没落屋

吉田太郎です。没落にこだわっています。世界各地の持続可能な社会への転換の情報を提供しています。

脱原発のためにこそ愛国主義的ナショナリズムを(続)

2012年12月26日 00時59分52秒 | 脱原発

多くの国民が原発推進を選んだという論理

 何か社会運動にも携わるわけでもなく、デモに参加するわけでもなく、さりとてアカデミックに価値ある仕事をしているわけでもない一介のサラリーマンが、本を読んだりネットで知ったことを活字として残したいと思っているのは、ただただ一個の人間として、こんなバカバカしい政治によって内的にも外的にも被曝させられるのはたまらないと生物として感じているからだ。そして、軟弱なサヨの論理によっては、原発を止められないことが明らかとなった以上、ウヨの論理によって原発の是々非々を考えることが必要だと思っている。ということで、本来のテーマからはずれるのだが、ウヨの論理を続けたい。

 国家基本問題研究所の櫻井よしこ理事長は、サヨの脱原発派が完全に敗北した翌日の12月17日に『脱原発を拒絶した国民の選択』という主張を展開されている。原発推進の論理がまことにストレートでわかりやすいので、抜粋してみよう。

『「原発ゼロ」と大書したビールケースに立って選挙を戦った菅直人前首相の敗北は、国民が日本国の進路としてどちらを向いているかを明確に示したものだ。比例区で復活当選を果たしたとはいえ、前首相たるベテランが選挙区で拒絶されたのだ。それは脱原発、対中妥協、反憲法改正路線への峻拒である』

 櫻井理事長はどれほど国民が原発の推進を望んでいるのかを数値をあげて論証してみせる。

『脱原発の民主党は230から57へと結党以来の大幅な議席減となった。「卒原発」の日本未来の党は62から8へと、これまた激減し、「即時原発ゼロ」の共産党も「即時原発稼働ゼロ」の社民党も少ない議席をさらに減らして潰滅状態である』

 そのとおりだ。小選挙区制がいけないとか、はたまた選挙違反すらあったのではないかと脱原発派は必死で訴えているが、この歴然たる歴史的事実の前には、何人も反駁しえないであろう。そして、未来の党の敗北についても鋭い分析を展開する。

『日本未来の党の嘉田由紀子代表は「党の主張を浸透させることができなかった」ゆえの敗北と述べたが、主張の浸透がむしろ更なる議席減につながった可能性もある(略)。原発なしでは日本の産業は立ち行かず、国際競争に立ち遅れ、経済の振興もあり得ず、社会福祉や医療、介護、教育支援などの充実も不可能であることを、国民は認識していたといえる。国家経営の視点を国民は備えていたのであり、その視点を欠いた一連の報道は完全に間違っていたのである』

活断層の罠では脱原発とはならない

 そう、まさに、櫻井理事長のいう「原発なしでは日本の産業は立ち行かない」「国家経営の視点を国民は備えている」という強靭な反駁を受け、軟弱サヨは、自然の脅威、すなわち、地球科学や地球物理の論理からなんとか脱原発を行おうとしている。
例えば、中部大学の武田邦彦教授は、12月23日のブログ『活断層と安全性』で次のように主張されている。

『原発再開に向けてマスコミは盛んに「活断層」の調査について報道をしています。この段階でマスコミが作る「空気」の本質を見破っておかなければなりません(略)。現在、敦賀、東通の原発が報道されていますが、これも作戦の順序に従っています。まずは「活断層がある原発は再開しない」ということで「安全を確保してから原発を再開している」という「実績」をつける予定です。もともと日本の原発の内、敦賀はもう古いし、東通は建設中ですから、止まってもたいしたことはない。とりあえず敦賀は止まることになるから、「真面目にやっている」という形を作るという作戦です』

 同じく、植草一秀氏の12月25日のブログ『知られざる真実』の『「大地震と原発」排除が目的の「活断層と原発」』でこう述べている。

「『原発の活断層調査』が大々的に報道される。『活断層の上の原発はけしからん』との世論が創作される。演出が巧妙なのは、この段階で、『活断層=危険』に反論する役者を登場させることだ(略)。『活断層の上の原発は廃炉』が決定されると、反原発派は拍手喝されてしまう。これが『罠』なのだ。いくつかの原発廃炉を決めたあとで、今度は、活断層の上には立っていない原発を俎上に載せる。『活断層の上の原発はアウト』は『活断層から離れた原発はセーフ』の論理に使われるのだ。つまり、『活断層から離れた原発はセーフ』を導くために『活断層の上の原発はアウト』の実例が時間をかけて構築されている」

 植草氏は「本当は、『大地震と原発』、『大津波と原発』を基準に考えなければならないのだ。こうなると、日本の原発はすべてがアウトになる」と述べている。

 だが、そうだろうか。過去を遡れば、櫻井理事長は、2011年10月20日にも、読売、朝日、日経、産経、月刊WILL12月号、月刊正論12月号で「選ぶべき道は脱原発ではありません」で、いかに日本の原発が優秀であるかを強調している。

「原発事故で大きな岐路に立つ日本。事故は二つのことを教えてくれました。事故が原発管理の杜撰さによる人災だったこと、震源地により近かった東北電力女川原発が生き残ったように、日本の原発技術は優秀だったこと、この二点です。だからこそ、人災を引き起こした『管理』の問題と、震災・津波に耐えた『技術』の成果を明確に分離して考えることが重要です(略)。いま日本がなすべきは、事故を招いた構造的原因を徹底的に究明し、より安全性を向上させた上で原発を維持することです。選ぶべき道は脱原発ではありません」

 どうだろうか。あの東北大地震でさえ、女川原発は生き残ったではないか。この櫻井理事長の論理の前には、「日本の原発はすべてがアウトになる」という論理は到底通用しない。やはりサヨは負けているのだ。

 新ベンチャー革命の2010年3月29日のブログ『米国が日本の原子力技術開発を黙認してきたのはなぜか』も日本の原発がいかに地震に強いかを強調している。

「2007年、新潟中越地震が勃発しました。東京電力柏崎原発の原子炉格納容器は設計外力の2~3倍もの加速度を受けたのに、まったく放射能の大量漏れが起きなかった(略)。日本人のものづくり能力の凄さに驚嘆したはずです」

 同ブログによれば、日本の原子力技術はビル・ゲイツからも一目置かれているという。 素晴らしい。私たち日本人は米国からも一目を置かれるだけの技術力を持っているのだ。そのことは誇りに持っていい。胸をはっていい。

原発技術の優秀性に誇りを持とう

 だが、ここで疑問が産まれる。戦後日本に原発を普及させたのは、CIAの対日秘密工作員であった正力松太郎氏である。だが、それほど日本の原発が優秀だとするならば、なぜ、それほど優秀な原発を創ることが戦後日本に可能になったのか、という疑問だ。このブログはさらにそこを掘り下げる。

「当初、米国CIAは、日本に原子力発電技術を導入することに難色を示していたようです。当然です、米国にとって日本が核大国になる危険があったからです(略)。日本に原子力技術を供与すれば、原爆で仕返ししてくる危険があったはずです」

「原子力発電技術と核兵器技術はともに、核物質を連鎖反応させ、巨大なエネルギーを生成させる物理学的技術ですから、高度の原子力発電技術を有する日本は核兵器製造が十分可能です。東芝など日本の原子力プラント・メーカーの潜在能力は、米国の仮想敵国、イラク、イラン、北朝鮮の比ではありません」

原発は日本最大の軍事的脅威である

 セックスとスクリーンとスポーツによって日本人をパープリンとし、巨悪の軍閥や関東軍といったイメージを通じた洗脳活動によって、絶対に米国には逆らわないよう愛国心を骨抜きにし、日本民族の世論を「親米保守」へとチェンジさせることに成功したとはいえ、最悪の事態を想定するのが米国である。同ブログでは米国は日本を完全に骨抜きにしたとは考えてはいない。そして、潜在的に敵国として日本恐れているという。

 となると、再び疑問が産まれる。なぜ、戦後日本は原子力技術の導入を彼らから黙認され、現在、原子力プラント技術で世界トップに立っているのだろうか。それは、東西冷戦が起きたからだろうか。

「その疑問に対する筆者の仮説、それは、敵国の原子力プラントは、軍事戦略上、絶好の攻撃目標になり得るからです(略)。米国にとって、日本が敵国となれば、日本全国に立地する原子力プラントを集中攻撃すれば、日本を簡単に全滅させることができます(略)。もし、日本が米国に逆らったら、即、全滅させられるわけです(略)。原子力関連施設は、全滅させたい仮想敵国を先制攻撃する絶好の口実になると同時に、敵国瞬時全滅の効果的な攻撃目標にもなるのです」

栗林精神に帰れ

 ああっ、やはりそうだったのか。となれば、櫻井理事長の主張は支離滅裂だし、頭がトチ狂っているとしか思えない。ウヨの論理、軍事防衛力の観点からすれば、原発は我が国の最大の弱点ではないか。

 では、あの強大な米国すらも畏怖させた日本人の底力とは何か。それは、松代出身の栗林忠道師団長の戦闘にある。

 師団長の強力なリーダーシップの下、硫黄島では、玉砕したとはいえ、米軍に対して我が軍を上回る死傷をせしめた。師団長は、万歳突撃を禁じ、自ら起草した『敢闘ノ誓』を硫黄島守備隊全員に配布し、戦闘方針を徹底するとともに士気の維持にも努めたのだ。

一 我等ハ全力ヲ奮テ本島ヲ守リ抜カン
一 我等ハ爆薬ヲ抱イテ敵戦車ニブツカリ之ヲ粉砕セン
一 我等ハ挺進敵中ニ斬込ミ敵ヲ皆殺シニセン
一 我等ハ敵十人ヲ斃サザレバ死ストモ死セズ
一 我等ハ最後ノ一人トナルモ「ゲリラ」ニ依ツテ敵ヲ悩マサン

 爆弾を抱え我が身をもって敵戦車を破壊せよ。10人の敵を殺すまでは死ぬな。最後の一人となってもゲリラとして抵抗せよ。これこそが、広島・長崎に原爆を投下せざるをえないほど、米軍を畏怖させたひとつとなった。

 ウヨの論理を繰り返す。天皇陛下のために我が身をささげ、肉弾をもって「散華」できるのが我が大和民族である。我が旧軍が産み出した回天、桜花、剣等の特攻兵器をみるがいい。米国流の近代的な表現をすれば、すべてが狂信的自爆テロリスト集団となるであろう。そのDNAは脈々と我が民族に継承されている。これこそが、ウヨだ。このウヨの精神を評価するかは別としても、ウヨの論理からすれば、軍事的に危険な原発は必然的に無用の長物なのである。


脱原発のためにこそ愛国主義的ナショナリズムを

2012年12月23日 01時01分14秒 | ロシア


日本には100基の原発が必要だ

 いよいよ安倍新政権が発足する。原発の再稼働はもちろん、新規増設の可能性も出てきた。軟弱サヨは山口県の『祝島』には、贈与の経済があるだの、「ディーセントな社会理念」が必要だのとうだうだと訴えてきたが、今回の衆院選挙においてこの論理は吹っ飛んだ。自民党が圧倒的多数の国民の支持を得て政権政党となったのである。

 見るがいい。

 本日のNHKスペシャル、『どうするニッポン新政権に問う』においても、石破茂自由民主党幹事長は、原発の新規増設や再稼働について疑問を呈する香山リカ氏に対して「我々は選挙においても嘘は言わず原発の稼働についても国民に訴えた。そして、勝利をおさめた。一方、脱原発を掲げた某党は敗北したではないか」と力強く訴えていた。これほど左様に今回選挙における脱原発派の敗北は大きい。

 ネット上で原発再稼働を切望するウヨのサイトを調べてみると、例えば、「大日本赤誠会愛知県本部ブログ版・自衛隊が目覚めて真の軍隊たらんとするときこそ、日本が目覚めるときだ!!」は12月22日付けの記事『計画段階の原発9基・安倍政権で容認の可能性も、いやいや、原発100基稼働で安定供給です』で「1時間か2時間地層を見て『はい、活断層です』なんて言っている学者の戯言を信じるのですか?。自分の金儲けの材料ぐらいにしか思っていない再生エネルギー推進派の顔ぶれを思い浮かべてみてください。日本の工業力からして原発100基体制で国内の隅々まで安全で環境に優しく格安で安定した電力を供給することが求められています」と書いてある。

 私は隠れ脱原発派なのだが、こうした主張を「たわごとだ」と無視してはいけない。これがウヨの論理だ。こうした国民の見解が積りつもって脱原発派は敗北した。なればこそ、今こそウヨとナショナリズムの論理で脱原発を構築していくしかないと考えている。

霧のキスカ

 ということで、我が大日本帝国旧海軍の栄光の話から始めたい。我が海軍は圧倒的物量を誇る米国に苦しめられ、各戦線で玉砕を強いられたが、唯一米国の鼻を明かした作戦計画がある。同島を包囲していた米軍艦隊に全く気づかれることなく、全軍が無傷で撤収に成功した昭和18年7月29日に行われた『キスカ島撤退作戦』である。1965年には司令長官木村昌福少将を三船敏郎が演じ、『太平洋奇跡の作戦キスカ』として東宝が映画化もした。勇ましい團伊玖磨作曲のテーマソング「キスカ・マーチ」の我が陸上自衛隊中央音楽隊による演奏はここで聞くことができる。

 8月15日に米軍は約34,000名をもってキスカ島に上陸するしたが、存在しない我が軍との戦闘に極度に緊張して上陸したため、各所で同士討ちが発生。死者約100名、負傷者数十名を出した。おまけに、我が軍には余裕もあり軍医の悪戯で『ペスト患者収容所』と書かれた立て看板を兵舎前に残したため、米軍は一時パニック状態に陥って、緊急に本国に大量のペスト用ワクチンを発注したという(1)。なんと、痛快ではないか。

 司馬遼太郎氏も「鎌倉とキスカ島」と題して木村少将について書いている。最後のくだりが泣ける。

「アッツ島はすべての人達が死に、キスカ島のほうは全員が救助された。かれらをのせた艦がアッツ島沖を通ったとき、島からバンザイの声が湧くのをきいたという人が、何人かいた。私は、魑魅魍魎談を好まないが、この話ばかりは信じたい」(P346)

 ううっ。思わず我が英霊に涙がこぼれる。。。。。

 とはいえ、情に流されてはいけない。木村少将はインパールの牟田口廉也中将のように必勝の信念だけを胸に猪突猛進するタイプの人物ではなかった。飛行機とレーダーを備えた米軍の包囲網を突破するには濃霧という自然の利を生かすしかない。一回目の突入時には霧が晴れる危険性があった。艦隊は強力な米軍に袋叩きに会う。

 木村少将は「帰れば、また来られるからな」と言い残し撤退した。手ぶらで根拠地に帰ってきた木村への批判は凄まじく、第5艦隊司令部、連合艦隊司令部、さらには大本営から「何故、突入しなかった」、「今すぐ作戦を再開しキスカ湾へ突入せよ」と轟々たる非難を浴びたという。だが、木村は九州帝大卒の気象士官橋本恭一少尉の気象予報をなによりも重視した(1)。東宝映画では福本少尉の名で故児玉清が演じている。備蓄石油も乏しい。行けばなんとかなるだろう等という日本的な空気には流されなかった。科学的であったのだ。

北方領土回復のために自然エネルギーでの自立を邪魔しよう

 さて、キスカの映画を持ちだしたのは、木村艦隊の基地として、幌筵(ほろむしろ)島が登場することである。千島列島の北東部にある島で、ほとんどのいまの日本人間では名前すらあがらない島で1945年に日本が降伏したことで、ソ連軍が占領。その後、ロシアが実効支配している。だが、敗戦前には我が大日本帝国の領土はこんな北方まで及んでいたのだ。

 ウヨ的な立場に立つならば、竹島や尖閣諸島はもちろん、北方の島々にも我が國威を及ぼし領土を回復していかなければならない。

 ここで、軟弱サヨ、辻元清美衆議院議員から「疑惑のデパート」「疑惑の総合商社」と批判された鈴木宗男氏が登場する。前出のブログは「ロシアの天然ガスを持ち出す鈴木宗男のようにまともな日本人が一人でも関わっていますか?」と批判しているが、鈴木宗男氏は実にしたたかだ。

 鈴木宗男氏は、北方四島の返還を求めるにあたり、ロシアに恩を売ることから始め、実際にディーゼル発電を建設の援助をすることで、北方四島の住民から感謝されるのだが、地熱発電という自然エネルギーでは駄目だと言う。地熱発電技術を援助すれば自然に優しいが、それではロシアがエネルギー自立出来てしまう。だが、ディーゼルならば、北方四島住民の日本への依存度が高められる。有事の場合にディーゼルを遮断すると言えば、ロシアは困る。それは、日本が天然ガスというエネルギーを輸入する上でも武器になる。

 鈴木宗男氏個人は、土着的社民主義の政治家で、田中角栄氏と同じく愛国的でありながら平和主義路線で最も戦争を忌避する人物である。だが、同時に援助の裏にはこうしたしたたかな計算がある(3)

 この鈴木氏のアイデアのくだりを読んで、ふと、キューバのことを思い出した。

憲法改正への反発の中での外交戦略

 キューバは米国から経済封鎖されているため、石油大国ベネズエラからの石油がエネルギー確保の生命線のひとつとなっている。キューバはこの石油を確保する見返りとして膨大な医療援助を行っている。

 癌が再発したチャベス大統領がキューバで治療を受けていることから、両国の蜜月関係が深いことはよくわかるのだが、チャベス政権といえども永遠ではない。2009年1月14日に憲法改正案が国会を通過し、2月15日に大統領の無制限再選を認める憲法改正案の国民投票が再び行われ、賛成多数で憲法改正が承認されたことから、チャベスの無制限再選が可能となったのだが、それ以前の2008年11月に実施された地方選では、憲法改正に対する反発が強く、首都・カラカスを中心に野党勢力が躍進し、チャベスの翳りが見られるようになっていた(4)。憲法改正が通らなければ、チャベスの権力も危うかったのだ。そんな2008年にハバナで出会った毎日新聞の庭田学記者から聞いたエピソードを披露してみよう。

「ベネズエラのチャベス大統領は強権政治もあって人気に翳りもでてきたし、もしかしたら危ないかもしれません。ですが、ならば、なおのこそ今のうちとばかりキューバはどんどん医師を増やそうとしているのです」

「ほう。ですが、チャベスが倒れたら善意の援助も無駄になるのではないですか」

「いや逆です。今から医療の援助漬けにしておけば、たとえチャベスが倒れたとしても、ポスト政権に対しても人々は『前政権のときは貧しい村までキューバの医師が来たのに。今はどうだ。早く交渉して寄こせ』と批判を浴びせるでしょう。そして、キューバ側は『今度はチャベス政権ではないのだから、もっと高いお金を出さなければ行かないよ』とも言えるのです」

 あーっ。純粋サヨ、ゲバラの精神に立脚した人道主義的な援助ではなかったのか。

「いや、人道的援助ではあるのです。ですが、単なるお人よしではない。実にしたたかです。カリブのユダヤ人といわれるだけのことはあります。いや、それだけの戦略があるからこそ、米国と対峙して半世紀も生き残ってきたとも言えます」(5)

 鈴木宗男氏の戦略と同じではないか。エネルギー確保は、純粋サヨの地球に優しいや純粋ウヨの必勝の信念だけでは、難しい。愛国主義的ナショナリズム戦略の必要性が必要なわけもそこにある。

【引用文献】
(1)ウィキペディア・キスカ島撤退
(2)司馬遼太郎『街道をゆく42三浦半島記』(1996)朝日新聞社
(3)鈴木 宗男・魚住昭・佐藤優『鈴木宗男が考える日本』(2012)洋泉社新書
(4)ウィキペディア・ウゴ・チャベス
(4)2008年5月筆者インタビュー


インカの目覚め(1)~中世化する国家

2012年12月19日 22時30分23秒 | ボリビア


危険性を増す地震列島

 ダンディ・ハリマオ氏のカレイド・スコープの12月18日の記事「琵琶湖周辺で大きな地震の準備がされている」を読むと、活動期に入った弧状列島において、原発を稼働することがいかに危険かがわかる。一部引用してみよう。

「非常に不気味なのは、新潟・神戸歪集中帯の広いゾーンではなく、この帯状の中心線上で、この数年、多くの地震が起こっており、琵琶湖の高島沖の湖底、遠く離れた兵庫県猪名川町にある井戸も、この線上にぴったり乗っていることです。そして、福井県の高浜原発、大飯原発から約50km、敦賀原発、美浜原発、もんじゅ、ふげんからは約30kmしか離れていないということです(略)。これらの原発のうち、稼動しているのは大飯原発の3号機、4号機だけです(略)。その他の原発は停止してはいるものの、活断層の真上にある敦賀原発は、欠陥原子炉と言われている改良前のマークⅠ型原子炉です(略)。また、停止しているとはいっても、核廃棄物の行き場がなく、使用済み燃料プールには使用済み燃料がぎっしり詰まっているはずですから、電源喪失したときには破滅的な事態に至るでしょう(略)。何よりも心配なのが、新潟-神戸の歪みベルト地帯で起こる地震が、プレート型地震ではなく、内陸直下型地震であるということです(略)。福島第一原発とは違った形の放射能災害が起こるのです。それは断層がずれる-「原子炉本体が壊れ、すぐに放射性物質が放出されるので逃げる時間がほとんどない」ということです(略)。その後で、使用済み燃料プールが冷却できずに放射能火災を起こすのです」

粉砕された脱原発諸派

 にもかかわらず、今回の選挙によって、明確に反原発を掲げた派諸政党は見事に砕け散った。共産党は9議席が8議席と1議席減にとどまったが、日本未来の党は選挙前の62議席がわずか9議席となり、「廃炉こそ新しい公共事業」と唱えた新党日本は消え去り、新党大地も3議席から1議席となった。

 個々に見ても反原発を唱えて民主党を離脱した平智之氏は議席を失い、山本太郎氏は石原伸晃氏に敗れた。また、「泊原発再稼働に反対します。日本の脱原発はロシアから北海道に天然ガスのパイプラインを引けば可能です。パイプラインを引けば、北海道にLNG関連産業を誘致出来ます。ロシアとの友好でこれは短期的に可能であり、私自身すぐにでもロシアとこの交渉を進めることが出来ます」とユニークな代替え政策を提唱していた苫米地英人氏も議席を確保できなかった。あのフィデル・カストロ・ジュニアと対談すらしているというのにだ。

 僅差が増幅される複雑系のシステム効果を持つ小選挙区制の特徴をさておいても、「憲法9条を守りさえば平和は守れる」という戦後護憲左翼の主張は、今回の選挙で大きく後退した。わずか比例代表で1議席、小選挙区では沖縄で1議席しか確保できなかった社民党の凋落ひとつとってもそれがわかる。沖縄には「ぬちどうたから(命こそが宝)」という言葉がある。第二次世界大戦で多くの住民が亡くなった経験から得た貴重な言葉だという。だが、このメッセージは本土には届かなかった。

37年ぶりの圧倒的都民の信託

 未来、共産、社民が支持し、格差是正を訴えた宇都宮健児氏も猪瀬直樹氏に完敗した。なおかつ、猪瀬氏は、433万8936票という都知事選史上最多の都民の支持を受け、あの美濃部スマイルで鳴らした美濃部亮吉氏の361万5299票(1971年)を遥かに凌駕した。1975年の都知事選では、美濃部氏は268万8566票を得て、新人、石原慎太郎氏の挑戦をなんとか退けるが、その差はわずか35万2207票でしかなかった。だが、今回は違う。猪瀬氏は挑戦者、宇都宮健児氏の 96万8960票に対して、 336万9976票と10倍もの差をつけたのだ。

 「未来ら脱原発諸派の敗北は無党派層が選挙に行かなかったからだ」という主張がある。たしかに全国的に見れば投票率は59.32%と戦後最低ではあった。急に解散を決め込んだ首相が悪いという説もある。だが、石原元都知事の突然の辞任で、いきなり選挙を行うこととなった意味では東京都も同じだった。そして、都知事選の投票率は62.60%もあった。都知事選で60%を越す投票がなされたのは、実にあの美濃部氏と石原氏の大バトルが繰り広げられた1975年以来のことだ。それだけ、都民の関心が高かった、と言えるだろう。

 1991年には剛腕でならす自民党幹事長が4選をめざす鈴木都知事を推薦せずに対立候補を擁立した。鈴木シンパの粕谷茂氏ら自民党東京都連は、中央の一方的な決定に猛反発し「東京の知事は我々東京の人間が決めるんです。岩手県かどっかから出てきたような(小沢一郎自民党幹事長)に決められたんじゃ困る」と名セリフを残し、鈴木都知事を勝利に導いた。故郷がないかのように思われがちな都民も珍しくパトリアティズム(郷土愛)に燃えたのだ。だが、この時の投票率も52%弱にすぎず、鈴木俊一氏が得たのは229万2846票と今回の猪瀬新知事の半分でしかない。

 なんという完璧な勝利であろう。37年ぶりの6割を越す都民の強い関心を得て、なおかつ、圧倒的な勝利を収めたのだ。都知事選を見る限り、「いのちは大切」というメッセージよりも、高まる中国や韓国(我が日本の象徴たる天皇陛下に無礼を働いた反日的な李明博元大統領を継承する保守系の与党・セヌリ党の朴槿恵が勝利したではないか!)・北朝鮮の脅威に対して強くナショナリズムを訴えた石原氏の主張の方が強く都民の琴線に響いたということがわかる。

国防上の核シュミレーションと脱原発の必要性

 となれば、ウヨの論理から原発のあり方を考えるしかない。「キューバはサヨで愛に溢れているから子どもたちを大切するために脱原発したの」などという軟弱サヨの賞味期限が切れた、あきられちゃった論理は打ち捨てて、原発のあるべき論を考え、前進していかなけばならない。

 ウヨとなれば石原慎太郎氏であろう。氏は2012年12月12日のNEWSポストセブンの記事、「核武装論者と叩かれても核保有の想定すべき」で、櫻井よしこ氏の「中国の存在が現実の脅威として迫る中で、国を守るためには物理的な「力」が必要です。海軍力を中心に軍事力を増強するのはもちろんのこと、私は核保有の議論もタブー視すべきではないと思っています」との発言に対して「日本は核についてちょっと何か言うと核武装論者だと叩かれる。でも、最低限、核保有のシミュレーションはやるべきだと思う」と語っている。

 ナショナリストとして、筆者はまったく同感だ。もし、中国や北朝鮮、韓国の反日の脅威が迫っているとするならば、「9条さえ守っていれば日本は攻撃されない」という純情サヨの世間知らずの幻想を打ち捨て、まさに核攻撃された場合のシミュレーションを行い、直ちにこの日本の弱点を抹消すべきなのだ。

 で、鈴木傾城氏のブログ、Darknessの2012年12月10日の記事「列島を取り囲む原発。通常兵器で攻撃されても日本は壊滅する」を是非読んでいただきたい。これは極めて示唆的なリポートである。

「原発がテロの標的になったらどうなるだろうか。その時点で日本は核爆弾が落とされたのと同じになる。通常兵器で原発を狙われても、それで『核ミサイルを撃ち込まれたのと同じ』事態になる(略)。狭い日本を取り囲むように、四国にも九州にも北海道にも、あたかも日本全土、どこでも標的にできるかのようにそれは建っている(略)。あたかも、日本中どこに逃げても、日本人が安心できないように、わざと散りばめたかのようだ」

氏は続ける。

「本当に日本の国防を考えるのであれば、むやみやたらに原発を作るのは逆に致命傷になる(略)。右派の人間は、『原発は核兵器に転用できる』『核兵器の保有が国家防衛になる』と考える(略)。だが、本当に日本の国防を考えるのであれば順番があって、(1)国防上の弱点となる原発を一刻も早く廃止し、(2)自衛隊をきちんと日本国軍に昇格させ、(3)通常兵器を増やし、(4)売国政治家を排除する、というのが本筋だ」

 ほぼ同じことをユニークな思想家、笠井潔氏も『8・15と3・11 戦後史の死角』(2012)NHK出版新書で指摘し、歴史的に見れば冷戦以降、原発を持つことは無意味でありむしろ最大の脅威であると分析する。

「潜在的核保有の論理がリアリティをもてたのは冷戦期にすぎない(P156)。だが、9・11を契機としてテロと戦争が区別できない世界内戦へと突入した(P136)。北朝鮮の旧式のミグ戦闘機による自爆攻撃ひとつを考えても、日本全国の海岸に軒を連ねる原発は最大の軍事的脅威となっている(P157)。ソ連崩壊以降の世界構造の変化を的確に捉えれば、潜在的核保有の国策は放棄され、原子力ムラは解体されるであろう(P156)。だが、日本の支配層は、父ブッシュの国際新秩序構想、湾岸戦争の意味、9・11テロの意味を理解できていない(P133)。日本イデオロギーは歴史意識が欠如しているため、最悪の事態を想定して準備することが原理的にできない(P132)」

 ウヨとして著名な小林よしのり氏も『ゴーマニズム宣言・脱原発論』(2012)小学館でP296~300で次のように描いている。

「原発が核兵器に準ずるものだとしても、それは敵国を威嚇、攻撃するためのものには全然なっていない。実態は自国に甚大な被害を及ぼしかねない『潜在的自爆核兵器』とも呼ぶべき存在である」(略)「日本では原発の警備を非武装の民間警備会社が担当するという牧歌的な状況だった」(略)「テロリストが電源設備や取水ポンプなど、原発の冷却系統を破壊してしまえば、もうオシマイである。つまり、原発があるからこそ安全保障が脅かされているのである」(略)「世界中に原発が存在する現状では日本はわざわざ核武装する必要すらないとも言える。敵国の原発を破壊すれば、核攻撃と同等の被害を与えることができるではないか!」(略)「安全保障を考えるなら、日本は脱原発をし、一方で敵国の原発を攻撃する能力を備えればよいのである」

 小林よしのり氏の後半の主張「安全保障を考えるなら、日本は脱原発をし、一方で敵国の原発を攻撃する能力を備えればよいのである」という発言には、純粋サヨは眉をひそめるだろう。だが、リアリティがある。

核兵器よりもソフトな兵器の怖さ

 例えば、佐藤優氏は『国家と神とマルクス』(2007)太陽企画出版で、このように指摘する。

「東西冷戦が終わった以上、親米保守が成立する基盤はなく、日本の保守は親日保守しかありえない(P132)」

 そして、米国が我が旧帝国陸軍の秘密兵器をいかに恐れ、嘘の物語を作ったかについてこう語る。

「風船爆弾は1000個近くが米国に着いており、生物・化学兵器が付いていれば大変な危害が及ぶことから、米国はこれを恐れ、2個しかないとした(P130)」

 風船爆弾とは、「ふ号兵器」との秘匿名称で呼ばれ、史上初めて大陸間を跨いで使用された兵器である。ただ和紙とコンニャク糊で作った気球に水素を詰め、あとは、大気高層のジェット気流、すなわち、地球の恵みだけで米国本土を攻撃できるまことにエコロジー的な兵器である(1)。現時点ではリアリティはないだろうが、戦前の我が陸海軍の発想が大和やゼロ戦というハード路線だけではなかったことを知るうえで手掛かりにはなる。

 ということでソフト路線の論理を掘り下げてみよう。

 佐藤優氏は陸軍中野学校ができた経緯をこう説明する。

「初代校長、秋草俊は対ロ情報の神と言われていたが、1930年代にソ連にNKVD(内務人民委員部)ができてから、インテリジェンス活動ができなくなった。そこで、秋草は陸軍学校を創設した。日本陸軍は、諜報、防諜、宣伝、謀略からなるインテリジェンスを『秘密戦』と呼んだが、よい熟語だ(略)。そして、拓殖大学はインテリジェンスのプロ要請のための教育機関として大川周明が深くかかわっていた(P115)」

 ここで、いささか話を脱線させる。

 日本人と東洋人とは区別が付かない。日本人が中国人である、韓国人であると自称してもわからないし、逆も真だ。陸軍士官学校出身の作家、山中峯太郎の名著『亜細亜の曙』(1932)では、中国人に化けた主人公の剣侠児・本郷義昭が敵国米国の秘密装置によって頭脳の優秀性を検査され、中国人にはありえない頭脳の明晰さから日本人である正体が暴露されてしまうという、笑えるシーンが登場するのだが、現実には無理だ。

 例えば、元参議院議員、山口淑子氏は、戦前には李香蘭(Lǐ Xiānglán)の芸名で、満洲映畫協會の専属女優として日本映画に多く出演し人気を得ていた。そして、戦中には中国人記者から「あの映画は中国を理解していないどころか、侮辱してます。なぜあのような日本映画に出演したのですか。中国人としての誇りをどこに捨てたのですか」と問われている。そして、終戦後には祖国を裏切った売国奴(漢奸)として軍事裁判にかけられた。誰も山口氏を日本人とは見抜けなかったのだ。この死刑を救ったのが、奉天時代の幼なじみのロシア人、リューバである。リューバの働きで日本国籍が証明され、国外追放処分となったのだ(1)。戦前の日本人の国際性の潜在力をうかがわせる物語だ。

 私が何が言いたいかわかるだろうか。小林よしのり氏が「一方で敵国の原発を攻撃する能力を備えればよいのである」というようなアイデアは、とっくに敵国が思いついているということだ。山口淑子氏が中国人に化けていた如く、流暢な日本語を話し、日本文化にも精通して日本人になりすましている某国のテロリストが国内の諸原発に技術者として勤務していて、有事の場合に電源喪失を引き起こせば、ミサイルを撃ち込まれなくても日本は核攻撃を受けたのと同じ大打撃を受けるということだ。そんなことは被害妄想だと思われるかもしれない。だが、ヤクザを通じて純正愛国日本人作業員が確保できなくなれば、経費節減のため、平気で外国人労働者に原発の運営作業をまかせかねないこの国のことだ。これほど危険極まりないことはない。国防は経済性で図ってはならない。となれば、どれほど、原発が「低コスト」であったとしても、国防の論理からすれば、より軍事的防衛力の高い電力にシフトしなければならないではないか。

民兵によるゲリラ戦で米国と対峙するキューバ

 軍事の話を続ける。

 拙著「200万都市が有機野菜で自給できるわけ」(2002)築地書館の『コラム地方分権と軍』(P313~314)では、こう書いたことがある。

「キューバの(地方分権化に向けた改革)には、軍が深く関係している。キューバの改革は1984年の米国のグレナダ侵攻後から国防体制の見直しという形でスタートしている(略)。キューバは米国の軍事的侵攻の可能性がきわめて高いものとして深刻に受け止めざるを得なかった。そして、ソ連や東欧のように国民のごく一部の正規軍だけに依存した国防体制ではとうてい国は守りきれないという結論に達する(略)。キューバは四方を海に囲まれた島国である。四方八方から攻め込まれたらとうてい守りきれない。ならば、どこに上陸されても民兵を中心にゲリラ戦を展開するという気概を見せたのである(略)。300万の民兵が組織化され、米国が侵攻した場合には、どの場所でも戦闘が行えるよう、工場、農場、大学など全土にわたって武器を配備した(略)。そして、こういう分権的な自衛団が作られた結果、その後各地を襲ったハリケーンなどの災害でも市民が自発的に自衛活動を行い、被害を最小限を抑えるということにつながった」
 
 共著「防災大国キューバに世界が注目するわけ」(2011)築地書館に登場してもらった、大学で防災学の教鞭を取るエベリオ・ラミレス・キンデラン教授の発言もこれに呼応して次のようなものとなっている。

「今も危機的状況(米国の軍事侵攻)にさらされているため、48時間では200万人、72時間では700万人の民兵を動員できる制度を整えています。例え米国が勝っても大きな犠牲がでる。キューバが米国から侵略されずにきたのは、そのためです」(P45~46)

国防としての脱原発と送電分離のレジリアンス

 キューバは2006年にエネルギー革命に取組み、大規模火力発電所から、小規模分散型の発電所によるエネルギー分散化政策に着手した。共著「防災大国キューバに世界が注目するわけ」のコラム3『エネルギー革命宣言』では、キューバが脱原発をしたことについてもふれた。フィデル・カストロは、2006年5月のメーデーでこう述べている。

「もし、今、キューバによってなされている努力が、世界のそれ以外のすべての国においても模倣されるならば、新たな原発建設に15年のモラトリアムが宣言できよう。何も我々を止められない。祖国か死か、我々は勝利する!」(P232)

 だが、このフィデルの脱原発とエネルギー分散化の背景には、単に経済的効率性やハリケーン被害からの復旧力を高めるという現実的な選択肢だけではなく、国防上の配慮があったのではないだろうか、ともかんぐりたくなる。それというのも、キューバで自然エネルギーの開発普及に取り組むNGO、クーバ・ソラールのルイス・べリス(Luis Bérriz)代表は、2006年から始まったキューバの「エネルギー革命」のひとつの柱として、全域に多数の発電所を設置する「分散型の発電」の国防上のメリットをあげているからだ。

「別のメリットは戦争にあります。キューバの長年の敵、米国は、以前には6個か7個の爆撃で、国家送電システムを殺すことができたでしょう。ですが、もうそうではありません。我々には数千もの発電所があります。(発電システムを麻痺させるために彼らは)何千もの爆弾を送らなければならないのです」(2)

 そう。観念的な言葉遊びとしてのナショナリズムではなく、本気で世界最大の軍事帝国と対峙するキューバは、国土が爆撃されることを想定したうえで、エネルギーの分散化を図っているのだ。そこには、今回の選挙で完敗した未来や共産、民主といった軟弱サヨの「いのちは大切なのー」などという生易しい路線はない。自然エネルギーNGOといっても、軍事上の国防がタブー視されるどころか、優先されているのだ。

 平時でこそ「子どもたちは幸せになるために産まれてくる」というスローガンを抱えているキューバだ。だが、それはキューバの一面にすぎない。同時に国家総動員体制を整え、有事には1100万国民のうち64%の700万人が命を落としたとしても、社会主義キューバの国家システム、すなわち、「國体」を護持する気概を見せている。まさに「國体」を護持するためには、1100万国民が玉砕してでも米国と刺し違えるという覚悟が常にあるのだ。そして、その上でのエネルギー分散化、レジリアンス強化なのだ。これこそ、京都大学の藤井聡教授の国土強靭化をさらに進めた国家非常時強靭化計画なのではあるまいか。

 そして、ラテンアメリカには、3・11以降、原発推進計画を白紙に戻し、ラテンアメリカ全土に脱原発を呼び掛けているフィデルとは別の大統領がいる。もちろん、サヨだが、軟弱サヨではなく、反米主義を掲げ真っ向から超大国米国に対峙している超ナショナリストである(続)。

【引用文献】
(1) ウィキペディア
(2) Daniela Estrada, "Energy is an Instrument of Power", Inter Press Service, Dec 13 , 2009.


中世化する世界~ロシアから愛を込めて(11)

2012年12月06日 00時55分15秒 | ロシア

小規模農業の強さ~市場価格が低下すれば、産出量が増える 

 では、チャヤーノフの言う小規模農民の経済論理は、資本主義経済の論理とどこが違うのであろうか。考えてみよう。まず、小規模の農民の「家族農場」においては労働に賃金が伴わない。基本的にタダだ(1,2)。だから、どれほど残業しても経費は増えない。もし、コストが測定されるとしても、くたびれる仕事が困難だと主観的に感じられるだけであろう(2)。このことを受け、新古典派のエコノミストたちは、家族農家は、雇用者であり、かつ、同時に労働者とも見なすべきだと主張した。だが、チャヤーノフは、こうした理論は「フィクション」だと述べる。賃金が欠落している以上、新古典派経済学の枠組みによる分析そのものが崩れているとみなす(1)

 そして、チャヤーノフは、ここから小規模農民の経済的メリットを見出した。エコロジー的に持続性があるだけでなく(1)、資本主義がかなり発展した経済においても、小規模農民がサバイバルできることを理論化してみせた(2)。例えば、農民が必需品を得るために収穫物の一部を売却したり、納税のために金銭を必要とするケースを想定してみてほしい。農作物の価格が下落すれば収入は下がる。同じ所得を稼ぐには消費を削減するかさらに増産するしかない。資本主義の論理からすれば、農業経営上で損失が出ることになり、労働者に賃金を払った後でも利潤をあげなければならないビジネスには明らかに不利だ。だが、小規模農民は違う。チャヤーノフは、資本主義経済の基準からは逸脱した行為を行なうことで、農民はこうした問題に対処できると指摘する(2)。例えば、価格が低下し、経営が悪化しても農民たちは、労働集約化を強化することで資本不足をカバーし、さらに生産するであろう(1,2)

 経済史家のダニエル・ターナー(Daniel Thorner)はこう説明する。

「資本主義的農場が破産する条件下においても、小規模農民はより長時間働き、より低価格で販売できる。年々、純剰余金を得ずになんとか農場を管理運営していける」

 小規模農民は独立していて、自分の農場の経済活動を自己責任で管理しているから(1)、チャヤーノフが言う自己搾取率を高めることによって、困難な経済事情の中でも生き残れる(2)。ある条件下では、賃金労働者を用いる資本主義農場が不利益となるレベルまで農産物価格をコストダウンさせ、ビジネスから追い出すことにすら成功する(1,2)

 もちろん、これは、納税や地代がそれを可能とする条件下という留保付きではある。植民地下の南東アジアの数カ所では、農産物価格があまりに安すぎ、それに対して税や地代が高く、小規模農民は破綻した。だが、ヨーロッパ大陸の大半では、違っていた。例えば、19世紀後半に多くの製造業者が米国、アルゼンチン、ロシアからの穀物輸入品に対する関税を引き下げるよう政府に圧力をかけると、大規模な資本主義型借地農業は廉価な農産物攻勢に耐えきれず破綻した。これが、20世紀の初めにヨーロッパ農業の多くが大規模な賃金労働農場ではなく小規模な家族農場に席捲された理由なのだ(2)

 そして、このことは、第三世界諸国の厳しい貧困状態においても、なぜ、小規模農民がサバイバルできるのかという問題と関係している(2)。チャヤーノフは、小規模農業の可能性やサバイバル能力を重視し、家族労働力に依存する小規模農民の経済活動を特別なものとした。農業の最適規模に関する彼の研究は今日でさえも興味深い(4)

自然経済から文化へ

 チャヤーノフにとって、小規模農民の農場を理解する鍵は、それが生産ユニットと同様に消費ユニットであるという事実だった。そこでは、生産に家族の労働力が用いられ、資本と労働との間には分離がない(1,2)。これをもとに、チャヤーノフは「自然経済」の概念を提案した。自然経済は、チャヤーノフが「完全に自然な家族農場」と称するもののうえで普及しているが、そこでは、利益や賃金はさして意味をなさない。チャヤーノフは、この「自然な家族経済」を資本主義、共産主義、奴隷制度と並ぶ4タイプの別個の経済のひとつとみなす。そして、チャヤーノフによれば、小規模農民の農場に見出せる家族経済は、それ以外の三つの経済システムと共存しうるのであった。チャヤーノフの『小作農民の組織(Peasant Farm Organization)がベルリンで出版されたのは1923年のことだが、小規模農民経済に関する理論は、より幅広い「家族経済に関する理論(Theory of Family Economy)」の一部とみなされるに違いない。例えば、資本主義と「自然な家族経済」は「生産手段の再生」については共通するものがあるが、利益、賃金、小作料に関してはまったく共通するものがない。新古典派の概念を前提として成立する簿記さえも、そこでは成立しない(1)

 さらに、チャヤーノフは、文化、精神面から見た小規模農民たちのライフスタイルの重要性を強調する。小規模農業の伝統的なライフスタイルが文化的に大切であることは広く認められてきたが、チャヤーノフは、この文化面を重視する。チャヤーノフによれば、ロシア経済の基盤は、古代と同じく個々の小規模農民世帯だった。しかも、農民たちの伝統的な生活を継承するうえで鍵となるのが農業であった。

「多様性に富む農的暮らしや農作業は最も健康的なものだ」とチャヤーノフは言う(7)

 そして、家族のニーズが農場からの所得でまかなえなければ、小規模農民は、経済的なバランスを保つため、様々な商売に従事し、衣服作りや木彫他の兼業を行うであろう(1)。小規模農民たちの工芸や芸術性のバラエティさから、チャヤーノフは「手仕事の農業においては労働は創造性と不可分である」との結論を下す(7)

協同組合によるマーケティングとアグリビジネス

 都市化には、経済的、社会的、環境的コストがかかる。チャヤーノフは、都市化の問題点を認めていた。だが、同時に、チャヤーノフは都市生活がすべて不自然で悪いものだとは見ない。むしろ、分散化された都市化や小規模な都市の発展が、農村を発展させ、伝統的なライフスタイルを破壊することなく、小規模農民たちに、市場や文化的機会等の都市のメリットをもたらすと見ていた。チャヤーノフは、ロシアの農村の近代化の必要性を認識していた(7)。将来的に経済発展するためには農村に変化が必要なことも鋭く意識していた。そこで、チャヤーノフが着目したのが、農業改良普及事業だった。農学者は農民たちに新技術をもたらし、「地区の社会農学者(District Social Agronomist)」が、農業改善のための触媒となる(1)。そして、土地所有問題に関しては、チャヤーノフは、大規模農場の非能率には懐疑的で(6)、耕し続けられる限りは、農地は小規模農民に所有されるべきで、純粋に用途に基づき農地が割り付けられるべきだと考えていた(7)

 だが、小規模農民のユートピアのテーマが「スモール・イズ・ビューティフル」であるとはいえ、チャヤーノフは現実的には強力な組合の結成に目を向けていた(1)。チャヤーノフは、小規模農民をゆっくりと全国経済へと統合する実践的で信頼できる手段として、ボランタリーな農業協同組合に期待していた(7)。協同組合を構築することによってのみ、小規模農民の経済システムが生き伸びられると考えていた(1)。発展していく資本主義や社会主義の一部としてではなく、農業の改良普及や協同組合の組織化を通じて、農業生産の技術水準を高めることで、伝統的な小規模農業の近代化の構想を描いていた(2)

 チャヤーノフは言う。

「協同組合によって強化された家族農場が、かつてそうであったように、大規模な資本主義型農場に対してその立場を防衛できることを望まなければならない」

 そして、協働組合の原則は、マーケティングや加工技術処理まで広げられると述べる。

「...より高度な新たな形態における農業生産の集中と組織化によって、協働のマーケティング政策にしたがい、小規模農民はその経営計画を変えることになる。技術を改善し、耕種農業や畜産で完全な方法を採択し、製品の一定水準が担保される。各世帯におけるこの根本的な変化で、小規模農業システムは、公的に協力しあう農村経済システムへと村の暮らしの量的転換がもたらされる」(1)

 チャヤーノフは、オルタナティブな未来のビジョンのため、ロシア西部国境に出現したサトウダイコン・コントラクト農業農工業(sugar-beet contract farming agroindustry)に着目する。これは、大規模農業の水平的な集団化化よりも、加工やマーケティングの垂直的な集団化(vertical concentration)の方がより有益だとのアイデアに基づいていた(2)。このアイデアから、チャヤーノフは、農民たちの地元についての知識と土地の生産能力を結合するマイクロマネジメントによって、家族農場はアグリビジネスよりも優位に立てると見ていた。製品の加工や交換、資金等をもたらす「垂直的な協同」を通じて、家族スケールでの生産を維持しつつ、小規模農民は大規模組織の恩恵を享受できると判断した。チャヤーノフは、協働組合による資本の社会化、生産者自身が管理する数十億ドルの企業、現在のミネソタ州での大規模なランドオレイクス協同組合(Land O’Lakes cooperative)やスペインのモントラゴン組合(Mondragon combine)といった組織を期待していたのである(1)

 未来予測として、垂直的な集団化を通じたアグリビジネス発展の重要性を認識した、チャヤーノフのこの分析には、確かに先見性があった(2)。それは、小規模農民たちが管理する協同組合によって導かれる平和的な経済革命のビジョンであり(1)、資本主義国の大規模な資本の機能を有する人々の自己管理による協同組合型の非資本主義的なソ連農業の発展を夢見ることで、チャヤーノフは、マルクス主義に挑戦していたのである(2)。だが、チャヤーノフは、自給農業を実践する小作農民たちに余剰生産を強いることが困難であることをソ連政府が理解するだろうと信じていた(6)

レーニンからスターリンへ

 ソ連政府が理解するだと。なんというたわごとだ、と読者諸兄は思われるかもしれない。だが、チャヤーノフにはそう感じてしまうツキの悪さもあったのである。

 ここで、ロシア革命時の歴史をもう一度振り返ってみておこう。ロシアでは1917年の2月革命によって、ロマノフ王朝は倒れた。チャヤーノフは、ボルシェビキではなかったが、1917年のロシア革命には活発に参加していた(1)。また、ロシアの協同運動にも積極的に参加し、第一次世界大戦中や革命後に指導的な立場となっていた。1917年からは、農業政策づくりに参加し、農業人民委員会(Peoples Commissariat for Agriculture)や国家計画委員会(State Planning Commission)のために農業開発計画を起草していた(4)。そして、臨時政府の農業次官となっていた(8)。つまり、チャヤーノフは評論家ではなく、実際に高く評価されていたのである。ここにまず不幸の根のひとつがある。

 そして、この時、チャヤーノフが次官をしていた臨時政府を倒したのが、レーニンの10月革命である。

「テロに対してはテロで答える」。レーニンは、敵対者への暴力を善であると考えていた(8)

「選ばれた非凡人は、新たな世界の成長のためにならば、社会道徳を踏み外す権利を持つ」という独自の理論をもとに、強欲な金貸しを殺害し、奪った金で世間のために善行を企てたのが、頭脳明晰ではあるが貧しい元大学生ラスコーリニコフだった。ドストエフスキーの「罪と罰」(1866)の主人公ラスコーリニコフは、しかし、罪の意識が増長し、自分より惨憺たる生活を送る娼婦ソーニャの自己犠牲的な生き方に心をうたれ、最後には自首する(5)

「選ばれた前衛は社会主義の実現のためには、テロをも辞さない権利を持つ」。独自の理論をもとに、豊かな農民クラークを殺害し、奪った金で貧民の救済という善行を企てた頭脳明晰なレーニンは、どうなったのだろうか。

 レーニンは遺言的な文章として1923年1月4~6日に口述した「協同組合について」を残している。レーニンは「協同組合のことを考えることを忘れたとし、生産手段の社会的共有の下での、ブルジョアジーに対するプロレタリアートの階級的勝利の下での、文明化された協同組合員の体制、これこそが社会主義の体制だ」とまで言い切っている。

 では、晩年のレーニンは、この発想をどこから得たのだろうか。レーニンはこの口述に先立ち、妻クルプスカヤからある本を取り寄せさせている。チャヤーノフの『農民協同組合の基本思想と組織形態(1919)』である。同1919年、チャヤーノフは全ロシア農業協同組合買付連盟(セリスコサユース)と農業協同組合合同評議会(セリスコサヴェート)の議長を兼務していた(8)。しかも、1920年代の初めには、さらに政治的なチャンスも得ていた。「戦時共産主義」の後、破産に陥ったソ連の危機を乗り越えるため、レーニンはネップ(新経済政策)の下、小規模農民の土地所有を集産化する計画を延期し、市場メカニズムの一部導入を試みる(1)。後のぺロストロイカを思わせる市場経済の導入は、革命後わずか4年目に試みられていたのである(8)。まさに、小規模農民のユートピアに描かれたロシアの未来の可能性が見えていたのである(1)

 レーニンからも評価されてしまった。ここに不幸の二つの根がある。チャヤーノフはまことにのんきであった。1927年には農民協同組合論の再販にあたり、レーニンの協同組合論を言及し「レーニンのあの論文の後、協同組合は我が国の経済政策のひとつとなった」と楽天的に書いてしまっている(8)。だが、同じ1927年、穀物調達の危機を受け、スターリンはネップを事実上破棄していた。スターリンは、ロシアの小規模農民に対して暴力的な「水平の連合(horizontal consolidation)」を立ち上げる。この時点で、チャヤーノフはスターリンにとって大敵となってしまった。すでにチャヤーノフの味方であったであろうレーニンは1924年に死んでいてこの世にいない。

 1929年12月27日のスピーチにおいて、スターリンは「マルクスとレーニンによって考案された借地料の理論(theory of ground rent)を受け入れることを拒絶した」と名ざしでチャヤーノフを攻撃した。数カ月後にチャヤーノフはコンドラチェフらとともに、逮捕される。スターリンの検察官は、チャヤーノフが秘密の反革命的組織、勤労農民党のメンバーだと非難した(1)。その後にチャヤーノフは処刑されるのだが、それは、レーニンからスターリンへの政治的変化という世間の情勢が読めなかったうかつさにもあったのである。

【引用文献】
(1) Allan C. Carlson, Alexander Chayanov, Peasant Utopia, "The Family in America" Volume 20 Number 12, December 2006.
(2) John Gledhill, The Chayanovian Alternative, The Family Labour Farm
(4) Gale Encyclopedia of Russian History: Alexander Vasilievich Chayanov
(5)ウィキペディア
(6)ウィキペディアAlexander Chayanov
(7) Leonid Sharashkin, The socioeconomic and Cultural Significance of Food Gardening in The Vladimir Region of Russia, May 2008.
(8) 和田春樹、下斗米伸夫他『社会主義の20世紀』第四巻「歴史の空白は埋まるか」(1991)NHK出版


中世化する世界~ロシアから愛を込めて(10)

2012年12月04日 23時52分04秒 | ロシア

農民はマネーを稼ぐことを目的としていない

 農民たちの経済を研究すればするほど、既存の経済理論が現実にはうまく合致しない。チャヤーノフたちは、そのことに気づいた。チャヤーノフ自身の言葉で表現すると「自分たち自身のために働く、家族仕事に関して個別理論を構築すること」が必要となっていたのだ。チャヤーノフは、まず家族が労働力となる小規模農民の農場に基づいてモデルを構築していく(1)

 チャヤーノフは、小規模農民は「使用価値(use value)」に関心を持つと主張する。そして、農民たちの生産動機は、使用価値志向であって、仕事に精を出せば出すほど利益があげられたとしても、彼らがそれを行うのは、それが、骨折り仕事(drudgery)に達するまでだと主張した(2)

 ここで使用価値について簡単に確認しておこう。

 近代経済学では、効用をもたらすモノやサービスを財と呼ぶ。そして、財には二つの価値がある。モノを所有することから直接的に得ることができる「所有価値」と、その利用者がそれから何らかの体験を引き出すことができる「使用価値」だ。例えば、家は「快適に暮らす」という体験をもたらすし、車は「快適に移動する」という体験をもたらす。とはいえ、サービスは、所有することが不可能なことから、所有価値とはいえない。例えば、教師が学生たちに提供する学習体験は、使用価値であって所有価値ではない。

 近代経済学が誕生したときには、モノが決定的に不足していたことから「財=モノ」といえた。だが、モノがあふる現代においては、使用価値はあえて所有という形態を取らなくても簡単に得られてしまう。例えば、住居にしても車にしても、レンタルやリースをするだけでその使用価値を味わえてしまうのだ(3)

 次に農民たちの自給を考えてみよう。どの小規模農民も自分たちが必要なモノをすべて完璧に自給しているわけではない。だから、農民たちは必要に応じて足りないモノをお互いに交換しあう。例えば、ある農民は、もう十分に足りていて家族には不必要なトウモロコシを提供することで、職人が製造した調理ポットを手に入れる。そして、その職人家族は食料を自給するだけの農地が足りないのだ。この交換は物々交換ではなくマネーが媒介することもあるでであろう。とはいえ、こうした交換は、お互いのニーズを満たしあうためのものであって、マネーを稼ぐことそのものが目的となっているわけではない(2)。資本主義的企業が利益のために仕事をするのとは異なり、小規模農民は家族の暮らしのために働いているのだ(4)

最小限の自給ニーズは社会が決める

 農民たちが利益のためではなく、自給のために働いているとすれば、農民たちの最低基準の自給ニーズは何によって決まるのであろうか。米国の人類学者で、ラテンアメリカ諸国を中心に農民たちを研究したエリック・ロバート・ウルフ(Eric Robert Wolf:1923~1999年)ニューヨーク市立大学大学院センター教授は(5)、農的社会における生産には「置換資本(replacement fund)」が含まれていなければならないという。すなわち、翌年の播種のために、最低限の種籾は確保しておかなければならない。今年の実りの一部は、未来の再生産のために残しておかなければならない。通常、農民は、翌年のために、種籾を食べたりすべての家畜をしたりはしない(2)

 だが、11月25日のブログで書いたように、驚嘆すべきレーニンの頭脳が産み出したマルクス・レーニン主義は、この農民の伝統的な行動原理を無視することができた。例えば、モロトフ書記は「生産目標を達成するためには、農民が来年用に残している種子すらも取りあげればよいだろう」と叱責した。その結果、ウクライナでは1932~1933年にかけ、700万人もの農民が餓死するのである。このことから、農民家族が餓死せずに再生産されるためには、まず最低でも置換資本が必要なことがわかるであろう。

 だが、最低基準のニーズを考える上では、さらに考慮しなければならないものがある。米国の文化人類学者、マーシャル・サーリンズ(Marshall David Sahlins:1930年~)シカゴ大学教授は(5)、人間はただ肉体に食料を供給するだけの存在ではない、と指摘する。すなわち、結婚他の社会的儀式や社会での人間関係を維持するためにも食料供給が必要である。したがって、農民たちは、自分たちの社会的責務を満たすために、各家族が必要とするよりも、少しだけ過剰な物資を生産することで、社会的存在として自分たちを再生し続けられる。これを「社会再生資本(social reproduction fund)」と呼ぼう。

 現実に、小規模な農民コミュニティにおいて、義務的な社会的消費に費やされる資源量には、無視できないものがある。例えば、ラテンアメリカでフィエスタを支えるためには、ある農民の年収に匹敵するものが必要とされることがある。とはいえ、こうした村の暮らしのための各家庭の義務を満たすだけではまだ生産は足りない。農民は国に税金を払わなければならないし、地主、教会他の支配階級からも年貢を納めることを求められる。ここに農民たちが直面する基本的ジレンマがある(2)

消費・労働の原理~生物学が農民の経営規模を決める

 そこで、チャヤーノフが想定したように、農地が不足していて、小規模農民家族の適切な兼業先もないと想定してみよう。そして、その農民家族には自分たちの農地で働く以上の労働者がいて、かつ、最小の消費ニーズが不足しているとしてみよう。この状況の下では、農民たちはなんとか農地を借りて経営規模を拡大しようとするであろう。これを「飢餓地代(hunger rents)」と呼ぼう。土地不足に直面した模農民たちは「飢餓地代(hunger rents)」の原則で行動するであろう。

 農民たちが家族の自給ニーズを満たすためだけに行動し、かつ、土地が不足したときにのみ拡大を求めるという原則の二つを組み合わせれば、ある小規模農民家族の経済活動や農場の経営規模は、成長から発展、そして、没落という周期的なサイクルを描いていくことがわかる(2)

 まず、新生活をスタートさせたばかりで子どもがいない若夫婦では消費者(扶養者)と労働者の比率は1.0と等しい。だが、子どもが産まれればこの比率はあがる(1)。チャヤーノフによれば、12歳以下の子どもは農場労働者としてほとんど寄与しないからだ(2)。そして、ロシアの農村夫婦は平均で9人の子どもを持っていた(1)。したがって、若夫婦はかなり長期にわたってハードに働かなければならないし、最初の子どもが働き始めた後さえ、まだ子どもは産まれているであろう(2)。その負担は4~6人の子どもを持った時に最高水準に達する(1)

 家族がこの消費ニーズに対応するには、夫婦はさらに生産をしなければならないが、それには二つのやり方がある(2)。第一は、よりハードに、より長時間働くことだ。これをチャヤーノフは「自己搾取率(self-exploitation)」を高めると表現する(1,2)。第二は、さらに多くの農地を借り入れ、農業の経営規模を拡大し、耕作用の家畜を買い入れ、さらに労働者を雇うことだ。多くの場合、農民たちはいずれも試みるであろう。

 だが、それは、ただ養うべき多くの子どもがいて、生産を拡大する必要があるだけなのだ。そして、小規模農民家族の発展サイクルにおける一時的な状態であるにすぎない。だが、時が流れ、子どもたちが成長すれば、子どもは労働力となり、雇用していた労働者は不要になるであろう(2)。消費者と労働者の比率は下がり、中年夫婦はさらに広い農地を獲得できることになる。そして、9人目の子どもが産まれる頃には、長男や長女は結婚し、自分たちの農場を見つけているであろう(1)

 次々と子どもたちが成長して、結婚し、独立していくにつれて、家族は小さくなり(2)、両親は、子どもたちに土地資産も贈与していく。そして、最後に成人した子どもが残る頃には、老いた夫婦は、いずれかの子ども夫婦の扶養家族として「引退」し、養われながら死んでいくことになる。チャヤーノフは、スタロベリスクにおける小規模農民の詳細な研究から、農場規模と世帯規模とに0.64と強い「相関係数」があることを見出す(1)

 要するに、各農民家族において、大人の数に比べて、農作業にまだ従事できない扶養家族が多いほど、その家族内で働ける農民は、農民たちはハードに働かなければならない(2,6)。とはいえ、農民たちは生存ニーズを満たすために必要なことに対しては熱心に働くが、こうしたニーズを超えたインセンティブは持たない(6)、ひとたび家族の最低基準のニーズが満たされてしまえば、それ以上働くことは止め、生産の拡大は試みない(2,6)。わかりやすく言えば、ある小規模農民の家族は、自分たちが満足できる消費水準を担保できるだけ働けば、それ以上は、もはや懸命に働こうとはしないということだ。だが、養わなければならない消費者の数が減れば減ればその労働は緩和される。となれば、各家族内の労働者が行う仕事量は、その家族が養わなければならない消費者の数に依存するであろう。したがって、「自己搾取」の程度は、資本の基準ではなく快楽計算(hedonic calculus)によって決定されることになる(2)

「家族ニーズの充足と骨折り仕事とのバランスで自己搾取の程度は決定される」とチャヤーノフは言う(1)

 「消費・労働バランス原理」と呼ばれる、チャヤーノフのこの原則によれば、農民たちの労働量は消費ニーズを満たすまでは増えるがそこでバランスする(6)。このことは、使用価値、あるいは、家族の消費ニーズが、市場価値よりも優先され、小規模農民は、利益や蓄積に無関心であることを意味する(1)

 小規模農民たちの支出動向を分析したうえでチャヤーノフは、農民たちの生産動機が、資本主義的な利潤極大化の原理でも、個人消費の最大化でもなく、ただ家族のためのベーシックな自給ニーズと退屈な労働とのバランスで決まると結論づける(7)。すなわち、小規模農民たちの経済を動かしているのは、消費者と労働者比率であって、階級闘争でも限界効用でもなく、生物学なのだ(1)。生物としての人間の栄枯衰退だけが、農場の規模と資本化を決めている(2)

 もし、農村の総人口が成長していれば、公式統計上は成長量が記録される。だが、それは、新たな農地の階級構造の出現を表わしているわけではない。レーニンが原資本主義(proto-capitalism)の証拠として解釈した規模拡大や労働力の賃貸は農村における分化とは解釈できない。個々の家族を見れば時間とともに、成長の後には衰退が続く(2)。マルクスやレーニンの理論に反して、チャヤーノフは、ロシアの農村における分化が家族のライフ・サイクルに主に依存することを経験的に示した(1)。しかも、前述したとおり、小作農民は利益のためではなく家族の生活のために働くのであって、資本主義とはイデオロギー的に反する。となれば、小規模農業はある外的要因が加えられない限り資本主義へは発展しないことになる(6)

【引用文献】
(1) Allan C. Carlson, Alexander Chayanov, Peasant Utopia, "The Family in America" Volume 20 Number 12, December 2006.
(2) John Gledhill, The Chayanovian Alternative, The Family Labour Farm
(3) 2012年3月20日、elm200 のノマドで行こう!「モノを所有する時代の終わり~所有価値から使用価値へ」
(4) Gale Encyclopedia of Russian History: Alexander Vasilievich Chayanov
(5)ウィキペディア
(6)ウィキペディアAlexander Chayanov
(7) Leonid Sharashkin, The socioeconomic and Cultural Significance of Food Gardening in The Vladimir Region of Russia, May 2008.