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United Minds (Strikes Back)

2013年に解散した電子音楽ユニット、SpiSunのWeblog“United Minds”跡地

単なる正月日記 〔by ラウド〕

2012-01-13 01:00:36 | Life
1日

 父親がひっきりなしにチャンネルを変えていたので、正直年末にどの番組を観ていたのか記憶に無い。
 ここ数年の恒例となった菩提寺への札の受け取りには、いつもより遅めの0:30出発。それでも結構待たされた。
 喉風邪が着々とする中、決死の暗夜行路であった。
 ちなみに、待合場所となっているテントではおじさんがひっきりなしに煙草を吸っていた。寒いからストーブの前から逃げるわけにもいかず、まったく苦行である。

 そして昼間にはyuz氏といつもの徘徊。

 いつも最初に向かう大宮大神は、例年より飾り付けに気合いが入っていた。


 雅楽のテープをBGMに流し、お札なども売っているのである。例年の無人神社っぷりとは一味も二味も違う。

 更に菩提寺を経由し(ここで長い揺れに遭遇)、長めに歩いていつもより遠くへ足を伸ばす。


 2年前、もしくは3年前の夏にも訪れたこの寺である…と書いておいて、まだこのブログで取り上げていなかった事に気付く。


 関東三大檀林のひとつ、中村檀林が開かれ隆盛した由緒のある寺であり、この鐘楼は町の文化財にもなっている。
 前回yuz氏と訪れた際は、檀林の歴史や資料も実際に見て写真なども撮ったはずだったのだが…まさか書いていなかったとは。


 線香一束を買い、火を点けて供える。この方がお寺参りらしくて良い。
 帰ろうとすると、お寺の番をしていた方に「せっかくだから鐘を突いていけ」と勧められる。


 実はこのお参りをする前に鐘を見た際、こんな張り紙が櫓の入り口に張られており、「許可を取るのが面倒」というおよそ大人らしくない理由でスポイルしていた所だったのだ。お墨付きがもらえたのならば、突かない理由は無い。


 だが問題なのは、実際に櫓の上に上がって突くのではなく、下へと長く張られた縄を使って鐘をヒットしなければならない。良い音で鳴らすにはそれなりの反動が必要になるのだが、隣にはすぐ近くに建物があり、それほど大きくフォロースルーを取る事が出来ないのだ。
 よって写真のように、実に中途半端な位置から振りかぶらなくてはならず(これでも目一杯なのだ)、僕もyuz氏も「カーン」と情けないよう音しか鳴らす事が出来なかったのであった。

 帰り道ではお寺の方に甘酒を振る舞われるも、二人とも苦手だという理由で断ってしまった。なんだかせっかく勧めてもらったのにとても申し訳ない気分で一杯なのだが、僕に至ってはアルコールは匂いですら駄目なのだから仕方がない。
 わざわざありがとうございました…とここに書いても仕方ないのだが。

 yuz氏と別れた後、親戚宅へ出発。元日を実家以外で過ごすのは久しぶりとなる。


2日

 そのまま一泊し、朝から当地を歩く。喉風邪は更なる悪化の一途を辿っていた。
 昨年、この街にかつての城主である本田忠勝の墓があることを知り、年末に実際に訪れたもののカメラを持っておらず、スマートフォンも電池切れ寸前で写真撮影は出来なかったのであるが、それのリベンジである。


 それなりの距離を経て到着。正月なのに人影は無い。往路も賑わっているのはコンビニのみ。
 いや、正月だからこそなのか。


 家康の三河時代からの重臣だけあって、本田忠勝には常に重厚なイメージがある。
 敵将に「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」とまで言わしめた人物がこの街の初代藩主なのだから、よく考えれば凄い話である。


 忠勝の墓地へ続く道には、ちょっとした公園があった。戦国の歴史ファンを見込んでのものであろうか。


 上の写真の右方にあった物見台から、遠くの天守閣を望む。実際にはもっともっと小さく見える。


 現在でも綺麗に管理されている、猛将・忠勝の墓地。
 周りは普通の一般の方のお墓なので、一緒の場所に眠っているというのは特別な事なのだろうなぁ…と思っていたらそれもそのはず、この街の名士ばかりであった…きっとお高いんでしょうね。


3日

 久々に馬論とボールを蹴り合う。何となくいつも通りの正月になってきた。
 僕らがちょっと場を離れた後、四人家族がとても楽しそうにサッカーに興じているので、何となく申し訳なくなり徘徊へ出発。
 昨年僕が見た、小学校時代以来会っていない知人が姿を見せた夢の話や、10年以上会っていない友達から馬論に届いた年賀状の話など、何となく不思議な話を沢山した。
 古い友人、というのがキーワードで、どうも僕らも過去の記憶の扉が突然開いてしまうような歳になってきた、ということなのかもしれない。

単なる九月日記 〔by ラウド〕

2011-12-22 20:39:00 | Life
 九月にジョンの映画を馬論と観に行ってきた。
ジョン・レノン,ニューヨーク LENNONYC
 ジョンのNYでの苦闘と愛の日々を描いた、ジョン映画としての最新作である。

 期間ごとに単館で上映されるという、ある種ツアーのようなスケジュールで公開されたこの作品。

 父にこの映画のことを教えてもらった時点で行っておけば良かったのだが、生憎既に東京での公開は終了。川崎市まで足を伸ばす事になったわけだ。

 場所は小田急の新百合ヶ丘にある、川崎アートセンター・アルテリオ映像館。当然、初めて訪れる土地である。

 新しい施設のようで、お洒落で明るい建物だった。

 何だかんだで、ジョンに関しての情報は元ビートルの中では一番溢れている。

 ジョン・レノンというヒーローの激しくも愛に満ちた生き方が、このニューヨーク時代には凝縮されている気がする。個人的には、ちゃんと“音楽的な話題”が多かったのが楽しかった。

 帰りは下北沢へ。個人的には約10年ぶりの来訪。
 
 名物らしいこれを、皮を破ると溢れ出る熱い汁に四苦八苦しながら堪能。他にも細い路地を巡り、様々な発見をする。
 ディスクユニオンでは今年の夏から激しくハマっているTrashcan Sinatrasの『In the Music』を購入。楽しい休日であった。

単なる七月日記 Vol.2 〔by ラウド〕

2011-12-22 01:02:33 | Life
 読んでくれる方の閲覧意欲を削ぐような適当なタイトルも、随分こなれて来た。
 今回は、今年の地元の夏祭りの写真を紹介したい。

 去年の記事を辿ってみたら、怠けまくっていたせいで祭りの記事は書いていなかったようだ。写真はちゃんと撮ってあるはずなのだが…何にせよ今更書いても後の祭りだ。大して上手くもないね。


 毎年、寂れ行く我が故郷の現状を綴っているようにしか思えないこの記事。
 
 だが今年は一味も二味も違う祭りであった。

 こういう光景を見ると、街が寂れているのは事実なのだが。

 かつてミニ四駆やガンプラ、軍もののプラモを買った思い出の模型店が取り壊されているのを知ったのは、まさにこの日だった。

 だが、今年の祭りは、一日目から大盛況だったのだ。

 店の数も例年とは比較にならない。

 普段はぽっかりと空いている空白地帯にも出店が。

 しかも賑わっている。

 何より驚いたのは、人出の多さである。

 この写真では伝わらないが、中心部に行くにつれて人の波が押し合いへし合い、大変な数になっていた。

 そんな稀に見る賑わいの中で、重要文化財の舞の舞台が静かに出番を待つ。

 後ろは八坂神社という社である。この月に行った京都にあるものと同名なのも何かの縁か。そもそも“祇園祭”というネーミングの時点で、京都とは濃厚な関係性があるのだが。しかし祭りの内容自体は、京都と江戸のミクスチャーといった様相を呈している。

 この日は一人で一周した後、これだけ買って引き上げる。

 活き活きとした祭りの光景に、久々に心が躍った。

 ここからは二日目。山車にはこんな紙が取り付けられていた。

 仕方がないとはいえ、報道は殆ど無いに等しいが我が千葉県も被災地である。他人事などであろうものか。
 生き残った者として、何が出来るのか。精一杯悔いなく人生を全うしなければならないし、ここから何としても立ち上がらなくてはならない。苦境にある我が国の中で、自分に出来ることをやらねばならぬ。そんな決意をせざるを得ない、一生に残る年になった。

 夜は、毎年祭りでしか会えない友人がまたしても仕事の合間を縫って足を運んでくれた。

 今では一年に一度しか会えない関係になってしまったが、それでもこうして毎年近況を話せる仲なのは変わらない。それが嬉しい。

 しかし写真がブレブレである。
 
 京都のときと同様、往来に動揺しているのが手に取るようにわかる。それだけ行き交う人が多いのだ。

 この日は、普段買わないようなものにチャレンジしてみた。これもブレてるな。
 
 この出店の行列に並んでいる最中、友人の義弟氏と初対面。皆、順調に家庭を築き始めているのだ。
 自分は今住んでいる街の駅前を通る度、ブライダルコンサルタントなる肩書きの女性にしつこく声をかけられるのが精一杯である。いい加減鬱陶しくてかなわないのだが。

 祭りのクライマックスへ向けて盛り上がる人々の声から背を向け、河原沿いでメインイベントの花火に備える。
 
 ここも多くの人が予め場所取りをしていたようで、暗闇の中でめいめいが祭りを楽しんでいた。

 しかし、今年の祭りに一体何があったというのだろうか。

 今年は二日間とも平日である。近くの大きな祭りとスケジュールがバッティングしなかったというのは出店が増えた理由にはなるが、訪れた人の多さには関係はしないはずだ。

 これは全くの推測であるが、今年のあの辛い体験から故郷への思慕や、地域の連帯というものの重要性を本能的に多くの人が感じ取ったせいかもしれない。祭りとは、そういったものの象徴的存在であるからだ。
 
 来年もこれくらい盛り上がれば嬉しいね。

比較検証 2011.12. 〔by ラウド〕

2011-12-12 23:52:23 | Life
 今年はこの検証を一度も行わずに終えるところだったので、忘れないうちに。
(参考:彷徨して徘徊する男 その1 余話として 〔by ラウド〕


 今回はそこまでの動きなし。

 殺風景なのは変わらないが、この道自体は交通量はさほどまでではないものの重要な位置づけをされ、シャトルバスのルートにもなっている。
 既に、住宅地用の土台作りが始められていた。



ここまでの比較。

2007年2月

2007年11月

2008年5月

2009年1月

2009年8月

2010年1月

2010年5月





 何だかんだとこのブログで取り上げ続けてきたものの、率直に言えばこの道路に利便性を感じてしまう自分がいる。
 これがLiving in the material worldという事なのだろうか…。