…自分が日頃憤懣を抱いている相手は若者であるよりも、もっぱら中年以上の大人たちであることは常に強烈に自覚している。なにしろ、そうした大人たちは、若い世代とは比べ物にならないほどの権威・権力を現実に持ち、社会の行き方に影響を与えている度合いが大きいのだから、はるかに深刻な問題なのは当然だろう。 . . . 本文を読む
少なくとも「投票はあなたの大切な権利です。民主主義を守りましょう!」なんて掛け声のもと、内実は民主主義を軽蔑する知事を(わかっていて)再選させる手続きに参加するだけなら、参加しないということも意識的な選択肢でありえる、と僕は思う。投票率が高けりゃいいってもんじゃない。 . . . 本文を読む
森の保全とは、「人間の手で」シシ神の首を返すこと、なのだ。人間の手が入る以上、そこにもはやシシ神はいない。けれど、手を引っ込めてしまえば、別の手──市場の手、という魔手が伸びてくる。 . . . 本文を読む
ある「モノ」があって、その持ち主に誰がふさわしいかを考える時に、その「モノ」について一番よく知っていて、上手に使える者を「所有者」にしたらいい、という考え方がある。もちろん、現代生活のあらゆる場面でそれを適用するべきだとは思わないが、ある局面ではこれは真理だと思う。 . . . 本文を読む
…今度の件で結構ショックだったのは、宮崎駿のような世界的著名人が牽引車になり、全国から募金が集まり注目されている、だけど取得しようとしている土地の広さはささやかなものである──そんな保全運動でさえも、一介の不動産業者の「開発」の論理に、ここまで公然と牙を剥かれ、簡単に振り回されるという現実である。 . . . 本文を読む
これは原則論である。氏は、寄付をしてくれた人達が、この原則をわかってくれていると信頼して発言している。それはすなわち、森は金で買えやしない、しかし金で買えないものを、我々は金で買うしかないという、苦い原則だ。 . . . 本文を読む
・・・生き物はアスファルトの上で死んではならない、土の上で死ぬべきだ、という信念に従って行動したくなる。熱したアスファルトの上の死が無残であるというだけでなく、死んだ体が速やかに土に還れないのは自然に反する、という感覚があるからだ。 . . . 本文を読む