それはとても単純なことだ。なんで自分も含めて、辺野古の海を守りたいと思っている人間が、「反対派」と呼ばれなければならないのか?ということである。 . . . 本文を読む
「・・・このような重大な誤解が、一部は専門家によっても流され、さらに批判精神を喪失したマスメディアによって助長されているのは大問題です。この調子で時間が経過すれば、また阪神・淡路をしのぐような大震災を経験する羽目になるでしょう」 . . . 本文を読む
中越沖地震と柏崎刈羽原発の事故が、目下この国の「危機」を代表するようにクローズアップされる一方で、沖縄の米軍基地移設をめぐる市民と政府・業者の対立も熾烈な様相になってきている。 . . . 本文を読む
「想定外」だったのは事実かも知れない。ただどうもその背後には、「想定が甘かった」ことを批判されても、同時に「想定外だったんだから仕方ないけどね」という形で許してもらえる、という読みがあるような気がして仕方ない。 . . . 本文を読む
・・・日常の中に「非日常」的イベントとしての選挙があるのでなく、日常の一つとして選挙がある、という当たり前の感覚を取り戻す──そんな当たり前の感覚が失われていることこそ、民主主義の劣化の証拠でもある──それは他のメディアよりも、ブログなどネットでの言論活動において効果的に働きかけることができるに違いない。 . . . 本文を読む
報道からは、キューマっちは原爆そのものを肯定したわけではなく、あの局面においてアメリカが投下に踏み切った事情を「しょうがない」としているだけ、という言い逃れは可能であるように見える。ただその事情というやつが、「対ソ」戦略の事情という、古くさく・いい加減な核抑止論の流れをいまだに引きずっていることの問題こそは、叩かれなくていいのだろうか。 . . . 本文を読む