弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

「リベラル」と「保守」

2017年10月21日 | 言葉/表現
 歴史的経緯の説明が少々まだるっこしいけれど、この記事は良記事。

 https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20171020-00077161/

 自分自身、「リベラル」っていう言葉にずっと違和感があって。欧米でのリベラルの定義と日本のそれはズレてるし。90年代以降の日本の政治の現場での使われ方がおかしくなっていたんだ、とあらためて思い起こされた。
 リベラルだから今回「第三極」(本当は二極だ、というこの記事の指摘は当然)に入れるわけじゃないし。少しでもマシな民主主義的な行政を望んでるだけだし。そうしたら、自然「第三極」以外選択肢がない。
 若い人は知らないのかな。今の共産党や社民党なんて、昔の自民の穏健派あたりに相当近い。つまり、中道。世界的に見れば明らかにそうだし。逆に自民だの希望だの維新だのなんて、誇張抜きに右翼の過激派だろ。しかも嘘つきだし。

 人間は間違えることが多い。長い目で見て、守るべきものを守り、変えるべきことを少しずつ変えていく、それこそが保守。復古主義とか頑迷な現状維持とかが保守ではない。
 ダグラス・ラミスの古い本に紹介されていた、テニスン(19世紀の英国詩人)の詩を思い出す。

 朽ちた枝を取り払う
 かの人こそ本当の保守主義者

 安倍や小池は、朽ちていない枝を切り刻む。自分の頭の中の理想の(妄想の)枝を無理やり接木して、樹木本体の生命力を萎えさせる。

 自分は「保守」も「リベラル保守」も自認はしないけど(向いてないから─自分は社会の端っこにいて、かき回す役の方が好きだから)、世界の多数派の人は正しく保守であってほしい、過激派に乗せられないでほしいと思う、屈折した心情を持っている。

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