没落屋

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逆説の未来史60 進歩教の洗脳(11) 死に至る病

2013年11月25日 20時46分09秒 | 逆説の未来史
【はじめに】
 ローマ世界が没落する中で、「希望」が楽観論ではないことから、「倫理の美徳」としての「希望」の概念が誕生した、と述べた。となれば、偽りの希望を断つことによって、すなわち、「没落」や「死」を甘受することによってのみ、本当の希望は産まれるのではあるまいか。

 希代のネクラ思想家、セーレン・キェルケゴール(Søren Kierkegaard, 1813~1855年)が、『死に至る病』を執筆したのは、絶望をより深く考察したいと思ったからだった。その名前からして暗い。デンマーク語でキェルケゴールは墓地を意味する。そして、キェルケゴールは、死にたいのに死ぬことすらできないことを、キルケゴールは「死に至る病=絶望」と表現した。

「死が希望の対象となる程に危険が増大した場合、絶望とは死にうる希望さえも失われているそのことである」

 とはいえ、病院で医師から「死に至る病だ」と宣言されたとき、通常の人は絶望に陥るのではあるまいか。ピーク・オイルによって進歩教の死を宣言されたとき、人はどのような心理状態に落ち込むのであろうか。グリアは、キューブラー・ロスの仕事をもとに、あいもかわらず、絶好調のトンデモぶりを展開してみせる。

■進歩の終焉と折り合いをつける

 数は少ないとはいえ、ピーク・オイルのことに気づき、未来への意志決定において、それを考慮に入れている人々がいる。それは、こうした障壁が克服できないわけではない証拠だ。したがって、こうしたパイオニアたちが辿った道は、それ以外の者たちがたどらなければならない最高の道しるべとなろう。例えば、現代のピーク・オイル・コミュニティの人々は、進歩教の信仰を放棄し、没落していくであろう未来との折合いを付けてきた。それ以外の人たちも困難な旅を続けながら、この既に歩まれた厳しい道に続くであろう。この道が通じる目的地は、工業化社会の人たちから現在は「逸脱」として分類されている。けれども、コミュニティの周辺におかれた逸脱者たちが切り開いた道が、結局は中心部がそれに続くことになることは、これが最初ではない。この点から、進歩の終焉や進歩の約束の失敗と折り合いをつけたやり方を理解することが決定的に重要となる。

 ピーク・オイルのコミュニティのメンバーたちが、ピーク・オイルの概念をどのように学び、かつ、そのリアリティと折合いを付けたのかに関する情報は少ない。私が知る限り、ピーク・オイルの現実をいま受け入れている人々が、どのような経過でそれを受け入れるようになったのかに関する研究はまだなされてはいない。けれども、その受け入れのためのステップは、ピーク・ピークオイルとはまったく異なる文脈から得られる。エリザベス・キューブラー・ロス(Elisabeth Kübler-Ross, 1926~2004年)の有名な悲哀(grief)の否認、怒り、取り引き (bargaining)、憂鬱(depression)、受容の5段階である。

■キューブラー・ロスの悲哀の五段階


 ロスは、死の診断を受けた末期患者が、自分の死と折合いがつけるまで、ある一定のコースをたどっていくことを観察した。もちろん、患者全員がすべてのステージを必ず経験するわけではない。あるステージが繰り返えされたり、別のステージを経験する患者もいる。けれども、ロスは、その後に、この経験をさらに幅広く適用した。

 その後、米国においては、十分なトレーニングを受けていないカウンセラーたちが、カウンセリング産業を立ち上げるためにロスの理論を利用したことから、ロスのステージモデルは広く批判されることとなった。けれども、この理論適用は空論ではなかった。このモデルが幅広く大衆文化として受け入れたことは、多くの人々が深刻な喪失と折合いがつける過程の経験を分類したことが価値あることを示唆している。そして、それは、まさにピーク・オイルのコミュニティの感覚でもある。ロスの悲哀の5段階理論は、ピーク・オイルのコミュニティ内では比較的幅広く受け入れられている。ピーク・オイル・フォーラムでのオン・ライン議論等やピーク・オイルの会議の場で、この5段階の各々に対応する態度に簡単に遭遇する。

■進歩教の脱洗脳とは、人間の万能感を捨て去るステップである

 ピーク・オイルの心理的な挑戦と苦闘するクライアントにカウンセリングを行っているセラピストもわずかだがいる。けれども、私が知る限り、クライアントはこの5段階を順番には経験していない。ピーク・オイルに対処する過程で、多くの人々が経験する心理状態を一般的な5段階に分類することは不適切であろう。けれども、これらの用語を通じた理解には価値がある。

 フロイトは、エッセイ「悲哀と憂鬱症(Mourning and Melancholia)」(1917)において、悲哀の中心となる挑戦は、死に対するエゴの苦闘だと提唱している。現代の心理学者は、同じそのプロセスを、情緒的な投資の解放として記述するであろう。悲哀がもたらす情緒的な不安は、エゴの内的な苦闘の外的なサインである。もし、エゴが喪失と折合いをつけ、感情的なエネルギーを新たな関係性に投資する準備ができれば、それは終わる。進歩の神話とは、つまるところ、それ以外の宇宙のすべてが人間の意志に従うというものだ。そして、短期的には、特定の文脈で妨げられることがあっても、最終的にはすべての障害が克服されるというものだ。この人間の全能感は、まさに、ピーク・オイルによってゆらぐ。したがって、ピーク・オイルの事例に当てはめれば、5段階は、進歩の神話の信者が、この全能感をゆっくりと放棄していくプロセスとなろう。そこで、15年以上にわたるピーク・オイル・コミュニティにおけるグリア自身の経験に基づき、ピーク・オイルの5段階を概説してみよう。

■否認のプロセス~ピーク・オイルは起こらない

 ロスの研究は、死に至る病を宣告された人たちの経験がもとになっているが、診断を受けた患者の最も一般的な最初の反応が、この否認である。「自分はまだ生きられるはずだ」という暗黙の確信。一方では、死が差し迫っているという好ましくはない知らせ。エゴはこの分裂に直面する。そして、この事実がすぐさま受け入れられることはまずない。この受け入れ難い事実に対する防衛が否認なのである。したがって、否認は認知的不協和の産物である。けれども、この防衛は、受入れ難い挑戦に対してエゴが折合いをつけるための時間稼ぎでもある。そこで、ずっと続くことはない。
 
 ピーク・オイルの事例に当てはめれば、それは、進歩の神話がもたらす万能感の終焉である。したがって、進歩の神話にしたがって、多くの障害がこれまで克服されてきたように、ピーク・オイルの障害も克服されるに違いない。この人間の力を再確認することが、ここでの否認の役割となる。したがって、否認は、ピーク・オイルは起こりもしないし、たとえ起きたとしてもさして重要ではない、という主張の形を取ることが最も多い。そして、こうした主張を支持するための証拠集めが熱心になされることになる。

 この議論の多くは、極端にステレオタイプのものとなる。例えば、いつか未来に大量の石油供給を発見できることが証明されたとの最近ニュースや石油を交換するためのオルタナティブ・エネルギー資源の想像上の能力を巡る様々な議論である。すなわち、ピーク・オイルが単なる理論にすぎないとか、ピーク・オイルが現実の世界とはほとんど無関係であるとのステレオタイプの主張によって私たちが有限の惑星上に住んでいる事実からの論理的な帰結が論駁されることがこのステージでは典型的である。

■怒りのプロセス~ピーク・オイルは権力者集団の陰謀である

 最初のショックの段階を通り過ぎれば、エゴは喪失という現実に対峙し始める。これが、次の怒りの段階である。このプロセスは基礎的な生物的レベルで始まる。すなわち、喪失感が脅威として経験され、突然の攻撃にさらされたそれ以外の哺乳動物と同じく、本能的な怒りの反応が引き起こされる。ユングの心理学でいえば、シャドウのアーキタイプ、本能的な敵のイメージが、利用可能なターゲット上に投影される。ロスが扱った末期患者のケースでは、この怒りは、抽象的な対象とともに、他の人間にもぶつけられる傾向があった。患者自身の病気が、シャドウが投影されるスクリーンとして機能しないことから、これは驚くべきではない。

 ピーク・オイルの事例に当てはめれば、シャドウのアーキタイプは、現代社会において最も権力を持つ組織や特定の個人の上に投影され、この怒りを直接差し向けるためのスケープゴートが探されることが多い。同じく、怒りの焦点は、現代の産業化社会の周辺にも見出せることになる。現代社会における富裕者や権力者は本質的に邪悪であって、利己的な貪欲さや不吉な動機がその邪悪さの動機となっているとの主張が、産業世界の大衆文化の多くに浸透するようになっている。現代社会のピラミッドの頂点が邪悪な力に支配されているとの信仰が広く普及している。そして、ピーク・オイルにおいては、そのターゲットはさらに絞られている。富や権力を手にしたインナーサークルである石油会社、銀行、米国や工業化社会の政治的なエスタブリッシュメント。そして、この三者のすべてを非常に裕福な人物がコントロールしているとの陰謀説である。また、人類は無限エネルギーをすでに発明しているのだが、その発明は抑圧され、デマとしてのピーク・オイルが危機感をあおるために広められているとの主張もある。そして、封建的なファシズム社会を目標として、こうした陰謀がなされていると記述されることも多い。

 こうした反応は、これまでなされてきたよりもさらに留意して評価する必要がある。なぜならば、悪意に満ちたエリートたちの陰謀によってピーク・オイルが引き起こされているとの主張は、この段階では、それ以外のどのような宇宙の力にも人類が勝利できるとの信仰を集合意識として支えていることになるからである。ある強大な権力を持つ人々がピーク・オイルが起こることを可能にしたり、ピーク・オイルが起きていることを偽装させたり、あるいは、起こらせないことも決定できるのであれば、ピーク・オイルそのものが問題にならないか、まったく起こらないかであろうからである。

 とはいえ、そのルールや制度の形で表わされたものが、彼らとは無関係で、自分たちの幸せや評価するものとはすべて反対であることから、怒りの段階では、人間の集団としての力が感じられ始める。こうして情緒的な投資が撤回されることで、この段階に続く変容のための種子が蒔かれる。

■取り引き~人間の万能感が却下される

 次の取り引きの段階では、エゴは、純粋な怒りの段階での本能的な反応から、さらに現実へと一歩進み、別の場面へと転じる。すなわち、喪失を引き起こす悪意に満ちた敵がいないことが明らかになるにつれ、知覚された脅威を代表させるものに対するシャドウの投影が解体してしまう。ユングの表現では、この状況においては、それ以外の利用可能なアーキタイプに脅威を投影することによって、脅威やその源との関係性を築くための再定義に向けた努力が始まる。

 人間は社会的な霊長動物であり、それ以外の社会的な霊長動物と同じく、苦痛を最小限に抑え、快楽を最大化するための取り引きに長けている。そこで、この段階ではこの反応が作用し始める。エゴは、認識された脅威を過ぎて、宇宙と対話するための別のやり方を見出し始める。ロスによれば、死を宣告された患者は、状況改善に向けてこの取り引きを繰り返す。例えば、信心深い患者は、自分が信じる神と約束したり、巡礼の旅に出かけたり、多額の寄付を行う等の宗教的行為に身を委ねるであろう。こうした信仰を持たない患者は、喫煙を止めたり、健康食品を摂取したり、現在の医学理論と一致する他のやり方をすることを医師と約束するであろう。

 ピーク・オイルの事例に当てはめれば、この段階では個人的ではなく、集団としての取り引きがかかわる。すなわち、ピーク・オイルと折合いを付けた人々は、豊かなエネルギー時代の終焉を社会全体として緩和できるやり方を見出そうと試み始める。石油時代は終焉し、産業化社会はエネルギーや資源の劇的な低下に直面する。けれども、技術、イデオロギー、あるいは人間のスピリッツといった評価不能な要因によって、トランジションがずっと容易になされると考える人たちが、ピーク・オイルのコミュニティには多くいる。そして、ピーク・オイルの可能性に関する話題が多くありがちである。ピーク・オイルの到来は、一見すると不幸に見えるが、実は幸運であると判明するかもしれない。こうした概念を具体化したものとして、一連の田園詩的なポスト・ピーク社会の構想が描かれる。

 これらは、いずれもある意味では、別の否認のラウンドである。けれども、以前の否認とは違って、この取り引きの段階では、人間の万能感に対する信仰が壊れている。この段階を通り抜けた人々は、人類の集合的な意志が及ばない力が宇宙にあることを把握している。こうした力を個人化したり、人間の要望を操作できると考えることは、根が深い過ちである。けれども、過ちではあっても、そのことが個人的に明らかになることから次の段階が始まる。

■憂鬱~進歩の物語が放棄される


 次の憂鬱の段階では、情緒的なエゴの防衛が失敗し、喪失のリアリティに完全に対峙することになる。好ましくない知らせを拒絶してみたり、非難できる相手がいれば誰であれ非難してみたり、状況をコントロールしている人間がいるのであれば、それが誰であれ取引きしてみる。こうした試みがすべて失敗に終われば、エゴには喪失感の統合というハードなタスクしか残されていない。これはフロイトの言葉で表現すれば、失われた対象からリビドーを引きずり出し、他のところに再び割り付けることであるし、ユングの言葉では、さらに成熟した自己に対する理解と統合されるように、他のところに投影される。

 このタスクは難しい。それは、この段階のタイトルからも推し量れる。憂鬱は隠喩ではなく、軽症から重症の臨床的な鬱病がこの段階には伴う。自分自身の死に直面することは、ほとんどの場合では、誰にとっても最も深刻な心理的な危機である。進歩の神話への信仰を捨てることによって失われるものは、過去数世紀にわたって西洋文化において、パワーの意味の出所であった人間の性質と運命に関するビジョンである。そして、このビジョンは、産業諸国で育った人々の自己意識や価値観、希望に深く絡み合っている。したがって、この影響力を持つ神話的な物語を手放すことは、切迫する自分の死と折合いを付けるのと同じほど困難である。

 現代のピーク・オイル・コミュニティにおいては、この段階では、深い苦しみ、激怒、そして、グローバルな死の感覚が示される。近代産業社会や人類は全体として、その運命を達成することに失敗し、それがゆっくりと出現してきた原始的な過去へといま突然に戻るとの主張。あるいは、先行した過去の化石人類から継承してきた人類の神経学的な行動パターンによって人類はいま自滅への道をたどっており、人類は結果として有益なものを何ひとつとして達成できない運命にあったとの主張。また、人類は「生態系を破壊する類人猿(ecocidal ape)」であり、自らの突進によって生物圏全体を奈落の底へと落とす運命にあり、人類が迅速に絶滅する(自然の中絶abortion of nature)ことが唯一、慈悲深い運命であるとの人間の記述。こうした物語が、進歩の神話と対立的であることは偶然ではない。憂鬱の段階のコアでは、エゴは、自分の経験に意味をもたらすため新たな物語の構造を見出している。死につつある人間は、切迫するその結末に照らして、自分の人生の物語を書き直さなければならない。一方、他の誰かを嘆き悲しむ人は、その主なキャラクターの一人が欠落した状態で自分の人生の物語を続けるための方策を見出さなければならない。同じやり方で、ピーク・オイルとの折合いをつけなければならないことを自覚した人たちは、新たな人類の物語の構造を見出すという挑戦に直面する。

 したがって、この方向に向けた最初の努力が、自分が放棄した物語を踏みにじるパロディーとなりがちであることは驚くべきことではない。これによって、彼らは、その物語からの情緒的に距離を保つことができるようになる。それは、自分自身の痛み、怒り、悲しみを示せる乗り物としても役立つ。

■受容~没落の未来を受け入れる

 受容の段階では、エゴは喪失感の影響への対処を終え、それ以外のものへと変われる。これまで論じてきた心理的なタスクを終えること、あるいは、ただ時間が経過することによって、受容の段階が訪れる。喪失は、リアリティとして受け入れられ、好ましくない経験にとらわれることなく、エゴはそれ以外のところへと関心を向けていくことが出来る。数週間や数カ月をかけて抑圧的な条件がゆるやかに解除されることで、この段階へと変容することもあれば、あるいは、回心に匹敵する経験で、突然のシフトで、憂鬱の精神状態が一新され、世界へと覚醒することもある。

 当然のことながら、受容の段階に達した人はめったに長くは生きられない。この単純な事実から、ロスの初期の研究では、事例は末期患者に限られていた。けれども、その後の研究から、この悲哀の最終段階のポジティブな特徴が明らかになっていく。本当に快癒のプロセスが成功すれば、ただ病気から回復するだけではなく、健康状態が一新される。同じく、本当に悲哀のプロセスが成功すれば、その結果は、ただ悲哀や苦痛に耐える妥協がなされるだけではなく、生きる喜びが一新されることになる。これは、とりわけ、ピーク・オイルの場合に言える。自分自身や自分と密接な関係があった人たちの生命の喪失が受容されるだけではなく、人類や世界の性格に関する抽象的な信仰の喪失も受容されるである。

 受容の段階は、世界との再契約が含まれることから、それ以外の段階とは異なる。進歩の「死」に対する悲哀のプロセスの旅を終えたピーク・オイルのコミュニティ・メンバーたちの態度は、それ以前の段階とは違い、その特徴を単純化はできないし、各個人によって、進歩の終焉に対する対応の仕方も違う。

 例えば、最も影響を及ぼす要素が年齢である。長い没落が始まる段階を目にすることができない高齢者は、ただ淡々とピーク・オイルとの折合いをつけるであろう。中年の場合は、燃料費が高騰して法外な値段となることから、外国旅行を始めるかもしれない。そして、若者たちは、これまで期待されていたキャリアがピーク・オイルの到来とともに無意味なることを予想し、以前とは別の職業やライフスタイルを始めるかもしれない。さらに、ジェンダー、社会的な身分、人種、文化的な背景等の他の多くの要因も影響する。

 未来のためのプロジェクトの成果を生きて目にできないことがわかっていながらも、それに熱心に関わる高齢の退職者たちがいれば、自分たちの世界が身の周りで崩壊しつつある事実を自覚して、ただ毎日をいきあったりばったりにすごしている若者たちもいる。ピーク・オイルの結果、こうした複雑な対応はあたりまえになるであろう(4-5)

■逆説の未来史への教訓

 進歩の神話と日常生活の事実との認知的不協和に十分に気づいているすべてのクライアントに対して、進歩の神話にあいかわらず囚われた人たちがおそらく数多くいるであろう。ピーク・オイルの影響によって、工業化社会の繁栄は失われる。このため、多くの人々は、自分や他者を非難したり、たとえ自分の人生経験が進歩の神話と矛盾していたとしても、進歩の神話が真実であることを合理化したり、それ以外のやり方で、内面化された経済的、文化的な期待に応えるようとするであろう。こうした言い逃れは、人間心理に一般的なものである。とはいえ、もはや「ごめんなさい。もうサンタクロースは来ないのよ」と告げる声を聞く時なのだ。それを耳にし、いかに悲しくとも、深呼吸をして、未来のハードな事実を認め、限られた選択肢を最大限に活用する必要がある。現実と折合いをつけ、進歩の神話が約束した想像上の未来が来ないことを悲み、それによってそれ以外の人々が傲慢から希望への同じ変容を航海することを支援していく。こうしたセラピストやカウンセラーによって、このプロセスは大きく促進できよう(4-6)

【引用文献】
(1) John Michael Greer, The Long Descent: A User's Guide to the End of the Industrial Age, New Society Publishers, 2008.
(2) John Michael Greer, The Ecotechnic Future: Envisioning a Post-Peak World, New Society Publishers, 2009.
(3) John Michael Greer, The Wealth of Nature: Economics as if Survival Mattered, New Society Publishers,2011.
(4) John Michael Greer, In Not The Future We Ordered: Peak Oil, Psychology, and The Myth of Progress, Karnac Books,2013.
ロスの写真はウィキペディアより



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