没落屋

吉田太郎です。没落にこだわっています。世界各地の持続可能な社会への転換の情報を提供しています。

逆説の未来史49 贈与の経済(27) 世捨て人になることで文化を保存する

2013年10月27日 22時38分01秒 | 逆説の未来史

【はじめに】
 前々回のブログでは「グリアがヒモに徹しながら、せっせと畑を耕していたのには、そんな理由があったのか!。こうした観点を念頭において、前々回と前回のグリアのコミュニティ論と今回の家事経済論をお読みいただきたい」と書いた。そして、前回のブログでは、自給菜園を行って金を極力使うことを止め「ニーズや欠乏に対処する最もシンプルなやり方は、生物として可能であれば、望むことを止めることだ」(3-6)とまで言ってのけた。けれども、グリアの暴走はこれでも止まらず、「世捨て人になれ」とまで提言する。なんというトンデモぶりであろう。トンデモ本の魅力は、著者が大真面目で真摯に主張すればするほどその気違いじみた発想に大笑いできることにある。今回もグリアの破天荒な発想を多いに楽しんでいただきたい。

■未来へと文化を継承する僧院システム

 逆説の未来史19「パイレーツ・オブ・カリビアン」では、ロベルト・ヴァッカ(Roberto Vacca, 1927年~)が『来るべき暗黒時代』(The Coming Dark Age,1973)において、コミュニティについて論じていると述べた(1-4,2-11)。そして、ヴァッカが、コミュニティを考えるにあたって歴史上のモデルとしたのは、中世の修道院だった(1-4)。このように、差し迫る文明の衰退や崩壊に気づいた人たちの間では、中世の暗黒時代の修道院が話題になっている(3-7)。いくつかの文明の没落期において、修道院はまさにヴァッカが想い描いたのと同じ役割を遂行できた。キリスト教の修道院は、ローマ帝国の没落期やそれ以降も生きたタイムカプセルとして役立ち、古典文化の宝の多くが数世紀以上も安全に保全された(1-4)。日本の仏教寺院も同じ機能を果たし、日本の厳しい戦国時代に過去の平安文化を保全した。中国でも仏教や道教の僧院は、繰り返された帝国の隆盛や破滅のサイクルの中で同じことをしてきた(1-4,3-7)。文化遺産は宗教を通じて保存されることが多い。アーノルド・トインビー(Arnold Toynbee, 1889 ~1975年)が『歴史の研究』の後期の巻で、重要なテーマとして扱ったほどである。トインビーの見解によれば、文明の没落期には、新たな宗教の苗床が形成される。そして、衰退が継続していけば、こうした運動のどれかが文化の大きな力となっていく。それを育んだ文明が完全に崩壊すれば、新たな宗教の存在がその空隙を埋め、古い文明の遺産の残りをサルベージし、その宗教ビジョンの中心となる概念が、新たな文明が形をとり始める枠組みとなっていく(2-11)。したがって、この処方箋には潜在的に価値がある。同じプロジェクトが現代文明の最高の成果を未来への遺産としてサルベージできることは不可能ではない(1-4)

■僧院は清貧の生活を求めていた

 けれども、これが成し遂げられたのは、僧院には今日のライフ・ボート・コミュニティとはまったく違う動機づけがあったからだった(1-4)。ほとんど誰も議論せず、扱いもしなかった修道院の成功の背後にある秘密に注目する価値がある。救助艇のエコビレッジ計画は、未来に中流階級のライフスタイルを保存することを目指している。けれども、これと同じローマ時代のブリテンの裕福な住民たちが、没落や崩壊を乗り切ろうと望んだ贅沢な別荘は長期的には大失敗だった(3-7)。キリスト教の修道院は、中世の暗黒時代にローマの古典文化を保存したが、ローマの中流階級のライフスタイルを維持しようとする人たちがいたわけではない(1-4,3-7)。全く逆で、僧や尼は、当時の農民たちよりも、さらに貧しいライフスタイルを自発的に取り入れていた(1-4)。仏教や道教の僧院、あるいは、歴史上成功したそれ以外もすべての僧院は、非常に貧しい場であった(1-4,3-7)

 それでは、文化の伝承において宗教がなぜ重大な役割を果たすのだろうか。その理由を確かめることはたやすい。社会が解体し、慣習が崩壊し、それまでの価値値が意味を失うとき、文化遺産の維持というタスクを担保するには、強力な動機づけが求められる。そして、宗教は一貫して強力なパワーのひとつだからである(2-11)

■ユダヤ教は伝統の祭をツールとして文化保全に成功した

 紀元前516~紀元前70年までは、エルサレムの丘には、第二神殿(Second Temple)と呼ばれるユダヤ人たちの重要な神殿が立っていた。紀元前586年のバビロン捕囚の際に破壊されたソロモンの第一神殿に代わって建設されたのである。けれども、ローマ帝国のティトゥス皇帝は西暦66年に再びユダヤを攻撃し、西暦70年のエルサレム包囲戦において再びこの第二神殿は破壊される。西壁の下部は神殿の遺構を残す数少ない一部として嘆きの壁として現存している(4)。この第二寺院が破壊された後に、文化消滅の危険に直面するなかで、ユダヤの宗教的指導者は、文化の保存において歴史上最も成功したプログラムを立ち上げる(2-11)。例えば、ユダヤ教にはマッツァ等を食べる「過越し儀式(Passover)」という祭がある。この祭は、モーセにまで遡る。神は、モーセをリーダーとして「約束の地」へと向かわせることとし、モーセのプロジェクトを妨害するエジプトのファラオには十の災いをもって対抗した。十番目の災いは「エジプト国中の初子、家畜の初子であれ、 人間の長男であれ、それらをすべて撃つ」というもので、戸口に印がない家には災いがもたらされることがモーセに伝えられた。そして、戸口に印があった家は災厄を「過越」できた(4)
ラビのユダヤ教の形が整うと、それは、ユダヤの文化的な連続性を保存することに重点をおいた。過越し儀式では子どもたちは「なぜ今夜はそれ以外の夜と違うのか。なぜ、マッツァを食べるのか」と問いかける。ユダヤ教は、シンボルと儀式を用いて、特殊な歴史経験を具体化し、同化圧力に逆らい伝統を保全してきたのである(2-11)

■世俗的な物欲よりも精神文化を重視する人々が文化保全には欠かせない

 前述したとおり、ローマ崩壊以降のカトリック教会も、暗黒時代に古典文化の多くをサバイバルさせたサルベージ・プログラムを機能させていたが、この動機は、ラビのユダヤ教の創設者を突き動かしていたものとは違っていた。教会は、聖典、神学、教会法を読める聖職者を必要とし、それが、キリスト教文献に精通したラテン語の教養文化(Latin literary culture)を生き残らせることになった。そこで、古代ローマの詩人ウェルギリウス・マロ(Vergilius Maro,紀元前70年~紀元前19年)からラテン語の韻律を学び、未来に文化遺産を保存することへの関心を持っていた(2-11)。キリスト教の修道院生活が黄金時代を迎えるのは、ローマの豊かな経済の遺産が消え去り、物的な富が人間に対する解決策であるとは考えられなくなった西暦6世紀以降のことである(3-7)

 ヌルシアのベネディクトゥス(Benedictus de Nursia, 480年頃~547年)は、中世のキリスト教の修道院長で、修道制度の創設者と呼ばれている。ベネディクトゥスは、現在のイタリア、ウンブリア州の小さな町ヌルシアの古代ローマ貴族の家系に生まれ、少年時代は両親とともにローマに住み行政官としての古典的教養を習得したが、キリスト教の福音の教えに共鳴し、神に生涯を捧げることを決意して学校を退学する。そして、ローマを去り、田舎暮らしをしつつ、修道生活を営むことを実践した。数年間洞窟での隠修生活をした後、ベネディクトゥスはラツィオ州の山中の町スビヤコに修道院を設立する。評判を聞いて次々と共鳴者が集まり、ローマ在住の貴族たちもこの修道院に子弟をあずけるようになる。そして、529年頃には、理想とする修道生活の実現のためにモンテ・カッシーノに修道院を設立し、540年頃には「祈り、かつ働け(ora et labora)」という労働と精神活動についての会則を定める。以後、長い間、このベネディクトゥスの発想が中世ヨーロッパの修道制度の基礎となったのである(4)

 けれども、ネディクトゥスが始めた修道院の革命は、言及されることがほとんどないが、そのインスピレーションの多くを初期のエジプトでのキリスト教のエジプト(early Christian Egypt)異端派のギリシアの自然崇拝や多神教、ペイガニズム(Paganism)、そして、ローマのストアー学派から受け取っていた(3-7)。そして、同様の事例は、インドのサンスクリットの書院(sanskrit academies)から、近代早期のスコットランドの吟唱学校(bardic schools)にまで及ぶが、いずれにも共通する特長が見られる。

 すなわち、没落の時代には様々な緊急的なニーズが生じるが、こうしたニーズよりも、伝統を保全することに価値観を見出し、実践する人たちがいることが、伝統文化のサバイバルには書かせないということだ。例えば、伝統的ユダヤ教では、困難な時代の中でも「戒律」を維持することが、個人の生き残りよりも優先された。けれども、それは未来の人々が参考になるためにファイルされたわけではない。同じく、最悪の暗黒時代の中を、冷えきって暖房もない筆写室でベネディクト会の僧侶たちは写本作業に長時間をあてていた。修道院の外部では彼らはもっと容易な暮らしを送ることができた。けれども、彼らの価値観からすれば、「神の栄光」の方が、それ以外の世界のどの宝よりも優れていた。例えば、殉教者は賛美歌を歌いながら生きたまま焼き殺されるが、この脱世俗的な価値観は、まだ決して目にすることがなき未来へと知識を書き写して、保全伝達しようとする価値観と同じ感覚のものなのである(2-11)。すなわち、文明の遺産を生きて保つために必要とされる経済的に非生産的な活動に必要とされる時間や努力を解き放つため、より高き目標のために極貧を包含することはまさにこの意欲なのである(1-4)。最小限度まで物的なニーズを減らすとき、生活水準を維持するために費やされないエネルギーが、何か他の有益なことのために働く。それが修道院が文化を残すという成果をあげられた秘密だった(3-7)。すなわち、伝統を保全するためには、日々の努力を励起するほど有力な情緒的な駆動力から引き出されなければならない。そして、過去の文化保存の典型例は、ほぼすべてが宗教的な信仰や情熱からその動機づけを引き出している(2-11)。今、おそらく、同様の運動が望まれている(3-7)

■ロハスの背後にもスピリチュアルな伝統がある

 逆説の未来史34「需要と供給の法則の限界」では、ポール・H・レイとシェリー・ルース・アンダーソンによる『文化的創造性を持つ人々』(Cultural Creatives)がロハスのベースになったと述べた。けれども、『文化的な創造者』との題名がついた2000年の書物の熱心なレビュアーの誰も、レイやアンダーソンが『文化的な創造性を持つ人々』と太鼓判を押したのと同じライフスタイルが、1980年に米国の社会心理学者、社会運動家マリリン・ファーガソン(Marilyn Ferguson, 1938~2008年)が『アクエリアン革命―80年代を変革する透明の知性(The Aquarian Conspiracy)』(1981)実業之日本社で、さらに、1970年には米国の社会学者チャールズ・ライク(Charles Reich, 1928年~)が『緑色革命(The Greening of America)』(1983)早川書房で主張していたことを思い出さなかった(2-11,4)。ライクは1960年代のカウンターカルチャー運動に影響を与えた人物である(4)

 しかも、1820年代には超絶主義(transcendentalism)が全盛だった(2-11)。「超絶主義」とは、思想家であり詩人でもあったラルフ・ワルド・エマーソン(Ralph Waldo Emerson,1803~1882年)が広め、米国のニューイングランドで栄えた個人の絶対的な尊厳を重視する思想運動である。エマーソンの友人であったヘンリー・デイヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau, 1817~1862年)は、これを身をもって実行し、文学として表現した(4)。要するに、同じアイデアは、19世紀前半からあり、以来、米国の知識階級から受け入れられてきた(2-11)。米国では、植民地時代以降、宗教、政治、知的サークルとあらゆる場で不満を抱く人々のグループが、来るべき新世界のために原野にコミュニティを築く準備を始めていた。ペンシルバニアにおけるバラ十字会員のコミューン(Rosicrucian communes)や超絶主義、モルモン教他、あらゆる夢想家たちの集団がよりよい世界に到達できると確信していた(1-4)

■文明の没落期には新興宗教が信者を集める

 グローバルな文明が崩壊した以降には、中世という同様のシステが、文明崩壊の結果として出現する。例えば、10世紀の平安時代の日本の内破は、ヨーロッパ・モデルと極めてパラレルな封建制度を生じさせた。日本の武士道の言語を、これに匹敵するヨーロッパの騎士道の専門用語に翻訳することは可能だし、逆もまたそうである(3-2)。そして、産業時代がその終焉に向かうにつれて、新たな宗教運動が立ち上がり、数多くの信者たちを引きよせていく。例えば、ローマ帝国の衰退期の西暦250年に、あるローマの学者が、これから圧倒的な人気を集めることになる宗教を予測しようとしていたとしよう。この学者は、数多くの競合する宗教を分類すうえで頭を抱えたに違いない。当時のローマ世界には、国内外を含めて、新たな宗教運動が満ち溢れていたからだ。多くの宗教から、キリスト教やユダヤ教の将来の運命を区分できるだけの特別な要因はなかったし、中世のイスラム世界へローマの古典文化を継承するにあたって最大の役割を果たしたイスラム教は存在さえしていなかった。

 私たちは、まだそのプロセスの初期段階にいる。これと同じように、現代の文化を拾いあげ未来へと伝承できる宗教は、現在は、ケンタッキーのコミューンで、カリスマ的な教祖の周囲に参集した数十人からなる運動かもしれないし、ブラジルやバングラデシュで設立され、将来、欧米で大衆運動へと変わる小さな宗派かもしれないし、まだ教祖が誕生していない始まったばかりの潮流かもしれない。ただ、ひとつ確実に予測できることは、こうした宗教運動が、今日の文化遺産を利用するとしても、現代の一般通念とは矛盾した形でそれを作り変えているであろうということだけだ(2-11)

■健康はオルタナティブ医療で自ら守る

 逆説の未来史17「過疎化する未来」では、公共医療の崩壊によって金持ちしか医療を受けられなくなり人口が減少していくと書いた。この状況に対するグリアの対応策も自衛である。したがって、危機が到来すれば、予防医学や救急医療・衛生について学び、自分の健康は自分でケアすることで対応するしかない。医療は本質的な職業だが、誰もが習得することが必要になる大切なスキルのリストにもあげられる。そこで、大切になるのが代替医療である。ハーブ療法や鍼治療が想い浮かぶが、オルタナティブな医療運動の一部をなす古い療法のほとんどは、工業社会が誕生するはるか以前から発展し、ごくわずかな資源を持続可能に用いて、病気を治療してきた。したがって、エネルギーが不足する脱産業化時代には、いま以上に適したものになる。

 もちろん、代替え医療にはいんちき療法もあるが、医学界が代替医療を批判する背景には、自分たちの市場を守りたいという思惑がある。そして、機能しない場合でさえ、プラーシボ効果は、今日の慣行医療の大黒柱である有毒な薬品や暴力的な手術よりも害を引き起こす可能性が少ない。なればこそ、多くの人々が、慣行医療を捨て去り、様々なオルタナティブや伝統的な形式の医療に向かっている。その多くは、トレーニングを多く受けなくても、学び実施できる。その強さや限界を学び、軽い病気を治すためにそれを使い、自分で健康を守るノウハウを身につける必要がある(1-4)

■避けがたい死という現実を甘受する

 けれども、効果的な公衆衛生手段を欠いた状態では、オルタナティブであれ、それ以外の最良の医療であれ、限界があるであろう。衛生、きれいな水、清潔で健康的な食べもの、あるいは、今日私たちの多くがあたりまえのこととしている公衆衛生のそれ以外の基礎は、どの医学でも代替えできない。これらすべてが、脱工業化する未来には不足する。病気や死は絶え間なく続き、なじみある存在となるであろう。

 おそらく、あなたは自分が期待するほど長生きはできないし、延命のために先端医療もいきなり利用できなくなることを受け入れなければならないだろう。その現実とともに生きることを学ぶことが、工業化時代の黄昏の中では、本質的なスキルとなるであろう。死が他人の身に降りかかるだけのものだとするファンタジーを描く余裕はもはやない。けれども、工業化社会では多くの人たちが、死におびえているが、死は人間にとって避けられない現実で、脱工業化世界においては、それは贅沢なのだ。したがって、避けられない死にも慣れてほしい。そして、自分自身の死と折り合いをつける過程で、人間についての本質的な何かをまさに学ぶであろう(1-4)

■逆説の未来史への教訓~ピーク・オイル以降の文明=モノに執着しないスピリチュアルな生き方

 E・F・シューマッハーの死後に出版された最後の著作小島慶三、斎藤志郎訳『混迷の時代を超えて―人間復興の哲学(A Guide For The Perplexed, Harper Perennial,1977)』(1980) 佑学社は、経済の背後にある課題を扱い、人生という抜本的な問題を問いかけている。シューマッハーは、どのように定義しようとも物的な富は、人間の限られたニーズしか満たすことができず、モノの蓄積に適応した人生は、人間の可能性を開花させることに失敗すると認識していた。豊かさの時代に刷り込まれた思考習慣によって、私たちはこうした可能性のほとんどを認識できずにいるが、収縮する経済の条件下においては、モノをより必要としないほど、運の上下にさほど脆弱ではなくなる。物的な富に対する執着を手放す動きは、ピーク・オイル以降の文明とまさに共通する(3-7)。そして、脱工業化する世界において、科学が生き残るための最大の課題は、科学とスピリチュアルとの領域が曖昧化することなのだ。現代社会の最大の知的産物である科学を未来へと伝承するために、この壁を克服することが、私たちの時代の最大の挑戦のひとつとなっている(2-11)

【引用文献】
(1) John Michael Greer, The Long Descent: A User's Guide to the End of the Industrial Age, New Society Publishers, 2008.
(2) John Michael Greer, The Ecotechnic Future: Envisioning a Post-Peak World, New Society Publishers, 2009.
(3) John Michael Greer, The Wealth of Nature: Economics as if Survival Mattered, New Society Publishers,2011.
(4)ウィキペディア

ベネディクトゥスの画像はウィキペィアより
ファーガソンの写真はウィキペィアより
ライクの写真はこのサイトより
シューマッハーの写真はウィキペディアから


逆説の未来史48 贈与の経済(26) 金を使わずに質素に生きる

2013年10月27日 14時09分12秒 | 逆説の未来史

■進歩する未来も黙示録的に崩壊する未来も幻想である

 ほとんどの米国人は、いま、高額の医療費を支払い、子どもたちのために大学教育やアメニティーを提供し、快適な定年退職するというライフスタイルのことを懸念し始めて入る。けれども、衣食住といった基本的な必需品にアクセスできず、地域経済やコミュニティが瓦解し、立憲政治や法の統治すらも深刻な脅威となるという最悪の夢には入っていない。今日の景気後退が、世界恐慌よりもさらに深刻なレベルにまで落ち込むと警告する人たちの間ですら、何百万人もの米国人たちがスラム街に住み、日々の食を確保するために苦闘する近未来はごくわずかしかイメージしていない(3-7)。進歩への信頼、経済を重視する文化。このバイアスによって、米国がその帝国時代に採用していたほとんどの社会的習慣をする余裕がもはやないという確たる事実について語ることをほとんど不可能にしている(3-5)

 多くの人々が無限の進歩の未来にとらわれている一方で、サバイバリストの過激な黙示録の世界がある。例えば、ピューリッツァー賞を受賞した小説家、コーマック・マッカーシー(Cormac McCarthy,1933~)は、『ザ・ロード』(2006)で、ほとんどの動植物種が絶滅し、文明が消滅し、人類は人食い部族として生き残る世界を描いている(4)。けれども、ここで空想される完全崩壊する未来と現実の未来とは一致しない。無限の進歩と黙示録の崩壊の空想。豊かな現在の以降の世界の意味をわかるには、超えなければならないギャップがある(3-7)

■シューマッハーのオルタナティブ・エコノミー

 現在の工業化社会は、経済的な要因によって苦しめられており、経済学は同時に現在の苦境から抜け出るためのいかなる建設的な試みも阻むうえで、さらに本質的な役割を果たしている。それ以外の科学と同じく経済学は観察される現実の世界を反映させようと試みる一連の仮説モデルだが、モデルと現実が混同されることによって、このモデルに基づいて、次には現在の経済政策はリアリティから乖離する機能を果たしている。見当違いの経済概念に基づく今日の政府の政策が、危機に対して苦闘する社会に対する重い負債となっている。したがって、現在の苦境の意味を理解し、それに対応した建設的なことを行うためには、現実とのかかわりを失っている現在の経済理論、近代経済学の根本概念のいくつかを修正することが欠かせない。

 産業が衰退していく時代において、持続性のための謎を解くにあたって見失われているひとつが、E・E・シューマッハー(Ernst Friedrich Schumacher,1911~1977年)の提案である。シューマッハーが「中間技術」の概念で提唱したオルタナティブな道、そして、シューマッハー以来にその概念を実用化した多くは、数少ない選択肢となっている。

 逆説の未来史28「家政学から職人へ」で書いたように、シューマッハーは、地元で利用可能なエネルギー源で動力供給され、地元で利用可能な原料上に依存する比較的シンプルな技術が、第三世界の至る所で労働する人たちに賃金仕事を提供でき、生活水準を改善できると主張していた。構造的な失業が浸透している現代において、生計を立てる人たちの数を計画的に増やす経済政策がよいアイデアであることを今日の先進国政府が理解する先見性を持ち、さらに言えば、常識とすることはまったくありえそうもなく思える。産業化時代が解体していく限られた時間内においては、もはやその選択枝がハイテクとローテクのどちらかではなく、ローテクかゼロかのどちらかにしかないことを理解することも同じだ。けれども、政府は、ゲームにおける唯一のプレーヤーではない(3-5)

■雄大な計画よりも小さく行う

 例えば、シューマッハーは「補完性機能の原則(Principle of Subsidiary Function)」と呼ばれる対応策を提唱していた。これは、あることをするにあたって、実際にそれを行える最小で最もローカルな「ユニット」にその機能を割り振ることが、最も効率的であるという原則である。けれども、シューマッハーは単なる机上の理論家ではなかった。ビジネスの世界でほぼ一生働いてきたエコノミストしての経験から、この結論を引き出した。シューマッハーは、経済や政治システムがより大規模でより集中化されると、現実世界のローカルなニーズに効果的な対応ができないことに気づいた。

 この原則は、産業化社会のあらゆる苦境に適用できる。例えば、国際交渉は気候変動に対するグローバルな対応を確立することに失敗しているし、全国レベルで同じことを試みることもさほど成功しまい。一方、より梯子を下って、自分の生活上の課題に直面する個人や家族に近づいていけば、多くのサクセスストーリーを見出すことができる。これは、シューマッハーの主張を立証する証拠となっている。すなわち、複雑さを解きほぐすためのベストな場所は、日々の暮らしの中にある。一人ひとりが個人レベルで複雑なシステムから離反していけば、社会を複雑さにするための根拠もなくなり、よりシンプルで持続可能なニーズを満たすためのフレームワークを構築できる。

 ①あるニーズを満たすためにあなたが依存しているシステムは複雑なものだろうか。
 ②もし、複雑であれば、よりローカルなシステムに依存するようにかえる。
 ③あるいは、自分自身で満たす。あるいは、まったく何もしないことへとシフトする(3-6)

 こうした個人的な対応は、伝統的に別の種類の壮大なスキームに賛同する人たちから排撃され続けて来た。けれども、過去半世紀の持続性のための雄大な計画のほぼすべてが機能しなかったことからして、実際になされる小さなステップの方が役立つことは記憶されるべきである。トップダウンで産業社会の危機に取り組むことは、数十年も活動家によって何度も繰り返して試みられ、今、顕著な結果を得ていない。おそらく、それ以外の何かを試みる時なのである。抽象的なグローバルな考察よりも、個人の選択やローカルな可能性からスタートすることが、すべてをよりよく発展させる。

 シューマッハーのやり方にはさらにメリットがある。国際協定や政府の対応措置が機能し始めることを待つ必要もない(3-6)。政府や社会のどのような集団的行動も待つ必要がなく、個人、家族、コミュニティ、様々なワーキンググループによってまさにいま実践に移せることだ。ゲームはすでに手遅れである。けれども、追求する価値のある変化がある。例えば、マシンの神話を疑うことを学んだ異端の少数者が、不足の夜明けとして、そのことを心にとどめ、人々を教育することが機械を構築するよりもはるかに有用なプロジェクトであり、個人、家族、そして、コミュニティが生産的に働くために彼らが必要とするスキルやシンプルなツールを手に持てることを担保するために、可能な限り多くをしていることは、私たちに先立つ未来に対して最も有望な対応かもしれない(3-5)。すなわち、自身の暮らしに変化を作ることで、今まさにここで始まることが可能なのである(3-6)

■マネーからの脱却がマネー経済解体への安全弁となる

 マネーは、モノやサービスの実体経済を支えるために発展してきた。けれども、現在は実体経済を窒息させる抽象的フィクションとなっている。一方、非市場経済においては、習慣、相互性、そして、集合的な利益が交換を管理してきた。市場を中心としたイデオロギーが作りだしてきた価値尺度は、この非市場経済では成り立たない。したがって、マネーはさほど適切でなくなるであろう。未来のエコテクな社会の中で、どのような形式が成り立つのかを現時点で推測することはおそらく不可能である。けれども、市場を越えた未来を思い描くことはいままさに価値がある。そして、リニューアルされた家事経済が、未来のエコノミーが根付いて成長できる苗床となろう(2-7)

 すなわち、今後、ほとんどの人たちにとっては、マネーの世界は適切なものではなくなろう。けれども、同時に、私たちのほとんどは、マネー経済から完全に自分を切り離す選択肢を手にしてはいないであろう。例えば、現在の政府が機能し続ける限りは、政府は納税用のマネーを要求するだろうし、それ以外にもマネーなしでやりくりすることが非常に困難となる多くの財やサービスがあるために、マネーはネックとなろう。けれども、第三次経済から距離を置いておくことは、一か八かの選択肢とならなければならない理由はない。自分で直接管理できる資源を用いて、自分の労働を通じて、自分が必要とする財やサービスを自分で生産することに向けたどのようなステップも、マネー時代以降の世界に向けた一ステップとなる。そして、それは、私たちの身のまわりで解体しつつある第三次経済に対する安全のクッションでもある(3-6)

■年金の時代は終わり、高齢者も年金で遊んでいるゆとりがなくなる

 豊かなエネルギー時代が終焉すれば、世界のどこでも残された最も豊富なエネルギー源は人間の労働力となるであろう。それ以外の資源がより高価になるにつれ、労働費、すなわち、労働から稼げる賃金も落ちていくであろう。けれども、エネルギーが不足し、経済が収縮して没落していく世界においては、人間の労働力は決定的な強みを持つ。それ以外の技術とは違い、人間の労働力は、ソーラーエネルギー、すなわち、食料から燃料供給されているからだ。
 現代の農業は化石燃料を用いることで食料を生産しているが、これはエネルギーが豊かな時代の習慣である。燃料価格が上がり、賃金が低下すれば、シンプルな道具を用いた人間による農作業が増えていく。人口密度が高く、わずかのエネルギー資源しか持たない社会の農業は、いずれも土地を大規模に用いず、集約的に使用し、エネルギー集約的な方法ではなく手道具での人間労働に依存し、大量の野菜や作物、そして、比較的適度な動物性蛋白質を生産してきた。未来の農業もそうなるであろう。

 現在の産業化社会のほとんどの人たちは、大学を卒業し、デスクに座った仕事に就職するという概念を抱いているが、それは放棄されなければならないであろう(3-5)。そして、家庭菜園が広がることにつながる社会の変化は、今日の産業化社会の人たちが期待する最も基礎的なもののひとつにも終止符を打つ。それは年金である(3-6)
 
 現在では定年が社会的な習慣となっているが、それは、失業率を低く維持するために、年金を支払っても一定年齢を超えた人々を労働市場から引退させることが、先進諸国においては財政的・政治的意味をもっていたからである。けれども、定年は豊かなエネルギー時代の産物だった。近代以前には、工業化社会においてすら、あらゆる経済活動のほぼ半分は、なんら市場とは関連がなかった。正規雇用される年齢以外の多くの男性、そして、ほとんどの女性は、市場ではなく、慣習にしたがった交換や家庭内での家事経済で働いていた。そこでは、定年退職する人々も含まれスキルを手にした高齢者は財やサービスを供給していた。

 経済が収縮し、限りあるエネルギーや資源を緊急用途に優先しなければならなくなれば、家庭内経済が再び必要とされ、実施可能になっていく。テークアウトの食事やコンビニエンス・ストアーは消えていく。ほとんどの食事は再び原材料から家庭で作られるようになるだろうし、グローバルな搾取工場が海外で作って輸入している衣服も、輸送エネルギー費の値上がりで立ち行かなくなれば、衣類も生の繊維から再び家庭で縫われるであろう。このいずれにも人間の労働力が必要だ。すなわち、人間の労働力の方が機械よりも価値を持つことになる。人間の資源が活かされないわけがない。したがって、豊かなエネルギーがもはや供給されない社会においては、高齢者も家庭内で労働力として活躍し、高齢者が怠けて放置されるゆとりはなくなろう(3-6)

■定年まで10年以上あるならば、投資ビジネスは無駄になる

 もちろん、そうした社会には一夜にしてはたどり着かない。現在の退職者や近々退職する予定の人々も今の既得権益にしがみつくこうとしばらくはもがくであろう。けれども、もし、定年後のライフプランについてのアドバイスを求められるとしたら、こんなふうに申し上げたい。

①プランA:もし、既に引退されているか、あるいは、数年以内に退職される予定であって、安心できる投資先が見つけられるならば、自分のマネーをそれに投資されることがおそらく有益であろう。
②プランB:けれども、その投資が今後詳細にもずっと価値があると想定することは賢くない。そこで、まだ退職されるまで10年かそれ以上の時間があるならば、別のプランを立てることが欠かせない。どのような種類が最も適切であるかは、個人の資質や住んでいる地元の条件に依存するため、詳細はプランを立てることは難しい。けれども、もし、あなたの家族が多く、今から10年先に、子どもとその配偶者と4人の孫がひとつのマンションに住んでいるとして、おばあちゃんやおじいちゃんが食事の支度や孫の世話、菜園仕事をすることは、あなたにとって非常に価値があるであろう。もし、あなたに家族がいないか、大家族での生活に耐えられないのであれば、もっと若い人との友人関係を育み、高齢になっても続けられる第二のキャリアに向けて準備をすることだ。
③プランC:そして、私がそうであるように引退するまで(注:おいおい、『私がそうであるように』って書いているが、グリア、あなたは定職についていないヒモではないか!)、30年かそれ以上があるならば、①のプランについては一切忘れることだ。ひとたび、新たな経済秩序が形をとり始めれば、未来へのオルタナティブな投資を探すことができるが、おそらく決して引退はできないであろう(3-6)

■豊かさを手にできる人は限られた特権階級だけになる

 このように、複雑な技術システムへの依存度を減らし、可能な限りエネルギー消費を減らし、自分自身で食料を育て、少なくとも家族の一人をマネー経済のためのフルタイムの仕事に従事することから解放することは、大きな意味をなす。けれども、このすべてには別の意味がある。過去300年、そして、とりわけ、過去50年では多くのモノやサービスがよい生活であるとの定義が一般的となった。匹敵するものがないだけの豊かさの時代には、いかなる問題に対しても物的な富によって解決することが容易であった。それは、たしかにいくつかの問題を解決はした。そして、この定義は、現代の思考様式に完全に組み入れられているため、それを超えて思考することは極めて困難となっている。

 けれども、豊かさの時代が終焉することで、ごく近い将来には、人間の存在の核である不確実性を消費財を追い求めることで回避しようと試みる選択肢を手にできるのは、世界のなかでごくわずかの人たちだけとなろう(3-7)。私たちの大多数は、たとえ、それが質の急激な縮小を意味したとしても、あるモノを買わずにやりくりできないかを調べるようになるであろう。とてもわずかのもので間にあわせたり、あまりにも医療費がかかるために家で重症を治療したりしなければならなくなろう。というのは、本質的なこと以上には支払うマネーがもはやないからだ(3-5)。私たちは、余命六カ月しかない不治の病に侵された高齢者に25万ドルを費やすことがなにかの意味をなすという考えを放棄しなければならないであろう(3-5)。私たち残りの多くの人々は、私たちの偉大な祖父母がしてきたように、私たちの人生をその家庭で終えるであろう(3-7)

■逆説の未来史への教訓~人生の意味を考えるときが来る

 複雑な生命支援装置につながれてその死の最後の数カ月をすごせる特権は、金持ちだけしか持てなくなろう。けれども、その金持ちにも人間の存在そのもの手がつけられない抜本的な苦しみは残されている。重い病にかかりながら、高額の療法を続けることで、数カ月の余命を悲惨なまでに伸ばすことで、避け難い「死」という抜本的な人間の苦しみを回避できたと装うことができただろうか?。それがなければ、よい生活ができないベーシックな物的ニーズがあることは確かだ。けれども、ベーシックなニーズは現代の生活が想定するよりも、はるかに少なくシンプルである。そして、自分の人生に安全をもたらすベーシックな物的ニーズを持てることを幸運と見なし、人生の意味や価値への抜本的な問いかけに再び対処しなければならなくなろう(3-7)。つまるところ、ニーズや欠乏に対処する最もシンプルなやり方は、それが生物として可能であれば、それを必要としたり、望むことを止めることなのである(3-6)

【引用文献】
(1) John Michael Greer, The Long Descent: A User's Guide to the End of the Industrial Age, New Society Publishers, 2008.
(2) John Michael Greer, The Ecotechnic Future: Envisioning a Post-Peak World, New Society Publishers, 2009.
(3) John Michael Greer, The Wealth of Nature: Economics as if Survival Mattered, New Society Publishers,2011.
(4)ウィキペディア
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逆説の未来史47 贈与の経済(25) グローバル経済以降の未来

2013年10月27日 11時09分52秒 | 逆説の未来史


■広域経済圏は軍事目的のインフラが産み出した

逆説の未来史3「帝国の崩壊が産みしもの」では、グローバル化していたローマが解体したことについてふれ、逆説の未来史18「さまよえる○○人」では米国も解体していくと述べた。

 ピーク・オイルを懸念する人たちの間では、財やサービスを集中的に生産し、大陸間や大陸内を供給する流通網から、地元で利用可能な資源を用いて、地元で財・サービスを生産するように経済活動を再びローカル化させる必要性が提唱されている(3-6)。逆説の未来史45「コミュニティとローカル経済」でも指摘したように、収縮していく時代には再ローカル化はあたりまえの出来事である。複雑な社会がその資源ベースをオーバーシュートさせて没落すれば、集中化された経済はバラバラとなり、遠距離貿易も急速に落ち込み、いま消費財と呼ばれているものの大半が家庭内か家庭にきわめて近い近隣で製造されることになる。

 現在の経済学では、規模の経済やコントロールの集中化は無分別に評価され、ローカルに分散化されたものよりも有益であると想定され、多くの状況においてそれが実際には経済ではないとの考えはめったに考えられることがない。近代社会の想定に真っ向から反抗する原則を考えることは難しい。

 けれども、理論と歴史とが矛盾するとき、間違っているのは歴史ではなく、一般通念を見直す方が適切である。規模の経済や集中化された経済は、それだけでは収益性があがらず、それは、とりわけ、交通インフラに依存している。そして、交通インフラ自身もそれだけでは生じず、政府がそのコストを負担することによって産まれている。例えば、広域で統合されていたローマ経済を可能とした「ローマの道」や広域化された米国で同じ機能を果たしている「州間高速道路システム(interstate highway system)」は、起業家たちが産み出したものではなかった。例えば、米国で州間高速道路システムを整備するための法律は、第二次世界大戦中に輸送問題に苦戦した国防総省が後押しすることで制定された。すなわち、広域道路網は軍事目的のために中央政府によって創出されたものであり、そのために政府は、経済の集中化のために補助金を交付してきた。

 経済の集中化を維持するためには、消費財が途中で略奪されず国内のある側から反対側まで安全に遠距離輸送ができるように社会秩序も維持される必要がある。消費材の遠距離輸送を担保する目的のために政府は警察を設置し、国境を防衛しているわけではないが、ビジネスはこうした間接的な補助金からも恩恵を得ている(3-6)

■石油価格がバレル80ドルを越すと実質経済が崩壊し始める

「グローバル経済」の提案者たちは、誰もが米国の中流階級のような暮らしをできるという未来のユートピアを描いてきた。けれども、過去数十年で集中化された大量生産を可能にした規模の経済は、莫大な化石エネルギー量の結果にすぎない。化石燃料の枯渇がこうした乱暴狼藉に終焉をもたらすとともに、集中化された大量生産を維持するために必要とされるエネルギーやそれ以外の資源は、もはや利用可能ではなくなる(3-5)。文明が崩壊すれば、こうした集中化された経済的のための間接的な補助金はすべて消え失せる。道路はもはや維持されず、湾は沈泥でふさがり、農村には強盗が横行し、移入国家が領土に侵入していく。経済の集中化を有益にしている間接的な補助金がなくなれば、それは有益であることを止める(3-6)

 1945年から2005年までは、想像できないほどの大量の廉価な石油が世界の産業諸国の経済を動かしてきた。こうした国々での暮らしが、今も私たちの思考や未来への期待のほぼすべてを形づくっている。産業化社会では、政策を決定する専門家もマスメディアも誰一人として、豊かさの時代の終焉の影響のことを語ってはいない。けれども、経済成長を続けることには、エネルギー、資源、労働というコストが伴う。そのコストは経済成長よりも急速に高まり、むしろ経済に負担を科すレベルに達する(3-7)。有限の世界において無限の経済成長を追求していけば、資源が枯渇し、同時に工業生産の過程で産み出される汚染が増加する。資源が枯渇すれば、資源を抽出して経済的に利用するためするためにさらに多くの労働力や資本が投資されなければならず、そのコストは実質ベースで高まる。汚染が増加すれば、その影響を緩和するための公衆衛生費や農業生産他の経費も同じく高まっていく。こうした経費は、既存の経済の産出の中から支払わなければならず、経済の生産性そのものが落ち始め、さらに少ないものしか残されず、工業化社会が末期的な没落を始めていく。1973年の『成長の限界』の警告と冷酷なシナリオは、いまだに未来の最も妥当性のあるマップで、そのために必然的に最もひどく誹謗中傷されているが(3-5)、それがまさに現在起こっている。

 例えば、ペンシルバニアやテキサス州の油井が枯渇したため、大陸棚での石油掘削やオイルサンドから得られる石油の割合がますます多くなってきている。けれども、メキシコ湾の深海の油田やアルバータのオイルサンドから石油を抽出するには、ペンシルバニアやテキサス州の浅い地層から良質の石油を確保するよりも多くのリアルなコストを要する。そして、石油生産におけるエネルギー、資源、労働の実質コストから、石油価格が1バレル当たり80ドルを越えると、それは、現在の経済が解体し始め、豊かさの時代が終焉したサインであることがわかる。例えば、2007年の秋と2010年の春には、いずれも石油価格が値上がり続けた後に1バレル当たり80ドルを越え、それに深刻な債務危機が続いた。2007年には投資によって石油価格はその後も高騰し続け、1バレル当たり150ドルにまで達した。そして、債務危機が劇的な経済不況を引き起こし、失業が深刻化し、多くの米国人が99週間の失業保険支給期間を終えても再就職できず、失業保険の支給そのものを無意味なものとして見直すという政治問題すらなっている。違法経済すらも深刻な打撃を受け、ナショナル・パブリック・ラジオ(National Public Radio)の最近のニュース記事によれば、カリフォルニア北部ではマリファナが主な換金作物なのだが、その価格も暴落し、叩き売りや深刻な景気収縮が目にされている(3-7)

■原発もバイオ燃料も複雑さの危機を高めるだけに終わる

 経済的なディメンジョンを無視すれば、社会が直面するこうした危機を、原発やソーラー発電、藻のバイオディーゼル等の巨大建設プロジェクトを立ち上げることで打開できると主張することは簡単である。ピーク・オイルの時代を迎え、豊富なエネルギーを基礎に構築されてきた巨大なテクノ構造が保持できなくなるとき、権力者や一般大衆はさらに複雑で巨大なメカを開発することを求める。けれども、こうした巨大プログラムは既に疲弊している経済や資源ベースの上にさらに需要を科す。それが、さらにリスクを高め、テクノ構造を機能障害に陥らせる。どのような仕事においても最も適したものは人間ではなく機械であるとのメカの神話は、リスクを無視する罠に陥っている。ハイテクや物的に豊かなグリーンな未来の議論も、進歩という近代的な宗教のドグマに依存している。けれども、爆発し蓄積された技術知識が工業化世界を産み出した原因ではなく、技術知識は工業化世界の結果だった。それは、匹敵するものがない300年の化石燃料という富がもたらしたものだった。すなわち、人間社会がそうした膨大な濃縮されたエネルギー源を手にしていなければ、富の生産は、第一次経済からのエネルギー資源や水や土壌養分等に依存する毎年の農業の収量という自然の限界によって制約される。風力、水力、日光他のわずかな自然エネルギー源以外には、非工業社会を動かすのは、光合成エネルギーだけで、それが、圃場で働き、鉱山を掘り、富を産み出すためのそれ以外の人間や家畜の筋肉活動に燃料を供給している。これが、産業時代以前のほとんどの人たちが、さほどモノを多く手にしていなかったかの理由だ(3-5)

■米国は幻想のマネー拡張によって破綻している

 すなわち、前述した巨大プログラムにはコストが必要であって、それは支払われなければならない。けれども、これは、そのためのマネーが見つからないわけではない。今日の幻影の経済では、何もないところからマネーを出現させることは簡単である。けれども、それは、実質の資源ストックや経済的アウトプットから支払わなければならない。こうした限界の影響が見え始めれば、問題から脱却するために必要とされるスペアーの経済的な能力はもはや存在していない。これが成長の限界に隠された罠なのである(3-5)。『成長の限界』の著者たちは、マネーのことは語ってはいなかった。そして、天文学的なレベルでの負債が今日のグローバル経済ではあたりまえになっているが、その崩壊が最初に現れたのは、限界的な借手(marginal borrowers)であった。2007年の秋には、限界的な借手の多くは住宅の所有者だったが、2010年の春には、それは国家全体となっていた。

 この経済的な衰退は偶然に起きたわけではなく、政治階級が、マネーを「冨の尺度」としてではなく、「冨の源」だと確信し、実質資産の生産を犠牲にしても、マネーを増刷するという悪政を続けたためである。いま、米国は、天然資源の枯渇を加速化し、国家基盤である産業や農業を放棄し、海外からマネーで経済を支えるための異常な金融システムを構築している。まるで未来がないかのように過去15年以上も、政府はマネーを大量に印刷し、系統的に投機的バブルを膨張させている。これは、米国がもはや勝ち目がない戦争の最終場面に入っていることを意味している。

 これまで、未来を懸念する人たちは、計画を立てたり、アクションを講じるための時間的なゆとりを手にしていた。まだ時間が残されていたときには、本を執筆したり、スピーチをすることで危機を警鐘することもできた。けれども、もはや私たちはその選択肢を手にはしていない。現状を正確に読めば、米国経済はすでに解体のポイントに達してしまっている。したがって、米国において私たちのほとんどが恒久的なものだと信じている多くは、今後数年で急速に消え失せ、米国は第三世界の国へと転落していくであろう。この変化をマスメディアが扱うことはないであろう。10年先に、例えば、米国の労働者の半分が安定した職を手にできず、郊外がスラムへと変わり、南部や北西部の山岳地帯で暴動が起きていても、まだケーブルテレビにアクセスできるとすれば、彼らが2000年よりもいかにいま豊かになっているかと説明しているであろうことには疑問の余地はない(3-7)

■逆説の未来史の教訓

 グリアは言う。

「今後、訪れる未来を一生のスケールで描いてみよう。そうすれば、居てもたってもいられなくなる未来のイメージがあらわれる。1960年に生まれた米国のある女性は、1980年代と1990年代に新聞紙上で短い政治的な危機を目にした。そして、20年後も新たな問題を見続けている。一時的な回復がありながらも、引き続く政治経済的な危機が、その後の彼女の残りの人生を形作った。70歳になる頃には、彼女は機能麻痺した都市で生活していた。都市住民のほぼ半数は、水道、電気、医療を利用できない。政治家や財界のリーダーは「事態は好転している」と主張し続けているが、超高層ビルの影では貧民街が広がっている。

 彼女の曾孫は、2040年に産まれた。若者の四分の一は感染症や広まる暴力、アルコールやドラッグの乱用に苦しめられている。そして、多くの若者は、海外や国内のゲリラとのつき果てることがなき戦いのための徴兵を受けている。自動車や冷蔵庫もはや誰も所有できない贅沢品となり、彼の自宅にはセントラルヒーティングもなければ、電気も通じていない。医療は、ハーブの知識を持っていた老女に頼っている。彼が白髪になる頃には、かつて「米国」と呼ばれた地域はバラバラに解体されていた。残された燃料や電力はすべて、新たな「地域政府」に徴用され、沿岸部の都市は海面上昇によって放棄されている。
彼の曾孫は2120年に産まれた。大きな危機はほとんど過去のものとなっている。彼女は、かつて「郊外」と呼ばれていた村で育った。その周囲には、廃棄された超高層ビル街があり、そこは、原材料を採掘するためのサルベージの作業員だけしか訪れない。局地的な戦争が時々起こり、海面はまだ上昇し続けている。飢餓や流行病が毎十年毎に訪れ、人口は2000年時の半分以下となっているが、まだ減少している。けれども、人間と自然はバランスに向かっている。彼女は読み書きを学んでいるが、それは彼女の隣人たちの誰もが手にしていないスキルだ。わずかの古い書物を彼女は宝にしているが、そこに書かれている「人類が月の上を歩いた」という日々はもはや伝説として色褪せている。彼女とその家族が郊外を後に、農村の村へと旅立つ時、砕けるアスファルト道路の上に残した彼女の足跡が文明の終焉を記すことになっているとは、おそらく思いもよらないであろう」(1-1)

【引用文献】
(1) John Michael Greer, The Long Descent: A User's Guide to the End of the Industrial Age, New Society Publishers, 2008.
(2) John Michael Greer, The Ecotechnic Future: Envisioning a Post-Peak World, New Society Publishers, 2009.
(3) John Michael Greer, The Wealth of Nature: Economics as if Survival Mattered, New Society Publishers,2011.


逆説の未来史46 贈与の経済(24) マネー経済から脱却する~家庭菜園の意味

2013年10月24日 23時34分24秒 | 逆説の未来史

【はじめに】

 10月20日、日比谷公園で開催された「土と平和の祭典」の『移住&国民皆農 のススメ』というトークステージで、斉藤博嗣氏(一反百姓じねん堂)から、ご自分のメッセージも込められた福岡正信氏の著作の復刊本『緑の哲学/農業革命論、自然農法、一反百姓のすすめ』(2013)春秋社をいただいた。

 斉藤氏は、トークステージで百姓をする理由として「金を使わないですむから」と語られていた。ここには驚くべき本質がある。私自身は学生時代―1980年代?に有機農業に関心を抱いて以来、福岡正信氏の著作にも目を通してはいたのだが、その哲学的なコンテンツに違和感を覚え、エコロジーや地球化学から理解できる有機農法の技術の方へと関心を走らせてしまった。けれども、エコロジーの第一次経済とマネーの第三次経済とを統合するグリア本を要約する作業をいまここでしている中で、ようやく、この斉藤氏の発言、福岡哲学の一端の奥深さがわかってきたような気がする。すなわち、グリアが言う家庭菜園、斉藤氏が言う一反百姓には、大惨事を招くであろう第三次経済から、「生命」を切り離すという意味があったのである。グリアがヒモに徹しながら、せっせと畑を耕していたのには、そんな理由があったのか!。こうした観点を念頭において、前々回と前回のグリアのコミュニティ論と今回の家事経済論をお読みいただきたい。

■グローバルマネー経済は終焉しローカル経済が始まる

逆説の未来史44 贈与の経済(22)「コミュニティと参加型の民主政治」では「没落のシグナルは簡単に見逃される(略)。というのは、産業化社会のオルタナティブは、耐え難きを耐えることだからだ。産業化社会が終焉し、現代社会においてはあたりまえとなっている生活水準、贅沢や便利さが一時的なものではなく、永遠に消え去っていることを認めることだからである」(1-4)と書いた。

 逆に言えば、耐え難きを耐えることは、ピーク・オイル以降の経済的影響に対処するうえで決定的なステップだ。18世紀までは、西洋世界でもモノやサービスの半分以上が、家庭やコミュニティ経済内で生産され、需要と供給ではなく義務と相互性によって管理された慣習的なネットワーク内で交換されていた。ほとんどの世帯は、自分で食料、衣類他の必需品のほとんどを生産し、その余剰を地元の生産者が製造した専門品を物々交換するために用いていた。はるかに遠方で製造された商品は、輸送費がかかり腐敗するために物々交換が不可能である。マネーは、こうしたモノの交換手段として役立っていたにすぎない。地元が使うものを地元で生産するシステムが、集中的な生産流通システムに転換できたのは、豊富な化石エネルギーが輸送コストを廉価にしていたからである。

 したがって、ピーク・オイル以降は、再びこうしたローカル経済が未来の波となる(1-4)。例えば、交通機関が麻痺して、通勤に基づく経済が音をたてて停止すれば、危機の波は、従来の経済を置き換えるトランジション経済が誕生することによって、くぐり抜けられることであろう。そして、需要と供給とのバランスが戻るにつれて、ローカル経済に見合った交通ネットワークが産み出されるであろう。そのための準備は欠かせない。例えば、徒歩通勤を始め、食料雑貨店には歩いて出かけるようにすれば、これしか選択肢が残されなくなる時代に直面したときにより困難が少なくなるであろう(2-10)。遅かれ早かれ、誰もが自動車は捨てなければならなくなろう。けれども、ガソリンを減らすことは誰でもやれる。趣味のドライブを減らし、通勤用には小型車を使う。相乗りや公共交通機関を利用し、徒歩や自転車で通勤する。こうした取り組みは、石油の枯渇を先延ばし、持続性に向けたトランジションの時間を買うことにつながる。したがって、各個人、家族、そして、コミュニティー・レベルで備えることが、残されたひとつの選択肢となり、ピーク・オイルにいち早く考慮し、自分の暮らしを変えるほど、産業化社会の没落の波をよく乗り切れ、それ以外の人たちが持続性に向けてトランジションすることを助けるであろう(1-4)

 つまるところ、ごく近い過去や現在のマネー経済は、時代錯誤で自滅的となり、マネーは、遠からず、経済全体でごくわずかな役割だけしか果たさなくなる。けれども、化石燃料はじわじわとしたプロセスで枯渇していくことから、一夜では転換は起こらない。そこで、マネー経済の黄昏もじわじわとしたプロセスとなるが、経済が収縮していけば、マネー他の抽象的な富がもはやモノやサービスへのアクセスを保証しなくなる。このことに照らしあわせて、未来に関するあらゆる想定を再評価しなければならない(1-4)

■自分のスキルを用いた物々交換の時代が始まる

 脱工業化時代には、マネー経済を介さずに、自分の望みやニーズを満たすことが決定的となろう。そのひとつは、ニーズそのものを減らすことだ。全世界のスピリチュアルな伝統が、モノに執着しないことに価値をおいてきたことは偶然ではない(1-4)

 第二は、そのニーズをマネーを使わずに満たすことをできる限り早く実施する必要がある。例えば、自分の労働で食用作物を育てていれば、税金等を除いて、実際にはマネーはいらない。育てた食べ物は、自家用に使え、あなたの労働は、あなたに直接的な価値をもたらす。それ以外は、あなたが必要とする地元のモノやサービスと交換できる。隣に住む女裁縫師、道を下ったところにある鍛冶屋、そして、町中の雑貨店などである。

 人々とモノやサービスを交換するには、マネーは便利な方法ではある。けれども、手にしたい価値を交換するために、物々交換や地域通貨(local scrip)他の手段を使える。というのは、あなたが産み出したものが、他の人たちにも価値があれば、その交換を媒介する手段としてのマネー経済がそこにあろうがなかろうが、それ以外の人たちが生産したものと交換できるからだ。

 人々は様々なチャンスや多様な才能を手にしている。産業経済が全盛時代には自分でカーディガンを編む習慣は、奇妙に見えたかもしれないが、セントラル・ヒーティングが高コストから存在しなくなり、海外から搾取した製品を現在の工業化社会の店舗に供給するサプライ・チェーンも運送費の値上がりから粉砕すれば、暖かい衣服を自分の手で作ることは明らかに価値を持つ。それは、有用な物々交換のためのアイテムとなろう。同じことが、家の修理や配管工事、家具づくり、小型の電化製品の修理、石鹸、ハーブ薬剤と多くのよろずや的なスキルもそれに該当しよう(1-4)

■非常時の食料危機への対応策として家庭菜園は誕生した

 けれども、菜園を利用できる人たちにとっては、おそらく家庭菜園が最優先事項となる。そこで、有機農業の良書を求め、テラスやバルコニー、コミュニティー・ガーデンで有機菜園を始めてほしい(1-4)。誰もが家庭菜園を持てないではないか、という批判もあろう。確かに、最近では多くの人たちが裏庭を手にしていないし、裏庭の使用が禁じられている人たちもいる。けれども、たとえ、裏庭で菜園を行えなくても、近くにアロットメントプログラムを実施している地区にあれば、そこで菜園はやれる(3-6)。土地がなくても菜園をやっている友人と協力しあおう。堆肥づくりも、シンプルだが効率的な技術だ。そこで、堆肥づくりの良書を求め、台所の生ゴミを土に戻すことから始めてほしい。そして、もし、家があって地元の法律が許可するのであれば、水洗トイレをコンポスト・トイレに交換してほしい。脱工業化時代のサバイバルは、養分をいかに循環するかにかかっているからだ。わずかの野菜しか生産できないとしても、それは問題ではない。自分で自給しなければならなくなる前にノウハウを取得しておくことが重要だからだ(1-4)。それでも、菜園ができなければ、それ以外でもマネーを介さずに自分の労働で自分自身のニーズを満たすせるものを探せばいい。

 そもそも家庭菜園は、危機に対する社会的な対応策として20世紀に発明されたものだった。それ以前の時代には、戦時に菜園を耕すように民間人に対して奨励することは時間の浪費だった。なぜなら、誰もが家庭菜園を手にしていたからだ。そして、それが、各家庭が菜園を手にしていたオジリナルの理由であった。

 石油時代以前にヨーロッパや米国で財やサービスを産み出していた家事経済は、家屋内にとどまらず、菜園もニワトリ小屋も果樹園も含んでいた。都市への食料供給が鉄道輸送で商業化され19世紀に近代都市を誕生してからのみ、この習慣は衰退した。1914年に第一次世界大戦が勃発すると、平和時に食料を都市に供給していた輸送網は麻痺し、海外からの食料輸入も海上封鎖と潜水艦の攻撃で滞った。多くの都市はゼロから菜園システムを再構築しなければならなかった。この痛い経験がその後には軍事計画の標準規格(standard part)となり、第二次世界大戦時には家庭菜園プログラムが組織的に直ちに立ち上がり、厳しい食料配給を緩和した。戦争時のイギリスの自給率は低く、かつ、Uボートの攻撃で輸入食品の確保が深刻であったにもかかわらず、イギリスの食料不足が飢餓を引き起こすまでに及ばなかったのはその成功の証であった(3-6)。第二次世界大戦中にガソリンの配給や家庭菜園を欠かせないものとしたのと同じ要因が、これからのトランジションにおいては決定的な役割を果たすであろう(1-4)

 1970年代にも、同じことが民間レベルで小規模で起きた。あらゆる先進諸国で未来を懸念する人々は、自分たちで家庭菜園を耕し始め、ガーデニングの指導書も売れた。そして、今日、景気が改善しても、家庭菜園の人気は落ちていない。多くの人たちにとって、家庭菜園は、トラブルのある時代に対してほぼ本能的な反応となっている。事実、家庭菜園は、過去の困難な時期にも人々が生き抜くためのシンプルな事例であったし、切迫する未来の困難な時期にも役立つ(3-6)

■家庭菜園での自給は第三次経済から人生を切り離す

 それではなぜ家庭菜園は、トラブルに対する対応策となるのであろうか。そのわけは、菜園から得られる価値が、賃金労働や貯蓄から得られるものとは決定的に違う価値を持つからだ。「マネー」という富の形態は、それ以外の何かと交換できることによって価値があるにすぎないことを再び思い出してほしい。経済危機が深まり続けば、そのマネーの価値や有効性は劇的に変動するであろう。インフレや信用崩壊等、マネーという手段だけでは、どのような経済活動も、気まぐれな第三の経済の人質になってしまう。けれども、家族やコミュニティのために、財やサービスを直接的に生産する経済活動は、こうした気まぐれさにさほど影響されない。例えば、野菜を考えてみてほしい。野菜を手に入れるうえで、あなたが自分の給与による購入に依存していれば、どれだけ野菜を食べられるのかは、どの瞬間においてもマネーの価値に左右されている。けれども、もし、自分の台所の生ゴミや菜園の残渣を用いて土壌を肥沃にし、自分で野菜を育て、自分で種子を保存していれば、あなたは野菜の供給をはるかに直接的に管理していることになる。自分の筋肉を使って土づくりを行い、自家採取するときに必要とされるマネーは、きつい一日の仕事を終えて飲むビール程度であろう。家族を養う野菜は、太陽や土壌の第一次経済と汗の第二次経済から産み出されるもので、第三次経済は、このループからカットされている(3-6)

 通常の家庭菜園では食料をすべて自給できないし、自給できない食料は、第三次経済に人質にとられたままだとの批判は正しい。けれども、それは見かけほど重要ではない(3-6)。菜園が生活の質に影響を及ぼすには、自分自身の食料のかなりの割合を育てる必要はない(1-4)。例えば、家庭菜園で穀類や乾燥豆等を生産できなくても、それは、現在では安く買えるし、経済的な混乱期においても北米では穀類やマメといった大半の作物はほぼ確実に市場で利用可能だろう。そして、混乱期に売り出されない野菜、果物、卵、鶏やウサギ肉等が、まさに菜園で生産できるものなのである。それは、ビタミンやミネラル他の栄養素をもたらす(1-4,3-6)。手織物用の染料植物や薬草とともに、それは150年前には人々が家庭菜園で生産されていたものなのである。そして、産業化社会のほとんどの人たちがあたりまえと考えている豊かさが維持できなくなる世界において、これらは家庭で生産することが意味をなす(3-6)。菜園と二、三本の果樹、そして、ウサギ小屋、鶏舎、コイかティラピアの小さな養殖池が、健康でいられるか、栄養失調になるかの大きな違いを産み出すこととなろう(1-4)

■ピーク・オイルで食料危機は起こるのか?

 経済的な混乱期においても北米では穀類やマメが確保できると述べたが、化石燃料が不足し、農産物の多くがバイオ燃料生産へと転換されるにつれて、世界の貧しい国で飢餓が増加したり、破綻する国家が急増することは、起こりえるであろう。産業社会は、経済的、政治的、文化的な再調整に直面し、農産物価格が高騰しては、にわか景気で暴落して再び戻るという想定できないような経済的変動が繰り返されよう。20世紀後半にそうであったように、収入と比較して食料が再び常に安くなる前には、おそらく数世紀がかかるであろうが、けれども、この変動の背後では、一般的に状況は上向きとなっていく。これらを黙示録の用語で考えることはたやすい。けれども、これらは、ホメオスタシスのプロセス、豊富なエネルギーによって、一時的に可能となった大規模な人口増加が、生物圏の限界によって科されるネガティブなフィードバックによってバランスが保たれるプロセスの一部にすぎない(2-5)

 今日の近代農業は石油によって動いている。化学肥料や農薬、施設、輸送と化石燃料に依存している。農業機械、農薬、世界的な輸送網等に投入されている大量の化石燃料の投入が、ひとたび経済的に実施可能できなくなれば、今日の工業型農業は、まったく持続可能ではなくなろう。このため、黙示録的な終焉を信じる極端なピーク・オイルの理論家の中には、化石燃料が枯渇して農業に使えなくなるほど高価になれば、ピーク・オイルの何人かは、既存の農業システムが破綻して、飢餓や多量死が起こると主張している。けれども、現実はそうはならない。少なくとも解決策の一部は既にあるからだ。それは、トラクターが発明される以前に、一千年も農民たちがやってきたように、エネルギーにおいては人間や家畜の筋肉やそれ以外のローカルに産み出されるエネルギー源に、肥料においては堆肥や厩肥へと未来の農業が変わらなければならないことを意味しているだけだ。

 したがって、化石燃料が不足すれば、有機農業が最も必要とされる技術となろうが、米国における有機農業の高まりは、さほど大量の食料を生産できないとしても、食料を人々が得られることを示唆している。例えば、1920年代にグレートプレーンを世界のパン籠にするほど米国農業が生産的であった当時に、コンバインを役馬で引いていた時代に育った人たちはまだ今日も生きている。馬で動力供給される農業へと変換することは、挑戦にはなるだろうが、それは可能な選択肢のひとつである。

 比較的単純な農業税制や土地利用政策の改革によって、こうした転換はさらに推進できる(1-4)。1862年にエイブラハム・リンカーンが署名し、制定された法律にホームステッド法(homestead Act)がある。自営農地法とも呼ばれ、西部の未開発地、1 区画約 65 haを無償で払い下げるもので、1862~1986年にかけ、160万件の土地払い下げが認められ、その面積は108万?、米国土の10%に達した(4)。現在の米国の農業の中核地帯の多くでは過疎化が深刻となっているが、ホームステッド法の更新や有機栽培での穀類の価格保証が意味をなすであろう(1-4)

■逆説の未来史への教訓

 たとえ、食費に使うマネーを減らしたとしても、それ以外のためにもマネーは必要で、家庭菜園は解決策にならないというものだ。もし、産業化社会の苦境をすべて同時に解決することが必要ならば、これは正しい。けれどもある完璧な解決策が得られることを待つことは、船が沈みかけているのに何もしないことと同じだ。へまをしながらもごまかしでいく戦略(Muddling)で求められるのは、ある壮大なひとつのプランではなく、多くの小さな調節である。家庭菜園での作付けは、食卓上の食料を確保するという小さな問題から、はるかに壮大なマネー経済の機能障害を調節するものだ。それ以外の機能障害にはそれ以外の調節が必要であろう。

 どれほど悲惨な不況の中でも、まったくマネーを使わない人はほとんどいない。多くの場合にそれが問題となるのは、第三次経済を経由して必要なすべてを得るための十分なマネーが手にされていないことなのだ。第三次経済は制御できなくなり、シンプル化の最初の兆候を示し始めている。そのとき、もし、その経済から必要とするものを切り離すことができれば、この限られた惑星上の限りある実質資産と無限の金融資産とのミスマッチという影響から、少なくともあなたの生活の一部を隔離していることになる(3-6)

【引用文献】
(1) John Michael Greer, The Long Descent: A User's Guide to the End of the Industrial Age, New Society Publishers, 2008.
(2) John Michael Greer, The Ecotechnic Future: Envisioning a Post-Peak World, New Society Publishers, 2009.
(3) John Michael Greer, The Wealth of Nature: Economics as if Survival Mattered, New Society Publishers,2011.
(4) 福岡正信の写真はウィキペディアより


逆説の未来史45 贈与の経済(23) コミュニティとローカル経済

2013年10月24日 11時02分44秒 | インポート

■救命艇のエコビレッジの背景には黙示録の神話がある

 逆説の未来史19「パイレーツ・オブ・カリビアン」では、サバイバリズムも救命艇のエコビレッジも現実的ではなく、解決策は足下のコミュニティにあると述べた。核戦争、流行病、人種紛争、共産主義、ファシスト警察国家、反キリスト。差し迫るカタストロフィーがなんであれ、それに対する最善の対応策は、都市から避難し、弾薬や缶詰を備蓄して森の中のキャビンに隠れるというのがサバイバリストたちの戦略である。この提案のベースには危機が到来すれば、都市は死の世界になるとの想定がある。世界最後の日に、略奪者の大群がすべてを破壊しながら、都市の中心部に溢れかえるイメージは、100年以上も一般的な悪夢だった(2-10)。そのひとつに、米国の小説家、映画台本作家、ニュートン・サンバーグ(Newton Thornburg, 1929~2011年)が1980年に書いた小説『ヴァルハラ』がある(4)。けれども、この背後には、米国で長く続いた人種差別主義の遺産がある。略奪する大群は、黒人に対する白人の恐怖のシャドウが投影された空想なのである(2-10)

 この信念は聖書にまでさかのぼれる(2-10)。ヤハヴェがソドムとゴモラを火と硫黄とで滅ぼすことを決めたことを伝えられたロトは、妻と二人の娘を伴ってソドムを脱出し、ツォアル(Zoar)へとのがれる。逃げる際に「後ろを振り返ってはいけない」と指示されていたが、ロトの妻は後ろを振り返り「塩の柱」となってしまう(4)。この物語から、古代ヘブライ人が都市生活を不健全なものと考えていたことがわかる。

 米国の開拓時代にメソジストの巡回牧師(circuit rider)やキリスト教の福音の伝道師たち(revivalist)は、都市の悪徳と農村の美徳のコントラストを強調することで、リスナーたちを満足させた。都市を否定するイメージは、ヨーロッパ文化に根ざす優雅な東海岸の都市社会とヨーロッパとは無関係の貧しい農村社会という分裂の形で今も米国内でも続いている。

 20世紀の半ばにも、同じ思考様式が、米国の都市問題への最善の対応策は、ミドル・クラスの快適な郊外を後に、トラックに荷を詰め込んで都市を去るとの信仰を突き動かすことを助けた。今日の米国における世俗的な黙示録の信者のほとんどは白人の中流階級なのだが、まったく同じトーンが繰り返されていることは驚くべきことではない(2-10)

 人々は、恐ろしいシナリオにこだわる一方で、理想的なユートピアのコミュニティというビジョンにも釘付けとなっている。ピーク・オイルの著述家たちがイメージする救命艇のコミュニティも、黙示録の思想を背景に、郊外に逃避するという幻想の投影にすぎない。コミュニティの優しさを抽象的に語る人たちは、しっかりとした絆で結ばれたコミュニティで育ったものの、軍役、大学他の手段によってコミュニティからの脱出が可能となると、できる限り速くコミュニティから抜け出した人たちの子どもや孫であることが多い。そして、匿名という大都会の自由を放棄して、小さな米国中西部の農業の町へ移動しているのは、彼らのごくわずかにすぎない。数多くのサークルでは、うやうやしい口ぶりでコミュニティについて語りながらも、自分たちが実際に居住する町や地区を「リアルなコミュニティ」ではないとの理由から無視し、救命艇のエコビレッジに努力を集中させていることが一般的である。この理想的なコミュニティの背後にも黙示録的なビジョンがある(2-10)

■「ローカル化=ユートピア」と考えるのはあまりにもノー天気

 数多くのピーク・オイルの活動家たちは、政治的、経済的、文化的に、ローカルな自治にシフトすることが欠かせないとして、再ローカル化を提唱しているが、これも同様に近視眼的な見方といえる。再ローカル化は、豊かなエネルギー時代の終焉が、地方分散化が進める力になるとしているが、現実に人々が居住するコミュニティの醜い現実を避けていることがあまりにも多い。この種の議論は、ローカル化を無条件に良いものだと描いているが、米国南部の白人の人種差別主義者たちが、人種隔離政策を弁護してローカル化を提唱して以来、わずか数十年しか過ぎていないことをふまえれば、受ければこれは疑わしい(2-10)

 例えば、工業が発展した北部の都市と異なり、南部では黒人労働力による農業が依然として経済の基礎であったために、黒人を白人と平等しないために米国南部では州法、ジム・クロウ法(Jim Crow law)が制定された。ジム・クロウとは田舎のみすぼらしい黒人を戯画化したキャラクターであり、1828年の白人が黒人に扮して歌うコメディのヒット曲、『ジャンプ・ジム・クロウ』に由来するが、この州法は1876~1964年にかけて存在していたのである(4)。再ローカル化は、この「ジン・クロウ法」を再び復活させ、ゲイ、宗教的マイノリティ、違法移民等がスケープゴートとされている場所では、こうした人々は、連邦政府の市民権の保護を受けられず、集団暴行に直面することであろう。

 このように、現実のコミュニティ内での暮らしには否定的な面がある。共産主義社会の理想主義の色眼鏡は、小さな政治や人々を黙らせる集団意志の暴政を簡単に忘れさせてしまう。足枷を外されたローカルなパワーは、ユートピアを求めるものたちの目でのみ、常によいものなのである。いずれも、ありえそうな未来の姿よりも、集団心理的な癖の上に多くを描いている(2-10)

■ピーク・オイル以降は農的ローカル経済社会が復活する

 けれども、農村に逃れることがピーク・オイルへの対応策であるという文化的な物語から一歩外に踏み出してみてほしい。そうすれば、物事は、まったく違った形を呈する(2-10)

 20世紀の戦争や恐慌期のヨーロッパ諸国の経験を見れば、グローバル経済が解体してモノ不足が恒常化すれば、ローカル経済が出現することがわかる(1-4)。18世紀後半から19世紀にかけて産業社会が誕生し、20世紀にはグローバルに拡大した。これは、人々の暮らしのほとんどを変えた。近代初期のヨーロッパの農業社会を化石燃料は徹底的に圧倒した。けれども、世界の石油生産が頭打ちとなれば、それ以外の化石燃料にも負荷がかかる。あらゆるエネルギー生産が着実に低下することが、未来のすべて決める。工業社会は、農業が中心となり、太陽、風力、水力、筋肉で動力供給された自給自足経済へと向かう脱産業革命に直面することになる(1-5)。そして、産業化社会は没落していく。けれども、一夜の崩壊は最もありえない。はるかに妥当性があるのは、凹凸の数十年にわたって衰退と過疎化をしていくシナリオである。

 脱工業化時代の幕あけとともに、いくつの都市は確実に倒れているだろう。地理的に統合された広大な社会も困難な時代には慣例的に都市や州国家へと後戻りする。例えば、米国のいくつかの地域は広大な統合を支えるだけの農業や資源ベースを欠いている。そして、文明が崩壊する最後の歳月には、農村では一般的に略奪が起こり、救命艇のエコビレッジの暮らしを極めて困難にする。したがって、それ以外の農村地域も武装した略奪者や大量の移民がおそらく押し寄せるであろう(2-10)。また、全国通貨が価値を失えば、物々交換や外貨が使われるようになるであろう。けれども、孤立した農村では、モノやサービスは手が届かないものとなる。原始的なライフスタイルを受け入れて自給自足をしない限りは、孤立の試みは、飢餓や死への片道切符となる(1-4)

 けれども、北米の農業地域には、農地に近く位置し、建物他の豊富な原料をストックした人口2万~20万人の都市が何百と散在している。こうした都市は、どのような救命艇のエコビレッジよりも巨大な長所を持つであろう。没落する以前の州兵部隊をベースに編成された民兵や警察力を備えた都市はこうした略奪にも耐えられる。さらに、都市には多くの労働力がいて、分業を通じて特別な製品を生産できる。こうした製品を農村に供給することで、食料他の必需品を農村から輸入できる。また、小さな都市でさえも、図書館や大学、コミュニティ・グループや地方政治等、困難な時期にも文化的な暮らしを維持するための社会資源を持つ。歴史的に語れば、農地に取り囲まれた独立した都市は、最も一般的な「都市農業社会」の基礎である。非工業化社会の都市もこのやり方をずっと行ってきた。したがって、脱工業化する世界においても、これらのすべてが強さの源となり、おそらく、小さな都市が個人や文化の生き残りに最も実現可能な選択肢となるであろう(2-10)

■逆説の未来史への教訓~既存の都市コミュニティを見直す

 例えば、カナダ・ブリティッシュ・コロンビア州からアメリカ・カリフォルニア州北部ハイ・カズケーズまで連なる北米大陸の西海岸沿いを南北に走る(4)カスケード(Cascades)山脈やミシシッピの東部、そして、シエラネバダ山脈南部、シエラ・クレスト(Sierra crests)の西部は、降雨量や土壌の質が持続的農業を行うのに適している。こうした地域の都市は、脱工業化する暗黒時代を通じて重要な役割を演じ続けるだろうし、その後に訪れるエコテク時代においてもそうであろう。

 産業時代が終焉した以降も生き伸びられるコミュニティを捜す人たちの多くは、既に住んでいるコミュニティを考慮したり、地図上に既にある別のコミュニティへの移住を考慮するであろう。何人かの活動家たちは理想的なコミュニティを追求することを止め、そのかわりに、自分たちが暮らしているコミュニティの再生に重点を置いている。こうしたコミュニティは、教会や地元の農業組合が、かつてのコミュニティの結束を維持するアンカーとなっている。このプロジェクトは、称賛に値するほど理にかなったプロジェクトである。10万人規模の都市には資源やアメニティーがあるが、2万人のカレッジ・タウンには、それがなくてもまったく別のものがあるかもしれない。したがって、オルタナティブなアプローチには多くの余地がある。この選択肢には、救命艇のエコビレッジのコミュニティのロマンチックなオーラはないであろう。けれども、次の数世紀の現実の世界においては、はるかにより実行可能であることがおそらくわかるであろう(2-10)

【引用文献】
(1) John Michael Greer, The Long Descent: A User's Guide to the End of the Industrial Age, New Society Publishers, 2008.
(2) John Michael Greer, The Ecotechnic Future: Envisioning a Post-Peak World, New Society Publishers, 2009.
(3) John Michael Greer, The Wealth of Nature: Economics as if Survival Mattered, New Society Publishers,2011.
(4) ウィキペディア
ロトの画像はウィキペディアより


逆説の未来史44 贈与の経済(22) コミュニティと参加型の民主政治

2013年10月24日 00時55分05秒 | 逆説の未来史

【はじめに】

 グリアの論理がご理解いただけているだろうか。グリアはそれほど難しいことを言っているわけではない。逆説の未来史15「欠乏型産業の時代」では「ロシアのように、既に政治的な資源統制に着手し、来るべき次の時代のコアを形成しつつある国もある(略)。資源貿易が、市場ではなく政府間協定によってなされるようになれば、マネーしかパワーを持たない国の影響力は、はるかに少なくなっていく。今日の大国が没落して国家解体している一方で、この新たなパワーの図式をいち早くマスターする政府が、欠乏型産業時代へのトランジションへの管理に成功し、欠乏型産業時代の世界をおそらく席捲しているであろう(2-4)」と書いた。

 すなわち、欠乏型産業時代には、市場よりも政治の力が強くなるということだ。ナチス・ドイツは極端だとしても、欠乏型産業時代には、幻想の富であるマネーには依存せず、強力な国家権力を通じて枯渇していく実質資源を平等に分配し、格差を小さくすることに成功した国家が成功するであろう。けれども、この欠乏型産業時代の集権型の政治体制もサルベージ時代へと移行するにつれ分権化を余儀なくされ、ローカルコミュニティと参加型の民主政治が重要になっていくであろう。そして、その時代にはマネーや市場の役割はますます小さくなり、家事経済と贈与経済が中心となっているに違いない。そこまで明確にはグリアは書いてはいないが、こうしたシナリオはグリアの世界観から十分に読み取れる。こうした観点から、今回と次回のグリアのコミュニティ論をお読みいただきたい。

■自ら汗を流さなければ民主主義は取り戻せない

 いま、米国もその同盟諸国も、その政治体制は維持できない二つを維持するという自我撞着に過去半世紀以上も陥っている。グローバルな帝国と高い生活水準である。古代ローマ帝国はパンやサーカスを推進したが、石油によって繁栄した20世紀も娯楽文化を促進した。多くの市民が自分で負担する必要なく、望むものが得られることは当然だと信じるようになった。この結果は、米国における民主政治の崩壊だった。

 最近では、政治が退廃したエリート集団の陰謀のせいだという説が流行している。けれども、本当の理由はそれ以外のところにある。現在の経済システムにおいては、消費者の役割は、大企業が提供する過大宣伝によってマーケティングされた商品の中からモノを選択するだけである。米国人たちは、この消費システムを政治参加のモデルにした。

 工業化社会の政治制度においては、選挙民の役割は、大政党が提供する過大宣伝によってマーケッティングされた候補者の中から政治家を選択するだけである。質が低い立候補者に対する不平や不満が、質が低い消費製品に対する苦情とさして違わないのは偶然ではない。いずれも誰か他者が製造した製品の中から選ぶしか選択肢がないことを認識していない。

 民主主義を取り戻すためには、こうした態度は変わらなければならない。けれども、民主主義が必要とする時間や資源、努力や忍耐を嬉々として投資しなければ、どのようなドラスティックな制度改革も民主国家を作り出さないであろう。民主主義は、あるエリート集団が人民から民主主義を奪うことによってではなく、人民がそれに背を向けることによって失われる。民主主義制度を運営するには、大半の市民が個人的に政治にかかわることが欠かせず、ただ毎年一回ほどの選挙に投票するだけでは民主主義を維持するのは不十分なのである。

 したがって、民主主義なしで生きるよりも、こうしたコストを負担しようとの結論に達するまでは、人々はただ名前だけの政府を持ち続けるであろう。そして、富やレジャーをあきらめてまで、民主制度を取り戻すために人々が対応することはあり得そうにない。来世紀も米国では、過去の繁栄にしがみつく政治がなされるであろう(1-4)

■19世紀の米国はボランタリーな市民社会が支えていた

 それでは、帝国が崩壊し、産業文明が衰退するという制約下において、民主主義を再生させるためには何ができるだろうか。ひとつの戦略は、民主主義が機能していた市民社会の基礎を再建することだ。19世紀初期に米国を旅したフランスの政治思想家、アレクシ・ド・トクヴィル(Alexis de Tocqueville, 1805~1859年)は、米国について「協会の土地」と評した。

 当時の米国では政府のプログラムや貴族からの寄付ではなく、市民のボランタリー組織によって、社会ニーズが満たされていた。官僚組織ではなく、友愛組合(fraternal orders)が社会的なセーフティーネットをもたらしていた。友愛組合とは元は英国で設立された組織である。オッドフェロー・ロッジ(Odd Fellows lodges)の会員は、週に25セント(今日の約20ドル)を共通基金に積み立てる。どのロッジも会員専属の医師を雇い、会員が病気になったり死亡したときに、その治療費や葬式代をカバーし、扶養家族が支援を受ける仕組みを持っていた。1900年にはオッドフェロー・ロッジは、世界最大の友愛組合となっていた。1819年以降、この支部が米国で活動を始め、北米には2000以上の組合ができ、約半数の米国人やカナダ人は少なくともひとつの友愛組合の会員だった。けれども、この活動は、会員が会合に参加し、毎週の料金をきちんと支払う意欲を持ち、地元のロッジを支えることで成り立っていた。自分で時間と金を出さない限りは、望む社会は実現できない。そう市民が認識していたからこそ、帝国以前の米国は繁栄したのだった(1-4)

 市民社会の仕組みも同じだった。米国やカナダが選挙制度に依存していなかった頃には、地区組織(Precinct organizations)や党員集会(caucuses)、タウンミーティングといった地元における政治活動が民主政治の基礎を支えていた。そして、こうした活動は、地域コミュニティ組織―教会、市民社会(civic societies)、フリーメーソン、オッドフェロー(Odd Fellows)、農業組合(Grange)等の組織を通じてなされていた。明確な政治的な議論や行動がなされることは稀だったが、人々の間につながりを作り、スキルを教えあうことで、それは必然的に政治的なものとなっていた。こうした市民社会組織を通じて、各個人は自分たちの生活を当時の政治体制に適応させ、さらには全国段階の政策に対しても影響を及ぼすことができた。100年前の人々は、今よりもずっと長時間働いていたし、当時はメディア技術も現在ほど複雑ではなく、普及もしていなかった。けれども、政党の候補者や党の綱領を選ぶ必要が生じたときも、さして教育を受ける必要がなかった。こうしたコミュニティ組織内において、民主主義の基本を経験していたからである。

 けれども、米国が帝国化することによって、これらは致命的な脆弱性へ変わった。帝国は中流階級を買収し、以前のボランタリー組織はその支持基盤を失っていく。党員集会(precinct caucuses)やタウンミーティングのローカル政治は死に絶えていく。工業先進諸国ではコミュニティが衰退し、経済的なつながりしかもたない孤立した個人からなる大衆社会が誕生したが(1-4)、米国の現在文化でも、巨大な政府や企業組織と各個人とが直接やりとりする大衆社会が支持され、以前にあったほとんどの地元組織は廃棄されてしまった(1-5)。政治への参画は失われ、民主主義は、選挙を通じた今日の寡頭政治システムへとなっていった(1-4)

 トクヴィルは、米国の未来には経済と世論が腐敗した混乱の時代が待ち受けていると予言し、民主政治とは「多数派の世論による専制政治」であると断じ、その多数派世論を構築するのはマスコミだと考えていた。そして、大衆世論の腐敗による社会混乱を解決するには「知識人」の存在が重要で、民主政治は大衆の教養水準に大きく左右されるとした。この『アメリカの民主政治』井伊玄太郎訳(1987)講談社学術文庫は、今も近代民主主義思想の古典となっている(4)

■中央政府には期待せず、コミュニティを軸に運動を展開

 エネルギーの枯渇や経済的衰退、公共医療の崩壊、政治的な混乱は、いずれも人間が新たに経験することではない。私たちの曾祖父母はそのことを熟知していたし、私たちのほとんどの同胞にとっては、いまでもよく知られていることだ。世界の工業化社会の住民だけが、かつ、20世紀の後半にだけ、そのことを忘却する機会を手にした。それ以前には、ほとんどの人たちが、それにどう対処すればよいのかを知っていたし、過去に開発され、用いられてきた戦いは、はるか未来においても実施可能であろう。ただひとつの障害は、それを実践に移すための準備ができていないということだ。現在の政府も自治体も、既存の経済秩序の恩恵を受け、進歩の神話によって視野狭窄に陥っている。したがって、現時点では、苦境に対して建設的な対応策を講じるチャンスが仮にあったとしも、それは最小のものにすぎないであろう。

 しかも、没落に向けた変動のノイズによって、没落のシグナルは簡単に見逃される。例えば、石油や天然ガスの価格はときには値下がりすることがあろう。これは「もはや長期的なエネルギー利用を懸念する必要がなくなった」と慰めの妄想を多くの人々に抱かせる。投機的なギャンブルや一時的な好景気も産業化社会がまだ続くことを人々に確信させるだろう。こうした思考は簡単に理解できる。というのは、産業化社会のオルタナティブは、耐え難きを耐えることだからだ。産業化社会が終焉し、現代社会においてはあたりまえとなっている生活水準、贅沢や便利さが一時的なものではなく、永遠に消え去っていることを認めることだからである。したがって、経済全体、あるいは社会全体でのスケールで改革を達成することは難しい。政府は、いつも誤りを犯すことから、未来に対する準備は、個人、家族、グループ、そして、地域コミュニティの責任となる(1-4)

■トランジション・タウン運動

 一ダースを超す米国の地方自治体は、すでにピーク・オイルのコンティンジェンシー・プラン(contingency plans)を立てており、別の多くの自治体もピーク・オイルを考慮している。市をはじめとするローカル政府は、中央政府をもはや死んだものとして置き去りにしている。さらに、ローカル政府以外にも、ピーク・オイル以降の世界のために都市や町を組織化するために、こうした路線に沿って動き始めている運動がある。このうち、最も広く知られ、これまでいちばん成功しているのは、トランジション・タウン運動である。地元住民のアイデアや努力を活用すれば、町、村、都市の地区等の狭い地理的エリアが、ポスト石油時代の世界へとトランジションできる、というのが、このアプローチの核となっている。コアの活動家たちから運動を始め、地元の団体や政府機関と連携し、それを魅力的な持続可能な未来へのビジョンとしてまとめ、このビジョンをベースにモデル計画へとまとめあげ、それをコミュニティが採用していく。このプロジェクトは書物の形でも読めるが、これは興味をそそるプロジェクトだ。

 あらかじめ未来の計画を詳細にイメージすることは困難だし、それを重視する運動を私は懸念する。しかも、この運動はコンセンサス手法に依存しているため、一般通念に基づいた穏やかな妥協案を提示しがちとなり、それは運動の弱点にも思える。けれども、持続性に向けて都市を作り変えるために努力がなされている事実は、まさにポジティブなサインである(2-10)

■逆説の未来史への教訓~人間がサバイバルする単位はコミュニティである

 豊かな石油時代が終焉し、大衆社会の経済的なつながりがバラバラになれば、事態はさらに悪化しよう。けれども、古いコミュニティ組織の多くはまだ存在する(1-4)。ピーク・オイルをめぐる最近の書籍で、脱工業化する未来において、コミュニティが果たす役割に多くの関心が寄せられているのには十分わけがある。未来を進んで見極めようとする人たちの大半は、人間が生きのびる基本単位が個人ではなくコミュニティであることを認めている(2-10)。脱工業化時代において中心とすべき教訓のひとつは、人間が生きのびる基本単位は、孤立した個人ではなくコミュニティであり、コミュニティとつながることが価値を持つことになるということだ。1960年代に試みられたユートピアのプロジェクトは惨めなまでに失敗した。けれども、協働がサバイバルに欠かせないツールであることは何百年もの経験から証明ずみである。中央政府が機能しなくなれば、地元の市民たちは、衛生、論争の解決、公的な安全性といった基礎的なコミュニティ・サービスを維持する必要があるであろう(1-4)

 そして、数は少ないが、北米の市民社会にはまだ古い慣習の価値観が残っている(1-4)。フリーメーソン(Masons)、オッドフェロー、農業組合等の友愛組合(fraternal orders)は、以前には米国の成人の半分以上が会員となっていたが、こうした組織の多くはいまだに健在である。そして、外部の人たちが考えているほど排他的ではない(1-5)。こうした組織には、あらゆる挑戦に絶えてきた実証された宝が眠っている。こうしたアプローチが、再び活用される必要がある。そして、市民社会を再活性化するために、新たな多くのコミュニティが形成され始めている。なによりも、そうしたネットワークは、嬉々としてそれに携わる人を必要としている(1-4)。こうした組織やそれ以外の地元のコミュニティ・グループのひとつを選び、それに参加し、地元の市民社会の復活を支援することが決定的である(1-5)。そこで、ファーマーズマーケットで買い物をしたり、コミュニティ・サービス組織に所属し、コミュニティ活動に参加しよう。隣人たちと知りあいになり、地元コミュニティ組織に参加することは、つながりを構築する助けとなり、危機にあたって必要とされる準備を達成するであろう(1-4)。それは、困難な時期に、あなたに協力や相互共済の本質的なネットワークをもたらすことであろう(1-5)

【引用文献】
(1) John Michael Greer, The Long Descent: A User's Guide to the End of the Industrial Age, New Society Publishers, 2008.
(2) John Michael Greer, The Ecotechnic Future: Envisioning a Post-Peak World, New Society Publishers, 2009.
(3) John Michael Greer, The Wealth of Nature: Economics as if Survival Mattered, New Society Publishers,2011.
(4) ウィキペディア
トクヴィルの画像はウィキペディアより



逆説の未来史43 贈与の経済(21) 第三帝国

2013年10月22日 22時37分38秒 | 逆説の未来史

■マネー経済を規制すれば失業問題は解決できる

 逆説の未来史37「暴走するマネー経済に歯止めをかける」では、アイゼンハウアーの取り組みについてこう書いた。

「米国が1950年代にその繁栄のピークであったとき、高額納税者たちが、その収入の90%以上を納税していた。マネー等の抽象的な富からなる第三次経済は、バランスを逸脱し、金融資産の蓄積が最もダメージを引き起こす。マネーを使う人たちのマネーが金融に向かわずに、食料品店に向かえば景気が安定することは容易にわかるだろう。アイゼンハワーの経済政策は、第二次経済における財やサービスの生産や消費に対しては規制を行わず、第三次経済を規制することで、非生産的な形で第三次の富が少数者の手のもとに集中しないことを担保していた。民間の手に生産手段をゆだねても、公益のために適切な規則を行う経済は、自由放任の資本主義や極端な社会主義のいずれよりも、多くの人々に多くの繁栄を生み出すことは歴史が示している」(3-6)

 そこで、グリアが書いてはいない深刻な失業問題を解決した国の事例を武田知弘氏の本から抜粋して紹介してみよう。

「日本では景気浮遊策として公共事業が進められているが、地主や大手ゼネコンに支払われる金が大きい。大手ゼネコンから中堅業者、零細業者という具合にピラミッド式に金が流れていくようになっているため、労働者の取り分は非常に少なく微々たるものである(略)。公共投資においては、貯金に回される額が少なければ少ないほど、景気への効果は高い。労働者に場合、低所得者が多いので賃金のほとんどは消費に回される。その消費が景気の効果を産み出す。経済学でいうところの「乗数効果」が得られる(略)。そこで、建設費の46%が労働者の賃金に充てられた。これは驚異的な数値である。労働戦線組合が企業を監視していたため、労働者のピンハネをすることは許されなかった(6,P37~40)

「雇用を市場に任せていれば、企業は若い人を守りたがる。そこで、妻や子どもがいる中高年の雇用を優先した。一家の大黒柱を雇用すればとりあえずその一家は飢えずにすむ。それは社会心理のうえでも安定につながる(6,P45)

「日本の場合、高額所得者、資産家には大減税を行い、中間層以下のサラリーマンには増税に次ぐ増税を行っている。これでは格差社会ができてあたりまえだし、社会が暗くなって当然である。そこで、高所得者から多く取る累進課税を導入し、低所得者の税金を軽減し、家族が多い者の税金も軽減した。1934年末には大企業に対して増税を行い、企業に6%を超える余剰金があった場合、配当は6%までしかしてはならず、残額は特別公債を購入し、貧困者の救済資金や建設資金にあたられることにしていた。また、通貨の暴落で利潤を得た企業は利潤をすべて徴収され、1935年の8月には法人税をひきあげた。すなわち、大企業や資産家から多くを取り、労働者、低所得者層に分配するという税金政策を行った(6,P108~109)

■大型店進出を規制して中小商店街を守る

 逆説の未来史38「観念の遊戯」では、市場もコモンズであるとしてこう書いた。

「ウォルマートのような廉価な粗悪品によって地元ビジネスは立ちゆかなくなり、地域コミュニティが苦しめられ、高い質の商品やサービスが利用できなくなるという同じ競争が、工業化社会のどの産業においても起きている(略)。地元企業の経済では、ほとんどの収益は地元で費やされるが、多国籍企業は、全世界のコミュニティからマネーを吸い上げ、一人握りの都市に集中させる。それが、工業化社会の多くの町や農村が経済的に衰退している理由なのだ」

 そこで、この国では、地元商店街がシャッター通りになって衰退していたのだが、大店規制法を発動することで見事に地域経済を再生してみせた。

「デパートやスーパーは確かに便利だし、価格も安い。しかし、商店街という地域財産の消滅を考えると本当に経済効率がいいのだろうか。当時、衣料、建築、食料品等で人口の12%、700万人以上が中小企業で働いていた。そこで、大規模店舗規制法によって、デパートを規制した。また、日本では特定の大手業者が官公庁と癒着して独占的に納入することが多い。そこで、官公庁が備品等を購入する際には一定規模以下の業者しか発注してはならず、中小の商店が優先的に指名されるようにした(6,P47~49)

■役人の天下りを禁止

「政治家や官僚と民間が癒着することの弊害は現在も解決されていない問題である。日本の財政がこれほど悪化した最大の要因は官僚が補助金を使って天下り団体を大量に作ったからである。これは誰もがわかっているが、それを禁止するだけの政治力を持つ人間がいないからである(略)。そのため、この国では国会議員や党員が私企業の役員になったり、退職後に私企業に再就職することを禁じた。さらには、この規制を公務員にも適用することを目指していた。首相はこう語っている。

「自治体幹部、国会議員、党指導者は誰ひとりとして私企業の重役であってはならぬ。もし、そうした地位に甘んじている公僕がいるとすれば、彼が国家のために尽くしていたとしても、国民は彼への信頼を失うであろう」
「公務員が退職後、前職に関連する業界に天下るのは禁止すべきだ。どの企業も天下る公務員を雇いたがるのは、彼の仕事の能力を買ってではない。その持てるコネゆえなのだ」
「そのうえ、けしからんことにこの手の天下り役員は、その企業のために働き、一歩一歩トップの座にあがりつめてきた人間が座るべき椅子を横取りしている」(6,P123~124)

■労働者の権利を守りリゾートと休みを充実

 それだけではない。この国は世界に先駆け、労働者の勤務時間を8時間以内と法的に規定した。「学生に夏休みが与えられるように、労働者にも長期休暇が与えられなければならない」とのスローガンの下に、1934年の労働管理布告は、半年働けば最低でも6連休を有給休暇で取得するよう規定した。しかも、休暇は身体を休めるためのものであり、他の仕事を行った場合には休暇手当を返還のうえ、今後の休暇の請求権を認めないと規定した。

 また、労働者の通勤時間は30分以内にするようにしたため、ほとんどの会社員や労働者は昼食は家に帰って食べていた。さらに、時差出勤制度も取り入れ、早いものは午後4時には退社し、夕方の買い物ができた。さらに、健全な休暇を楽しめるよう、今で言う「レクリエーション」という概念を作りだし、ビーチ・リゾートを整備し、さらに労働組合を通じて、豪華客船による格安の海外旅行も推奨した。当時の豪華客船といえば、イギリスのタイタニックが有名だったが、タイタニックには金持ちしか乗船できなかったのに比べ、この国では、普通の労働者が半月分程の給料で旅行ができたから労働者だけでも10万人が豪華客船の旅を楽しめた(6,P84~94)

■小規模農家を守り、国をあげて有機農業を推進する

 グローバリゼーションは廉価な農作物を市場に溢れさせ、中山間地域の小規模農家の生活を成り立たなくする。そこで、この国は、米国の大規模機械化農業からの廉価な農産物の輸出攻勢に対抗し、小規模農家を何よりも守った。さらに、国の自立は健全な国土の保全と自給率をアップすることが必要である。そこで、世界に先駆け自然保護法を定め、今で言う「もったいない運動」を強力に推進し、「健康は国民の義務」のスローガンの下、健康にも十分に配慮し、合成着色料を禁止し、肉やバターを減らし、国産野菜やジャムを食べる運動を推進した。

 その結果1927年にはわずか65%しかなかった自給率を1936年には81%までアップさせるが(5,P124)、首相自らが「化学肥料のために疲弊している土壌を無理強いしてこれ以上、生産を増大させることは不可能である」(5,P123)と化学肥料の危険性を警告し、世界で初めて国家の総力をあげて有機農業を推進していく。

 さらに、健全な国土を維持するためには、若手新規就農者が欠かせない。

「中高年の雇用を優先したために職を失った青年に対しては、やることがなくなり非行に走るのを防ぐため、農村で勤労させた。1933~1935年の二カ年で平均10万人の青年が農村にでかけた(P55~56)。さらに、自給率をアップするため、家が持てない人のために300坪の家庭菜園付きの住宅を廉価で提供した(6,P100)

■弱者救済とナショナリズムで国民の心を捉える

 これほどラディカルな政策転換を行うことは至難の業である。ハイパーインフレ、大不況、財政破綻、通貨危機とあらゆる問題に直面し、約560万人と国民の三人に一人が失業していたのである。そこで、閉塞し切っていたこの国を改革するため(6,P24,P128)、この首相は1923年にまず国家クーデター試みた。けれどもそれは失敗した。

 フィデルが1953年にクーデターに失敗し、裁判にかけられ「歴史は私に無罪を宣言するであろう」と述べたことは有名である。そして、フィデルが獄中で書いた原稿が同志たちを通じて地下出版され、それが後のキューバ革命の青写真になっていく。そして、革命を成功させたフィデルの最も有名なスローガンは「社会主義か死か」であった。この首相も同じであった。クーデターに失敗した後、フィデルと全く同じフレーズ「歴史は私に無罪を宣言するであろう」を述べ、刑務所の中で執筆した著作がベストセラーとなり、その後、フィデルのような武力革命ではなく、民主的な選挙を通じて見事に国家元首となった(7,P27)。そして、「我が第三帝国は農民帝国か、しからずんば死か」というスローガンを掲げるほど農業と農民を大切していた(5,P123)

「大衆にとって理解しがたいことは、現在働きもせず、過去に働いたわけでもないものが投機によって収入を得ていることである」(6,P162)。ケインズの『雇用・利子及び貨幣の一般理論』が出版されたのは1935年のことだが、それよりも早くこの慧眼な首相は公共事業の重要性に気づき、公共事業を通じて失業者を解消する政策を展開してみせた(6,P20)

 当時の極端なマネー経済による資本主義の矛盾をこの国の国民は痛感していた。一方で、極端な社会保障を重視した社会主義の非効率さも身にしみて感じていた(6,P154)。資本主義は経済の効率的な発展につながるが、利己を追い求めるだけで深刻な格差が生じれば、社会的にはかえって不経済となる。個人の創意工夫を生かしながら富の分配をしていく(6,P155)。資本主義の活力を生かしながら、過度な競争、大企業の横暴な振る舞いには制限をかけ、社会のセーフティネットを整えていく。共産主義でも資本主義でもなく(6,P5)、弱者救済とナショナリズムを柱に自給自足の経済を目指し、マネーに頼らず物々交換で他国と貿易を行っていく(6,P158,206)。国民は正直である。こうしたこの国の政策に対して1951年になされた世論調査によると、半数以上が「1933~1939年までは最もいい時代だった」と答えている(6,P4)

 もう、お分かりであろう。1939年とは、こうした政策をとってきたこの国の首相、アドルフ・ヒトラーが戦争を始めた年なのである。

 ナチスの科学技術力は傑出していた。1935年に世界に先駆け、テレビ局「パウル・ニプコー」を開局し定時放送を始めた。テレビ電話の研究開発を進めていた米国が、テレビ電話を発表したのは1967年のモントリオール万博においてだが、ナチスはその30年前の1936年にすでにテレビ電話を市民サービス化していた(8,P68~73)。ヒトラーは首相になると直ちに宣伝省を設置し、ゲッペルスを大臣に据えた。ゲッペルスは、ラジオ、映画、ポスター等を総動員してナチスの政治の宣伝に努めた。人々の心理が景気の波にかなり影響していることは多くの経済学者が指摘している。景気が上向いているとメッセージを送ることは有効な経済対策と言える。人々が安心してものを買い、それが景気を刺激するからである。国民を洗脳したとして批判の対象となる宣伝省だが、ナチスは宣伝省を使って自分たちがやろうとしていることを十分に国民に説明はした。アウトバーンの建設でのヒトラーの鍬入れの様子、作業現場にシャベルを担いで行進していく労働者の隊列、その映像を見て民衆は「この大掛かりな高速道路を建設することで失業がなくなりドイツは発展していく。何か新しいことが起きている」と安心し、実感できたはずである(6,P43~44)

■石油と金不足がナチスを戦争に駆り立てた

 逆説の未来史40「抽象化の罠」では、中世イタリアの思想家フィオーレのヨアキムが進歩思想の元祖だと述べた。ヨアキムは世界史が「律法の元に俗人が生きる『父の国』時代」、「イエス・キリストのもとに聖職者が生きる『子の国』の時代」、そして最後の審判の後に訪れる「自由な精神の下に修道士が生きる『聖霊の国』の時代」三つの時代に分けられると定義した。このことから、三番目の「第三の国」が来るべき理想の国であるとのニュアンスを持つこととなった。そして、このネーミングをストレートに国名にした国がある。『第三帝国』である(4)

 それでは、自由の国を目指したであろうナチスは、なぜ暴走を始めたのだろうか。その理由のひとつは石油である。ナチスは自給自足を目指し、物々交換で貿易を行っていた。ナチス当時のドイツの輸入額の60%は原材料、25%が食料であった。食糧自給率は、鶏卵68%、果物68%、バター等の脂肪製品は45%だったが、ジャガイモ101%、小麦97%、肉類97%、乳製品90%、その他穀類73%とほぼ自給できていた(6,P226)

 けれども、最重要物資である石油はどうしても自給できなかった。そこで、ナチスは石油を作ることでこの悩みを打開しようとした。石炭から石油を製造する技術はカイザー・ウィルヘルム石炭研究所が開発しており、ドイツ最大の化学工業メーカーIGファルベン社は石炭液化法を驚異的なまでに発展させ、1934年にはガソリン使用量150万トンのうち35万トンが自給され、1944年には天然石油300万トンよりも多い350万トンの人工石油が製造されていた。けれども、人工石油の生産コストは天然石油の4~5倍も高く付き、ナチスの経済を大きく圧迫した。モスクワ陥落を目の前にしてドイツ軍がコーカサス地方に転じたのも油田を確保するためであった。ナチスは石油のためにソ連に敗れたともいえる(6,P222~226)

 第二の理由は、金である。当時は金本位制度を取っていたため、一国の通貨は金の保有量に応じた分量しか発効できない。そして、相手国が金を要求してくる場合には金で支払うことが必要となる。ドイツの金保有量は1931年の17億1100万マルクが1937年には6800万マルクと25分の1以下に現象し、このままでは石油の輸入や対外債務の支払いができなくなっていた(6,P231)。ヒトラーとしては、一か八かの勝負に出るしか手はなかった。すなわち、旧ドイツ領を回復し現地の銀行を没収することで金の保有量を増やし経済的な再起を図ることであった。ヒトラーはそれほど大戦争をするつもりもなかったと思われる。1939年にポーランド侵攻を契機にイギリスとフランスは宣戦布告をしたが、実際の戦争が始まるまでの1年の空白期間にあの手この手を使って和平工作を呼びかけていたのはナチスの方であった。しかし、英仏はヒトラーの退陣を要求したため戦端が開かれたのである(6,P232)

 そして、英仏との戦火が開かれた後もドイツは破竹の勢いで、フランスは2カ月で占領され、イギリスが降伏するのも時間の問題と思われていた。第二次世界大戦のターニングポイントは、米国の参戦である。それまでだんまりを決め込んでいた米国が、立場を変えたのはなぜなのだろうか。それは、1940年7月25日にナチスドイツが「欧米新経済秩序」という計画を発表したことにある。ナチスは金本位制の通貨の欠点を見抜いていた。そこで、マルクをヨーロッパの共通通貨にしようと試みた(6,P16)。だが、この欧米新経済秩序は米国にとってこの上もなく目障りなものだった。当時、米国は世界の7割の金を保有し、そのために世界一の繁栄を謳歌できていた。もし、欧米新秩序がグローバルスタンダードとなれば米国の金は宝の持ち腐れになってしまう。そして、当時、世界一の工業国は米国だったが、ドイツが猛追していた。そして、ドイツのマルクが欧州全体で使われれば、ドイツの工業製品がヨーロッパ市場を独占することも目に見えていた。このことから、米国にとっては第二次世界大戦は対岸の火事ではなくなっていた(6,P243~245)

■逆説の未来史への教訓

 武田氏の説によれば、第二次世界大戦は、自国の利益がドイツに冒されることに危機感をいだいた米国が、真珠湾攻撃を事前に知っていたがわざと日本に攻撃させることによって、ドイツとの戦争の機会をつかんだことになる。そして、武田氏は独裁体制の限界を次のように指摘する。

「独裁体制にはなんといっても重要な短所がある。独裁者が賢明なときにしか有効に機能しないということである。もし、独裁者が暗愚な場合は、国が落ちてくスピードも尋常ではない。ナチスドイツの場合も前半期は社会に目覚ましい発展をもたらしたが、後半期に転落を始めてからは、坂道を落下するように転落していった。独裁体制は人類が国家のシステムとして使いこなすにはまだ難しいということかもしれない(6,P153)

【引用文献】
(1) John Michael Greer, The Long Descent: A User's Guide to the End of the Industrial Age, New Society Publishers, 2008.
(2) John Michael Greer, The Ecotechnic Future: Envisioning a Post-Peak World, New Society Publishers, 2009.
(3) John Michael Greer, The Wealth of Nature: Economics as if Survival Mattered, New Society Publishers,2011.
(4) ウィキペディア
(5) 藤原辰史「ナチスドイツの有機農業」(2005)柏書房
(6) 武田知弘「ヒトラーの経済政策」(2009)祥伝社
(7) 三浦伸昭氏「カリブのドンキホーテ」(2010)文芸社
(8) 歴史ミステリー研究会編「ナチスの陰謀」(2013)彩図社


逆説の未来史42 贈与の経済(20) へまをしながらも、ごまかしごまかし戦略でいこう

2013年10月21日 00時49分58秒 | 逆説の未来史

【はじめに】
 10月20日、日比谷公園で開催された「土と平和の祭典」に参加し、『移住&国民皆農 のススメ』というトークステージで、渡邉尚氏(NPOトージバ)、神澤則生氏(同)、斉藤博嗣氏(一反百姓じねん堂)、尾崎嘉洋氏(NPO法人苧麻倶楽部)、甲斐良治氏(農山漁村文化協会)とともに、少しだけおしゃべりをさせていただいた。自ら手に鍬を持ち田畑を耕すでもなし。地域に密着して住民たちとともに地域経済再生のための活動を行うわけでもなし。どうでもいいことをぐだぐだと述べるだけしか能がない人間である。ということで、トークでは「ドロンボー=レジリアンス」というこのブログでは二回(2013年5月4日の記事『ブエン・ヴィヴィルに学ぶ~3左派、保守、みどり』、2011年2月16日の記事『人類滅亡回避のヒントは、ウメボシデンカとヤッターマンにあった』)も書いていることを再度、強調した。

 レジリアンスについては、アグロエコロジーブログ、2011年2月19日の記事『レジリアンスな人々』にも書いたので、興味ある方は読んでいただきたいのだが、なぜか、このレジリアンスが日本流に解釈されてしまうと藤井聡京都大学教授の『救国のレジリエンス 「列島強靱化」でGDP900兆円の日本が生まれる』(2012)講談社のように、250兆円規模の公共投資による経済成長に化けてしまうのである。

 けれども、私は「やられても、やられても、なんともなーいなーい。おれたちゃ不死身だ ヘイへへーイ、ドンドンドロンボー」(作詞:山本正之/作曲:山本正之/ 編曲:神保正明/ 歌:小原乃梨子、八奈見乗児、たてかべ和也)こそが、まさに、レジリアンスの本質そのものだ、と考えている。

 さて、トークで相席させていただいた甲斐氏とはキューバを現代農業増刊号に始めて紹介させていただいて以来の長いつきあいになるのだが、数年前にお会いしたときに「マスコミを通じたイメージ選挙ではなく、顔の見える村の選挙から首相が選出されるシステムであればヒトラーは決して歴史に登場できなかったであろう」と語られたことが記憶として印象強く残っている。前回のブログでは、グローバル経済に対抗する手段として、国家の持つ権力の重要性について述べたが、まさにキューバの選挙システムは甲斐氏の指摘したとおり、顔の見えるシステムとなっている。そして、それが、一党独裁という極めて危ない政治システムを抱えながらも、ギリギリ、ヒトラーの選出を防ぐことにつながっているのではないか、と私は思っている。そうしたことを念頭に、次回のブログとあわせて、ドロンボーになぜ私がこだわるのかを意識しつつ、グリアの主張をお楽しみいただきたい。

■自然の摂理に逆らえないことを諭したカヌート王

「ウォーレン・ジョンソン(Warren Johnson)は著作、『へまをしながらの倹約戦略(Muddling Toward Frugality, 1978- Sierra Club)』で、豊かな化石燃料の終焉を迎え、これと戦おうとすることは、おしよせる波に対して「引け」と命じるカヌート王を演じるのと同じようなものだと論じている(2-5)

 カヌート王(Canute,995~1035年)とは、中世に広大な北海帝国を築きあげたデンマルク王である。41歳で死去した後、後継者争いが起こり、帝国は死後わずか7年で崩壊するが、イングランドに侵攻したばかりか、ノルウェーやスウェーデンにも遠征し、イングランド王・デンマーク王・ノルウェー王を兼ねた人物である。そして、イギリス民話には、ジョンソンの一文についての象徴的な逸話が残されている(4)

 カヌート王に仕える家臣たちは、わけもなく王に媚びては褒めてばかりいた。王の意志決定に対して、常に褒め、それに対して苦言を呈するものがいなかった。けれども、カヌート王は名君であって愚かではなかった。
「海すらも王の命令に従います」とおもねる家臣たちを前に、
「そうか。ならば、本当にそうであるかどうか、確認をしてみよう」
 とある日、海岸の水際に王座を設置し、押し寄せる海の波に向かって大声でこう命令した。
「波よ!押し寄せるのをやめよ」
けれども、当然のことながら、波は止まらず、王の足や着物を濡らした。
王は椅子から立ち上がり、あわてる家来たちにこう告げた。
「よいか。いま目にした教訓を学ぶがいい。すべての力を持っておられるのは、空と海と山そのすべてを創造された神である。お前たちが褒めなければならないのは神だけなのだ」

 以来、家来たちは口先だけの褒め言葉を慎むようになったという(5)

■足下のコミュニティに解決策はある

 専門家だけでなく、普通の人たちも、建設的な現状の打開策がまだあるに違いない、と主張している(1-1)。第一は、危機を解決するため、破局が来るまでに政治システムを覚醒させ(1-4)、例えば、奸物集団である権力者たちの首をすげ替えれば問題が解決される。あるいは、技術的に正しい決定が政治的に下されれば、従来どおりのビジネスが継続できるという主張だ(1-1)

 第二は、社会崩壊を切り抜けるために僻地に銃や食料を装備して隠れる、あるいは、既存経済がバラバラに解体する前に、オルタナティブで持続可能なローカル経済をベースに救命ボートのコミュニティを構築するという主張だ(1-1,1-4)

 さらに、産業文明を破滅させることが現在の危機の最良の解決策だと主張する急進論者がいる(1-1)。新原始主義者(neoprimitivists)たちは、文明が崩壊し60億人が不便な狩猟採集型のライフスタイルを送ることを夢見ている(2-5)。こうした提案は、いずれも解決すべき問題に対応していると思えるかもしれない。けれども、そうではない(1-1)。これら三つの戦略がいずれも現実的な対応策でなく、解決策ではない。いずれも、現在の近代産業システムをそのまま完璧に保全するか、原始時代へと急速に没落するかのどちらかであって、中間の着地点がない。こうした想定がなされる背景には、これまで述べて来た黙示録の神話や進歩の神話がある。けれども、最もありえそうな未来は、中間の着地点であって、この着地点に向けて建設的な対応策を目指すことがおそらく最良の戦略なのである(1-4)

 例えば、1930年代にファシストたちは自分たちの勝利を望んだし、マルクス主義者たちはプロレタリア革命を夢見て、社会正義の活動家たちは富の再配分を切望し、クークラックスクランの団員も再び南部が隆盛することを望んでいた。革命家は現代社会の中から悪いことだけをピックアップして「現状ほど悪いことはありえない」と絶叫する。けれども、「今日の産業社会は最悪の状態にある」と主張する人たちは、自分たちが待望していたはずの崩壊が起こると、高速道路や郊外があった古き良き時代を切望していた自分にふと気づくかもしれない(2-5)

■危険な理想主義のヒーローよりもコミックのヒーローが大切

 米国では、1960年代に以降に新左翼が崩壊し、右翼も伝統的な保守主義を放棄し、本来のあるべき責務を果たさずに、営利ビジネスを支援することが保守だとなってしまっている。その政治的な空白はいまだに満たされず、未来に対する建設的な提案を行う気力がくじかれている。そして、変化を望む人たちにとって、これがマイナスなことは、その希望を育むには完璧な世界のファンタジーしか残されていないことだ。立候補者の是非について活発に論じ合うことが、民主主義にとっては欠かせないのだが、米国の政治状況はわずかな政党間の政策の違いに、極端な「善」と「悪」のレッテルが張られている(2-5)

 そして、いま多くの人たちが、産業文明が直面する危機への唯一の対応策は、理想主義に基づいて、根底からまったく新たな文明を打ち建てることが重要だ、と主張している。 けれども、私たちは、もはやその壮大なスキームのための時間を手にしてはいない。隠喩で例えれば、船がすでに氷山に激突し、沈みかかっているときに、新たな造船技術に基づいて、竜骨から船を再建するのでは手遅れなのである(3-6)。それでは、残された手段は、なんなのだろうか。それが、1970年代の適正技術運動で最も思慮深く、かつ、最も記憶されなかった前述したウォレン・ジョンソンの『へまをしながらもごまかしごまかし戦略』なのである(2-5,3-6)

 ジョンソンは、枯渇していくエネルギーや資源に対して、日々調整していくことが、豊かな経済から節約型の経済への厳しいトランジションの緩和になると考えてきた。最近までは、これは、未来予測の失敗事例として、無視されてきた。けれども、ジョンソンの予測は失敗していなかった。あえてジョンソンの肩を持てば、1970年代に成長の限界に対して、持続性に向けた運動にかかわっていた誰も、ほとんどの産業国が短絡的な視野しか持たず、急激に資源を浪費することで対応し、かつ、それが、永久的な解決策だと誤って認識されてしまうことになるとは予想できなかったからである。

 けれども、ジョンソンの戦略には、まだそれ以外にも利用できるアプローチが残されている。それは、もう手遅れになってしまった事態の中でもまだ適用できる。現在の苦境の性質がどのようなものであるかに対してクリアーな感覚を持って、そのアプローチを十分な熱意をもって死に物狂いでやれば、今後、未来が混乱していく中でも、かなりことをやれるであろう。それはただ傍観して船が沈むことを待っているよりも、確実な見込みをもたらす。それが、ジョンソンの『へまをしながらもごまかしごまかし戦略』であり、それが、私たちに残されている唯一の選択肢なのだ。

『へまをしながらもごまかしごまかし戦略』は、何をすべきかの手際がいいチェック・リストでもなければ、あるプランでもない。ただ、「へまをしながらもごまかしごまかし戦略」方のアプローチで問題に取り組みたい人にそれがどのような意味があるのかを示唆しているだけだ(3-6)。ジョンソンはヒーローの危険性をこう指摘する。
「イデオロギーや壮大な計画に依存する習慣は、悲劇的な言葉から借り受けている。そこでは、偉大なヒーローが理想のためにすべてを危うくする。もちろん、これは壮大な文学やドラマを作ってはいる。にもかかわらず、悲劇のヒーローはたいがい命を落とし、すべてを一緒に引きずりおろすことが多い。したがって、彼らは、建設的な変化のための最良のモデルではないかもしれない」

 このオルタナティブとして、ジョンソンは、コミックのヒーローの想定外の可能性を提示する。コミックのヒーローは、たいがいでたらめなやり方をし、完全無欠でもなく大きな行動計画もないまま手がかりもなく、状況のなかでつまずいたりしていく。ヒーローとは反対に、彼らの努力は、多くの社会変化の提案者たちが熱望する尊敬をとうていインスパイアーできやしない。けれども、悲劇のヒーローとは違い、彼らは、それほど同志を巻き添えに自殺的な暴発を果たすような極端な行動はとらない。

 現代の産業文明の衰退と没落に対しては、コメディーは望ましい素材のようには思えないかもしれない。けれども、まごつきの基本戦略には、推奨すべき多くのことがある。

 なぜならば、エコテクな文明がどのように見えるのかは誰も知らない。産業社会からエコテク社会へとトランジションするために、どのようなステップが必要なのかも誰も知らない。どれほど急速に化石燃料の生産が低下するのか、その結果として経済的なショックの波がどのように展開していくのか、あるいは、グローバルな気候変動の影響がどれほど急速に大きなやり方で今日の社会に影響をもたらし始めるのか、あるいは、これから直面する深刻な問題についてのそれ以外の回答もそうなのだ。そして、こうしたことに対して、効果的に対応できる何かがあるとしても、それが何なのかは誰もわからない。
 わかっているのは、ある種のことが、現在は機能してはおらず、変える必要があるということだけだ。そして、現在は機能しているそれ以外のものも、長期的には機能しなくなるかもしれない。こうした状況においては、未来に対して、あるひとつの雄大な計画にすべてを賭けてしまうことは極めて危険な賭けである。より賢明なアプローチは、状況に対して様々な対応策を促進することであろう(2-5)

■逆説の未来史への教訓

 ジョンソンは、未来の危機を受け入れ、それに対して、適度で、断片的で、印象的ではないステップを取ることが最善のやり方だと提案する。すなわち、ガチガチの理想やイデオロギーを抱かずに、とにかくやれることを肩肘はらずに試みつづけることがベストな対応策、適応型の戦略なのである。そして、適応型ということは、レジリアンスが高いと言うことでもある。

 逆説の未来史14「エコテク文明は直ちには出現しない」では、「ユートピアを目指す壮大なアジェンダが、常に悲惨なまでに失敗する。フランス革命時代のギロチンから、ロシア革命、カンボジアのクメール・ルージュのキリング・フィールドに至るまで、楽園を約束し最も地獄に最も近いものをこの地球上で産み出してきたのは、常にラディカルな運動だった(2-10)。社会構造の全体を一度に転覆させようとした試みは、常に失敗し、暴力や暴政の爆発以外には何も産み出さなかった (3-6)」と書いた。そして、あるひとつの雄大な計画にすべてを賭けてしまい、前半は大成功を治めつつ、後半にはやはり大惨事を招いてしまった政治的失敗事例があるのである。

【引用文献】
(1) John Michael Greer, The Long Descent: A User's Guide to the End of the Industrial Age, New Society Publishers, 2008.
(2) John Michael Greer, The Ecotechnic Future: Envisioning a Post-Peak World, New Society Publishers, 2009.
(3) John Michael Greer, The Wealth of Nature: Economics as if Survival Mattered, New Society Publishers,2011.
(4)ウィキペディア
(5) 中野牧師Penguin Club 2009年8月9日「マタイ14:22~33 恐れるな、わたしだ」より
クヌート王の画像はウィキペディアから



逆説の未来史41 贈与の経済(19) グローバルマネーが没落中央集権国家に敗退するわけ

2013年10月16日 00時26分41秒 | 逆説の未来史

■利潤のために嘘をつき人をだます企業は精神病である

 企業の外道な立ち振る舞いが一般的となっている。さらに、企業は政治にも不適切な影響緑をもたらしている。けれども、企業だけが問題なわけではない。退職者たちのロビー活動団体(retiree lobby)からアメリカ医学会(American Medical Association)に至るまで、現代の資金力を持つ大組織にはそれは等しく真実と言える。株式会社とは、民衆の福祉を犠牲にして、自分たちの利益を追求するために、このシステムを利用する権力センターにすぎない。けれども、企業利益と社会的な公益性との対立は、とりわけ頻繁である。すなわち、企業とそれ以外の権力センターとの最も明白な違いは、企業が反社会的かどうかである。

 米国をはじめ、ほとんどの国家の法律においては、株式会社は「法人(legal person)」だが、その多くは同時に「自然人(natural person)」の資格を法の下で手にしている。したがって、企業が、その活動の結果に対する懸念を欠いたまま、第三の富の生産という目的を追及することは、「自然人」としては、まさに精神病と診断されるであろう。嘘をつき、欺き、盗み、殺す。こうした行為を行ってもその見返りが刑罰のリスクよりも大きければ、一貫してそうしたことを行うことで、企業は自らそれを証明している。

 この企業の行動に対して、ただモラル的な告発を行う著述家もいるが、どの弾劾にも効果はない。そして、企業に対して礼節をわきまえるよう様々な手段も提案されている。一般的な提案には、ある独立した第三者機関が、企業を定期的に査察するというものだ。けれども、第三者機関が企業と癒着せずその誠実性を保たれるのかどうかについては明らかではない(3-6)

■シューマッハーのパートナーシップ企業モデルには期待できない

 E・F・シューマッハーも、こうした企業の無作法には十分精通していた。そして、別の企業ガバナンスモデルを奨励することで、これを解決することを望んでいた。その事例のひとつが、従業員のパートナーシップによって組織化された英国企業スコット・バーダー社(Scott Bader & Co. Ltd.)である。同じ枠組みは、協同組合から従業員の企業所有にまで及ぶが、少なくとも通常の企業と同様に機能している。けれども、残念ながら、企業の重役や株主たちが、自分たちの富や権力を減らすための機構改革を自発的に行うよう説得するやり方はまだ誰も見出してはいない。この手段が見つかるまでは、シューマッハーのアプローチが大きな変化を産み出すことはありえないであろう(3-6)

■中世ヨーロッパの罰則は罰金だけで金持ちは罪から逃れられた

 けれども、実のところ、私たちには、企業の反社会的行為に対応するかなり有効な手段を手にしている。ただ、自然人に適応するように、法人にはそれをまったく適用していないだけなのである。まず、法人の歴史を顧みてみることが、この問題を明確にする助けとなる。

 初期中世のほとんどのヨーロッパ諸国の法令は、罰金によって執行されていた。例えば、贖罪金(wergild)の原理は、各人にある価格(cash value)を与えるもので、殺人犯は死の贖罪金として犠牲者の家族にその価格を支払わなければならなかった。その料金は軽い傷害や侮辱では安かった。けれども、この法令がさほど機能しなかったのは、十分なマネーを手にしている人物は、費用効果分析に基づいて、主流のエコノミストたちがいま私たち誰もがそう行動すべきだと指摘するやり方で行動できたからである。すなわち、誰かを殺してもその贖罪金を支払う余裕があり、かつ、それを支出する価値があると判断されれば殺人を犯せたのである。

 かくして、暗黒時代は終わりを遂げたが、ヨーロッパ諸国の法令は、贖罪金を無視できないほどの重い罰へと取り替えた。これが、重罪という有罪判決を下された「自然人」が、ただ罰金を支払うだけでは罪から逃れられない理由である。犯人は刑務所へ行くか、あるいは、その犯罪が極悪であれば、司法によって死罪にされることになる。もちろん、このアプローチにも欠点はある。けれども、かつての贖罪金の原則よりも犯罪活動の防止にはより効果的に思える(3-6)

■法人に投獄と死罪という自然人の罪を適応する

 以上のことから、法人に関する問題は単純すぎるほどであることがわかる。現在では、法人が法を破っても、企業が贖罪金を支払わないことすらある。これでは暗黒時代よりも反社会的行為に対して抑止力がないではないか。

 企業を刑務所送りにしたり、死罪にすることを私が真面目に提案しているのではないかとこの時点で疑問に思われるかもしれない。確かに私はそれを提案している。けれども、犯罪者を投獄することの本質は、犯罪者から自由人である権利を奪うことである。ある定められた期間、彼は社会の「動産」であり、社会はその期間、犯罪者の労働から利益を得る権利がある。それでは、死罪の本質はなんであろうか。社会的に存在するための最低のスタンダートさえ満たせないことが証明された犯罪者は、社会的行為によってその存在を停止する。この本質はいずれも企業に簡単に適用できる。

 未亡人と孤児に対して無価値の有価証券を恣意的に販売し、たった今つかまった某企業―私たちは、それをいかさま社(Shyster Company)と呼ぼう―をイメージしてみよう。地方検事は、州立裁判所に対して不正行為及び窃盗で告訴する。公判期日に弁護士が口論し、陪審員は被告が有罪だと判決する。そして、裁判官は禁固10年の罪を企業に宣告する。

 実際にここで起こるのは、裁判官が被信託人を任命するということである。そして、この人物は、いかさま社とその全財産を管理する。これから10年、いかさま社は州政府が完全に所有する政府の子会社である。その株からは配当金が支払わず、議決権もない。いかさま社の管理者は、何か別のことを見出さなければならない。もし、被信託人が、いかさま社のCEOやそれ以外に過剰に給料をもらっていた社員が新たな仕事を見つけなければならないと決定すれば、彼らは、それをしなければならない。しかも、この監禁期間にいかさま社を通じて得られた全利益は、その犯罪の犠牲者に原状回復のために支払われたことを除いて、すべて州政府にいくことになる。

 その間、別の企業が、致死的な細菌で汚染された食品を故意に販売し、10人もの死者が出たことで捕らえられた。私たちは、それを腐敗外道社(Dirty Rotten Scoundrel Inc.)と呼ぼう。今回は、地方検事は、第一級の殺人告訴を行なう。公判期日が到来し、弁護士が口論し、陪審員は死罪を評決する。

 実際にここで起こるのは、死罪の期日に腐敗外道社がその存在を止めるということだ。その株は無価値となり、その資産はオークションで売却され、罰則の下、もはや誰も外道社の名前や商標を使うことはできない。

 いずれの事件においても株主が、そして、後者の事件においては債権者が企業行動によって苦しめられることが重要である。企業の株主は、現実的にも法律上でも、その所有者である。彼らはその事業活動から利益を得ている。したがって、その犯罪のツケを支払うべきである(3-6)

■法人の行動に刑事罰が科されれば外道な企業への投資は止まる

 あるビジネスにマネーを投資する人たちは、そのビジネスが破産して投資したマネーが失われるリスクを抱えたうえでそれをしている。「自然人」が引き起こした事件に刑事訴訟がなされるのと同じやり方で、「企業」にも刑事罰を科すことは、ある企業が違法行為を行えば、その犯罪の代価を支払うリスクがあるという同じ原理が適用されるだけだ。このシステムの下では、どうなるだろうか。

 ある企業が違法性ギリギリの危ない橋をわたっているとのうわさが立てば、その株の価値は下落し、株主にはそれを売却する強力なインセンティブがでてくる。同じく、ある企業の外道な立ち振る舞いに気づけば、投資者はそれに高利率を課したり、あるいはその企業にマネーを貸すことそのものを止める強力なインセンティブを持つであろう。けれども、現行制度下にはそうしたインセンティブがない。あたかも四半期の利益だけがただひとつの重要なものと扱われている。それが、企業やその株主、債権者を行動させる原理となっている。この提案はそれを変えるであろう(3-6)

■グローバル企業は最終的に国家権力にはかなわない

 最後に、政府にも企業を罰する法を執行するための強力なインセンティブがある。政府はいつもマネーを必要としている。とかく増税は人気がないが、法律に違反した不誠実な企業を捕らえ、悪漢たちにその犯罪の代価を支払わせ、5~10年にわたってその法人所得を国庫税収とすることは、国の規制内でさえも悔い改めない企業の心を変えるであろう(3-6)

 極左集団は暴政の危機をあおっている。確かに、政治権力には注視しなければならない。けれども、今日の産業諸国においては政治権力は、さほど中央集権化されているわけではない。むしろ、権力は多様な党派の政治闘争によって大きく分散されている。自分以外の政党の同意を得ないままにある政策を遂行できるだけの強力な党派もなく、その党派も対立勢力のまとめ役となってしまっている。産業化社会で求められる改革の多くが行き詰まっているのもそのためだ。他の政党を一切刺激しない改革を考えることは難しい(3-5)

 けれども、繰り返されてきたひとつの歴史の教訓は、安定期には企業の権力が相対的に高まり、混迷期や危機の時期にはもみくちゃにされるということだ。19世紀には欧州はずっと平和であり、そのために、今日の緩い標準からみても極端だと思えるほどまで、企業利益が西側諸国の政府のほとんどを支配することが目にされた。その平和が1914年の第一次世界大戦以降に粉々になったとき、政府は大企業の持つ力を奪った。それは、世界をカオスへと落とし込んだサラエボの銃弾以前には考えられないこととみなされていた。それ以降には、1954年にベトナム戦争が止めるまで、どの西側諸国も、ある程度の社会主義か、あるいは、ラディカルな経済改革のどちらかを備えていた。

 そして、いま、私たちは、再び同じ危機の時代に直面している。繁栄の時代には、共通して権力は分散しているが、危機の時代にはまずそれが失われる。現在の権力が分散した構造がブレークダウンし、企業のパワーと見なされていた多くは、今日よりもはるかに脆弱なものであることが判明するであろう(3-6)。グローバリゼーションの批判家は、それを企業による世界の奴隷化だとして描写してきた。けれども、国外から資本や技術の輸入している国家は、自国の産業部門を構築するための時機をうかがい、次にはその市場に自らで参入し、彼らにその足がかりを与えた企業や他国を商売で打ち負かす(3-5)

 世界の石油生産の落ち込みの影響が見え始め、不況が深刻化するにつれ、台頭する世界的な強国は、パワーダウンする米国と争い、どの国が次のグローバル帝国になるかを競い合い始めている(3-6)。実際のところ、米国がエネルギー他の資源を国外から確保する能力を失えば、世界の減少していく資源の四分の一はそれ以外の国々に利用可能となり、多くの国々がこうした再調整から強力な利益を得るであろう。そして、それを引き起こすには、世界全面戦争が必要とされるわけではない。そのことに米国以外の国家が関心を抱くことは避けられない(3-5)。その時には現在の混乱はさらに深まり、ビジネス業界は、ただ犯罪責任を企業に求めるよりも、はるかに劇的な力に直面するであろう。権力の持つ暴力と対決すれば、マネーは負ける。すでに、いくつかの国では、既に企業の影響力が政府のパワーの前に打ち負かされつつある。それをリードしているのがロシアだ(3-6)。例えば、ウラジミール・プーチン(Vladimir Putin)は、ロシア国内のエネルギー資源をめぐる争いの天王山で、西側が資金提供した傀儡を打ち破り、エネルギー供給を祖国の政府の管理に戻した。

 中国の国営企業も、未来の中華帝国の基礎を築くためグローバル貿易のメカニズムを用いて世界中でその操業を拡大しているが、一方で、中国政府は、祖国に中国の経済益を還元し、それ以上に貿易交渉を効果的妨害している。最近では、多国籍企業の株をかなり大量に中国は購入し始めている。エクソン・モービルが中国国立沿岸石油公社(China National Offshore Oil Corporation)の完全な子会社となる日は、予想よりもはるかに近いのかもしれない(3-5)

■逆説の未来史への教訓~いち早い没落国家は実は先頭を切っている

 今後、どのように事態が展開するのかは誰にもわからない。けれども、米国が第三世界へと没落していけば、長期的にはこれはあるメリットを持つ。
 急速なトランジションを経験し、かくして化石燃料がない状態で利用可能な適度なエネルギーや資源フローで何とかやりくりするやり方を学ぶことを強いられる国は、時が来たれば、それ以外の誰もがしなければならない変化が起きるときに、実は自分が有利な滑り出しをしてきたことを知るであろう。けれども、こうしたメリットを最大限に利用するには、これまで追求されてきたのとは異なるアプローチが、とりわけ、経済学に求められるであろう(3-5)

【引用文献】
(1) John Michael Greer, The Long Descent: A User's Guide to the End of the Industrial Age, New Society Publishers, 2008.
(2) John Michael Greer, The Ecotechnic Future: Envisioning a Post-Peak World, New Society Publishers, 2009.
(3) John Michael Greer, The Wealth of Nature: Economics as if Survival Mattered, New Society Publishers,2011.
(4) ウィキペディア
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プーチンの写真はウィキペディア


逆説の未来史40 贈与の経済(18) 抽象化の罠

2013年10月13日 16時29分26秒 | 逆説の未来史

■進歩の神話と黙示録の神話はキリストの再臨時期の違いから誕生した

 逆説の未来史の「進歩の神話」と「崩壊の作法」では、進歩の物語と黙示録の物語を紹介してきた。実のところはいずれも、ドイツ出身の米国の政治哲学者エリック・フェーゲリン(Eric Voegelin, 1901~1985年)が「終末の内在(immanentizing the eschaton)」と呼ぶ同じプロセスである(1-2)。フェーゲリンは、1933年にナチズムの人種差別を批判した書物を出版し、その後にスイスを経て米国に移住した。終末の内在は、1952年に作り出した言葉である。古代グノーシス派は彼らが「霊知」と呼ぶ学びや知識によって世界の混乱を超越できると確信していたが、その思想の根源には社会的疎外があった。フェーゲリンは、この古代グノーシス派と共産主義とナチスとに類似点を見出した。その後、終末の内在は、共産主義のユートピアを軽蔑するものとして保守的な批判家が用いた(4)

 「終末の内在」は、今日もおびただしい量の思想の基礎となっている。すなわち、近代イデオロギーには、終末論が内在している。「終末」という言葉は「終わり」あるいは「境界」を意味する古代ギリシャ語に由来し、キリスト教神学の専門用語では、今の堕落した世界が、いつの日にか永遠の至福の神の王国へと取ってかわることを指す。複雑な操作を行っているとはいえ、進歩の神話と黙示録の神話は、キリスト教神学の世俗的な形式への練り直しにすぎない。それでは、もともとひとつであった神話が進歩の神話と黙示録の神話とになぜ分裂したのだろうか。その背景には、複雑な歴史がある(1-2)

 まず、ヨハネの黙示録を確認しておこう。

 黙示録では七人の天使がラッパを吹く。第一のラッパでは地上の三分の一、木々の三分の一、すべての青草が焼け、第二のラッパでは海の三分の一が血となり、海洋生物の三分の一が滅亡し、第三のラッパでは、「にがよもぎ」という星が落ちて川の三分の一が苦くなって人が死に、第四のラッパでは、太陽、月、星の三分の一が暗くなり、第五のラッパでは、額に神の刻印がない人をいなごが五カ月にわたって苦しめ、第六のラッパでは四人の天使が人間の三分の一を殺し、第七のラッパで、この世は主メシアのものとなり、天の神殿が開かれ、契約の箱が見えるのである(4)

 もともと神学者たちは、黙示録で描かれた出来事を「シンボル」とみなし、それが何を意味するのかを論じていた。けれども、今を遡ること400年以上も前の宗教改革時に、このキリスト教の主流派は「唯物論」に敗北した。それ以降、深遠で神秘的な聖書の物語は「世俗史」として再定義されることとなった。したがって、黙示録で描かれた同じ出来事が、現実世界の歴史上の事件として、いったいいつ、どのようにして起こるのかが論じられるようになったのだ。そして、この議論から二つの思想が産まれる。後千年王国説と前千年王国説である。一方、この二つの見解から神学の部分をそぎ落としてみてほしい。そうすれば、進歩の神話と黙示録の神話とが手にできる(1-2)

■後千年王国説が進歩の神話を作りだした

 キリスト教の聖なる歴史の物語は、進歩の神話に近く、後千年王国説は、さらにそれに近い特徴を含む。後千年王国説(postmillennialists)では、千年王国が成立した以降にキリストの再臨が起こると考える。したがって、キリスト教徒があらかじめ千年に及ぶ至福の世界を統治し、その後にキリストが再臨することになる。したがって、キリストが到来する以前に、キリスト教徒は何千年もの世界を統治できるため、歴史は人々の側にある。したがって、すべてが正しく、時とともに改善されていく。

 すなわち、再臨と天国の到来との間にもたらされるキリスト教の千年の聖なる歴史を早く進めるのが、進歩の神話であり、それは、科学革命の形で既に起きており、今日の科学者たちは、涙の谷(a vale of Tears=キリスト教ではこの世のことを「涙の谷」と呼ぶ)にユートピアをもたらす偉大な神の進歩を待っているキリスト教徒の期待に応える役割を果たしている。進歩の神話の信仰者たちは、産業文明の時代はどの歴史時代よりも良く、科学研究に十分な資金を投じる等により、さらによくなっていく運命にあると主張する。
 
過去300年、キリスト教は、科学的な唯物論によってみくちゃにされたとはいえ、西洋のイマジネーションからはまだ神話は排除されてはいない。その結果、物質主義の名の下に、キリスト教の神話を焼き直す試みがなされた。17世紀の科学革命は、この古い神話に新機軸をすえた。初期の近代科学の創設者や宣伝者たちには、神が天国をもたらすことを待つ必要はなかった。自然世界を支配する人間の合理的な力を利用することで、今、ここで天国が構築できるからである。「進歩の神話」は、この種類の使い古しの神学の一例なのである(1-2)

■前千年王国説が黙示録の神話を作りだした

 一方、前千年王国説(premillennialism)は、黙示録に述べられた千年王国に先立ち、キリストが再臨すると考える。したがって、キリスト教徒が世界を統治することになる至福の千年が訪れるのは、キリストが復活してからのことになる。前千年王国説に従えば、キリスト自らが介入しなければ、至福の千年がもたらされることはない。すべてが間違っていて時代とともにそれは際限なく悪化し、イエスが再臨して、資本主義、文明、共和党、等の悪魔やその手先をすべてを打ち倒すことで、ようやく千年王国がもたらされる。したがって、歴史は悪魔の側にある。黙示録の信仰者たちは、産業文明はどの歴史時代よりも悪く、現在の困難は、カタストロフィーによって終焉し、その後に神話によって約束されるより良き世界が到来すると主張する。

 ほとんどの人たちが良く知っているこの事例がマルクス主義である。マルクス主義理論によれば、歴史は生産様式の変化により決定づけられ、原始共産制、奴隷制、封建制、資本主義、プロレタリア革命を経て、未来の永遠のユートピア、共産主義へと決められた順番に展開していく。唯物主義の専門用語に包み込まれているとはいえ、その理論の土台となっているのもキリスト教の終末論である。原始共産制はエデンであり、私有財産の発明が崩壊を引き起こす原罪である。そして、社会主義の千年至福状態が起こり、プロレタリアートの再臨によって、最終的に共産主義が到来する。それは、聖なる歴史の神の摂理であって、キリスト教の神話の焼き直しなのである(1-2)

■神話に経済学が組み込まれるとマスクス主義、人類学が組み込まれると新原始主義のユートピアが産まれる

 最近、見られる黙示録の神話のほとんどは、マルクスが行ったのと同じラインに沿って、キリスト教の物語を再加工し、マルクスが神話に導入した「経済」の概念を、大衆にさらに説得力のあるそれ以外の思想に交換している。例えば、経済学を「人類学」に置き換えたのが、ジョン・ゼルザンやダニエル・クイン(Daniel Quinn)のような新原始主義(Neoprimitive)の理論家である(1-2)。彼らは、産業社会が没落し、人類は狩猟採集型のライフスタイルに戻ると主張するが(2-13)、彼らにとっては、有史以前の過去の狩猟採集社会がエデンの園であり、農業の発明は、堕落へとむすびつく原罪である。そして、差し迫る文明崩壊が黙示録の役割を果たし、残された人々は、採集狩猟型のライフスタイルという天国に入ることになる。

 現在の社会秩序から疎外され、恩恵を受けられずにいる人たちは、黙示録の信仰者となりがちだし、現在の社会秩序から恩恵を得ている人たちは、進歩の信仰者になりがちである。けれども、いずれの神話も、言葉を変えれば、ユートピア神話で、未来には現在よりもはるかに良き世界がもたらされることが約束されてはいる。ただ来るべきユートピアへの到達方法が一致しないだけなのである(1-2)

 けれども、いずれの神話も、言葉を変えれば、ユートピア神話であって、現在よりもはるかに良き世界が未来にもたらされることが約束されてはいる。一致しないのは、来るべきユートピアに到達する方法だけなのである(1-2)

 米国の思想家、テレンス・マッケナ(Terence McKenna, 1946~2000年)は、カリフォルニア大学バークレー校時代にLSDやジメチルトリプタミン(DMT)を摂取し、DMTがエイリアンのいる超空間や次元へと人間をつれていくと考えた。その後、休学して、ネパールやアマゾン熱帯雨林でシャーマニズムの文化に出会い、幻覚剤がシャーマニズムに与える重要な役割を確信した。1980年には、『易経』の六十四卦をもとにコンピュータ計算を行ない、2012年12月22日に何かが起こるという理論を提唱している(4)

 米国の経済学者、デービッド・コールテン(David Korten, 1937年~)ハーバード大学教授は『ポスト大企業の世界:帝国の原理の出現による崩壊(The Great Turning the Fall with the emergence of the principle of Empire)』で、貨幣中心の市場経済から人間中心の社会へ』で資本主義社会を超えるビジョンを提出している(4)。これもユートピアの役割を果たしている。

 テレンス・マッケナや後述するヘーゲルのように全く異なる思想家が、完全な社会が近未来に実現するとの歴史観を抱いている。すなわち、政治的、社会的、あるいは、スピリチュアルな政策がひとたび正しくセットされれば、完全な未来へのアクセスが可能なのである。けれども、我々の文化や集団心理に深く根ざすユートピアの魅力は、産業化社会の危機に対して、建設的な対応を行ううえで大きな障害となっている(1-2)。こうした未来予測は情緒的なアピール力を持つが、どの主張も歴史的には証明されない(2-13)。化石燃料が爆発的な経済成長を支えてきた300年間は、大きいことが良いとされてきた。けれども、産業化の時代がピークに達し、没落が始めるにつれ、いまこの方程式は逆転している。豊かなエネルギー時代はすでに終わり、化石燃料や非再生資源がすべて不足し、困難なエコロジー的な限界を抱え、機会も制約され、今までどおりの夢や希望は実現がされる進歩する未来にも、黙示録的な崩壊にも期待できない。ユートピアに別れを告げ、残された時間と限られた資源で、実際に実現できることに取り組んでいかなければならない。再び、いかに小さくするかを考えることを学ばなければならない(1-2)

■進歩の歴史観は中世イタリアの思想家ヨアキムにルーツがある

 さらに、進歩の思想が誕生するためには、歴史にはあらかじめ目標があり、望ましい目標に向けて全体として運動していくとの「歴史主義(historicism)」が必要であった。この歴史主義の思想をたどると、中世イタリアのキリスト教神学者、神秘思想家フィオーレのヨアキム(Joachim of Flora,1135~1202年)にゆきつく。ヨアキムは難解な神学の書物を執筆することにほとんどの人生をささげた(2-13)。ヨアキムは富裕な家庭に生まれ、放縦な生活を送っていたが、その後、回心して牧師となる。1195年頃に弟子とともに、コゼンツァ東方のシラ山(La Sila)に「フィオーレ」と呼ぶ修道院を建て、死ぬまで瞑想と著述に専念した。ヨアキム主義の思想は、予言的・終末論的な歴史思想である(4)

 ヨアヒムが思想的に斬新であったのは、神の「救済計画」が世俗史を通じて働くと主張したことにあった。すなわち、三位一体構造を世界史にあてはめ、世俗的な歴史も旧約聖書下の法の時代、新約聖書下の愛の時代、そして、これから始まる自由の聖霊の時代にわけられるとした(2-13,4)。そして、この第三の時代において、現在の教会秩序や国家等、支配関係に基づく地上的な秩序は破壊され、兄弟的な連帯において修道士が支配する時代がもたらされ世界は完成するとしたのである。ヨアキムの思想は終末論を含んでいることから、問題視され、著作『三位一体論』は1215年に異端の判決を受けた(4)。けれども、13~18世紀にかけ、どの教会改革者もヨアキムのアイデアの影響を受けて自由の時代の到来を考えるようになり、次には、三つの時代は、神の導きの進歩であるとした。

 ヨアキム以前には、どのキリスト教の神学者たちも、ヒッポ(当時、カルタゴに次ぐアフリカ第2の都市)の司教であったアウグスティヌスこと、アウレリウス・アウグスティヌス(Aurelius Augustinus, 354~430年)が提唱した「神の国(City of God)」と「地の国(City of Man)」の区分にしたがい、すべての世俗史(secular history)は地の国のこととされ、「救済計画」からは脇においていた(2-13)。アウグスティヌスは、ローマ崩壊をまのあたりにした人物である。このこともあって、人間の意志を無力なものとみなし、神の恩寵なしには善をなしえないと考えた。そして、創造以来の歴史を「地の国」とそれに覆われ隠されている「神の国」として叙述した。アウグスティヌスは、西洋思想全体に影響力をもつ理論家で、とりわけ、自由意志に関する思想はアルトゥル・ショーペンハウアーやフリードリヒ・ニーチェにまで影響を与えている(4)。けれども、ヨアヒムのイノベーションによって、歴史は、アウグスティヌスの言う神の救済計画から、人類の運命に関する壮大な世俗理論(secular theories of humanity)へと加工されたのである(2-13)

■進歩思想を完成させたヘーゲル

 進歩の思想を進めるうえで、人間の精神の進歩を歴史的に描いたフランスの哲学者ニコラ・ド・コンドルセ(Nicolas de Condorcet, 1743~1794年)の理論も重要だった。コンドルセは、よりよき世界は前もって計画でき、集合的な意志によって創造できると信じていた。このコンドルセの思想がフランス革命に火を付けた。けれども、フランス革命でルイ16世の君主制が打ち倒されたとき、それにかわったものは幸福な理性の共和国ではなく、ギロチンのパレードだった。恐怖政治に反対したため、コンドルセ自身も死罪を宣告され、革命警察から隠れながら『人間精神進歩の歴史』を執筆した。不幸な経験も理性や進歩に対するコンドルセの信念をなんらへこませることはなく、野蛮からユートピアの未来へと絶えることなく上昇していくのが人類史であると主張した(2-13)。その後、コンドルセは、逮捕され獄中で自殺している(4)

 コンドルセの進歩のビジョンは、数多くの賛同者を得た。その中でも最も影響力を持ったのが、ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770~1831年)である。ヘーゲルは、フランス革命以降のヨーロッパの混乱を目撃する中、相反する力、テーゼとアンチテーゼーの対立によって壮大な歴史変化が描かれると信じるようになった。そして、両者の統合によって歴史は最終的な完成状態に至るのである。ヘーゲルの思想は、ヘーゲルについて知らない人々にさえ影響を及ぼしている。例えば、必要とされる資源が使い果たされても、それは、何か新たなものが創造されるためであり、その結果はさらなる進歩だと主張される。これは、経済学の視点で焼き直されたヘーゲルに他ならない。不足はテーゼであり、創意工夫がアンティテーゼであり、進歩はジンテーゼ(統合)である。歴史主義からすれば、何が起ころうとも、その結果は、より進歩となるのである(2-13)

■人類の伝統的な歴史観は「周期論」で進歩史観ではなかった

 さて、フィオーレのヨアキムにまで遡ることができる歴史主義は、目標とする歴史の未来予測に失敗してきた。ヨアキム自身も自由の時代が1260年には到来すると信じていたが、その予測は外れている。すなわち、歴史主義は、未来を予測するうえでは適切ではないが、その繰り返される失敗にもかかわらず、あらかじめ規定された終末に向けて歴史が進歩していくという世界観に人気があることは理解できる。なぜなら、歴史主義を否定すれば、歴史にはまったく方向性がないことを受け入れることになる。そして、多くの人たちは、これに深刻なトラブルを見出すからである(2-13)。けれども、歴史主義に対して、歴史には目的、方向、目標はなく、ただパターンがあるだけで、歴史とは様々なパターンが何度も繰り返して姿を現すだけだとの考え方がある。周期論(the theory of cyclic history)である。

 周期論的な歴史観は古代の直観にそのルーツを持つ。初期文明の大半は、大きな天界の循環にしたがって、国家が隆盛しては衰退すると信じていた。シュメールの聖職者は、星から政治を予言しようとし、中国の歴史家は、王朝の変遷の天命を追い、マヤの王たちも、循環する時間に共通する意味を用いて作られた複雑なカレンダーに基づき、隣人と戦いにでかける日を選ぼうとしていた。古代ギリシャ哲学では、ギリシャの歴史家ポリュビオスが主張する「anacyclosis」のように、繰り返えされる都市、国家を追跡する歴史的サイクルの世俗的理論(Secular theories)が出現した。そこでは、君主制、寡頭政治、民主主義と続き、それが衰微すれば、順番に次のものにおき替えられるのだ。イブン・ハルドゥーンの歴史論は、このギリシャの伝統から影響を受けた王朝の隆盛と崩壊についての周期的な見解を含んでいた。そこで、この歴史の世俗的理論は、イスラム世界には見出させていたが、西洋ではローマ帝国の崩壊以降は、ルネッサンス時代までほとんど普及しなかった(2-13)

■周期的歴史観はヴィーコが復活させた

 ヨーロッパにおいて周期論的な歴史観を復活させたのは、イタリアの哲学者、ジャンバッティスタ・ヴィーコ(Giambattista Vico, 1668~1744年) である。ヴィーコはナポリ大学の修辞学の准教授という低身分でそのキャリアを終え(2-13)、その死後ほぼ一世紀は完全に無視され、再評価されたのは19世紀半ばになってからのことだが、ヴィーコの影響力は今も続いている(2-13,3-3)。例えば、ヴィーコ以降のあらゆる周期的歴史論はヴィーコに依存し、アーノルド・トインビーの12巻にも及ぶ『歴史の研究』も、まさにヴィーコの思想に依存している。そして、周期的な歴史論を拒絶しながら、ヘーゲルもマルクスも、実は、ヴィーコのアイデアを大きく利用していた。歴史家アンソニー・グラフトン(Anthony Grafton)は「ジャンバッティスタ・ヴィーコは、巨像のように近代社会科学と人文学に跨がっている」と書いている(2-13)

 ヴィーコは、ヨーロッパ史が古代ギリシャやローマの歴史とパラレルであることを認識した最初の近代的な西洋思想家だった。そして、歴史を統治する法則を初めて理解しようと試みた。ヴィーコは、余暇時間を利用して、著作、『国家に共通する性質に関する新科学の法則(Principles of a New Science Concerning the Common Nature of Nations)(通常、新科学と呼ばれる)を執筆したが、その中で、ギリシアとローマを事例に「社会は未開から文明まで隆盛し再び未開へと衰退するプロセスである」と描いてみせた。わずか2事例だけからヴィーコは論理を飛躍させた(3-3)。幅広く世界史を見れば無理な面もある。けれども、ヴィーコの思想には驚くほど予知能力があり、その直感は、今も壮大なスケールで歴史の意味を理解する試みの中心となっている。例えば、ヴィーコは、英雄時代には古典時代が続き、新たな未開状態への衰微が始まるというように時代は循環するが、循環運動は単純にもとに戻るのではなく螺旋を描いて進展し、未来を予測できないと考えた。当時としては革命的ともいえるこの歴史哲学はトインビーの歴史観に近いが、前述したように生前には評価されなかった(4)。最もヴィーコが理解されにくかったのは、ヴィーコが、自分の思想をルネッサンス思想に基づいて表現していたためであった。例えば、ヴィーコは「理想的な永遠の歴史(ideal eternal history)」を「神の時代」、「英雄の時代」そして「人間の時代」に分割しているが、ヴィーコが古典的なルネッサンスの比喩的用法を用いず、そのかわりに、歴史を「信仰の時代」「理性と記憶の時代」に分割していれば、おそらく、存命中にさらに多くの注意を得たであろう(2-13)

■終末論では神秘体験の「超絶」が外部からもたらされると考える
 
 終末論の信仰の背後には紀元前六世紀からの長く複雑な歴史がある。当時、旧世界全体では、時の輪廻と苦しみの世界から抜け出し、完成された永遠の王国へと至る方法を約束する宗教が信者たちを集め始めていた。仏教徒が涅槃を追求し、グノーシス派が永遠の光の世界(aeonic world of light)への回帰を追求したように、そのほとんどは、時の輪廻から逃れる手段は個人のためのものとされていた。けれども、一握りの伝統では、これがある未来の特定の時点において世界全体が永遠へと突入するとの思想へと変化した。通常の歴史は止まり、それ以外の何かとすべてが取り替えられるであろう。ユダヤ人たちの「来るべき救世主の時代」というビジョンは、この中でも最も古いもののひとつである。それは、キリスト教へと改造され、「再臨」の予言へとなった。終末論は、過去2000年にわたって発展し、多くの論争がなされてきた。そして、終末がいつの時期であるのかに関しては、いまだにコンセンサスが得られてはいない。けれども、それは完全に歴史領域外にある。トランペットが鳴り響くとき、天は裂け、全く別の「他のもの(otherness)」がもたらされるのである。神学者たち言語では、「再臨」や「他のもの」の性質は、超絶(transcendence)と呼ばれている。超絶とは、日常生活のリアリティとは別の非日常のリアリティ、変性意識の神秘体験が、外部からもたらされるとの考える(1-2)

 神学における最大の論争は、「神(God)」あるいは、「神(gods)」が「超絶」、すなわち、自然の外部にあって制約から自由であるのか、それとも、「内在」、すなわち、自然の一部であってその法則に従うのかであった。

 超絶:この非日常のリアリティは、どこか日常の存在の外部からもたらされたものである
 内在:この非日常のリアリティは、まさに、ここにあるが、終始、気づかれない。

 この神の「内在」の概念を持つ宗教のほとんどには、終末論の概念が全くないか、際限なく時間が繰り返される輪廻の世界観を持つ。萌芽、開花、無限の時の輪廻の宇宙観を持つヒンドゥー教や終末論を全く持たない神道がそうである。一方、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のように「超絶」の概念を持つ宗教のほとんどは、終末論の概念を伴う。終末論の核心とは、通常のリアリティがまったく別のものへ溶けていくことだからである(1-2)

■神秘体験は脳に組み込まれている現象である

 ちなみに、現代の脳科学では幽体離脱は側頭葉のてんかんが原因であることが判明している。側頭葉に軽い電気ショックを受けると意識は身体から離脱し自分を天井から見下ろすことができる(5,P155)。麻酔をかけた手術中に幽体離脱は頻繁に報告されている。麻酔中でも周囲の動きは情報として脳にインプットされ、脳波それを無意識に三次元に変換し、真上から手術を俯瞰しているかのように錯覚する(6,P140)。しかし、斜め後方からの自分の姿を認識しても、前方や真横から自分の姿を見る人はいない。これは脳に共通する構造による。人間の祖先であるサルは樹上生活をしてきたため、人間の意識は自分の位置を空間的に把握するために肉体から離脱するようにできている(5,P156)。この「空間的知能」が鋭敏となり、平面の資格情報が三次元に置き換えられると神秘体験になるのである(5, 156,6,P140)。覚醒剤として知られるアンフェタミンは脳内でノルアドレナリンやドーパミンを放出させ、強い快感を引き起こす。同じように、側頭葉が刺激されるとドーパミンが放出され、ヒトは幻覚を見るし、左前頭葉が刺激されるとナチュラル・ハイが起きる。そして、大脳の快楽中枢である視床の前にある中隔が刺激されると、オーガニズムの一千倍もの喜悦を感じる(6,P198)。光に包まれたり、光の中に身体が溶けていくといった神秘体験や霊的体験もよくあるタイプの幻覚にすぎない(6,P172)。あらゆる人間世界に「神」が普遍的に存在しているのは、霊魂や死後の世界が実在するからではなく、ヒトの脳が神を産み出すように配線されているからである(5,P160)。橘玲氏が指摘するように、非日常のリアリティは脳が作りだす幻影にすぎない。したがって、神秘体験が外部からもたらされると考える「超絶」は誤っていることになる。

■逆説の未来史への教訓~抽象化された社会は崩壊する

 初期の文化においては、社会は特定で具体的な現実に注目している。けれども、複雑な社会では、具体的な現実から抽象化への動きが進んでいく。法律はより複雑化し、個人的な神秘体験からスタートした宗教も、現実体験から遊離したエレガントな神学概念へと広がっていく。そして、この抽象化の罠が、文明の没落や崩壊の背後にある原動力であることを18世紀に指摘していた人物がいる。ヴィーコである。ヴィーコの思想の核となるテーマのひとつは、抽象化が果たす役割である。修辞学や法律の学者として、ヴィーコは経済にはさほど関心がなく、経済については、ごく短く言及しているにすぎない。けれども、西洋経済史は、ヴィーコのスキームに正にフィットする。

 エコノミストたちは、自分たちの分野において「マネー」を最も重要なものとして一貫して扱っている。マネーはすべてを共通の尺度で測定することを可能にするように思える。したがって、この習慣はとても誘惑的なもので、近代経済学にはこの思考習慣が浸透している。けれども、エコノミストたちが、マネーを富の特性とし始めると、問題が生じる。近代産業化社会では、暮らしのすべてがマネー化されている。私たちが知る限り、これほどマネー化を進めた過去の社会はない。けれども、富を抽象的な観念によって表現することは最近になって始まったわけではなく、はるか以前からある。複雑化した社会にとっては、この抽象化に大きなメリットがある。わずかな投資によって現実を動かせるからだ。けれども、この便利さには同時に隠された罠が伴う。具体的な現実から乖離すればするほど、具体的な現実が必要になるときには実際にはそこにはない可能性が大きくなるからだ。中国史をはじめ、その権力を抽象化させすぎ、現実の武力に抵抗できずに崩壊した政権の歴史的事例は数え切れない。同じく、経済でも観念的な抽象化が進み、財やサービスの存在を担保するのは、もはやエコノミストたちのはかない夢想の中だけでしかなくなっている。

 抽象化へと向かう動きがあまりにも進み過ぎれば、空虚さの上に構築された抽象的な観念のタワーがあるショックですべて崩れ落ちるまで、現実は無視され続ける。ヴィーコ自身が最初に指摘したように、抽象的な富の消費が、過去の没落した文明の多くでも変化を動かすことを助けた。そして、現在の複雑化した経済は、化石燃料によって可能となった。そして、それ以前のどの文明よりもいま世界の産業諸国は、経済の抽象化を進めている。現代社会は現実以上の価値を評価するために様々な商品を作りだし、抽象的概念の異常なピラミッドを構築している。しかも、エジプトのピラミッドとは違って、現実の財やサービスの基礎が狭く、上にいくほど広がっている。いま流通している株、債券、デリバティブの額面価値に匹敵するだけの現実の財やサービスは存在してはいない。そして、今日の世界の経済活動の圧倒的多数は、純粋な富の表現の交換からなっている。そして、幻影の富の経済は、参加者全員が、その幻影がリアルな価値を持つとのふりをすることに依存している。それが緩めば、その狂言は一瞬にして蒸発する。これが、金融バブルが金融パニックへと変わる理由だ。チューリップの球根、株、郊外住宅他の投機媒体をめぐる集団幻想は、狂気のラッシュへと溶解していく。

 そして、産業化の時代とは、ある意味では究極の投機バブルである。豊かなエネルギーが大量に供給されたことで、有限の地球上で果てしなき経済成長が可能だとの幻想に突き動かされた300年もの狂騒なのである(3-3)

【引用文献】
(1) John Michael Greer, The Long Descent: A User's Guide to the End of the Industrial Age, New Society Publishers, 2008.
(2) John Michael Greer, The Ecotechnic Future: Envisioning a Post-Peak World, New Society Publishers, 2009.
(3) John Michael Greer, The Wealth of Nature: Economics as if Survival Mattered, New Society Publishers,2011.
(4) ウィキペディア
(5) 橘玲『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』(2010)幻冬社
(6) 橘玲『亜久夢博士のマインドサイエンス入門』(2012)文春文庫

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