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「描く」仕事の現場から

イラストレーター兼デザイナー兼ディレクターTETSUの独り言

シューズの夢(3つの矛盾)

2005年03月11日 | ■シューズへの想い
3つの矛盾した「テーマ」について話そう。

ひとつめは「保護」と「過保護」である。
ふたつめは「進化」と「退化」
みっつめは「ファッション」と「機能性」である。

この3つの軸を共存させること。
それこそが、シューズ開発の最大のテーマだ。

■「保護」と「過保護」と「進化」と「退化」
シューズはその特性上、足を「保護」するものだ。
「衝撃」「重力」「熱」
ありとあらゆる「負荷」が足にかかる。

今のシューズは基本的に「負荷」から足を「保護」するように出来ている。

だが、待てよ、なのだ。
「負荷」は本当に敵なのか?ということである。

アフリカのマサイ族の足を昔TVかなにかで見たことがある。

指が全然大きいのだ。そして、曲がっている。
「地面」を「つかむ」のだ。
器官としての主旨が日本などで暮らす「現代人」とは違う。

マラソンなどで考えるとアフリカ勢特にエチオピアの選手
の足は、同じ範疇で競技者として同じフィールドに他の国の
選手を並べるのがはばかられるほど、野性的で力強い。

それに比べ、欧米の選手の足は洗練されていて、
足幅が細い。

「保護」=「シューズの進化」
「過保護」=「シューズの退化」
の図式はあてはまらない。

「守る」だけではない、「負荷」を利用することで
「足」の器官としての進化を促せる靴はどういうものだろうと
考え続けている。

■「ファッション」と「機能性」

これもなかなか、両立しにくい概念だ。

女性の靴にとって、この「ファッション」が
商品選択の「第一義」になることは少なくない。

だが、パンプス、ハイヒールといった
ファッション、あるいは今の靴のルーツ自体が、
「纏足(てんそく)」的な「美」に
従属した「矯正」の概念から発生しているだけに
この2つの概念の対立は避けがたい。

だが、素材が、「ナノ化」し薄くなり曲がるようになり、
ハイテクになっていく中で、
新時代にはこの両立がはかられていくはずだ。



シューズの夢(未来の形)

2005年03月11日 | ■シューズへの想い
シューズはこれからどういうカタチになっていくのか。

この答えをいくつも考え続けて来た。

10数年前、当時仲の良かったSF作家の卵/アレンジャーの友人と
会話していた時のことだった。

友人「未来のシューズはどんなふうになると考えているんだい?」
 
彼は僕にこう聞いた。
僕はこう答えた。

僕 「すべてのプロダクツはここ何十年かでスキン化していくと思ってるんだ。」
友人「スキン化?」
僕 「つまり、肌のように、ボディースーツのように時計やTVやいろんな家電が
   薄く小さくなって、体にもう一枚、超ハイテクなボディスーツを着込むような
   そんなイメージだよ。」
  「シューズも薄くなってハイテクな肌のように一体化していく。」

友人「なるほど。だが、それなら、もうひと方向、進化の方向が考えられるな。」

僕 「もうひと方向??」

友人「そう。おれなら、そんな肌は着たくない。脱ぎたいと思うんだ。」
僕 「なるほど。」
友人「で、俺みたいなやつらが考えるとしたら、道路や街にそのシューズのハイテクを
   入れちまうんだ。」
  「で、裸になる(笑)」
僕 「う~っむ、犯罪的な街だなあ」  
  「みんな着てるか着てないかわかんなくなったら気になンないかもな。」
  (なるっつーの)

しかし、なるほど、と思ったものだ。
現実に僕のつとめた最初のシューズメーカーは某ドーム球場の芝を作っていたりする。
それには、当然、シューズのミッドソールのノウハウも活かされる訳だ。

すでに感覚的にはその世界は実現しつつある。

先ほど書いた「曲がる」家電もそういうメガトレンドの流れの
至極自然な流れの一つにすぎない。

シューズの場合、
3つの矛盾した「テーマ」と格闘する必要がある。
次にこの3つの矛盾を書こう。
(つづく)

シューズの夢

2005年03月11日 | ■シューズへの想い
当時、様々な実体験でその効果を
人体実験よろしく、我が身で体感した私は、
当然の成りゆきで、
「スポーツシューズが作りたい!」
と、考えるようになる。

プロダクトデザインの方向を目指すか、
グラフィックデザインの方向を目指すか、
その夢の進路に悩むことになる。

何年かの逡巡で僕の表現の才能は
明らかにグラフィック的なものだったので、
(物理や数学が皆目ダメだったこともある)
プロダクトは受験しても進路が開けるかどうか
という周囲の危惧にそって、
グラフィック系の美術大学を目指すことになる。

就職し、一旦、目的の現場に足を踏み入れたにもかかわらず、
再びドロップアウトして、別の職業をしてる今に到っているが、
まだ、あきらめてはいない。

チャンスがあれば、50才位になってからでも
「ナイキ」を超えるようなメーカーを立ち上げてみたい。



シューズの夢。(シューズとの出合い)

2005年03月11日 | ■シューズへの想い
僕はスポーツシューズに特別の思い入れがあった。

それは、僕自信の深いコンプレックスに由来している。

僕がスポーツシューズに興味を持ったのは、高校1年の時だ。
それまで、身長はクラスでいちばん低い。
運動能力テストは心肺機能以外はほとんど学年ビリという
分かりやすい運動音痴であったぼくは、
あるシューズとの出合いで、人生が変わる。

靴がきつくて、歩きにくさを感じていたある日
それまでは、1,980円のジャガーΣとかばかりを
履いていた僕が、奮発して5,000円少し(当時)の
PUMAのトップライダーという名前のジョギングシューズ
を、買うことにした。

すばらしく足が楽に思ったのをいまも鮮明に覚えている。
その靴は、アウトソールに非常に大きな凸起が多数ついていて、
その凸起が曲がる時にショックを吸収分散する仕組みになっていた。

そして、当時、流行りはじめた、カップインソールタイプ
(靴の中にもぴったりくる素材のインソールが入っているもの)
だった。いまは、当たり前のモノだが、当時はまだ珍しかったのだ。

まもなく、僕の足のサイズは、2cm大きくなり、
身長は20cm伸びる。
目の前の風景は変わった。

それだけではない。
運動面では卓球以外なンのとりえもなかったのが、
長距離走で学年で一番になってしまった。

高校の体育教師が、僕がゴールした時にいった言葉が
「時計、壊れてるなあ‥。」だった。
(うしろにインターハイにいった奴がおるやんけ!)

もちろん、ずるはしていない。
元来単純な僕のコンプレックスは一気に吹き飛んだ。

すべては、足下の「デザイン」がもたらしたもの
であることは明白だった。

高校3年の頃には、アメリカのランニング専門誌
「ランナーズワールド」を定期購読し、
大阪中の輸入ショップで最先端のスニーカを
見て回るようになっていた。

シューズ遍歴も数足になっていた。
ASICS TIGER SKYSENSOR/NB420などの名機
を履き漁った。

時は、第一次ランニングブームの直前。
少ないながらも、探せば、いろいろな
シューズのメーカーのプロジェクトXが語られ、
未来の足元はこうなるという論議が語られ出していた。

成長期も重なったからではあるが、
僕のシューズ信仰は熱を帯びる一方だった。

(つづく)