没落屋

吉田太郎です。没落にこだわっています。世界各地の持続可能な社会への転換の情報を提供しています。

古代と宇宙をつなげしもの

2012年05月27日 21時29分43秒 | 崩壊論


 前回のブログで、私たちがたいがいイメージする未来は、ハイテクな宇宙か一挙の文明崩壊である。そして、宇宙に進出する人類というイメージは、『伝説巨人イデオン』にせよ、藤子・F・不二雄の『21エモン』にせよ、限りなくあると述べた。

 では、「古代」と「宇宙」という単語から何を連想されるだろうか。両者がつながるということがありえるのだろうか。「古代進」と『宇宙戦艦ヤマト』という連想ゲームは、もちろんご法度だ。古代超文明というオカルト・マニアは別して、超ハイテクである宇宙と超ローテクである古代とを結びつけるという前提そのものが、そもそも間違っていると思われるかもしれない。

 例えば、宇宙系のアニメを考えてみてほしい。戦闘シーンはあっても、食料をどのように調達しているのか、乗組員たちが当然、日々排出する液体や固形物をどのように処理しているのかというシーンが登場することはまずない。『伝説巨人イデオン』には、ソロシップにおいて親をなくした子どもたちのケアと船内農場での農作業に明け暮れるバンダ・ロッタが登場するのだが、あまりにも農場面積が少ない。となると、宇宙船の住民たちは、どこかの惑星上で栽培された保存食料か人工食料を口にしているか、廃棄物はエネルギーを用いた人工的な処理装置によってリサイクルされているか、処理されていると想像せざるをえない。

 月並みの日常生活と異空間の非日常とを融合させる天才ともいうべき藤子・F・不二雄氏の『21エモン』には、芋堀り専用ロボットとして製造されたゴンスケが、宇宙船内の壮大な空間をことごとくイモ畑に改造するというシーンが登場する。トイレすらも撤去して畑にしてしまい、人間としての必然的な生理的現象に直面した主人公の21エモンがこの芋畑をそのために活用したいとゴンスケに依頼し、激怒される場面が描かれ、農業派のマインドの溜飲を大いに下げさせてくれるのだが、このマンガにおける農や排泄物の位置づけは、所詮は笑いを取るためのネタでしかなく、シリアスなものではない。

バイオスフィアー2の破綻

 とはいえ、実際に宇宙で暮らすとなると、農の果たす役割は極めて大きなものとなる。したがって、米国は大真面目にこれを実施した。アリゾナ州オラクルに建設された、巨大な人工生態系密閉空間「バイオスフィアー2」がそれである。人類が宇宙空間に移住する場合、閉鎖された狭い生態系で果たして生存することが出来るのか。この壮大な仮説を検証すべく、1.27haにも及ぶガラス張りの巨大な人工空間が砂漠の中に構築され、酸素、食料、水を自給することを目指した。当初の計画では、2年交替で科学者8名が滞在し、1991年9月から100年継続する予定だった。だが、計画はたった2年後に頓挫する。理由は想定外の事故が多発したためである。

 まず、土壌中の微生物の働きが影響して酸素不足状態に陥った。酸素が不足すれば二酸化炭素が増え、光合成が行われるはずだったが、その一部がコンクリートに吸収されたため、二酸化炭素が使えなかった。持ち込んだ熱帯林の樹木もすぐに枯れた。バイオスフィア2内に風がなく、木の幹が強くならなかったためだ。さらに、食料危機も起きた。バナナやサツマイモが栽培されたが家畜の多くは死に、食生活は後半に至るほどに悲惨なものとなった。そのうえ、外界との交流を一切断ち切られた空間では情緒が不安定になり、食の不満足や安全への不安がそれをさらに強めた。これは、複雑な地球の生態系を人工的に作り出すことがどれほど難しいかを見事に物語っている(1)

後世に残すべきもの

 宇宙に進出する未来という夢は、土台無理だったのだ。では、私たちのリアルな未来はどのようなものになるのだろうか。たびたび登場させているマイケル・グリアが「エコテクな未来」で繰り広げる世界観は、過激で危険極まりない。だが、妙に納得できるものがある。例えば、「エコテクな未来」では、エネルギー問題についてふれているのだが、それも第9章とかなり後の方だ。グリアは言う。

「エネルギー供給が産業社会の最も緊急的な危機だと言うことを受け、読者は、エネルギー問題がなぜこれほど後ろまで放置されてきたのかと疑問に思われるかもしれない。実際、ピーク・オイルの結果について、多くの著作はエネルギー問題に重点をおいている。だが、私の本はそうしていない。というのは、産業社会にはエネルギーは決定的に重要だが、個人への影響は驚くほど間接的なものだからだ。米国でさえ、人々は、エネルギーを食べたり、飲んだり、着たりはしないし、それで生きてもいないのだ」

 第8章の仕事では、未来の仕事についてこう語る。

「消費者と農民たちを隔てる食料流通チェーンの仕事が、まず何よりも最初の死傷者であろう。今の工場、倉庫、運送会社、商品取引市場、広告代理業、スーパーマーケット等を可能にしているのは、大量のエネルギー投入だけだ。化石燃料が減少すれば、ほとんどが廃業してしまうことであろう(略)。次世代に北米の求人広告を満たすリストのトップに来る最も有望な候補のひとつは農民だ」

「そして、今日は存在していないが、将来の成長産業となるのは、人間社会と自然世界とのインターフェースで働く職業だ(略)。例えば、害虫を防ぎ、より天敵に魅力的にできること。こうしたエコテクな職業だ」

 第12章では科学について、さらに過激な気炎を吐く。

「多くの国家が崩壊し、海面が上昇して降雨ベルトはシフトし、米国では鉄道網は燃料不足で無力化し、古い運河網がシャベルを手にした労働者たちによって再び掘削され、自動車はまさに金持ちの贅沢品だ。軍は西側の山岳一帯でゲリラと戦い、餓えた日本からの難民が北米太平洋海岸に一団となって流れついている。こうした世界において、近代科学にいったいどのような役割がありえるというのだろうか」

 グリアは近代科学によほど恨みがあるらしく、『長き没落』の第5章でも科学についてこう主張してみせている。

「私たちが今、最も重要だと考えている技術的進歩は、将来世代からは同じ格付けを得ないかもしれない。20世紀の科学の最大の業績を何だと思うかを今日の人たちに問うてみればいい。おそらく、アポロの月面着陸、コンピューター技術、遺伝コードの発見が返って来るであろう(略)。だが、今から、1000年、2000年、あるいは、1万年後にふり返って、その業績について話すとき、そのリストのトップは、月面着陸でも、コンピューターでも、二重螺旋にもならず、もし、私が正しければ、それは、もっとはるかに重要なものとなるであろう」(これについては、後述)。

 さらに第11章の文化では、情報が消え去る危険性をこう訴える。

「現在の情報技術は廉価な化石燃料と産業時代以降には持続可能ではない幅広い複雑な技術の存続に依存している。例えば、インターネットのサーバ上に保存されたデータは、サーバーが中断されない電力があるときにのみ存在する。そして、ほとんどのデータ保存メディアは、ごく短い時間でブレークダウンする。例えば、この書物が印刷されている紙は、今から50年先には、茶色となって砕けていることであろう。そして、それ以外のほとんどのメディアにはさらに短い。未来には、西洋音楽で残されたただ一つの痕跡がビング・クロスビーの25秒の断片となるかもしれない」

 ひえぇぇ。めちゃくちゃでんがな。とはいえ、情報損失の恐ろしいリアリティをグリアはローマ崩壊から引き出している。

「例えば、ローマ世界の黄昏では、その文学、科学、哲学的な作品のほとんどの損失を含んでいた。ギリシャ・ローマ文化の最大の創造物のいくつかは、暗黒時代に偶然に作られたテキスト内の断片的な引用としてのみ残存しているだけなのだ。ローマ世界の音楽の伝統は、人類史のどの音楽とも同じほど豊かで複雑だったが、ローマ音楽で残存しているのは、演奏に25秒ほどかかるだけのシングルのメロディーの断片だけなのだ」

 日本が誇るJポップスの音楽の大半が消え去り、北島三郎の与作のうち「へぃへいほー」のメロディだけしか残っていないことをイメージしてみてほしい。そして、ある遺跡から偶然、レイザーラモンHGの「フォー」という文字を書き記した古文書が発見される。後世の歴史家は「ほー」と「フォー」の類似性から、北島=ラモン説を提唱するかもしれない。

未来に残すべき技術は有機農法

 では、グリアが未来の子孫に残すべき20世紀の科学技術として候補にあげるのは何かというと有機農業なのである。長き没落では、グリアは、こう続けて書いている。

「インドで仕事をしていた英国の農学者アルバート・ハワードは、土の健康と自然循環を重視した農法での実験を始めた(略)。ハワードは、最初は近代的な有機農業を作り出そうと自分の実験結果と西洋の科学的農学をこうした実践と融合させた。その後の研究者、とりわけ、英国のアラン・チャドウィック(Alan Chadwick)と米国のジョン・ジェヴォンズ (John Jeavons)は、ハワードがその仕事を始めるよりもそれほど以前ではない時期にフランスで開発された集約的な園芸法とハワードの発見とを組み合わせた。この結果にルドルフ・シュタイナーによって1920年代に開発されたバイオダイナミック・システムを産みあわせることで、チャドウィックとジェヴォンズは、現在の有機的集約農法の最先端技術であるシステムを開発したのだ。彼らの仕事の結果は、生物圏との関係でオリジナルの農業革命そのものよりも劇的な革命的だ。新たな有機農法は驚くほど生産的で90㎡で一人分の野菜を育てることが可能なのだ。しかも、この収量は、野菜残渣と人糞肥料から作られた堆肥以外は化石燃料も化学肥料も農薬も土壌添加剤も一切必要としない」

 『エコテクな未来』でも、この農法についてグリアはこう駄目押ししている。

「商業的有機農業は、慣行農業以上に大きく改良されているが、さらに豊かな持続可能な農法が既に控えている。カリフォルニアのジョン・ジェヴォンズによって1970年代に開拓されたバイオインセンティブ農法は、92㎡の土壌で適切な食を養うことが可能なのだ」

 グリアが言うパーマカルチャーもシュタイナーもハワードも有機農業オタクにはなじみが深い名前ばかりだが、誠に不勉強なことに私はアラン・チャドウィック(Alan Chadwick)とジョン・ジェヴォンズ(John Jeavons)については、グリアの本を読むまで知らなかった。だいたい、発音がわからない。そこで、youtubuに「John Jeavons」と打ち込んで検索すると、膨大なバイオインテンシブ農法の動画がヒットし、私にはジョン・ジェヴォンズと聞こえた。

 だが、バイオインテンシブ農法そのものは、私が知らなかっただけで、実は、日本語のサイトでは多く紹介されていたのだ。例えば、平賀みどりさんのサイトでは、「バイオインテンシブ農法の大家アラン・チャドウィック、その彼の業績を引き継いだジョン・ジーバンによって書かれた本。少ない面積に野菜、果物、ナッツ、その他大量の作物を少な目の灌漑水で育てながら、同時に地力も蓄える。ジーバン率いるエコロジー・アクションは世界108ヶ国で持続可能な農業やミニ農業を紹介している。「9平方メートルの土地があれば4~6ヶ月の間に140キログラムの野菜や果物を生産できる」とジーバンは言う」とジーバンというカナで既に紹介されていた。

 また、カリフォルニア州立大学サンタクルーズ校でバイオインテンシブ農法を実践勉強した「ソーヤ海」さんのサイトもある。さらに、在米生活30年、カリフォリニア州コロナ市在住の水谷光男、加容子さん夫妻のサイトでも、2010年1月6日にバイオインテンシブ農法Ⅰとして、こちらは「ジーヴォンス博士」とカナ書きされていいるが、やはり紹介されているのだ。

 まだまだ知らないことがある。しかも、このサイトには、とりわけ、私の興味をそそる一文が載っている。

「農業の小型化といっても、それは新しいのものではありません。4000年前の中国や2000年前のマヤ、南米、ギリシャなどの地域に広範囲に分散していた文明を支えていたのは、小規模で持続可能な農業でした。エコロジーアクションは、約38年をかけてこのような伝統的な農法の基盤となっていた科学的原則を再発見することに打ち込んできました。アリゾナ州のバイオスフィアⅡでは、エコロジーアクションによって提供された技術が主に使用されました。その結果、2年間にわたり80%の食料を、バイオスフイアⅡの中で自給することができました。実験の結果、一人の人間が1年間生きるのに必要な作物は、わずか316㎡、約96坪あれば十分栽培できることがわかったのです」

 にゃんだと!。結果として失敗したバイオスフィア2だが、この人工空間内で用いられた「農法」にNGOエコロジー・アクションが開発した「バイオインテンシブ」農法だったと言うのである。しかも、この農法は、古代農法にインスパイアーされて開発されたというののだ。

 おおっ、ここで、宇宙と古代がつながった。

 さっそく、バイオインテンシブで検索すると、ラテンアメリカを中心に開発途上国で最も活用されているではないか。そして、このサイトには、こうある。

「アグロエコロジーと持続可能農業で博士号を持つアンヘル・マリオ・スエロ(Ángel Mario Suero)は、ハバナ農科大学の教授で、持続可能農業の設立メンバーの一人だ。彼は、キューバでバイオインテンシブ農法の最初のコースをコーディネートした」

 画像で見る限り、バイオインテンシブ農法のそれは、オルガノポニコそのものである。古代の伝統農法とアグロエコロジーとキューバは、バイオインテンシブ農法を通じてつながっていた。しかも、それは、グリアの言うエコロジー的遷移からすると、究極の生態系を活用した農法なのである。次回は、バイオインテンシブ農法について、さらにこだわってみたい(続)

【引用文献】
(1)ウィキペディア、写真も


奇妙な果実

2012年05月27日 13時18分25秒 | 崩壊論


食いしものと食われしもの

 セント・マシュー島のシカのオーバーシュートは極端な例といえる。だが、通常の生物の群集数も自然のバランスによってほぼ一定に保たれているわけではない。だいたい7割はそうなのだが、3割の生物では個体数が急増したかと思うと急減し、とはいえ、シカのように絶滅することなく「周期変動」しているケースが見られることがわかってきた。なんとならば、没落してもそれで絶滅するのではなく、ある一定の周期で再び盛り返し、栄枯盛衰の周期変動を繰り返すわけなのだ(1)

 実は、この周期変動についても、イタリアの数理物理学者ヴィト・ヴォルテラ(Vito Volterra)のシンプルな数学モデルにしたがっていることがわかっている。ヴォルテラの数学モデルは、米国の化学者アルフレド・ロトカによっても研究されていたことがわかったため、今日では「ロトカ・ヴォルテラ」の方程式と呼ばれているのだが、この方程式が発見されたきっかけは、第一次世界大戦だった。

 当時、アドリア海はイタリア海軍とオーストリア・ハンガリー帝国との戦いのため大規模漁業が中止させられていたのだが、その結果、海では想定外の事態が起こっていた。戦前よりもサメ等の肉食魚の割合が急増していたのである。いったい戦争でなぜサメが増えるのか。この謎を解いたのだが、前出のヴォルテラ(Vito Volterra)だった(2)

 図を見ていただきたい。個体数振動が引き起こされるしくみは、捕食と被食の関係だ。例えば、海中にいる生物をサメ型肉食魚とサメに食われる魚にわける。被食者が増えれば、それを餌とする捕食者が追いかけるように増える。だが、被食者は捕食者に食われて減少し、やがて食料危機に瀕した捕食者は減少する。すると捕食圧が減少して難を逃れた被食者はふたたび増え始める。こうしてすごろくが振り出しに戻って振動が繰り返されるのだ(1,2)

周期変動する没落

 さて、上の栄枯盛衰のパターンを再びよく見ていただきたい。ジョセフ・テインターは一回だけの没落だけしか扱っていない。だが、マイケル・グリアは、生物に見られる周期変動が文明没落にもあるのではないかと考え、テインターの崩壊論を次のように批判して見せる。

「ビルマのカチン族のような部族社会だ。カチン族のコミュニティは、比較的分権化された社会形式(gumlao)から、比較的中央集権化された社会形式(shan)との間を、それほど物的資本、人的資本、情報資本を損なうことなく上下に循環している。同化サイクルの時期は、比較的中央集権化された社会形態で成長するが、これが持続可能ではなくなると、より資源が少ない社会形式につながる。そして、より大規模でより破壊的な規模で同じプロセスが、紀元前10世紀から西暦19世紀末まで中国帝国史を特徴づけている」(3)

 グリアによれば、まず農業が発展すると中央集権的な王朝が設立される。設立された王朝は、大規模な公共工事や官僚たちが贅沢な生活を行い、その維持経費が王朝政府の資源を上回ると、統一政府が解体され、異民族が侵入し、人口が急減する。しかし、ひとたび人口レベルが落ち王朝が解体すると資源枯渇の負荷がなくなるため、再び、元に戻るのだ。グリアの図式で言えば、農民が被食者(被搾取者)は中央王朝政府が捕食者(搾取者)と言えるだろう。

R選択とK選択

 さて、ようやく、没落について本格的に語る時が来た。優れた著者の正鵠を射る表現には、ゾクゾクする知的快感を味わせてもらえることが多いのだが、葛西奈津子さんは、遷移についてこんな表現をしている。

「トレードオフは、もともと経済学の用語だ。競争を生じる可能性のある生物どうしても、必要とする資源がある程度異なる場合は、共存が可能だ。これをニッチ分割による共存という。ニッチを時間的に分割することによる共存の事例が遷移といえる。遷移のなかで陽樹と陰樹の現れ方は完全にトレードオフになる。遷移の早い時期には陽樹が有利で後半は陰樹が有利だ(P91)」(4)

 そう、時間によるニッチ分割と共生。これが遷移なのだ。例えば、上の図をもう一度みていただきたい。ある瞬間の被食者と捕食者の数はどうみてもアンバランスでとても共生しているとは見えない。とはいえ、長い地質的時間では瞬間の変化は平均化される。後世の地質学者は、被食者と捕食者の化石を調べ、その頻出度合いがほぼ均一であることから、両者は共生、いや共存していたとの結論を下すかもしれない。

 そして、グリアはさらにR選択とK選択という生態学で知られた生物戦略を持ち出す。R選択とK選択とは、マッカーサーとウィルソンが1967年に提唱した生活戦略である。気候変動が激しく、個体数の大きな減少が起こる場合は、早い繁殖速度に重点をおいたR戦略が有利だが、気候が安定していて個体群の変動が少ない場合は、安定した繁殖に重点をおいたK戦略が有利だ。R戦略は小さな卵を多数産み(小卵多産)、後者はゆっくりした発育や大きな卵を少数産む(大卵小産)特徴を持ち、両者にはトレードオフの関係が働く(5)。そして、遷移とは、安定的に永続する極相群落にまで遷移系列にそって置き換えられていくパターンなのだが、グリアはこう書く。

「遷移のひとつの特徴は、初期と後期における資源利用のやり方の違いだ。遷移の初期段階の生物種は、効率性を犠牲にし、単位時間当たりのバイオマス生産を最大とする傾向にある。そのため、こうした生物種は、この手段によって、子孫のほとんどが子どもが産めるまで成熟することに失敗しても、生産を最大化する。これとは対照的に、遷移系列の後期に典型的な生物種は、バイオマス生産を犠牲にしてさえ、資源利用効率を最大化する傾向がある。このため、個々の子孫へのエネルギー投資を最大化にする傾向がある。

 最初のタイプの生物種、すなわちR選択種は、攪乱された環境で繁栄することに特化する一方、第二のタイプの生物種、すなわちK選択種は、環境激変によってのみ変化する、安定した生物群集を形成することに特化している。

 人間以外の生物種を極端に単純化したやり方と人間社会とを同一視することはできないが、人間社会の生存と生産戦略の大きな違い、ある人間社会がそれ以外の社会におきかえられるプロセスは、遷移と比較することが有効かもしれない(略)。R選択種のように、資本生産を最大化する社会は、資源制約がない環境下では繁栄する。だが、ひとたびこれらが枯渇すればぐらつく。その後継者は、K選択種のように、資本減産を犠牲にして資源をより持続可能に用いる社会であろう。人類以外の極相群落においても、生物多様性は高くても、バイオマスの単位時間当たりの生産量は遷移段階初期よりも著しく低い」(3)

 この文章ははっきりいって驚かされた。R選択種とK選択種の違いは、農業ではよく知られている。例えば、害虫はR選択種、益虫はK選択種にあたる。だが、グリアはこれをさらに文明没落にまで適応させる。グリアによれば、初期人類は農業を始めたが、それはR選択の手法であって、多くが土壌を枯渇させ滅亡した。したがって、遷移によれば、より生産性を犠牲にして安定性を重視するK戦略型農業社会にシフトするはずであった。ところが、ここで極端なまでにR戦略型の工業型農業が出現した。そのため、K戦略型への遷移が一時的に中断されている。それが、今なのだと見るのである。

R戦略社会とK戦略社会

 では、生産性よりも持続性―個々人の栄達よりも国家やコミュニティの持続性―を重視するK戦略型社会とはどのようなものになるのだろうか。グリアはそこまでは明確に言っていないのだが、資源を枯渇させてでもひたすら拡張していく社会をR戦略社会、生産を抑制させてでも社会の安定を目指す社会をK戦略社会とするならば、その二つの極端なモデルを私たちは過去に見ることができる。

 フィデル・カストロはわずか数十人のゲリラを持って2万人もの正規軍を打ち破ることができたが、たった300人をもって20万人の軍隊と戦った人物がいる。映画「300」に登場するレオニダス王率いるスパルタの精鋭部隊である。ヘロトドスによれば、紀元前480年に押し寄せたペルシア陸戦部隊は、歩兵170万人、騎兵8万人、リビアの戦車部隊2万、ヨーロッパからの参加歩兵 30万のほか、水兵が54万人いて、総兵力は264万人だったという。ただし、桁がひとつ違っていたとの説もあり、ペルシア陸戦部隊の総数は21万人、あるいはたかだか6万人であったとも言われる。だが、それにしても、数万人に対して、たった300人で白兵戦を挑み、かつ、四方から攻め寄せるペルシア軍に最後まで抵抗し、槍が折れると剣で、剣が折れると素手や歯で戦い、ペルシア軍の戦死者は2万人にのぼったとされる。単純計算で一人が66人を殺したことになる。おそるべし、スパルタ。

 では、スパルタはなぜこれほど強かったのか。軍事に特化していたと言えばそれだけだが、塩野七生さんの「ローマ人の物語」の第一巻には、次のような驚くべき記述がある。

「スパルタでは男女は完全に平等だった。女性も男子と同様、健康で頑強な体格をつくるのに必要な食事を義務づけられていた。そのため、厳密なダイエットが決められ、甘味や酒や美食は厳禁されていた。体育教育も男子同様に科された。また、訓練も裸体で行うと決められていた。秘すればこそ妙な気を起こすとリュクルゴスは考えたのであろう。性生活もスパルタでは壮健な肉体を持つ戦士育成を目的とする手段のひとつにすぎなかったのである(P174)」

「リュクルゴスは、それまでスパルタでも流通していた金貨と銀貨を全廃し、通貨は鉄貨のみと決めた。鉄の貨幣では他国の商人たちが通商を嫌う。質実剛健をモットーとする生活には不必要な品々もこれでスパルタ内に入ってこなくなる。質素な生活に必要な品々はスパルタ内で自給できた(P175)」

「もともとスパルタ人は裕福ではなかったのだが、いかに低い水準に抑えられようとも、皆が平等に低い水準にあるのなら嫉妬も生じない。持てる者と持たざる者との間に生じる階級闘争にも無縁でいられる。スパルタに泥棒さえもいないことは有名だった。アテネにはつきものであった権力抗争もなく、政治上の安定を長期にわたって維持できた。だが、スパルタは戦士のほかには何も産まなかった。哲学も科学も文学も歴史も建築も彫刻もまったくなにひとつ残さなかった(P176)」
 
 海洋国家アテネは商業主義とグローバリゼーションに走った。だが、アテネの繁栄をよそにスパルタは半島内で自給し、スパルタ教育を通じてひたすら国家の安定を求めた。子どもは国家スパルタのものとされ、病身でひ弱な子どもは「生きていても国家のためにならない」として、投げ捨てられた。そして厳しい教育の結果の一つとして、男性は強い子どもが産めそうな女性、女性は戦争に出ても生きて帰って来そうな男性が魅力的と見なされ、成人後に結婚相手を選ぶ際、魅力的な女性を複数の男性が取り合うことや逆に魅力的な男性を複数の女性が取りあうことなどもあったという(5)。これは、生物の進化への淘汰圧としてダーウィンの性淘汰説を想起させる驚くべき実験である。チェ・ゲバラは新しい人間によるマネーなき世界を求め実現することなく消え果てたが、リュクルゴスの金貨銀貨廃止政策は効力を発揮し、少なくとも500年はスパルタは持続可能なまま存続していたのである。

奇妙な果実の世界

 さて、いずれにしても、R選択社会である石油文明は、遷移のルールにしたがえば没落することになる。だが、どのように没落するかが問題だ。図を見ていただきたい。セント・マシュー島のシカのオーバーシュートは図のように、急激に没落している。文明崩壊でイメージされる没落もだいたいこのようなものだ。だが、マイケル・グリアは「長き没落(The Long Descent)」で、文明は崩壊に向かって進みながらも、危機と回復を繰り返しながら、徐々に下方へと階段のステップを降りるように没落していくと考える。その向かうところは、地域コミュニティと持続可能な資源利用に基づく農的社会で、その間、経済は衰退し、エネルギーは慢性的に不足し、公共医療は低下し、政治は混乱し、知識や文化遺産は消失していく。だが、その没落はカタストロフィーではなく、20~30年にわたって続くとグリアは考える(7)

 だが、私たちがたいがいイメージする未来は、ハイテクな宇宙か、カタストロフィーによる一挙の文明崩壊なのである。宇宙に進出する人類というイメージは、「銀河英雄伝説」にせよ「伝説巨人イデオン」にせよ、軽いものでは藤子・F・不二雄の「21エモン」にせよ、限りなくある。一方、カタストロフィーによる破局イメージも「北斗の拳」にせよ、「バイオレンスジャック」にせよ、「風の谷のナウシカ」にせよ、「未来少年コナン」にせよ、限りなくある。そして、この二つの両極端のイメージしかないのは、グリアによれば黙示録という西洋の宗教観のイメージが大きいというのである(続)。




(付記)
 もちろん、21世紀がカタストロフィーに至る可能性はかなり高い。4号機の破滅の危険性が高まっているからである。もし、この破局が起これば、北半球そのものが危ない。北米はおろか、ヨーロッパすらも大打撃を受けるであろう。破局以降の世界では、5,000Gyの放射線を浴びても死なず、15,000Gyでも37%が生き残る、「放射線に耐える奇妙な果実」という意味を持つ放射線耐性微生物、デイノコッカス・ラディオデュランスと(5)、北九州市をはじめ全国で放射能瓦礫を安心して燃やすことができるほどの放射能耐性を備えていると、最も優秀な頭脳である官僚が太鼓判を押している特殊DNAを持つであろうホモ・サピエンス、我がヤマト民族だけではないかと思っている。


【引用文献】
(1) 吉田丈人「進化と生態のつながりを示す周期変動」生命誌ジャーナル 2010年 春号
(2) 浅川伸一「ロトカ・ヴォルテラ方程式」2010年5月
(3) John Michael Greer, How Civilizations Fall: A Theory of Catabolic Collapse, 2005.
(4) 葛西奈津子『植物が地球を変えた』(2007)化学同人
(5) ウィキペディア
(6) 塩野七生「ローマ人の物語(1) ― ローマは一日にして成らず(上) 」(2002)新潮文庫
(7) Our Post-Peak Oil Future, A Comparison of Two Scenarios Following the Global Peak in Oil Production

シカの図はRobert Bériault『ピークオイルと人類の運命・第5章? イースター島の運命』より、没落の図は(7)より、他はウィキペディア


心のかたち 人のかたち

2012年05月26日 20時01分27秒 | 崩壊論


シマウマの縞模様を統治せしもの

 なかなか没落論にまでいかないのだが、あと、一回か二回の雑談で、本家本元の没落論へと復帰するので、もう少し、与太話にお付き合いいただきたい。

 一見すると複雑に見える生物や自然界も以外にシンプルなルールで決まっていることがある。コマンダンテなきアリや粘菌集団が、シンプルなパソコン・プログラム「ボイド」のようにシンプルなルールから創発される群知能がで統治されているとすれば、生物のパターンも以外にシンプルなルールで決まっていることがわかってきている。

 例えば、シマウマには、なぜ縞模様があるのだろうか。捕食者に襲われにくくなる。模様が異なるため、仲間を見分けられる、眠り病を媒介するツェツェバエに集られにくくなる等の説がある(1)。暑さを凌ぎやすくなるという説も魅力的だ。強い日差しにさらされると、縞の黒い部分は熱が吸収されて温度があがるが白い部分はあがりにくく、温度差が生じるために狭い範囲で微対流が起こって体が冷えるというのだ(2)。だが、縞の目的がなんであるにせよ、シマウマの模様がどのようにしてできるのかは、数学と化学によって説明できている(1)

 実は縞模様を持つ生物はシマウマに限られない。しかも、縞が生存のために役立っているとは思えないケースも多い。例えば、シマウマそっくりの縞模様を持つゼブラウツボは、最強の捕食者であるうえ、夜行性の動物で模様を持つメリットがよくわからない。シマウマとゼブラウツボとは進化的に見れば「遠縁」である。にもかかわらず、これだけパターンが似ているとならば、模様を作る仕組みも共通だ、と考えるのが普通だろう(3)

 実はこの縞パターンを作っているのは「反応拡散系」と呼ばれる化学反応である。そして、その数式は「反応拡散方程式」によって表すことができる。生物も模様と数学を結びつけたのは、コンピューター科学の父、アラン・チューリングだ。チューリングは1952年に「形態形成の化学的基礎」という論文を書いた。簡単に理論を説明しよう。

AとBという二つの物質があるとする。AもBも拡散していくが、Aは拡散速度が遅く、Bは早いものとする。そして、Aは自分の合成を促進し、かつ、Bの合成も促進する。一方、BはAの合成を抑制するものとする。すると、どういうことが起こるのだろうか。Aの濃度にゆらぎがあって、一瞬濃度が高まると、Aは自分自身を合成するためAの濃度はさらに高くなる。また、Bの合成も促進するためBの濃度も高まっていく。ところが、AよりもBの方が拡散しやすいため、Bの濃度は緩やかになる。そして、BによってAの合成が抑制され、Aの濃度は低くなる。こうして山と谷のあるパターンが出現するのだ(2)

化学的チューリング・パターン=散逸構造

 実は、チューリング・パターンは、チューリングが1952年に論文を書く以前の1951年に意外な場所で観察されていた。旧ソ連の化学者ボリス・ベロウソフ(1893~1970)は実験中に周期的に変化する化学反応を見つけていた(1)。クエン酸回路の研究を行なっている際、クエン酸と臭素酸塩を反応させると反応溶液の色が無色と黄色の間を周期的に変化することを発見していたのだ。だが、当時は化学反応は平衡状態に向けて進行していくだけだと考えられていたため、こうした現象があるとは認められず論文が受理されなかった。1958年にやっと短い論文が発表されただけだった。これを1961年にソ連のアナトール・ジャボチンスキーが調べ、1968年にプラハで開催された国際会議で発表し、西側にもようやく知られるようになった(4)。すなわち、ベロウソフがなくなる直前まで、17年もこの偉大な発見は学界で認められなかったのである(3)。また、ベロウソフ・ジャボチンスキー反応は時間的振動現象で、空間的な変動パターンではない。反応拡散しつつ静止しているように見える定常パターンが化学的に作られたのは、フランスのデ・ケペールらがゲルを用いた実験で縞々や水玉模様を実験的に作ることに成功した1990年である。かくして、化学的にもチューリング・パターンが存在することが実証された(1)

タテジマキンチャクダイのチューリング・パターン

 だが、チューリング・パターン理論は生物学者たちにはほとんど省みられることがなく、ほとんど忘れられた状態にあった。この状況に風穴をあけ、生物にもチューリング・パターンが存在することを大阪大学の近藤滋教授が発見し、「nature」に発表したのは1995年のことだった(1)。近藤教授は1988年頃にチューリングの話を知り、興味を持った。そして、1992年にテキサス大学のグループが、チューリングの波を化学反応でつくるのに成功したと『ネイチャー』誌に発表した。チューリング・パターンが本当に存在するかどうかは化学の世界でも長年の課題だったのだ(4)

「通常の実験生物学の発想には出てこない概念が波だ。これが、一番胡散臭く感じられる。だったら、その点をクリヤーするしかない。つまり、波が存在することを、誰の目にも明らかにしてやればよい」(5)

 ニュースに力を得た近藤は、動物園にシマウマを見に行く(4)。だが、シマウマやヒョウは残念ながら飼えない。近藤は落ち込みつつも、水族館でチューリング波そっくりの模様を見つける。タテジマキンチャクダイだった(5)。魚ならば、餌をやれば育つ。成長に応じて縞の間隔も自然に広がる。近藤は、土日に水族館と熱帯魚屋をまわる生活を始めた(4)。だが、魚の模様が成長に応じて動くことを京大の魚類の専門家に聞いてみたが、誰も知らないという(5)。水産、生物、魚類、農学、そして、水族館。全員が「魚が成長するとき模様が変るはずはない」と答えた(4)。だが、一人だけ「変わる」といった人がいる。近藤が約20軒目に訪ねた大阪の魚を買った熱帯魚屋のおばちゃんだった。おばちゃんはこう断言したという。

「魚の縞模様? 動くよ」

 そのおばちゃんだけが模様が動くことを知っていたのは、「愛」があったからだった。海水魚は神経質な生き物で、家の水槽に入れても餌を食べず、死んでしまうこと多い。そこで、おばちゃんは、他の店と違って入荷した魚が人工餌をちゃんと食べるようになってから売っていた。そこで、1 匹1 匹を毎日注意深く観察することになる(5)。近藤は、夏のボーナスをはたいて一匹1万4000円の魚5匹と90cmの海水用水槽38万円、人工海水から珊瑚石等、70万円をつぎ込んだ(4)

チューリング・パターンの意味すること

 ①二つの分子は拡散するスピードが異なる
 ②二つの分子は正反対の性質を持つ

 このシンプルな原理によって、チューリング・パターンは出現する。そして、以下の三つの特性を持つ。

 ①パターンがない状態から自然にパターンが作り出される自己組織化
 ②パターンを乱しても自然に元に戻る自己回復力
 ③二つの物質の相互関係と拡散速度を微妙に変えると縞だけでなく、豹柄等様々なパターンを生み出せる(3)

 もし、チューリング波であれば広がらない。どんなにくずしても元の間隔に戻る。となれば、何かのパターンで再構成がおこり、間隔が等しくならなければならない(4)。等間隔の縞模様が増えるプロセスをコンピューター・プログラムでシミュレーションしてみると、枝分かれの部分がジッパーが開くように変化することが予測された。もし、これが本当におきれば誰でも波の存在に納得できるはずなのだ(3,4)。飼育には約1年がかかったが、次第に魚は成長しはじめ、徐々に模様が変わり始めた。しかも、シミュレーションの予測の通りに動き始めた。チューリング波が実在する動かぬ証拠が目の前で泳いでいたのである。

 教授は「Nature」に論文を書いた。返事は予想外に早く10日目に帰ってきた。レフェリーの一人、マインハルトのコメントは「I like this paper very much.」 で始まり「I fully support this paper.」で結ばれていた(5)

 掲載号の表紙はタテジマキンチャクダイの写真が飾り、そのキャッチコピーは「チューリング・パターンに生命が吹き込まれた」(Turing Patterns come to life)となるほど歴史的な業績が達成された瞬間だった(1)
 チューリング・パターンには外部からの操作で攪乱しても元に戻る性質がある。教授は縞模様を持つゼブラフィッシュの模様の一部にレーザー光をあてて色素細胞を死滅させ、その再生プロセスを追ってみた。すると、コンピューター・シミュレーションと同じく、隣の縞が変形しながら無地になった部分に侵入してきたのである(3)

 チューリング・パターンは、生物の発生にも適用できる。卵細胞は細胞分裂が進むと様々な細胞に分化していく。個々の細胞は胚の中の自分の位置を正確に知っていなければならない(4)。だが、動物の発生では人工的に胚を乱しても元に戻ることが知られている。例えば、ウニの胚を二つに分離してもそれぞれが正常な個体に成長する(3)。カエルの卵を半分に割ると両方からカエルができ、再生能力が強いため足や目をとってもまた再生する。形を崩しても元に戻れるのはなぜなのか。ここで、チューリングの反応拡散理論が生きてくる。どんなにパターンを壊してもすぐに再生するため、生物の発生をうまく説明できる。チューリングも、これこそが発生の原理だと思ったであろう。だが、この仮説は長い間、信じられないまま捨て置かれてきた。普通の生物学者は、動物の体内に波ができる等、とても信じる気にならなかったのである(4)

植物のかたちを決めしもの

 生命のカタチ(形態)を統治するルールもLシステムと呼ばれるシンプルなルールによって定まっている。Lシステムとは1968年にハンガリーの植物学者、アリステッド・リンデンマイヤー(1925~1989)が、酵母や糸状菌(カビ)、シアノバクテリア、ネンジュモの成長パターンを調べ、それを数学的に記述することを試みる中で提唱されたシステムで、その名にちなみリンデンマイヤー・システムと呼ばれるものだ。このLシステムもフラクタル幾何学や人工生命を発展させる基本になった。この図を見ていただきたい。米国コーネル大学のカール・二クラス教授が四つの自然選択を条件にコンピューター・シミュレーションをしてみたものだ。

 ①より多くの光を受けるほうが有利
 ②枝にかかる力が小さいほうが有利
 ③種子等を高いところから飛ばせる方が有利
 ④全体の表面積、すなわち、蒸散が少ないほうが有利

 この最適解は20種類ものカタチとなった。そして、いずれも植物らしかった(1)。このことから、生物のカタチもシンプルなルールで動いていることがわかるだろう。

 さて、話は飛ぶ。地球最大の生物は何かと聞かれたら何をイメージされるだろうか。おそらく、現在であればシロナガスクジラ、過去であれば恐竜を答えとしてあげられるのではないだろうか。だが、いずれの回答もはずれだ。シロナガスクジラがたかだか26m、最大の恐竜とされるセイスモサウルスが35mであったのに対して、300mもある巨大生物がいる。昆布の一種、マクロキスチスだ。

 だが、海中の植物で圧倒的に多いのは単細胞の藻類である。藻類は生命が誕生してから38億年のうち30億年も繁栄している(6)。例えば、シアノバクテリアという単細胞の微生物がいる。1992年にジェイムズ・ウィリアムスは、西オーストラリア北西部のエイペクスチャートから34億6500万年にシアノバクテリアの化石を見つけた。シアノバクテリアはかなり進んだ微生物だけに、これほど古くから存在していたとはこれまで想定されていなかった。しかも、シアノバクテリアは15億年前に多様化して以来、今もほとんど変化していない。本質的に過去のタイプと現在のとは区別が付かないのだ。抗生物質耐性菌が問題となるように微生物は驚くべき速度で進化することができる。では、なぜ、シアノバクテリアはほとんど変わらずにいられるのか。アンドルー・H.・ノールは、急速に進化する生物がいる一方で、ほとんど進化しない生物がいる理由は、1932年にシューアル・ライトが導入した遺伝子と環境の相互作用、「適応地形」の概念からわかると指摘する。例えば、ミシガン州立大学の微生物学者リチャード・レンスキーは、大腸菌10000世代を5年も観察した。2000世代までは世代ごとに環境への適応力を増していった。だが、その後は、減速して停止した。それ以上変異しても能力が向上しない段階に到達したのだ。すなわち、シアノバクテリアの進化は15億年前には終わってしまっているし、それでも一向に困らない(7)

 あたりまえのことだが、すべての生物が進化し続けるわけではない。「適者適存」という激しい生存競争の中で、すべての生物が人間を頂点とする高等生命へと進化しいくという市場競争原理主義にもっとも馴染むダーウィニズム的世界観が作られたのは、当時のイギリスが、宗教的価値観の威力が薄れつつある中で、イギリスに階級社会が存在する理由を説明するため「科学」という新たなドグマを必要としていたからだ。そもそも、「適者適存」と言葉そのものが開祖ダーウィンではなく、ハーバード・スペンサーが作っている。これほど左様に、私たちの進化史観は近代イデオロギーに影響されている。

 それはともかく、話を戻す。シアノバクテリアや微生物の藻類以外の植物はなぜ、多細胞生物化し、300mも巨大化しなければならなかったのか。葛西奈津子さんの『植物が地球を変えた』には、その魅力的な説明が載っている。

 植物が必要とする水、光、栄養塩のうち、海中で暮らす植物にとって、最も決定的な資源要因となるのは光である。藻類が光合成で生活できる最低限の明るさは、水面を照らす光の約1%で、これが光補償点となっている。したがって、水の透明度が高く光の補償深度が深くなる冬場に水深20mもの深さから生えて成長し、海面を覆ってしまえば、光という資源を完全に独占できる。事実、ジャイアントケルプは、一日に60㎝伸び、最長70mにもなるのだ。こうすることで、ジャイアントケルプは勝ち組となっている(6)

 では、今度は陸上に目を移してみよう。光を求めて熾烈なバトルを繰り返している植物群があるとしよう。高く成長すればするほど光は得られ、他の植物に得られないようにできる。ジャイアントケルプのように地表を覆ってしまえばいい。植物はLシステムでどこまでも成長できるのだろうか。

 ところが、陸上では海中と違って、重力と水の確保という限界がある。重力に逆らって水を根から吸い上げるのには物理的な制約がある。世界で最も高い樹木は米国カリフォルニア州のセコイアだが、100mそこそこにすぎない。ウルトラQ第4話「マンモスフラワー」に登場した巨大植物ジュランも100mとなっている。いずれも東京スカイツリーの634mに負けている。だとすれば、なぜ進化の過程で640mもの巨大樹木が出現しなかったのか。

 それは、物理法則の限界があるためである。原発による電力でエレベーターを動かしていない植物が100mもの樹冠まで水を引きあげているのは、蒸発散の力による。導管はどんなに太い樹木であっても数100?でこれ以上太くすると水柱はその重さで切れてしまう。水を大量に引きあげるためには導管が太くするほど有利だが、上に水をあげるには細い導管しか持てない。両者の関係はトレードオフである(6)。すなわち、樹幹をひたすら伸ばすことで、葉をひたすら高く位置づけるという幹の成長戦略は、100mという高さにおいて、ジョセフ・ティンターの言う複雑な投資の収量逓減に達する。なればこそ、植物はこれ以上の投資をしないのだ。

過ぎたるは及ばざるが如し

 Lシステムのようなシンプルな数式は、植物だけでなく、動物にも顔を出す。例えば、オウムガイは、白銀比でその殻を伸ばしていくことが知られている(1)。白銀比は黄金比と同じ幾何級数的な成長であって、ピークオイルにせよ、経済成長にせよ、現代社会を特徴づけるものに似ている。だが、オウムガイは驚くべきことをしてのける。その殻を形成している構造体がある大きさになると、それまで続けていた製造をストップさせるのだ。もし、投資を止めずに殻を大きくし過ぎれば、殻の容積は幾何級数的に大きくなり、本体を保護するよりも、過重そのもので自滅してしまうであろう。したがって、必要以上に殻が大きくなることはない。

 オウムガイとよく似た形状を持つアンモナイトは、白亜紀末に滅び、「異常巻き」と呼ばれる奇妙な形の種が数多く見られるようになったことから、系統進化上の「寿命」が尽きたことで引き起こされた一種の末期的な畸形症状と見なされてきた。だが、現在は白亜紀という時代環境に適したニッチに適応しただけであり、異常巻きも決してランダムではなく、数学的きれいな法則にしたがっていると「白亜紀からの挑戦」で近藤滋氏は書いている(8)

 つまり、自然界のルールはシンプルであっても、若き新進気鋭のエコノミスト、飯田泰之のように「それでも経済成長が必要だ」というようにズバっとは言い切らない(9)。崩壊を避けるためにジョセフ・テインターの言う収量逓減の法則に従っている。だが、種としては、収量逓減の法則を備えているはずなのに、生物は集団としてはオーバーシュートを引き起こすことがある。オーバーシュートという言葉は、ウィリアム・コットン(William Robert Catton)の名著『オーバー・シュート:革命的改革のためのエコロジー的基礎(Overshoot: The Ecological Basis of Revolutionary Change)』で有名だが、最近の「自然な実験」としては、その資源ベースを枯渇させて自滅したトナカイの例がある。

 第二次世界大戦時、米国湾岸警備隊は、1944年に29頭のトナカイを食料源としてベーリング海のセント・マシュー島に導入した。島は何百年もかけて生育した苔に覆われていたため、この苔を食料源に1963年までにトナカイは6000頭まで増殖した。だが、同島はトナカイの天敵を欠いていた。その結果、食料源である地衣はトナカイに食べられた後に回復できなかった。その結果、トナカイの数がピークとなった3年後にその数はたった42頭にまで激減し、後は何千もの骨格が散らかっていたのだった(10)

 収量逓減の法則で、私が常に思い起こされるのが、『論語』の「先進篇」で、孔子が語った有名なエピソードだ。

「子貢問う、師と商といずれか賢れる。子曰く、師や過ぎたり。商や及ばず。曰く、然らば即ち師愈れるか。子曰く、過ぎたるは猶お及ばざるがごとし」

 子貢(紀元前520年~紀元前446年)は、孔門十哲の一人となるほど大秀才であった。弁舌や商才にも恵まれていた。そこで、二人の門人、子張(師)と子夏(商)に対する孔子の評価を聞き、「師の方が優秀だ」という答えを期待したであろう

 当然のことながら、孔子は言う。

「師は何なんでもやりすぎるほうだし、商は足りないほうだね」

 我が意をえたとばかり、子貢は続けて聞く。

「では、師の方がうえなわけですね」

 だが、孔子からは想定外の回答が返ってきた。

「過ぎたるは及ばざるがごとし」

 やりすぎることは、足りない以上によくないという孔子の見解は、まさに、生態系に見られるオーバーシュート(やりすぎ)の概念を適格に表現したものと言える(続)。

【引用文献】
(1) 長沼毅『形態の生命誌』(2011)新潮選書
(2) 石田秀輝『自然に学ぶ粋なテクノロジー』(2009)化学同人P60
(3) 近藤滋『シマウマの模様はなぜできる』ニュートン2010年3月号
(4) 2004年5月14日、第7回理学懇話会
(5) 近藤滋「生命科学でインディ・ジョーンズしよう(完結編)」
(6) 葛西奈津子『植物が地球を変えた』(2007)化学同人
(7) アンドルー・H.・ノール『生命 最初の30億年―地球に刻まれた進化の足跡』(2005)紀伊國屋書店
(8)近藤滋「白亜紀からの挑戦」
(9) 飯田泰之・雨宮処凛『脱貧困の経済学-日本はまだ変えられる』(2009)自由国民社
(10) Robert Bériault『ピークオイルと人類の運命・第5章? イースター島の運命』
画像はウィキペディア
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マンモスフラワーの図はこちらのサイト


コマンダンテなき統制

2012年05月24日 21時20分01秒 | 崩壊論


50万集団を統治する

 2012年5月5日のブログで書いたように、アリたちの行動はかなり複雑である(1)。葉を集めてキノコを栽培するだけでなく、中にはアブラムシを飼育したりするものもいる(2)。農業は人間の専売特許ではないのだ。

 アリは地球上でも最も繁栄している生物のひとつで、1億4000万年前に出現してから、1万2000種もいるが、米国アリゾナ州の砂漠で、アカシュウカクアリの行動を研究する生物学者、デボラ・M・ゴードンは、アリたちの行動力に驚嘆している。例えば、アリは決められた道を整然と歩いて餌の採集にでかけるのだが、コロニーでは、毎朝の状況に応じて、どれだけのアリを派遣するのかを決めている。食料が大量にある場所が発見されれば、大量の従業員が派遣される一方、前日に嵐で巣の一部が破壊されれば、災害復旧対策が直ちに講じられ、修理用スタッフが配置される(1)

 複雑な巣を作り、手狭になれば拡張し、毎日食料を採集するのは、働きアリの仕事だ。そして、巣の中心部にはその働きアリを産む女王アリが鎮座する。なんとなれば、女王アリによる中央統制がアリ集団を統治しているであろう。長年、そう考えられてきたのも無理はない。だが、実情は違う(2)。アリのコロニーにはリーダーはいない。50万匹の大集団であっても集団を統率するコマンダンテ・アリはいない(1)

「おい本部か。こちらは、東部、オリエンテ方面の第二部隊のラウルだ。昨日の嵐の被害は当初想定した以上の被害だ。隧道がみな崩落してしまっている。復旧作業員がとても足りない。え、食料採集。何を言っているんだ。そんなの後回しだ。早く不足要員を補充してくれ」

「おい本部か。私だ。キノコ栽培農場長のファン・アルメイダだ。昨日からお願いしている栽培用の葉なんだがね。どうも足りない。明後日までに確保できないと、そう、生産がガタ落ちとなって食料危機を招きかねない。えっ。ラウル部隊の復旧作業がまだ終わらない。そんなこと言っている場合じゃないだろう。巣なんか狭くても生きてはいける。だが、飯がなければそく死だ。だいたい本部には食料生産要員を本気で拡充する気はあるのか。ぐだぐだいっていないで早くよこせ」

 というような指令や問答は一切されていない。それどころか、一匹のアリには、次にすべき行動を自ら決めるだけの知能すらない。50万といえば、大規模県には及ばないまでも政令指定都市に該当するほどの数である。市長も議会もコマンダンテすらもいない中、いったい50万匹ものアリたちは、どのようにして仕事を分担しているのだろうか。

デボラ・ゴードンは言う。

「1匹のアリをじっくり観察してみてください。かなり不器用なことがわかります。賢いのはアリではなく、コロニーが賢いのです」
1匹のアリはシンプルなルールで動く操り人形のようなものだ。だが、個々のアリでは解決できない問題もコロニーならば答えを見出せる。

 最短の餌場へのルートを見つけ、仕事に応じて労働力を割り当て、近隣の敵からなわばりを守り、集団として周囲の変化にすばやく、かつ、効率的に対応できる。これを可能にしているのが、群れが生み出す知能「群知能」である(1)

創発される群知能

 まるで一つの大きな生命体のようにニシンの群れが一瞬にして向きを変えるのはどういう仕組みなのか。ミツバチの群れが個々の意志に反しても、集合意志を実現できているのはなぜなのか。個体の行動はシンプルなのに、集団としては法則性を持つ複雑な行動ができるのはなぜなのか。群知能がどのようにして生じるのかは、生物学者にとって奇跡的な謎であったが、コンピュータや「自己組織化」の研究の進展で、群知能の謎がようやくわかってきた(1)

 アリの情報交換の仕組みはきわめてシンプルである。アリは、触角で互いにふれあい、触覚で匂いを感知し、フェロモンの濃淡をかぎわける。例えば、餌をとりにいくアリは、早朝の偵察に出ていたアリが帰還するのを待ってから出発する。その際に、巣に戻ってきた偵察アリと触角をあわせる。偵察アリは食料を発見するまで戻ってこない。食料が乏しければ帰宅時間は長びき、豊富にあれば、すぐに巣に戻る。今日は餌が多いかどうかは、特定のアリが判断するのではなく、集団情報が判断を下しているのである(1)

 アリが列を作って餌を採集するシステムも驚くほどシンプルだ。アリはランダムにうろつき(5)、最初に餌を見つけた働きアリは、フェロモンを放出する。近くにいるアリはそのフェロモンに気付き、フェロモンを追って餌場へとたどり着く(2)。だが、フェロモンは揮発性で時間とともに蒸発する。経路が長ければ長いほどフェロモンは消えやすい。一方、経路が短ければ短いほど、蒸発するよりも次のフェロモンが早く補強されるため、濃度は高いまま保たれる。あるアリがコロニーから食料源までの近道を偶然に発見すれば、他のアリもその経路をたどる可能性が高くなり、正のフィードバック効果によって(5)、フェロモンは加速度的に増えていく。こうして最短ルートへのアリの行列が自動的に誕生するのである(2)

迷路を解く粘菌

 アリのフェロモンによる自己強化システムは、粘菌にも見られる。南方熊楠を魅了した粘菌は、アメーバ状の単細胞生物で、普段はバラバラの単細胞として生きている。だが、環境条件が変わると、スライムのような塊となり、栄養を求めて動き回わる。この粘菌の不思議な挙動も、どこかにリーダー細胞があり、それが変形の号令を掛けているはずだ、という考え方が主流だった。だが、実際には『リーダー細胞』なるコマンダンテは存在しない。アリのフェロモンのように「cAMP」という化学物質が放出され、放出されたcAMPに反応することを繰り返すことで、まるで全体に指令を出して変形しているかのような全体的な動きをすることがわかってきた(2)

 しかも、粘菌には好みすらある。納豆やシメジは好きだが、ピーナッツや醤油は嫌いだという。おまけに、絶食させた後にオートミールを与えると活発に活動するが、十分に餌を与えた直後では満腹になったためなのか、食いつき方がまるで違うという(6)

 さらに、迷路の入り口に粘菌の塊を置き、迷路の出口に餌を置くと、粘菌はあらゆる通路に広がって餌にたどり着き、次には餌への最短経路以外に広がった粘菌部分を収縮させ、最終的に入り口から出口までの最短ルートの一本道に粘菌が通る。粘菌には迷路を解く知能があるとして、2008年に北海道大学の中垣俊之らは、イグノーベル賞を受賞している(5)。中垣は、こう書いている。

「司令官はなし。各人が自律的に動くのみ。進化の歴史を考えれば、神経系が現れたのは、ずいぶんと後になってからのことで、それまでの生物はずっと神経なしに情報処理をしてきたのだ」(6)

 それでいて『迷路の最短ルートを解く』という複雑な作業をシンプルな単細胞生物の集まりでやってのけている(2)。そして、ある種の粘菌には、光を嫌い、光を当てることで任意の形に変形できる性質があることを利用し、光を「入力」、形を「出力」とみなし、コンピュータとして利用することも検討されている。最終的に形成される粘菌の形は、ある種の組合せの「最適化問題」の解であるとみなせる。中垣らは、日本の首都圏を模した培地に粘菌をおき、都市間のネットワークの設計シミュレーションを行い、効率的な交通網モデルが作って見せた。この研究で2010年に2度目のイグノーベルを受賞している(5)

 粘菌の経路発見のシステムがアリと同じ原理であるように、最適化問題はアリの行動原理をベースにも開発されている。ベルギーのコンピューター科学者マルコ・ドリゴ(Marco Dorigo)は、1991年に複雑なトラックの走行ルートの決定や航空管制用のアルゴリズム、蟻コロニー最適化(ACO=Ant Colony Optimization)を開発した(5)。そして、これは、すでに実用化されている。米テキサス州ヒューストンにあるアメリカン・エア・リキード社は、工業用・医療用ガスを製造し、全米100カ所もの生産拠点からパイプライン、鉄道、400台のトラックを使って、6000カ所の顧客に納入しているが、効率的な納入方法を見出すため、アリを参考にした。ソフトウエア上で何十億匹もの「アリ」を放ち、フェロモンがいちばん強力になるルートを探し出したのである。そのおかげで会社は大幅なコスト削減に成功している(1)

人工鳥はたった三つのルールで動く

 アリや粘菌の行動パターンがコンピュータと深く関わることを見てきたが、私たちの持つ世界観や生命観に変革を迫り、ガラリと覆してしまうものに、コンピュータを利用した人工生命の研究がある。その古典的研究のひとつが、クレイグ・レイノルズが作り出したプログラム「ボイド」だ(3)。レイノルズは、コンピュータ会社でアニメ部門を担当し、テレビや映画に出てくるアニメの動物を本物らしく見せたいと考えていた。その結果、1986年に「ボイド」が誕生し、この手法は、1992年の『バットマン・リターンズ』に登場するコウモリの群れやペンギンの動きに使われたのである(4)。レイノルズのホームページでは、今もボイドを見ることができる。離れつつも微妙に寄り添い、障害物があればこれを避け、本物の鳥の群れそっくりの行動をしていることがわかるだろう。ところが、驚くべきことに、このプログラムにはたった三つのルールしかない。

(1)近づきすぎない
(2)離れすぎない
(3)進む方向をだいたい揃える(1)

 レイノルズは「ボイド」を開発するにあたって、墓地に群れるカラスの動きを熱心に観察して参考にした。急に飛び立つカラスの群れは、リーダーに指揮されているようにもみえる。だが、実際には群れの行動に指令を下している鳥はいない。それぞれの鳥は何か簡単なルールに従っている。レイノルズはそう考えて、3つのルールにたどり着いた(4)。レイノルズの人工鳥にもコマンダンテはいなかったのである(続)。

【引用文献】
(1) 「群れのセオリー」ナショナル・ジオグラフィック2007年7月号
(2) 山根圭輔「自己組織化プロジェクトの育て方(2)―アリの生態にみる自己組織化のルール」情報マネジメント
(3) 有田隆也『生物から生命へ』(2012)ちくま新書
(4) KenYaoの生命研究室「人工生命」
(5) ウィキペディア
(6) 中垣俊之『粘菌その驚くべき知性』(2010)PHPサイエンス・ワールド新書

画像は(2)及びボイドのウェブページより


ゲリラたちのパラダイス

2012年05月17日 21時48分34秒 | 崩壊論


原始共和制はパラダイス

 このブログでは、複雑化する社会が崩壊する、ということを書き続けている。進化や遷移系列、環境適応といった生物学の知識に、古代ローマ帝国やマヤ文明の崩壊時の歴史的エピソードをちりばめ、ピーク・オイルやグローバル経済の破綻といった現代社会の状況につなげていくマイケル・グリアの理論はすこぶる面白く、改めて、生物学や人類進化というそもそも論に立ち返り、没落を考えなければならないことを痛感させられている。そこで、人類史をおおくくりで見るという作業をしてみよう。

 人間社会のあり様については、大きくわけて二つの極端な見解がある。ひとつは、社会にはある種の人工的な統制が必要だという見解で、トマス・ボッブスがこれにあたる。ボッブスによれば、未開人たちの不潔で残忍にして短命な生活は、国家という人工装置によって初めて軽減される。ボッブスの万人の戦い理論は、進歩主義思想へとつながる。19世紀の社会学者ルイス・モーガンは『古代社会』(1877)において、人類は、野蛮(狩猟採集)、未開(自給農業)、文明へと進歩すると提唱した。モーガンによれば、人類の目標はヨーロッパのような先進型文明に到達することであり、それ以外の生活は原始的で望ましくないのである。

 一方、ジャン=ジャック・ルソーは、これとは正反対の見解を提唱してみせた。未開人は高潔に生きており、本来善であった人間が堕落したのは、社会システムのせいであり、自然状態に戻れば、一切の問題がなくなると考えたのである。

「これからよくなる」という未来期待型を進歩思想とすれば、「昔は良かった」という過去回帰型の退歩思想、すなわち、没落思想をルソーは体現しているとも言えるだろう。

 1960年代には、カウンターカルチャーの影響を受け、ルソーの見解が人気を博していた。例えば、1966年にシカゴで開かれた人類学の会議においてマーシャル・サーリンズは「原初の豊かな社会」というフレーズをつくりあげた(1)

 所得、労働時間、栄養状態など様々な要因から、産業革命の実態を追求したグレゴリー・クラークは『10万年の世界経済史』の中で、こう書いている。

「サーリンズは、狩猟採集社会や移動農耕社会では、財ではなく余暇の多さで評価される『原初的な豊かさ』を実現していたと述べたが、これは正しかった。イギリスの豊かさは、長くつらい畑仕事の引き換えで実現されていたのである」(2)

放浪を捨てた定住という苦痛

 さて、20万年前にアフリカで誕生したホモ・サピエンス型人類が5万年前の出アフリカ以降、長き放浪のライフスタイルを捨て、定住を始めるのは、1万5000年前のことだ。人類史上においては、農業の始まりも定住の方が約5000年も早かったし、はるかに重要だ。定住革命の重要性をいち早く提唱した中には、西田正規の『人類史のなかの定住革命』(講談社学術文庫2007)があるが、スペンサー・ウェルズは、放浪から定住までのシフトにこれほど時間を要した理由として、①身近な人とうまく付きあうこと、②平等主義の生活をあきらめて規則や役人たちのいるがんじがらめの社会で我慢しなければならないこと、の二点をあげている(1)。狩猟採集民たちは私有財産を持たず、冨の格差もなく、だれもが平等な社会だった。だが、定住化と農耕社会の発展によってこれが変わる(3)。そのうえ、定住化は、人口密度が高い農耕社会と人口が少ない狩猟採集社会との心理的な不一致というストレスも産んだ。

 進化心理学者のロバート・ダンバーが調べたところ、大半の生物集団の平均個体数は5~50匹であって、脳が大きいほど集団の規模は大きい。そして、脳の大きさから推測すると人間の社会集団の適正規模は150人なのだという。このスケールは、軍隊の中隊組織から、狩猟採集民の平均サイズにまで及ぶマジックナンバーである。人間は2000人とかの人数を記憶はできるが、これほどの人数とたえずコミュニケーションできるようにはできてはいない。したがって、この適正数値を越せばストレスが生まれる。そして、このストレスを回避するため、宗教と哲学という人工装置が全世界で同時多発的に出現した。中国では諸子百家が活躍し、インドではウパニシャッド哲学や仏教、ジャイナ教が成立し、イランではツァラトストラ教が独自の世界観を説き、パレスティナではイザヤ、エレミヤなどの預言者があらわれ、ギリシャではソクラテス、プラトン、アリストテレスらの哲学者が登場した。これをヤスパースは、枢軸の時代と呼んでいる(1)

戦争中毒のゲリラたち

 20万年というタイムスパンで人類史を見れば、農業の発展も都市の誕生も異型にすぎない。1万5000年前から1万2500年前まで続いた温暖な最終亜間氷期の中で定住人口が増え、その後に1万3000年前から1300年続いた急激な寒冷化、すなわち、ヤンガー・ドリアス期というスペシャル・ピリオドに直面し、未曾有の食料危機に陥った人類がやむなくとった非常措置が、農業という作法であったことがわかってきている。となれば、定住と農業社会の誕生は、ホモ・サピエンスという生物種のメンタリティーにとっては悲劇そのものであって、ルソーの言う原始共産社会こそがパラダイスであったようにも思えてくる。

 だが、最近明らかになってきた様々な知見からすると、過去を賛美するルソーの見解も甘いことがわかっている。例えば、ローレンス・キーリーは『文明化以前の戦争』で、未開社会においては戦争が日常茶飯事であることを突き止めた。国家以前の社会で平和な社会は稀であった。牧歌的に思えていた先住民世界では闘争が日常茶飯事であった。例えば、人類学者カール・ハイダーによれば、ニューギニアのダニ族では男性の3人に1人が戦争で死んでいる(1)

 アマゾンのヤマノミ族も、料理用バナナ、ヤシの実、虫等食生活に関しては充実なライフスタイルを送っていて、食料を得るための労働時間にはたった3時間しかかかっていない。ヤマノミ族は、苦労せずに生きていけるのだ。だが、部族を研究する人類学者、ナポレオン・シャニョンによれば、成人男性の死因の30%が暴力で、40歳以上では57%が殺害が原因で2人以上の肉親を失っている。ヤマノミ族も戦闘にあけくれているのだ。豊かであるにもかかわらず、人類が闘争するのはなぜなのか。そのヒントをチンパンジーに求める見解がある。

 動物が初めて道具を使うことを明らかにした動物学者ジェーン・グドールは、アフリカのゴンベの森のチンパンジーたちが楽しく暮らしていると想定していた。だが、実際は正反対だった。チンパンジーたちは、定期的に近くのコミュニティを急襲しては、死ぬまで攻撃していた。この発見に生物学者と社会学者は仰天した。意外に思えるかもしれないが、急襲殺害という行動パターンを取るのは、4000種もいる哺乳動物やそれ以外の1000万種以上の動物の中で、わずか、2種。チンパンジーとヒトだけしかいないのだ。ダニ族やヤマノミ族と同じく、チンパンジーの成熟した雄も約30%が攻撃活動に参加することが原因で命を落としている。すなわち、人類の闘争本能は、はるか類人猿の時代から継承されたものだといえるのだ(3)

 さて、話は飛ぶ。定住化によって、適正な集団基礎単位である150人が膨大な人数を抱える巨大社会へと肥大した結果、心の危機が産まれたという上述の指摘は、文化人類学者の故川喜田二郎氏が盛んに指摘していたことでもある。川喜田氏は、トップダウン型の管理社会を厭い、一人ひとりが創造性を発揮する参画社会を夢見て、移動大学の実験を実践してみせた(4)。ヤマノミ族が象徴するように、150人程度の少人数で、日々変化する環境に創造性をもって適応し、リーダーはいても、基本的には誰もが平等で管理されない社会。これが人類のプロトタイプの理想であるとするならば、川喜田氏のいう参画社会は確かに理想郷であろう。だが、川喜田のいう参画世界には欠けているものがある。敵を急襲するというオスの本能と、その見返りとしてのメスからのセックスという報酬だ。

 闘争にはメリットがある。ヤマノミでは誰かを殺すと犠牲者の霊魂が自分に報復しないよう「ウノカイモウ」という儀式を行なう。この儀式を受けた男性は「ウノカイ」と呼ばれ、村で有名になり、妻の数は非殺人者の2・5倍、子どもは3倍以上だったという(3)

 さて、このくだりを読んでいて、このブログの読者は、まさに上述した原始共和制をこの20世紀に実現した集団があったことを思い出されるであろう。フィデルである。

 三浦伸昭の『カリブ海のドン・キホーテ フィデル・カストロ伝』は、フィデルに焦点をあて、キューバ史を描いた名作だが、シエラマエストらでのゲリラ戦のエピソードがとりわけ面白かった。

 ゲリラに参加した若者たち、とりわけ、黒人は不平等な管理社会から解放され、平等社会の開放感を満喫していた。ゲリラは基本的に平等だったのである。

「運動の中には差別が存在しなかった。みんな家族のように仲良しで、完全に対等だった。だから、ファン・アルメイダもカリスト・ガルシアもここを離れたくないのである(P31)。白人も黒人も混血も年齢差別も性差別もなく、みんなが本当に平等なのである。もちろん、リーダーや小隊長といった役職はあった。しかし、隊員たちはリーダーであるカストロのことをファーストネームでただ『フィデル』と呼ぶのだった(P59)」

 ゲリラ部隊の人数は、最初は82人、その後も150人程度と顔が見える小単位である。1958年3月にシエラ・マエストロ全域を解放したカストロは、オリエンテ州北方のシエラ・クリスタルに第二戦線を築くよう命じたが、ラウルが率いたのは65人。サンティアゴ北方に向かったファン・アルメイダの第三戦線は50人(P79 )。58年8月下旬に逃げる政府軍を追うように進撃を始めたチェ・ゲバラが率いる「シロ・レロンド」は148人。カミロ・シエンフエゴス率いる「アントニオ・マセオ」部隊は82人だった(P93)。

 そして、ゲリラという言葉が象徴するように、部隊は、チンパンジーと同じく、定期的に敵のコミュニティを急襲しては、命を落とすかもしれないというリスクを味わっていた。そして、その見返りはモテルことであった。勇気を持って部族のために戦い、強大な敵を打ち倒すという神話そのものの英雄伝をシエラの山岳戦を勝ち抜いたゲリラたちは、20世紀に実現させ、最高の遺伝子が保証済なのである。とりわけ、革命後のフィデルのもてぶりは凄まじかった。三浦伸昭氏は、こう書いている。

「わずか82名の仲間とともに冒険に乗り出し、一時は20名足らずに打ち減らされながら、その後の戦闘で2万もの政府軍を粉砕し、ついに凶暴な独裁政権を自力で転覆させたのだ。そのような快挙が、史上かってあっただろうか。まさに、フィデル・カストロは奇跡の英雄だった(P106)。カストロは名声に物を言わせて、行きずりの美女たちを次から次へとホテルのベットに招き入れていた。それを手配するのは、秘書のセリア・サンチェスである。おおらかで陽気なキューバ国民は、そんなカストロを『種馬』と呼んで親しんだ(P113)」(4)

コマンダンテなき複雑な社会

 だが、ルソー的なアナーキズム社会が牧歌的な平和な社会ではなく、チンパンジー的残虐性が伴うとすると、複雑化した統制社会は避けられない。マイケル・グリアは、数多くのピーク・オイルの活動家たちが緊喫な課題として提唱するグローバリゼーションや中央集権化からローカルな自治へのシフトに伴う危険性をこう指摘する。

「彼らの多くは、ローカリゼーションを無条件に良いものだと描いている。だが、米国南部の白人の人種差別主義者たちが、人種隔離政策を守るためローカリゼーションを促して以来、わずか数十年しか過ぎていないのだ。ユートピアを求める者たちの目でのみ、ローカルは常によいものなのだ」(5)

 となると、社会には統制が必要だというトマス・ボッブスの見解を取らざるを得ない。そして、統治国家にも、極論すれば2タイプがあるであろう。銀河英雄伝説で描かれる偉大な専制君主・ラインハルト皇帝率いる清廉潔白な政治を行う銀河帝国と帝国軍と、その実像を目の当たりにしつつもヤン・ウェンリーが支持する自由惑星同盟の腐った民主主義国家だ。そして、奇しくも、平等な原始共産ゲリラ部族の酋長であったフィデルは、清廉潔白な政治を行う偉大な専制君主へと変貌するのである。

 残虐性が吹き荒れるシンプルなコミュニティか、偉大なコマンダンテに統治される複雑な統治国家か、はたまた、腐った民主主義国家か。だが、生物の世界には、なぜか、これとは違う第三の道がある。数10万もの膨大な数からなる複雑な社会でありながら、コマンダンテがいない世界がある(続)。

【引用文献】
(1) スペンサー・ウェルズ『パンドラの種』(2012)化学同人
(2) グレゴリー・クラーク『10万年の世界経済史』(2009) 日経BP社
(3) ニコラス・ウェイド『5万年前』(2007)イースト・プレス
(4) 川喜田二郎『野外科学の方法―思考と探検 (1973)中公新書
(5) 三浦伸昭『カリブ海のドン・キホーテ フィデル・カストロ伝』(2010)文芸社
(6) John Michael Greer(2009), The Ecotechnic Future: Envisioning a Post-Peak World, New Society Pub


ローマ帝国の崩壊・補完

2012年05月05日 22時35分11秒 | 崩壊論

 高度に濃縮されたエキスとも言うべき黄金や財宝。この軍事費を支える高エネルギー資本が略奪という形で確保できなくなると、個々の農民への課税という低エネルギー資本へとローマはシフトせざるを得ず、それが軍事の負担を支え切れず帝国が崩壊したと前回のべた。そこで、今回は、別の切り口から、なぜ、帝国の維持システムがシフトしたのか、そして、技術的イノベーションによってその回避ができなかったのかを検討してみよう。

ナチス・ドイツの限界

 技術的イノベーションによって資源の限界に打ち勝てるという世界の幻想を打ち砕いて見せたのはナチス・ドイツだった。「ジョジョの奇妙な冒険」に登場する故ルドル・フォン・シュトロハイム大佐は「我がナチスの科学力は世界一ィィィ」という名セリフを残されているが、これは誇張ではなかった。

 第二次世界大戦時、この地球上で最も革新的な技術を手にしていたのは、ナチス・ドイツだった。ドイツの科学技術陣は、それ以外のどの国も手にしていないジェット機、巡航ミサイル、弾道ミサイル、誘導爆弾を開発していた。ナチス・ドイツの最大の弱点は石油がないことだったが、南ロシアの油田地帯が入手できないことが判明すると、第三帝国は直ちに石炭を液体燃料生産(CTL)に転換する研究に取りかかる。そして、ドイツの科学技術陣は、世界に先駆けてこの手法もいち早く開発していたのである。だが、この結果は燦々たる失敗に終わる。1944~45年の冬にかけてのバルジ戦において連合軍が勝利したのは、ドイツ軍が戦車や飛行機を動かすだけの十分な燃料を手にしていなかったことによると、後世の数多くの軍事歴史家たちは認めている(1)

 では、ナチス・ドイツの科学力をもってしても、なぜ液化燃料作戦は失敗してしまったのであろうか。その最大の要因は、資源からエネルギーを生産するために生産工程で投資されなければならないエネルギー量の差、純エネルギーにある。

 良質な石油は、掘削・輸送・処理するまでに、その200倍ものエネルギーを産み出せる。だが、石炭の純エネルギーは低い。石炭の種類、採鉱の仕方、地下に位置する深度によってばらつくが、エネルギーに最も富んだ無煙炭でも石油の同重量で半分のエネルギーしか含まず、褐炭にはその6分の1しか含まれない(2)。CTL燃料生産の純エネルギーも非常に低く、石炭ベースの液体燃料を生産することは、それを燃やすときに得られるよりもさらに多くのエネルギーを要したであろう。これがナチスが失敗した理由だった(1)

 技術革新によって、より豊かな社会が築けるという幻想は、過去において2回ほど、より純エネルギーが高い資源へとたまたまトランジションできた経験に由来している。例えば、18世紀後半には風力や水力から石炭へのシフトが起き、20世紀初めには石炭から石油へのシフトが起きたが、いずれも新たに手にすることとなったエネルギーはそれ以前のエネルギーよりも純エネルギーが高かったのだ。

 だが、これからはそうはゆかない。例えば、かつては核エネルギーによる未来が描かれたが、いまだにそれが実現していないのは、CTL燃料生産と同じことが核エネルギーについても言えるからだ。確かに純粋なウラン238には莫大な量のエネルギーが含まれている。だが、燃料としてそれを利用するには、大量の鉱石を採掘・加工処理しなければならず、それにはエネルギーがかかる。原発を建築し、操業し、解体し、使用済み燃料を処理にもさらに多くのエネルギーを要する(1)。しかも、世界のウラン鉱床は枯渇し、現在使用されている原子炉の燃料の約半分はウラン鉱山ではなく、分解した旧ソ連の核弾頭から来ている(2)

 では、再生可能な自然エネルギーはどうか。例えば、バイオエタノールを製造するには、原料となる作物を栽培するうえで、石油から製造される化学肥料、石油で動くトラクター、加工処理するためのエネルギーを要し、最終的な純エネルギーは驚くほど低いか、マイナスとなってしまう。風力タービンは、タービンを製造して使うために投入されるエネルギーの6~8倍のエネルギーを壊れるまでに産み出すが、それでも石炭よりは低い。

 風力や水力、波力等の再生可能エネルギーよりも化石燃料の純エネルギーが高いのは偶然ではない。化石燃料とは数千万年もの地質的プロセスによって過去のソーラーエネルギーが濃縮された産物だからだ。高濃縮エネルギーなくしては、産業革命以降、300年ほど繁栄してきた産業型社会は維持できない。したがって、高濃縮エネルギーの枯渇とともに没落が起こることになる。それは、技術的イノベーションの問題ではないのだ。意外に思えるかもしれないが、古代ギリシア人も古代ローマ人も蒸気機関の原理そのものは知っていた。にもかかわらず、古代ローマで産業革命が起こらなかったのは、ローマ人たちが石炭や石油をエネルギー源として開発しなかったためだった(1)。アレクサンダー大王の兵士たちは、中央アジアにおいて燃える水、石油をすでに目にしていたが、彼らにとっては石油は寒い夜に暖をとるため以上の資源ではなかったのである(2)

アリたちの農法のトランジション

 石油のように純エネルギーが高いエネルギーから、再生可能エネルギーのように純エネルギーが低い資源へのトランジションが起こるとどうなるのだろうか。生物を参考に考えてみよう。

 まず、参考となるのが、アリたちの農法のトランジションだ。農業は人間の専売特許ではなく、アリの中には菌類を栽培するアリ(attoid ants)がアメリカ大陸全域に12属180~200種もいる。彼らは湿度が高かった南米の低地において第三紀に進化したとされているが、同じ農法といっても、アリたちが用いる資源によって、農法にはいくつかのタイプがある。

 

 まず、ウロコキノコアリ属(Myrmicocrypta)のアリは、時には植物資材を少量用いることもあるが、主にイモムシ等の糞や昆虫の死骸を培地に用いる。昆虫の糞は、化石燃料と同じで、太陽エネルギーよりもはるかにエネルギーが濃縮された高品質なエネルギー資源である。だが、質が高くても量が不足している。糞がゲットできるかどうかは、偶然発見されるかどうかに左右され、大規模な糞探索隊を組織化してみたところで、捜索隊に投資しただけの見返りは得られない。これが、アリのコロニーの規模や組織化の制約となる。ウロコキノコアリ属のコロニーは平均約100匹からなり、巣から1.0~1.5mの範囲から食料をバラバラに収集しているだけなのだ。

 一方、アレハダキノコアリ属(Trachymyrmex)属は、主に枯れた植物を収集するが、雨季の終わりの1カ月は昆虫の糞を集める。コロニーの規模は230~760匹からなり、巣から1.8~2.7mで食料を収集している。

 ハキリアリ属(Atta)等、それ以外の菌類栽培するアリは、栽培素地として大量の葉の収穫を行なう。そのコロニーは、何10万~100万匹に達し、糞依存タイプよりも格段に高度に専門化した組織を持つ。また、森林から巣への葉の輸送路は、森林や草原を抜けて65mもの遠方まで広がる。E・O・ウィルソン(E.O.Wilson)はこう指摘する。

「哺乳動物、鳥類、そして、それ以外の昆虫種を含め、それ以外のどの草食種よりもハキリアリは大量の植物を消費している」

 ここで、利用する資源のエネルギーに応じて、アリの農法と社会組織に二つのトランジションが見られることがわかるだろう。まず、最初のトランジションは、菌類栽培そのものがスタートしたことだ。人間社会に例えるならば、狩猟採集社会から農耕社会へのチェンジだ。おそらく、これは集まった糞やアリ自身の排泄物から菌類が成長したことから発生したであろう。それは、高エネルギー資源からの資源開発を始めるにあたって最もシンプルなものだった。

 第二は、糞の収集から葉の収穫へのトランジションだ。だが、ここで問題が起きた。葉は糞と違って大量にあり、使用したからといってちょっとやそっとでは枯渇しない。とはいえ、低品質エネルギー資源であるだけに、見返りを得るために、アリたちは資源を大量に輸送・加工処理するための組織化を図らなければならなかったのだ。

 DNAや形態学、系統発生、そして、社会の組織形態からは、昆虫の糞、種子、果実に依存するウロコキノコアリ属がオリジナルの菌類栽培種に近く、アレハダキノコアリ属が中間で、ハキリアリ属が最も原種から遠いことがわかる。すなわち、高エネルギー資源から低エネルギー資源へのチェンジを起こすことで、アリたちは社会組織を変化させることを強いられたのである。

ビーバーたちのダム建設

 土木事業は人間の専売特許ではなく、北米に棲むビーバーたちも食料確保のためにダム建設工事を行っているが、これも彼らの食生活と領域の組織化における資源のトランジションが関係している。

 夏のビーバーたちの食料源は、主に草本類で、消化に困難な成分量も少なくタンパク質に富む高エネルギー資源である。とりわけ、水中や水辺に分布する水草は高品質エネルギー源で、食料の検索や輸送コストがかからない。だが、冬には若葉は手に入らず、樹皮が食料源となる。樹木は高台に分散していてゲットするのが困難だ。そこで、ビーバーたちは、食料を補完するため、夏の間に冬に備えて、木の若葉を集めて蓄える。

 資源のトランジションは時期だけでなく場所でも起きる。ビーバーたちは、水や食料等の高品質資源が得られる範囲にテリトリーを組織化し、ダムや巣を建設するが、一年から数年がたてば貯水池に隣接した樹木の若葉のほとんどは枯渇してしまう。ビーバーたちは、池からさらに離れた場所にある分散した若葉資源を集めなければならない。そこで、ビーバーたちは、この低利得エネルギー資源への対応を行なう。

 上流に巣を伴わない第二の貯水池を建設し、周囲の高地に運河を掘削するのである。そして、最初の貯水池かそれ以外の食用ステーションに餌へと運ぶ。ローマの例で例えれば、首都ローマへと食料を運ぶ属州の設立である。この運河づくりと第二ダム建設によって、利用可能な資源量は増え、設立されたコロニーは維持されるが、こうした活動は労力集約型で、もたらされる純収益が低い。コストもかかる。コロニー全体からすれば、投資した努力への見返りは高いままとどまるが、一頭当たりのビーバーではその限界収益は減少する。そして、コロニーのコストがあまりに高く、限界収益があまりにも低くなれば、そのサイトは放棄される。だが、幸いなことに、自然では火災等の大きな撹乱がある。これによって遷移系列が再開すれば、20年後にはポプラの食料供給が更新される(3)

自然エネルギー社会とローマ帝国課税

 さて、高品質エネルギー資源は枯渇する。人間社会やビーバー等の動物においても高エネルギー資源が得られる時代は短い傾向がある。資源が枯渇すれば、ハキリアリの行列やビーバーの運河、帝国の課税で見られるように、より高レベルでの組織と努力が、資源の十分なフローを維持するためには必要である。そこで、後期ローマ帝国では、税務職員が北西ヨーロッパや地中海の全域のあらゆる一筆の土地で予想される生産性を評価しては課税していた。

 これは、現代社会にとって示唆的である。産業型社会は化石燃料に基づくため、都市のように集中するシステムを作ることができた。だが、だが、波力、風力、ソーラー等の再生可能エネルギー源は、化石燃料と比べて純エネルギーがわずかしか得られないため、エネルギー生産は分散化されなければならない。

テインターはこう主張する。

「ポストカーボン未来のひとつのシナリオは、小規模なコミュニティか個々の家庭による低エネルギーの分散型生産である。分散型生産システムによって多くのインフラで労働者が過剰になるため、多くの人々にとって、この転換はカタストロフィックであろう。そして、都市の荒廃には、増加する田舎暮らしが伴うであろう。同時に、新たな機会が、エネルギー生産の小規模で分散型源の製造と修理で現れるであろう」(3)
 だが、マイケル・グリアによれば、それほどポスト石油産業以降の未来の仕事は単純ではないのである。

【引用文献】
(1) John Michael Greer(2009), The Ecotechnic Future: Envisioning a Post-Peak World, New Society Pub
(2) John Michael Greer(2008), The Long Descent: A User's Guide to the End of the Industrial Age, New Society Pub
(3) Joseph A. Tainter, T. F. H. Allen, Amanda Little, and Thomas W. Hoekstra, Resource Transitions and Energy Gain: Contexts of Organization, Conservation Ecology 7 (3): 4, The Resilience Alliance, February 5, 2003.


アリの図は以下のサイトから