それにしても眠れないのだ

日々の眠れない出来事を虚実織り交ぜて

それにしても「令和はじめました」なのだ。

2019-04-03 18:06:53 | Weblog
 新元号が「令和」と発表された。これに対して賛否両論と「まだしっくりしてないけど、しばらくすればしっくりくるだろう」みたいな色々な声が聞かれた。で、賛否の“否”に関しては、それを発した大多数の国や人達は普段から「安倍政権キライ!日本死ね!!」的なことを何度も何度も言っているので、今回もさもありなんな反応だと思えたりするのは、下衆の勘ぐりだろうか?
 で、そんな“否”の中に作家の柳美里(韓国人)の発言がある。「日本という国を構成しているのは、日本人だけではありません。日本語という言語を学び、日常的に使い、表現をしているのは、日本人だけではありません。日本で暮らし、日本語を母語とする外国人はたくさんいます。国民、日本人、と繰り返すことで、除けられた、弾かれたと感じる日本在住の外国人は多いはずです。」と。これに対して「うざ」みたいな拒否反応ばかりが起こっている。
 でも・・・、でもこれってあれだよ?いずれしっかり配慮しなきゃいけなく案件だよ?配慮しないと「差別者」のレッテルを貼られる時代になるよ?だってほら、近年のLGBTの流れがあるじゃない。ごく少数であっても、人権を盾にして大きな声で活動していたら、事なかれ主義の支配力を持った層(例えば自治体とか)が多くの市民の気持ちを無視して折れて、多くの市民の気持ちを無視してそれが徐々に広まっていく・・・。今は、日本に住む外国人は年々増えているし、特に韓国は不況で日本で就職しようとしている人が相当多くなってきているし。そんなわけで、全ての言動は、コミュニティに属するごく少数の気持ちを十分に慮らなくてはならない。コミュニティ側がそれらの人達を呼び入れたわけじゃなくても、それらの人達が優先される。そんな時代が、もうすぐくるだろうね!?
 ふと夏目漱石の草枕冒頭『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。』を思い出した。すごくわかるけど、これは個人の側からだけの視点だと思う。新元号「令和」には、『人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められております』だそうな。美しさってのは、時代や人によって基準が変わるけど、とりあえず筆者が思う“美しい”が生まれ育つ時代になると、筆者的には嬉しいので、筆者の思いを世間に届けて浸透して実現するためにはどうしたら良いのか、今日は眠らず考えようと思うのだ。
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