山内家にとっては都合が悪く憎憎しいものであったのだろうか。死者に対してまで狼藉を働くその神経は理解しがたい。
更に、彼と妹の加尾(今回演じているのは、地元高知出身の広末涼子)の記念碑は、些細な理由で地面に倒され転がされ、つい最近まで放置されていたというから驚く。

龍馬が歯車となって維新を成し遂げ、更に太平洋戦争の敗戦によって国民が平等とされた今でも、上士・郷士という暗い、いかにも徳川封建社会の象徴のような制度が人々の記憶として刻まれてしまっているのだろうか、と邪推してしまうのだ。

そもそも、土佐に上士・郷士という制度が出来たのは関が原以後。
つまり、山内一豊が長宗我部家に代わり土佐に入って以後ということになる。
簡単に言えば、山内家家臣が上士、長宗我部家家臣が郷士と分けられたといっていい。
この身分制度の祖となった山内一豊。そんな世の中を変えるべく、全身全霊をを賭けて挑んだ郷士出身の中岡慎太郎。
そんな両極端な人物を演じることになった上川隆也が複雑な思いを抱くのは、彼の役者としての心構えからすれば当然であろう。

そういった意味で、(前もここに書いた覚えがあるが)関が原と幕末は時代は離れていても直結しているのである。
今回のドラマで土佐の事を初めて知った人にも、これでもかとばかりわかりやすく身分の差が示されたが、その差別こそが関が原以後の土佐そのものであるのだ。

そんな絶望的な状況から、土佐では龍馬や弥太郎、そして慎太郎といった在野の人間が立ち上がり、歴史を動かしていく。
僕が幕末にロマンを感じてしまうのはまさにそこなのである。
こういった例は、豊臣秀吉を除けば、それ以前の歴史には殆どない。
(北条早雲や斉藤道三、石田三成がそれにあたるかどうか。僕は日本そのものを変えたという点で大きな隔たりがあるように思う)

そういえば、今回のドラマでも「龍馬は人たらしである」ということが強調されていたが、秀吉もまさにそういう人間であった。
やはり既成概念を軽々と飛び越えて歴史を変えてしまうような男には、生来そういう魅力が備わっているのだろう。
じゃなきゃ人はついてこないものね。


とまぁ、そんな基本的なことにまで思いを巡らせてしまう初回であった。
最近の大河のように、龍馬一人を礼賛するような展開にだけはなってほしくないのだが、弥太郎視線でドラマを描いているため、ギリギリの一線でそれは踏みとどまってくれそうな気がする。


これから毎週観させてもらいます。
この記事のタイトルだと毎週感想を書くような感じですが、はてさてそれはどうなるでしょうか。

単なる十二月日記 〔by ラウド〕

2009-12-30 00:52:58 | History
今日は友人Fの昔のゼミ仲間の方々の忘年会にゲスト参加。
インテリジェンス溢れる会話の中にエキセントリックさが漂う、魅力的な人々ばかりで楽しかった。立派な方ばかりなのだ。自分のいい加減さが嫌になってくる。
最後の方は皆さんアルコールがよく回り、カオスな空間と化したがそれも一興。
話が飛びまくるので素面の僕でも付いていくのが大変だったが、中座するのが惜しい宴席であった。



しかし今回は別の話。

その日の仕事は原稿を届けるだけ。すぐに終わったのだった。
世間はキリストの誕生日に浮かれているようで、そんなものにひたすら縁のない僕は、クリスマスイブは仲間とのミーティングで時間が過ぎていったのである。

この日はその翌日だ。夏に行って以来、街歩きをちゃんとしていなかった。
相棒であるyuz君や馬論は都合が悪いようなので、今年中にもう一度歩くのだ、と半ば意地になり、一人で赤坂を目指す。


目的地は、勝海舟の邸宅跡。そう、『氷川清話』で有名な氷川である。
勝海舟。僕は本当にこの人が好きで、調べる度にその慧眼ぶりに驚かされている。
江戸っ子らしいスマートで粋な在り方も魅力的だ。僕のような田舎者は彼のようには一生なれないであろう。だからこそ憧れる。

「自分の価値は自分で決めることさ。つらくて貧乏でも自分で自分を殺すことだけはしちゃいけねぇよ」

まさしく僕の座右の銘のひとつ。
誰かに何を言われようとも、僕はこうして今まで生きてきたのは、この言葉に縁るところが大きい。


そんな勝海舟邸跡を今頃訪れるというわけだ。
多少迷ったせいで、予定より到着が遅れてしまった。

現在は、アイリッシュバー「The Gaby」という店になっている。


まさに龍馬が千葉重太郎と海舟を斬りに来たのがこの館である。
日本史を動かす歴史的邂逅といっていい。何となく言葉遣いも司馬遼太郎っぽくなってきてしまった。
斬りに来た相手を余裕の論説で受け流し改心させる。その器の大きさ。その話に素早く反応できた龍馬もまた大物であった。
すごいなぁ。本当にドラマだなぁ。

感極まって、せっかくここまで来たのだからこのThe Gabyさんの中に入ることにした。
しかしタッチの差でランチタイムは終了。迷いさえしなければ…。
それでもすぐ出るのは何となくカッコ悪いので、アイスコーヒーを頼んだ。

アイリッシュバーのカウンターの端っこで、一人アイスコーヒーを飲む男。
そう、店内には店員のお姉さんと僕一人であった。圧倒的に格好が付かなかった。
ここは黒ビールを飲み、煙草を燻らせねば大人の男ではないが…永遠の甘ちゃん野郎にはそんな事が出来るわけもなかった。
煙草はともかく、生まれて初めて酒が飲めないことがかっこ悪いと思えた瞬間である。いやはや。
お陰で勝海舟に想いを馳せるつもりが、頭の中に渦巻くのは「あー間が持たねぇ~」という邪念のみ。
心の中で何やら謝罪の言葉を述べつつ、逃げるように店を後にした。


平日という事もあって、赤坂はサラリーマンや業界人の方が忙しそうに早い速度で歩き、携帯電話で話していた。
ブラブラしている自分がまるでアホのようであったが、まぁ仕方ない。
俺だって色々考えて生きてるんだもんね、と呟きつつ、次の目的地である氷川神社へ。

事前に見た画像よりも、境内は狭い感じがしたが、やはりこの都会のど真ん中でこの緑は貴重だろう。


氷川神社といえば大宮の方が浮かんでしまうが、これだけ近くにその名を冠した神社があったのだ。


何となく写真を撮りまくる。


ここは都会のオアシス、と書いている人がいたが、確かに忙しく動き回る人々の憩いの場となっている。


とはいえ、佇んでいると神主らしき人が後ろからやってくるし、写真を撮ろうとすると水道工事の業者さん達が走っているし、かと思えば常連さんと思しき親子連れの方が僕を挟んで神主さんと言葉を交わす。
更に僕に東京ミッドタウンの場所を訊いてきた女性の方もいらっしゃった。案の定、僕はわからずにしどろもどろ。近くの乃木坂には何度か行った事があるのになぁ…期待には漏れなく応えられない男であることを露呈してしまった。
何だかこの日は特にカッコ悪い一日なのである。いつもはもうちょっとだけマシなんですがね。


このまま帰っても良かったのだが、郵便局にお金を振り込む用事があった。
次の目的地である御茶ノ水や秋葉原でもいいのだが、時間的に余裕がない。赤坂の郵便局を探すことにした。

道中、恐ろしく急で捻じ曲がった坂道に遭遇。
あまりの急勾配のためか、歩行者の横断は禁じられており、坂の上まで昇ってから渡るしかないのである。

最近僕が読んだ坂の本にも、ここの事が載っていた。

坂名の由来は、この坂道の傾斜が急なため、ここを通る車賃を銀三分増しにしていたといわれ、これに因んで、三分坂と呼ばれたという。
『スケッチで楽しむ東京の坂道散歩』中島健一郎 著(新人物文庫)

確かにそれも納得せざるを得ない。ここは乗っているほうも気が気ではなかったであろう、と思えるほどに急な坂道であった。 坂の下には、雷電為右衛門のお墓を擁する報土寺がある。
 
ちなみに、坂の上はTBS放送センター(赤坂サカス)だ。



この後、予定通り御茶ノ水と秋葉原にも寄り、帰路に就いたのであった。
今年は色んな所に行ったが、その年を〆るにはまずまずの儀式だったと思う。
来年も歩き回りたいですね。