弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

テロをめぐる言説~インドと、あとどっかの

2008年11月28日 | 言葉/表現
 巷をにぎわす最新の“テロ”と、すでに“テロ”と呼ばれていた事実が忘れ去られようとしているひとつ前の事件のことに触れて書く。

○インドのムンバイで同時攻撃、100人以上が死亡
 詳細はまだ知らないが(インド治安当局の発表は鵜呑みにはできない・・・理由は後段を参照)、ムスリムの過激派がヒンドゥー支配の社会に対して起こしたテロ、という大雑把な構図は前提にしていいはずだ。標的が英米のツーリストだとしても、それは象徴的な意味合いでしかない。その金持ち外国人たちと仲良しのヒンドゥー・エスタブリッシュメントに向けての仇討ち、および面目を潰すという方があくまでメインの動機だろう。そのうちインド政府は「パキスタンの陰謀だ」とか言い出しそうだが。
 ただ、単に宗教的な問題がストレートに攻撃への意志に結びつくわけがないのは言うまでもない。なのに、その言うまでもない前提がすっぽ抜けた論調というのが、必ずこうした事件の報道に乗じてわらわらと姿を現すのが、我が国のしきたりになっている。
 その論調には、大体いつも二つの側面がある。
①「外国は物騒だ/日本は平和でよかった」
 および、
②「宗教なんてものがあるからこういう事件が起きる/宗教はテロの温床だ」・・・ここには暗に陽に、「特にイスラム教は物騒だ」というニュアンスがくっつくことが多い。
 プラス、どうでもいいけど「海外の武装警察は思い切りが良い。日本も治安が悪化しているから見習うべきだ」なんていうのもあるが、それこそ惨事に便乗したドサクサ紛れのデマゴーグだから問題外。
 問題は、わりと多くの人が感覚的に①や②を受け入れやすい下地が、この国ではすっかりできあがっているということだと思う。

 ②については、宗教オンチの日本人ならではの誤解であって、たとえばインドでは多宗教の共存という状態が古代より続いていて、宗教が争いの温床になっていない時間の方がはるかに長いという歴史があることを指摘すれば、本来は事足りる──はずだ。
 単一の宗教と政治が結託して専制的・排他的なフォームを作り出すと、それによって抑圧された側が過激な反撃に出ることもある。パレスチナもそうだし、チェチェンもそう。いずれの地においても、本来はそのような反撃が不必要な時代があったことは確かで、残念ながら現代はそうなっていない。
 インドにおけるヒンドゥー・ナショナリズムの苛烈な実態──タチの悪いことに、それは企業主導のグローバリゼーションやアメリカがおっ始めた「テロとの戦い」とがっぷりリンクしている──については、僕もインドの作家、アルンダティ・ロイの『帝国を壊すために』(岩波新書、2003年)を読むまで、ほとんどわかっていなかった。その知られざる内情が、というよりも、これだけあからさまで、長期間に渡って起こり続けているマイノリティへの弾圧、ことにムスリムに対する国家公認のテロについて、日本のニュースメディアがまったくと言っていいほど触れていない──そしてマイノリティが反撃のテロを行なった時だけニュースになる、という現実を知って、パレスチナとの相似形を見る思いがした。表面的には当時のBJP(インド人民党)率いる宗教右派連合から中道連合に政権が移っても、民族・宗教をめぐるこの非対称性に大きな改善はないらしい。
 2002年、パキスタンと国境を接するグジャラート州で起きた暴動~ムスリム虐殺(規模においても残虐のレベルにおいても、今回の武装攻撃の比ではない)について書かれた章の中で、彼女はこう書いている。

 こうした過酷な圧力の下で、いちばん起こりうるのは、ムスリム共同体の多くが二級市民としてゲットーに住むのを余儀なくされることだろう。絶え間ない恐怖の中で、市民権もなく、法の保護にも頼れずに。いったい、これらの人々の日常生活は、どのようなものになるだろう?どんな些細なことも、映画館で行列したさいの口論とか、信号待ちでのトラブルといったことが致命的になりうるのだ。そこで、こうした人々は、とても静かにしていること、運命を受け入れること、自分達が住んでいる社会の端っこを這いまわることを学ばなくてはならない。この人たちの恐怖は、他のマイノリティに伝染する。多くの、とくに若い人たちが、きっと戦闘的になるだろう。恐るべきことをしでかすにちがいない。市民社会は、彼らを非難するよう求められるだろう。まさにその時だ、大統領ブッシュさんの、あの名文句が、わたしたちに戻ってくるのは──「我々の側につくか、それともテロリストの味方をするか」と。

(『帝国を壊すために』─「民主主義の女神」本橋哲也・訳)

 ①についても忘れず書いておこう。日本の年間3万人の自殺者という数字は、途上国の「内戦」状態に匹敵するという指摘があって、僕はこれに同意する者だと。時折起きる無差別殺人など、表面に現れたほんの一部の惨劇でしかない。

○元厚生次官宅連続襲撃事件
 無差別ではなく、狙って人を殺したこの事件だが、なぜか最初から“テロ”だと報じられてきた。僕は、最初からこれが「なんでやねん?」だった(僕の思う“テロ”の定義についてはこちら を参照)。
 普通、“テロ”なら現役の政治家や官僚を狙うもの。「元」を狙うテロなんてあまり聞かない・・・犯行声明もないから、結局何をどうしてほしいのかわからない・・・そんな意味不明の“テロ”なんてあるか?
 自首した後になって、犯人は厚生労働省に恨みがあったらしいことが判明したわけだが、判明する前から思っていたのは、「なんか、個人的な恨みでもあったんじゃないのか?」ということ。というか、“テロ”の煽り文句に踊らされず、普通に考えさえすれば、たいていの人がそう思いついたはずの話である。
 あの「ごおいんぐ・まい・うえい」な犯人の男が出頭し、実は一種の人格障害による逆恨みみたいなもんだったらしいことがわかると、メディアに踊っていた“テロ”の文字は水が引くようにさあーっと消えていった。いや、ひょっとしたらサンケイあたりにはまだ残ってるかも知れない──アホくさいから確認してないけど、テロフェチ新聞だから(笑)。
 事の善悪以前に、犯人の恨みを向ける相手が筋違いだったことは、今やほとんど明らかだ。そのことを臆面もなく「なんて身勝手で愚かな男なんでしょう」という論調で伝えている新聞もある。だが、そういうあんたらマスコミは筋違いではなかったんか?と僕は聞きたい。これまた面倒くさいからいちいち確認してないけど、どこかの新聞で「当紙ではこの事件を“テロ”と先走って報じてしまったことを謹んでお詫びします」みたいな声明が載っていましたか?
 幸先良く(怒られることを覚悟であえて書く)インドで本物のテロが発生して、幸先良く(絶対怒られるけど絶対こう書く)日本人が1人死んで、そっちのニュースに皆の関心が集中して。でもって、テロじゃないものを簡単にテロと呼んだ責任は誰も取ることなく、今日もニュースは流れていくのですね。

 以上、どっちに転んでもロクなもんじゃない、テロをめぐる言説についてでした。

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5 コメント

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SOADつながりで来ました (オピノキ)
2008-11-30 01:52:14
初めまして。
System Of A Downの歌詞の和訳に感銘を受け、
以後たびたびページを訪れてまして、ブログもたまに見ております。
グサリと来る、鋭い、辛辣な意見に毎回ハッとさせられているのですけども。

今回の日記で、何気なく「テロ」という言葉を使っている自分たちは
いったいなんなんだろう、何のせいなんだろうと考え直してみて、
ちょっと日記に引用させていただきました。
知らず知らずのうちに、
自分がメディア(特にアメリカの)影響を受けているんだなということに気がつき…
【我々は「テロ」という存在を作り出すことで、
分かりやすい二分法の世界に逃げ込もうとしている】

【そこでは「正常」と「異常」が存在するが、
「異常」の原因は「正常」にある】

【我々が住む世界の違う人々に対し、
何か悪いことを行っていることに気づくべきである。
たとえ無意識に他人を傷つけることを意識することが大変であっても。】
というようなことを考えました。
レイランダーさんの考えを正しく受け止められているかどうかは分かりませんが…
とかく勉強になります。考えのレベルが段違いです。

なんというか、しめくくる適切な言葉が見つからんのですが、
お世話になっております。(一方的に)
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>SOADつながりで来ました (レイランダー)
2008-12-01 23:14:58
オピノキさん

初めまして。SOADつながりというだけでも嬉しいのに、過分にお褒めいただき、ちょっと汗が出てます…。

>「異常」の原因は「正常」にある

そう思います。僕の言葉なんかより説得力がありますね。

>我々が住む世界の違う人々に対し、何か悪いことを行っていることに気づくべきである

そう言うと、すぐに「自虐史観だ」とかって言われるご時世なんですが、そうじゃないんですよね。それは、人間が人間らしさを取り戻すためのポジティヴな基礎になる「気づき」なんで。
僕は、ロックというのは、そうした気づきから来る「痛み」や「後ろめたさ」を、ポジティヴなものとして表現できる、しかも自分が善玉になることもなく表現できる、貴重なメディアだと思ってます。ただし、その美点を自覚して活かし切ってるミュージシャンはぐっと少ないけど。

>考えのレベルが段違いです。

いやいや・・・、ただ歳食ってるだけです、ほんとに。ここに書いたことだって、わりと最近になって「ああ、そうだったんだなあ」って気づいたくらいのもんです。根は頭の回転が遅い上に、いい加減な奴ですから(バレてると思うけど)。参考意見として役立つことでもあれば光栄です。これからもよろしく。
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この場を借りてお礼 (レイランダー)
2008-12-01 23:51:32
少し前に、「これはコメントではないので表示しないでください」という要望とともに、僕に「犬式」という日本のバンドについてプッシュしてくれた方がいました。連絡先がわからないので、お礼を言いたくてもできなかったのですが、この場を借りてお礼を言わせてもらいます。

「犬式」気に入りました。レゲエをベースにした曲のスタイル自体は、さほど好みというわけじゃないんですが、彼らの存在の仕方、暑苦しいところ(笑)が好きです。三宅さんはジョー・ストラマー直系だしね。
年末の吉祥寺に、行ければ行ってみようかと思ってます。とりあえず、視野を広げてくれてありがとうございました。
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犬式を紹介した者です。 (ナカジ@千葉)
2008-12-02 13:55:42
連絡先も書かぬまま、おかしな文章を書いてしまい、お気を遣わせてしまいまして申し訳ありません。
貴重なお時間を割いて、犬式を聴いていただき、さらに多少なりとも興味を持っていただきましてありがとうございます。
紹介したものの、やはり正直言って音楽的にはレイランダーさんの趣味ではないよなぁという思いもありましたが、そこはジョー・ストラマーの「パンクとはスタイルじゃなくて、アティチュードなんだ」という言葉にならいまして、そのアティチュードの部分だけでも感じていただけたらなと思っております。
犬式のライブは、曲間にバンドが演奏を続けながらの三宅氏のMCが入り、それは穀物高騰と日本の食肉問題であったり、中沢新一の文化論の話であったりして、異様であり煙たがられるほどに宗教的な色彩を帯びることもあり、であるが故に魅力的でもあります。機会があれば是非行ってみてください。
あと、チェックしているかとも思いますがMARK STEWARTの新譜です。http://www.discshopzero.com/item/00250.html#32812
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どうもどうも (レイランダー)
2008-12-03 02:02:04
ナカジさん

えっと、今回は表示しちゃってよかったんですかね?まずかったら言ってくださいな。

全然おかしな文章なんかじゃなく、礼を尽くしてもらって感激!の文章でした。こちらこそ気をつかってもらいまして。

>ジョー・ストラマーの「パンクとはスタイルじゃなくて、アティチュードなんだ」という言葉にならいまして

もちろんです。三宅さんからは、もうブログを見た段階からそういうものをビシビシ感じましたから。

マーク・スチュアートの新作は、そういえば吉祥寺で買ったんですよね。内容は、12年ぶりというわりには肩透かしでしたけど・・・まあ、生きてりゃいいから、あのオッサンは(笑)。

今後ともよろしくです。
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