弱い文明

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『ジス・イズ・イスラエル』~“パレスチナ人”のいないイスラエル

2007年11月21日 | パレスチナ/イスラエル
 今日地元の図書館に立ち寄って、興味深いものを見つけてしまった。
 新刊書の棚に並んでいた絵本『ジス・イズ・イスラエル』である。同じ作者の『ジス・イズ・テキサス』『ジス・イズ・エジンバラ』などと並んで置いてあった。大昔のサントリー「トリス」のCMに使われていたような(例が古すぎるわ^^)「切り絵」タッチの、なかなかセンスのいい「芸術的な」絵本のシリーズで、世界の街や国・地域を紹介する趣旨のものである。といっても、最近登場した本ではなく、チェコ出身のミロスラフ・サセックという人が描いて、主に1960年代に一世を風靡したシリーズの、いわば「復刻版」らしい。

 サセックという人の略歴は次のようなものだ。
「若き日にプラハで建築を、パリで芸術を学ぶ。世界の都市を旅しながら描いた「ジス・イズ」シリーズで、世界中の子どものみならず大人からも人気を集める。
『ジス・イズ・ニューヨーク』で、ニューヨーク・タイムズ誌選定最優秀絵本賞(1960年)とアメリカ青少年クラブ児童文学最優秀賞(1961年)を受賞。1980年死去。」

 『ジス・イズ・イスラエル』は1962年の作品で、当時の時代背景を(一面において)反映している。すなわち──「パレスチナ問題」の影も形もない。開拓精神と古代からの歴史が共存する若きイスラエルへの礼賛一色である。
 現代イスラエル国家というものについて、サセックは「200万人のユダヤ教徒と 25万人のイスラム教徒、キリスト教徒にドルーズ派の人びと」など、「たくさんの国からあつまった人びと」によってできている国だと紹介している。この本の出版当時からたった14年前に、25万どころではない数が暮らしていた先住パレスチナ人の、殺され、追放され、のみ込まれたという歴史的事実を匂わせるものは、一切ない。
 こうしたことを皮切りに、この絵本では、現代に至るまでのイスラエル国家がまさに内外に向けて発信したい国のイメージそのものを描き切っている。
 古代から続く歴史の地であること。ユダヤ教徒・キリスト教徒の精神的郷土であること(そして観光の見所満載であること!)。
 さまざまな民族が、多元的に暮らしていること。平和に、文化的に。ただし、主要な民族はあくまでユダヤ教徒であること。この古い歴史の地を、農業・工業ともに発展した現代的な国として運営する主体はユダヤ教徒。これから続々とイスラエル生まれのユダヤ教徒が生まれ・育って、国を引っ張っていくだろう──。

 確かにこの当時は、「パレスチナ人」という言葉自体、国際社会においては認知されていたとは言い難く、一般には「パレスチナ・アラブ」などと呼ばれていた。だからといって、イスラエルの内外に、イスラエルの建国によって故郷を喪失し、苦境に立たされていたパレスチナ「先住民」が大量にいたことには変わりない。それらの人々とイスラエル新国家の間には、のちの武装闘争やインティファーダのような形ではないまでも、あつれきが日常的に生じていたことも確かだ。
 だが、一介の旅行者であるサセックにそれが見えなかったとしても、ここでそのことを今さら責めたいとは僕は思わない。サセックが旅した当時のイスラエルは、エジプトやヨルダンなどとの対外的なあつれきはともかく、「国内」(それ自体国連決議違反だが)においては、今よりずっと、表面的な平静を保っていられた。 
 世界中の良識ある人たちが、その「表面」にだまされた。パレスチナ人による解放闘争が、いやそもそも“パレスチナ人”という存在自体が可視化するのは、67年の第三次中東戦争によって西岸・ガザがイスラエルの手中に落ちた、その後なのである。

 だから僕は、こんな絵本を読むなとか、子どもに読ませるな、図書館に置くなと言いたいわけではない(感情的には思い切りそう言いたいけれど)。たとえ間違ったことが書かれていたとしても、大事なことが覆い隠されていたとしても、そうしたことをふまえてこの時代というものを理解する、資料または「反面テキスト」としての価値がこの絵本にはある。現代の人間は、ここに描かれていることが、今の現実と何がどれほど隔たっているかという視点から、パレスチナ/イスラエル問題を学ぶことができる(同じことは「ジス・イズ」シリーズの他の本についても当てはまるかも知れない)。

 しかし、それはそうだとしても捨て置けないのは、そうした批判的視点は一切欠いた状態で、2007年の現在にこの本を刊行することに何の倫理的疑念も抱いていないらしい、出版元の(株)ブルース・インターアクションズという会社である。
 たとえば、想像してみてほしい。
 1960年代に、『ジス・イズ・南アフリカ』という絵本があったとする。そこで紹介される南アフリカの姿は、白人と黒人が半々ずつ、仲良く暮らす国である。どちらも、「たくさんの国」から移住してきた人たちだ。中には昔から住んでいたような人たちもいる。彼らは伝統的なブッシュマンのような生活をしている。それは彼らの勝手だ。
 移住白人たちはこの国に近代産業をもたらした。そして今後も彼ら白人のアフリカ土着の子孫が、この国の発展をリードしていくであろう・・・・・。
 そんな内容の本を、西暦2007年現在、出版する勇気のある会社はあるか?あれば、是非やってみるがいい。その会社は後の代まで、笑い者になるだろう。
 では、イスラエルという国がテーマなら、笑い者になる心配はしなくていいのか?なぜ?

 もし『ジス・イズ・イスラエル』を出したこの会社が、わずかでもそうした心配をしているなら、たとえば巻頭か巻末のようなところに、この本は1960年代前半までの時代の制約の中で製作されたもので、現代には当てはまらない部分もいろいろあります…その最たるものは、パレスチナ人との複雑な(*注)歴史等をめぐる問題です・・・くらいの断り書きを入れるだろうと思う。
 だが実際に巻末の注にあるのは(巻末の注でさえも)、あくまでパレスチナ人の存在を無視しようとする態度だけだ。絵本全体を通して、唯一イスラエルに差している紛争/戦争の影が伝わる箇所、エルサレムについての注釈を見てみよう。
「page36 1950年にヨルダンはエルサレムを領土に加えましたが、この絵本が出版されたあとにおこった第三次中東戦争(1967年)で、ふたたびイスラエルがうばいかえしました。」
 うばいかえした、とは心憎い表現だけれど、事実と違う。現代イスラエル国家は、エルサレムの領有を国際的に認められたことなど一度もない。エルサレムは国連分割決議の当初、国際管理地域だったのだ。
 第一次中東戦争(1948年)の後、東エルサレム(旧市街)を含むヨルダン川西岸一帯はヨルダンが事実上領有していた。対して西エルサレム(新市街)を実効支配していたイスラエルが、1950年にエルサレムを首都と宣言したので、ヨルダンは西岸と東エルサレムを正式に併合したのである。つまり、「うばいかえす」という表現は、イスラエルの一方的な首都宣言によって全エルサレムがイスラエル領になったという、空想の前提のあとでしか成り立たない物言いなのだ(しかも、当事者の大きな部分を占めるエルサレム在住パレスチナ人のことがすっぽ抜けている)。
 逆に1967年、エルサレムを含む西岸丸ごと武力併合してしまったイスラエルの行為は、エルサレムの基本的な性格を変えるものとして、直ちに国連で非難決議を受けている。有名な安保理決議242から始まって、同様の決議はくり返し行なわれてきたが、イスラエルは1980年には「恒久首都」を宣言する「エルサレム基本法」で応えるなど、国際社会の非難には馬耳東風なのである。

 この巻末注は、もともとアメリカなどで出版されたオリジナル版の方にあったものだとは思うから、その時点ではまだ「うばいかえした」などという世迷言を言っていられる余地があったとは、百歩ゆずって認めよう。だがそれから半世紀近くの時を経て、激動に次ぐ激動を重ねた彼の地の歴史を、その中で浮かび上がってきたイスラエルの侵略的性格を、まったく考慮に入れずにこんな注釈を放置したのは、(株)ブルース・インターアクションズの落ち度──好意的に表現して──以外の何物でもないだろう。
 といって僕は、彼らが誤りに気づいて、現在わかっている歴史事実に沿った注釈を組み直すとか、社の方針について詳細なことわり書きを入れるとかいった措置を取るとは、まったく期待していない。だって、そんな神経があるなら、最初からこんな時代錯誤で問題だらけの本を出版することは躊躇するはずだからである。
 確かに絵は美しいところがある。これを売って広めたいと思う気持ちは、人情として理解できる。だが僕にとってはもう一つの人情、“パレスチナ人”がいないイスラエルなどという虚構を信じられるほど、自分を含めた現代人が犯罪的なお人好しであってはならない、という人情の方が切実なのである。そしてそういう人情を、もっと多くの日本人に共有してもらいたいと思っている。
 だが、(株)ブルース・インターアクションズにとって、そんなことはどうでもいいらしい。若者に人気がある音楽・書籍全般を扱う老舗のインディ・レーベルのようだが、それだけに引っかかるものが大きい。悪いが、僕はそういう奴なのだ。

☆11月22日より、ファトヒ・クデイラートさんのスピーキング・ツアーが始まります。参加できる地域の方はぜひご参加を!


*注 当時は今ほど複雑じゃなかったけれど。今だって、複雑に見ようと思わなければ、さして複雑ではないんだけれど。

追記:
(株)ブルース・インターアクションズには、webサイトの連絡先を通じて、このブログで批判する文章を掲載した旨知らせてある。が、今のところ何の音沙汰もない。


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2 コメント

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はじめまして。 ()
2007-11-30 00:12:40
はじめまして、こんばんは。戦争や平和をテーマとした絵本について研究している大学生です。

今まで戦争やそれに関するものだけを見てきたのですが、このような絵本もあったのですね。視野が広がりました…というより、目から鱗が落ちた気分です。

パレスチナ、イスラエルの問題は複雑ですが、それ故に私の周りでは関心を持っている人が少ないようです。
そもそも近年は戦争や平和について無関心でいる人、あるいは極端な人が多いような気がします。出版元が配慮しなかったのも、そういうことの現れではないでしょうか。
戦争絵本は無関心層の人々に訴える有効なメディアになると考えて研究しているのですが、『ジス・イズ・イスラエル』はまさに反面テキストとして論文でも取り上げたいと思いました。

新たな視点をお与えてくださり、ありがとうございます。
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はじめまして (レイランダー)
2007-11-30 02:52:35
優さん、はじめまして!
こんな僕なんかの書くものが、少しでも何かのヒントになったのなら、嬉しい限りです。
戦争や平和をテーマとした「絵本」というより「児童図書」全般については、僕も昔研究したことがあります。といっても僕の場合、関連した本を2、3冊図書館で借りて読んだくらいのことですが・・・。しかしこれは面白いテーマですよね。世界の児童文学の中で、戦争がどんな風に語られているかの比較とかも、研究しがいのあるテーマでしょう。

ただ「ジス・イズ・・・」の出版元は、正確には戦争と平和に「無関心だから」配慮がない、のではないと思うんです。
こういった「アート」が、現在進行形での戦争と平和の問題につながっている自覚がないというか。「アート」と「政治」が水と油みたいに分離していると、簡単に思い込んでるというか。彼らに言わせれば、これは純粋に「アート」または「ポップ・カルチャー」の一つなんだから、そんな政治がらみのことでいちいち目くじら立てなくても・・・という感覚なんだろうと。
これはこの出版元に限らず、現代日本の「カルチャー」(主にカタカナの)全般に浸透している意識の問題だと、僕は常々感じているんです。意図的であれ無意識であれ(多くは無意識でしょう)、「非政治的」なカルチャーの名目で、歴史の抹消や捏造といった、立派に政治的な行為に加担する。そういう振る舞いがこの手の業界には行き渡っている、その一例、僕にとってはたまたまわかりやすかった一例がこの本だった、ということのようです。
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