没落屋

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逆説の未来史51 進歩教の洗脳(2) 批判の誤謬

2013年11月07日 23時20分01秒 | 逆説の未来史

【はじめに】
 ピーク・オイル説は、日本ではほとんど話題にならない。けれども、私が知る限り、ピーク・オイル問題を日本で初めて政治的議論として取り上げたのは、愛媛県の阿部悦子議員である。2006月7月23日の同議員の質問はこのサイトで読める。

 グリアの主張はあまりにもトンデモなために、いつも大笑いして楽しめるのだが、その論理構築は結論とは違って意外に堅牢である。とはいえ、文体はいささか晦渋で、なんども、否定文が繰り返えされているため、いわんとすることがストレートに伝わってこない。自分の頭を整理するうえでも、無駄な繰り返しを省いた抄訳を作り、かつ、パラグラフ毎に要約文を付けてみた。グリアがピーク・オイル説の批判をどういう論理で論破しようとしているのかがわかるだろう。

■持続性から物欲へとシフトした社会意識

 1980年代から1990年代にかけた好景気時代には、ピーク・オイルの可能性を考える人は少なく、公的機関でも誰も深刻なものと受けとめなかった。おまけに、同じ歳月は、産業化社会の文化的なムードが劇的に変化し、持続性に向けた運動の崩壊が目にされた時期でもあった。1970年代の楽観論と理想主義は失われた。1930年代の恐慌時代から1940年代までの激動の時代を貧しいながらも助け合いながら生き抜く大家族を描いた米国のテレビドラマ、「わが家は11人(The Waltons)」を見て、ジョン・デンバー(John Denver)の音楽を聞いていた時代が、突然に、「住んでいるのは物欲のワールド」と歌うマドンナの「マテリアル・ガール」が1984年にヒットし、1987年の映画「ウォール街」の主人公、冷酷かつ貪欲な投資銀行家ゴードン・ゲッコー(Gordon Gekko)の決め台詞「強欲は善だ」がマントラとなるように変わった。そして、非常に多くの人々が、希望を捨て、自分たちの子孫が生きる未来の可能性や理想を犠牲にして、一時的な金儲けに走った。

 こうした社会の集合意識のシフトの原因が何であれ、石油消費は急速に高まり、SUVが工場から次々と製造され、グローバル経済が世界中へと製品を輸出した。けれども、世界の石油備蓄量に対する関心はその中にはなかった。どの政府もビジネス界の誰も、ハバートの二番目の予測が最初の予測と同じく正確であることが判明する可能性には最小の注意さえ払わなかった。想定外のことが起き、その予測が実現した後でさえ、その無関心は続いたのである。

■発見される石油の4倍の石油が使われている

 この問題の兆しが最初に浮上したのは1990年代末のことだった。新たな油田の発見率が低下し続けている事実を石油産業のアナリストたちが評価し始める。石油の発見では、偶然の要因が大きく左右するし、政治経済的な条件も影響する。このため、発見率の落ち込みは一時的な異常にすぎないと長年片付けられてきた。けれども、20世紀が終わりに近づくにつれ、かなり深刻な事態が進行していることが明らかになっていく。

 石油発見のピークは1964年である。それ以降も、石油会社は超人的な努力を注ぎ、技術も劇的に改良されてきた。けれども、新油田の発見率は下降し続けた。1980年代半ばには、油田の発見と石油消費とのバランスは崩れ、20世紀末には、毎年発見される量の3~4倍が消費されるまでに至る。石油開発には時間がかかる。地面から汲み上げる以前に発見されていなければ間に合わない。発見率の低下傾向が続けば、ジリ貧となっていずれ需要を満たせなくなることは明らかだ。

■マスコミも官僚もピーク・オイルの警告を無視した

 ひと握りの研究者たちの警告には、最初は、誰も耳を傾けなかった。主流メディアもこの問題を無視すれば、政府の官僚も石油生産には問題がないとした。例えば、米国エネルギー情報局(US Energy Information Administration)は、需要増に応じて供給も増加するとの想定の下に、ごく最近までは、大量の石油がまもなく生産されると試算していたのである(Heinberg, 2003)。けれども、研究者たちは仕事を続けた。インターネットを通じて参加者も増え、ネットワークが形成されていく。このプロセスで、グローバルな石油生産が限界に達する予想に対して、シンプルな名称が付けられることになる。ピーク・オイルである。

■ピーク・オイルがほぼ2005年であったことが判明した

 このピーク・オイル運動では、三つの論点が重要である。第一は、グローバルなピークの予測日時が急速に明確化したことである。研究者たちは、公的に得られるデータを用い、様々な方法で試算をしたが、それは21世紀の最初の十年の半ばに集中していた。例えば、ピーク・オイル運動で影響力を持つ人物の一人、石油地質学者、ケネス・ディフェイス(Kenneth Deffeyes,1931年~)は、ピーク・オイルが起きる日付を2005年の感謝祭の日(11月11月の第4木曜日)だと冗談で予測してみせた。けれども、ピーク・オイルの研究者のほとんどの評価がその前後数年内であったことから、それは端を備えた冗談だった。つまるところ、2005年が実際にグローバルな石油生産がそのピークに達した年であったことから、それは鋭い冗談であり、後には的を射ていたことが判明する。

■ピーク・オイルが黙示録の始まりではないことが解説された

 第二は、ピーク・オイルとその後に生産が低下することで起きる状況を思慮深く、かつ、センセーショナルではない見解で提示したことである。主流メディアは、ピーク・オイルを災害の予言にあたると発言してきた人々を一貫して退けて来た。けれども、ディフェイスやコリン・キャンベル(Colin Campbell, 1931年~)、ジョアン・H・ラエーレル(Jean.H.Laherrere)といったピーク・オイル運動の大物が提示した予想を現代の黙示録の始まりだとして、関心を寄せる人々がいたのである。こうした著者の誰もがピーク・オイルの到来によって、技術、経済、政治、文化で深刻な障害が産業社会にもたらされることは認めている。エネルギー需要が増える一方で、現在最も重要な燃料である石油供給が落ち込めば、エネルギー価格は高騰し、1970年代のエネルギー危機の経験がさらに大規模に繰り返えされるであろう。キャンベルやディフェイスは、この対策を講じない国家は大変な負荷にさらされるだろうと主張した。さらに、ダンカンら、ごく少数のピーク・オイルの研究者は、産業文明を可能にしたエネルギー資源の生産が低下すれば、遅かれ早かれ、産業システムそのものが維持できなくなり、産業化以前のテクノロジーや文化形態に回帰せざるをえないとの可能性も指摘した。このようにピーク・オイルの見通しは懸念すべき事態ではある。けれども、それは世界の終末ではない。彼らは、そのことを注意深く記述した。

■ピーク・オイル節は誤った論理で批判された

 けれども、こうした指摘は、ピーク・オイル理論の批評家からは完全に無意味だった。これが第三に重要なポイントである。リベラルな政党も保守政党も、産業界や財界も、極右から極左に至る社会改革運動全体も、そして、一般市民の大半も、この切迫するピーク・オイルの警告に対して、ピーク・オイル運動の狙いに反して、まったく別の反応をした。ピーク・オイル理論の最もベースとなる考え方を誤って主張し、驚くほどねじ曲げた論理や証拠を使うことで、自分たちの見解を展開した。

■新油田の発見によってピーク・オイルが来ないという批判

 第一の批判は、毎年発見されている比較的小さな油田に着目することで、それをピーク・オイルが問題ではない決定的な証拠だとする批判である。例えば、2000年には、カスピ海周辺での油田の発見が話題となり、その10年後にはノースダコタ州のバッケン頁岩(Bakken Shale)がその役割を満たした(4-1)。ちなみに、在来型の石油が貯留される砂岩とは異なり、頁岩は浸透率が低いため、中に含まれる資源を取り出すためには人工的に採取用の割れ目(フラクチャー)をつくる必要がある。例えば、天然ガスの場合には、以前には頁岩層に自然にできた割れ目からシェールガスが採取されていた。けれども、2000年代に入ってから坑井に人工的に大きな割れ目をつくってガスを採取する技術、水圧破砕法(hydro fracturing technology)が確立され、この結果シェールガス生産量が飛躍的に増加しシェールガスブームが起こったのである(5)

 いずれも、新資源が楽観的に過大評価され、豊かなエネルギーの新時代という壮大な主張の中心となった。けれども、この批判は油田発見が落ち込み続けている事態の問題を正確に捉えていない。カスピ海の油田のケースでは、石油企業が油井を試掘し、現実の小さな規模によって最初の期待の幻想が崩れると、こうした主張は急速に忘れられた。バッケン頁岩では、まさにこのプロセスが執筆時点で始まっている。バッケン油田からのシェールオイルによって市場には石油が溢れ、価格破壊を引き起こすとの最近の主張が、またどれほど急速に忘れ去られるのかを確かめることは教訓となろう(4-1)

■オルタナティブ・エネルギー源で産業化社会が存続できるという批判

 第二は、オルタナティブなエネルギー資源に着目した批判である。1990年代末には、まもなく石油時代を旧時代とする「水素経済」が宣言された。その数年後には、トウモロコシからのエタノールが、未来の石油の不足問題を解決する驚異的な燃料として促進された。その後には、風力発電が提唱されている。現時点では、理論上ではメタンハイドレートや低温核融合(cold fusion)が、エネルギー問題解決の次の驚異的資源の最有力候補のように思える。そして、これらが不適切であることが判明すれば、それ以外の多くの候補が、同じ役目を果たすために登場するであろう。

 当然のことながら、こうしたテクノロジーのいくつかは、将来のエネルギーのミックスで重要な役割を果たすであろう。けれども、確実にそうではないものもある。例えば、核融合発電は半世紀以上も兆ドルも投資されてきたにもかかわらず、1960年代より実現可能性が高まっているのかというとそうではない。石油価格の高騰で、オルタナティブ・エネルギー資源の競争力が高まり、それが大規模に使われるようになるとの主張も間違っている。再生可能エネルギー分野でハードな仕事がなされ、好ましくない結果しか産み出せなかった過去の数十年の経験から、オルタナティブなエネルギー源からは、化石燃料、とりわけ、石油に匹敵する廉価で、濃縮されたエネルギーを供給できないことが示されている。それが、1970年代に、省エネやエネルギー利用効率の改善が重視された理由だ。化石燃料が簡単に利用できるときには、再生可能エネルギーが経済的に競争できない理由だ。そして、政府から直接的、間接的な補助金の支援を受けなければ、原子力が商業的に採算ベースに乗らなかった理由だ。

 つまり、それらは、化石燃料がもたらす豊かな経済によって可能になったのである。けれども、水素燃料自動車の雄大な計画や大陸規模のソーラー熱発電所やバイオ燃料工場には、こうした認識が見出せない。オルタナティブなエネルギー源で工業化社会に動力供給される未来をイメージしている。

■逆説の未来史への教訓~経済学では地質学の限界を超えられない

 ピーク・オイルが問題ではない証拠として、マスメディアは、バイオエタノールやタールサンド、水圧破砕法とによって得られる頁岩中の石油や天然ガスといった新エネルギー源を宣伝している。けれども、これらは、数十年も前から研究者たちから知られてきたものだった。最近まで、それらが供給されてこなかったのは、いずれも、化石燃料エネルギーや政府からの補助金を必要とするからだ。タールサンドやバイオエタノール産業は補助金を受けており、米国の「破砕(fracking)」産業もウォールストリートの投機バブルの受益者で、シェールガスやシェールオイルプロジェクトに対して何十億ドルが投資されている。けれども、いずれも、こうした資源で石油価格が下落するとの主張は不正確であることがわかっている。

 経済学では、石油価格が高騰すれば、需要と供給の法則による既存油田からの増産と新たな油田の発見が加速化され、必然的に価格は低下するはずである。けれども、石油の平均価格は2002年の1バレル30ドル前後から100ドル以上へと高騰している。その間、既存の油田から石油をさらにくみ出し、新たな油田を発見し、オルタナティブ・エネルギー源を実用化するための努力が不足しているわけではなかった。けれども、価格上昇した結果、利用できるようになったエネルギーは、どこにも目にすることができない。これはピーク・オイルの研究者たちがずっと予言していたものだ。石油他のエネルギー資源の供給は、経済的要因によってではなく、物理的・地質学な要因によって制約されるため、市場経済の働きでは克服できないのである。

 状況がまともであれば、未来予測に失敗し続けている仮設よりも、正確に予測する仮説の方が、評価されるはずである。けれども、ピーク・オイルが到来したにもかかわらず、そうはなってはいない。経済やエネルギー分野の権威者たちも世論も、ピーク・オイル・モデルへの批判を高め、その到来を非難する一方で、工業化社会の現在の窮境を予想することに失敗したモデルが有効であると主張している。このことから、これが正常な状況ではないことが見えてくる(4-1)

【引用文献】
(1) John Michael Greer, The Long Descent: A User's Guide to the End of the Industrial Age, New Society Publishers, 2008.
(2) John Michael Greer, The Ecotechnic Future: Envisioning a Post-Peak World, New Society Publishers, 2009.
(3) John Michael Greer, The Wealth of Nature: Economics as if Survival Mattered, New Society Publishers,2011.
(4) John Michael Greer, In Not The Future We Ordered: Peak Oil, Psychology, and The Myth of Progress, Karnac Books,2013.
(5)ウィキペディア
ディフェイスの写真はこのサイトより
キャンベルの写真はウィキペディアより


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