没落屋

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逆説の未来史54 進歩教の洗脳(5)  教義(ドグマ)の破綻

2013年11月11日 08時38分04秒 | 逆説の未来史

■市民宗教―共産主義の賞味期限はたった150年だった

 宗教には、「市民宗教」にはないメリットがある。宗教は、通常の人間の経験を超越した領域や存在にその希望を据える。例えば、キリスト教の教会は、聖書の予言を創造的に再定義してみせた。キリストの再臨や予言の成就を時期が定められていない未来へと移動させたのである。そこで、キリスト教が提唱するイエスの救済が間違いであるかどうかは問題とはならない。救済がなされるのは遥か先のことであり、現在生きている人には確かめられないからである。同じく、黙示録の信仰も証明が回避できる。けれども、「市民宗教」はこの点では問題点を抱えている。20世紀で最も成功した福音の市民宗教は「共産主義」だったが、それが、その運命を明らかにしている。

 1848年にカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが共産党宣言を出版し、レーニンが1917年にロシアでの権力を握るまでは、共産主義の宣教師たちは、来るべき革命がもたらす壮麗なる未来を布教できた。けれども、10月革命以降、未来のある時期において、事前になされていた約束が必ず達成されるとの期待は、地球の人口のほぼ半分を占めるまで共産主義体制が広がったことから、敬虔な信者にとっても疑わしくなっていく。ロシアではレーニンやスターリンによって、それ以外の共産主義国においては彼らに匹敵する人物によって多くの血が流されたが、それは反動勢力とのやむを得ない一時的な戦いとして信者たちは許すことができた。けれども、労働者のパラダイスが寒々とした官僚主義的警察国家へと変貌すると、それに続くであろう共産主義の楽園の兆しは見えるどころか弱まって遠ざかり、最も敬虔な信者にとっても理論と現実とのギャップを正当化することが困難となっていく。そのギャップは最終的には、ソ連やその衛星国全体を飲み込むほどの亀裂となった。共産主義という市民宗教の賞味期限は、たった150年にすぎなかったのである(4-3)

■マスコミがいくら笛を吹いても進歩教の信者は減り始めている

 進歩の市民宗教の運命もおそらく同じだ。1960年代には、進歩への約束が、当時のポピュラーな文献やメディアではまだ重要な役割を果たしていた。けれども、今まさに進歩の神話は失敗しつつある。経済は変動し、環境は破壊され、社会政治的なストレスが高まっている(4-3)。信者に対して新技術の進歩をメディアが宣伝しているにもかかわらず、工業化社会のほとんどの人たちは、1970年代のエネルギー危機以来、生活水準や公衆衛生、販売される製品の質の着実な低下に気づき始めている。1970年に米国の労働者階級が得ていた収入によって可能であったライフスタイルと今日のライフスタイルとを比べてみてほしい。過去よりも未来が必然的に改善されるとの保証にしがみつくことはとても困難だ。進歩教は、信仰よりもその実績を通じて自らの正統性を維持している。したがって、ここ数十年、進歩教への期待が低下している。その約束を果たす能力が衰えれば信者は減っていく(1-6)

■2008年以降、通常の景気サイクルとは異なる不況が続いている

 2008年の経済危機は、弱まる兆しが見えない。以前の好景気は、対応が困難な経済不況へとかわっている。その解決策も見えない。以前は中央銀行が、景気循環を統制し、経済成長のために望ましい条件を維持してきたが、いまや銀行は想定外の限界に直面して混乱している。政治当局も国家経済の不況によって激しく揺れ動いている。

 経済危機は多くの要因からもたらされた。グローバル経済の投機の影響や住宅バブルやそれに続いた経済破綻もそうであった。多くのメガバンクの非倫理的な行動は問題だったし、増税をすることなく政府の赤字に依存して票を買うために選挙民に媚びた事業を展開する政治家たちの習慣もそうであった。けれども、こうした要因はいずれも新しいものではない。1636~1637年にオランダでチューリップバブルが起こって以来、ひとつの投機ブームや不況なしに10年が経過することは稀であったし、銀行の不正業務は銀行の起源と同じほど古いものだし、政府の事業を餌に票を買うことも何世紀も一般的な慣習だった。

 したがって、ほとんど問われることがないとはいえ、問いかける必要がある問いかけは、通常の不況が2008年前後に極めて深刻化し、それ以降も長引いて解決できない不況がなぜ大量に産み出されたかなのである。新聞のビジネス欄を一目すれば、それらがこのところの記憶の中では匹敵するものがない事態であることがわかるだろう。いくつかのヨーロッパ諸国では、わずか数年で繁栄が経済危機レベルまで突入し、労働者の三分の一以上が失業し、その負債をデファルトしないよう政府は苦闘している。米国でも、毎年の維持コストの余裕がもはやないことから、州政府は何千kmもの舗装道路を引きはがし、砂利道に替え、市は破産宣言をし、消防士や警察官を解雇している。これは、どうみても通常の景気サイクルにおける不況のサインではない(4-3)

■長引く不況の背後には石油価格の高騰がある

 この図に、2005年以降、世界の在来型(液体性)石油の生産がピークに達したピーク・オイルをはめ込んでみてほしい。そうすれば、危機の深刻さが容易に説明できる。新たな石油資源を確保するため莫大な努力が注がれているにもかかわらず(4-5)、ピーク・オイルは、地質学的な制約条件の結果であるため、石油の生産は、2004年以降、頭打ちとなっており、これが近い将来に変わる見込みはない(4-5,4-6)。一方で、石油への潜在的な需要は高まり続けている。これが数年前には考えられなかったほどまで石油価格を高騰させている。現代の産業経済においては、例外なく石油が経済活動のすべての基礎となっているため、国内に石油資源を欠く国家は、法外なコストがかかってもそれを支払わなければならない。2008年の不況に続くユーロ危機で打撃を受けたヨーロッパ諸国、ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシア、スペインがいずれも輸入石油に大きく依存したことは驚くにあたらない(4-5)

■脱石油へと舵を切り替えない限り経済の衰退は避けられない

 もちろん、国内に石油を持つ国家は、この危機から直接影響を受けてはいない。けれども、同じ問題に直面している。石油開発は、その経済的な理由から最も容易に発見でき最も安く抽出できるものから始まる。それは、石油を長期にわたって採掘し続ければ、新たな油田を発見・開発するのにさらにコストがかかることを意味する。石油価格があがれば、こうしたプロジェクトも経済的には実現可能となるし、その国が石油収益に依存していれば、開発は欠かせない。けれども、石油生産コストの値上がりは抽象的な概念ではなく、地質学的な挑戦であることから(4-6)、同量の石油を抽出するうえで必要とされる補足的な労働、材料、品物、サービス、エネルギーが増えていく(4-5,4-6)。理論上では産油諸国はこうした追加費用を顧客に科せる。けれども、現実には石油価格が高騰しすぎれば、グローバル経済は危機に陥り、消費者はエネルギー代の支払いに苦戦し、石油需要は落ち込む。その結果が、グローバル経済の隅々にまで広がる危機である。投資資金はもとより、熟練工、スペアーパーツまですべてが、他のあらゆる経済セクターを犠牲にしても、石油の抽出に優先的に集中させられる。こうして、石油抽出の見返りは頭打ちになるか落ち込み、一方で、他の経済部門のすべてが苦しめられる(4-6)

 すなわち、産業経済は困難な拘束にとらわれている。その適例が、米国のエタノール産業である。トウモロコシからバイオエタノールを工業的に大規模生産すると、エタノールを燃焼させることで産み出せるよりも多くのエネルギーを使う。したがって、エタノール製造の経済状況は厳しく、数年前にファンファーレとともに立ち上げられた多くのエタノール工場は、既に破産し閉鎖している。けれども、米国では、エタノール製造を続けるため(4-6)、一部の州ではガソリンに10%のエタノールをブレンドするE10の販売が義務付けられている(5)。そのため、米国のトウモロコシの60%がガソリン用のバイオエタノールに転換されている。結果として、トウモロコシを原料として用いる食品産業は、トウモロコシ価格の値上がりに対応せざるをえず、その経費は消費者に負担させられている。すなわち、ガソリンにエタノールを混合する政策は、石油生産と直接的にはまったくつながりがない経済部門にも影響を及ぼしている(4-6)

■シューマッハーが予言したピーク・オイルの影響

 石油生産に要する経費の値上がりは、こうした迂回路を通じてグローバル経済への負荷を増やしていく。他の経済部門が利用できるエネルギー、原材料、労働他の取り分は減り、それらに依存する経済部門の衰退は確実なものとなろう(4-6)。E・F・シューマッハー(Ernst Friedrich Schumacher,1911~1977年)は、「スモール・イズ・ビューティフル」で、グローバル経済における化石燃料の重要性を概説した。そして、グローバル経済に対するピーク・オイルがもたらす負荷は、様々な研究によって詳細に分析されている(4-5)

 石油は最も豊富で便利で、かつ、濃縮されたエネルギー源である。したがって、石油が枯渇すれば、未来の人間社会は、さほど豊かではないエネルギー源でやりくりしなければならない。そして、次には、私たちの人生の時間内に進歩が終わることになる。このピーク・オイルの結果が、深刻に受け止められれば、それは進歩教にとって大変な脅威である。限りなく進歩するという夢とともに育ち、進歩教に未来への希望を託してきた人々は、強烈な幻滅に直面することになる(4-3)

■逆説の未来への教訓~産業国が没落を受け入れないのは進歩教のため

 産業化社会がピーク・オイル以降の未経験の空間へとさらに移動し、進歩の神話によって予言された限りなく改良されていく未来と、身のまわりで現実に起きている景気の縮小、社会的な不安定、さらに、最終的には技術的な逆行とのギャップが広がるにつれて、この矛盾から大きな社会的破裂が予想されるであろう。したがって、経済の石油への依存度を減らす、省エネとエネルギーの効率化が最も実施可能なオルタナティブなのだが、そうしたプロジェクトを実施するためには、サッチャーやレーガンの時代に多くの人々が拒絶した態度を復活させる必要がある。けれども、こうした転換はいまだに今日の政治状況においてアンタッチャブルなままである(4-6)。こうした対策は、まさにそこから最も恩恵を受ける産業国では考えられない(4-3)

 失業者の増加、賃金の停滞、市場の変動、政府の税収の落ち込み。こうした今日の経済の現実と石油価格の負荷とのつながりも同じく間接的である。したがって、経済の現状とピーク・オイルとのつながりは、政治やマスコミに影響力を持つ人々からは否定されるであろう。ピーク・オイルの影響を否定し、それ以外の原因を探る試みがなされるであろう(4-6)。そして、ピーク・オイルが「名前がなき問題」にとどまる限りは、現在の経済混乱を改善する試みはほとんど確実に失敗するであろう(4-5)。進歩の神話を信じないことが、最も合理的な反応なのだが、心理学な障害から、有効なオルタナティブは拒絶されてしまう。そこで、ほとんどの産業化社会は収穫逓減のポイントを過ぎても、さらに技術進歩を追求し続けるであろう(4-3)。「名前がなき問題」とは何なのだろうか。

【引用文献】
(1) John Michael Greer, The Long Descent: A User's Guide to the End of the Industrial Age, New Society Publishers, 2008.
(2) John Michael Greer, The Ecotechnic Future: Envisioning a Post-Peak World, New Society Publishers, 2009.
(3) John Michael Greer, The Wealth of Nature: Economics as if Survival Mattered, New Society Publishers,2011.
(4) John Michael Greer, In Not The Future We Ordered: Peak Oil, Psychology, and The Myth of Progress, Karnac Books,2013.
(5)ウィキペディア
シューマッハーの写真はウィキペディアより


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