何をもって非暴力の闘争と呼ぶのか?──今回のミーダーンの企画が「抵抗のかたち」と題されていることからもわかるとおり、この問題は映画と、続くシンポジウムの中でも通底するテーマとして響き合っていた。 . . . 本文を読む
イスラエル人にとって、パレスチナ人と共闘する以上に、はっきりと「歴史の共有」を示す行為はない。その意味で、この映画に登場するISMのイスラエル人は、すでにその最も重要なステップを踏み出している。 . . . 本文を読む
『サルバドールの朝』を観て衝撃を受け、死刑制度にチラッとでも疑問を抱いた日本人に対して、悪いのは死刑制度ではなく、軍事政権や、ずさんな裁判や、残酷な処刑方法などであって、日本は該当しないから安心しましょう、となだめること──衝撃を吸収し、椅子の向きをそおっと変えて視点をずらすのがその役目なのではないか。 . . . 本文を読む
1995年、オクラホマ・シティーの連邦ビル爆破事件で一人娘を失った遺族として、犯人の死刑に反対する立場をとって以来、死刑廃止運動に関わっているバド・ウェルチさんと、同じくアメリカで少年死刑囚の写真を撮り続けているカメラマン、トシ・カザマ(風間)さんの二人が講師を務める講演会。 . . . 本文を読む
…この映画の重要性は、フェイク・ドキュメンタリーという手法を駆使しながら、僕らのもとに日々届けられる「現実」が、大いなるフェイク・ドキュメントそのものであることを否応なしに実感させること。もう一つは、いわゆる「ドキュメンタリー」へのまなざしとして、それを作る人も観る人も、「フェイク」の側からの揺さぶりにどう応えるか、そんな問いかけを内に含んでいることだ。 . . . 本文を読む