なぜ衰退したかというと、である。
いくつもの理由がある。
■パソコン表現の普及。
イメージの表現を「手」と「頭」でやっていた時代を70~90年代とすると
21世紀は「パソコン」と「頭」でやっている時代だ。
ここでも「手」が衰退している。
広告の現場に限らず、世の中の大多数は「手っ取り早い」方にシフトする。
手で描くよりは、目の前のパソコンで全部済ませたいと思うものだ。
様々なレイアウトソフト、グラフィックソフトの普及でそれらは革新的に
お手軽になった。一時的に‥だが。
もっと具体的に言えば、カンプを絵でおこすとスキャンする手間がいる。
旧来のようにB3/B2の大きなもので描くと、ポジにして製版屋にスキャン出して
データにしてもらってと、レイアウトになるまでに時間がかかって仕方がない。
これでは、手描きカンプは消滅するはずだ。
■仮ポジ/フリー素材の普及
これも大きい。写真加工ソフトが普及すると画材が使えない人たちが
イメージの加工の部分に入って来れるようになった。
それと同時に、「元ネタ」探しのニーズが急速に上がったのだ。
本来はここで、表現者たちは安易な方向に走るべきではなかった。
「提供者」たちは大きく企業化していく。
グラフィックは普及しつつも、自力でイメージする力は確実に落ちる。
今多くのデザインプロダクションがこの「弊害」に蝕まれている。
「コラージュ」表現は進化する。
切って、貼って、ピクセルで加工することが「イメージ」を略化することに
寄与してはいまいか?少なくともすべてに先行して「アイデア」「イメージ」
があってこその便利な「切って貼ってピクセル加工」である。
その視点が見えづらくなって来たのだ。
ただ、素材提供側も企業化して、努力する中で、イメージを広く提供できる
ようになって来たことで、選択肢は広がりを持ってきた。よりいっそう、
めんどうくさい昔の技術に光が当たることがなくなって来たのだ。
■語られないカンプの技術
これも大きい。カンプライティングの現場を見たら驚嘆する技術が
多くある。昔、デザイナーの先輩が「やつらはすざまじく早いし、上手い」
と語っていたが、これこそがカンプライターの技術の基本である。
詳しくは後述するが、そういういい部分を企業秘密であまり語らなかった
ことで、この世界に憧れる人材がいなくなったのも一つの原因だろう。
■選ぶ世代。
これからの若い世代は、昔にくらべれば数段裕福である。
与えられたものの中で「選べ」ばたいていのことは処理できる。
そう感じて育って来ている。
「選択肢」を作ることはとても限られた才能になってくる。
「選ぶ」加工が主流になる。
「創る」こと「新しく生む」ことは「選ぶ」ことの中にない。
■パソコン依存
最初のこととかぶるが、「依存」してしまう傾向にあるのが
現代人である。これは、社会のストレスが「個人」に多大な影響を
与えている現代を象徴するのであるが、パソコンで作業を始めると
片時もパソコンを離れないデザイナーがたくさんいる。
デザイナーはオペレーターではない。デザイナーである限り、
自分の表現のために片時はパソコンを離れて考える、サムネールを
別の場所で考えるという時間を持ってほしい。
■チーム化が減り個人化するクリエイティブ
これも詳細は後述する。が、となりの技術を応用する、利用する術に
長けた人が少ない。みな、個人で完結しがちである。
他のもあると思うが
様々な要素が、「描く」技術を衰退させていて、
僕の思う、「画術」が消えて来ている気がするのである。
(つづく)
いくつもの理由がある。
■パソコン表現の普及。
イメージの表現を「手」と「頭」でやっていた時代を70~90年代とすると
21世紀は「パソコン」と「頭」でやっている時代だ。
ここでも「手」が衰退している。
広告の現場に限らず、世の中の大多数は「手っ取り早い」方にシフトする。
手で描くよりは、目の前のパソコンで全部済ませたいと思うものだ。
様々なレイアウトソフト、グラフィックソフトの普及でそれらは革新的に
お手軽になった。一時的に‥だが。
もっと具体的に言えば、カンプを絵でおこすとスキャンする手間がいる。
旧来のようにB3/B2の大きなもので描くと、ポジにして製版屋にスキャン出して
データにしてもらってと、レイアウトになるまでに時間がかかって仕方がない。
これでは、手描きカンプは消滅するはずだ。
■仮ポジ/フリー素材の普及
これも大きい。写真加工ソフトが普及すると画材が使えない人たちが
イメージの加工の部分に入って来れるようになった。
それと同時に、「元ネタ」探しのニーズが急速に上がったのだ。
本来はここで、表現者たちは安易な方向に走るべきではなかった。
「提供者」たちは大きく企業化していく。
グラフィックは普及しつつも、自力でイメージする力は確実に落ちる。
今多くのデザインプロダクションがこの「弊害」に蝕まれている。
「コラージュ」表現は進化する。
切って、貼って、ピクセルで加工することが「イメージ」を略化することに
寄与してはいまいか?少なくともすべてに先行して「アイデア」「イメージ」
があってこその便利な「切って貼ってピクセル加工」である。
その視点が見えづらくなって来たのだ。
ただ、素材提供側も企業化して、努力する中で、イメージを広く提供できる
ようになって来たことで、選択肢は広がりを持ってきた。よりいっそう、
めんどうくさい昔の技術に光が当たることがなくなって来たのだ。
■語られないカンプの技術
これも大きい。カンプライティングの現場を見たら驚嘆する技術が
多くある。昔、デザイナーの先輩が「やつらはすざまじく早いし、上手い」
と語っていたが、これこそがカンプライターの技術の基本である。
詳しくは後述するが、そういういい部分を企業秘密であまり語らなかった
ことで、この世界に憧れる人材がいなくなったのも一つの原因だろう。
■選ぶ世代。
これからの若い世代は、昔にくらべれば数段裕福である。
与えられたものの中で「選べ」ばたいていのことは処理できる。
そう感じて育って来ている。
「選択肢」を作ることはとても限られた才能になってくる。
「選ぶ」加工が主流になる。
「創る」こと「新しく生む」ことは「選ぶ」ことの中にない。
■パソコン依存
最初のこととかぶるが、「依存」してしまう傾向にあるのが
現代人である。これは、社会のストレスが「個人」に多大な影響を
与えている現代を象徴するのであるが、パソコンで作業を始めると
片時もパソコンを離れないデザイナーがたくさんいる。
デザイナーはオペレーターではない。デザイナーである限り、
自分の表現のために片時はパソコンを離れて考える、サムネールを
別の場所で考えるという時間を持ってほしい。
■チーム化が減り個人化するクリエイティブ
これも詳細は後述する。が、となりの技術を応用する、利用する術に
長けた人が少ない。みな、個人で完結しがちである。
他のもあると思うが
様々な要素が、「描く」技術を衰退させていて、
僕の思う、「画術」が消えて来ている気がするのである。
(つづく)