第7章 参加型農政とシナジー
グローバル化の堤防としての政府に感謝しつつ、同時に辟易
強力な国家統制を支持する農民たち
キューバでは政府が政治的経済的に大きな力を持ち、生産者の意思決定にも影響を及ぼしている。ところが、これほどの制約を受けながらも、ラ・アグリクルトゥーラに対して明確な不満を述べた生産者はごく少人数であった。それどころか、ラ・アグリクルトゥーラからの投入資材の補助金に感謝していた。また、植物防疫の普及支援に感謝もしていた。
キューバ政府は農村部に質の高い住宅やコミュニティ施設を建設しているが、こうした住宅、医療、教育、電気圧力釜の補助等、農村地域への充実した政府のサービスを多くの生産者は肯定している。革命以前の生活経験がある生産者は、カストロを大いに支持している。
世界の多くの地域の農民たちは、多国籍アグリビジネスやグローバルな農産物市場、そして、新自由主義貿易政策から直接的な影響を受けているが、キューバの農民たちは、直接的にグローバル化の影響を受けていないのだ。
アグロエコロジーの成功には参加型が必要
アグロエコロジーが普及していくには政策支援が欠かせない。キューバは既に支援をしており、中央集権型の社会主義体制は、慣行農業からの転換で大いに機能した。とはいえ、トップダウン型のアプローチには、反発感もある。
キューバにおいても農民と普及員には意識の溝がある
例をあげよう。第一は、植物防疫所の職員への生産者への反発だ。困窮する農村生活の現実に対し、植物防疫所の職員の目はゆきとどかず、農民たちの側に立っていないと不平をもらす生産者がいる。また、植物防疫所他の大組織で働く人々は、理論的な知識は数多くあっていても、カンペシーノがなんたるかを理解していないとの批判がある。
もちろん、普及業務に従事する職員からすれば、生産者たちのやる気のなさは時にはいらだたしい。普及員たちは、農民たちがなぜ抵抗するのかも理解し、問題を克服しようと心がけている。とはいえ、生産者の中には植物防疫所の職員に憤りを感じているものもいて、植物防疫所のアドバイスや支援が常に歓迎されているわけではない。
中央集権的な監視に辟易している
全国農業科学研究所が組織する種子交換ワークショップに、協同組合員のごく一部しか参加しないことについて、ワークショップのオーガナイザーは、何十年ものトップダウン型の農業開発で普及職員への不信感があるからだと考えている。生産者の中には、農場への多くの規制や監視がストレスとなっており、それに対応することが人生の最大の課題とまで述べた者もいる。
サン・ホセ・デ・ラス・ラハスではCREE閉鎖に地元が反対していたが、中央政府がこれを無視して閉鎖したことも、中央集権的な意志決定の一例だ。
こうしたトップダウンなやり方は、長期的にはアグロエコロジーの進展の障害となると指摘する研究者もいる。上から押し付けられてアグロエコロジー技術が採択されただけでは、それは表面的なものにとどまってしまうし、トップダウン戦略は堅苦しすぎ、ドグマ的で、結果として生産者を遊離させてしまう。つまり、持続可能な農業への転換では、政府の役割は重要だが、本当に持続可能なアグロエコロジーが成功するには、地元住民たちの参加も欠かせないと考えられている(Pretty and Hine, 2001; Pugliese, 2001)。上述したキューバの事例は、この概念と明らかにそぐわない。
真の参画型農政を実現するには教育を通じた生産者の意識向上も不可欠
参加型の農政をキューバも試みている
ところが、キューバの有機農業への転換は、「参加型」や「ボトムアップ型開発」の成功事例ともされる。例えば、Rossetらは、間作を個々の農民たちが、自分たちの条件に応じて採択していると指摘する。また、有機農業運動の柱となった都市農業も、最終的には国が支援することとなったが、初期段階には、大がかりな大衆の対応によって発展したとされる。
すなわち、キューバにおいてもトップダウン型の開発戦略の限界が認められ、参加型のアグロエコロジーや持続可能な開発の推進が試みられている。その多くがトップダウン型であるにもかかわらず、農業においては、政府が参加を支援し、分権化を進めている。
参加型の教育というアイデアは、1997年に「キューバ国家環境教育戦略」において公式発表され、「環境教育は、参加型で創造性や知性を刺激し、主体と客体とが完全にツーウェイで相互作用するものである」と述べられている。また、農業省も公式政策として「意志決定や地域条件に見合った農業開発では、ローカルの参加を増やすことを重視する」とした。この取り組みの一貫として、キューバ政府は、農民から農民への活発なトレーニング・プログラムを通じ、農村住民の伝統的な知識が伝達され、この知識を研究と政策の双方に組みこんでいるのである。
キューバ全域で、様々なレベルの政府やアカデミー、NGOで参加型の計画や開発が増えていることに対し、多くの人々が「革命の中の革命」と説明した。
品種改良を除き、まだ不十分で形だけの参加型の農村開発
公式政策やプログラム上で「参加型」という言葉が使われていたとしても、いまだに理論上のパラダイム・シフトにすぎず、実際の意志決定は極めて中央集権的になされており、参加はただ情報交流やコンサルタント・レベルで起きているだけだ、との批判がある。数多くの研究関係者も、まだ実践には至らず、トップダウンでアグロエコロジーが普及されたとの感覚を抱いていた。
ANAPのカンペシーノ普及プログラムは他の農民から学び教えあう真の参加型の取組みとして称賛されているとはいえ、このプログラムすらも、本質的にはトップダウン型の開発アプローチで、「参加」という言葉だけが使われているだけで、モデル農場をトップダウンで押し付けているだけだとの批判がある。
農業省やANAP等は、参加型の開発を組み入れる努力をしているが、最も重要な農業指令は、生産者の手の外で決定され、結果として、生産者たちが所有感をまだいだけていない。つまり、カンペシーノ・プログラムやキューバ政府の参加は「言葉」のレトリックかもしれない。
とはいえ、参加型の作物育種プロジェクトでは、さらに生産者が深く参加していく可能性がある。国内の3ムニシピオで実施されている参加型品種改良プロジェクトは、長年、高収量品種を重視した結果、失われた在来品種の復活し、環境的にも経済的にもメリットのある新品種を導入するために、全国農業科学研究所が実施しているもので、真の参加型農村開発の事例として評価されている。生産者は在来種子の多様性を再発見することを支援され、生物多様性、地元に適した品種利用を高めている。生産者は、プロジェクトでは平等なパートナーとして扱われ、どうやって達成するかのビジョンや意思決定のやり方も指導されている。この参加型品種改良プロジェクトは、成功し、国際的にもかなり注目され、カナダ国際開発研究センター等の機関からの多くの資金も受けている。
生産者の自覚が未熟なまま参加型を推進するとアグロエコロジーが推進されない
以上のことから、キューバのアグロエコロジーの成功を将来的に担保するには、農業部門内での意志決定権力の地方分権化が必要なことがわかる。これは、地方支局に国家権限を委譲することで達成されよう。とはいえ、現実はこれほど美しくはない。なるほど、国際的な研究・開発では参加型のアプローチが重視されてきている。プレティらも、持続的農業と参加型開発とが強い関係するとしている。だが、「真の参加型の農村開発プロジェクトを推進した場合、アグロエコロジー農法に重点がおかれない傾向がある」とある研究者が指摘するように、完全な参加型プロジェクトでは、エコロジーのビジョンが組み込まれず、アグロエコロジーの実施目標が達成されない懸念もあるのだ。調査に参加した生産者たちも、「参加」を貴重な概念として認めながらも、参加型の開発で、本当にアグロエコロジーが達成できるのかを疑問に思っている。
Nederveen Pieterse(2001)によれば、参加型の理論を実際に実施することはきわめて難しい。参加型パラダイムも大衆化し、開発戦略で参加そのものを目的化するために、わざわざ適した参加主体を選ぶという、本末転倒の状況も生じてきている。つまり、地元の専門家や生産者を農業政策の決定に参画させることが、アグロエコロジー運動では極めて有益だが、現状では、多くの生産者がアグロエコロジーを優先していないため、農業政策を分権化すると、アグロエコロジーが後退することが懸念されるのだ。
とはいえ、生産者の意思をさしおいて、技術だけが採択されたとしても、それは、最適なやり方で取組まれているとはいえないし、現状の政策が変われば、それが維持され続ける担保もない。
長期的にアグロエコロジーを支えるのは教育
アグロエコロジー技術が効果的に採択され、たとえ経済情勢や政策が変わっても、それが長期的に担保される最も重要な手段は、おそらく研究と教育であろう。
研究や教育は、当初は、資金や政策に依拠するかもしれない。とはいえ、人々のメンタリティーを変えることで、長期的に永久的な変化を引き起こす最も強力な手段となる。資源不足によって、その製品開発やアグロエコロジーの技術の広範な普及は妨げられているとはいえ、その薄ら寒い経済状況の中でも、キューバは既にアグロエコロジーを推進するために例外的ともいうべき研究と教育の成果をなし遂げている。
社会資本が高い小格差社会では、国家と社会のシナジーの可能性がある
さて、国により推進されてきたキューバのアグロエコロジーに、さらに参加型の要素を組み込むうえでは、Evans(1996)の「国家と社会のシナジー」という概念が役立つ。この概念では、国家も市民社会のいずれもの役割を重視し、ボトムアップとトップダウンという二分法を取らないことで、このジレンマを克服する。この結果、強力な国の支援と生産者の積極的な参画という双方のメリットを組み込んだアグロエコロジー運動が可能となるであろう。
エヴァンスは、国家と市民社会のシナジーが、①社会資本レベルが高く、②強力、かつ、競争的な官僚組織があり、③社会経済的に公平で、④政治的な競争力が存在する場合に最も起こりうるとしている。
そして、キューバには、国家と社会とのシナジーが発展しうる多くの可能性がある。
キューバの社会資本の高さがアグロエコロジー普及にもつながった
第一は社会資本だ。キューバの農村では、ほとんどの生産者たちは、何らかの形式の協同生産組織に属し、社会主義制度も、ローカル、地方、国家レベルで集団行動を活発に奨励していて、社会資本が高い。サン・ホセ・デ・ラス・ラハスの生産者たちも、全員が協同組合や都市農業組織のいずれかのメンバーで、大多数が革命防衛委員会(CDRs)、共産党等の農業以外の組織にも属し、非公式の地区協会でも活躍していた。
サラゴサで開催された種子共有のワークショップでは、協同組合員たちは、自分たちのコミュニティと他国の農村コミュニティとを比較したが、キューバでは農民たちが情報、資源、専門技術をわかちあい、お互いを助けていることがわかったのである。
「団結した我々は、一人であるよりも強力だ」
若者ソーシャルワーカー(trabajadores sociales)やローカルな委員会も官僚的機能を実施する。ANAPやACTAF等のNGOも数多くの農民たちを動員し、アグロエコロジーを普及したが、農村部でのインフラが比較的良好で、かつ、生産者組織がよく組織されていたことがこのスムーズな転換につながった。そして、キューバでは、経済危機によって国が自由化され、市民社会の力が、ますます強くなってきている。
参加型開発のネックとなる社会的格差がない
第二は、社会的平等性だ。参加型開発で一般的にネックとされるのは、地元の強力なエリートによってアジェンダが選択されたり、暮らしのベーシックニーズが不足することだが、これはキューバでは一般的でない。メキシコ等では、大地主が小作人を支配する状況が一般的だが、キューバの農村は、インドのケララ州や台湾と同じく、明らかに平等である。サン・ホセ・デ・ラス・ラハスには、生産者たちよりも所得や生活水準がかなり高い「地元の名士」が住む地区だが、この差は土地や労働力を所有することで得られたものではなく、世界的に見れば格差が小さく、コンフリクトも引き起こさず、シナジー発展の障壁とはならない。
キューバの農村では、医療施設や良好な住宅他の様々なサービスにアクセスでき、同様に教育水準が一般に高く、コミュニティの社会経済状態も比較的平等な傾向がある。
政治家の意識は高く国民も政府を信頼している
第三は、政治的な競争力だ。キューバ政府は一党制で、表面的にはエヴァンス(1996)がシナジーに役に立つとする政治的競争力がない。とはいえ、多くの研究関係者は、複数政党がないとしても、大きな政治上の選択がキューバにはあると述べており、キューバは政治的な競争力をまったく欠いているわけではない。
政治的競争力は、地方レベルではより明白で、多くの人は地元選挙に高い関心を寄せ、選挙では良いコミュニティのメンバーとしての評価が高い人が選ばれている。また、ほとんどの生産者は、国の政策や官僚の行動を前向きに捉えており、そこには、まだシナジーを伸ばせる余地がある。すなわち、参加型の農村開発の可能性は、キューバでは、とりわけ、大きいのである。
グローバル化の堤防としての政府に感謝しつつ、同時に辟易
強力な国家統制を支持する農民たち
キューバでは政府が政治的経済的に大きな力を持ち、生産者の意思決定にも影響を及ぼしている。ところが、これほどの制約を受けながらも、ラ・アグリクルトゥーラに対して明確な不満を述べた生産者はごく少人数であった。それどころか、ラ・アグリクルトゥーラからの投入資材の補助金に感謝していた。また、植物防疫の普及支援に感謝もしていた。
キューバ政府は農村部に質の高い住宅やコミュニティ施設を建設しているが、こうした住宅、医療、教育、電気圧力釜の補助等、農村地域への充実した政府のサービスを多くの生産者は肯定している。革命以前の生活経験がある生産者は、カストロを大いに支持している。
世界の多くの地域の農民たちは、多国籍アグリビジネスやグローバルな農産物市場、そして、新自由主義貿易政策から直接的な影響を受けているが、キューバの農民たちは、直接的にグローバル化の影響を受けていないのだ。
アグロエコロジーの成功には参加型が必要
アグロエコロジーが普及していくには政策支援が欠かせない。キューバは既に支援をしており、中央集権型の社会主義体制は、慣行農業からの転換で大いに機能した。とはいえ、トップダウン型のアプローチには、反発感もある。
キューバにおいても農民と普及員には意識の溝がある
例をあげよう。第一は、植物防疫所の職員への生産者への反発だ。困窮する農村生活の現実に対し、植物防疫所の職員の目はゆきとどかず、農民たちの側に立っていないと不平をもらす生産者がいる。また、植物防疫所他の大組織で働く人々は、理論的な知識は数多くあっていても、カンペシーノがなんたるかを理解していないとの批判がある。
もちろん、普及業務に従事する職員からすれば、生産者たちのやる気のなさは時にはいらだたしい。普及員たちは、農民たちがなぜ抵抗するのかも理解し、問題を克服しようと心がけている。とはいえ、生産者の中には植物防疫所の職員に憤りを感じているものもいて、植物防疫所のアドバイスや支援が常に歓迎されているわけではない。
中央集権的な監視に辟易している
全国農業科学研究所が組織する種子交換ワークショップに、協同組合員のごく一部しか参加しないことについて、ワークショップのオーガナイザーは、何十年ものトップダウン型の農業開発で普及職員への不信感があるからだと考えている。生産者の中には、農場への多くの規制や監視がストレスとなっており、それに対応することが人生の最大の課題とまで述べた者もいる。
サン・ホセ・デ・ラス・ラハスではCREE閉鎖に地元が反対していたが、中央政府がこれを無視して閉鎖したことも、中央集権的な意志決定の一例だ。
こうしたトップダウンなやり方は、長期的にはアグロエコロジーの進展の障害となると指摘する研究者もいる。上から押し付けられてアグロエコロジー技術が採択されただけでは、それは表面的なものにとどまってしまうし、トップダウン戦略は堅苦しすぎ、ドグマ的で、結果として生産者を遊離させてしまう。つまり、持続可能な農業への転換では、政府の役割は重要だが、本当に持続可能なアグロエコロジーが成功するには、地元住民たちの参加も欠かせないと考えられている(Pretty and Hine, 2001; Pugliese, 2001)。上述したキューバの事例は、この概念と明らかにそぐわない。
真の参画型農政を実現するには教育を通じた生産者の意識向上も不可欠
参加型の農政をキューバも試みている
ところが、キューバの有機農業への転換は、「参加型」や「ボトムアップ型開発」の成功事例ともされる。例えば、Rossetらは、間作を個々の農民たちが、自分たちの条件に応じて採択していると指摘する。また、有機農業運動の柱となった都市農業も、最終的には国が支援することとなったが、初期段階には、大がかりな大衆の対応によって発展したとされる。
すなわち、キューバにおいてもトップダウン型の開発戦略の限界が認められ、参加型のアグロエコロジーや持続可能な開発の推進が試みられている。その多くがトップダウン型であるにもかかわらず、農業においては、政府が参加を支援し、分権化を進めている。
参加型の教育というアイデアは、1997年に「キューバ国家環境教育戦略」において公式発表され、「環境教育は、参加型で創造性や知性を刺激し、主体と客体とが完全にツーウェイで相互作用するものである」と述べられている。また、農業省も公式政策として「意志決定や地域条件に見合った農業開発では、ローカルの参加を増やすことを重視する」とした。この取り組みの一貫として、キューバ政府は、農民から農民への活発なトレーニング・プログラムを通じ、農村住民の伝統的な知識が伝達され、この知識を研究と政策の双方に組みこんでいるのである。
キューバ全域で、様々なレベルの政府やアカデミー、NGOで参加型の計画や開発が増えていることに対し、多くの人々が「革命の中の革命」と説明した。
品種改良を除き、まだ不十分で形だけの参加型の農村開発
公式政策やプログラム上で「参加型」という言葉が使われていたとしても、いまだに理論上のパラダイム・シフトにすぎず、実際の意志決定は極めて中央集権的になされており、参加はただ情報交流やコンサルタント・レベルで起きているだけだ、との批判がある。数多くの研究関係者も、まだ実践には至らず、トップダウンでアグロエコロジーが普及されたとの感覚を抱いていた。
ANAPのカンペシーノ普及プログラムは他の農民から学び教えあう真の参加型の取組みとして称賛されているとはいえ、このプログラムすらも、本質的にはトップダウン型の開発アプローチで、「参加」という言葉だけが使われているだけで、モデル農場をトップダウンで押し付けているだけだとの批判がある。
農業省やANAP等は、参加型の開発を組み入れる努力をしているが、最も重要な農業指令は、生産者の手の外で決定され、結果として、生産者たちが所有感をまだいだけていない。つまり、カンペシーノ・プログラムやキューバ政府の参加は「言葉」のレトリックかもしれない。
とはいえ、参加型の作物育種プロジェクトでは、さらに生産者が深く参加していく可能性がある。国内の3ムニシピオで実施されている参加型品種改良プロジェクトは、長年、高収量品種を重視した結果、失われた在来品種の復活し、環境的にも経済的にもメリットのある新品種を導入するために、全国農業科学研究所が実施しているもので、真の参加型農村開発の事例として評価されている。生産者は在来種子の多様性を再発見することを支援され、生物多様性、地元に適した品種利用を高めている。生産者は、プロジェクトでは平等なパートナーとして扱われ、どうやって達成するかのビジョンや意思決定のやり方も指導されている。この参加型品種改良プロジェクトは、成功し、国際的にもかなり注目され、カナダ国際開発研究センター等の機関からの多くの資金も受けている。
生産者の自覚が未熟なまま参加型を推進するとアグロエコロジーが推進されない
以上のことから、キューバのアグロエコロジーの成功を将来的に担保するには、農業部門内での意志決定権力の地方分権化が必要なことがわかる。これは、地方支局に国家権限を委譲することで達成されよう。とはいえ、現実はこれほど美しくはない。なるほど、国際的な研究・開発では参加型のアプローチが重視されてきている。プレティらも、持続的農業と参加型開発とが強い関係するとしている。だが、「真の参加型の農村開発プロジェクトを推進した場合、アグロエコロジー農法に重点がおかれない傾向がある」とある研究者が指摘するように、完全な参加型プロジェクトでは、エコロジーのビジョンが組み込まれず、アグロエコロジーの実施目標が達成されない懸念もあるのだ。調査に参加した生産者たちも、「参加」を貴重な概念として認めながらも、参加型の開発で、本当にアグロエコロジーが達成できるのかを疑問に思っている。
Nederveen Pieterse(2001)によれば、参加型の理論を実際に実施することはきわめて難しい。参加型パラダイムも大衆化し、開発戦略で参加そのものを目的化するために、わざわざ適した参加主体を選ぶという、本末転倒の状況も生じてきている。つまり、地元の専門家や生産者を農業政策の決定に参画させることが、アグロエコロジー運動では極めて有益だが、現状では、多くの生産者がアグロエコロジーを優先していないため、農業政策を分権化すると、アグロエコロジーが後退することが懸念されるのだ。
とはいえ、生産者の意思をさしおいて、技術だけが採択されたとしても、それは、最適なやり方で取組まれているとはいえないし、現状の政策が変われば、それが維持され続ける担保もない。
長期的にアグロエコロジーを支えるのは教育
アグロエコロジー技術が効果的に採択され、たとえ経済情勢や政策が変わっても、それが長期的に担保される最も重要な手段は、おそらく研究と教育であろう。
研究や教育は、当初は、資金や政策に依拠するかもしれない。とはいえ、人々のメンタリティーを変えることで、長期的に永久的な変化を引き起こす最も強力な手段となる。資源不足によって、その製品開発やアグロエコロジーの技術の広範な普及は妨げられているとはいえ、その薄ら寒い経済状況の中でも、キューバは既にアグロエコロジーを推進するために例外的ともいうべき研究と教育の成果をなし遂げている。
社会資本が高い小格差社会では、国家と社会のシナジーの可能性がある
さて、国により推進されてきたキューバのアグロエコロジーに、さらに参加型の要素を組み込むうえでは、Evans(1996)の「国家と社会のシナジー」という概念が役立つ。この概念では、国家も市民社会のいずれもの役割を重視し、ボトムアップとトップダウンという二分法を取らないことで、このジレンマを克服する。この結果、強力な国の支援と生産者の積極的な参画という双方のメリットを組み込んだアグロエコロジー運動が可能となるであろう。
エヴァンスは、国家と市民社会のシナジーが、①社会資本レベルが高く、②強力、かつ、競争的な官僚組織があり、③社会経済的に公平で、④政治的な競争力が存在する場合に最も起こりうるとしている。
そして、キューバには、国家と社会とのシナジーが発展しうる多くの可能性がある。
キューバの社会資本の高さがアグロエコロジー普及にもつながった
第一は社会資本だ。キューバの農村では、ほとんどの生産者たちは、何らかの形式の協同生産組織に属し、社会主義制度も、ローカル、地方、国家レベルで集団行動を活発に奨励していて、社会資本が高い。サン・ホセ・デ・ラス・ラハスの生産者たちも、全員が協同組合や都市農業組織のいずれかのメンバーで、大多数が革命防衛委員会(CDRs)、共産党等の農業以外の組織にも属し、非公式の地区協会でも活躍していた。
サラゴサで開催された種子共有のワークショップでは、協同組合員たちは、自分たちのコミュニティと他国の農村コミュニティとを比較したが、キューバでは農民たちが情報、資源、専門技術をわかちあい、お互いを助けていることがわかったのである。
「団結した我々は、一人であるよりも強力だ」
若者ソーシャルワーカー(trabajadores sociales)やローカルな委員会も官僚的機能を実施する。ANAPやACTAF等のNGOも数多くの農民たちを動員し、アグロエコロジーを普及したが、農村部でのインフラが比較的良好で、かつ、生産者組織がよく組織されていたことがこのスムーズな転換につながった。そして、キューバでは、経済危機によって国が自由化され、市民社会の力が、ますます強くなってきている。
参加型開発のネックとなる社会的格差がない
第二は、社会的平等性だ。参加型開発で一般的にネックとされるのは、地元の強力なエリートによってアジェンダが選択されたり、暮らしのベーシックニーズが不足することだが、これはキューバでは一般的でない。メキシコ等では、大地主が小作人を支配する状況が一般的だが、キューバの農村は、インドのケララ州や台湾と同じく、明らかに平等である。サン・ホセ・デ・ラス・ラハスには、生産者たちよりも所得や生活水準がかなり高い「地元の名士」が住む地区だが、この差は土地や労働力を所有することで得られたものではなく、世界的に見れば格差が小さく、コンフリクトも引き起こさず、シナジー発展の障壁とはならない。
キューバの農村では、医療施設や良好な住宅他の様々なサービスにアクセスでき、同様に教育水準が一般に高く、コミュニティの社会経済状態も比較的平等な傾向がある。
政治家の意識は高く国民も政府を信頼している
第三は、政治的な競争力だ。キューバ政府は一党制で、表面的にはエヴァンス(1996)がシナジーに役に立つとする政治的競争力がない。とはいえ、多くの研究関係者は、複数政党がないとしても、大きな政治上の選択がキューバにはあると述べており、キューバは政治的な競争力をまったく欠いているわけではない。
政治的競争力は、地方レベルではより明白で、多くの人は地元選挙に高い関心を寄せ、選挙では良いコミュニティのメンバーとしての評価が高い人が選ばれている。また、ほとんどの生産者は、国の政策や官僚の行動を前向きに捉えており、そこには、まだシナジーを伸ばせる余地がある。すなわち、参加型の農村開発の可能性は、キューバでは、とりわけ、大きいのである。