「描く」仕事の現場から

イラストレーター兼デザイナー兼ディレクターTETSUの独り言

W杯出場をかけて!

2005年06月08日 | ■きままにサッカー日記
きょうはいよいよ、W杯の出場権に
王手のかかった大一番が始まる。

この一戦に引き分けるか勝かすることは、
これから、10年間の日本のスポーツ振興と
世界との文化交流、スポーツにおける国際化
のために欠かすことが出来ない「勝利」だ。
負けは許されない。

「負けが許されない」という
言い方には異論もあろう。
許されない勝負で負けたことが何度かある
僕がいうべきではないかもしれない。
だが、世の中には、そこに勝つことで、
あとで何勝するよりも貴重な
かけがえのない「1勝」があることも事実だ。
「勝利の重さ」とでもいおうか。

そこで負けることによって進歩も生むが、
往々にして、「勝利」からしか学べない
ことも少なくない。

「必勝祈願」

あとは祈るばかりだ。

今日は次を考えたりしない。

相手の「?」を引き出す作業

2005年06月08日 | シゴトの基本
最近、再認識したことの一つが、
クライアントも、発注をうけて仕事をする
僕達も、初期の段階では、
何を頼むのか、頼まれるのか、
『ゆるくしか理解しあっていない』
ということである。

発注者はたくさんの「問題」を抱えている。
だが、それを解決するにあたって
ほとんどのケースにおいて、
彼らは最大効果と最良の適価を
判断するための情報が足らない状態で
「発注」はしなければ間に合わない「納期」
という「時間」と戦うことを強いられている。

つまり、
『発注者は自分達が何を発注すべきかをはっきりとは
認識していない」状態で「発注にはいる」』
ケースが意外に多いということだ。
(営業の友人につい最近再認識させてもらった)

しかし、こう考えると、
あのケースも、さらにあのケースも
とても合点が行く。

「オリエンテーション」についての定義は
以前に書いたが、補足として、その場において、
相手の「ゆるい」部分を明確化するために
「?」をたくさん投げかけて、
相手に自身が何をしたいのか、あるいはその先の
クライアントが何をして欲しがっているのかを
確認させる作業をしなければならないのである。

サッカー的にいうと多くのパスをまわして、
ポゼッションで優位に立つっていう感じか。

具体的にいうと、
例えば、編集ならば、
●レイアウトの中のどこで使われるか
●全体のレイアウトは?
●対抗他社の同じような企画とかぶらない?
●どこの会社のどの雑誌を意識する?
●最終納期の確認
●修正はある?ない?
●可能性程度の話いろいろ
●印刷形態(2色?1色?4色?)

ディレクションならば、
●クライアントの意向
●本当は何がやりたい?
●結果はどうなりたい?(これすごく重要!)
●予算はどのくらいとれる?
●その予算でどこまでやりたい?
●その予算でできることがこのくらい
●クライアントのクライアントがどういうイメージを
 持ってくれることが望ましい?
●どうやって、その結果をはかる?
●クリック率?レスポンス率?有効アンケート?

印刷ならば、
●予算上限/下限あるいは、担当の考える適正料金
●その中でできる技術(折り?特殊印刷?他いろいろ)
●運搬にかかる賃金
●その予算の中で、取り分としてどこを膨らませて
 どこをぎりぎりにするか?
●管理作業をどの程度にして、何%にするか
●版型/裁断/紙質/重さ
●それらをふまえた印刷日程

などなど。
イラストや写真は当然それらのイメージを補完し
より望む結果を得るものがチョイスされる訳だ。

したがって、プレゼンで勝つということが
多い人はこれが読めているケースが少なくない。

本業の技術も当然であるが、
その上での周辺領域への理解の補完が
上級編では必要である。

あと、最初にこれらが共有認識となっているかも
何度も言っているが、とても大切である。

写真から考え直す。

2005年06月03日 | イラストの話
写真は2次情報である。
イラストもそうだし、TVもそう。
つまり、
人が一度何らか関わらないと出来ない情報
であるわけだ。

これは、重要な認識である。

最近、イラストレーターのための写真基礎講座の
ワークショップを企画していて、
いろいろ考える機会をもらった。

カメラマンの方の視点や考え方、情報に対する
機器のチョイス、そういったものは
「いかに情報を切り取るか」という
あたりまえの2次情報に対しての僕の認識を
また、いろんな点から刺激するものだった。

「写真」を見ただけで、
プロならば、カメラマンも、ADも、それがどういう
レンズ、距離、環境、光の状態の時に切り取られたものか
わからなければ仕事にはならない。
(値段つけられないしね。)

そのうえ、「素材」として写真という2次情報を加工して
たくさんの3次情報的な「にせリアル」をつくり出すことの
達人の1人として仕事をしている訳であるから、
その判断の軸や、認識周辺知識には、多くの事象が錯綜する。

こうなってくると、基本的に写真もTVも映像も
信じることがなくなる。
信じられるのは、「1次情報」だけ。
3現主義ではないが、
「現場」が僕にとっての唯一の「リアル」だ。
行ってその場に立ってみないと本当のことはわからない。

2次情報と1次情報の間には
眼に見えない多くの「リアル」が存在する。
ある時は空気感だったり、色だったり、
光だったり、雰囲気だったり。

それをより強くしたり、無くしたりすることも
僕達の仕事だ。

眼に見えない「リアル」、
それは、写真と写真を組み合わせる仕事の時は
なおさら重要になる。
それが、手に取るように「こころ」にイメージ
できなければ、そのイメージを手許に降ろすことは
出来ないからだ。

「リアル」な環境で感じるこころと、
「イメージ」して、感じ取るこころ。

どちらも磨かなければ、さびてしまう。
その危機感は常に持っている。

クールビズ

2005年06月03日 | ■社会
国会の先生方のクールビズファッションが
ちまたの話題になっているが、
どうも、センスがいただけない。

何より、「無理してる感」がありありだ。

もともと、何で「クールビズ」というのだろうか?
そう考えていたら、さすが時事モノの話題。
読売新聞にコラムが出ていた。

社団法人メンズファッション協会理事長の
池田ゆうさんの説明から抜粋すると、こうだ。
「上着を脱いでネクタイをはずすと、体感温度は
2度下がるといいます。クールビズの第1段階では
ネクタイをはずしソフトで通気性の良い素材の
ジャケット着こなすことをおすすめします。
~~」とあって、「クールビズには大賛成ですが、
カタチに止まらず、省エネの社会的取り組みが
大切です。温暖化防止という地球的課題への
挑戦でもあり、ぜひ成功させてほしい」
と括られている。

そうか、京都議定書の件もあって、
いろいろ始めたのであったかと、
今さら気がついた。(遅いし‥)

冷房によるエネルギー消費の節約を狙って
6/1日から中央省庁が一斉に軽装化(クールビズ)
を始めたとある。

なるほど。

うちも、今年はクーラーを使うの減らして
扇風機とクールビズで過ごしてみるか。
気温差で、アレルギーを起こす僕には
ちょうどいいかもしれないと思ったりした。

というか、もともと、クリエイター業は
かなり前から、とっくにクールビズならぬ
ラフ&カジュアルな服装であった。
まあ、ちょっと意識してみよう。
(それより私の場合は、待機電力を節電するために
たこ足コンセントを抜く方が貢献できそうであるが。)


描く仕事が続く。

2005年06月01日 | イラストの話
先々月はカタログのディレクションを
主にやっていたのだが、
先月はイラストの仕事がとても多かった。
リアルイラストも久々に描いた。
これは、たぶん、たくさんの媒体で
皆さんの眼にも止まる。
運良くそういう流れになった。
こういう仕事をさせていただけるのは
イラストレーター名利に尽きる。
関係各位の方々に心から感謝したい。

「夢」があること。
イラストに限ったことではないが、
とてもそれが求められている。