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大山誠一『天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト』―②

2010年07月08日 | 書籍
 さておき、昨年末刊行された『天孫降臨の夢』は、二〇〇三年の編著『聖徳太子の真実』よりもさらに踏み込んだ内容で、元々の大山氏個人の問題意識により近づいたものとも言える。
 一般の人にも読みやすく、第Ⅰ部第一章「<聖徳太子>の誕生」では、あらためてここまでの研究を集約して「非実在説」のおさらいをしてくれている。 しかしそれはほんの入り口である。太子がいなかったのなら、誰が、何のために、そのような虚構を必要としたのか──そこからたどって、より正確な飛鳥時代の実像はどんなものだったか、近年史料批判の進む「日本書紀」とは何なのか、何のために編まれたのか。それが本書の眼目となっている。

 簡単にまとめるとこうだ。飛鳥時代、本当にあったらしいのは、複数の王家の中から頭角を現し、権力を独占する形になっていた蘇我氏の王権で、いわゆる「大化の改新」は、蘇我氏に対する中大兄皇子(天智)ら「息長(おきなが)」系王族によるクーデターであった(*注)。
 その後、弟の大海人皇子(天武)から妻の持統へと大王位が引き継がれる過程で、この王族と近親関係を深め、支えつつ導くようになった政界の実力者が、中大兄の忠臣、中臣鎌足の息子にあたる藤原不比等である。日本において「天皇」という呼称が使われ始めたのも、実はこの時期(天武~持統の頃)からなのである。不比等は事実上の最高権力者でありながら、天皇を前面に立て、自らは天皇になろうとせず、子孫を天皇家と交わらせ、「藤原王朝」の基礎を作った。
 以降、「天皇」はいつでも最高権威でありながら、最高権力者は別にいる、というスタイルで現代にまで至る。中国の皇帝とその律令制度を模倣することで国家としての本格的なスタートを切った日本だったが、「天皇」は一度として中国の「皇帝」のような絶対権力者・独裁者であったためしがない。いつでも最高権力者の操り人形か、お飾りのようなものでしかなかった。
 つまり国家・日本は最初から「象徴天皇制」だった──それ以外の天皇制はやったことがない(後醍醐の建武新政が唯一の例外か)。これは通例、戦前と戦後の天皇制の連続性を突く形で取り上げられる論点だろう。しかしもっと遡って、その原型は藤原不比等の頭脳と国家経営のセンスから産み落とされたというところまで見たなら、別の大きなターゲットが浮かび上がってくるのではないか。それは日本人の天皇制に対する情緒的なシンパシーが、何によって生成されているのかということにつながる。そこで、聖徳太子なのだ。

 歴史マニアや特別に学のある人を除けば、世間の多くの人は大概こんな風に感じているはずだ──太子にまつわるエピソードの数々、たとえば生まれてすぐに立ち上がって「南無仏」と言ったとか、十人(八人?)の話をいっぺんに聞き分けたなどというのは、後世の人が付け足した尾びれであろう。いくら何でもそんな非科学的な話を真に受けるほど、私達は蒙昧ではない。あるいは、知っている人はそこに太子を救世観音の生まれ変わりとする「太子信仰」の影を見るだろう。「太子信仰」は浄土真宗に影響を与え、真宗が勢力を広めるのに一役買ったという話もあるが、いずれにしろ今となっては、熱心な信徒以外の者には縁遠い世界だ。…
 …けれども、私達の“国”の中心には連綿と続く天皇家の歴史というものがある。それは高潔で礼儀正しく、和を重んじ、優れて知的かつ大国に向き合っても堂々と「対等外交」を求めた厩戸皇子─聖徳太子という人物に遡る。その伝統を守り継ぐものが天皇制である限り、あって悪いものではない。むしろ私達に日本人としての誇りを、安らぎを──そしてそうした風雅なる伝統を持たない、あるいはそこから切り離されている、無粋な他国民に対する優越感を保障してくれる。
 しかし。
 太子が実在でないとしたら、それは大げさな「超人」エピソードが否定される、そこでおしまい、という次元の話ではない。神武に始まる「皇紀二千六百年」などという御伽噺をいまだ信じているアジャパーな連中に打撃を与える、というレベルでも終わらない。私達が、何か自然発生的に生じたもののように受け入れさせられてきたこの“国”の伝統、その核心部分が、権力者の都合に合わせてアレンジされた「政治」の一部だったことを認めることになる。それは少し大げさに言えば、私達日本人が、右翼も左翼も、仏教徒もキリスト教徒も、会社人間も自営業者も、そしてもちろん「平均的日本人」も、深さの違いはあれど信仰している「日本教」の根幹にヒビが入ることではないだろうか。
 聖徳太子は、私達の多くが象徴天皇制を「空気のようなもの」と感じる時に、その気もないのに信奉している「日本教」の始まりを体現する人物ではないか。そのような人物を創造し、実在の厩戸王に上書きすることで、藤原不比等を編集主幹とする「日本書紀」プロジェクト・チームは何を目論んだのか。大山氏によれば、それは蘇我王朝の存在感をできる限り消し、太子というミラクルなキャラクターにその功績を移し替えること、そして藤原家と現王権の原点といえる大化のクーデターを正当化すること──それによって、今ここに現出した「天皇制」を正当化することだった。太古から伝わる国生み神話を天孫降臨神話によって引き継がせ、そこに現王権の人物を仮託することで(たとえば持統をアマテラスに、不比等自身をタカミムスヒに、というように)、易姓革命に基づく中国の皇帝思想とは違う、より日本の風土にフィットした独自の王権スタイル、「天皇制」を国書の形で裏付けたのである、と。

 もちろん不比等は、藤原氏の繁栄を永続的なものにしようとしてそうしたのであって、自分の考えたカラクリが千年以上の時を越えて、国の隅々にまでマインド・コントロールを及ぼし続けるとは、想像だにしなかったかも知れない。しかし幸か不幸か、それは日本の風土にハマッてしまった。無論、ただ偶然ハマッたのではなく、ハマることを狙って不比等はそれをやったのだが。「風土」を読み解く彼の類稀なセンスの働きがそこにあったことは確かだろう。
 僕は、どちらかといえばそうした内向きな「風土」があることを、というより依然としてその内向きな「風土」を前提に物事を考えねばならないこの国の在り様を、「不幸」だと感じる者である(ただしその「風土」が全面的なものだとも思わないが)。だからこそ、現代の我々が「天皇制」を乗り越えるには、“国”の中心に高潔なカリスマを求める、その存在に安らぎを感じるという心のあり方こそ問題にされなくてはいけない、ということがわかる。そのデンで言えば、戦後の天皇は「人間」宣言をしたわけだが、国民の方こそ今一度「人間」宣言すべき時ではないか。我々は天皇陛下の赤子ではなく、「人間」の赤子であるという宣言を、もう既にしたと言うなら、さらに更新し続けるべきではないか。
 太子非実在説や日本書紀の虚構に関する大山氏の考えには、反論も多く、歴史学の素人には断定的に論ずることのできない部分もある。しかしながら、天皇制と日本人というテーマを中心に、多くは虚妄の上に成り立つその極楽トンボの「日本」観を問い直す上で、本書は重要な手がかりを与えてくれると思うのである。


このクーデター(645年)の背景として大山氏が挙げている中で、当時の朝鮮半島情勢との絡みに触れている点が、個人的にはえらく腑に落ちてしまった。つまり、大和王権と関係の深い百済が、当時新羅に征服される危機を迎えていた。優柔不断な態度をとり続ける蘇我氏に対して、百済と特に関係の深い息長系がしびれを切らしたのであろう、と。実際、クーデターが成ってわりあいすぐに、大和は百済に援軍を差し向けるが、有名な白村江の戦い(663年)で唐・新羅軍に大敗し、以後は半島情勢に干渉することを手控えるようになる。
 こうした、国際情勢から日本古代史を捉え直す見方というのは、今時は珍しくはないのだろうが、僕には新鮮だった。

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4 コメント

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ごぶさたしてますw (どっこい)
2010-07-12 23:49:35
聖徳太子でamazon検索したら、ブーム状態でちょっと驚きましたw おれも大山氏の本、どれか1冊読んでみます。

ところで twitter ですが、暗いニュースリンク の中の人を追っかけるだけでも、おもしろいですよ。
ttp://twitter.com/gloomynews

twitter はブログを補完するだけでなく、公開ニュースリンクぽい機能も持っているので、使い方次第でまだまだ広まる気がします。
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>ごぶさたしてます (レイランダー)
2010-07-13 23:17:26
どっこいさん、ご無沙汰でした。大山氏の本は僕も二冊しか読んでないんで、どれがお勧めとか言えないんですが、とにかくこの「天孫降臨」は読みやすいですよ。

「暗いニュースリンク」の人はそもそもブログでも発信力旺盛でしたから、twitterでなおさらやりやすくなった、みたいなとこあるんじゃないですか。僕なんかトーシロで、そこらへんパワー足りな過ぎですから・・・それでも「ああ、こういうネタ書くならtwitterがあれば」って思う時がちらちらあるのも事実です。そのうち手を出そうと検討中です(といいつつ、いつも忘れる)。
まだ「フォロワー」っていうのになったこともないんですよね。どっこいさんはtwitterやってるんですか?もしやってたら、場所教えといてください。
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お尋ねしますが (たま)
2010-10-04 02:54:53
>神武に始まる「皇紀二千六百年」などという御伽噺をいまだ信じているアジャパーな連中に打撃を与える

よくわかりませんが、あなたはなぜ西暦を使っているんですか?
キリストが目の見えない人間を治療したとかお伽話を信じているからですか?それはそれでアジャパーでないんですかね。

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>お尋ねしますが (レイランダー)
2010-10-05 10:19:29
まともに返答したものかどうか迷うところだけど、わりと簡単に誤解(というか何というか)は解けると思うので、書いとくね。

>あなたはなぜ西暦を使っているんですか?

「皇紀二千六百年」はこの場合「暦」というより、「年数=期間」の長さを強調する言い回しですね。「中国四千年」とかいうのと同じ。
いずれにしろ僕が作ったんじゃなくて、昔の軍部あたりが日本への愛ゆえに、小國民の皆さんの頭に刷り込もうとした言葉らしいですよ。

>キリストが目の見えない人間を治療したとかお伽話を信じているからですか?

キリストのお伽話を信じてなくても(あるいは知らなくてさえも)西暦を使ってる人は、この世界に何十億人もいるはずで、僕もその一人というに過ぎません。
そんな具合に、かなりな程度万国共通だから便利だし、上の話でいう「年数=期間」を計算するのも楽ですよ。明治元年から平成22年まで、って言われてもピンとこないけど、1868~2010って言われれば、「ああ、百数十年くらいか」ってわかるでしょ。
まだ使ったことなければ、ぜひ一度お試しを。
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