「描く」仕事の現場から

イラストレーター兼デザイナー兼ディレクターTETSUの独り言

観劇

2005年04月30日 | コラム
今日は後輩が役者をやっている劇団の公演の
最終日を見てきました。

劇団TA2の第三回本公演
「8・12 第二章 絆」(シアターVアカサカ)
原作:赤塚真人
演出:麻生敬太郎・赤塚真人
です。

このお話は、主演で座長でもある赤塚さんの
実体験を踏まえて、1985・8・12日に御巣鷹山で
起こった日航機墜落事故を通じ、「生きること」
「残されること」そして、人が持つ「縁」や「絆」
「愛」を描いた物語です。

今日を生きているものの責任と、その意味の重さ、
強く感じさせてもらい、思わず涙してしまいました。

観劇中、先日、友人のHPで紹介していた、
以下のページの
(http://homepage2.nifty.com/kajipon/meigen.htm)
この一文がずっと頭から離れませんでした。

『あなたが空しく生きた今日は、
昨日死んでいった者が、あれほど生きたいと願った明日。』
(趙 昌仁)

命の時間と向き合うということを日々おろそかにしている
と、襟をたださない訳にはいかないそんな力のあることば。

ただ、味わうしかありません。

忙中閑ナシ

2005年04月26日 | コラム
というわけで、
何日かブログあけ気味ですみません。

連休明けにすでに数本の仕事を
予定させていただいて、
もう5月は終わった状態になりつつあります。
忙しいのはいいことだ‥。
(ほんとーに終わるのだろうか。)

ってなわけで、時間出来たら、
またゆっくり書きますので、
しばし、お休みです。

ロボットの時代

2005年04月20日 | ■社会
少し前になるが、
携帯電話や音声認識で遠隔操作できる、
家庭向け二足歩行ロボット「nuvo」が
発表された。

http://www.zmp.co.jp/home.html
http://nuvo.jp/

「欲しい」から「買える」へ
という記事が示すように、
ついに現実の「未来」がやってきたのだ。

そう、「未来」を自分が生きている。

高さ39cm重さ2.5kgと小型軽量。
nuvo 588,000円。nuvo Japanism 888,000円
未来の象徴だった人型二足歩行ロボットとして、
「踊る」わ、言葉は「理解する」わ
頭部のカメラがLANで携帯電話(FOMA)と
繋がって防犯するわ、リモコン操作だわ、

まったく手塚治虫や石ノ森正太郎,横山光輝の世界。
これから生まれてくる子供達は、
ペットの様に愛着を持って
玩具のような気軽さで
こういう機械を身近に置いて育つのか‥。

僕らの頃はTVが白黒かカラーかで
家の裕福の度合いがわかったものだが、
これからの子供の会話は、
「おまえんち、ロボットある?」
であるかもしれない。

その後何十年か経つと、
この家庭用量産人型ロボットの第一号が
クラシックカーならぬ、「クラシックロボット」
と呼ばれて、ミッレミリアみたいな
クラシックカーレースとかで
「クラシックロボット」コンテストとか
やったりする(かどうかはわからないが)

やがて、大量生産されるようになったロボットは
その廃棄も問題になってくる。
A.I.(人工知能)などが搭載されるようになって
より、精神的な部分への関与が高くなると
ロボットを捨てるのも、あるいは、捨て方にも
「倫理」とかがついてくる。

最近はペットを捨てる人が出てくるご時世だ。
未来が、もし技術以外の部分で人が変わらなければ、
粗大ゴミの日には「ロボットは分別しましょう」
とかになって、ゴミの島で半分動いてるロボットが
捨てられていたりする。ん??
こういう未来像は夢がないな。

せっかく、やってきた「未来」
それを生かすも殺すも、あいかわらず私達次第
かとシニカルな思いにかられながらも
妙に溢れたロボットを想像した。

「人型ロボット」という、新しい概念の機械に
どういうふうに接していくのか。

それは単に、機械に接するということを超えて、
「産業」や「ものづくり」に対する根本的な
考え方にまで、多くの影響を及ぼしてくるかも
しれない。

とはいえ、隠せぬドキドキと共に、
ついに「nuvo」はやってきた。
(う~~ん、と言っても、さすがに60万近いと
庶民にはまだ手が届きません。)

広告の定義

2005年04月19日 | 広告の話
ある意味、知っててあたりまえなのだが、
「定義」ときちんと限定されると
意外と全部を網羅して言えないので
一度、きちんと引用しておこうと思う。

お馴染みになってきた感があるが、
社)日本広告制作協会の広告制作スペシャリスト養成
講座テキストによると広告の定義はこうだ。



●広告の定義は一通りではなく、形態や役割も、社会の
動きや新しい媒体の登場に伴って変わっていく部分もあ
るが、現時点では以下の3つの条件を満たすもの。
-------------------------------------------------
■情報の送り手である広告主が示されている。

情報の出所が明確なもの。ブランド名か企業名が入る。
-------------------------------------------------
■広告主と受け手の間に的な媒体が介在する。

広告主は的な媒体に広告物を載せ、多くの受け手に
均一の情報を発信する。
-------------------------------------------------
■広告主が媒体料金を払い,広告物を管理する。

広告主は広告を掲載するスペースや放送時間に対して
料金を支払い、一般の記事や番組と区別された情報を
提供する。一般に、媒体側の判断で企業や商品などの
情報が提供される場合(パブリシティ)は、媒体料金
が支払われないため、広告とは呼ばない。ただし無料
もしくは非常に安い金額で提供される「公共広告」の
ような特殊な広告もある。
-------------------------------------------------

とある。

もう、古い話になってしまうが、
「ナイキ」がブランド名を入れずに広告をマークのみで
やった時はとても話題になった。
つまり、広告の概念を少し変えたという意味でだ。
その後は、ナイキのように、浸透したブランドイメージを
逆手にとった広告も多くあらわれている。
-------------------------------------------------
広告媒体/広告スペースも多岐に渡る。
JRの自動改札のところに張られるシールの広告のカタチは
どんどん進化している。
電車の車体の広告も最近は多く見るようになった。
よく見ていると、以前には貼られていなかったスペースが
広告で埋まっていることがある。
そんな時、そこを売るという発想の人がいて、
売買が成立した、という広告屋の活動を見て取ることが
できる。

どういうスペースを売るのか、
どういうスペースが人に「見られる」のか
それを考える、見つけることが広告屋の「嗅覚」とでも
いおうか。
-------------------------------------------------
もう、十数年近く前の話で相当有名な話しだから、
ご存じの方も多いだろうが、
電車から見えるガスタンクを卵に見立てて
ヨード卵「光」が「光」っていうマークを
ガスタンクに貼ったのは、まさに、この広告スペース
に対するセンス以外の何ものでもない。
-------------------------------------------------
DやHを含め、多くの大手広告代理店は「制作」で
稼いではいない。その収益の多くがTVやラジオなどの
枠に代表される「媒体料金」によって発生している。
-------------------------------------------------
「公共広告」は料金は安いが自由度が高く、テーマ性
が高いものが多いので、とても訴えるものが多くある。

サムライ社員

2005年04月18日 | マーケティング
昨日、読んでいた本の中に
面白い一節がありました。
それは、「サムライ社員」。

私達はいってみれば、クライアントさんやプロダクション、
デザイン事務所の「支援企業」です。

フリーのネットワークも
要は、仕事を発注する側から見れば、「支援企業」。

その環境にはたくさんの「サムライ社員」がいる
というのです。

サムライ社員は給料の3倍の粗利を稼ぎ、
数字・結果に対する評価を是とし、
そこにいたる過程で言い訳しないプロ
と定義しています。

彼ら「サムライ社員」には4つの共通項があるといいます。
----------------------------------------------
◆条件1
会社に快感(利益)を与えたあとで、
自分が快感(利益)を得られることを知っている。

◆条件2
「他人がどうあるべきか」ではなく、
「自分がどうあるべきか」を問題とする。

◆条件3
現在、日常業務の中で「自分ができること」の延長線上で
仕事をするのではなく、「着地点」から逆算して行動をきめる。

◆条件4
自分の生活向上以外のことに、お金と時間を使う。
----------------------------------------------
これらは、とても分かりやすく、
フリーランスの事業者が成功するのに必要な
内容を説いていると思います。
僕も、自己点検してみて、足らなくなっていること、
出来ていないこと、いくつか思い当たって
ハッとさせられました。

意識してやっているのと、
意識していないのでは、
大きな差が出ることの一つだと思います。

参考図書:90日で売上を1.5倍にするマーケティング計画
/中西正人(船井総研)著/同文館出版





「中国」「教育」「セレブ」

2005年04月18日 | ■社会
すべてを
「踊らされている」というキーワードで
くくりたい、そんな昨今。

タイトルのような言葉が
いくつかの報道の特集で時間を割いて
放映されていました。

複数の要素がからみ合ってこんがらかって
出てきた行動は支離滅裂。
あるべき姿と違うものが
それぞれのイメージの断片として取り上げられている、
そんな気がします。
(ただ、これは、冷静なものを報道するより、
「滑稽」「騒乱」の方が視聴率がとれるから
こういう状態の方が、単に放送頻度が高い
ということもあって、かもしれませんが)

「実際にあったこと」、その断片的なピースを
ありのままに放映していく中から、考えていく
そういうカタチはある意味、
バランス感覚なのかも知れません。

ただ、その場合、視聴者である私達が、
能動的に考えなければならない。
受動的であってはいけない。

中国について考えてみました。
13億の人間をまとめる中、資本主義社会の浸透とそれに
よる中央の求心力低下に苦しむ現政権。
強大なマンパワーの国はそのマンパワーのエネルギーを
制御出来ないでいること。持って行き場を模索する中で、
中国の威厳を維持しつつ国際的な発言力を持とうとして
いること。アジアのリーダーとして、欧州、アメリカを
本質的には全く恐れていない国。本来、日本以上に礼節
を重んじる国。大戦後、日本のさまざまな発展を不平等
感ゆえ、最も望まなかったであろう国。ワクチンとして
の「愛国教育」のツケと行き場のないプライド。
様々な要因。抜けている視点とずれた思惑。
そして、大きな野望。数々の矛盾。

本来の中国のポテンシャル、
最近の報道から見えるネガティブなイメージだけではな
いはず。

同様に日本。
社会がアメリカ化してきた中で、日本人という民族の持
っている良い部分と適性が反影されないことも多くなっ
てきている昨今。その卓越した細部への発想力、伝統に
支えられた技術力、器用さ。集団、チームとして機能し
人を生かしあってきた国。欧米の「個人主義」とは別の
日本的な集団の中で「個」を生かすノウハウ。
政治は3流といわれるけれど、経済人の優秀さにくらべ、
明らかに政治の人材の少なさが問われるのも、海外との
摩擦をうまく処理出来ない遠因の一つだったり。戦後、
アメリカと日本の政治家が日本の未来を平和で理想的な
ものへと夢を託して作った憲法が今の日本の興隆と平和
を導いたのですが、逆に、政治や宗教という「軸」が
抜かれてしまった。戦後の日本における「軸」は「経済
発展」であったように感じます。農耕民族で「村社会」
だったので、元来、大多数が「個」としての「自己表現」
の下手な民族。かけひきに長けた中国他の海外諸国との
摩擦を解決していくのは何なのでしょうか‥。

スポーツの世界などでは世界に通用する新しい「強い個」
の力が数多く台頭してきました。
「野茂」しかり「イチロー」しかり「中田」しかり
卓球の「愛ちゃん」しかり。「藍ちゃん」しかり。
そういう突出した人材が出てくるのは、裾野が広く高い
教育/環境があったからなのですが、そういう意味でも
これからの教育面はほんと不安。うまく改善していって
ほしい。しっかりした教育があってはじめて
日本のポテンシャルが存分に発揮されるのですから。

未来の日本は「政治」の国だけではなく「文化」の国で
ありたいもの。日本も中国も「文化」という面では兄弟
のように近い国なのだから、
ほんと、仲良くしたいものです。

あと、一つだけ違った感じですが、「セレブ」。
セレブに憧れて、お稽古ごと/お見合いパーティーに
多額のお金を使う若い女性達のことをルポしていたのを
みたのです。なんと言っていいのか、対象の人たちの
「視野の狭さ」が目につく。今の日本の閉息感というの
かな、努力が報われることを信じられないというのか、
身の丈にあわない結果を求めるというのか。
等身大に頑張ることに意味を見出せない社会というのか。

どんな努力も「無駄」にはならないと思うのでいいので
すが、セレブになり切っている時の自分、お稽古ごとを
している時の自分が本来の自分で、普段の生活や仕事は、
本来の自分ではないと感じている女性が多かったのが
やっぱり、閉息感なんでしょうかねえ。
(取材されていたのは、セレブを志向する女性なので、
全く大多数でないことは申し添えます。)
本質的には、外のカタチや知識でなく
それなりの結果を残してきたり、そういう内面的なもの
があってこその「セレブ」だと思うのですが、この辺は、
こういう人たちにいろいろな情報でモノや流行ををあお
っている私達も含むマスコミ、広告関係、出版関係の問
題も根深いなあと感じました。これらの影響を毎日肌身
で感じて、こうならなきゃという圧迫感/ストレスにさら
されているのが現代人だとも思うから。

百人いれば、百通りのカッコよさっていう「個性」は
認め合える社会でいたいもの。

そういっても、媒体でこういうのがかっこいいといわ
れると追ってしまう、影響を受ける自分がいるので、
これについてはこういう視点を忘れないようにすること
しか出来ないのですが。

もろもろの混ざりあった事柄の報道が混在している
中ですが、

歴史認識、時間軸、現在の情勢、本質

「冷静に」考えて、判断したいものです。
マスコミ,インターネットのたくさんの情報の中、
そこから、個人個人が正しく考えることを
要求されている現代。

本当に「意味のある」行動は
きちんと判断して考えることの上にしかないはず。
そして、それを要求されている私達。

私達は試されていると感じます。
「正しく見ること」、
「正しく思うこと」、
「正しく語ること」、
「正しく行うこと」。

どれも、簡単に思えても、とても難しいことですが、
これらのことから逃げてはいけないのだなあ、
と逃げがちの私は感じることがたくさんあります。


カフェ漬け

2005年04月16日 | コラム
クライアントを訪ねる回数が多い日などは
カフェで過ごすことが多くなるのです。
30分~1時間程度、
待ち時間があくことがあるから。

コーヒー/紅茶は大好き。

原宿のクリスティーはときどき行きます。
ここは、最近は少なくなった紅茶専門店。
僕が二十歳そこそこの頃からあるからもう20年くらいになる。

紅茶の種類がちゃんと置いてある店が少なくなったが、
ここはまだいろいろ置いてあります。

もっとも、いろいろ楽しむほど最近頻繁に通わなくなった僕は
といったら、もっぱらアールグレー。

最近はアイスはアールグレーなんていうのは
あたりまえのようになってきて、どこでも飲めるように
なりましたが20年ほど前は、そんなしゃれたものはなく
ここを含め本当に何件かでしかお目にかかれなかったのです。
ここでアールグレーを飲むといろんなことを思い出します。

原宿,表参道は隠れ家的なカフェが他にもたくさんあります。
http://shibuya.cool.ne.jp/penmug/dat/harajuku.html

カフェはここ10年スターバックスの台頭などで
とても増えたように感じます。(ほんとはどうなのかな?)
昔はドトールが主流で安くてうまいと評判だったのですが、
今は競争も激烈を極める。

個人的にはタリーズコーヒーが好き。
理由は良く分からないのですが、何となく他より
味が馴染むのです。
http://www.tullys.co.jp/

あと、カフェでソファに凝る店が徐々に増えてきています。
エクセルシオールカフェの市ヶ谷店や
http://www.excelsiorcaffe.com/
スタバの銀座マロニエ通り店
ニューヨーカーズカフェの銀座昭和通り沿いの店とか
http://www.newyorkers-cafe.com/
には、ソファー目当てでよく通うのです。

昔、スターバックスの社長が
「我々が売っているのはコーヒーではない、
コーヒー・エクスペリエンスだ!」といったそうです。
まさに、経験マーケティング(前述)の代表的なものが
このソファーにはまる自分の感覚なのかもと思ったりします。

ソファーといえば、昔はルノアール。
最近はほとんど込んでいないとか
あの、独自のスタイルがおもしろくて
池袋/新宿などのあたりでは、
場所に困ると利用することがあります。
なぜか、ルノアールに入るとこぶ茶が飲みたくなって
いつもこぶ茶にするのですが、
ちょっとしたおかきとかがついているのが
塩分が欲しい時にいいかも。

ところで、前述のニューヨーカーズカフェは
ルノアールの事業の一つなんですね。
http://www.ginza-renoir.co.jp/
ついでにいうと、エクセルシオールカフェが
ドト-ルコーヒーの事業
カフェも群雄割拠の時代になっているようです。

でも、ほんとは喫茶店不況とかにめげずに
上記のような企業資本のカフェだけでなく、
個人事業者の「喫茶店」っていうかんじの
ほっと出来る店がいくつも残ってくれるといいなあ
と感じることがあるのです。
苦しいだろうけど、頑張ってほしいなあ。

そういう店を見たら、極力、時間の許す限り
入るようにしています。

徹夜あけ

2005年04月16日 | コラム
一昨晩徹夜で、
(この年でまだ徹夜してるのも時間コントロールの
かなり下手な人という感じもしないでもない)
昨日は朝から打合せ続きで
ようやくうちに帰ってばたんきゅー(古語だな)
したが昼前に起きだすと体がおもい。
35才を過ぎてから
どんどん徹夜が辛くなってきて
さすがに最近はほとんど出来なくなってきた。
朝は腰までいたい。
何年か前までは想像も出来なかった。
運動神経はあまり良くないが
スポーツ好きで運動おたくだった
10代後半20代を過ごしたとは
とても思えないような状態だ。
それでも、時間配分の下手な私は
ときどき、徹夜の状況に追い込まれる。
仕事はわりと楽しいと感じる方だ。
たぶん、ストレスは少ない。
ただ、仕事以外にもなんのかんの
多趣味に遊んでもいたい方だから、
時間がいくらあっても足りない。
ブログも書き出してもまとまった時間がかかる。
どうにも、「時間」が僕にはもっとも
「難敵」に思える。

プロという道

2005年04月15日 | シゴトの基本
はあ。また「大きく振りかぶって」
‥しまいましたね。

「大言壮語」を知人にきつく
戒められているにも関わらず
ついつい、書いてしまうのがいけないところ。

でも、書くのです。
大事だから。

プロにとって、
本当に必要なことは数々あれど、
最も必要なことは大きくいうと
たったの一つだけです。

「結果を残すこと」

男・星野仙一がいつまでも「男」として
憧れられるのも、常に結果を残しているからに
他なりません。
理想の上司と言われた理由もこれです。

「結果」さえだしてりゃ何だっていい!
と言いたいのでは決してないのです。
「結果」出してないやつは未来がない
のでもありません。

「結果」出さなきゃ、
何にも聞いてもらえないし、
何にも起こらないのです。
出すまで、その先にはすすめない。
それだけなのです。
未来には必ず、何らかの結果を求められるし
出す必要があるのです。

現に、このブログも
僕がいい結果を出してきた人は
ある程度好意的に見てくれるでしょうが、
そうでない人にとっては、確実に
「何だよ、口ばかり」になっていると
思われます。たぶん、逆の立場なら
僕もそう思うから。(とっても身勝手)

「じゃ、書かなきゃいいじゃん」

という声がたくさん聞こえるので、
今日はこの辺で。

それでも、きっとプロは
「結果が全て」なのです。

ニャホニャホタマクロー

2005年04月13日 | ■きままにサッカー日記
いや~、知らんかった。

今日、初めてTVの「トリビアの泉」で見たのですが、
番組によると、

「2004年からガーナサッカー協会の会長をつとめている
ニャホ・ニャホタマクローさん」

という人がいらっしゃるのだそうな。

なんという素敵な語感とインパクト!
「ニャホ・ニャホタマクローさん」って、あなた。
一昔前は
「ボボ・ブラジル」もすごかったが、
インパクトとしては上回るな。

しかも、この方、医者で政治家でもあるらしい。

ガーナの首都アクラから30程移動したところにある
氏の自宅はリビングが120?という超豪邸。
「ニャホハウス」(!)という表札がかかっているそうな。

日本のTVがこんな逸材を見のがす訳もなく
既に、やなせたかし、さくらもももこらに
キャラクターまでイメージさせて、唄まで作って
番組中で流す始末。

う~~む、しかしインパクトあるなあ。
ニャホさんの追加情報求む!。