没落屋

吉田太郎です。没落にこだわっています。世界各地の持続可能な社会への転換の情報を提供しています。

赤ちゃんを大切にするイデオロギー

2011年05月16日 18時28分07秒 | キューバ
今年意図していた計画が変わった

 拙著「文明は農業で動く」の書評がネットに出ています。「昔の農業が意外とイケてるという話」と「書評:優雅なる没落」さんです。どうも御拝読ありがとうございました。とりわけ、「優雅なる没落」氏にはこうまとめていただいております。

『著者のスタンスは、単純に過去を礼賛しているというわけではない。伝統知識もまたインベーションやアントレプレナ精神によって改善が積み重ねられたものである。しかし、近代農業との一番の違いは「生産性」と「安定性」を天秤にかけたときに、安定性や持続性が重視されるというところにあるのだ。このあたり、農業だけに閉じた話とは、とても思えない。自分の身の回り一つとっても、クラウド一直線で本当に良いのだろうかなど、考えさせられる点が多い』

 著者のいわんとすることを端的に表現した書評で、的を射る書評です。ありがたいと思います。

 さて、「効率性」と「リスク」を両天秤にかけたとき、人類は「安定性」を選んできました。「ハイリスク・ハイリターン」ではなく、「ローリスク・ローリターン」を選択してきました。頭の中での論理上はともかく、「ローリスク・ハイリターン」などという美味しい話は、この自然生態系と渾然一体となった社会生態システムの中にはなく、「ハイリスク・ハイリターン」を選んできた民族はことごとく滅びてきました。いま残る持続可能な農法も存続してきたコミュニティも「ローリスク・ローリターン」を至上命題としてきたのは、必然的な結果だったのです。本書では、このようなことを主張したかったのです。

 そして、持続可能な伝統社会は「持続可能な農法(ソイル)」、「持続可能なコミュニティ(ソサイアティ)」、そして、「持続可能なスピリチュアル(ソウル)」を三本柱に成立していました。とはいえ、この本では、農法とコミュニティについては書きましたが、最後のスピリチュアリティの部分は、インドの「ビルクシャ・アーユルヴェーダ」を少し紹介しただけで、意図的に除外しました。エコロジーと社会の部分ならば、「レジリアンス理論」や「パナーキー理論」によってある程度切り込めます。ところが、「崇高なる意識を持った僧侶が、聖なる図形ヤントラを描いてマントラを唱えるだけで、病害虫被害が防げる」などという話は、とうてい近代科学では歯が立ちません。同じ、テクニックを用いても、意識レベルが低い人物が行うと効果がでないので、科学の原理、再現性が通用しないのです。

 では「聖なる意識」とはいったい何を基準に判断されているのでしょうか。なぜ、伝統社会はスピリチュアルにこだわってきたのでしょうか。それは、持続性とはどのようにかかわりがあるのでしょうか。

 「とんでも本」にリスト・アップされそうな、あぶないギリギリの眉唾領域ですが、そのあたりの謎を解き明かしてみたい、というのが、今年私が本書を書き終えた直後に心思い浮かべたテーマでした。ところが、この文明本の修正原稿を書き上げたまさに翌日に「3.11」、「ハイリスク・ローリターン」の原発事故が起きてしまったのです。

キューバの有機は話題になっても防災は紹介されない

 さて、3.11以降、私にできるひとつのことは、このブログで書いたように、キューバの「防災力」を調べることでした。なぜなのか「防災力」については、あまり日本語では紹介されていないからです。

 例えば、日本のキューバ研究のアカデミックの最高峰のひとつは、「アジア経済研究所」でしょう。2009~2010年は「キューバ研究特集」となっており、以下の紹介ページで、ハイレベルなアカデミックな学術研究を日本語で読むことができます。

 ところが、この中には「キューバの防災力」は出てこないのです。

 その一方でたびたび話題になるのは有機農業です。「キューバ研究室」というサイトを見ると5月14日付けで「キューバの自給率」の話がでています。どうやら、マスコミがキューバの有機農業の番組を製作中で、再び同サイトにハバナから自給率を聞いてきたようです。

 すでにキューバが自給できていないことは、再三にわたりこのブログでも取りあげてきましたし、この研究室は執拗なほど真実を知らしめようとしています。これは大切なことです。とはいえ、なぜ、マスコミは何度もキューバの有機農業ばかりを話題にするのでしょうか。それ以外のテーマにふれないのでしょうか。私はむしろそちらの方に関心が向いてしまいます。

「もう10年も前から知られていた手垢の付いたテーマにようやく気づき、震災を経験した日本には、明るい話題が欲しいのだし、視聴率も取れそうだから」

 すなわち、アホで間抜けなマスコミという安直な解答がまず思い浮かびます。ですが、プロの番組制作会社が、それほど愚かだとは思えません。もしかしたら、彼らは、キューバが有機農業で自給できていないことを百も承知の上で、いまという時期に国民を鼓舞するために、確信犯として、幻影を描こうとしているのかもしれない、そのように善意で解釈することもできます。

 例えば、この3月に板垣真理子さんの『キューバに行きたい』という写真集が出ています。

 この写真集は作家の作家・池澤夏樹氏が5月11日の毎日新聞で、次のように推奨しています。

「池澤さんは「日本はこれまでよりも貧しくなる」と言い切る。「これ以上の原発推進が難しいこともあるけれど、地球上の原油も、もう残り少ないから火力発電にも限界がある。また、風力や太陽光ですぐに電力量が増えるわけではない。とすれば、少しずつ使うしかないでしょう。産業成長は鈍り、我々もこれまでの消費中心の考え方から抜け出さないといけない。そして、この国の針路の一つのモデルとして「キューバ」を挙げ、「キューバへ行きたい」(板垣真理子著、新潮社)を薦める。

「キューバは有機農業が盛んで、医師は日本の3倍ほどもいる。歌って踊る明るい国民性もあります。昔の沖縄の暮らしも例としていいでしょうね。「幸福の尺度」を変えなければいけないとすれば、書物は大きな助けになるだろう。そこからヒントを得て、不安解消につなげたいものだ」

 素晴らしい。なによりも、この辺境の列島に住む民族は「山の彼方に幸い住むと人は言う」の如く、海の彼方の国々に過剰なまでの幻想を抱くのが得意です。欧州にそれを求めたのは明治維新(1868年)からですから、たかだか150年。米国にそれを求めたのは敗戦後(1945年)からですから、たかだか50年です。それ以前の江戸時代のモデル国は中国でした。唐の国からの文字情報だけで孔子の思想を理想化し、本国を上回る倫理観を持っていたかもしれない儒教国家を築きあげてきたのです。ですから、私は「希望の幻想」としてのキューバの有機農業のイメージが発信されることは、決して否定しません。

 これからはピーク・オイルの時代に入り、庶民が気安く現地に足を運べなくなることを考えれば、限られた動画や画像や文字情報を介して、マルティやフィデルの思想を理想化し、キューバを上回るエコロジー力を持つ持続可能な国家が築きあげられることにつながるのであれば、勘違いもあながち否定すべきことではなく、それはそれで素晴らしいことではありませんか。

キューバの有機農業の話題づくりを嫌味に深読みしてみる

 ですが、原発を巡るマスコミの情報統制。その裏に見え隠れする米国の思惑を考えれば、ここで想定した番組製作会社の善意とは裏腹に、その番組の企画を採択するテレビ局のディレクターやプロデューサーの側にはさらにもっと深い意図があるのではないか、と勘繰りたくもなります。

「カストロの独裁によって、自由なき貧しき人々がしたたかに耐え忍んで生きている」というのは多くの人がいまも抱いているキューバの一面の真実です。

「サルサやダンスが盛んで、有機農業大国。無料の医療で誰もがハッピー。スローライフの天国」というのは、少しでも調べればすぐにでもわかり、しかし、マスコミがなぜかこれまで報じてこなかったために、意図的に私が拡散してきたキューバのごくごく表層的な一面です。

「平等を重視した経済政策が破綻し、格差が広がり、経済の自由化を求め、改革に難航しているキューバ」というのが、冒頭で紹介した、プロのアカデミックならば誰もが周知しているキューバの本当の実態です。

 とはいえ、この後があります。であるならば、なぜ、キューバの人々は現体制に不満をいだき、第二の革命を引き起こそうとはしないのでしょうか。米国から圧倒的な支持を受けたバチスタ政権をただ不満だと言うだけで、ひっくり返して見せたのがフィデルです。フィデルは例外なのでしょうか。第二のフィデルは現れないほど、いまの独裁政権の人民統制は精緻にして磐石だからなのでしょうか。

 これに対し、私が思っている解答は、こうです。

「対米従属の傀儡政権を打倒し、民族主義国家の主権を守んがために独立を果たした現政権を支持しているから」

 いまも国家主権を守るため、学生も学校で軍事教練を行い、ひとたび米兵が本土に上陸してくれば、1200万国民のうち、最大700万人が民兵(民間戦闘員)となってゲリラ戦を戦い抜く。いかにハイテク戦争の時代とはいえ、最終的にその国を制圧するには地上戦がかかせない。たとえ首都ハバナが陥落したとしても、町という街、村というムラがゲリラの潜伏拠点となり、各地に散らばる診療所や病院は野戦病院として活動し、足をもがれ手をひきちぎられた市民たちは施術を受ければ直ちにカタワの兵士として再び戦場に立つ。七人一殺。たとえ、700万人が血だるまとなって殺されても100万人の米兵をば地獄への道連れにせずにはおくものか・・・・。

 この決意があればこそ、おっかなすぎて米国も手が出せない。多くの国民が現政権を支持し、あえて自由を捨てているのも、対米独立を望んでいるがためだと思うのです。

 このキューバの奥深い信実は、日本のマスコミは断じて描こうとはしません。怖いからです。キューバ革命では、貧富格差の解消と国家主権、すなわち、国防に最も重きが置かれてきました。優れた医療も防災も国防と密接に関わってきます。

 もちろん、このような軍事面もキューバのまた一面であって、拙著にも書いたように、革命キューバの最高のイデオロギーは「赤ちゃんは幸せになるために産まれて来る」だと私は思っています。赤ちゃんが幸せに産まれるためには、災害時にお腹に赤ちゃんを抱えたお母さんがストレスを感じてはなりません。なればこそ、ハリケーン時には、妊婦が最重視され、特別の産院にいちはやく退避します。ここまでのイデオロギー的こだわりには、ある種の畏敬感すら覚えます。赤ちゃんを大切にする国家とはそのようなものなのかと。

 ですが、このイデオロギーを貫徹するためには、米国のイデオロギー「赤ちゃんは、お金のためには幸せにならなくてもかまわない」と対峙しなければなりません。だから、赤ちゃんのために戦う。

 今回の取材では、キューバを視察中の大阪府の民医連の医療関係者を中心としたグループとも偶然一緒になりました。ハバナで行われたキューバの防災専門家との講演・意見交換会にも便乗して参加させていただいたのですが「防災と国防は一体のものである。学生たちは、防災訓練だけでなく軍事教練もカリキュラムで学ぶ」と発言したとき、さぞや驚かれたことと思います。

 つまり、世界最大の超大国と対峙しながら、50年にわたってその国家主権を侵されずにきたキューバには、敗戦後の戦後日本がタブーとしてきた①国家主権、②国防軍、③対米関係という三つのテーマが深く関わっているのです。

 おまけに、キューバはエネルギー政策についても、脱原発を行い、ベネズエラとの石油外交を繰り広げています。

 今回の原発問題は、①グローバル巨大企業VS民選国会議員、②国家非常事態下での自衛隊、③科学技術と米国関係という課題を投げかけました。ですから、ここがタブーなのではないか、と思っているのです。


 となると、想定ですが、テレビのディレクターの間では、例えば、このような対話がなされているのではないでしょうか。

「医療に関心を持つ人たちの間で、キューバがごく少数とはいえじわじわと話題になっているようです。これまでは、民医連とかサヨク関係者に限られてきましたが、だんだん保守系にも広がってくることが懸念されます」

「まずい。実にまずいぞ。連中も馬鹿ではない。このグローバル時代のことだ。たとえ現地取材をしなくても、ネットを使えば、英文でかなりの情報が引き出せてしまう。例えば、アジア経済研究所の学術研究者、山岡加奈子氏はこんなことを述べているぞ。

『社会主義国に共通だと思うのですが、いわゆる内部資料はもちろんのこと、普通の研究者のフィールド調査のデータすらなかなか手に入りません。政府が発表したデータは往々にして不十分だったり、建前を説明するものに過ぎなかったりしますので、データで裏付けていく実証研究は非常に困難です。特に帰国後の数年間は、キューバで出されている資料をどう扱ったらよいか悩みました。ですが、アメリカのキューバ研究者はキューバ系の人が多く、たとえ現地に行かなくてもいろんなチャネルを使って資料や情報を収集することができますし、現地経験では、2年いただけの私なんか足元にも及びません。海外派遣でキューバにどっぷり浸かって帰った後、改めて彼らの書いたものを読むと、そのすごさが分かりました』

 つまり、早晩、連中はキューバの防災医療にも関心を持っていくわけだ。そして、防災医療を根幹で支えている反米戦略や軍事にも。いかん、いかん。キューバのそのようなジャンルにまで関心をもたれては危険だ」

「まことに。ところで、いま、キューバの有機農業の番組企画が来ていますが、どうしますか。もともとキューバが有機農業で自給できていないことは、プロの研究者にとっては常識中の常識なのですが、それをあえて無視してスローライフの天国として、明るいキューバを描く企画のようです」

「そいつはいい。サルサやダンスが盛んで、有機農業大国。誰もがラテンの気分でハッピー。スローライフの天国というイメージならば無害だ。いや、そういう無害なキューバ観を植え付け、いち早く視聴者を洗脳しておかねばならん」

「ということは、この企画は」

「むろんゴーだ。だが、防災医療やイデオロギーの部分はことごとくカットし、あくまでも表面的なものにとどめるように」

「わかりました」

 と、まあ、ここまでは深読みなのかもしれませんが、ある種の深い意図すらあるのではないかとも思える、傀儡政権に限りなく近い親米政権の混迷ぶりです。

 ですから、グローバル企業の資本の論理によって左右される民放はやむをえないにせよ、私たち視聴者、消費者の論理によって左右されるべき日本国家国営放送たるNHKが、キューバの防災とその赤ちゃんを守る論理を取材するとするならば、それは、私たち日本国の国家主権の回復に向けた大いなる第一歩だと私は思うのです。

 ということで、キューバ防災サイトを充実させました。新のマークが付いたものが、今回の充実分です。こちらは、このブログのようにふざけてはおらず、一生懸命やっております。ご関心があれば、ご覧くださいませ。


しなやかな安眠社会へのヒント

2011年05月08日 22時54分12秒 | キューバ


防災大国キューバは北米では常識?

 いま、トロント国際空港に隣接したホテルで目が覚めたところです。カナダのホテルはキューバとは違って、シェラトンであれ、ヒルトンであれ、どの部屋もホテル内はすべて禁煙です。高級ホテルにも喫煙ルームはありません。ですから、愛煙家はホテルの建物の外に出なければなりません。例えば、今回、宿泊しているシェラトンはレストラン裏の駐車場の片隅が喫煙場所です。現地時間は、5月8日(日)の朝8時。Tシャツ一枚でも汗が出てくる昨日までのキューバとは打って変わって、長野の早朝と同じように涼やかな風が吹いており、カーディガンを重ね着しても薄ら寒いほど。幸いなことに、空気には放射性物質が含まれていないし、私が吸っているキューバ産の「コイーバ」は有害化学添加物が含まれいませんから、安心して肺の奥まで煙を吸い込むことができます。

 しかし、ホテルの建物外にわざわざ出てタバコを吸うメリットもあります。嫌煙家には理解できないでしょうが、愛煙家が灰皿のまわりに集まり、見知らぬ間柄の中で、自然なコミュニケーションが始まるのです。

 今回出会ったのは、米人デトロイト出身の若い夫婦。

「旅行ですか」

「ええ、日本は今回の地震で酷い被害を受けた。そこで、キューバに防災対策の調査にいってきたんです。あなたの国ではカトリーナ・ハリケーンで大変な被害がでましたが、それと違って、キューバはほとんど被害がでない。そのシステムを学びにいってきたわけです」

「本当に日本の津波と原発は大変だね。キューバが防災に優れていることはよく知っているよ。羨ましいな。米国からはキューバにいけないのでね。ブッシュからオバマになったからだだんだん変わるといいんだけれどもね」

 とまあ、こんな感じです。

 ちなみに、4月29日にカルガリーからトロントへと向かう深夜便でも隣席に座ったのは、カルガリー郊外からカリブ海へとバカンスに出かける老夫婦でした。

「バカンス。それとも、お仕事なのかしら」

「ビジネスです。ご存知のとおり、キューバの防災対策の調査にこれから行くのです」

「それは、いいアイデアだわ。キューバは不思議なことにほとんどハリケーンでも死傷者がでない国だもの」

 とまあ、こんな感じです。

 さて、ここで米人とカナダ人という二つの庶民のサンプルの事例をあえてあげたのは、キューバが防災大国である事実が、ごく普通の常識となっているように思われることです。日本でもアカデミックな学術研究者たちの中では、わざわざ日本語で情報にして発信する必要もないほどのイロハの「イ」の事実であって、なおかつ、キューバの持つ問題点や課題も周知し分析したうえで、学術論文がでているのかもしれません。しかし、少なくとも、広くは知られていません。例えば、私のブログを見てくださった方は、こんな感想を書かれています。

「昔みた、キューバ音楽映画くらいしか、キューバという国の知識はなかったのですが防災大国だったとは、驚きです!」


 つまり、キューバの防災力を現地取材し、わかりやすい言葉で発信すること。これが、今回の私の旅の目的でした。

自己満足の免罪符~ライターとお金の話

 さて、これから昼過ぎの成田行のエア・カナダで日本へと向かいます。日本に着くのは9日(月)の夕方で、10日(火)からは本来の私のサラリーマン生活へと戻りますが、時差のためほぼ一週間は睡魔と闘いながら、慢性的睡眠不足が続くこととなります。よく脳も働きません。そこで、今回の旅の簡単な報告をまとめておきます。

 さて、前回のブログでは、「私の尊敬する防災の専門家とともに、キューバに調査にいってきます。とにかく『私ができるささやかな行動』という、ある意味では『義憤』にかられた思い付きです。どこまで成果が還元できのかわかりませんが、これから成田へ出発します」と書きましたが、結論から言うと「想定外」の成果が得られました。

 実はキューバは取材がとても難しい国です。

 第一にお金がかかります。外貨獲得のためにホテルの宿泊代も外国人には高く設定されていて、一泊1万円程度しますし、食事もちょっと食べれば一回、1000円、2000円と飛んでいきます。ガソリン代も高いため移動用の車の確保も困難です。ハバナの旧市街で偶然であった若い日本の女性も「予想以上に物価が高くて、お金がなくなっちゃった」と言っていました。ですから、豊かな日本であっても、あまりお金がない若者がフラリといける国ではありません。

 第二に取材には許可が必要です。私はいつもキューバ外務省の国際報道センター(CPI)からジャーナリストビザを発行してもらい、それから取材を行っています。報道センターは私の取材依頼を受け、どこを取材したらいいかを現地の共産党事務所等と調整し、適切な取材場所をアテンドしてくれるのです。これは、逆に言えば「共産主義国家で情報統制されているから、優良事例以外は見せないのだろう」と解釈することもできます。しかし、好意的に取れば「共産主義国家で情報統制されているおかげで、海外PRのため、参考となる優良モデル事例を容易に取材できる」と理解することもできます。

 多くの方がブログ等で私を批判されているように、私は「確信犯」としてキューバ情報を発信しています。「キューバ=自由なき独裁国」というマスコミが作り上げてきた「洗脳」を解き、少なくとも上述したカナダ、米国レベル並みへと日本の一般のキューバ観を横並びさせるため、意図的にキューバの優良事例を発信しているのです。

 もちろん、こうした作業は、本来はプロのアカデミックやジャーナリストがやることでしょう。ところが、日本ではフリーランスのジャーナリストがお金を稼ぐことがとても困難です。私が尊敬する松永和紀さんのような一流のジャーナリストでさえ、筆だけで食っていくのが難しい。松永さんは、2009年5月24日に「科学ライターのお金の話1」でこう書かれています。

『科学ジャーナリスト賞2009で大賞を受賞した北村雄一さんはこう言っている。「年収200万円を越えるには本を4冊書く必要があり、年収300万円を越えることは原理的に不可能である」 フリーのライターは文章を売って食って行かなきゃならない。科学を適正に伝えることと売れる文章を書くことが両立できないとなると、次のような可能性が出てくる。
「フリーランスなサイエンスライターは生活をする上で噂の方を優先させ、正確さを犠牲にする。 これは強力な圧力であると言えるでしょう。生か死か?(略) 。科学を適正に伝えるフリーのサイエンスライターが存在しえない、ということになれば、どうしたらいいか?。北村さんはこう提案する。「国家官僚がサイエンスライターをやればいいじゃないか」」

 ひたすら、賛同します。ちなみに、今回も取材費だけで約50万円/人ほどかかっています。人件費はもちろんでません。私は1年に最高3冊の本を書いたことがありますが、私のように売れないライターの印税では取材費すらでません。そこで、私の情報発信は、国家官僚ではないにしても、地方公務員という本業があってこそ成りたっていることになります。

 第二には取材の許可の話しです。実は今回はキューバ外務省の国際報道センター(CPI)からジャーナリストビザがおりませんでした。理由は時期の問題です。

 ひとつは、今回は私の思い付きで1月前にキューバ側にお願いしたこと。実はキューバでは、ヒロン湾勝利50周年、第6回共産党大会、それに伴う法改正と大きなイベントが目白押しで、非常に多忙で調整時間がない中で、急な調査をお願いしたことです。

 第二に、キューバはこれからハリケーンの季節に入ります。そこで5月14、15日に防災訓練が全国で一斉に行われる。防災関係部局はとても多忙で対応できない。ハリケーンが一段落した11月にしてほしい、というのが理由でした。しかし、上述したように私はサラリーマンですから5月の連休しか休みが取れない。おまけに、多くのNGOや志ある人々が被災地で活動されている中、何一つできない自分に対し、何か行動をしなければいたたまれない気持ちが高まっていました。連休ですからフライト便も早く抑えなければ埋まってしまう。とりあえず、チケットも買ってしまいました。取材ビサがなくても、ツーリストカードがあれば、入国だけはできます。ある意味では、自分の心の免罪符を得るために、自己満足でキューバに押し掛けたようなこととなります。

 結果として、いつもキューバ取材で世話になる瀬戸くみこさんから、成田に向かうリムジンの中で、本国でツーリストカードを取材ビザに急遽、切り替えることが決まったとの連絡が入りました。一安心です。そして、外務省CIPのアジア極東担当のニウルカさん、通訳のミゲル・バヨナ氏の尽力で、最大の被災地、ピナル・デル・リオ州の共産党本部と連絡を取り、グスタフとアイク・ハリケーンの激甚被災地、ロス・パラシオス、コンソラシオン・デル・スル、ラ・パロマを二日かけ濃密取材することができました。

 また、実際にハリケーンを体験した草の根の市民の声から、キューバの防災対策を見るという当初の私の希望どおり、ハリケーンの高波で家に土砂が入ってきた地区住民や事前の防災準備で避難がでなかった下町の区長さん(選挙で選ばれる)、赤十字のスタッフとして長年防災対策に従事してきた方等、多くの生の声を聞くことができました。

 現地では、「日本の震災を我がことのように心を痛めている。日本政府からはなんら支援要請がないが、あれば、国際連帯として我々のできることは何でもしたい」というキューバ市民の声もいただきました。キューバではハリケーンの被災地では被災者たちの精神的ストレスをいやすため、ボランティアで芸術家たちがダンスをしたり、サーカスをしたり、音楽会を開いたりする。それを日本でもしたいというのです。この気持ちはありがたく受け止めたいと思います。

 また、指導者の立場にあるキューバ人からは「日本人は本当に優秀だし、技術も優れ、資金力もある。しかし、政治的なシステムと対応策がおかしい。キューバ人は、経済封鎖のために物資も資金力も乏しい貧しい国だが、ハリケーンで死傷者がでないのはひとえに、政治的システムのためだ。日本はもっと素晴らしい国として復活することを期待している」との耳の痛いアドヴァイスももらいました。

客観性と情報の信頼性

 さて、私は「確信犯」としてキューバ情報を発信していると書きましたが、今回の震災問題は、重大なうえ緊急性もあり、おいそれと私の個人的な思い付きだけで情報を発信することはできません。そこで、キューバを訪れるのは初めてですが、ドイツ、米国、フィリピン等、先進国と開発途上国の防災事情にも詳しく、かつ、日本でも阪神淡路大震災や中越地震等でも現地調査や災害復旧に携わってこられた、私の尊敬する防災の専門家に無理な同行を願い、一緒にキューバをまわってきました。

 結論だけ述べると「この国の事前の防災準備、そして、被災後の住宅改築等の復興対策もたいしたものである。資金や物資が乏しいなかで、これだけのことができるのは、本当に頭を使っているからだろう。日本にどこまで参考となるかわからないが、私自身の考え方や発想にとっても大変な勉強になったし、刺激を受けた」というものでした。

 これは、ある意味の客観的評価のひとつになるのではないかと思っています。この客観性を前提に、私は「希望」をキューバからもらいました。それをいかにマインド・コントロール、すなわち、私の文章をお読みいただける読者が共感してもらえる形で表現・発信できるのかが私の責任でしょう。どこまでできるかわかりませんが、ご期待ください。
トロントにて(朝10:10)