没落屋

吉田太郎です。没落にこだわっています。世界各地の持続可能な社会への転換の情報を提供しています。

サルでもわかる経済学(5) 平等社会が連帯経済を育む

2013年12月05日 23時31分11秒 | 進化生物学

■こみあげる格差待遇への怒り

 サラ・ブロスナン博士がテストに使ったのは、ヤーキズ全国霊長類研究センター(Yerkes National Primate Research Center)の二つの群れから選ばれた(1) 5頭のオマキザル(brown capuchin monkeys= Cebus apella)のメスたちだった。それにはわけがある。オマキザルのオスが、一人ザルであるか、女性グループを支配するボスザル(アルファメール)として暮らす一方で、メスは集団生活を行い(2)、熱帯林内で協力してリスを探したり果物を見つけたりして、食べものをわちあう協力行動で知られた強力な社会的動物だからである(1,2)

 実験でペアとされたオマキザルたちがもらう報酬のほとんどはキュウリだったが、それを受け取れば60秒以内に直ぐさま小花崗岩の小石、トークンを95%は返すようにトレーニングされていた(1,2)。けれども、前回のブログで書いたとおり、自分がキュウリの切れ端しかもらえないのに、相手がブドウをゲットしているのを目にすると、キュウリしかもらえなかったオマキザルは60%しか協力せず、時には、キュウリを受け取ることを拒絶したり、それを人間に戻したりした。さらに、相手がトークンすら支払わずにブドウを受け取る姿を目にすると、自分はトークンを支払わなければキュウリがもらえないことにさらに悩んで、たった20%しか協力しなくなった。そして、試験官にキュウリを投げ返すことすらあったのである(2)

「人類以外の動物の感情を判断することは難しいし、彼女たちに尋ねることもできません。ですが、彼女たちはフラストレーションのサインを示しました。オマキザルが食べ物を拒否するのはとても珍しいことなのです(2)。単純な行動と思えるかもしれませんが、自ら進んで、とりわけ、意図的に食べ物を放棄する生物種はさほど多くはいません」とブロスナン准教授は言う(1)。こと労働に対する賃金の支払いに関しては、人間と同じく、サルもバカではない。同じ仕事に対して、そして、時には仕事すらしないのに、同僚がずっとよい支払いを受けていることに気づけば怒りが込み上げる(2)。オマキザルは社会的な動物であるとはいえ、人間以外の生物種に平等感があることが記録されたのは初めてのことだった(1)

■格差への嫌悪感は進化の産物

 不平等な処遇に対して人々が抱く嫌悪感は、宗教、政治、教育といった社会制度の文化的な影響なのか。それとも、進化の産物なのか。この課題は、科学者たちの興味を呼んで来た(1)。けれども、ブロスナン准教授のオマキザルと人間との類似点の発見は、平等に対する好みが、人間だけが社会の中で学ぶものではなく、霊長類の適応進化から継承されてきたものであることを示唆する(1,2,3)

「オマキザルの行動は、単なる文化的な構成物ではなく、進化による産物であるように思えます…。私たちが不公平な処遇を嫌う進化的な理由は十分にあるのです」

 ブロスナン准教授はそう語るが、そもそも彼女の研究の一部は、1999年以来、社会的な公正や人間の協力、利他主義の経済について重要な研究を発表し、不平等な処遇を人間が本質的に拒絶することを明らかにしたチューリッヒ大学の経済学者エルンスト・フェール(Ernst Fehr,1956年~)教授の研究にインスパイアされたものなのである。フェール教授は言う。

「サルでさえ不当な支払いを拒否するというこの新たな発見はとても重要だと思います。なぜなら、これは、人々の間で目にされる行動がとても深く進化に根ざすものであることを示唆するからです」(1)

■人間には格差を嫌うわかちあいの精神がある~最後通牒ゲーム

 元ドイツ、ライプチヒのマックス・プランク進化人類学研究所(Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology)、現在カリフォルニア大学ロサンゼルス校の霊長類の専門家、スーザン・ペリー(Susan Perry, 1965年~)教授は、野生のオマキザル(Cebus capucinus)の行動を研究しているのだが、ブロスナン准教授の研究を「魅惑的な論文」だと評価する。
「こうした行動をサルがとっても私はそれほど驚きません。人間も明らかに不合理な方法で対応することがよくあります…。最後通牒ゲーム(ultimatum game)では格差のある報酬を受けより、自分にも相手にも報いがないことを受け入れるのです…」。
 ペリー教授は、不公正を嫌悪する古典的な実験についてふれる(1)

「最後通牒ゲーム」とは、20年も前に、マックス・プランク経済研究所(Max Planck Institute of Economics)の経済学者ヴェルナー・グス(Werner Güth,1944年~)教授が、人間の協力行動を探究するために考案したシンプルなゲームである。

 このゲームの実験者は、二番目の人間と共有するという条件付で全資金を与えられる。最初の「プレーヤー」が提示する金額はいくらでもかまわず、そのマネーを二番目が受け取るか拒絶する。もし、二番目の人物がそのままマネーを受け取れば、両プレーヤーともマネーを獲得できる。けれども、拒絶されれば両人ともゼロとなる。二番目のプレーヤーにも利己心がある。提示された金額がどれほど少なくても、ゼロよりはましだ。当然のことながら、受け取るはずである。けれども、研究者たちは、このゲームを通じて、文化を超えて人間が利己心を越えたもの関心を持っていることを知ることになる。ほとんどの人は、最初の提示額で約半分を提供しようと決めた。一方、20%以下の金額を提示された多くの人は侮辱されたと感じ、それを拒絶したのである。

「自分の利益だけでなく、ほとんどの人は公平さに強い関心があるように見えます」とフェール教授は言う(3)。そして、プロスナン准教授も「手に入る報酬を断念することが人にはよくあります。それが、フェアだと考えるものではないからです。人類以外の霊長類で私たちが発見したものは、公平さに対する感情がこうした意思決定で大切な役割を果たしていることを示しています」と指摘する(1)

■協力も進化の産物である

 カリフォルニアのクレアモント大学の神経経済学の研究者、ポール・ザック(Paul Zak,1962年~)教授も、ブロスナン准教授の発見はメスザルだけに関係するものではない、と語る。最後通牒ゲームを通じて、ザック教授も数学理論とは異なり、人々が協力しわかちあうことが多いことを示す(2)

 ブロスナン准教授は、不当な処遇に対してオマキザル以外の動物も癇癪を起こすのかどうかを試験してきた。さらに、アメリカ国立科学財団(National Science Foundation)から資金提供を受け、サルが人間と同レベルで協力するかどうかを確かめる追加実験を行った。その結果、時間の70~80%と人間とほぼ同量で協力しあうことが見えてきた。この結果は、格差に対する嫌悪感だけでなく、協力行為も霊長類の性格として深く進化に根ざすことを示唆している。ちなみに、人間がサルよりも高レベルでの協力を達成できたのは、唯一、人間がその語学能力を用いたときだった。実験が始まる前には、ゲームのやり方は指示されなかった。そこで、協力した方が多くのポイントを稼げることを実験中に話し合い考えたのである(4)

「けれども、なぜ協力しなければならないのか。人々が実際にわかっているようには見えません」とブロスナン准教授は言う。他人に協力するためには、それをする個人に直接的な見返りがない中で、エネルギー他の資源を投じなければならない。したがって、協力は非合理的で非論理的な行動だと指摘するエコノミストや科学者もいる(1)

 それでは、なぜ人々は協力するのだろうか。ザック教授は、その理由を哺乳動物が幼小期に母親とすごすことに求める。
「社会的な絆は哺乳動物の基本的な特徴です。私たちは親密にケアされ、それが協力が重要だとの概念を育みます」(2)

 近年、研究者たちは、チンパンジー、オランウータン、オマキザルといった霊長類に多くのユニークな行動を見出し、それを文化と関連づけようとしている。例えば、2001年、ジェーン・グドール(Jane Goodall,1934年~)他の研究者とともに、スコットランドのセント・アンドルーズ大学(St. Andrews University)の社会的学習・共進化センターのアンドリュー・ホワイトゥン(Andrew Whiten)教授は、50年にわたるチンパンジーのデータを分析し、結婚、食事、グルーミング、道具利用と結び付いた39もの個別な行動を識別し、チンパンジーには文化があると結論を下す。そして、行動の社会的学習プロセスを明らかにしようと、研究者たちは、チンパンジー以外の霊長類にも関心を向けており、人間や霊長類の行動、文化、進化に関連する最新の発見のひとつが、ブロスマン准教授の研究なのである。

「人々は、こうした文化的な行動を目にしています。それは、エコロジーによっては説明ができません。同じ種でもグループが異なれば行動が違うのです。なぜ、あるチンパンジーはナッツを割って、別のチンパンジーは割らないのか。両方とも割ることができるナッツを手にしているのにです。つまり、社会的学習は文化が発展するメカニズムと考えられています」

 ブロスナン准教授はそう語り、社会的な学習能力と公正感とが関連していると指摘する。学習能力を高めるには社会集団内で仲間たちの行動をきめ細かく観察することが各個体に求められ、公正感をいだくのもそうだからだ。ブロスナン准教授がメスのオマキザルで実験を行ったのも、彼女たちがきめ細かく仲間たちの公平な処遇や平等であるかをモニタリングしているからだ(1)

■格差が広がると人々は協力的ではなくなる

 不公平な処遇に対する嫌悪感は、その生物たちの間での協力を育む。それでは、協力と公平感とはどちらが先にもたらされたのだろうか。
「各個体が協力しあうようになったために、不公平な処遇を嫌悪することを学ぶのか、あるいはその逆なのか、それはわかりません。ですが、それはまったく新たな研究分野を切り開いています」

 そうブロスナン准教授は語るが、この研究は、協力がどのように進化し、それがどのようなメリットがその種にもたらしたのかを科学者たちを考えさせる(1)。オマキザルのメスたちのように、社会集団内で生きることが、人間においても協力という価値観を高める。ザック教授は各国でのテストを通じて、協力が社会的な平等水準を反映していることを知る。例えば、貧困格差が大きいペルーやブラジルの人々の協力度は少なく、給料が公正で、ほとんどの国民が社会的プログラムの恩恵を受けているノルウェー、スウェーデン、デンマークのような国では、人々は嬉々として匿名のパートナーとのギャンブルでも協力したのである。ザック教授は言う。

「私たちは、一時停止の標識で止まり、税金もきちんと納付します。ですが、世の中が公正ではないことが明らかになれば、それを止めることができます。私たちはロボットではないからです」

「公平感覚を持つ人々が協力しあう可能性が高いとの理論もあります。そして、オマキザルたちが協力しあっていることがわかるとき、平等も重要であることがわかります」とブロスナン准教授は指摘する。

 ブドウではなくキュウリしかもらえずフラストレーション味わったオマキザルのように、状況が平等ではないことを感じる時、人間も急速にそれほど協力的でなくなってしまうのである(2)

■サルでもわかる経済学の教訓~ムチよりはアメ

 霊長類に対する理解は、公正の感覚や協力の性格といった経済的要素と生物的進化との関係性を改めて問いかける(1)。人間の経済的な行動の傾向が、奥深い進化に起源があることを示唆する。古典派経済学は、雇用された従業員の成果をあげるには、制裁という脅威が有効だと示唆してきた。けれども、実験を通じて、フェール教授は、制裁という手段を用いることは、むしろ、従業員のやる気を削ぐことにつながることが多いことに気づいた。
「実は、それは、動物のトレーナーたちがずっと前から気づいていた教訓なのです。トレーナーたちは制裁よりも報酬の方がずっとよく機能することを知っていました」とロナルド・ノエ(Ronald Noe)教授は指摘する。
 もちろん、制裁も役立たないわけではない。けれども、フェール教授は、実験を通じて、契約書に明記する等、原則として制裁が可能な状態を設けながらも、現実のマネジメントでは制裁という手段を用いないか、めったに用いない場合に限って、従業員のパフォーマンスが最高となることを知った。というのも、従業員たちは、制裁がなされないことを協力的な行動とみなし、それに対してもっと頑張ることで感謝するからである(3)

 ドゥ・ヴァール教授からすれば、こうした対応は、サルや類人猿たちが、過去に助けてくれた相手に食べ物を与えたり、気持ちの良いグルーミングを施すことで感謝の表現を示すことと変わらない。同時に、どのような不正も知覚されれば、それは怒りを呼び起こす。そして、それが、ビジネスにとっては望ましくないことをサルでさえ、知っているのである(3)。となれば、連帯経済を蝕む不当な不労所得や格差社会を是認することは、サル以下ではあるまいか。

【引用文献】
(1) Sean Markey, Monkeys Show Sense Of Fairness, Study Says, National Geographic News, Sep17, 2003.
(2) Amanda Onion, Study: Monkeys Have Sense of Justice, Sep18,2003.
(3) Mark Buchanan, Money and Monkey Business, The New Scientist,Science and Technology News, Nov5, 2005.
(4) Lesley Lanir, Monkey throws tantrum at unfair treatment and inequality, digitaljournal.com, May 12, 2013.

ペリーの写真はこのサイトより
グスの写真はこのサイトより
ザックの写真はウィキペディアより
ホワイトゥンの写真はこのサイトより


サルでもわかる経済学(4) 連帯経済

2013年12月03日 22時17分01秒 | 進化生物学

■サルの好奇心と遊びが社会を発展させた

 前回は、ジョージア州立大学のサラ・ブロスナン准教授が社会正義の概念の起源がサルにあると指摘していることについて述べた。けれども、ついて、フロリダ大学の動物心理学者、クライヴ・ウィン(Clive Wynne)教授は、オマキザルの行動を説明するには、公正や不公正といった概念を持ち出す必要はないと語る。

「例えば、子どもが家事の手伝いにチョコレートをもらう習慣があるとき、チョコレートをもらえなければ癇癪を起こすかもしれません。期待していたものが与えられないときにフラストレーションが起きることは、どの生物種にも見られます」

 けれども、ブロスナン准教授は、オマキザルの行動を説明するために、公正や不公正といった概念を受け入れるかどうかは別として、オマキザルには明らかに人間的な行動が見られると主張する。ブロスナン准教授は、最初にオマキザルと出会い記録装置を目にしたときの行動について指摘する。

「まず、あなたを知りたがります。まだ会ったことがないからです。また装置を見たことがないので、それが何かを確かめたがります。ですが、好奇心があるからといって、それで、食べ物が得られたり、捕食動物から身を守ることになるわけではありません」

 ブロスナン准教授は、高度に発展した人間の脳の世界を知りたいという好奇心が人間の文化の鍵だと語る。

「食べ物や脅威への関心を超えて、人間は、自分たちがどこから来たか、なぜ夜空に星が輝くのかを疑問に思うようになりました。そして、オマキザルには、また別の重要な人間の社会活動の萌芽を目にできます。即時的な見返りがない活動、遊ぶことへの望みです」

 そして、遊びが社会的であることは、それが、その集団内で受け入れ可能な行動範囲を学ぶのを助ける。ブロスナン准教授は言う。

「遊びもサルから継承されたものだとは考えません。ですが、そこには、複雑な社会集団の中で生きる社会的な生物種のすべてが発展させてきた知的行動があります。人間とその大きな脳がもたらしたものは、社会的に学習されたこうした行動をさらに行い、環境についてさらに多くのことを知りたがり、より複雑な社会を構築するために公正さや不公正といった概念を広げる能力です。それが、なぜ私たちが都市国家を構築しているのかを説明します。そして、他の生物種がいまだに200程度の集団なのにです」(5)

■自己チュウを許さないサルたち

 ブロスナン准教授が人工的な格差社会を構築すると、サルたちは労働の拒否や賃金受け取りの拒否をもってこれに抵抗した。けれども、サルは外部の力によって偶然特権をもたらされたサルを嫉妬したり、ルサンチマンをぶつけることで村八分にすることはなかった。

「しかも、サルたちは、パートナーに対する反発感は示さず、相手を非難はしませんでした」(6)

 これは、ある意味では驚くべきことだ。というのも、イェール大学のチェン准教授の実験では、非難され村八分にされるサルが登場するからだ。チェン准教授の学位論文は、食べ物という報酬を得るために、サルたちが戦略的に協力しあえるのかどうか。そして、協力できるのであれば、それが人間とどれほど類似しているのかをゲーム理論を用いて確認することだった(4)。実験対象として選ばれたのはワタボウシタマリン(cotton-top tamarins)だった(3,4)。ワタボウシタマリンとは、コロンビア北西部に生息するオマキザル科タマリン属に分類されるサルである(7)

 チェン准教授の実験はこういうものだった。二頭のタマリンを向い合せで別々の籠に入れる。それぞれの箱にはレバーが付いているが、レバーを引くと別のサルの籠からマシュマロが出てくる。すなわち、タマリンがマシュマロを得るには、相手のためにそのレバーを引かなければならない(1,3)。利他的行為までゆかないとしても、協力がなされるかどうかを試してみたのだ(3)。全体からみれば、タマリンは協力的ではあった。けれども、同時に健全な利己主義も備えていて、様々な相手と向かい合わせにされる中、典型的には時間の約40%でレバーを引いた。

 次にチェン准教授は、ある一頭のタマリンをいつもレバーを引くように条件付けた。他方で、別の一頭は決してレバーを引かないようしつけた。すなわち、利他主義のサルと利己主義のサルをトレーニングした(1,3)

 そう人造人間ならぬ、「人造ザル」を創り出したのだ。そこで、利己的な人造ザルを「バチスタⅡ世」、利他的な人造ザルを「エルネストⅡ世」と呼んでみよう。自己チュウのサル、バチスタⅡ世の運命は悲惨だった。ひとたび彼女の評判が確立されるとどうなったか。チェン准教授は想起する。

「彼女が実験ルームに導かれると、他のタマリンは狂ったようになったのです。壁に糞便を投げつけたり、角に歩いて傍観したり、拗ねたりしたのです」(1,3)

 ああっ。なんということであろうか。サルたちは、空気が読めず自分だけサボろうとする利己的なフリーライダーを許さなかったのである。

■パターナリズムは社会を堕落させる

 話が飛ぶ。希代の社会学者、宮台真司首都大学東京教授が、国際テロリスト、チェを評価しているのには驚かされた。『日本の難点』(2009)幻冬社新書で、氏はこう書く。
「他律的依存から脱して社会の自立に向かうもうひとつの道が合理よりも不合理です(略)。したがって、経済学的な意味で合理的計算を行う人であればあるほど変革への協力はありえそうもなくなります。この壁を乗り越えるヒントは、チェ・ゲバラことエルネスト・ゲバラです(略)。誰よりも合理性を判断する力を持つ頭脳明晰な男が軽々と合理性の向こう側へと跳躍する事実です(略)。結果、合理性とは別の何か、感染的模倣によって周囲が包摂されるのです。年端もいかない少年までもが「このスゴイ人についていきたい」と感染していきます(P278~280)」

 恐るべし。チェの感染力。「百匹目のサル」が、作り話に過ぎないことは、物語の語り部、ライアル・ワトソン自身が認めているのだが、エルネストⅡ世の存在は、捏造されないリアルなサル社会においてどのような役割を果たしたのであろうか。教育を通じた「サル革命」。利己心を喪失した人造ザル、エルネストⅡ世の存在と感染力によって、サル社会には革命が起こるのであろうか。チェン准教授の実験結果を見てみよう。

「そこで、この利他主義のサルをそれ以外のタマリンと対面させた。利他主義のサルは、他のサルの籠のためにマシュマロを引き出すことを厭わず、絶えず嬉々としてレバーを引き続けた。相手のサルも最初は同じやり方で対応し、時間の50%でレバーを引いた」

おおっ。恐るべし。エルネストⅡ世の感染力。10%ものアップ。利他的社会の創造という社会革命の到来が真近いではあるまいか。

「けれども、自分のパートナーが騙されやすいお人好しであり、相手が誰であろうと公平にレバーを引いていることをサルたちが理解すると、当初の平均40%よりも低く、その率は30%まで落ちてしまったのだ」(1,3)

 ああっ、なんたるチーヤ。利己心を喪失し、ひたすら他者のために尽くす自己犠牲的な人造ザル、エルネストⅡ世の存在によって、皮肉なことにサル社会には当初よりもフリーライダーが増えてしまったのである。パターナリズム的なエルネストⅡ世の存在によって、構成員の自発的な協力精神を蝕み、社会全体をむしろ利己的にしてしまったのである。

■連帯精神を発揮するサルたち

 けれども、サル社会に絶望する必要はない。サントス教授にオマキザルを提供したジョージア州アトランタのエモリー大学のフランス・ドゥ・ヴァール(Frans de Waal,1948年~)教授は、20年も室内実験でオマキザル他のサルを研究してきたが、そこで目にしたものすべてから、人間の経済活動の鍵となる基礎的な行動、すなわち、協力や平等なわかちあいが人類に限られないことを確信するようになった。

「こうした行動は、おそらく同じ理由からそれ以外の動物内でも発展し、それらは私たちの中でも発展しました」とドゥ・ヴァール教授は言う。すなわち私たちの存在を支援するグループの機能を保証するのを支援することだ。

 教授は、オマキザルが、食料獲得に協力した相手に対する責務感を簡単に示すと語る。例えば、ヴァール教授は、ペアのオマキザルが協力しあえば支払われるという実験をしてみたことがある。イラスト図を見ていただきたい。金属の棒を引っ張れば食べ物が得られるが、それにはスプリングが付いていて一頭の筋力だけでは棒は引けない。あるとき、サミーという名のオマキザルは、バイアスという名のもう一頭のサル一緒に棒を引き、自分の食べ物をゲットした。けれども、バイアスが食べ物をつかむ前に棒を離してしまった。棒の動きは素早く、バイアスはチャンスを逃した。そこで、直ちに抗議の悲嘆をあげた。
「サミーがまた近づいてくるまで、バイアスは30秒ほど彼女の肺で鋭い音を立てたのです」

 そして、感謝、あるいは義務感からであろうか。自分の容器がもう空になっているにも関わらず、バイアスのために、サミーは再び棒を引っ張る作業を手伝ったのである(2)

■サルでもわかる経済学の教訓~サルの研究は人間の行動理解に役立つ

 チェン准教授は、経営学の教師にとっては、サルの研究が奇妙なことであることは認める。

「ですが、私たち自身の行動に関して、サルが教えてくれることに興味を持っています。最初に驚かされたのは、オマキザルたちが、実にやすやすとマネーの概念を好むようになったことでした」

 それ以外の霊長類の経済的行動を深く学べば、自分たちが考えているほど人間が特別な存在ではないことがわかる。オマキザルは、優れたビジネスマンに匹敵するほど賢明な意志決定を行うが、同時に、人間と同じように不合理な誘惑にも引き摺されているようにも思える。合理性からは利益にも損失も同じ評価をする行うことを連想させるが、現実の実験は、損失に伴う痛みの方が、獲得に伴う楽しみよりも重く見られがちなことを示す。すなわち、それ以外の霊長類の行動パターンを深く理解することは、人間が自分たちの資金を効果的に管理する一助になりうる(2)

【引用文献】
(1) Stephen J. Dubner and Steven D. Levitt, Monkey Business, New York times Magazine, June 5, 2005.
(2) Mark Buchanan, Money and Monkey Business, The New Scientist,Science and Technology News, Nov5, 2005.
(3) Tibi Puiu,How scientists taught monkeys the concept of money. Not long after, the first prostitute monkey appeared, Jul 7, 2011.
(4) Allen St. John, What Monkeys Can Teach You About Money. September-October issue of mental_floss magazine, August 24, 2011.
(5) Joe Palca, Monkey Business: Fairness Isn't Just A Human Trait, The Human Edge, August 16, 2010.
(6) David Whitehouse, Monkeys show sense of justice, BBC News Online science, 17 Sep, 2003.
ウィンの写真はこのサイトより
ドゥ・ヴァールの写真はウィキペディアより
サルのイメージ図は、文献(2)より


サルでもわかる経済学(3) マルクス経済学~格差社会づくり

2013年12月03日 00時55分37秒 | 進化生物学
■非寛容な行動を許さないサルたち

 サルの行動から引き出せる経済的な教訓はこれだけではない。前回は、オマキザルが損失に対する恐怖から非合理的な選択を行ったと述べた。けれども、この現象には、それ以外の要因も働いているのかもしれない。フランス、ストラスブール(Strasbourg)のルイ・パストゥール大学の霊長類学者ロナルド・ノエ(Ronald Noe)教授は、不自然な実験のセッティングを、オマキザルたちが、彼らの社会生活の中でなじんできたタームに「翻訳」することによって、意志決定をした結果なのではないか、と考える。

 例えば、果物を与える実験者との「サルと人との関係」は寛容で良好なものだ。けれども、果物を奪う行為は、傲岸で好戦的に見える。

「もし、否定的なこの行動をサルの社会がネガティブだと評価するのであれば、オマキザルの行動は完全に合理的になりえます」とノエ教授は論じる。

 スイス、チューリッヒ大学の経済学者エルンスト・フェール(Ernst Fehr,1956年~)教授も言う。

「古典的な経済理論は、人間が物的私利によって排他的に動機づけられるという想定に基づいています。ですが、注意深い実験から、研究者たちは、多くの人々が貪欲な私欲と同じく、公平さや公正さにも関心があることを見出しています。そして、サルもそうなのです」(2)

■造られた人工格差社会

 オマキザルにも公平感がある。同じ労働に対して別の猿よりも少なく支払ってみれば、気味悪く高い音を出す。オマキザルは全体として経済的な不公正に抗議しているように見える。米国のエモリー大学のドゥ・ヴァール教授は、この正義感をより体系的に探究するため、エモリー大学の人類学者、心理学者サラ・ブロスナン(Sarah Brosnan)博士と協力して、2003年に、食べ物の報酬として小石を交換に与えることをオマキザルに教え、さらに実験を進めてみた(2)

 ブロスナン博士は、人間の平等感が、社会的な規律の結果という文化的な構成物なのか、進化した行動の結果なのかに興味を持っていた。そこで、オマキザルを用いた実験を考案した。

「オマキザルたちはとても協力的で、協力はまさに寛容な社会からもたらされることから、私はオマキザルを選びました。そして、差異のある報酬に対してどのような反応をするのかどうかを確かめるためにシンプルな実験をデザインしました(1)。ここのオマキザルは、ノーマルな社会的環境に住んでいます。したがって、遊び走り回ることで一日の大部分をここで費やします。そして、テストのために彼らを分離させます」(3)

 協力的で寛容な研究者は、オマキザルに食べ物と、花崗岩の小石のトークンを交換することを教えた。サルたちは、キュウリとこの「マネー」を交換できて幸せそうだった。オマキザルはキュウリが好きだ。けれども、ブドウの方をもっと好む(1,2)。そこで、同じタスクを終えた後に、ペアのオマキザルが格差待遇を受けるというシステムが考案された。

「サルたちは、以前は差別的な待遇を一切受けていませんでした(1)。ですが、一頭にはタスクに対するご褒美としてキュウリを与え、もう一頭には、時には働かずに、トークンも支払う必要なしにタダでブドウを与えてみたのです」(1,2)

■一部の特権ザルが不正所得を得ることを許さないサルたち

 この格差ある処遇に対する対応は劇的だった。

「私たちは客観的な反応を捜していました。そして、そのひとつを得ました。別のサルがタダでブドウをゲットするのを目にすると、サルたちは怒り出しました。私たちが設定した労働を拒否するというストライキに出たのです。あるいは、タスクはこなしたとしてもその報酬を受けとらないのです。これはとても異常な行動です。さらに、報酬を無視することすらありました。オマキザルは私たちにトークンを投げ返したのです」(1)
 
 別のオマキザルは、トークンで「購入」したはずのキュウリを食べさえしなかった(1,2)。サルたちが公平感を示すことにはさして驚かなかった。けれども、この反応には不意をくらった(1)

「このモラルの物語は、誰か一部のサルだけが良いものを得たときにのみ、キュウリが悪いものになってしまうということを意味しています」とブロスナンは博士指摘する。さらに、こう付け加える。

「しかも、サルたちは、パートナーに対する反発感は示さず、相手を非難はしませんでした」(1)

「オマキザルは、相対的なタームで報酬を測定しているように見えます」とドゥ・ヴァール教授は言い、人間のように、この行動の背後にある種の感情がおそらくあると示唆する(2)

■サルでもわかる経済学の教訓

 誰かを人道的に扱うこととは、その誰かを公正に、かつ、尊厳を持って処遇することを意味する。けれども、こうした特性は、人間に本当に特有のものだろうか(3)。それとも、平等に対して私たちが本能的に覚える感情は人類に先行するものだろうか。ブロスナン博士は、この仕事は、人間の公正感が社会的な構成物ではなく、過去の長い進化から継承されたものであることを示唆すると語る(1)

 ブロスナン博士は、サバイバルしともに生きるためには、公正さがどの社会性動物にも不可欠な特性だと主張する。

「私たちは、協力の進化にとても興味を持っています。公正感の進化的な発展をさらに深く学ぶため、チンパンジーでも研究を繰り返しています。それは、霊長類以外の社会性動物にもあるのではないかと思っています。この分野でさらに最も興味深いことのひとつは、人間の協力が公平感によってさらに効果的になるという最近の示唆なのです」

 ブロスナン博士は、そのことを示すため、いまジョージア州立大学の言語研究センター(Language Research Center)で、今もオマキザルとともに仕事をしている(3)

【引用文献】
(1) David Whitehouse, Monkeys show sense of justice, BBC News Online science, 17 Sep, 2003.
(2) Mark Buchanan, Money and Monkey Business, The New Scientist,Science and Technology News, Nov5, 2005.
(3) Joe Palca, Monkey Business: Fairness Isn't Just A Human Trait, The Human Edge, Aug16, 2010.
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サルでもわかる経済学(2) 行動経済学~野生の証明

2013年12月02日 23時43分50秒 | 進化生物学

■非合理的な消費者~プロスペクト理論

「それは全く奇妙です。ですが、私は、いつも面白いと思ったことに取り組んできました。そして、最も面白かったことは、オマキザル(capuchins)にマネーの使い方を教えられるかを確かることだったのです」
 チェン准教授は言う。そして、イェール大学の研究チームは、それに成功した。こうして、フェリックスら7頭のサルたちは、マネーを使う最初の「間」となったのだ。
「何やら悪い冗談のようにすら聞こえます。サルたちはたくさんのコインを見つけ、どれほどをリンゴに、どれほどをオレンジに、どれほどをパイナップルに費やすのかを決めているのです」(4)

 ほとんどの人々は、エコノミーと言えば、サルのマシュマロより、インフレの図表や通貨レートをイメージする。けれども、経済学とは、本質的には誘因に対して、どのように対応するかを研究する科学である。最先端の経済文献に目を通せば、エコノミストたちが、売春、ロックンロールやメディア・バイアスといった課題を研究していることがわかる(1)。以前の古典派経済学の理論では、純粋に「合理的」で「利己的」な主体をイメージしてきた(2)。けれども、エコノミスト、ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman,1934年~) プリンストン大学名誉教授は、人間の経済行為は不合理なことが多いとして「プロスペクト理論(prospect theory)」と呼ばれる新たな経済学を提唱し、従来の教義に挑戦していた。プロスペクト理論によれば、人間はコンピューターのように絶対的なタームでは経済的な意志決定をしていない。利益と損失とをまったく別の形で取り扱い、損失を避けるためには何でも行い、誤りを犯す(4)。そして、多くの実験から、経済とは明らかに無関係の要因が、その意志決定に影響を及ぼすことが多いことがわかっている。

 損失に対する嫌悪感は、人間に馬鹿げた行動を取らせる(2)。それが、投資者が論理的に行動せず、下落する株を長く持ち続ける理由だし、住宅価格が下落することがわかっていてさえ、その前に家を売り払うことを躊躇してしまう理由だ(2,4)。将来の定年退職に備えて貯蓄する人がほとんどいない根本原因も喪失に対するこの嫌悪感であるようにも思える。安全な有価証券よりは株の方が稼げることがわかっていても、良心的人々は株に投資しない。債券よりも株価の方が大きく変動することから、結果としては収益のバランスが取れていても、株に投資すると痛い目にあるリスクも大きいからだ(2)。「喪失の嫌悪」として知られるこの現象を提唱したことで、カーネマンは2002年にノーベル経済学賞を受賞した(1)

■丁か半か~賭博に参加したサルたち

 この時点までは、サルたちは、経済学の伝統的な法則を遵守し、合理的な行動をしていた。

「私たちはサルが熟慮したうえで意思決定することを既に目にしています。それは、これまで科学者たちが動物で目にしてきたものをすでに越えています。そこで、賭けに出てみよう。人間が犯すのと同じ誤りをサルも犯すかどうか調べてみようと思ったのです。それが本当に働くかどうかのアイデアはありませんでしたが、経済界の人たちが関心を持つ1ダースの実験があることは知っていたからです」とチェン准教授は説明する。

 カーネマン名誉教授もサントス教授やチェン准教授の研究のことは意識していたが、実験には直接参加していなかった。はたして、オマキザルたちは、経済学のパラダイムを変えたカーネマン理論を実証するのだろうか。それとも論駁するのだろうか。サントス教授とチェン准教授は、モンキー市場にリスクの概念を導入することとした(4)。すなわち、価値が同一であっても、見かけ上は明らかに違う二つの選択肢を提示し、そのどちらかをオマキザルに選ばせてみる、という実験を行って見たのである。

 まず最初に1枚のトークンを出すとオマキザルは1粒のブドウが買える。次にコインがはじかれ、表が出るか裏が出るかの結果によって、サルはさらにブドウがもらえるかどうかの賭博にチャレンジすることとなった。ただし、オマキザルたちは2粒のブドウから賭博を始めることも出来た。すなわち、賭博の結果、ブドウが回収されてしまうというリスクも選ぶこともできた。ブドウが得られるかどうかは半々だ。二つの実験は、いつも二人の実験者が行ったことから、オマキザルたちは、その実験の違いを識別できた。

 この賭博でブドウが得られるかの期待値は同じである。したがって、「合理的な主体」にとっては、どちらを選ぶかは無関係であろう。けれども、一番目の賭博には潜在的な利益が、そして、二番目の賭博には潜在的な損失、リスクが伴っていれる。そして、オマキザルたちは、最初にブドウを1つゲットし、後でさらにもらえるチャンスがある賭博を行う実験者の方を選んだ。
「驚かされました」とチェン准教授は言う。研究者たちが人間に見出すのとまさに同じ「喪失」に対する嫌悪感をオマキザルは示している。チェン准教授はこう結論を下した(2)

 プロスペクト理論を反映した三タイプの実験は、トークンと果物によって行われた。サルはリスクを伴う販売者と安全な販売者のどちらかを選ぶことになったのだ。
 第一の実験は単純なもので、販売者Aはいつもリンゴ一切れをくれ、販売者Bはこの一切れに加えて、時には二切れをくれることもあった。販売者Bは、簡単な賭博、すなわち、エコノミストが「確率優越性 (stochastic dominance)」と称するものを表わしていた。サルたちは、この実験の意味を直ちに理解し、87%が販売者B を選んだ。
 第二の実験はもっと難しかった。今度は、販売者Aは、最初に1切れのリンゴを見せ、次に半分の割合でさらに一切れを与えた。一方、販売者Bは、最初に2切れのリンゴを見せて、次に半分は1切れを与え、半分は取り戻した。第一の実験によって、サルたちは販売者Bと取り引きするように条件付けられていた。にもかかわらず、サルたちはすぐさま以前の態度を変えた。販売者Aに対して71%という強力な嗜好を示したのである。
 第三の実験は、ボーナスとは逆に損失を表に出したシナリオだった。販売者Aは1切れのリンゴを見せてから確実にそれを渡す。一方、販売者Bは2切れのリンゴを見せるが、後では着実に1切れを取り去った。結果からみれば、どちらも1切れのリンゴしか与えなかった。にもかかわらず、サルたちは強力に販売者Aを好んだ。

 数学的に言えば、2切れのリンゴがゲットできる確率は同じである。コンピューターであれば、どちらの販売者も平等と評価するであろう。けれども、時にはリンゴが取り戻されてしまう販売者Bよりも、時には追加のリンゴ1切れを後から与えてくれる寛大な販売者Aとの取り引きをサルたちは好んだ。
このデータは、まさに人間と同じく、この二つがサルにはまったく別のものとして感じられることを意味している。第二と第三の実験結果から、オマキザルも人間のように、損失に対して嫌悪感を示すことがわかる。すなわち、サルたちの意思決定は絶対的ではなく相対的なもので、損失に対する恐れがサルたちの思考を支配していたのである(4)

■不合理な選択はサバイバルに有利だった

 ボーナスとモデルと比較した損失モデルでのリスクの選好度は2.7~1だった。「この数値を見ると、時にそれがサルのものであることを忘れます(4)。オマキザルたちによって生成されたデータは、ほとんどの株式市場の投資家のそれと統計的に判別不能なのです」(1,3)とチェン准教授は言う。このリスクに対する反応は、人間の被験者を使用したものと完全に判別不能なのである(4)

 オマキザルに優れた経済感覚がある以上に、サントス教授やチェン准教授が興味を覚えたのは、人間と同じく不合理な経済行動を時には行う傾向があることだった。サントス教授は、オマキザルの行動に人間と類似性が見られることから、人間の行動が過去からの進化に起源を持つと示唆する。

「私たちが不合理な行動をするのは、クレジットカードやガソリンの値段だけではありません。もっとより深いものを私たちは別の種と共有しているのです(2)。脳内のメカニズムがなんであれ、こうしたバイアスを突き動かしているものは、オマキザルと私たちとで全く同一です。それは、こうした戦略が3500万歳であることを意味します」とサントス教授は言う(4)

 損失に対する嫌悪感にバイアスがあることも、過去からの深い起源があるとすれば、今日は不合理に見える行動も、いまとはまったく状況下で生きていた過去の先祖にとってはそれが賢明な行動であったことを意味する。例えば、損失に対する恐怖感が、変動する環境下において祖先が生きのびる助けになった可能性がある、とサントス教授は考える。例えば、たいがい10個の食べ物しかゲットできない環境で、20個が見つけられたとすれば、それはハッピーなことであろう。けれども、40個が標準的に得られる環境で、20個しかゲットできなければ、それは恐ろしいことだ。すなわち、利益と損失とを相対的に評価することが、サバイバルにとっての脅威に対して迅速な対応を可能としてきたのだ(2)

■サルでもわかる経済学の教訓

 いま、経済学は、冷たい論理よりは、感情が果たす役割の方が大きな役割を果たすとして、複雑系の科学に向けて成長している(4)。行動主義経済学の研究内容は、心理学だけでなく、神経科学や進化生物学へと重なる(1)。そして、モンキー市場の研究は、このトレンドを支持している(4)。オマキザルと人間の行動とに進化的な密接なつながりがあることは、人間の非合理で危険な経済行為が後から学習されたものであるというよりも、人間の心理に組み込まれた(hard-wired)野生であることをチェン准教授は示唆する(2,4)

 逆説の未来史56 進歩教の洗脳(7) 「UFOと核融合をつなげしもの」では、失敗したことがわかっても合理的な判断を下せず、撤退できない理由を「認知的不協和」、「コンコルド効果」、「過去の投資の心理学」、「ダブル・バインド」で説明してきたが、これは、未来のセキュリティを考えて未来のために投資するよりも、今日の損を避けるというプロスペクト理論の「損失に対する嫌悪感」からも説明できる。このことは、エコノミストも政策決定者も、通常の経済的なインセンティブでは、そうした人間の行動を変えることが困難であることを意味する(2)

 サントス教授も、人間がマネーや経済に関して本能的な欠陥を抱えていることを認めるが、楽観的な教授は、そこに肯定的な側面も見出す。

「近代経済学の問題は、私たちがホモ・エコノミカスだと想定していることにあります。私たちはそのような存在ではありません。私たちは誤りを犯します。ですから、私たちが合理的に行動すると想定してシステムを構築すれば、そこには断線がありましょう。ですが、私たちは、そうではないことを知ってはいます」

 サントス教授の研究室の壁には「サルにご用心(Beware of Monkeys)」とのサインがある。

「これは、仕事に対するメッセージです。私たちは不幸に運命づけられているわけではありません。サルよりもさらに利口です。私たちは、完全に理性的ではないことを、まさに認めなければならないのです」(4)

【引用文献】
(1) Stephen J. Dubner and Steven D. Levitt, Monkey Business, New York times Magazine, June 5, 2005.
(2) Mark Buchanan, Money and Monkey Business, The New Scientist,Science and Technology News, Nov5, 2005.
(3) Tibi Puiu, How scientists taught monkeys the concept of money. Not long after, the first prostitute monkey appeared, Jul 7, 2011.
(4) Allen St. John, What Monkeys Can Teach You About Money. September-October issue of mental_floss magazine, August 24, 2011.
(5) Amy Dockser Marcus, The Hard Science of Monkey Business, The Wall Street Journal, March 30, 2012.

カーネマンの写真はウィキペディアより


サルでもわかる経済学(1) 古典派経済学

2013年12月02日 00時34分55秒 | 進化生物学
■ゲバラの「人間革命」は可能か

 人間は利己心を捨てられる。マネーすらなくしたい。チェ・ゲバラは「新しい人間」への期待を込めて「人間革命」を提唱した。けれども、果たして人間はマネーを捨てることはできるのだろうか。ゲバラは、自分の生命を守るというセントラル・ドグマが命ずる本能すら無視して他者のために自らの命を投げ出すという究極の利他性を示し得た特殊人間だった。人間は進化をしていけば誰もがゲバラの如き特殊人間になれるのだろうか。それとも、ゲバラは、ランダムな進化の過程において利己的遺伝子が破損した、ある種の特異な突然変異の産物であったのだろうか。もし後者であるとすれば、この突然変異生物が夢描いた「マネーを捨てる」という選択肢も通常の人間―ホモ・サピエンスーという生物種には不可能なのではあるまいか。

 もちろん、実践を抜きにすれば、ゲバラの如き、理想主義を口にすることは容易いし、どの国にもそのような人物は登場する。そして、私どもの祖国、日本にもおいてもその一例を見ることができる。

 極貧に産まれ、学歴もない一青年が苦学して働きながら、ひたすらこの世の中を良くしたいと願い、自分の変わり身としての主人公が活躍する物語を描き、それは、多くの若者の心を魅了する超ベストセラーとなり、社会変革の一大教祖となっていく。欧米の一流の知性からも日本人としては稀なまでの高評価を受ける・・・。

 そう、このパラグラフを読まれた読者が直ぐさま脳裏で想像されたとおり、この人物とは、大正時代のベストセラー作家、「島清」こと、島田清次郎(1899~1930年)に他ならない。

 島清は、犀川下の貧民街、養鶏場の一隅に住み、金で買われる女郎たちの姿をみて育った。そして、1919年に20歳の若さで大作『地上 I~ 地に潜むもの』を上梓。大正時代の象徴的ベストセラーとなる。理想社会主義を掲げて全国をアジテーションして周り、1922年には、欧米をまわる旅に出発し、米国ではクーリッジ大統領と面会し、ロンドンで開かれた第一回国際ペンクラブ大会では初の日本人会員に推され「ON EARTH」の翻訳出版も決定する。

「ああ、自分はどうなっても構わない。願わくば、今ひしひしと身に迫り感じる万人の涙のために戦おう! ああ、自分には万人の悲しい涙にぬれた顔を新しい歓喜をもって輝かすことは出来ないのだろうか。自分の生はそれのみのための生涯であり、自分の使命はそれよりほかにはない! ああ、この大いなる願いが、自分の一命を必要とするならば、自分は死ぬべき時に死にもしよう!」

 この『地上』は今も青空文庫で読むことができる。そして、島田が書いたとおり、自分の生は万人の悲しい涙にぬれた顔を新しい歓喜をもって輝かすことにある。自分の使命はそれよりほかにはないとゲバラは宣言し、この大いなる願いが自分の一命を必要としたことから、死ぬべき時に死んだのだった。けれども、この文章を書いた当人である島田の行為はゲバラとは若干違っていた。

 初版三万部、発売即日完売、重版につぐ重版で巨万の印税が入るようになると、島田の精神はバランスを崩していく。社会改革という高邁な理想を掲げながら、放縦、放恣な生活に堕落し、奔放な女性関係や虚栄、倨傲さから文壇でも孤立する。そして、ファンレターを送る東京府立第三高等女学校生徒、石川県出身の海軍少将舟木錬太郎の令嬢、舟木芳江を半ば強引に誘いだし、婦女子誘拐、監禁・陵辱・強姦を行ったとして告訴される。

 無実である事実が後に判明するが、舟木事件がマスコミに悪意的に取り上げられたことから、島田の作品は全く売れなくなり金銭的にも逼迫する。そして、1924年7月末夜半、巣鴨駅付近で血まみれの浴衣姿で巣鴨署に検束される。警視庁が精神鑑定した結果、「統合失調症」と診断され、保養院に収容され、収容中に結核と栄養失調でわずか31歳で世を去るのである(6)

 島田の人生は悲惨であるというよりも、人間味すら感じさせる。一方で、ゲバラの人生は悲惨であるというよりも、ゲバラがどれほど生物的遺伝子のドグマを逸脱した特殊人間であるかを際立たせている。

【はじめに】

 さて、安田美絵さんが執筆されている「サルでもわかるTPP」という面白いサイトがある。そこで、私も安田さんの名称をパクって、「サルでもわかる経済学」を書いてみたい。英語のサイトではいくつもの文献が出ているものの、「サルでもわかる経済学」についての日本語の情報はまだないようだし、私の個人的な知的好奇心を大いに満足させてくれるからだ。

 古典派経済学はアダム・スミスから始まる。そして、当時イギリスやオーストリア等で登場した「限界効用」学派を受け継ぎ、資本主義経済の現象を数値化して分析する「近代経済学」とマルクスを教祖とする「マルクス経済」とに分かれた(6)。そこで、「サルでもわかる経済学」もアダム・スミスから始めてみよう。

■アダム・スミスの誤り

「ある犬が別の犬と一本の骨をフェアに慎重に交換するのを目にした人は誰もいない」

 アダム・スミスは、こう書いて、マネーは人類だけに属する概念だと確信していた(1)。確かに生物の中には、縄張りや所有権の感覚を持つ種もいる。けれども、取引行為は、ホモ・サピエンスを除いてそれ以外の生物種においては観察されていない。したがって、スミスの想定は一見正しいかのように思える。けれども、この想定が誤りであることが2000年代に入ってから判明する。米国イェール大学の研究者、ローリー・サントス(Laurie Santos,1976年~)教授とキース・チェン(Keith Chen)准教授によって、マネーを使うサルが登場したからだ(3)

■ゲームの始まり

「サルでもわかる経済学」の立役者の一人、サントス教授は、もともとハーバード大学で行動科学の研究者であるマーク・ハウザー(Marc Hauser,1959年~)の下で心理学を専攻し、次にその霊長類行動研究室(primate-behavior lab)で学位論文の研究を行った。サルは数値をどこまで数えることができるのか。落下の物理現象を理解できるかであった。前者は4で、後者は「ない」であった。この研究で彼女は、イェール大学でテニュア・トラックのポストを得ることができた(4)

 教授は、カリブ海のプエルト・リコでフィールド・ワークに従事する。毎日、午前7時にボートで島へ向かい、サルたちが餌を探し、家族の世話をし、様々な社会活動に参加するのを観察して時間を過ごした(5)。「私は人間に魅了されています。そして、サルは、最も純粋な形式の人間に似ています(4)。私たちと同じことに関心がある。そう理解せずには、その姿を見られません」(5)。「文化」という人間のような荷物を手にしていなくても、サルは人間に似ている。そう感じたことから彼女のサルへの関心は深まった(4)

 サントス教授は、ハーバード大学で始めたサルの認識の研究を継続するプランを立て、この研究のためにオマキザルを選び(4)、ジョージア州アトランタのエモリー大学の著名な霊長類学者(2)、フランス・ドゥ・ヴァール(Frans de Waal,1948年~)から、10頭のオマキザルを入手した(4)

 ある日、この実験場の掃除をしていた管理人の一人から、フェリックスという名のグループのボス猿(アルファ・メール)が「天才」であるとの情報がサントスにもたらされる。フェリックスは、食べ物と交換しようと捨てられていたオレンジの皮を渡したのである(4)

 後にサントスとコンビを組むことになるキース・チェン(Keith Chen)准教授は、中国移民の息子で、スタンフォード大学で経済学を学んだ(1)。そして、サルの研究を始めたのは、2000年。ハーバード大学の大学院生のときで(2)、サントス教授と同じくハウザーの研究室で利他的行動を研究することから、サルとかかわることとなっていた(1,4)。サントス教授が研究所で新たな仕事に着手した頃、チェン准教授は、イェール大学のビジネス・スクールで働いていた。2003年の秋、Koffeeと呼ばれる学生溜まり場で二人は出会うとすぐに意気投合しあった。人間の基本的な行動パターンの起源を霊長類に探るという共通の関心を二人とも抱いていたからである。二人は「天才ザル」を使って何ができるのか、ブレーンストーミングを始めた(4)

■マネーを使い始めたサルたち

 オマキザルは、人間の赤ん坊の大きさで、長い尾を持つ新世界サルである(1)。チンパンジーよりも小さいが世話が容易なうえ、ほぼ同じほど賢く、リソースフルで社会的である(4)

「オマキザルの脳は小さく、飯とセックスのことばかり考えています。その食欲は底なしです。マシュマロは一日中与えられますし、吐いてはまた食べるのです」とチェン准教授は言う(3)

 オマキザルは、グループや他のメンバーから慣習や技術を社会的に学習することはない(2)。けれども、この食欲の旺盛さから、二人は、ブドウ、リンゴ、そして、ゼリーの買い方をオマキザルに教えることに成功した(3)。チェン准教授が決めた通貨は、中間に穴があいた直径で1インチ程の銀色のアルミニウムのディスクだった(1)。この「トークン」が交換手段として価値を持ち、翌日にも同じく価値を持ち果物と交換できることをサルたちがマスターするまでには、数カ月の反復トレーニングしかかからなかった(1,2,3)

 2004年の春、オマキザルたちがマネーでの取引の仕方をマスターすると、サルたちはトレーの上で12枚のトークンを受け取った(1,4)。7匹のサルたちは、約20?の広さのメインルームに一緒に暮らしている。そして、実験を行う時には、この家に取りつけられたさらに狭いテストルームに行く(1)。すなわち、サントス教授とチェン准教授によって、サル史上初めての「市場」が開設されたのである(4)

 最初の実験はかなり初歩的なものだった。フェリックスは、二人の研究者のどちらが持つ食べ物もトークンと交換できた。そして、フェリックスは、研究者よりもトークンとの交換によって売ってくれる「財」の方に深く関心を抱いていた。まず、フェリックスは、数個のオレンジを手にした研究者の方に向かう。注意深く観察し、臭いをかいでから、別の研究者のもとに向かい、同じことを行う。そして、最初の研究者のところに戻って、トークンを渡しオレンジと引き換えるのである。フェリックスだけでなく、それ以外のサルたちも慎重な消費者だった。

「こうした姿を目にすれば、サルたちは何を買おうかと熟考しているように思えます」とサントス教授は言う。

 サントス教授とチェン准教授は、最初の目標を達成しただけでなく、歴史を作った。人間だけの領域、サルはマネーを使っていたのだ(4)

■モンキー市場、安売りを始める

 サントス教授もチェン准教授にも、オマキザルにマネーの使い方を教え始めたときには、とりたてて緊急の研究テーマも目標も持っていなかった。ただ、サルにマネーを与え、それで何をするのかを確かめることだけだった(1)。フェリックスの商品の検査力は、それを目にする人を魅了する。

「ですが、マネーの持つ重要な特性は、代替可能で選択ができることです。例えば、コインは、レバーを押すこととは抜本的に違います」とチェン准教授は説明する。

 エコノミストによれば、消費者の合理的な行動を規定するのは、価格に対する関心である。そして、古典派経済学は可能な限り自分の利益を最大化するように行動すると主張する。はたしてオマキザルは合理的な消費者になれるだろうか。

 そこで、研究者たちはモンキー市場で価格操作を始めた。まず、ジェリーとリンゴ一切れをオマキザルに示した。そして、1個の果物に対して1トークンとされていたのだが、ウォルマートで格安セールが行われるように、ジェリーの価格を据え置きにしたまま、1トークンでリンゴは2切れと値下げしたのだ(4)。また、さらに、市場を変えて、少ないブドウと多くのジェリーを買うかどうかを確認するため、今度はジェリーの価格を値下げ(1トークンあたり2のジェリー)した(1,3)。すると、サルたちは、特売品を漁る人のように、より安い商品に群がった(4)。キュウリよりもリンゴの価格を安くしてみると、やはり人間の消費者がするように、今度も値段が安い食品を選んだ(2)

「これは大変なことです。オマキザルは、単なる消費者ではなく、合理的な消費者であることがわかりました。定量的にも定性的にも、その行動は人間のそれと一致したのです」とチェン准教授は言う(4)。値下げをすれば、さらにその商品を買う。すなわち、経済学の表現では、オマキザルは、効用の最大化という理論の規則を厳守したのである(1)

■偽金づくりから窃盗まで

 オマキザルたちは本当にマネーを理解しているのだろうか。キュウリを用いてオマキザルに対して実験を行っていたある日、偶然、研究助手が、キュウリを通常の立方体ではなく、ディスク状にスライスして与えてしまった。その1枚のキュウリは、銀色のトークンととても似ていた。すると一頭のメスのオマキザルがそのスライスを拾いあげてそれ噛み、次には、それでさらに美味しい別の何かが購入できるかどうかを確認するために一人の研究者のところに走りよってきた(1,3)。偽金づくりだ。その後、窃盗事件も発生した(1)

「一頭のサルがトークンをつかむと、まるで、その価値を評価するかのようにそれを抱え込みます。そして、別の猿はそれを奪おうとします。まるでそれが食べ物であるかのようにです。驚くほど、自発的な窃盗の証拠もみられました。お互いからも、そして、私たちからもあらゆる機会でトークンをはぎ取るのです。札片を見せびらかされたときに、人間がそうしたくなるかのようにです」(4)

 サントス教授は、実験中に、トークンが盗み取られることを観察した。さらに、ある一頭のオマキザルが、すべてのトークンのトレーを拾い上げ、メインルームにそれを詰め込み始めた。このため、研究者はメインルームに入って、トークンのために食料を提供しなければならなくなった(1)。通常であれば、オマキザルは、トンネルをくぐって「市場」で研究者とやりとりする(5)。いわば、脱獄と銀行強盗の組み合わせが発生したのだ(1)

■売春の始まり

 このカオス状態の中で、さらにオマキザルが本当にマネーを理解しているとチェン准教授が確信することとなった事態が発生した。マネーの最大の特徴は、食料だけではなく、それ以外の品物やサービスを購入するためにもそれが使えることである。チェン准教授が目撃したものは、ある一頭のメスザルが別のサルとセックスのためにマネーを交換するというサル史上初の売春行為の姿だった。行為を終えた後に、その代償に直ちに支払いを受けたサルは、そのトークンをブドウ購入のために使ったのだった(1,3)。これは、トークンに固有の価値があることをオマキザルたちが理解していることを示唆する(2)

■サルでもわかる経済学の教訓

 オマキザルたちは、自分たちがやっていることがわかっているように見える。マネーの真価もわかっているように見える(2)。こうした実験は、人間の経済行為の多くが、深く進化に根ざすことを示している。けれども、人間とサルとには違いもある。例えば、人間であれば高い価格がついた商品を好む。そこで、同数のトークンで、青い小さなジェリーと赤い大きなジェリーのどちらを選ぶのかの実験をしてみた。もし、オマキザルが人間に似ていれば、青い小さなジェリー、すなわち、「高額商品」を選択するであろう。けれども、サルたちはどちらも腹いっぱい食べたのだった。

「サルはより合理的なのです」とサントス教授は言う(5)

「また、人間とは違って、モンキー市場で目にできなかったひとつは貯蓄でした。サルたちはいつも、すぐさま有り金全部を費やしたのです」(4)

 サルたちは、直ちに現金すべてを費やして、わざわざ貯金はしなかった(1,5)。教授は、意図的にトークンを貯金するサルは一頭もいないと指摘する(1)。とはいえ、キュウリのスライスを用いて、贋金づくりを試みたり、自分が隠匿したものを隠しさえする(2)。可能であれば、トークンを盗み、それを食料のため、時にはセックス用に使う(1)。あらゆる面で、オマキザルは、ホモ・サピエンスと違わないやり方でマネーを使っている(3)。そして、マネーの存在によって、明らかに、サルたちの社会も人間と同じく歪み始めていた。この軌道は、サルではどこまで続いていくのだろうか。サントス教授とチェン准教授は、人間をまごつかせているのと同じ経済上の問題をモンキー市場にも導入してみることにした(4)

【引用文献】
(1) Stephen J. Dubner and Steven D. Levitt, Monkey Business, New York times Magazine, June 5, 2005.
(2) Mark Buchanan, Money and Monkey Business, The New Scientist,Science and Technology News, Nov5, 2005.
(3) Tibi Puiu,How scientists taught monkeys the concept of money. Not long after, the first prostitute monkey appeared, Jul 7, 2011.
(4) Allen St. John, What Monkeys Can Teach You About Money. September-October issue of mental_floss magazine, August 24, 2011.
(5) Amy Dockser Marcus, The Hard Science of Monkey Business, The Wall Street Journal, March 30, 2012.
(6) ウィキペディア
サントス教授の写真は文献(4)より
オマキザルの購入シーンの写真は文献(5)より
チェン准教授の写真はこのサイトより